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2007年11月30日
金沢検定実学 寺町寺院群探訪1
朝の秋晴れに誘われて寺町探訪に出かけました。が、天気予報どおり曇ってきたので予定を大幅に繰り上げて帰ってきました。
初めに犀川大橋脇の蛤坂から始めました。

蛤坂
妙慶寺、成学寺、常徳寺、諏訪神社、本妙寺、妙典寺、高岸寺、長久寺、本因寺、妙福寺、善隆寺、昌柳寺と巡って、試験にもよく登場する石伐坂、通称W坂に向かいました。初めて通りましたが、下から見ると、確かにWを横にしたように見えます。桜橋の脇からはW坂とは別方向に桜坂も通っています。
桜坂

石伐坂(W坂)
戻り道で、大蓮寺、神明宮、雨宝院と今日は15社寺巡りました。神明宮は先日巡った小坂神社や宇多須神社と並ぶ金沢五社に数えられ、日本三神明の1つにも数えられるそうです。境内には大きなけやきの樹が立ち、本堂を正面にすると売店で狛犬が隠れてしまうのはどうかと思いましたが、その売店のラインナップは私には興味をそそるものでした。

というわけで、人形のおみくじと干支の土鈴を購入しました。人形のおみくじは仕事、金運、恋愛の3種類あり、今回は仕事をひいてきました。来年の干支、鼠の土鈴はかわいらしい形状が白、黄、桃の3色、普通の形状が白、赤の2色あって、特に意味はないとのことでしたが、風水で金運を表す黄色の鼠を購入しました。

来週は天気が悪い予報なので、また天候が良い日に残りを廻ることにしましょう。
投稿者 Tadashi : 22:24 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月29日
ニュー携帯 通常の3倍のスピード!?
今日携帯を新しくしました。

私は長年のドコモユーザーで、十年以上経ちましたがこれが4台目です。前回の携帯はFOMA2世代目、4年以上使用しました。その前はiモード初世代、4年弱使用しました。
私のような長期使用ユーザーには、今回のドコモのバリュープランは長期的にみて料金が安くなるのでありがたいです。ただ、安い基本使用料プランを選択していると、分割支払している間は割高となります。2年で買い換えると今までの3万円ぐらいの本体を購入したのと同じになります。
とは言え、魅力的な機種がなければ交換する理由はないのですが、今回はお気に入りがありました。パナソニック製の「P095i」です。
本体の色はレッド。ほぼ赤一色で統一され、光沢もあり光具合がまるでフェラーリのようです。充電するときのランプが本体の赤とのコントラストでシャアザクのモノアイのようにも見えます。ますます気に入りました。FOMAハイスピードにも対応し、まさに通常の3倍のスピード!?(実際はいままでの約10倍) 赤とはいえ、女性ターゲットのピンクに近い赤ではないので、意外に私のように購入する男性はいるかと思います。
欠点は、光沢のある本体に指紋がついたり、ほこりがついたりして少々汚れやすいことです。また、縦と横のダブルオープンモデルのため、根元の強度が不安です。
前回と同じパナソニック製ですが、操作方法は少し変わりました。慣れるまで大変ですが、また3、4年はこの機種を愛用することとしましょう!!
投稿者 Tadashi : 15:14 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月28日
大徳川展

東京国立博物館で開催されている「大徳川展」に行ってきました。平日にもかかわらず人、人、人・・・・先月の京都国立博物館、狩野永徳展よりも多い人出で、東京には暇な人が多いですね。
なんと70分待ちでようやく入場できました。入っても人でいっぱいで、時間があまりなかったので背の高い展示品を中心に見てまわり、和宮の婚礼品だけはゆっくり見ることができました。
入場料を考えてもとても勿体無い見方でしたが、展示図録を購入したのであとでゆっくり鑑賞することにします。
投稿者 Tadashi : 13:34 | コメント (0) | トラックバック
加賀藩江戸上屋敷探訪
東京出張するにあたり、ちょうど昨日の地元新聞で東京大学創立130周年記念事業として、懐徳館庭園の無料開放があることを知りました。東京大学本郷キャンパスは元加賀藩江戸上屋敷のあった場所で、赤門は将軍家の溶姫が13代前田斉泰に嫁ぐときに建立されたものです。
今回は、赤門に附属する番所内部公開と懐徳館庭園の無料公開が目的です。



番所は赤門の左右にありますが、内部公開されていたのは外から見て左側のものです。ここは門の見張りが待機したところで、特に中に何かあるというわけではありませんが、普段は非公開であり貴重な場所です。

懐徳門の脇には旧前田公爵家西洋館(懐徳館)の基礎の石積みが残っています。



懐徳館はもともと天皇の行幸を目的に明治時代末に建築されたものだが、東京大空襲で灰燼に帰し、戦後復旧されたものが現在の和館である。普段は立入禁止の庭園は川や池こそないものの紅葉してすばらしいものでした。和館の正面側に入れなかったのが少々残念でした。
投稿者 Tadashi : 11:16 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月27日
金沢城 来年度塩硝蔵を追加調査
金沢市は来年度、藩政期に黒色火薬を製造、貯蔵していた「土清水塩硝蔵」の追加調査を実施する。全国的に見ても珍しい歴史遺産であり、価値付けにつなげる。
今年度の発掘調査では、涌波町の休耕果樹園内で硝石土蔵と堀の痕跡が確認された。これらの遺構は幕末から明治初期にかけての「土清水製薬所絵図」に記されている建物の配置と合致していた。来年度は同じ休耕果樹園内の複数の地点で発掘調査を実施する方向である。絵図に記されたもう一つの土蔵の存在を確認するとともに、堀の規模などに関するデータをさらに収集する。
今年度は涌波一丁目の涌波堤公園でも調査を実施し、塩硝を硫黄、木炭とともに粉末化する施設である「三品搗蔵」を確認しようとしたが、遺構は発見できなかった。市は、絵図に記されている辰巳用水沿いの「搗蔵」などの存在を裏付ける調査実施も検討する。(北國新聞2007年11月27日付記事)
投稿者 Tadashi : 20:01 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月24日
秋の金沢城祭2007
三連休中日の本日、秋晴れの中、「秋の金沢城祭2007」が金沢城で開催され、一日中いろいろなイベントが行なわれました。

起工式は朝の埋蔵文化財発掘調査説明会が長引いてみることはできませんでしたが、続く小立野御山まつり保存会による大石曳きは見ることができました。石川門管理事務所前から数10メートルの緩やかな坂道を威勢の良い掛け声とともに約3トンの戸室石が、修羅と呼ばれる乗り物に載せられて移動しました。

その後は、和太鼓「藍(らん)」による太鼓演奏やクラリネット奏者原裕子さんのミニコンサートなどが開かれました。

午後からは三十間長屋コース開通記念「金沢城石垣めぐり」ツアーが行なわれ、告知不足か9人の参加でしたが、城内の石垣を見て回りました。午後から予報どおりの雲行きとなり、途中雨が降ってくるところもありましたが、何とか1時間半の工程を終了しました。今回、開通した「三十間長屋コース」は、昨年開通した薪の丸コースの途中から三十間長屋の脇に出るコースで、もともとあった道です(今までは通行禁止でした)。すぐ西側を通るいもり坂は軍隊によって付けられた新道であり、近世にはなかった道であって、今回のコースは薪の丸コースの正道でもあるのですが、途中の石垣が一部軍隊によって改変されていて残念です。

各イベントの合間には、「金沢城クイズラリー」や「オリジナルペーパーウェイトを作ろう!」「紅葉しおり作り教室」などを楽しみました。クイズラリーの粗品は飴玉3個、戸室石の破片(ちなみに赤戸室)で作るペーパーウェイトは2回、紅葉しおり作りは1回参加しました。

ペーパーウェイトはなかなか難しく、最初は鎌をクロスしたような模様で、金箔部分を多くしたので納得いかないものとなりました。細かい模様は輪郭にうまく金箔がのらず、また金箔が多いと戸室石の良い模様が鑑賞できません。
そこで、2回目は丸3つの単純な模様と、丸内部に金箔を貼って挑戦しました。
参加者には、戸室石の破片と型となるシール、金箔が渡されます。型は模様または輪郭のうち、金箔を貼らないほうを戸室石に貼り付けます。

接着剤となる糊を塗って5分間乾くのを待ちます。乾いたことを確認して金箔を貼ります。

うまく金箔がのったところで、慎重にシールを剥がして出来上がりです。かなり満足するものができました。

最後は雨が降りましたが、今日は一日楽しめました。告知不足か人出が少なかったように思います。大勢押しかけても困るイベントもありますが、石垣ツアーや先着1000名花苗配布などはもっと人数いても良かったのではないかと思いました。
投稿者 Tadashi : 22:01 | コメント (0) | トラックバック
金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会
秋晴れの本日、金沢城河北門で埋蔵文化財発掘調査説明会があり、市民80名ほどが説明を聞きました。秋の金沢城祭2007の一事業として開催されたためか、いつもより早めの9時開始で少し遅刻してしまいました。

全体説明の後、2班に分かれて説明を聞きました。河北門修復にあたっては一の門、二の門よりもむしろ枡形を構成する土塀の構成が問題となっているわけですが、南側からは今回土留め石列が発見され、西側はゆるやかな土塁とすると、絵図にある黒い線が石列を表すのだろうという説明がありました。
次の写真では非常に見にくいですが、一番手前の立派な石の溝は近代に軍隊が作ったもので、その右端の上に数メートルの石列が残っています。近代の石溝がこの土留め石列を横切っているため、ほとんどの場所は壊されていました。しかし、石溝に使用されている石は立派なものもあります。河北門の破却の際に出た石を利用したものもあるのでしょうか。

石といえば、河北門復元に当たっては地元の戸室石を利用することが決まっていますが、午後の石垣ツアーの際に、今回の復元ではグレー(青に若干赤みがかかるような)の戸室石が多くなりそうだと言っていました。築城当時に産出した戸室石は青戸室が圧力に強かったと言われ、門の隅石や巨石は青と室が多いのですが、現在の産出する石では青戸室よりもグレーの戸室石のほうが圧力に強いそうです。
現場説明を聞いたあと、プレハブに展示された発掘された遺物の説明を聞きました。瓦は今回数点出ていますが、今日金沢城を特徴づける鉛瓦は出ていません。

16世紀初めの遺物がいくつも発見され、城内に家臣の屋敷跡があったのではないかと裏づけられたという、先日新聞報道された遺物も展示されていました。

午後からは天候も崩れてきたので、発掘現場には手際よくビニールシートがかけられました。

投稿者 Tadashi : 21:23 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月23日
金沢城内 初期の重臣屋敷裏付け
十六世紀末の初期の金沢城内に、後に加賀八家を形成する重臣らの屋敷が並んでいたことが21日、石川県金沢城調査研究所によって初めて確認された。城内の家臣団屋敷は次第に城内に出て城下町金沢の核となっていくことになり、同研究所は「金沢城の発展過程を知るとともに、城下町金沢の形成過程を探る上でも重要な確認だ」としている。
24日に起工する金沢城河北門復元工事へ向けて実施された埋蔵文化財調査の過程で、石川門に向かう河北門の二の門周辺から1600年前後のものとみられる中国の陶磁器や唐津焼、素焼きの皿の破片が数十点見つかった。(北國新聞2007年11月22日付記事)
投稿者 Tadashi : 21:15 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月22日
金沢城復元画展

地元新聞にも何回も掲載されていた「金沢城復元画展」を見てきました。金沢美術工芸大学の末松智氏による鉛筆の線画が3点(三階櫓、菱櫓、玉泉院丸の石垣上の長屋櫓)と昭和44年の金沢大学による本丸跡発掘調査の様子の写真が4点展示されていました。残念ながら写真撮影禁止だったので写真はありません。

投稿者 Tadashi : 22:29 | コメント (0) | トラックバック
金沢城大学 よみがえる金沢城4

今年は秋が短かったような気がしますが、紅葉と雪のコントラストも良いですね。
本日はテキスト「よみがえる金沢城」を使用した講義の4回目。講師は石川県立歴史博物館の濱岡伸也氏です。濱岡氏の軽快なトークで、文化の大火後の二の丸御殿の再建前後の話を聞きました。
江戸後期になると幕府や藩など士階級はどこも財政難だったわけですが、商人はいろいろな投資ビジネスを行なって大変裕福であり、農民にしてもある程度の余裕はあったようです。文化の大火が1808年、1780年に東本願寺焼失、この30年ほど前の出来事が古文献に残っており、北陸からは村や寺単位で寄付を京へ持参しているそうです。中には修理が終わるまで10年間帰らずに労役を提供した者までいるということで、この話、前にどこかで聞きましたが、農民にもある程度の余裕が生まれていたことの証明です。
投稿者 Tadashi : 22:05 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月20日
名古屋城本丸復元、文化庁が許可 着工へ道筋
名古屋市は19日、市が進めている名古屋城本丸御殿の復元を進めるうえで前提となる「特別史跡の現状変更許可」を文化庁が出したと発表した。復元場所の名古屋城跡が国の特別史跡のために必要な手続きだった。許可されたことで市は、08年度から工事を始めるため、新年度予算案に工事費を計上することを検討する。
本丸御殿は1945年5月に空襲で焼失。市は「文化力を世界に発信し、ものづくりの技と心を伝えるシンボル」として昭和60年代から復元を目指し、昨年度に基本設計を立て、今年度はより詳しい設計をしている。市は特別史跡の現状変更許可を9月に申請。文化庁は今月16日に許可した。
現在残っている、柱の基礎である礎石は、貴重な文化財であることから、市は礎石や現状の地盤面を現場で保存するため、砂や砂利で盛り土をして保護したうえで基礎を造り、御殿を復元する。2010年に玄関の一部を公開し、22年度に完成させる予定。 (asahi.com2007年11月19日21時30分記事)
名古屋城は天守をコンクリート製で復元しており、今回の本丸御殿が史実に忠実なものとするのか、そうでないのか気になるところである。
投稿者 Tadashi : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月19日
金沢検定受験率
今朝の地元新聞には一面と社会面に金沢検定の記事が載りました。一面には受験した講義室の写真が・・・逆サイドからのアングルなので、奥のほうに写っていました。
さて、100名限定の当日受付には85名が申込みし、初級受験者は2015人。ということは・・・2800人近くの申込者がいて2000人を切ったことになろう。3割未受験というのは諦めたというよりも、最近はやりの風邪であろうか?
ちなみに、中級は366人、上級は47人が受験。今年は何名の上級合格者が出るだろう。
12月中旬には合否が分かるということだが、3回目にして初の10代と80代以上の合格者がでることになるか注目です。
投稿者 Tadashi : 12:09 | コメント (0) | トラックバック
初雪
今年一番の寒さとなった昨晩、石川県の平野部で初雪が降りました。今週は天候が悪いという週間天気予報でしたが、本日は予想に反して晴れています。外はさすがに肌寒いですが、雲は雪雲ではありませんので、本格的な積雪はもう少し先でしょうか?

投稿者 Tadashi : 11:40 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月18日
第3回金沢検定試験 本番当日

本日、金沢検定本番です。とても肌寒い日となり、最近風邪が流行っているということで、空席も目立ちました。
昨年に引続き「初級」を受験しました。教室は昨年と同じ、教育学部棟の402講義室です。この部屋は報道陣の取材部屋で、今年も昨年ほどではないにしても数名の報道陣の方がいました。
今年は前も後も休みでした。部屋は学生(中学生かな?)の集団受験か、制服が多く、終了したあとの廊下は高校受験を思い出させるに十分な雰囲気でした。昨年は途中から自由に退出できましたが、苦情が出たのか、今年は5分限定で2回退出できるようになりました。
3回目ともなると出題傾向もかなりはっきりしてきて、7割の問題は過去問や予想問題の範疇、残り3割で勝負というところでした。今年は予想問題や過去問を勉強する時間が取れたので、7割については問題なし。良くて9割、悪くとも8割で合格ラインだろうと思います。
今年から合格者にはバッジが配布されるということで、どんなものが送られてくるのか楽しみです。
投稿者 Tadashi : 13:40 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月17日
金沢城・兼六園研究会例会 講演会「最後の藩主・前田慶寧について」
本日、金沢城・兼六園研究会の例会がありました。「どこかに出かけるときは多いけど、こういう室内の勉強会は参加が少ない」と言っている方もいましたが、確かに今後の方針を決める例会としては少ない30名ほどが集まりました。
本日の課題は「グループ活動の活性化について」です。結成から17年も経つと組織が硬直化してきたということで、どうにか活動や参加を活性化させる案はないかということで意見交換しました。いろいろな意見がありましたが、高齢化を反映してか、80対20の法則(※)がくっきりと働いているようです。20の執行部や講師予備者と80の聴衆。まあ発表者にとっては聴衆がいないと話し甲斐がないですから、何もすべての方が研究して発表する必要はないと思いますが、発表した後の爽快感や満足感はひとつのやりがいや生き甲斐となると思うのですが。
※パレートの法則といい、経済において全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説。例として、10名の会社では上位2名で8割の売上を占める。

後半は前石川県立歴史博物館長の徳田氏により、「最後の藩主・前田慶寧について」というテーマでの講演でした。徳田氏も言っておられましたが、加賀前田氏の研究では、藩祖の利家から二代利長、三代利常、五代綱紀が先行しており、それ以降の藩主については一般書もないような状況であります。
最後の藩主となった慶寧が、幕末においてはっきりした態度をとらなかったことを明治政府を構成した薩摩藩や長州藩が、優柔不断と断言し、現在それが通説のようになっています。某有名知識人でもひと頃の安倍政権を加賀藩のようだ、と揶揄したくらいであり、徳田氏はそんな風潮を変えたい、慶寧は非凡な藩主であったということを生い立ちから説明されました。講演は青少年時代を話したところで時間切れとなり、残念ながら成人後の話にまで至らなかったが、徳田氏は今月末にも「前田慶寧と幕末維新」という題で書籍を発行されるそうで発売が楽しみである。
徳田氏は本日の北国新聞に載っていた、東京都板橋区の「加賀藩学講座」の講師も勤められるようだ。加賀藩下屋敷のあった板橋区では、定員40名のところに150名もの申込みがあったそうで急遽80名に増員したとのことだが、東京でもふるさと学習はさかんなようである。私も最後の藩主、前田慶寧については引続き勉強していきたい。
投稿者 Tadashi : 21:00 | コメント (0) | トラックバック
金沢城 河北門見学常設ステージ
秋晴れとなった本日の昼、用事の前に金沢城に寄りました。土曜日は発掘作業も休みなのでビニールシートがかかっているのは仕方がないとして、晴天の中の金沢城を何箇所か撮影しました。

この写真は金沢城本丸南側の宮守(いもり)堀跡です。発掘調査は数年前に終わり、現在は埋め戻されています。数年後にはここが再び掘り起こされ、右側の土居が数メートル盛り上げられて復元されます。手前に少し見える石垣も数メートル積み増しされるので見ごたえあるものになるでしょう。楽しみです。


金沢城河北門の復元現場ではすでに常設ステージが設置されていましたが、今日は入れませんでした。1メートルほど高くなるだけのようなので、どのくらい眺めが変わるのでしょうか?来週土曜日には起工式があるようですが、夕方からすでに天候が崩れているので中止になるかもしれません。
投稿者 Tadashi : 20:46 | コメント (0) | トラックバック
平成19年度史跡指定答申
文化審議会は16日、新たな史跡指定を渡海文部科学相に答申した。文部科学相は近く答申通り指定などを行う。
今年度史跡指定される城跡は以下の二つ。
・若桜鬼ヶ城跡(鳥取県若桜町)
・佐敷城跡(熊本県芦北町)
関連する史跡は一つ。
・彦根藩主井伊家墓所(滋賀県彦根市、滋賀県東近江市、東京都世田谷区)
(北国新聞2007年11月17日付記事)
投稿者 Tadashi : 10:42 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月16日
日本100名城もう登城したの?
日本城郭協会から会報が届きました。話題はもちろん6月に始まった日本100名城スタンプラリーですが、すでに一番乗りされた方がいるようです。
100名城すべて 4名
北陸東海16城 1家族
中国四国22城 1名
すでに5ヶ月程経過しているとはいえ相当の早さですね。スタンプ押下強行軍でしょうか。私の予想では10カ月ほどかかると思っていたんですが、世の中には時間と財力がともにある方がいるようです。それにしてもうらやましいですね。
投稿者 Tadashi : 22:31 | コメント (0) | トラックバック
金沢城 河北門石垣は戸室石で
金沢城三御門の一つである河北門の復元整備では、城内側の「二の門」の石垣を、すべて戸室石で築くことを「金沢城河北門等の復元整備専門委員会」で了承した。
河北門は今月24日に起工式を行い、2010年3月の完成を目指す。今月から復元過程を見学できる常設ステージを取り付け、全体が素屋根で覆われる来年7月以降は素屋根内部に別のステージを設ける。石垣工事や左官工事などの節目ごとに、専門家や職人が説明する工事見学会を10回程度開く。
石垣工事は来年7月までに終え、同11月ごろには上棟式を予定している。門に使用する木材は、6割を県産の能登ヒバや杉とする。(北国新聞2007年11月15日付記事)
投稿者 Tadashi : 00:11 | コメント (0) | トラックバック
金沢城 鯉喉櫓台石垣5メートル積み復元
金沢城公園の宮守(いもり)堀の水堀化に向け、石川県は14日に県庁で開いた「金沢城河北門等の復元整備専門委員会」で、段階整備案を明らかにした。現在の地表から約3メートル掘り下げて、兼六園側の鯉喉櫓(りこうやぐら)台から中央消防署広坂出張所跡地付近までの延長約230メートルに、水面幅15.4メートルの水堀を整備する。現在は地表から高さ1メートル程度のみが突き出ている鯉喉櫓台の石垣も、藩政期の絵図に基づいて約5メートル積み増し、本来の高さまで復元する。(北国新聞2007年11月15日付記事)
投稿者 Tadashi : 00:04 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月15日
金沢城 1日だけのブルーライトアップ

世界糖尿病デーのイベント(主催:石川県・石川県医師会)で、14日に1日限定で金沢城石川門がブルーにライトアップされました。青色は糖尿病のシンボルカラーだそうです。
夕方6時30分に点灯式が行われ、石川門の櫓がブルーに輝きました。石川門全体がブルーになるのかと思っていましたが、百間堀石垣下からの1つのみブルーに変更されたようです。
今日は幸い天候にも恵まれましたが、点灯式の時間にはテレビ局や新聞社の記者がいるだけで、一般の方は他にほとんどいませんでした。夜景撮影にはいつも失敗していましたので、今回は準備万端三脚を持ち込んで撮影してきました。ブレてないですね、唯一のチャンス良かったです。

青色の光は寒々しいかと予想していましたが、意外にきれいですね。これを機会に特定日にいろいろな色でライトアップしてもらえませんでしょうか?
投稿者 Tadashi : 01:33 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月14日
金沢検定実学 小立野寺院群探訪1
週間天気予報で唯一の天候に恵まれた本日、先日の卯辰山山麓寺院群に続いて、小立野寺院群にやって来ました。今回のガイドブックは「小立野寺院群 いし曳の道」です。ガイドブックには35カ寺紹介されていますが、マップにはそれ以外の寺社も表示されています。
今日は時間的制約もあるので、石引通近辺を代表的な坂道を含めながら歩きました。金沢神社からスタートし、石川護国神社、八坂、松山寺、鶴林寺、安楽寺、永福寺、木曽坂、宝円寺、瑞雲寺、献珠寺、高源寺、馬坂、長周寺、乗円寺、仰西寺、即明寺、等願寺、善徳寺、経王寺、如来寺、専修寺、下馬地蔵、白山坂、波着寺、二十人坂、真行寺、圓證寺、恵恩寺、願成寺、新坂、棟岳寺、嫁坂、唯念寺、瑞光寺、本行寺、大乗寺坂と巡りました。28カ寺、8坂になりました。次回は今回のコースの外まわりをめぐってきます。
今日は馬坂で珍しいものを見ました。何かというと、「ねこ」の散歩です。犬の散歩は一般的ですが、犬のように首輪でつながれた猫の散歩、見たことありますか?私は初めてでした。毛並みのよいおとなしい猫でしたが、犬と違って猫は気ままなので、散歩も遅々と進んでませんでした。毎日散歩しているのかな?大変だなと思いながら通り過ぎました。





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2007年11月12日
映画「バイオハザードⅢ」

今日は月曜日、メンズデーのルネス9シネマで「バイオハザードⅢ」を見てきました。一番大きなスクリーンでの上映は迫力があり過ぎで、音はもう少し小さいほうが良かったですが・・・、年々心臓が弱くなり、ホラーが前程得意ではなくなりました。しかし続編ほどびっくりするシーンは減っているので良かったです。
バイオハザードはゲームの初作からのファンですが、あまりうまくありません。映画化されてから三作目ですが、前作まではすべて映画館で見ました。バイオハザードを見てから主演のミラ・ジョヴォヴィッチの大ファンになりました。すごくカッコいいです。
あっという間の1時間40分でした。少々ネタバレですが、今回が最終章だったのでは・・・。「絶滅へのファイナル・ステージ」という売り込みだったのですが、すっきり完結してません。まだ続くのか?しかし、次回作はアリスが・・・ちょっと想像すると怖い。
投稿者 Tadashi : 23:51 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月09日
金沢検定実学 卯辰山山麓寺院群探訪3
今日は卯辰山山麓寺院群めぐり最終日です。卯辰山三社(卯辰神社、豊国神社、愛宕神社)をスタートして、善妙寺、覚林寺をまわって全53カ寺すべて巡りました。

その後、浅野川沿いを歩き、主計町茶屋街や尾張町を歩きました。

橋場町のT字交差点に来たとき、角で工事をしていました。何の工事かと思って覗いてみたら、先日新聞報道された東内惣構堀跡の公園整備の工事でした。
金沢城は二重の惣構堀を持っていました。東西の内・外惣構堀ですが、東内惣構堀が浅野川に流れ込むのが浅野川大橋の南西の端で、ちょうど主計町茶屋街の入口に当たります。西内惣構堀が浅野川に流れ込む入口は主計町茶屋街の西端に主計町緑水苑として整備されていました。


主計町茶屋街を挟んで距離も近いので、近くまで行ったときはぜひ確認してください。
投稿者 Tadashi : 22:54 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月08日
金沢検定実学 卯辰山山麓寺院群探訪2
昨日に引続き卯辰山山麓寺院群をめぐりました。今日は幾分曇りがちですが、気温は高く今日が立冬だとは信じられません。
今日は蓮昌寺をスタートして、来教寺、永久寺、玄門寺、即願寺、實相寺、円長寺、西源寺、了願寺、静明寺、観音院、寿経寺、東山蓮如堂、伝燈院、宝泉寺、菅原神社、宇多須神社、慈雲寺、松尾神社、宗龍寺、広昌寺、持名寺、宇多須神社奥社まで23カ寺めぐりました。昨日と合わせて30カ寺となり、残り北の外れ3カ寺となりました。

ひがし茶屋街は平日でも大人気でした。

卯辰山が開拓されたとき作業に出た人が子供は来たように賑やかだったことから名付けられた「子来坂」ですれ違った親子は、
子供「何言ってるの、ばばあ」
母親「そんなこと言ってたら置いてくよ」
子供「そんなこと言わんでーごめんなさーい」
なんとも微笑ましい会話でした。

昨日の小坂神社とともに金沢五社に数えられる宇多須神社。明治に入り尾山神社が建立されるまで初代利家の神霊が祀られていた。

宇多須神社奥社では毘沙門様を本社から移す「お上がり」、本社へ移す「お下がり」の神事が現在も続けられている。今日は残念ながら曇りがちだったが、すっきりと晴れていれば眼下には河北方面の城下が望めるだろう。
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2007年11月07日
金沢検定実学 卯辰山山麓寺院群探訪1
秋晴れの中、本日より来週末の金沢検定に向けて寺院めぐりです。金沢城下町には、寺町寺院群、小立野寺院群、そして今回訪問する卯辰山寺院群の3つがあります。ガイドは金沢市観光交流課より発行されている「卯辰山山麓寺院群 心の道」(金沢城二の丸休憩所などで無料配布)です。
パンフレットには寺院群対象として53カ寺が掲載されています。今日は昼から3時間ほどで、うち27カ寺をまわってきました。
金沢五社のひとつ小坂神社からスタートして、乗光寺、浄教寺、善導寺、光覚寺、心蓮寺、本法寺、月心寺、妙圓寺、蓮覚寺、妙国寺、妙正寺、全性寺、常福寺、妙泰寺、蓮華寺、長久寺、妙応寺、円光寺、本光寺、三宝寺、真成寺、龍国寺、九万坊寺、誓願寺、本蔵寺、西養寺と来た半分を巡りました。
写真は多いのでまた特集ページとして別にまとめたときに掲載しますが、敷地内に保育園を持つもの、本堂がすでに自宅と変わらないものなど、変わった寺院もありましたが、こんな場所にこんな立派な寺院があったのかと知ったものもありました。しかし、これだけ密集して寺院があるのは藩の政策だったとはいえ、現在は各寺院の檀家は少ないでしょうし、どうしているのでしょうか。
さて、明日はひがし茶屋街を含む南側です。どのくらい巡れるでしょうか。

小坂神社は、宇多須神社、神明宮、椿原天満宮、安江天満宮と並んで金沢五社として藩政時代に前田家により特別な待遇にあった神社です。

全性寺は二代利長に従って、富山、守山、金沢と移転した。ベンガラ塗りの山門には健康や健脚を願って奉納された大きなわらじがかけられています。正面南側はベンガラ色がかなり落ちていますが、内側や北面はきれいに残っています。創建当時はとても鮮やかだったことでしょう。

真成寺横にあった木製の雨樋。めずらしいので思わず写真に撮ってしまいました。
投稿者 Tadashi : 23:23 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月06日
古本屋めぐりは楽しい!
インターネットが普及し、古本もネットを通した販売がメインとなった古書店もでてくるようになりました。私も昔は古本の購入に抵抗のある時期もありましたが、城に関する本や郷土書を入手するときはすでに絶版となったものも多く、入手方法が古書しかない場合も多いので、少しずつ購入しているうちに全く抵抗なくなりました。
また、古書を検索できるホームページも充実している今は、ネットで探したほうが楽という事情もあり、ここ数年メールを通した取引を続けきました。
しかしながら、めぼしい本も大方入手した現在では、掘り出し物を探しに実際の古書店を巡ることが楽しみで最近はまっています。いくらネットで古書が探せるとはいえ、店舗内のすべての本を公開できている古書店は数少ないでしょうから、店先に眠る古書はまだまだ多いようです。また実際に手にとってみないと分からない本もありますから、古書店巡りはまるで宝探しのようです。
金沢は江戸時代は天下の書府とまで言われた土地ですから、人口比率からして古書店も多いほうだと思うのですが、石川古書店マップを見ながらまわっています。
やまびこ書房 金沢市百坂町ニ15 木~日曜日営業 13:00~18:00
※蔵書のかなりの数なので2、3時間ほど余裕をもって。歴史・郷土関係も多い。
金沢文圃閣 金沢市長土塀2-16-30 不定休 13:30~18:00
※店先には蔵書は少し、1時間程度だが、掘り出し物があることも。ほとんどは奥の倉庫にある。
文学堂書店 金沢市池田町2-20 水曜定休 11:00~19:00
※店先は1時間程度、歴史・郷土関係あるも少々高めか。
明治堂書店 水曜定休 10:00~18:00
※蔵書が多く、店先は平積みの古書で埋まるよう、2時間ではとても時間が足りない。歴史・郷土書も多く、値段も手頃。同じ本が複数あることもあるので、状態と値段を確認してから購入。古書もどんどん増えているようなので、時々チェックする価値有り。
かのうや書店 金沢市泉1-5-77 日曜定休 9:00~18:00
※本店には行ったことないが、香林坊 本の広場と鳴和ナルックス100円コーナーに出品中。蔵書のほとんどは倉庫らしいが、出店が多いためか、ネットで検索して注文しても3割くらいの確率で見つからない。出店でも意外に掘り出し物があり、買い付けも毎月行っているようなので、ホームページは時々チェックしている。
残り4個所今月中に訪問予定でいる。何か掘り出し物があるか楽しみである。
投稿者 Tadashi : 23:50 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月05日
金沢城・兼六園研究会 キゴ山石切り場を歩く
今日は金沢城・兼六園研究会のお城サークルときくざくら学習会合同のキゴ山にある石切り場を歩く会です。40名ほどの参加で、案内役は金沢城調査研究所の冨田氏です。冨田氏は石垣担当なので、これまでも何度か城内の案内を聞いたことがあります。
舗装された道路からけもの道に入ってすぐに、切り出した石を集めておいたところが現れます。石には石割の際についた「矢穴」や石切集団のしるしである「刻印」が見て取れます。それにしても地表に出た部分は苔生して風情があります。一部石には最近割られた跡があるものもあり、心許ない輩がいて残念です。





さらに山頂に向かうと、数分で地表にくぼみがある場所に巨石がいくつも残る場所に出ました。人の身長よりも大きな石や、割られて加工途中で放置された石(対で残るものもあり)もあり、ここでもやはり矢穴や刻印を見て取れます。




この場所は、冨田氏も絶賛する趣のある場所で、放置され苔生した石の配置が庭にも見えないこともありません。あえて現状維持で発掘調査もされなかった場所らしいので、今後史跡整備されるようなことがあればまず一般公開されるべき場所であろう、とのことでした。確かにすばらしい場所です。

今日は曇っていましたが、週間予報でも雨になっていた天候がもって良かったです。非常な急斜面であったため、雨が降っていたり、雨が降って地面が濡れていたなら、到底登ることができなかったでしょう。
投稿者 Tadashi : 21:53 | コメント (0) | トラックバック
金沢城発掘調査の現在(いま)
本日も金沢市に用事があり、少し早めに出かけて金沢城にやってきました。昨日来た時に気になる場所があったのですが、昼時で作業の方も昼休みだったようです。


現在の河北門現場は発掘調査の最中です。土台の石が以前よりもはっきりと表れていました。

気になる場所の1つは本丸北側の土塁です。シートが外された斜面には土層の違いで線が引かれていました。以前に調査された箇所とは近い(続きかも)と思うのですが、本丸の高さや範囲について明らかになることがあるでしょうか。


気になる場所のもう1つは鉄門前です。以前この近くも調査されていますが、今回はさらに溝や堀跡の範囲を特定する目的で進められているようです。
2箇所の現場は調査が終了すれば現地説明会があるでしょうか。楽しみですね。
投稿者 Tadashi : 20:50 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月04日
金沢城周辺は整備の最中
今日は兼六園も金沢城も観光客でいっぱいでした。本日までは金沢城の石川門櫓と三十間長屋の内部を無料公開していました。
北陸新幹線の金沢延伸に向けて金沢城とその周辺では復元・整備の真最中です。

石川門の太鼓塀は、石川門の北面に足場が組まれていました。

河北門の復元現場は休日中はほとんど防水シートを被っていましたが、被っていない一部には土台の石組列が見えていました。

本丸南側の宮守堀(いもりぼり)の南面に位置する広坂消防署は建物はすべて撤去されていました。宮守堀の復元も本格的に始まるでしょうか。

元石川県庁の北面の建物取り壊しは終了し、南面だけですっきりした感じです。城周辺がどんどん変わっていきますね。
投稿者 Tadashi : 21:17 | コメント (0) | トラックバック
きくざくら学習会 城と庭の紅葉
本日、さわやかな晴天の中きくざくら学習会が開催されました。今回は、植物の会と合同です。

兼六園と金沢城の紅葉をガイドブック「金沢城・兼六園 花めぐりマップ ~秋・冬コース~」を参照しながら巡りました。ガイドブックは金沢城二の丸休憩所で入手できますが、記載は一部間違いもあるようです。
自分では趣味はかなり窓口が広いという自負があるのですが、今回も関心が広がるかどうかと思って参加したのですが、自分には合いません。人工物には興味あっても自然は人工物の背景なんですよね、気持ち的には。紅葉も建物に秋のよそおいを添える景色です。何もない山城跡にはいくら急峻でも登っていくことは厭いませんが、どれだけ緩い山でも登山には積極的に参加できない性分です。会の皆さんには申し訳ないです。
投稿者 Tadashi : 21:03 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月03日
安土城紀行
文化晴れの1日となった本日、安土町で1日過ごしました。まず朝一で安土町立城郭資料館に向かいました。何度も安土城へ来ていますがここへ来たことはありませんでした。電車で来れば寄っていたのでしょうが、いつも車なので・・・
JR安土駅に隣接して南側に資料館はあります。喫茶店が併設されて、資料館の受付と両方担当するようです。

入るとショーケースに日本100名城に認定された賞状が飾られていました。安土城だけではなく、観音寺城のものも一緒に並べてありました。

見所はなんといっても20分の1の安土城天主の模型ですが、迫力満点です。中央から少しずれたところで割れて中を再現しています。望楼の高欄からは信長も城下を眺めていました。


他にも、信長がセミナリヨに寄贈し、後にローマ教皇に献上された安土南蛮図屏風も再現されています。安土城の描写をじっくりと楽しめました。今まで来ていなかったことを少し後悔しました。

見学が終わると、安土駅前北側の信長像を写真にとって、安土城発掘調査現場説明会に向かいました。予想はしていましたが大勢の人です。安土城城郭研究所の方々もここまで多いとは予想していなかったらしく、約250名の見学者を5班に分けて説明することになりました。

今回は春に整備された大手入口の石塁の解説と、南山麓の帯曲輪で見つかった未知の虎口と階段の案内です。平成元年度に始まった「特別史跡安土城跡調査整備事業」は20年計画で現在最終段階に入りましたが、まだまだ謎の全解明には息の長い調査が必要なようです。今回の発掘調査でも従来の安土城の姿がまた書き換えられました。

コスモスが咲き乱れる安土城考古博物館前ですが、午後は開館15周年記念講演会として開催される「織田信長の時代」に参加しました。場所は博物館ではなく、隣の文芸セミナリヨです。

残念ながら録音と録画が禁止ということで、写真は始まる前に撮ったこの1枚だけです。講演前には中央のパイプオルガンのミニ演奏会もありました。オルガンは信長がセミナリヨに置いたのが日本最初と言われることから、安土町にパイプオルガンを、ということになったようですが、音色は地元金沢の金沢音楽堂のほうが最新設備で良いように感じました。

講師は大阪大学名誉教授の脇田修氏です。信長の時代的評価に関して一般論を誤解している部分がありましたが、「家臣の統率方針」「経済政策」の面で織田信長と豊臣秀吉との間には明らかな違いがあるという論調は新鮮でした。武士の出身地を本領地として与える習慣をなくしたのは秀吉であり、また一家を城下に集住させるようにしたのも秀吉。信長の時代は地侍の習慣をまだひきずっていたようです。破壊のイメージの強い信長の政策である「関所撤廃」や「楽市楽座」も、尾張・美濃時代が中心であり、京では旧勢力に配慮してか関所も座(旧流通組織)も残しているようです。むしろ秀吉が農民出身という身分の違いから容易に破壊的な政策を実行できたようです。
時代の変わり目はまさにここにあり、信長は戦国、秀吉は近世と分けるのが適切なようです。
投稿者 Tadashi : 23:48 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月02日
秋季特別展 三好長慶の時代

大津に車をおいてJR新快速で高槻市にやってました。学生のとき京都から新快速に乗って大阪によく行きましたが、途中で特急の雷鳥を抜いてゆくのでどういうことかと思っていたことを思い出しました。北陸出身の私は雷鳥に乗っているときに、逆に新快速に抜かれてゆくのです。
余談はここまでにして、目的は高槻市立しろあと歴史館で開催中の特別展「三好長慶の時代」です。時代劇チャンネルで再放送中の「信長 KING OF JIPANGU」は先日ちょうど信長が上洛して三好一族を追い払うという場面を放送しましたが、今回の展示は私にとってジャストでした。
三好長慶と松永久秀は後世において悪役として扱われることが多く、元来人気がないキャラと思っていましたが、三好長慶は高槻占有時に善政を敷いていたようで、現在でも水の神として祀る地域があるようです。
今回、芥川城跡の展示がいくつかありました。芥川城は畿内最大級の山城で、近世の高槻城の北方向にあります。織田信長が三好一族を追い払って入京する思案をした拠点も、ここだそうです。地理的には京を随分通り過ぎているように思いますが、昔の占領の考え方はあくまで点(拠点となる城や村)なのでしょうね。今回は随分と三好一族を見直すきっかけになった展示でした。
特別展のあと、無料の平常展を見ましたが、高槻城の石垣の積み方に関する大きな模型(発掘の成果を復元)がありました。高槻城の地盤は柔らかかったため、そのまま石垣を積むと沈んで傾くため、底に木材で土台を敷き、その上に石垣を積んでいたようです。初めて見る技法でしたが、納得の技法ではないでしょうか。石垣の発掘調査では、基部と言われる最下部の石垣まで掘り起こし、その下は掘っていないことが多いのですが、もしかすると、地盤が柔らかい場所では同様の技法が使用されているところがあるかもしれません。
歴史館で「高槻の史跡」というガイドブックを購入し、それを片手に市内の史跡めぐりをしてきました。

高山右近高槻天主教会堂跡
※高槻城主高山右近がキリスト教布教の拠点とした城内の教会堂

城跡公園の入口付近にある高槻城跡石碑

城跡公園の中にある高山右近像

城跡公園内の池

高槻城の大手跡(正門出入口)

本行寺
※日蓮宗寺院だが、表門が高槻城高麗門と言われている。
投稿者 Tadashi : 22:13 | コメント (0) | トラックバック
企画展 戦国の大津

大津市歴史博物館に企画展「戦国の大津」を見にやってきました。今回の企画展は大津市にある「大津城跡」「膳所城跡」「坂本城跡」の遺物を展示するものです。今回の展示であらためて膳所城の遺構が多く残っていることを再認識しました。いつかゆっくりとすべてを巡ってみたいです。
今回、特別に今年8月京都本能寺跡(第4次、本能寺の変のあった場所)から発掘された瓦や、聚楽第と伏見城の遺物も展示されていました。つい最近の遺物も本家本元の現在の本能寺宝物殿ではなくて、ここに展示されているとは!!意外です。でも遠くの発掘現地調査会には簡単には参加できないので実際に見ることができてうれしいです。写真撮れないのが残念ですが・・・。企画展図録にも収録されていないので来た方だけの特典というところでしょうか。
初めて行ったので平常展も見てきましたが、広かったのでゆっくり見ている時間がありませんでした。到着時間が予定より遅れたことも原因ですが、ここまで広いとも思っていなかったので、これは次回出直しです。
今回は早く到着すれば坂本も見学する予定でしたが、これは3日ぐらい大津だけで見学に来ないとすべて見て回れないかもしれませんね。
投稿者 Tadashi : 21:46 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月01日
金沢城大学 よみがえる金沢城3

本日、11月に入るなり肌寒い1日でしたが、金沢城大学第四回が行われました。
今回は金沢城調査研究所の石野友康氏による「よみがえる金沢城」の3回目です。対象は本書の第4
章・第5章で、五代綱紀と宝暦の大火が対象です。石野氏は研究所のなかで絵図・文献担当だそうです。
五代綱紀は御三家に次ぐ家格を非常に意識していた藩主であり、金沢城をそれにふさわしくなるよう多くの改築を行っています。時は元禄の将軍綱吉の時代です。綱紀が蒐集した古文書や美術品は蔵4棟一杯になったともいわれ、現在の尊経閣文庫の名の由来となっています。
金沢城の二度の大火、宝暦の大火と文化の大火。宝暦の大火のあとは財政難だったため、二の丸御殿は大広間や表能舞台は再見されず、寛政の大地震、文化の大火を経てようやく再建されたようです。
寛政の大地震は1799年となるが、金沢を襲った直下型地震であり、城内や城下にも大きな被害が出たということであったが、あまり解明が進んでいないのか、金沢城略年表には省略されることが多く、金沢市史通史編にもその記述はないようである。それほど大きな地震が200年前にあったということでその詳細を知りたくなった。
前回に続き、「よみがえる金沢城」の訂正点を2点。
・77ページの「一万四〇〇〇貫目」という記述が正しくは、「一五〇〇貫目」。
・77ページの奥村支流の「温良」に金沢城代の色がついているが、正しくは無色(城代にはなっていない)。




