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2008年10月31日

大野湊神社と土清水塩硝蔵跡発掘

金沢市では国の「文化財保護強調週間」に合わせて今年初めて「金沢歴史遺産探訪月間」と称して各種イベントを開催しています。今日は平日ではありますが、寺中町にある大野湊神社で未公開なものが公開されます。

大野湊神社

場所は知っていましたが、実際に訪れるのは初めてです。公開されるのは写真の能舞台かと期待して行ったのですが・・・

大野湊神社

実際は旧拝殿に保管されている以下の「絵馬」1点と「木造狛犬」2対でした。絵馬は間口八間の旧拝殿にぴったり収まるほどの大きなものでしたが、状態もよく、源平盛衰記の絵の間に河北潟や宮腰、大野湊神社が描かれていました。

大野湊神社

大野湊神社

大野湊神社

大野湊神社

その後、笠舞のパレットで開催中のイワイ学館所有の絵図展を見に行きました。注目は幕末の世界絵図で、間近で貴重な絵図を鑑賞できる貴重な機会となりました。

イワイ学館所有幕末絵図

イワイ学館所有幕末絵図

そして、近くで行なわれているであろう発掘現場に向かいました。場所は涌波の加賀藩の火薬製造工場のあった土清水塩硝蔵跡です。昨年も休耕園となった現場で発掘調査が行なわれましたが、煙硝蔵土蔵跡の礎石と堀跡が見つかり、今年はそのすぐ隣で土蔵の範囲を確認する調査を行なう予定でした。10月開始予定とは聞いていましたが、何か始まったばかりのような、あまり穴は広くないですね。しかし、望遠で確認するとすでに礎石の一部はでてきているようです。

土清水塩硝蔵跡

投稿者 Tadashi : 22:36 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月25日

日本100名城スタンプラリー 備中松山城

この旅行の最後は備中松山城です。32個目となり、ほぼ3分の1制覇したことになりました。

日本100名城スタンプラリー 備中松山城

100名城の認定証は本丸受付で見ることができます。

日本100名城スタンプラリー 備中松山城

スタンプの図柄はずばり天守です。奥に二重櫓が微妙に見えます。

日本100名城スタンプラリー 備中松山城

過去に訪れたときも大手門付近の石垣の見事さには息を呑みましたが、やはり迫力あります。

日本100名城スタンプラリー 備中松山城

復元された本丸の建物群も絵になりますね。

日本100名城スタンプラリー 備中松山城

投稿者 Tadashi : 23:53 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 鬼ノ城

福山から岡山の総社市に移動して、本日2つ目の鬼ノ城へ上ります。前回訪問時はまだ整備中でしたが、ビジターセンターも建てられ、大部分は整備も完了していました。しかし、車で上っていく途中に非常に道が狭くなるので対向車が来ないかどうかドキドキしました。

日本100名城スタンプラリー 鬼ノ城

ビジターセンターに掲示されていた100名城の認定証です。

日本100名城スタンプラリー 鬼ノ城

一周すると約1時間強かかりますが、見どころは遊歩道から始めに見える西門と麓からも見える鬼ノ城の象徴とも言える屏風折れの石垣です。

スタンプの図柄も上に屏風折れの石垣、下に西門を配したものですが、西門は実際撮るにはかなり無理のあるアングルですね。当日は眼下の景色も良かったです。

日本100名城スタンプラリー 鬼ノ城

日本100名城スタンプラリー 鬼ノ城

そういえば、スタンプラリーの判子はインク補充式がほとんどですが、鬼ノ城のものは普通のゴム判でした。インクが薄くなるぐらいならこの方が助かりますけど。

日本100名城スタンプラリー 鬼ノ城

投稿者 Tadashi : 23:43 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 福山城

今日は旅行の最終日です。まずは開発中に見つかった遺構で話題の福山城を見て回ります。話題の遺構はどこか分からなかったのですが、時間もあまりないので外周をまわることもできませんでした。福山城で30個となりました。

日本100名城スタンプラリー 福山城

図柄は写真の月見櫓と天守を東側からみたアングルなのですが、こちらにまわっている時間がありませんでした。思った以上に福山城も巨城でした。電車から眺めたことがあるだけで、駅前にそびえる城は便がよく、次回はぜひゆっくりと来てみたいです。

日本100名城スタンプラリー 福山城

日本100名城スタンプラリー 福山城

投稿者 Tadashi : 23:25 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 高梁

この旅の最終地は高梁市です。近世城下町には珍しい山城をシンボルとした備中松山は城下町の風情を色濃く残しています。

備中松山 根古屋跡

麓の学校は元根古屋跡です。この辺りに広大な屋敷跡が広がっていました。

備中松山 根古屋跡

備中松山城は途中から道路が狭くなるため、以前は徒歩15分のところの駐車場まで自家用車で行けましたが、現在、土日は徒歩40分のところからマイクロバス(往復300円)で行くことになっていました。

備中松山城

備中松山城

天守からは本丸、二の丸を臨むことができますが、木々が茂りすぎて眼下の城下町が見渡せないのが残念ですね。

備中松山城

備中松山城

備中松山城下町

麓の城下町は面影が残っている場所も多く、歩いても良いところです。

備中松山城下町

麓の頼久寺の石垣は砦とも言えるほど堅固な造りです。

備中松山城下町

投稿者 Tadashi : 22:32 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 総社

岡山県総社市といえば豊臣秀吉が水攻めをおこなった備中高松城ですが、100名城ではないので、今回はその由緒に不明な部分も多い、鬼ノ城を訪れます。

鬼ノ城

駐車場に着くと、そこにはビジターセンターが建っています。無料で鬼ノ城の復元の過程や復元された西門の模型などを見ることができます。実際に見学する前に見ると良いでしょう。

鬼ノ城

遊歩道を通り、史跡に入ると復元された西門が迎えてくれます。前回訪問時はまだ復元途中でしたが、現在は風雨にさらされて新しい感じはありませんでした。

鬼ノ城

西門を通って南回りに一周します。西門からしばらく敷石の道が続きます。

鬼ノ城

しばらく行くと南門遺構に着きます。

鬼ノ城

さらに進むと東門遺構に着きます。それにしても麓が遠いです。

鬼ノ城

東門を少し進むと、屏風折れの石垣が見えてきました。どうやって積んだのでしょうね。不思議な光景です。

鬼ノ城

しばらく歩いてようやく着きました。ここからの景色も絶景です。

鬼ノ城

「岡山県十五景地」の看板が外れた石碑が・・・

鬼ノ城

北門は今も整備中でしたが、車で近くまで行けるようでしたので、地元関係者が案内するときにでも使うのでしょうね。

鬼ノ城

西門とともに復元整備された角楼跡です。

鬼ノ城

ここから眺める西門もなかなか良いアングルでした。どうやってこんな山の上に石を積んだのか、見どころ沢山の鬼ノ城でした。

鬼ノ城

投稿者 Tadashi : 22:04 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 福山

JR福山駅北口を出ると、正面に高い石垣が迎えてくれました。最終日まずは福山駅周辺を歩きます。

福山城

ここでもちょうど石垣に生えた草をとる作業をしていました。

福山城

福山城といえば復興天守の写真しか見たことがなかったので、櫓や門がかなり復元されていることがまず驚きでした。

福山城

福山城

福山城

福山城

福山城

福山城

福山城

天守最上階から眺める城下は非常に気持ちよいものでした。

福山城

福山城

城内には安倍正弘像が立っています。福山藩安倍家7代当主にして、老中であった正弘は、大河ドラマ「篤姫」でも篤姫を輿入れさせた立役者として出演していましたね。福山は幕府の西国の要として非常に重要な地であったため、広大であった城域を思うには十分なものが残っていますね。

福山城

福山城に隣接する広島県立歴史博物館ではちょうど特別展「徳川家・姫君の華麗なる世界」が開催されており、篤姫の籠を見ることができました。同時開催で、鹿児島でちょうど終了していた「篤姫展」もやっており、最終日も期ならず篤姫に触れることができました。

広島県立歴史博物館

広島県立歴史博物館

投稿者 Tadashi : 21:46 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月24日

日本100名城スタンプラリー 大分府内城

昨日の雨模様から一転して、天気が回復しました。今日は大友宗麟の居城、府内城を訪れます。

九州は今日でお別れです。大急ぎの旅でしたが、有意義な旅行でした。またゆっくりと訪れたいです。スタンプは府内城で29個となりました。

日本100名城スタンプラリー 大分府内城

スタンプは西の丸の西南の二重櫓ですが、写真では奥に東の丸の西南の二重櫓が見えます。平日の朝でしたので、街のど真ん中にある城周辺は出勤のサラリーマンと学生たちでいっぱいでした。

日本100名城スタンプラリー 大分府内城

投稿者 Tadashi : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

晴れの関門海峡に立つ

九州上陸のときはすでに夜だったので見ることを諦めましたが、本州に帰るときはまだ明るかったので、九州側最後のパーキングに車を停めて、しばし関門海峡を見学です。

関門海峡

一般道路が工事中で交通量は多かったですが、それ以上に橋をくぐる船の多さが目を引きました。

関門海峡

関門海峡

パーキングにはなぜか中国語や韓国語が響いていました。なぜ?

投稿者 Tadashi : 22:47 | コメント (0) | トラックバック

中津 福沢諭吉旧居

中津で少々時間がありましたので、観光地図で見て寄り道です。来たのは「史跡福沢諭吉旧居」です。

福沢諭吉旧居

福沢諭吉旧居

福沢諭吉旧居

福沢諭吉旧居

旧居に隣接して記念館が建っています。

福沢諭吉旧居

展示は有名な「学問のすすめ」や「西洋事情」など。

福沢諭吉旧居

福沢諭吉旧居

しかし、目玉は入口に展示されている旧1万円札と現1万円札のNo.1の新札です。写真も撮れますよ。

福沢諭吉旧居

福沢諭吉旧居

投稿者 Tadashi : 22:37 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 中津

九州最後の地は中津です。前に来たのは10年以上前の学生時代なので、堀と石垣が新しく整備されるなどして様変わりしていました。この城は個人所有なのですが、ニュースでは財政難でいつまで持つかという話もありましたので、閉じる前にもう一度見ておきたかったのです。

中津城

中津城

中津城

模擬天守に入ろうとしたとき、珍しいものを見つけました。岩蟹でしょうか?川が近いとはいえ、こんなところになぜ迷い込んだのでしょう。

中津城

中津城

中津城

中津城

天守北側の石垣は右側が黒田時代、東側が細川時代の石垣だそうです。しかし、場所は入口から正反対の場所にあるため、訪れる人も少なく勿体無いことです。

中津城

中津は城下も見どころがあります。徒歩でまわりました。

西門石垣

川沿いにしばらく歩いていくと、西門の石垣が残っています。民家の間に残る石垣は開発を免れ、周辺の住民の理解と努力の跡がしのばれます。

南部小学校の正門となっている門は中津藩家老の生田家の門です。

生田門

また、裏門の脇には大手門の石垣が残っています。

大手門石垣

また近くには黒御門の礎石がアスファルトの道路に埋まるように1箇所残っています。

黒御門跡礎石

城下には数ヶ寺の寺が密集する寺町通りがあるのですが、中でも注目は合元寺です。赤壁に象徴されるこの寺は実際にも目を引きますね。

合元寺

投稿者 Tadashi : 21:33 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 大分

昨日の雨模様から一転、晴れましたが曇っているので散策には良いですが、写真は白壁が空に馴染んでしまってダメですね。

大分府内城

府内城は大友宗麟の居城でしたが、県都である大分市のど真ん中にあることもあって、かなり開発の犠牲になっていました。それでも、なんとか内堀と櫓や門を復元して城であったことの面影は感じることができました。

大分府内城

写真のアングルによっては、まわりの高層ビルが写る残念な状況ではありますが、堀と石垣だけになっている多くの街中の城郭に比べれば、櫓があるだけで絵になりますね。

大分府内城

大分府内城

大分府内城

大分府内城

大分府内城

大分府内城

広い内堀のほかにも、ひっそりと用水として残った堀跡が残っていました。

大分府内城

大分府内城

大分府内城

山里丸であった地にある松栄神社の境内には、慶長時代の石垣が露天展示されていました。

大分府内城

大分府内城

福井城でも復元された廊下橋です。珍しい形の橋ですね。

大分府内城

大分府内城

城内に入ると、天守台前に大友宗麟像が立っています。天守台にも上ることができます。が、建物がない分見晴らしは遠くまでは無理ですね。

大分府内城

府内城は残る遺構も少ないですので、まわりを一周しても1時間強で見て回ることができます。

投稿者 Tadashi : 21:02 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月23日

日本100名城スタンプラリー 岡城

飫肥を昼に出て、夕方ギリギリに岡城に到着しました。宮崎から大分へは高速がないので移動がつらいです。宮崎県知事の言うことも分かる。

さて、城に入る麓でメロディーロードを通りました。以前テレビで見たことありますが、自分で荒城の月を奏でるとは思っていませんでした。その岡城で28個目となりました。

日本100名城スタンプラリー 岡城

ギリギリの時間に入ったので、すでに薄暗くすべてをまわってみることはできませんでしたが、駆け足で三の丸、本丸、二の丸と見てきました。本丸に登ると、麓のほうから例の荒城の月が響いてくるのですが、面白い趣向ですね。

日本100名城スタンプラリー 岡城

スタンプの図柄は三の丸から二の丸の北側石垣をみた光景となります。当日は1日中雨でしたので、まわりの山々には霧がかかり、二の丸に立つ滝廉太郎像の向こう側にも雲海が広がっていました。もう少し早く到着していれば、いい写真撮れたんですけどね。

日本100名城スタンプラリー 岡城

投稿者 Tadashi : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 飫肥城

今日は朝から雨です。今日は高速がない土地を行くので移動に時間がかかりました。朝鹿児島市を出発して、10時過ぎにようやく飫肥市に到着しました。来る途中大雨でしたが、見学中は小雨で助かりました。

日本100名城スタンプラリー 飫肥城

飫肥は古い町並みも残っており、風情ある城下町でした。もっとゆっくり歩いてみたかったのですが、雨でもあり、急ぐ旅でしたので、飫肥城周辺を見ただけで出発しました。

日本100名城スタンプラリー 飫肥城

スタンプの図柄は飫肥城の復元された大手門を城内から見た構図となっています。

ここで小冊子の書名は「飫肥ガイド -九州の小京都-」となっています。観光パンフレットにも「小京都」の文字が・・・。古い町並みをそう称しているのでしょうが、飫肥は典型的な城下町です。いまだにそういう誤解を修正していないのはどうなのでしょうか?

「飫肥ガイド -九州を代表する城下町-」または「飫肥ガイド -九州の小江戸-」

これなら分かりますけど。

投稿者 Tadashi : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 豊後竹田

17時前に岡城に到着。まだ間に合うのか心配しながら券売所に直行すると・・・何とか滑り込みセーフでした。聞けば17時までに入場券を購入すれば、あとはエンドレスだということです。岡城の入場券は巻物のようになっていてすばらしいです。これだけでも価値がある!?

岡城

時期的なものと、雨の影響もあってすでに薄暗くなってきているので急いで本丸を目指します。しかし、やはり写真はかなり厳しく半分はピンボケしてしまいました。

岡城

岡城

岡城

しかし、岡城の石垣の数々はすばらしいですね。眼下やまわりの山々の景色も良いです。今日は雨の影響で雲海ができていて、雰囲気も抜群です。

岡城

岡城

岡城

岡城

岡城

岡城

岡城

本丸から戻ってくると辺りはすっかり真っ暗でした。おみあげ店も閉まっていたので、何が売っていたのか気になります。

岡城

駐車場から少し下りた場所に岡城唯一の復元建造物である門が建てられていましたが、暗すぎて全体写真が撮れなかったのがこれまた残念です。

岡城

城跡から眺めていたときは雰囲気のある雲海でしたが、この後大分市へ向かう途中、視界ゼロの霧の中を運転する羽目になってしまい、しかも国道なのにすれ違いできない一車線道路に迷い込んでしまい、到着したころにはクタクタでした。

投稿者 Tadashi : 22:07 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 飫肥

道中非常な大雨に降られた場所もありましたが、飫肥に入ると運よく小雨になりました。

飫肥城下町

飫肥城は城域の一部が学校などになっていますが、比較的良好にその遺構は残っていました。見どころはやはり石垣ですね。

飫肥城

飫肥城

飫肥城

陣屋風の歴史資料館では飫肥城の歴史を学ぶことができます。

飫肥城

飫肥城

歴史資料館のある新本丸を奥に進んで階段を上ると、旧本丸とされる郭が残っています。階段途中には門の礎石が残っています。

飫肥城

もう一つの郭である松尾の丸に上ると、木造で復元された御殿を見学できます。特に史実とは関係ないようですが。

飫肥城

飫肥城

城下町には石垣で整備された風情ある町並みが残っている場所が多数あります。もっとゆっくり見てまわる時間がほしかったのですが、残念ながら時間切れです。

飫肥城下町

観光用駐車場のそばには、藩政期に武芸を鍛えるために行われたという「四半的」を体験することができます。

飫肥城下町

飫肥城下町

やってみたかったのですが、正座ではなつ弓は思っていたより大きく、意外に本格的ですね。

投稿者 Tadashi : 21:40 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 鹿児島

桜島

朝、厚い雲の中、桜島にも雲がかかっています。ずっと見ていると、太陽の光が雲間から漏れてきて非常にきれいでした。短い滞在でしたが、出発です。

島津今和泉家本邸跡

朝のラッシュの中、島津今和泉家本邸跡を見てきました。現在は歩道沿いの石垣にその面影を残すのみですが、個人宅となっているこの石垣も藩政期のものではないそうです。

南州神社

近くの高台は南州墓地となっており、西南戦争で戦死した2023名が眠っています。

南州神社

中央には西郷隆盛さんです。

南州神社

そのとなりは村田新八さんです。ほかの方々も桜島のよく見えるこの地に、桜島に向かって祀られています。

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2008年10月22日

日本100名城スタンプラリー 鹿児島城

今日は篤姫効果で観光客(自分のその一人)がどっと増えた鹿児島城(鶴丸城)です。

熊本城、人吉城の次にしては少し物足りなかった。何が・・・って遺構が少ないからです。石垣と堀が2面残るのみですから。城内の県立歴史博物館「黎明館」はものすごく広かったです。またまた回りきれなかった。いつも計画にちょっと無理がある。

日本100名城スタンプラリー 鹿児島城

スタンプの図柄と同じ場所はありません。「史跡鶴丸城跡」の石碑は正面、鬼門で角が割れた石垣は正面右側の2面残る隅石です。

日本100名城スタンプラリー 鹿児島城

日本100名城スタンプラリー 鹿児島城

左手が正面となります。天気に恵まれた旅行でしたが、いよいよ雨が降ってきました。

投稿者 Tadashi : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 鹿児島

鹿児島

桜島が見えてきました。平野越しの山の景色はよくありますが、海を挟んで山が見える光景はなんとも言えないですね。

鹿児島

鹿児島ヴィーナスポートの篤姫館は大盛況でしたが、いぶすき館に比べると何か寂しい入口です。

鹿児島

鹿児島

中の写真を撮れるポイントは1箇所。篤姫の部屋のみですが、掛けられた屏風はあの薩摩の情景です。

鹿児島

街に繰り出す前にホテルにチェックインします。窓から眺める桜島も良いですね。

鹿児島

鹿児島

博物館に向かう途中には西郷さんの像が。

鹿児島

鶴丸城の本丸跡に建てられた鹿児島県立歴史博物館「黎明館」です。100名城スタンプはここで押せますが、1階でも広い展示室が、3階もあるんですよ。1時間ではゆっくり見て回ることができませんでした。もっとゆっくり来ないといけないですね。3時間は必要かな。

鹿児島

博物館を出ると、ついに雨が降ってきました。雨の合間をみて散策を続けます。隣の県立図書館は鶴丸城の二の丸跡に建っています。

鹿児島

鹿児島

城山の麓に建つ照国神社です。ご祭神は島津斉彬です。立派な左右対称の献木が正面にあります。

鹿児島

最近立てられたという小松帯刀像です。その見つめる先はいずこでしょうか。

鹿児島

投稿者 Tadashi : 22:25 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 薩摩今和泉

指宿を出発し、薩摩今泉を訪れます。少し駐車場への入口が分かりにくいですね。駐車場には観光コースの看板が・・・ところが1箇所間違っているのですよ。

薩摩今和泉

観光コースとは逆回りで巡ります。

薩摩今和泉

コース途中にはこの地方特有の石積みの塀が見られます。

薩摩今和泉

薩摩今和泉

島津今和泉家の本領である地の別邸跡は現在今和泉小学校となっていますが、すぐ裏の海岸線には松並木と防波堤を兼ねた石積みが残っています。

薩摩今和泉

小学校の校舎裏には別邸の井戸が残っています。

薩摩今和泉

もうひとつ校舎の表に手水鉢が残っているのですが、場所がわかりにくく校内をうろうろしていたら、校長先生?に注意されてしまいました。親切な校長先生でよかったです。それにしても今は大河ドラマやっていて見ることができますが、終了したら見ることはできない!?かもしれませんね。

薩摩今和泉

さて、案内看板や案内チラシの間違い、実はここです。手水鉢の位置や写真は海岸沿いにできた休憩所のオブジェになっています。見るからにツルツルの表面はうそ臭いのですが、テレビで紹介されていたのは全然違うよー

薩摩今和泉

観光コースは小学校正面にまわっているのですが、何があるか書いてありません。実際まわってみると、島津斉興(斉彬の父)が近くの二反田川の護岸工事を行った先の石積みを再利用したものだそうです。

薩摩今和泉

孝女袈裟子の碑です。袈裟子は生まれつき話せませんでしたが、たいへん親孝行な娘だったのを、殿様がその親孝行ぶりを褒めてお金や米を贈ったという話だそうです。

薩摩今和泉

豊玉媛神社です。真っ赤な社殿が印象的です。

薩摩今和泉

薩摩今和泉

薩摩今和泉

神社の隣は殿様の隠居所だった場所だそうです。階段や脇の石積みに雰囲気が残っています。

薩摩今和泉

神社から墓所の道中「田の神様(かんさぁ)」を見ることができます。薩摩藩領内にのみ見られる豊作の神です。

薩摩今和泉

今和泉家の墓地です。鳥居には島津の家紋が刻印されています。

薩摩今和泉

歴代当主の中に、篤姫の父島津忠剛の墓もあります。

薩摩今和泉

今和泉駅は篤姫フィーバーです。

篤姫バーガー

道の駅いぶすき彩花菜(さかな)館では篤姫の好きだった赤味噌で漬け込んだジャンボ鶏肉を挟み込んだ「篤姫バーガー」が売っています。580円とファーストフードにしては高額ですが、その大きさと旨さには納得ですよ。テレビで放映されていて、本当に食べたかったんですよ。

投稿者 Tadashi : 21:32 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 指宿

天気がよいのは今日までです。今日はマンションの最上階に泊まったので、折角の機会なので朝日を拝みました。すっきりと晴れていれば対岸の大隈半島が見えるそうだが、今日は見えない。

指宿

手前の白いビルは「砂むし」で有名な施設。この辺りは高温のため遊泳禁止だそうです。ビックリです。海の中央に浮かぶのは知林が島です。

指宿

施設のオープンには少し時間がありましたので、篤姫の撮影にも使われた知林が島に向かいました。満潮時には島への道は沈んでしまうとのことでしたが、今日は運良く島への道は見えました。シーズンではないので島へ渡るのは禁止されているようです。波打ち際には貝殻が打ち上げられ、模様のようになっていて、それがまた絵になります。

知林が島

知林が島

さて、いぶすき篤姫館にやってきました。鹿児島市からは車で30分以上かかるので、こちらは人出は少なめです。展示は今泉時代が中心となっています。

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

写真撮影が入口と、今泉の於一の部屋の2箇所で許可されていました。

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

於一の部屋の掛け軸は「うさぎ」でした。見る場所が違うって?

いぶすき篤姫館

投稿者 Tadashi : 20:43 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月21日

日本100名城スタンプラリー 人吉城

熊本城の次に、熊本県でもうひとつの100名城である人吉城を訪れた。25個目となり、ようやく4分の1を制覇できた。

人吉城歴史館の対応は妙に親切であった。しかし、人吉城は予想以上の広さであった。時間的余裕を持ってまた来ようと思う。

日本100名城スタンプラリー 人吉城

スタンプの図柄は、人吉城歴史館のある城内を出て、球磨川の対岸から、左手に隅櫓、右手に多門櫓を捉えたものです。このアングルを探すのに少々時間がかかりましたよ。川と城の調和した眺めは良いものです。

日本100名城スタンプラリー 人吉城

2万石超の大名の居城にしては大き過ぎる・・・100名城はどこも広いなあ。

日本100名城スタンプラリー 人吉城

人吉城歴史館に飾られた100名城の認定証です。

投稿者 Tadashi : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 熊本城

24個目は熊本城です。昨年度の築城400年記念イベントには都合がつかず行くことができなかったが、ようやく来ることができた。以前来たのは学生時代ですでに10年以上前。それからいくつもの建造物が復元され、随分と賑やかになった。

日本100名城スタンプラリー 熊本城

予定では朝から昼までの滞在であったのだが、何しろ広い。すべての建物を見て回ったら2時間も超過してしまった。しかし、快晴の天候も手伝って満足な散策だった。こんなに歩き回る観光客も珍しいことだろうけど。

日本100名城スタンプラリー 熊本城

スタンプの図柄は宇土櫓を手前に、奥に大天守と小天守を捉えるアングルである。しかし、大小天守が見えないなあ。もう少し高く飛べれば・・・

投稿者 Tadashi : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 人吉

熊本を出発して、高速を途中で降ります。山間に開けた人吉の地に入りました。

人吉城

人吉城公園は広かったです。その一角に人吉城歴史館が建てられています。ここで地図をもらうことができますが、中世の城跡を入れるとかなり広大な城です。

人吉城

屋敷の礎石を示す跡の左奥には人吉市役所があります。人吉城への出入り口であった大手門の正面になります。

人吉城

復元された大手門横の多聞櫓から角櫓までの建造物は、胸川に面した石垣上に建てられており、絵になりますね。

人吉城

人吉城

橋を渡り、角櫓の向かい側にくると、右手に胸川沿いに復元された建造物を、左手に球磨川を臨むことができます。現在は球磨川にかかっている橋は藩政期にはありませんでしたので、胸川に架かる大手橋から入城しなければいけませんでした。

人吉城

人吉城

人吉城

球磨川沿いにはいくつかの船着場からの階段があります。

人吉城

球磨川にかかる橋から入ると一部復元された塀を見ることができます。ここには米蔵がありました。

人吉城

人吉城の見どころのひとつ、武者返しです。この石による返しの工法は西洋技術であるはね出し工法と呼ばれるもので、五稜郭など幕末建造の城にわずかに見られるものであるが、旧来の城郭に採用された唯一の城だそうです。本当に珍しいです。

人吉城

はね出し工法の石垣の脇には御下門が復元されています。ここは三の丸の入口で、御殿のあった二の丸、その上の本丸に続く入口の門です。これより奥には中世の中原城などに続く道がありますが、今回は時間がないので行けません。それにしても広いところです。すべて散策するには半日は必要なようです。

人吉城

人吉のもう一つの観光スポットが今年国宝に指定された青井阿蘇神社です。

国宝 青井阿蘇神社

古い社殿は荘厳な雰囲気で、社殿の外側と内側に精密な装飾が残っています。

国宝 青井阿蘇神社

国宝 青井阿蘇神社

国宝 青井阿蘇神社

投稿者 Tadashi : 22:44 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 熊本

いよいよ熊本城です。近年次々と建物が復元され、昨年は築城四百年祭で盛り上がった当城ですが、去年は都合がつかず来ることができなかったので今回ようやく念願叶いました。

熊本城へ入城する前に、少し時間があるのでまずは周辺をめぐります。

隈本古城

熊本城の周辺には徒歩で行ける範囲に2つの城跡があります。そのひとつが隈本古城です。説明板を読むと熊本城の城域(または支城)のようでもあるのですが、現在は高校の敷地を支える石垣と堀跡が公園となっています。

隈本古城

隈本古城

城下を歩いていると広告を前面プリントしたバスが・・・ANAの広告のようですが、こんなところにも熊本城が描かれています。

こんなところにも熊本城

千葉城

もうひとつの城跡は千葉城です。現在はNHK熊本の敷地となっている高台ですが、麓の川沿いに千葉城公園と城跡であった名残りを残しています。この城の南側には藩主細川氏に客分で招かれた宮本武蔵が住んだ場所がありました。由来は古いですが、西南戦争でも機能していたようなので、最終的には熊本城の支城的役割を担ったようです。

千葉城

千葉城

はぜ方門入口近くには加藤清正公園があり、加藤清正公が熊本城を背に座しています。

加藤清正像

それでは熊本城を散策しましょう。

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

まだ工事中の建物があるんですよ。それにしても見どころ多いですね。まだ天守に着かないですよ。それではいよいよ今年春公開されたばかりの本丸御殿に入ります。

熊本城本丸御殿

地下回廊への入口は2箇所ありました。薄暗い地下回廊はまさに戦国時代の知恵ですね。

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

内部は見学者でいっぱいでしたが、まだまだ真新しい匂いがしました。注目は色鮮やかな昭君の間です。いざという時に秀頼公を迎えるために準備したと伝えられる部屋は非常に格式高い造りでした。撮影は許可されていましたが、フラッシュなしだったので、良い天気でしたがかなりピンボケしてしまいました。

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

ようやく天守へ入ります。

熊本城天守

熊本城天守

大天守内には復元募金の芳名板が所狭しと並べられていましたが、自分の城主になった年月を忘れてしまい、見つけることができませんでした。

熊本城天守

熊本城天守

さて、それでは熊本城の散策を続けましょう。

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

昼も過ぎたので少し腹ごしらえをします。売店には「いきなり団子」の文字。ケロロ軍曹でよく聞く名物の名前でしたが、本物を見るのは初めてです。

いきなり団子

これは試してみる価値あり!と早速購入しました。普通よりもアイスのほうが4種類あるということでそちらをすべて購入、包みと餡の材料がそれぞれ違うのですが、どれもおいしかったですよ。

いきなり団子

それでは、散策を続けましょう。

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城をあとにして、最後に旧細川刑部邸に向かいます。

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

いや広かったです。それに見どころ満載でした。3時間と他の場所に比べ余裕を持った日程で散策を始めたのですが、結局大きく2時間超えてしまいました。

投稿者 Tadashi : 20:52 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月20日

日本100名城スタンプラリー 吉野ヶ里

佐賀城に続けて近くの吉野ヶ里へ行きました。吉野ヶ里歴史公園となっている一体は予想以上に広大な史跡で、1時間ではすべて見て回ることができないほどの広さです。これで23個となりました。

日本100名城スタンプラリー 吉野ヶ里

見どころスポットはいくつかの塊となっていますが、特に柵列で囲まれた南内郭と北内郭は、最近公開予定の映画「まぼろしの邪馬台国」のロケ地となった場所です。

スタンプ図柄は、北内郭の柵列の向こうに、公園のシンボル的存在である祭殿と脇の見張り台を捉えたアングルです。写真は入口付近で撮ったものなので柵列が切れてしまっていますが、その側から撮れば同じようなアングルで写真が撮れるようですね。

日本100名城スタンプラリー 吉野ヶ里

投稿者 Tadashi : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 佐賀城

22個目となるのは佐賀城です。佐賀市中心部にあり、旧本丸内に官公庁が立ち並ぶ様子は、隣県の福井城のようです。が、佐賀には本丸内に佐賀城・佐賀藩に関する資料を多数展示している佐賀城本丸歴史館があります。それも拝観料無料、代わりにすべて見終わってから満足度に応じて寄付をします。

日本100名城スタンプラリー 佐賀城

スタンプの図柄は、歴史館の入口を手前に、鯱の門を奥に見るベストアングルです。実際の写真では入口付近の下駄箱が少々見苦しいですが・・・

日本100名城スタンプラリー 佐賀城

歴史館の傍には天守台も残り、上から歴史館を眺めることができます。また、本丸を囲む四方の内堀は三方が現存しています。近くには、佐賀藩鍋島家の資料館など観光場所が集積しているのですが、残念ながら時間がありませんでした。九州の雄、龍造寺隆信の顕彰碑もありますよ。

投稿者 Tadashi : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 大野城

福岡市から大野城市に移動して21個目は大野城です。しかし、今日は月曜日で大野城のある県民の森や麓の大宰府関連施設は休みだったので、唯一開いている大野城市総合体育館に向かいました。

日本100名城スタンプラリー 大野城

図柄は大野城に残る石垣跡だと思いますが、訪問はまたの機会ということで、大宰府や大野城の防塁として機能していた水城(みずき)跡に向かいました。少し迷いましたが、なんとか到着。予想外に史跡公園としてきれいに整備されていました。土塁のほか、濠跡も田んぼとしてその名残りをしっかりと残しており、見ごたえ十分です。

日本100名城スタンプラリー 大野城

投稿者 Tadashi : 23:17 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 福岡城

20個目は福岡城です。黒田長政の入封により本格的に築城の始まった福岡城は現在大濠公園になっています。同じ場所は古代・中世のおいて大宰府政庁の玄関口となった鴻臚館があった場所でもあります。

スタンプは発掘された鴻臚館の遺物をそのままに展示する鴻臚館跡展示館受付にあります。鴻臚館跡展示館 の横には、元平和台球場であった敷地が残り、今日も発掘調査が続けられていました。

日本100名城スタンプラリー 福岡城

図柄は多聞櫓を郭内から見た構図ですが、散策範囲が予想以上の広さであったため、同じ構図で撮影したものがありません。

日本100名城スタンプラリー 福岡城

日本100名城スタンプラリー 福岡城

投稿者 Tadashi : 23:16 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 熊本

ホテルに着くと、すでに真っ暗でしたが、今日は熊本城の近くに泊まります。期待していた以上の夜景です。泊まった部屋からはばっちりと熊本城のライトアップが見えました。このライトアップは随分と遅くまでしていましたね。23時近くまでライトアップされていました。

ライトアップされているのは、手前(下)に復元された本丸御殿、奥に大天守と小天守です。

熊本城ライトアップ

夕食を兼ねて街に出ましたが、近くまで来てみると、全く天守が見えません。

熊本城ライトアップ

少し離れると、いろんな場所からライトアップが見えます。これも天守に向かってまっすぐな道路のおかげなんですけどね。

道の真ん中に設置させた路面電車の駅からはちょうどよい感じです。手前に本丸御殿、奥に大天守の上部が見えます。思いっきり城下町って感じですね。(東側から撮影)

熊本城ライトアップ

こちらの角度は、右に大天守、左に本丸御殿です。(南側から撮影)

熊本城ライトアップ

投稿者 Tadashi : 22:55 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 吉野ヶ里

吉野ヶ里遺跡

佐賀城を出発し、30分で吉野ヶ里遺跡に到着します。迎えてくれるのは弥生人風のマスコット人形です。

吉野ヶ里遺跡

入ってみると、想像以上に復元建物がはるか向こうに見えます。終了1時間前に駐車場に入ったのですが、「今からでいいですか?」って聞かれたのですが、どうも1時間では回りきれないようで、「うそだろ?」と思ったのも束の間、どうやら本当のようです。

吉野ヶ里遺跡

それにしても広大な遺跡公園です。中にバスも走っているんですよ。

吉野ヶ里遺跡

展示室では出土した土器や甕棺が展示されていて、吉野ヶ里の発掘の経緯や成果がよくわかります。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

展示室の向かいに広がる南内郭は政治を執り行っていた場所と考えられ、物見櫓や竪穴住居が復元されています。すべての竪穴住居の中は当時の生活を復元して、わかりやすく立体展示されています。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡の見どころは、やはり北内郭の主祭殿ですね。2階では会合の様子が、最上段の3階では巫女の祭祀の様子が復元展示されています。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

北内郭のさらに奥には甕棺暮列が広がり、さらに奥の盛り上がった小山は北墳丘墓(王の墓)です。

吉野ヶ里遺跡

中は遺構をそのまま立体展示しています。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

さて、奥の奥までやってきましたが、公園はさらに奥に現在の発掘現場があるようです。時間になりましたので、入口に急ぎますが・・・そこまで15分もかかるんですよ。なんて広いんだ!管理も大変そうです。

投稿者 Tadashi : 22:46 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in佐賀

佐賀市は初めてです。あまり時間がないので足早に復元された本丸御殿のまわりを散策します。

まずは鯱の門が出迎えてくれます。この門は唯一の遺構建造物ですから威厳があります。

佐賀城

屋根の鯱もなかなかですね。

佐賀城

天守台に上ると、本丸御殿や土塁を上から俯瞰できますが、写真としては正面でないのでイマイチですね。

佐賀城

城内には土塁の復元とともに、発掘により見つかった水路の立体展示を見ることができますが、ここは鯱の門とは別の西門から入ってこないと見られないので、あまり見る人はいないでしょうね。

佐賀城

今日は月曜日なのでお客さんは年配の団体客が中心です。復元された建物内は新しいのできれいです。最近の復元建物は鉄筋コンクリートが少ないので、建物自体にも魅力あります。中の展示物は幕末中心だったので、自分にはあまり興味ありませんでした。

佐賀城

佐賀城

佐賀城

内堀は東側以外は残っています。かなりの堀幅があり、すばらしいですね。否うらやましいです。金沢城で同じ規模を誇った百間掘は埋め立てられて道路ですからね。

佐賀城

次の目的地に行く途中で城下で唯一の武家屋敷門の遺構の前を通りました。石碑が立っている観光地?だと思うのですが、管理が・・・・写真で見てもそう思いますよね。

佐賀城

投稿者 Tadashi : 22:28 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大野城

福岡城を出発し、福岡都市高速の終点水城にやってきました。ここは古代大宰府政庁の防衛施設であった水城の跡です。詳細な地図がなく、うろうろして、ここで写真撮って良しとしようか、と撮った写真が1枚目のコスモスの写真です。奥の木がある盛り上がりが水城の土塁です。この時はその近くに本来の目的地があることを知りませんでした。

水城

コスモスとのベストアングルを探しながら写真を撮っていると、道の向うに石碑があります。「水城大堤之碑」と書かれた史跡公園はまさに目的地でした。

水城

碑の横には「史跡水城址」と書かれた東門礎石があります。この道路は水城を分断して作られたものではなく、古代より道として存在し、門があった場所のようです。

水城

史跡公園はコンパクトながら水城は何であるかを知る良い遺構が残っています。案内図にはありませんが、道のななめ向かい、コスモスの咲いていたほうにも駐車場と水城の説明看板があります。

水城

土塁上の展望所に上ると、はるか遠くに続く水城を眺めることができます。

水城

今回は時間的制約もあって、水城とともに大宰府防衛ラインであった大野城には登ることができませんでしたが、次回はぜひ大宰府とともに見に行きたいです。

投稿者 Tadashi : 22:16 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in福岡

昨日に比べると少し曇っていますがいい天気です。

福岡城

福岡城跡は舞鶴公園となっていますが、古代は海外との外交施設こうろ館のあった場所です。福岡ドームができたあと、ここにあった平和台球場跡地の発掘が進む中で様々な成果がありました。現在も発掘作業が続けられていました。

まずは「名島門」を通ります。この門は黒田長政の福岡城に移る前に在城していた名島城の脇門です。

福岡城

下の橋大手門は現在復元工事中で中には入れませんでした。

福岡城

正面にまわると、現在も残る堀の向こうに石垣があり、ちょうど石垣に巻きついた草を刈っている最中でした。珍しい光景なのでしばし見学。

福岡城

福岡城跡の石碑は二の丸近くの駐車場のそばにありましたが、石碑はもうひとつあります。

福岡城

福岡の観光ガイドにもほとんど紹介されない福岡城ですが、意外に多くの石垣が残っています。大天守台に上ると天守礎石が残っています。

福岡城

見学台に上ると、中天守台と小天守台が見えます。小天守台には上れますが、中天守台はここから見ることができるのみです。

福岡城

建物はこの多聞櫓と祈念櫓が2つ残っていますが、手前に見えるのは井戸で、城内にはたくさんの井戸跡が残っていました。残念ながら城内に植えられた木が邪魔で、石垣から見上げて建物を撮る良いアングルがありません。

福岡城

こちらは大型バス駐車場から近い石碑です。歩道沿いに立つので、頻繁に通る自転車に気をつけながら撮影しましたが、石碑の背景に堀が入るのでなかなか良い写真になりますね。

福岡城

投稿者 Tadashi : 22:05 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 岩国城

山口県岩国市の岩国城です。といってもメインは手前の錦帯橋ですが・・・。19個目になります。

日本100名城スタンプラリー 岩国城

図柄は錦帯橋の向こうの前に見える頂上の岩国城です。

橋と城の比率がスタンプと実物では随分違います。下の2枚の写真を合わせたような配置でしょうか?小さな写真ではどこに城があるのかも分からないほどです。城山の左のほうにわずかに突き出ているように見えるのが岩国城です。

日本100名城スタンプラリー 岩国城

日本100名城スタンプラリー 岩国城

私の高望遠で撮影した頂上の岩国城ですが、それでも手前に描かれた土塀は確認できません。一昔に比べると土塀手前の木々が生長してきているのでしょうね。

日本100名城スタンプラリー 岩国城

錦帯橋越しの岩国城は、岩国城の紹介写真としては頻繁にみる構図なのですが、私の実際見てみたい城風景のトップ3とも言えるものでした。実際に見ることができて感動しました。

投稿者 Tadashi : 03:31 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月19日

日本100名城スタンプラリー 広島城

広島城、18個目のスタンプになります。

日本100名城スタンプラリー 広島城

図柄の方向は下の写真の方角でほぼ間違いなさそうです。下の写真は内堀西側から撮影したものですが、天守のみというのは、立派な二ノ丸建物群(門や櫓)が復元されているだけに少し残念ではありますね。

日本100名城スタンプラリー 広島城

投稿者 Tadashi : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

錦帯橋の向こうの頂上に見える岩国城、来たかった城のある風景のひとつでした。念願かなって駐車場となっている河原からまずは1枚。左の頂上に岩国城があるのですが、小さな写真にすると・・・

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

望遠で撮影した天守です。これが頂上にあるんですが、わかりますか?

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

そのまま河原を歩いて、近くから錦帯橋を何枚も撮りました。橋脚の石組みと橋桁の裏はこんな感じです。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

頂上までは徒歩でも行けるようですが(行く人いるのかな?)、普通はロープウェーで近くまで登ります。
同じく頂上に天守のある岐阜城は実際に攻められた城ですから、攻めている気分で実際に登る人もいるでしょうが、ここは実戦なかったのでは。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

天守のある本丸には旧天守の石垣が残っています。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

博物館になっている天守に入り、最上階の展望台から見える風景はやはり絶景です。眼下の錦帯橋も小さいですね。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

望遠で撮るとこんな感じです。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

山麓には元々普段生活の営まれた館や武家屋敷があったものと思われますが、現在その一角にここを納めた吉川氏一族の墓地があります。一族の墓地というと、歴代藩主、正室、ここまではよくありますが、ここでは、側室、夭折した子供たちなど予想を超える墓が所狭しと立ち並んでいます。

一番高いところに初代吉川広家公の墓があります。歩き回ったあとに訪れるには少々体力的に厳しい場所にあります。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

投稿者 Tadashi : 22:57 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大竹

広島市から岩国市へ向かう途中に、地図を見ると福島正則の築城した亀居城が書かれていて、麓から20分ぐらいということでちょっと寄りました。しかし、ちょっと寄ったつもりが、見どころ盛りだくさんな城跡でした。

麓の大型ショッピングセンター駐車場から見える正面の山が亀居城跡のある亀居公園です。右前方の交差点が入口です。

安芸亀居城

交差点には亀居城跡入口の石碑とともに、由来を書いた石碑と公園までの案内板です。由来によると、亀居城は福島正則が慶長八年(1603)から五年をかけて築城し、慶長十六年(1611)に幕府の命により破却されたようです。実質3年ほどしか機能しなかった城ということになりますか。

安芸亀居城

安芸亀居城

とてもとても急な上り坂を上って行くと、立派な石垣が迎えてくれます。城内には石垣が豊富に残り、予想以上の満足感を味わえました。

安芸亀居城

安芸亀居城

天守台には上れませんが、そこからの眺めはとても良かったです。瀬戸内海と向こうに大竹市の工場群が見えますが、すっきりとは見えず残念でした。

安芸亀居城

安芸亀居城

天守台を下から見ると、かなりの高さであることがわかります。ここまでの石垣が残っているのにあまり注目されていないのは残念です。

安芸亀居城

帰りも石垣を見ていると、刻印を見つけました。公園内にも豊富に残る刻印を案内する看板がありましたが、刻印のサイズはあまり大きなものではありませんでした。

安芸亀居城

安芸亀居城

迫力ある石垣が迎えてくれる亀居城はおすすめです。ぜひ天気のよいときにいきましょう。

投稿者 Tadashi : 22:34 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in広島

今日は快晴です。市内に泊っていたので広島城まではあっという間に着きました(ちょっと行き過ぎたぐらい)が、広島城博物館(天守)のオープンまで一時間あるので、まずは内堀の外周を廻りながら、写真を撮ります。

駐車場から出て、まず迎えてくれたのは二の丸に復元された太鼓櫓です。広島城は学生時代に一度来たことがありますが、10年以上も前になるので、そういえばその頃は工事中だった・・・。

広島城

広島城の石碑は駐車場のある二ノ丸口とは違い、広島護国神社のある本丸口にあります。が、石碑と一緒には石垣しか写らず、建物が写らないのが残念です。今日は護国神社の何か行事だったようで、大勢の人が押しかけ、城内に車を無造作に停めるので、石垣のショットを撮るのに非常に邪魔でした。せめて、車は近くの駐車場に停めてほしいものです。

広島城

内堀に移る石垣や天守はきれいです。

広島城

広島城は金沢城と同じように、戦前は陸軍の駐屯地のひとつであったので周辺には陸軍時代の遺構が残っています。

広島城

内堀を少し外れて、太田川を歩きました。ここは基町堤防といい、広島城の惣構の一部を構成していた太田川の氾濫を防ぐために、広島藩主福島正則が築いた堤防が始まりだそうです。

広島城

博物館となっている天守前には、再建の際に発掘で出土した天守礎石を見ることができます。

広島城

広島城の日本100名城の認定証です。

広島城

広島城

駆け足でしたが、二ノ丸が再建されて魅力の増した広島城を堪能しました。次は岩国に向かいます。

投稿者 Tadashi : 22:01 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 郡山城

広島県の吉田高田市、毛利元就で有名な郡山城です。先の津山城16個目に続き、17個目です。

日本100名城スタンプラリー 郡山城

図柄は背景に郡山城跡の遠景を配して、手前に「百万一心」碑を描いています。

日本100名城スタンプラリー 郡山城

毛利元就の墓の近くにあります。百万一心碑です。毛利元就は郡山城拡張の際に、それまでの風習であった人柱に替えて「百万一心」と彫らせた巨石を埋めたと伝えられており、一つ描く碑としては「三矢の訓」碑ではなく、「百万一心」碑が相応しかったのでしょうか。

投稿者 Tadashi : 01:15 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城スタンプラリー 津山城

今回は100名城の旅です。一週間で10箇所以上訪問します。

日本100名城スタンプラリー 津山城

スタンプの図柄は天守台と復元された備中櫓を空中より俯瞰したものですが、当然ながら同じ角度では見ることできません。

日本100名城スタンプラリー 津山城

日本100名城スタンプラリー 津山城

実際には備中櫓、土塀に続く天守台を囲む回りの郭には転落防止用の柵紐が設置されているのですが、そこまでは・・・さすがに省略してありますね。

投稿者 Tadashi : 01:06 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月18日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 安芸高田

最初の津山からかなり予定をオーバーしてしまい、急いで安芸高田市へ移動しました。さらに、まだ平成の合併前に一度訪れたことがありましたが、道路標識が変わっていて道に迷ってしまいました。

吉田歴史民俗資料館

なんとか資料館の閉館には間に合いました。資料館には毛利氏に関する資料や付近の城跡に関する遺物が豊富に展示されており、次回はもっとゆっくり鑑賞したいものです。

すでにあたりは薄暗くなってきていましたが、石碑や一族の墓を見てきました。今回は残念ながら本丸などは見学できませんでした。

郡山城

郡山城

郡山城

郡山城

郡山城

前回訪れた際に整備中であった公園はまだ整備途中でしたが、新設された駐車場には「日本百名城 郡山城」の記念碑が設置され、石碑越しに郡山城の山を入れて写真を撮ることができます。

もともとある上に紹介している「史蹟郡山城址」の石碑は入口に立っているものの、城跡とは向かい合って立っている関係で、石碑と城跡を両方入れて写真に撮ることができなかったので、今後は上記写真のほうがよく使われるかもしれませんね。

投稿者 Tadashi : 23:53 | コメント (0) | トラックバック

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 津山

本日より九州方面へ長期旅行です。早朝に出発して順調に車をとばして来たものの、最初の目的地津山に到着したのは、もう昼近くでした。今回の旅は悪天候の予報がないので良い旅になりそうですが、今日は予想外に暑いです。

まずは城下町を見学です。津山城の東に位置する「上之町」「中之町」「西新町」には昔ながらの町並みが残っているのですが、城下町の道というのはまっすぐでなく、また狭いのです。

「作州城東屋敷」にやってきました。ここは町屋施設が残されているのですが、石碑の向こうに見えるのはだんじり展示館です。

作州城東屋敷

街道沿いにしめ縄が貼られていたので何かと思いましたが、今日の午後から秋祭りで、ちょうどだんじりが各町会に出されていました。ということで、だんじり展示館の中は当然空です。

だんじり

こちらが町屋施設ですが、映画寅さんシリーズ最終作はこの付近で撮影がされたそうなので、その時の写真と、建物横に記念碑が建てられていました。

作州城東屋敷

城下出雲街道の町並みです。雰囲気がありますが、自動車が頻繁に走ります。

出雲街道沿いの町並み

津山城です。最初の写真は鶴山館越しに見る備中櫓です。鶴山館は津山藩の文学校の建物で、裏にはちょっとした動物園があります。

津山城 鶴山館

最近復元された備中櫓です。前回は工事の真っ最中で、復元後初めてやってきました。津山城には城郭建築が残っていないので、一つでも復元されるとやはり見ていてもいいです。

津山城 備中櫓

津山城 備中櫓

城郭の櫓は板張りが多いのですが、ここは畳敷きが基本のようです。史実では確認していませんが、実際はどうだったのでしょうか?

津山城 備中櫓

津山城 備中櫓

津山城 備中櫓

2階には登ることができ、上段の間(1段高い一角)が用意されていましたが、特に窓が開放されるわけでもなく、用途はよくわかりません。

津山城 備中櫓

備中櫓と一緒に土塀の一部が復元されています。

津山城 備中櫓

今日は晴天だったので、天守台からの眺めは最高でした。天守台の回りでは今でも発掘調査が続いていました。この天守台に登ると、往時の天守の大きさが偲ばれます。

津山城 天守台

投稿者 Tadashi : 23:25 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月16日

「WindowsVista」の次は「Windows7」なのはなぜか?

今週、マイクロソフトからVistaの次のOSの名称が「Windows7」に決まったと発表があった。「7」って何から数えてなのか?と疑問を持つ人も多いでしょう。

Windowsの1番目は「Windows1.0」、2番目は「Windows2.0」、3番目は「Windows3.0」となる。ここまでは私も理解していたが、次は「WindowsNT4.0」が「4」だと思っていたら、どうも「WindowsNT4.0」は「WindowsNT3.51」などとともに「3.1」となるらしい。この「3.1」とはコードバージョンと言われるもので、アプリケーションの互換性にとても影響する。

Windows7までのOSとコードバージョンの経緯は以下のとおり。

OSの名称 (コードバージョン)
Windows 1.0 (1.0)
Windows 2.0 (2.0)
Windows 3.0 (3.0)
Windows NT (3.1)
Windows 95 (4.0)
Windows 98 (4.0.1998)
Windows 98 SE (4.10.2222)
Windows Me (4.90.3000)
Windows 2000 (5.0)
Windows XP (5.1)
Windows Vista (6.0)

こう見ると、Windows3.0まではOS名とコードバージョンが一致している。その後、Windows95以降はわかりやすく発売年度を冠した「Windows95」「Windows98」「Windows2000」(発売はMeより先)が続き、最近は年度だと時間とともに古さを感じさせるということか「WindowsMe」「WindowsXP」「WindowsVista」と独自名称が多かった。

さて、WindowsVistaのコードバージョンが「6.0」であるため、次のOSは「Windows7」となったようではあるが、実際のコードバージョンは「6.1」。コードバージョンとの違いから「Windows7.0」とはならなかったようであるが、それじゃその次が本当の「Windows7」ではないか!と思ってしまう。

コードバージョンは先に書いたとおり、アプリケーションの互換性にとても影響する。「WindowsXP」発売当時、見た目は大きく変わったものの、「Windows2000」との互換性を重視して、コードバージョンは「5.1」となっていた。VistaでXPのアプリケーションが動作しないものが、2000からXPの時より多かった原因もこの辺りが影響しているのであろう。

コードバージョンを見ると、大きくWindowsのOSの世代が分かるのである。

第1世代 Windows 1.0
第2世代 Windows 2.0
第3世代 Windows 3.0、Windows NT 3.51、Windows NT 4.0
第4世代 Windows 95、Windows 98、Windows 98 SE、Windows Me
第5世代 Windows 2000、Windows XP
第6世代 Windows Vista、Windows 7

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2008年10月12日

シンポジウム「中世都市と職人」

連休中日である今日は、先週に引き続き七尾で開催されるシンポジウムに行きました。

今年は能登畠山家創立600年事業として様々なイベントが開催されています。先週は冷泉家に関する一般向けシンポジウムで、非常に大勢の参加者が来ていましたが、今日は中世の都市に関する学術シンポジムということで、部屋も小規模になり、参加人数も・・・・少ない。予想以上に少ない。

シンポジウム「中世都市と職人」

シンポジウム「中世都市と職人」

シンポジウム「中世都市と職人」

全国の中世都市の状況を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の小野正敏氏より発表があり、続けて七尾、堺、豊後府内、博多と最新の発掘調査の状況について発表がありました。最後は再び小野氏によって総括されました。

各地の発掘調査によると15世紀半ばまでに成立していた都市や城下町では職人(商人)はまばらに存在し、固まって○○町などを形成することはなかったようです。また、職人は自分で作った物を自分で売っていたので商品でもあったという、職域が未分化な世界でありました。話の中では、中世の物価の話があり、とても興味深く聞きました。たとえば、発掘調査では大量に発見される「かわらけ」ですが、当時の物価で1文、大工の日当が100文といいますから、あまり高くないですね。発掘調査では「こんなに大量に見つかりました!」って物珍しそうに発表されますが、今度から見方が変わりそうです。

ちなみに、茶を飲む天目茶碗は8000文、茶の湯釜が2000文といいますから、高いものは高いですね。

能登畠山氏と能登の美術

シンポジウム終了後、七尾美術館で開催中の「能登畠山氏と能登の美術」展を見てきました。

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2008年10月05日

記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」

今日は能登畠山家創立600年事業の記念講演・シンポジウムとして「能登畠山氏と文芸の世界」が七尾市サンライフプラザで開催されました。

講演会は午後からだったので、その前に連動して開催中の特別展「能登畠山氏と文芸の世界」を見に七尾城史資料館へ行きました。関係展示はほんの数点でしたが、ここ数年の城下町遺跡の遺物展示が増えていました。

記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」

記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」

講演会は、「冷泉家の歴史の文化」と題して、冷泉家25代当主の冷泉為人氏による、冷泉家の歴史と現状に関する内容でした。

記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」

シンポジウムは和歌、連歌、猿楽という文化の視点から能登における畠山氏の役割に関するものでした。

記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」

今まであまり公家には関心がなかったので知らないことばかりでしたが、冷泉家は私が住む津幡町と非常に関係が深いのです。津幡には、能登畠山氏と関係が深く七尾を3回も訪れた6代為広の顕彰碑が津幡小学校にあり、その孫の娘が嫁に来た鳥越弘願寺も津幡川沿いにあります。知らない世界はなかなか興味深い世界でした。

投稿者 Tadashi : 21:10 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月02日

月見光路

金沢城に隣接する広坂緑地などでは、今日から金沢工大生が竹や紙で作った明かりのオブジェが夜を彩る「月見光路」イベントが始まりました。

明るいうちに撮った写真と暗くなってからのライトアップ写真を比べてご覧ください。明かりのオブジェの向こうにライトアップされた本丸高石垣が幻想的です。

月見光路

月見光路

月見光路

月見光路

月見光路

月見光路

他に、四高記念館や21世紀美術館の前も明かりのオブジェで飾られ、建物のライトアップとともに非常にきれいでした。木曜日の今日は初日ということもあってか、人もまばらでした。週末の明日は大勢の人出でしょうね。

月見光路

月見光路

金沢城のライトアップは通常のライトアップと変わりませんでしたが、橋爪門前の堀は日中に清掃したおかげで水面にきれいに映り込んでいました。

月見光路

投稿者 Tadashi : 20:25 | コメント (0) | トラックバック

金沢城河北門復元のいま

秋晴れのなか、今日の夜からライトアップイベントが始まるということで、朝その準備の様子と河北門復元の現状を確認するために、金沢城へ赴きました。

金沢城河北門復元

金沢城二の門の囲いにはかなり屋根が掛けられてきました。

金沢城河北門復元

二の門入口の木工事は少し進んだようですが・・・

金沢城河北門復元

今のメイン工事は一の門横のニラミ台櫓石垣ですね。急ピッチで石垣が積まれ、行く度に段数が高くなります。

金沢城河北門復元

また、石川門二の門はすっかりと足場に囲まれていました。

金沢城石川門修復

金沢城石川門修復

今日は城内で珍しい光景を見ることができました。これから始まる本格的な行楽シーズンに向けて、城内の堀の清掃作業と石垣の除草作業を見ることができました。ロープ1本で石垣を下りながら草を取る作業は見ていても大変そうでした。滑るので数日晴れた日でないとできないのでしょうね。

金沢城

金沢城

投稿者 Tadashi : 09:58 | コメント (0) | トラックバック