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2008年11月27日

金沢検定の結果届く 残念来年こそは!

金沢検定通知

昨日ネットではいち早く合格発表があったが、今日結果が届きました。

ほぼ予想通りの67点。解答とともに届きました。

今年は現役世代初の40代の上級合格者も出ました。といっても3回でまだ7人です。上級合格者は、タクシー運転手と観光ボランティアまいどさん、そして検察事務官の方が49歳で合格し、早速今朝の新聞にインタビューが出ていました。

大きく合格率の下がった初級では15歳の最年少での合格者が出ました。中級は昨年並みの30.7%の合格率だったので、来年こそはしっかり勉強して臨めるように頑張りましょうか。

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2008年11月23日

江戸城本丸の模写絵ギリシャに

江戸時代の狩野派を代表する絵師、狩野探幽(1602-74年)が描き、同時代初期に江戸城本丸を飾ったびょうぶ絵「野馬図」を後世の狩野派の絵師が書き写した絵が、ギリシャ北西部コルフ島のアジア美術館に保管されていることが22日までに明らかになった。今年7月、同美術館を訪れた河合正朝慶応大学名誉教授ら国際学術調査団が発見した。

探幽の絵については、江戸城にあったことは知られていたが、後に焼失したとみられ、どのような図柄であるかなどは分かっていなかった。研究者らは江戸時代の狩野派の活動を知る上で一級の資料と評価している。(北國新聞2008年11月23日付記事より)

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2008年11月22日

前田家墓所国史跡に

文化審議会は21日、金沢市の前田家墓所と、高岡市の前田利長墓所をまとめて「加賀藩主前田家墓所」として国史跡に指定するように塩谷立文部科学相に答申した。早ければ来年一月にも答申通りに指定される。文化庁によると、県境を越えた複数の地域・施設が一括して国史跡に指定されるのは石川、富山県内で初めてで、全国でも十六例目(特別史跡含む)という。

加賀藩主前田家墓所は、金沢市の野田山墓地にある加賀藩の歴代藩主や正室、側室らの墓八十基と、高岡市関にある二代藩主利長の墓で後世される。全国の近世大名の墓所でも有数の規模で、良好な状態で保存されており、江戸時代最大の大名にふさわしい風格を備えている。(北國新聞2008年11月22日付記事より)

投稿者 Tadashi : 17:25 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月19日

金沢城河北門復元 記名会参加証がようやく届く!

金沢城河北門復元 記名会参加証

当初12月初旬に開催予定であった金沢城河北門の壁板と瓦の寄進記名会でしたが、真柄問題も影響したのか、1か月程遅れてようやく参加証が届きました。

記名会日時は来年の1月10日土曜日と決定しました。当然雪も予想されるため、会場は五十間長屋となっています。実際には壁板や瓦が使用される河北門とは離れており、こんな機会だからこそぜひ工事現場に入れて欲しかったですが・・・寄進のし甲斐がないですね。イベントも意外に目立たずひっそりと行われるのかも。

まだ何を書くか考えていませんが、とにもかくにも楽しみです。

投稿者 Tadashi : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月18日

辰巳用水三段石垣、構築時期推定へ

金沢市は18日から、上辰巳町の犀川に面した斜面にあり、最上段に辰巳用水が流れる三段石垣の発掘調査を開始する。二週間程度をかけ、最上段の平坦部と、下段の基礎部の計2カ所を掘り起こして地層や遺物の有無を調べ、石垣の構築時期を推定し、辰巳用水の史跡指定に弾みを付ける。

三段石垣は辰巳用水の景観を収めた最古の資料「文化六年辰巳用水絵図」に描かれているが、築造に関する資料は見つかっていない。今回の調査では、石垣周辺の堆積土砂の状況や、石垣築造の土木技術を確かめるほか、道具などの遺物からも構築時期を推定する。(北國新聞2008年11月18日付記事より)

投稿者 Tadashi : 16:56 | コメント (0) | トラックバック

金沢城の石垣回廊 「鼠多門コース」完成

金沢城公園で17日、いもり坂口から旧県体育館下の石垣前を経由し、県営丸の内駐車場に至る「鼠多門コース」が完成した。石垣回廊のコースが市道に沿って整備されるのは初めてで、加賀藩の石工技術がより身近なものとなる。

新コースは延長約450メートルで、板を渡した木橋も設けた。昨年度に積み直しが完了した県体育館下の玉泉丸南西石垣、鼠多門続櫓台石垣、鼠多門周辺で、玉泉院丸と金谷出丸(現在の尾山神社境内)を結ぶ木橋が架けられていた石垣が見どころとなる。

石垣回廊は2001年度に城内ルートが完成。城内外の連絡ルートや外周ルートであるいもり堀、玉泉院丸、薪の丸、三十間長屋コースが順に供用している。県は来年度、丸の内駐車場から大手門、石川門下、百閒掘の各石垣で案内板を設け、回廊全体を完成させる方針だ。(北國新聞2008年11月18日付記事より)

以下は、11月8日現在の鼠多門コースの工事現場の様子です。

工事中の鼠多門コース

工事中の鼠多門コース

工事中の鼠多門コース

工事中の鼠多門コース

投稿者 Tadashi : 16:35 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月16日

近江の旅 坂本城・大溝城

朝から生憎の雨模様ですが、出発の前にホテル近くの草津宿を見てきました。藩政期の宿場であった草津宿は本陣と脇本陣が残っていますが、草津市役所近いという立地上、開発が進み通りは当時の面影はありません。

草津宿

草津宿

草津宿

ホテルをあとにして大津市歴史博物館へとやってきました。開催中の企画展「かわら-瓦からみた大津史-」を見るためですが、ちらしなどは寺院に使用された瓦が中心ですが、展示では大津市にあった坂本城・大津城・膳所城の瓦も展示されていました。

大津市歴史博物館

博物館を出発して、琵琶湖西岸を北上する途中、坂本城址の石碑を見つけました。今まで何度か通っているはずなのですが、見つけられなかった場所であったので、今回予定にはなかったのですが早速探索です。

坂本城

坂本城

湖岸の発掘調査地区を史跡公園として整備されています。公園からは琵琶湖を臨み、天候が良ければ見晴らしが良いところです。公園内には明智光秀の石像が立っています。

坂本城

帰ろうかと思っていましたが、道路の向かい側に寺が見えたので少し周辺を散策しました。

坂本城

国道から一本入った道路は旧坂本城下町の道であり、まっすぐでないところが当時のままである印象を受けました。

坂本城

少し歩いていると交差点で、別の坂本城址の石碑を見つけました。こちらが昔からある石碑でよく坂本城の紹介写真で見るものです。あたりはきれいに整備され、先の史跡公園までの道が舗装されています。周辺には寺が三軒ありました。この辺りが坂本城下町の寺町であったのでしょう。通りの奥に見えるのは東南寺です。

さらに湖岸を北上すると、道路沿いに聖衆来迎寺があります。ここの表門は旧坂本城から移築されたといわれています。

聖衆来迎寺

聖衆来迎寺

境内は予想以上に広大なもので、そこに森蘭丸の父、森可成の墓がありました。坂本は織田信長による比叡山焼き討ちの被害にあった場所のひとつですが、聖衆来迎寺は有力家臣の森氏の墓所であったために難を逃れたため、多くの寺宝が残っているそうです。

聖衆来迎寺

坂本からさらに北上です。琵琶湖大橋より北側を車で走るのは初めてです。目的地は高島町の大溝城です。

大溝城

JR高島駅近くにあるのが大溝城です。乙女ヶ池はかつての大溝城の惣構の一部です。

大溝城

現在残る遺構は天守石垣台のみです。平成8年に町指定文化財になったという石垣は当時整備されたものと思われますが、現在は少し荒れた感じを受けました。道路から奥にあり、建物などに囲まれている環境も観光地としてはあまりいい環境とは言えませんね。

大溝城

道路沿いの老人福祉施設の敷地がかつての三の丸跡で、案内の石碑が立っています。

大溝城

城下町は近世の分部氏時代のものですが、それでも残された遺構はほとんどなく、城関連建造物としては総門(惣門)が唯一の遺構です。その総門もかなり改築をうけて、外観以外にその面影は薄くなっています。

大溝城

町割りはかなり残されている様子ではありますが、武家屋敷もこの笠井家のみのようで、敷地に残る生垣や囲いにわずかに面影を残すだけで、建物は屋根もふき替えられ、増改築も数回行われたようで、観光用の看板は立っているものの、指定文化財にするには難しい状況です。

市内には古い建物が数件残っており、この造り酒屋の建物もかなり古いもののように見受けられました。かつてはかなりの賑わいを見せた城下町であったのでしょうが、現在は・・・、城下町として宣伝するには目玉がないですね。

大溝城

高島を後にして、さらに北上してぐるっと回って長浜にやってきました。現在開催中の特別展「戦国大名浅井氏と北近江」を見るためです。平成の合併前の展示は長浜城下や秀吉が中心でしたが、浅井町を合併して、最近は浅井氏に関する展示が増えました。今回も浅井三代に関する展示でした。

長浜城

長浜城

長浜市は現在、浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹に関する大河ドラマ誘致を盛んにやっています。近年では「功名が辻」で多くの観光客が訪れました。もしドラマ化が決定すれば、また多くの人が訪れることになるのでしょうね。

投稿者 Tadashi : 22:04 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月15日

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」に参加しました

風邪気味な体調をおして、楽しみにしていたイベントに参加するために安土町にやってきました。紅葉真っ只中冬もすぐだというのに安土城考古博物館の前にはひまわり!?が咲き誇っていました。

今回のイベントは同博物館で開催中の特別展「天下人を祀る」の鑑賞と、裏にそびえる観音寺山の散策です。

安土城考古博物館

特別展「天下人を祀る」

特別展鑑賞の前に、観音寺城の調査概要の説明がありました。今回は120名の参加ということで、非常に関心が高いです。滋賀県教育委員会では昨年度まで安土城跡の発掘調査を(18年間)実施し、来年度までに報告書をまとめる予定ですが、今年度から4年計画で観音寺城の石垣遺構の現況調査と一部発掘調査を行う予定とのことです。

特別展「天下人を祀る」

展示のほうは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、3人の天下人が「神」として祀られる経緯に関する内容で、秀吉の豊国神社、家康の東照宮はよく知られた存在ですが、信長は・・・私も知りませんでしたが、建勲神社に祀られているそうです。

信長の神格化は直系の後継者がいなかったこともあり、かなり遅れて明治になってからだそうですが、それは明治政府が反徳川の象徴として、子孫の居た天童藩と天皇の膝元京都で神社を建立したことに始まるようです。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

昼食後12時過ぎに博物館前に集まっていよいよ出発です。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

今回のコースは、「桑実寺」→「伝本丸」→「伝平井丸」→「今年度発掘現場」→「観音正寺」→「伝布施淡路丸」→「大土塁」→「繖山三角点」→博物館となります。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

桑実寺の山門で説明を受けているときに雨がパラパラと降りましたが、後は天候が持ちました。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

桑実寺を出ていよいよ本丸を目指します。風邪気味の体が重いです・・・

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

伝本丸で説明を受けました。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

観音正寺の境内は紅葉の真っ只中で、とてもきれいでした。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

伝布施淡路丸へは初めて行きましたが、立派な石垣が郭を巡るように残っており、見ごたえがあります。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

少し戻り、繖山で最も高い場所である三角点を目指します。途中佐々木城址の石碑の場所を教えていただきました。(道から少し入るのでわかりにくい場所です)

ここからの道は1人がやっと通れる山道を進みます。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

三角点にようやく到着しましたが、ここからの眺めは最高ですね。雨が降ったために霧がかっていたのが残念でした。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

三角点から博物館までの道は永延と下りでした。これがまたきつかった。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

しかし、途中眼下に安土山を鳥瞰することができ、すっきりと晴れた日にもう一度ぜひ見たいと思わせる景色でした。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

帰ってきた頃には風邪は少し治ったような感じでしたが、気のせいだったようで・・・。来年もまた予定を空けて参加したいです。

投稿者 Tadashi : 22:57 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月12日

映画レッドクリフ パート1

映画レッドクリフ パート1

今日は仕事を終えて映画館へレイトショーを見に行きました。久しく映画は見ていなかったのですが、最近よく「レッドクリフ」のCMを見るので、どんな洋画かと思っていましたが三国志だというので、「レッドクリフ=赤壁」か、ということでやっと繋がりました。

今までいくつもの映像化された三国志を見ましたが、どれもピンと来ませんでしたが、さすがに総制作費100億円のハリウッド映画だけあって、迫力ある映像は文句のつけようがないですね。

欲を言えば、関羽と超雲のイメージがちょっと違う。こちらは地元中国制作ドラマのほうがぴったりでした。一回で終わらないということはまた三部作か?と思ったら、前後編二部作ということで、赤壁周辺の事件しかやらないようです。後編は4月ということで、前売券を買って楽しみに待ちましょうか。

投稿者 Tadashi : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

虚空蔵山に散策路 交流人口拡大、活性化狙う

能美市の市民グループ「能美の里ファン倶楽部」は16日、同市和気町の虚空蔵山にある中世の山城跡と城主の菩提寺跡などを結ぶ散策路の整備に乗り出す。同山周辺では市が中山間地と都市部の住民が触れ合う里山公園の整備を計画しており、歴史ロマン漂う道を新たに設けることで交流人口を拡大し、周辺地域の活性化につなげる。

散策路を整備するのは虚空蔵山城址から城主の菩提寺である徳山寺の跡地に至る約1.3キロ区間。年内の完成を目指す。市立博物館などによると、同城は戦国期、一向一揆の拠点となっており、金剛寺行松らが城主を務めたが、織田信長勢に滅ぼされたとされる。周辺には落城の際に戦死した武士を埋葬した「群集墳墓」があり、散策路は墳墓を見学できるように設ける。城址から徳山町のいしかわ動物園を結ぶルートの整備も予定している。(北國新聞2008年11月12日付記事より)

投稿者 Tadashi : 17:09 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月09日

金沢検定 中級に挑戦!

曇りがちな天候の中、第4回金沢検定が実施されました。会場はいつも同じ金沢大学を選択しましたが、校舎が昨年よりも遠かったので着いたときはぎりぎりになってしまいました。

金沢検定 中級に挑戦!

校舎に入ってから教室までも随分遠く、初めて入ったところでしたが、立派な校舎を建てたものだと思いましたが、ゆっくり見てる時間もないので、足早に教室を探します。

中級の会場となる教室は定員50人です。

金沢検定 中級に挑戦!

すでに会場入りした中級受験者たちは初級とは違い、参考書をめくっている人はほとんどいません。余裕なのか?諦めなのか?やはり全体的に年齢層は高いようです。

金沢検定 中級に挑戦!

新聞報道によると、今回は過去最多の3051人が受験(上級107人、中級482人、初級2462人)したようで、上級は初めて100人を超えました。年齢層も幅広く、ジュニア検定からステップアップする小学生もおり、確実に金沢に広がっているようです。

今回は試験勉強の時間がほとんどとれず、日頃の成果を試すのみでしたが、やはり不得意な文学と伝統工芸分野は難しく、来年再挑戦!ですね。

ちなみに結果は今月末までに郵送されるそうです。60点台かな?

投稿者 Tadashi : 22:42 | コメント (0) | トラックバック

石川門 オレンジ色にライトアップ

児童虐待防止を訴えるオレンジ・リボンキャンペーンが8日行われ、金沢城石川門がイメージカラーのオレンジ色にライトアップされた。キャンペーンは、11月の児童虐待防止推進月間にあわせて行われた。(北國新聞2008年11月9日付記事より)

石川門 オレンジ色にライトアップ

ライトアップされたのは石川櫓の東側1基のみでした。写真の櫓正面のライトと側面のライトの色が違うことが分かるでしょうか?

投稿者 Tadashi : 15:35 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月08日

金沢城河北門復元 二の門櫓の隅柱立つ!

現場説明会のあと、河北門の復元の様子を見に行きました。

金沢城河北門復元

今日は運良く二の門櫓の隅柱を立てていました。三隅はすでに立てられており、東北の隅柱が最後でした。クレーンで柱材を持ち上げ、慎重に慎重にはめ込みます。釘を使用しない工法を採用しているので、最後は木槌で叩いてはめていきます。

金沢城河北門復元

金沢城河北門復元

金沢城河北門復元

結局最後まで見て20分ほどいたでしょうか。貴重な場面を見学できました。

金沢城河北門復元

今日は金沢城と兼六園がライトアップされる日でもありました。夜景はなかなか上手く撮ることができません。それでも何十枚も撮ってくれば数枚はいいものがありました。金沢城石川門櫓は昨年に引き続き、1日限りのオレンジライトアップでした。

兼六園ライトアップ

金沢城ライトアップ

投稿者 Tadashi : 18:50 | コメント (0) | トラックバック

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

先日の新聞報道にあった「金沢城跡埋蔵文化財確認調査現地説明会」に行ってきました。ここ金沢城本丸の北側斜面の発掘調査は昨年度から続いていますが、昨年度は発表するほどの成果が得られなかったため見送りとなり、今年度は本丸庭園跡と考えられる成果が見つかったので今日の現地説明会となりました。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

10時ちょうどに着いたものの、怪しい天候と強風により3分前に始まってしまっていました。最近の金沢城の現場説明会には毎回80名ほどの人が集まりますが、今日もやはりそのくらい居たでしょうか。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

今回の成果の第一はこの石です。明らかに人によって加工された跡が見られます。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

他の目立つ遺物はこの2点ですが、この場所は平たい石が多く出る場所で、それは石垣の栗石などとは違う趣があるようです。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

この場所は明治の陸軍管轄時代に掘削された部分であり、そのため、上から掘り下げる必要なく断面を発掘できる場所と特徴上今回の成果につながりました。文献のほとんどない初期金沢城の解明につながることが期待されます。

投稿者 Tadashi : 18:04 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月06日

金沢城最古の庭園遺構

石川県金沢城調査研究所は5日、金沢城跡の本丸北側で、1621-31年の間に造られたとみられる庭園の遺構を確認したと発表した。1634(寛永11)年から作庭された玉泉院丸庭園より古く、城内の庭園の遺構としては最古となる。泉水(池)跡とみられる皿状のくぼみや、泉水の護岸に置かれたとみられる自然石、石造物などが見つかった。同研究所では、初期の本丸の土地利用を知る貴重な手掛かりの一つになるとしている。(北国新聞2008年11月6日付記事から)

投稿者 Tadashi : 22:28 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月05日

金沢城 いもり堀の水堀化工事が始まる

地元新聞に昨日から始まった宮守(いもり)堀の水堀化工事の記事が載っていたので、早速様子を見てきました。

金沢城 いもり堀の水堀化工事が始まる

工事現場を囲う柵はまだ4分の1以下です。当然まだ穴は全然掘られていません。

金沢城 いもり堀の水堀化工事が始まる

金沢城 いもり堀の水堀化工事が始まる

作業員の方が懸命に作業を続けていますが、こんなに低い囲いでいいのでしょうか?それとも周りにまだ高い壁が立つのかな?

金沢城 いもり堀の水堀化工事が始まる

金沢城 いもり堀の水堀化工事が始まる

中央付近に囲いのへこんだ部分があり、ここが見学台が立つ場所のようです。鯉喉櫓台からは少し遠いですね。見学台よりは辰巳櫓跡から覗いたほうがよく見えるかもしれません。

金沢城 いもり堀の水堀化工事が始まる

水堀化はまだまだ始まったばかり。金沢城では河北門復元整備工事や石川門修復工事もやっており、工事ばかりで観光客の皆さまには写真映えしない風景ばかりですが、完成したら見どころ盛り沢山になりますよ!

投稿者 Tadashi : 22:48 | コメント (0) | トラックバック

金沢城宮守堀水堀化へ工事に着手

金沢城第二期復元整備事業で4日、石川県は宮守(いもり)堀の水堀化工事に着手した。工事現場を高さ約1.2mのフェンスで囲み、今月中旬から掘削に入る。石川県はパネル板も備えた見学スペースを設け、県民や観光客に水堀の復元経過を見てもらう。

宮守堀は城の外縁部の旧県庁舎側に位置する。現在の地表から約3m掘り下げ、鯉喉櫓台から中央消防署広阪出張所跡地付近までの延長約230mに幅15-16m、水深1.5-1.8mの堀を造る計画で、2010年春の完成を目指す。(北国新聞2008年11月5日付記事)

投稿者 Tadashi : 22:18 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月03日

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

昨日のこまちなみ探訪会に引き続き、今日は惣構堀探訪会に参加します。

集合場所は金沢市庁舎南分室です。まずは金沢工業大学教授の増田達男氏による講義を聞きました。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

「城下町金沢の惣構堀について」と題して、惣構の成り立ちから現在の状況までわかりやすく説明を受けました。増田氏は古地図と現在地図を重ねる手法で、残存部分の研究をしています。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

1時間ほどの講義ののち、いよいよ出発です。コースは「西外惣構」を柿木畠、香林坊と進み、「西内惣構」を尾山神社前、十間町、尾山町、新町と進んで、「東内惣構」の枯木橋詰遺構で解散となります。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

新町ではNTT病院の敷地内に入り、西内惣構の堀を見ました。こんなところに残っているなんて今日初めて知りました。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

有意義な散策会でした。しかし、惣構の散策は西惣構が多く、東惣構がないのは何故でしょうか?見どころは確かに西惣構のほうが多いのですが・・・今度はぜひ東惣構をお願いします!

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2008年11月02日

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

金沢市では国の「文化財保護強調週間(11月1日~7日)」に合わせ、「金沢歴史遺産探訪月間」と称して初めての行事を開催しています。京都では秋の未公開寺院公開として以前からあるイベントですが、金沢市はようやくという感じですね。

今日は「伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会」として東山周辺を巡ります。朝から怪しい天候でしたが、終了までなんとかもちました。

集合は東山河岸緑地で、ここには昭和30年代まで東茶屋街の演舞場であったようです。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

東茶屋街は藩政期には塀によって囲まれた新しく区画整理された地域で、西と東に木戸があったようです。写真の絵はその頃の様子を描いたものです。木戸や賑わっている様子がよく分かります。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

「東山ひがし伝統的建造物群保存地区」を通り、宝泉寺へ向かいます。連休の東茶屋街は多くの人出でした。「伝統的建造物群保存地区」として登録されている茶屋街は全国で4つ。京都の祇園、今ちりとてちんで注目されている小浜、残り2つが金沢市の東山ひがしと主計町です。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

高台にある宝泉寺からは「観音寺町こまちなみ保存地域」と「東山ひがし伝統的建造物群保存地区」を見下ろすことができます。右側の直線道路沿いが東山ひがし、左側の直線道路沿いが観音寺町こまちなみです。左奥に浅野川大橋が見えます。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

ここからは遠く金沢城を望むことができ、河北門の工事現場も見えます。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

そこから中の橋を渡って、「主計町伝統的建造物群保存地区」を通りました。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

新町の久保市乙剣宮神社にて、「旧新町こまちなみ保存区域」と「旧彦三一番丁・母衣町こまちなみ保存区域」の説明を聞きました。この地区は町並みがそろっているという感じはしないのですが、所々に保存建物が残っています。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

最後に、彦三町の野坂家前にて説明を受けて、彦三緑地にて解散となりました。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

下の写真は作家の五木寛之氏によって命名された「あかり坂」です。主計町から久保市乙剣宮神社に続く「暗がり坂」の1本東側の坂ですが、参加者からはあかり坂のほうが暗いという意見も・・・。しばらくするとこちらにもまちしるべ標柱が立つようですよ。

伝統的建造物群保存地区・こまちなみ保存区域探訪会

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金沢城河北門復元 冬支度は万全

金沢市教育委員会の開催するイベントに参加するために、市内へ出かけるついでにしばらく行っていなかった金沢城の様子を見てきました。

金沢城河北門復元

現在は二の門の囲いはすっかりとできていて、すっぽりと被さり、冬でも木工事を進める準備が整いました。ふと横に目をやると、一の門に隣接するニラミ櫓台の石垣はすっかり積み終わっていました。完成すると新丸方角からの見栄えが良くなりますね。

金沢城河北門復元

積み方をしばし観察していると、北側の新丸方向はすでにある野面積みからうまく打ち込み接ぎに変化して上段まで積まれています。隅石は切石でぴったり積まれていて、東側の内側は一の門のある東側が切り込み接ぎ、南側は打ち込み接ぎで積まれ、1つの櫓台石垣で様々な積み方を見ることができそうです。

金沢城河北門復元

初めて大きく伸びた見学台に入りました。工事現場なのでヘルメット着用です。今日は休日で作業もしていなかったので、ブルーシートがかけられ、石垣台上の木工事も始まっていなかったので、しばらくは入っても寂しいかもしれません。

金沢城河北門復元

金沢城河北門復元

金沢城河北門復元

金沢城河北門復元

集合場所へ向かう途中、まだ時間があったので寺島蔵人邸跡へ行きました。何度も金沢には行っていますが初めて行きました。

寺島蔵人邸跡

寺島蔵人邸跡

庭には背の高いドウダンツツジがまだまだ紅葉し始めで、今月下旬にツツジのオレンジともみじの赤がすばらしいコントラストとなるようです。しかし、この庭も藩政期はなく、屋敷が続いていたようです。

寺島蔵人邸跡

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2008年11月01日

加賀藩塩硝蔵の規模解明へ

藩政期の加賀藩の軍事施設「土清水塩硝蔵」の発掘調査が31日、金沢市涌波町の休耕果樹園で再開した。昨年の市の調査では、火薬原料となる塩硝(硝石)を保存する蔵「硝石御土蔵」の基礎跡の一部と堀の痕跡と見られる遺構を確認。今年は1ヶ月ほどの調査で御土蔵の規模を確定を目指す。市では将来の国の史跡指定や復元整備の足掛かりとする。(2008年11月1日付記事)

今日から金沢市では9例目となる旧町名「南町」が復活しました。塩硝蔵跡は昨日偶然見に行ったばかりで始まったばかりだったとは運が良いです。

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