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2009年03月31日

NHK教育 知る楽 県境の謎を行く

今日は年度末ということで、マスコミは番組改編期である。この3月は不況下ということもあって、人気番組を含めて多くの番組が終了や移動に決まったが、明日から4月なのであるが、今週からすでに次期番組が始まっているところもある。

そのひとつを今日を紹介する。NHK教育テレビの22時25分から放送している「知る楽」。

大体3、4回で終了するシリーズなのだが、4月の火曜日は「県境の謎を行く」というテーマで全4回放送される。

第1回 “多国”県の陰に国策あり
第2回 不合理なる分断線
第3回 137年目 湖上の決着
第4回 “完全飛び地”の誇り

昨年は『知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎』というベストセラーなども生まれ、一部で盛り上がっていたテーマでもあるので、興味深く今シリーズを楽しみたいと思う。

投稿者 Tadashi : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月28日

春はもうすぐ

梅

この一週間寒さが戻ってきていましたが、今日はまた暖かい日となりました。風はまだ肌寒いですが、春ももうすぐですね。庭木の梅はつぼみのまま、今か今かと春を待っています。

投稿者 Tadashi : 18:03 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月23日

Internet EXplorer 8 正式版の配布始まる

マイクロソフトは18日米国を皮切りにInternet EXplorer 8正式版の配布を始めた。日本では20日から配布が始まっている。

今回は、IE7に便利な追加機能を付加しながら、実行速度は速くなっている。

インストール可能環境としては、Windows XP、Windows Vista、Windows Server 2003、Windows Server 2008の各々32ビット版、64ビット版が用意されている。

Internet EXplorer 8 日本語版ダウンロードサイト

投稿者 Tadashi : 13:04 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月20日

富山城跡発掘調査で水路発見

富山市埋蔵文化財センターは19日、同市の富山城址公園の発掘調査で、旧富山県庁付近に造られたと推測される石組水路が見つかったと発表した。旧県庁は1900年に建設され、前年に焼失した本丸御殿の跡地に造られたが、石組水路の存在は今回の調査まで知られていなかった。

水路は幅約70センチ、深さ約40センチで両側に石が積まれ、南側は丸石を三段程度、ほぼ垂直に積み上げているのに対し、北側は割った石の平面部分を表にして斜めに積まれていた。同センターは両岸で異なった形態の施設があった可能性を指摘している。

調査では、焼失した本丸御殿のがれきを埋めたとみられる穴も見つかった。中から変色した土壁や瓦、くぎなどが出土し、火災の激しさを物語っている。(北國新聞2009年3月20日付記事より)

投稿者 Tadashi : 10:31 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月19日

七尾城 石垣「台帳」作りへ 規模や構造細かく記録へ

七尾市教育委員会は新年度、日本五大山城に数えられる七尾城の全容解明に乗り出す。城の構造に関する絵図や古文書がなく、険しい山地に囲まれる同城には、中世の石垣や土塁などこれまで確認されていなかった構造物が現存する可能性が大きいという。新年度には、国史跡である本丸周辺の9.8ヘクタールに残る石垣の「台帳」を作り、城の全体像を把握する。

七尾城跡は1934年に国史跡に指定された。しかし本格的な測量調査が行われたのは、能登半島地震で崩壊した石垣の修復の参考とするため、市教育委員会が2007、08年度に行ったのが最初。その際、がけ地や樹木で覆われた山林に未確認の石垣や土塁が数多く残ることが判明したことから、新年度に大規模調査を実施することになった。

新年度の調査では、市教委職員が国史跡指定範囲内に加え、周囲200ヘクタールとも言われる七尾城全域を踏査し、目視で確認。その上で、石垣などを覆っている草木や土などを取り除き、その大きさや角度、構造などを細かく記録する。土中に構造物が埋まっていることが判明した場合には、レーザー測量機を用いることも検討する。(北國新聞2009年3月19日付記事より)

投稿者 Tadashi : 10:42 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月17日

全長18メートルのガンダム見たいよー

今日の地元新聞を見て、バンダイナムコグループが、「機動戦士ガンダム」のテレビシリーズ放送開始から30周年を記念して、全高18メートルの等身大ガンダムをお台場に建造することを知った。

RX-78-2 ガンダム

ガンダムは頭部が上下左右に稼働するほか、両眼、両肩の警告ライトなど約50カ所に発光ギミックを内蔵するらしいので昼も夜も楽しめそう。さらには、両胸のスリット部、足首、背中のバーニアなど14カ所にはミストを噴射するギミックを搭載する。夜間はライトアップも行われるようだ。

RX-78-2 ガンダム

期間は7月上旬から約2カ月間、東京・お台場の「潮風公園」で一般公開される。ということなのだが、立派なものを作るにしては夏休み期間のみの公開は短くないか?今年はちょうど中世城郭研究会が8月始めに東京で開催されるので、見に行くことも計画できるのではあるが、誰か買い取って半永久的に展示してもらえないものか?最近未来への夢がないし、そんなことでもあれば少しは目標を持つ人も増えるかも・・・・

投稿者 Tadashi : 22:17 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月14日

うさ ガオー!!

うさぎのうさ

ガオーーーーーーー!

うさぎのうさ

すぐに普通に戻る。

鳴かないうさぎは声は出ません。大きく口をあけるのはあくび(深呼吸)。散歩中に頭をなでる時間が終わるとひとつ吠えて走り出します。ここを一回撮りたいけど、なかなかいいショットが撮れません。

投稿者 Tadashi : 23:15 | コメント (0) | トラックバック

平成20年度鳥越一向一揆歴史館セミナー 「加賀一向一揆と山内惣荘」

平成20年度鳥越一向一揆歴史館セミナー 「加賀一向一揆と山内惣荘」

春らしい天気が続いていましたが、今週末は一転冬らしい天候です。そんな中、白山市の旧鳥越村にやってきました。鳥越一向一揆歴史館友の会総会と歴史館セミナーに参加するのが目的です。歴史館の奥に見える山は二曲城跡の本丸です。

友の会に入会してもう4年経ったでしょうか?その間に平成合併で鳥越村は白山市に合併し、歴史館も白山市の管理となりましたが、広い白山市の中ではその存在も埋没しがちであり、またご時勢もあって予算も縮小傾向にあるようです。

今年は金沢学院大学教授の東四柳史明氏を迎えて、「加賀一向一揆と山内惣荘」というテーマで、室町時代後期から織豊期にかけての鳥越を含む山内衆の動向に関する講演でした。

加賀一向一揆を単なる宗教闘争や農民階層の反乱と捉える考えが一昔はありましたが、その本質は加賀地域における権力闘争や政治闘争であったという論調が現在は主流になってきています。今日の話もそういう論調から外れることなく、そのなかで白山地域の果した役割について話があり、非常にわかりやすく知識を整理できました。

セミナーの前に、現在同館で開催中の企画展「鳥越城と山内の城郭」を見学しました。本企画展は年度をまたいで開催されるということで同館では初めてのことです。

加賀一向一揆最後の砦 鳥越城跡

到着したときは遠くの山がうっすらと雪を被っていましたが、帰りはすっかり一面雪に覆われていました。ちょっとびっくり!!

加賀一向一揆最後の砦 鳥越城跡

加賀一向一揆最後の砦 鳥越城跡

1市2町5村が合併した白山市では、合併後から重複する施設の見直しが進められていますが、資料館も現在その対象となっているようで、この友の会もあと何年続くのやら・・・

投稿者 Tadashi : 18:23 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月13日

久しぶりのうさです!

うさぎのうさ

散歩から寝床に帰ったばかりのうさ。

一時期より顔が丸くなり小さな頃のかわいさが戻ってきたよ。

投稿者 Tadashi : 00:51 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月11日

七尾市 七尾城跡取得へ協議

七尾市は新年度、国史跡「七尾城跡」の取得に向け、国、県との協議を始める。城跡はすべて私有地のため、これまで本格的な発掘調査が行われていないものの、中世の能登畠山氏が拠点とし、往時の城郭や石垣など貴重な遺構が多く残る。取得後は石垣、建造物の調査を行う方針で、将来の一部復元も視野に、全容解明を進めていく考えである。

七尾城跡は、標高約300メートルの本丸跡を中心に、総石垣造りの郭群や石垣、土塁や出城跡などが東西800メートル、南北2.5キロメートルの間の約200ヘクタールの山地に残っており、このうち9.8ヘクタールを1934(昭和9)年に国が史跡指定した。

市教育委員会によると、七尾城跡は廃藩置県後に政府から民間に払い下げられ、現在は約3分の2を地元地権者1人が所有、残りは32人が共有している。私有地のため、発掘など所有者の負担が生じる大規模な調査はほとんど行なわれていない。

市は、七尾城跡取得のため国に交付金を要請する方針で「取得できれば、中世山城の研究がさらに進むことが期待できる」としている。(北國新聞2009年3月11日付記事より)

投稿者 Tadashi : 21:21 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月09日

オリジナルどんぶりって!?

先月から東海・北陸の吉野家店舗限定でスタンプカードを配布していた。配布はすでに終了しているが、10個貯まると「オリジナルどんぶり」ということで今日から提供されたのだが・・・

オリジナルどんぶり

店に入って、「オリジナルどんぶり」と「みそ汁」と注文すると、

「みそ汁だけでよろしいですか?」

と聞き返された。しばらく押し問答した結果、ようやくオリジナルどんぶりが「どんぶり」そのものであり、「牛丼」「豚丼」の類ではないことがわかった。赤っ恥です。

スタンプカードには確かに6個で「牛丼並盛1杯」、10個で「オリジナルどんぶり1つ」って単位が違うではないか。紛らわしい・・・。てっきり「牛と豚のミックス丼」とか食べれるものかと思っていました。

オリジナルどんぶり

どんぶりには「吉野家」の文字が・・・。使えるものなのかどうか。今日2枚目のスタンプカードが6個になり、もう一つオリジナルどんぶりをもらうべきか、ここで牛丼並盛を食べるべきか、悩みます・・・・小さな悩みですが。

投稿者 Tadashi : 19:19 | コメント (3) | トラックバック

2009年03月08日

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

今日は午後から金沢市内へ出かけました。

まずは石川県立美術館で講演会を聞きました。「加賀藩御細工所」というテーマで嶋崎館長が、御細工所の経緯や組織、職務などについて概略を分かりやすく解説をしていただきました。総じて役職の責務に対して、その報酬は低かったようです。

その後、生涯学習センターで開催されていた石川県埋蔵文化財センター恒例の今年度の発掘報告会「いしかわを掘る」に参加しました。

今年の報告は、
三日市A遺跡(野々市町)
能美古墳群(能美市)
大泊A遺跡(七尾市)
横江荘遺跡(白山市)
松波城跡庭園跡(能登町)
七尾城跡(七尾市)
の6箇所です。

到着するとちょうど後半の横江荘遺跡の報告前でした。会場には今年も多くの人が詰め掛けています。先の講演より人数多いですね。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

今年の展示は少ないですね。大泊A遺跡と七尾城跡のパネルと七尾城跡の遺物が並べられています。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

今年は城跡関連の現場説明会は4ヵ所(金沢城跡、七尾城跡、松波城跡、二曲城)で行われましたが、金沢城跡以外は日程の都合がつかず行くことができませんでした。そのうちの2ヵ所を聞けるとあって期待していました。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

松波城跡では昭和37年に発見され、昭和55年に一部調査が行われた庭園跡周辺の発掘調査が行われ、礎石建物群と枯山水庭園遺構の調査成果が発表されました。来年度も引き続き調査が行われるようですが、松波城跡は本丸や大手の位置がはっきりしておらず、中長期的には遺構全体の調査が行われるようです。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

報告の最後は、能越自動車道建設の事前調査として、平成17年度から行われている七尾城城下町の報告でした。庄津川と大谷川に挟まれた地域は、総構の外側になり、この地域では始めての調査となりますが、多くの掘立柱建物や井戸が発見されました。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

井戸ははじめ石で覆った形で発見されることが多いようで、

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

たくさんの石が集まる部分を丁寧に取り除くと、

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

井戸が発見されることがおおいそうです。この辺りは1.5メートルほどの深さだったそうです。意外と浅い?

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

井戸の中には石積みの裏などの構造を確認するために、こうやって縦割りすることもあるそうで、一度現場で見てみたい!

投稿者 Tadashi : 20:22 | コメント (0) | トラックバック

「週刊 安土城をつくる」は新しいブログとしました

ディアゴスティーニの「週刊 安土城をつくる」は、これから日記が多くなりそうですが、他の日記に埋没してしまいそうなので、別のブログを開始しました。

他にも安土城をつくる人たちのリンク募集中!!

国盗りカウンターも新たにゼロから開始します。

国盗りカウンター

投稿者 Tadashi : 19:20 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月07日

名古屋城検定の新公式テキストが届きました

名古屋城検定公式テキスト

今日注文していた名古屋城検定の新しい公式テキストが届きました。「知れば知るほど好きになる名古屋城」と題されたテキストは昨年の「名古屋城なるほどなっとく検定」から8ページ増えています。空が印象的であった表紙から名古屋城へ。次号は誰かの銅像?

中級を受けるにしても、まずはこの初級テキストを抑えておかねばいけませんね。試験日は予告どおりの5月10日。

中級は初級より1,000円アップの3,000円の受験料がかかりますが、この金額の一線に躊躇する初級合格者たちがかなりいるような予感が・・・すでに1000人を越える受験資格者たちのうち、何人受験するのだろうか?いずれにしても私は第一回の記念すべき中級試験合格に向けて勉強だ!

いろいろとやらねばいけないことが・・・もっと時間を

投稿者 Tadashi : 01:52 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月06日

今年限り?の兼続グッズ

天地人シール

これが先日、上越天地人博のシール機で作った天地人ロゴマークのシールです。レイアウトは数十種類から選べますよ。

はろうきてぃの愛桜せんべい

売店では恒例の大河グッズが並んでいました。直江兼続の愛の兜をかぶったキティが目に付く桜せんべいと、直江兼続のご当地キティです。ご当地キティのキーホルダーはこのピンク以外に、ブルーとグリーンがあります。ペンにはゴールドもありましたが、キティはやはりピンクでしょ!今年限定キティかな?

直江兼続ご当地キティ

投稿者 Tadashi : 23:43 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月04日

見れば見るほど好きになる名古屋城

3月2日に今年の名古屋城検定が開催されることが正式に発表されました。

名古屋城検定

名古屋城検定

今回は新たに初級合格者のみ受験できる中級が加わります。公式テキスト「見れば見るほど好きになる名古屋城」も、新たに「三之丸」「家系図」「名古屋城の自然」「狩野派」と最新のニュースを加え改定されました。前年の公式テキスト「名古屋城なるほどなっとく検定」と合わせて参考書として初級には持ち込みできますよ。中級は持ち込みできないので頑張って記憶しましょう。

試験日:5月10日(日)
時 間:初級 10時30分~12時10分、中級 2時30分~4時20分
受験料:初級 2,000円、中級 3,000円
申込期間:3月3日~4月24日
会 場:名古屋国際会議場

投稿者 Tadashi : 22:32 | コメント (0) | トラックバック

七尾城跡修復委員会 石垣メーンにPRを

七尾市の第四回史跡七尾城跡石垣修復委員会は3日、同市役所で開かれた。委員である歴史、考古学専門家が二年前の能登半島地震で損壊した石垣の修復状況を現地視察し、「七尾城の特徴は石垣。これをメーンにきちんと調査し、もっとPRしていくべき」などとアドバイスした。

国史跡の七尾城跡は、能登半島地震で本丸登り口と桜馬場最下段の二カ所の石垣が一部崩壊した。市は昨年四月に金沢学院大の橋本澄夫名誉教授や東四柳史明教授ら四氏を委員に迎えて同委員会を発足し、往時の工法を採り入れて昨年九月に修復が完成した。この日は委員が修復された石垣を見て回った後、市役所で修復工事や発掘調査などについて協議した、委員からは「埋もれている石垣もきちんと調査を」「市役所に七尾城調査室をつくって継続調査をしていくべき」などの意見が上がった。(北國新聞2009年3月4日付記事より)

投稿者 Tadashi : 21:47 | コメント (0) | トラックバック

親鸞聖人の流刑地 上越五智地区

親鸞聖人上陸の地 居多ヶ浜

北陸には親鸞聖人の関係する地域や伝承が非常に多いですが、上越市にも多くの関連地があります。ここは流刑となった聖人の上陸地「居多ヶ浜」です。

親鸞聖人上陸の地 居多ヶ浜

鏡ヶ池

次の地は「鏡ヶ池」です。親鸞は7年この地で過ごし、罪を許されて関東へ旅立つとき、信者のためにこの池に姿を映して木像を刻んだと言われているそうです。

五智国分寺

奈良時代に越後にあった国分寺は戦乱により焼失し、上杉謙信により現在地に再興されたといわれています。境内には親鸞の服役した草庵址があります。

服役小屋(草庵)址

光源寺

五智国分寺から少し歩くと、「光源寺」があり、本堂の裏に、武田信玄と激しく争った信濃の武将村上義清建立の供養塔がひっそりと立っています。場所がわかりにくく、近くの住民に案内していただきました。

村上義清建立供養塔

養爺清水

五智国分寺の東側には「養爺清水」が沸き出ています。地域の住民の方に話を聞くと、今でも散歩がてら飲みにきたり、茶道や米とぎ水として使われているそうです。

居多神社

越後一の宮である居多神社もこの地域にあります。ここの宮司は上杉謙信公の多数の著書でも知られる花ヶ前盛明氏です。自身の著書もサイン入りで販売していましたよ。思わず一冊買ってしまいました。

居多神社

社殿は最近建て替えられたようで真新しいですが、一の宮といえば、地元石川では気多大社や白山比咩神社などを想像してしまいますので、比べるとコンパクトな感じを受けました。

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2009年03月03日

御館の乱と川中島合戦

御館

直江津駅に程近い住宅地の中に御館跡あります。現在は御館公園となっている場所から、以前の発掘調査のときに遺物が見つかりました。数組の親子がくつろぐ公園ですが、昨年整備された解説板と、以前から立っている石碑以外は何もないところです。

御館

十念寺

次は十念寺です。ここは浄土宗のお寺ですが、上杉謙信が川中島合戦のときに戦火を避けるために信濃善光寺から仏像等を当寺に移したそうです。

十念寺

正面の蛙股や木鼻の彫刻が繊細です。上越市指定文化財になっている鎌倉時代の五輪塔もありますよ。

十念寺

投稿者 Tadashi : 23:08 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月02日

越後上越天地人博

越後上越天地人博

日曜日は講演会の後、上越市にやってきました。直江津屋台会館で開催中の「天地人博」を見に来ました。

越後上越天地人博

ここの目玉は「けんけんず」です。「謙信くん」の「けん」、「兼続くん」の「けん」(音読み?)、そして犬の「けんけん」の「けん」です。入口からけんけんずが出迎えます。

越後上越天地人博

越後上越天地人博

そして1日2回のけんけんず登場の時間です。今日は日曜日なので3人とも登場しました。皆さん列を作って記念撮影を待っています。

越後上越天地人博

大の大人が1人で記念撮影に参加するのは恥かしいので、自分は脇にあったシール作成機で記念シールを作りました。

越後上越天地人博

投稿者 Tadashi : 22:49 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月01日

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

良い天気になりました。今日は妙高市新井ふれあい会館で開催される講演会のためにやってきました。鮫ケ尾城跡国指定記念講演会は昨年8月1日の「鮫ヶ尾城跡と直江兼続の生きた時代」に続いて2回目となります。

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

朝9時半の開場にもかかわらず大勢の人がすでに集まっていましたので、10分早く開場しました。400人の定員に対してほぼ満席になったのは、タイムリーな大河ドラマ放映とともに、本日講師となった静岡大学の小和田哲男氏の人気のためのあるのでしょう。

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

小和田氏は今回のNHK大河「天地人」の時代考証も務めており、「鮫ケ尾城が備えた二つの戦い 川中島合戦と御館の乱」という副題は、今日の夜は謙信の死を想定して、小和田氏自身の指定日だったということで、ベストタイミングです。

そういえば、小和田氏はこの3月で静岡大学を定年退職だとか、そうなるとテレビや執筆による露出は減ってしまうのでしょうか?そうであるならば非常に残念です。

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

今日の講演も、テレビ出演時と同じく丁寧な分かりやすい話で、大河ドラマの時代考証の舞台裏や、川中島合戦における山城の役割の話、御館の乱の勝敗の要因などを講演いただきました。本当に面白かったです。

上杉家VS織田家による魚津城合戦の上杉方の自刃に際して「城を枕に討ち死にする」という例えについて、地元石川の末森城合戦の話が出てきたことには驚きましたが、本能寺の変の翌日に、この魚津城を柴田勝家が落としたことが、後日主君の死を知った時点でまだ城を落としていなかった羽柴秀吉に負けた理由のひとつだったとは、新しい視点でした。柴田は攻めは強くても引き際は下手だったようで、魚津城を取り返しに動いていた上杉景勝を背にしては退却できず、この影響は賤ヶ岳合戦においても佐々成政を上杉防衛のために越中に在城させざるを得なかったことで、まだまだ引きずっていました。上杉景勝のこの影の助力に、後の太閤秀吉は五大老という地位をもって報いたのです。

投稿者 Tadashi : 23:20 | コメント (0) | トラックバック

暖冬を実感

妙高市の眺望

昨晩は新井SAのホテルに宿泊しました。到着したときは暗くなっていたのでよく見えませんでしたが、朝良い天候のなか遠くを眺めてみると、雪を被っている山はほとんどありません。

写真は妙高山方面です。他の山や平野部も道路脇に少しの雪が残るのみ。スノボー目当てでない今回の旅行に当たっては移動も楽で嬉しい限りであるが、こうも雪が少ないと今夏の水不足が今から心配です。

投稿者 Tadashi : 07:47 | コメント (0) | トラックバック

金沢城 石川門保存修理工事

石川門保存修理工事

河北門説明会のあと、前回同様に現在修理工事している石川門のほうへ。

石川門保存修理工事

こちらは控柱も立ち並び、漆喰塗りを待つばかりです。

石川門保存修理工事

と思っていたら、もう始まっていました。漆喰塗りのいろいろな工程を一度に見る事ができて幸せでした。参加者からは右から塗っている職人に、「『左官』なのに『右官』になっている」との指摘も!作業は右からから始まったので仕方ないのだという職人に、右利きの場合は左から右に塗るのがきれいに仕上がるので、「左官」という名の由来はそういうところにあるだという説明があり、実に奥深いです。

石川門保存修理工事

石川門保存修理工事

石川門保存修理工事

別の場所では控柱の養生がはずされている部分もあり、はっきりと形状が確認できます。以前は下の写真のように斜めだったのが直角になりました。木材の根腐れを防ぐため根元は石を使っています。

石川門保存修理工事

石川門保存修理工事

現場には見慣れぬ石碑が・・・。金沢大学移転の記念碑のようです。まだしばらくは工事現場のなかで、一般の方の目には触れる機会はありませんね。

石川門保存修理工事

石川門の二の門の工事足場が外されて、塗り替えられた真新しい漆喰塗りの櫓が姿を現しました。

石川門保存修理工事

隣の壁と比べるとよく分かりますね。

石川門保存修理工事

戸の鉄金具も取り替えられて黒の威容のある姿になりましたが、一部はまだ錆びたままで取替えを待っている状態でした。まだまだ続く工事ですが、地元民としては見どころの増えることはいいことですが、いつまでも工事していることが、一元様の観光客にとっては思わぬ迷惑かも!?

投稿者 Tadashi : 00:32 | コメント (0) | トラックバック

金沢城 第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

いよいよ第2回河北門現場説明会が始まりました。今回は木工事と左官工事が一区切りついたことにより、その工事の説明が中心になります。

前回石垣工事のときは80名だった参加者は、今回50名の募集だったにもかかわらず、最終的には106名という人数に!!増えてる・・・

今回も石川県土木部営繕課の粋な計らいで申込者全員が参加することができました。今回は前回にも増して報道も多いですね。いよいよ盛り上がりをみせてきたというところでしょうが、参加者の年齢層をみると相変わらず高いようです。

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

安全のためヘルメットをかぶり、工事用足場を上って始めての二の門櫓の内部に入ります。ついさっきまで外から眺めていた建物の中はやはり広いです。この河北門は金沢城の正門にあたるもので、有名な石川門よりもひと回り大きいのです!

参加者は2班に分かれて、木工事と左官工事の説明を15分ずつくらい聞きました。それにしても、昔の技術の高さと、それを忠実に再現する職人たちの根気にはいつも敬服します。

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

窓のそばには彫った部材が・・・、これさっき外から見ていた部材ですね。

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

二の門櫓からは隣で作業中の一の門の屋根工事の様子も見る事ができました。外からはよく見えなかったですが、かなりできてきています。ちょうど屋根を葺く作業の途中です。

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

職人が口に竹釘を含み、舌で方向を整えながら、1本ずつ取り出して打ち付けます。プロの技ですね。

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

そういえば、二の門櫓には梁の部分に、この工事が始まる前にこの場所に立っていた松の木が使用されているとのことです。ここで育った松が梁に姿を変えて、同じ場所に残っているということです。

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

屋根も間近に見る事ができました。二の門の屋根の反りはあまりないようです。この辺りも外様大名として控えめに?したのかな。

第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編

最後に、この場所は二の門とニラミ櫓台をつなげる土塀の石垣ですが、上部と下部で石垣の石積みが違うのが分かるでしょうか?下は正確にカットされた切石を使っていますが、上は詰め石があります。上の部分は板を被せて板塀のように見えるようになります。実は内側に石積みがあるという「隠し石垣」という珍しい形式なのです。

投稿者 Tadashi : 00:10 | コメント (0) | トラックバック