2009年08月12日

宮保館跡 再訪

すでにお盆休みの方もいるでしょうが、私はまだ仕事です。今日はシフト勤務となり、午後からの出社であったので、少し早めにでて、先日来た宮保館跡発掘調査現場にやってきました。

宮保B遺跡

まずは隣りの宮保B遺跡を見学します。今日はブルーシートが外されており、遺跡がよく見えますが、昨日の雨により水溜りができています。

宮保B遺跡

溝跡の様子もよく見えます。

宮保B遺跡

遺跡中央部には石列と思われるものも見えます。

宮保館跡

線路を挟んだ宮保館跡を見てみましょう。看板から右斜め方向に溝跡が見えます。

宮保館跡

こちらは大勢の方が発掘調査の作業中でした。

宮保館跡

石敷きのような遺構が見えます。

宮保館跡

堀跡やその先の柱跡もよく見えそうですが、作業中邪魔してはいけないので、今日はここまでにしました。

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2009年08月06日

都内23区の城館 渋谷城

渋谷警察署の裏通り、表通りの喧騒が嘘のような静かな場所に金王八幡宮があります。

渋谷城

この神社は澁谷氏の祖である河崎基家の創建と言われる。基家が後三年の役での活躍により、源義家からこのあたりの土地を与えられ、ここに居館を構えたときの鎮守社として祀られたようである。

渋谷城

境内は回りを住宅用地に削られて広いとはいえないが、それは社殿の奥に高層ビルが立ち並ぶ光景も影響しているのかもしれない。

渋谷城

現在の社殿は春日局が日光東照宮を模して造営したというだけあって絢爛豪華である。

渋谷城

その社殿の前に、渋谷城の城石として一つの石が置かれている。渋谷城は砦跡というよりも居館跡というほうが正確かもしれない。この石も居館の石積みに使われていたものであろうか?

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2009年08月05日

都内23区の城館 西久保城

オークラホテルやテレビ東京などの高層ビルが立ち並ぶ、この一帯が西久保城です。

西久保城

この城は熊谷直実による築城と伝わるが、史料はなく伝説の域をでないという。

西久保城

現在はこの辺りが「城山」と呼ばれていることと、智美術館のある建物が「西久保ビル」と呼ばれていること以外は痕跡が全くない。

西久保城

この辺りもやはり高台になっているので、砦があったとしても不思議はない。案内板も何もないのが残念。

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都内23区の城館 今井城

完成な住宅地の一角に氷川神社がある。近くにはアメリカ大使館などがある。

今井城

この辺りに平安時代末期に今井兼平が建てたといわれる城があった。兼平は源義仲の家臣、巴御前の兄であった人物であるが、今井城が兼平であるという説には根拠がないらしい。

今井城

階段を上り境内に入るとそこは鬱蒼とした樹木に覆われている。

今井城

どれも幹回りは大きいので、数百年経っていると思われるが、唯一このアングルが境内の広さを実感できるであろうか。

今井城

神社の社殿は外装の塗りなおし中であった。

今井城

帰りはもうひとつの出入り口から出てきたが、ここからだと社殿までは一直線である。鳥居の前の道は坂道(下り坂)になっている。やはり高台にある砦跡というところだろうか。

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2009年08月04日

東京23区の城館 本郷城

今日は文京区にある本郷城を紹介しましょう。

城巡礼

この城も「城巡礼 東京48ヵ所めぐり」(東京地図出版)に載っていますよ。

本郷城

赤門です。いわずと知れた東大のシンボルですが、加賀藩上屋敷にあった溶姫を迎え入れるための婚礼準備として建てられた御守殿門です。

本郷城

東大にはいろいろな門がありますが、敷地内にあったと伝わる謎の城郭が本郷城です。

本郷城

文政8年(1825)、「南総里見八犬伝」の著者として名高い滝沢馬琴が毎月一回中間を集めて、奇妙な話をする集会を開いていたとのこと、その年の10月、そのなかの一人が奇妙な話をした。

「加賀前田家の上屋敷(東大本郷キャンパス)で工事をしたところ、地中から石垣を見つけた。その石の数は3万を越え、長く続いていたそうだ。」

話を聞いた馬琴は豊島氏の城だろうと語ったそうであるが、本郷あたりは太田康資の所領という史料もあり、いずれも確証を欠いている。

本郷城

とはいえ、本郷通りとは反対側の暗がり坂へまわると、敷地は一段高い位置にあることがわかる。案内板などは全くないが、興味をかき立てられる城跡である。

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都内の江戸遺産 赤門と黒門

もう一度登場しましたのは、赤門です。

赤門

「赤門」は加賀前田藩が将軍家から溶姫を迎えるために建てた御守殿門です。輿入れ行列がここから屋敷内に入りました。

赤門

門の部分写真が多いため、周囲の塀も赤いような誤解を生んでいるように感じますが、実際に赤いのは門部分のみで、周囲に巡る塀は加賀藩の特徴的な海鼠塀です。

黒門

本郷から上野公園を渡ると、その先に東京国立博物館があります。ここにもうひとつの江戸遺産があることを昨年まで全く知りませんでした。何度も来ているにもかかわらず・・・。ようやく見てくることができました。

黒門

それは「旧因州池田家屋敷表門」、通称「黒門」です。

立派な漆黒の門であり、因幡(現在の鳥取県)藩の大名、池田家の江戸屋敷の表門でした。

黒門

細部を見ても、30万石を越える大藩の風格が漂っています。

黒門

黒門は丸の内三丁目にあったものを、一時期東宮御所や高松宮家で利用され、昭和29年にここに移築されました。そのため、修理された時期から、瓦にも菊紋が入っているものが見られます。

黒門

内部は曜日により公開されているようですが、今回は外から見て満足することにします。都内には藩政期から残る大名屋敷の門は「赤門」と「黒門」の2つのみであるにもかかわらず、「黒門」の知名度は「赤門」の足元にも及びません。もっと注目されるだけの価値はあると思います!

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2009年08月03日

都内23区の城館 牛込城

週末はセミナー参加のため上京していたのですが、もちろんそれだけでは勿体無いですので、足が痛くなるまで歩き回って城跡を見てきました。今週はそれを紹介することにします。

城巡礼

都内の城巡りをするに当たって参考にしたのは、「城巡礼 東京48ヵ所めぐり」(東京地図出版)と「江戸城を歩く ヴィジュアル版」(祥伝社)の2冊です。ともにアクセス地図が充実しており、今回大変に重宝しましたよ。

さて、今回紹介するのは牛込城です。

牛込城

神楽坂通りを下から上方向に上ります。

牛込城

神楽坂上交差点手前で左折し、地蔵坂を上ります。この坂の由来は坂の上に子安地蔵がある光照寺があるのでそう呼ばれているそうです。

牛込城

そして、右手がその光照寺となり、左手には日本出版クラブ会館があります。この一帯が牛込城跡となります。

牛込城

光照寺の入口には「牛込城跡」の看板が立てられています。

牛込城

中に入ると境内は車が10台は入れるような広いものでした。都心にしては寺領がかなり残っているほうではないでしょうか?

牛込城

光照寺の前の日本出版クラブ会館では、以前発掘調査が行われ、牛込城の時代のものと思われる陶磁器などが出土しました。

牛込城

会館の前にはこのあたりの歴史が書かれた看板が立てられています。

牛込城

今は城跡の面影は全くないですが、ここまで上り坂でしたから、高台に城跡があったことは間違いなく、昔は見晴らしが利いた場所であったことが想像されます。それにしても都内は思いの外、起伏が激しいです。

続く・・・

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都内23区の城館 筑土城

今日はもう一城紹介します。新宿区にある筑土城跡です。

城巡礼

この城も「城巡礼 東京48ヵ所めぐり」(東京地図出版)に載っていますよ。

筑土城

牛込城より徒歩10分ほどで筑土八幡神社に到着します。おっ白いハトがいる!

筑土城

階段の続く境内までは高低差がかなりありますので、砦跡と言われるのも納得できます。

筑土城

階段の途中に筑土八幡神社の由来の案内がありますが、筑土城については何も触れられていません。

筑土城

階段中ほどの石造鳥居は新宿区の登録有形文化財となっており、江戸享保期のものらしいです。

筑土城

境内はやはりかなりの広さがありますが、木々などで見通しは利きません。江戸時代後期に出版された地誌「江戸名所図会」によると、この神社のある場所は管領上杉時氏の塁があったと記されており、小規模な砦跡であったと言われていますが、ここに至っては案内板も、それらしい遺構も全くなく、本を持っていなければタダの神社見学のようです。

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2009年08月02日

全国城郭研究者セミナー IN 東京 2日目

全国城郭研究者セミナー IN 東京

本日、全国城郭研究者セミナー2日目です。午前中に報告3本、午後は壇上に5名の方が上がって、会場を交えてシンポジウムでした。

天気がよければ午後は城跡を見に行く予定でしたが、雨模様でしたのであきらめてみっちりと城漬けのシンポジウムの1日でした。楽しかったです。

来年はどこかわかりませんが、8月1日が日曜日なので、7月31日・8月1日または8月7日・8月8日だそうです。

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2009年08月01日

全国城郭研究者セミナー IN 東京

全国城郭研究者セミナーが今年は東京渋谷区の国学院大学で開催されています。

全国城郭研究者セミナー IN 東京

自分は昨年に続き2回目の参加になります。今年のテーマは「大名系城郭を問う」です。

全国城郭研究者セミナー IN 東京

テーマに沿ったシンポジウムは明日であり、今日は5本の報告がありました。講演会室だと思いますが、とても良い施設です。各座席がゆったりとしており、前の座席後ろからテーブルを引き出すこともできます。

今日はほぼ満席と聞いていましたが、最後までゆったりとしていました。直前で都合がつかなかった方が多いようですね。

全国城郭研究者セミナー IN 東京

今日の報告はいずれも興味深い報告でした。深い内容の報告もあったので、すべて理解する、というわけにはいきませんが、いずれは経験がものをいうと信じています。

全国城郭研究者セミナー IN 東京

昼食時や休憩時間には恒例の書籍交換会(書籍販売)が行われました。昨年に比べると少ないですね。(去年が多かったのかな?)ここにも不景気の波?

全国城郭研究者セミナー IN 東京

明日はシンポジウムです。

投稿者 Tadashi : 17:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年07月29日

宮保館跡

今日は定刻に仕事が終わりましたので、先日別の用事があって行けなかった発掘調査現場を探しに寄り道してきました。

その発掘現場は北陸新幹線工事に伴う事前調査場所ですが、現在のJR北陸線の線路を挟んで、北側に「宮保B遺跡」、南側を「宮保館跡」と呼んでいます。

宮保B遺跡

まずは宮保B遺跡から

宮保B遺跡

こちらからは掘立柱建物の柱跡が見つかっていると思いますが、このところの悪天候がすっぽりとブルーシートが被されており、

宮保B遺跡

被っていない発掘場所の境付近に溝跡?と思われるような跡が見えるだけでした。ちなみに、今日はカメラを持っていっていないので、携帯カメラで撮影しましたので少し変則的サイズです。

宮保館跡

結構頻繁に電車の通る踏切を渡ります。

宮保館跡

こちらの宮保館跡のほうが調査範囲が広いようです。

宮保館跡

堀跡でしょうか?石交じりの壁状の土盛りを残して掘られています。

宮保館跡

宮保館跡

こちらの堀跡はちょうどカーブする部分のようです。

宮保館跡

今日はちょっと寄っただけなので、もう少し進んでからまた見に来ることにします。

投稿者 Tadashi : 20:39 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年07月28日

本与板城 IN 天地人

土曜日は最後に、本与板城とその城下を訪れました。ちょうど2組の老夫婦が後ろからやってきました。

本与板城

臨時駐車場からしばらく舗装された車道を歩き、看板の場所から実城を目指します。

本与板城

階段を登ると、道は整備されているものの、両脇に土塁が囲む山城らしい道を行きます。

本与板城

南郭が途中にありますが、老夫婦たちは通り過ぎました。なんにもないところですから、城好きでもなければ立ち止まることも写真を撮ることもないですね。

本与板城

3つの郭がある本与板城ですが、道から最も近い郭が一の郭になります。二の郭との間には深い堀切(空堀)があります。

本与板城

そのまま一の郭に登れますが、奥に進むと井戸跡がありました。草が茂っていて場所が特定できませんが、案内の左下辺りでしょうか?それにしても道がぬかるんでいます。

本与板城

一の郭に登ると、まず横の本与板城がありました。

本与板城

奥に進むと、本与板城跡の石碑があります。石碑の奥に見えるのが、一の郭に残る土塁です。

本与板城

一の郭にも与板城にあったと同じ直江兼続の軍旗があります。老夫婦たちはここからの眺めを楽しみ、石碑の前で写真を撮って満足して帰っていきました。

本与板城

ここからの時間は自分が独り占めですよ。

本与板城

天候が悪くなってきましたが、奥の二の郭に向かいます。二の郭と三の郭はともに間の堀切から登れるようです。

本与板城

一の郭は与板城と同じくらいの広さでしたが、二の郭はこちらのほうが狭いようです。

本与板城

三の郭にも奥に少し土塁が残っています。

本与板城

三の郭の二の郭とは反対側の堀切は狭く深いものでしたが、誰も来ないのでしょうか?倒木もそのままでした。

本与板城

登った階段まで戻ってくると、対面に城下へ下りる道がありました。来たときは全く気付きませんでした。

本与板城

昨日までの雨で道はかなりぬかるんでいました。完全に足が沈んでしまうので、両側の壁に足をついてトレーニングのように進み、ようやく城山・城下・白山社の三又に辿りつきました。

本与板城

けもの道のような道を草をかき分けかき分け進むと、山頂に白山神社の社がありました。ここは本与板城の先端部にあたり、冬場に使用することを想定した冬城であったと言われています。

本与板城

三又まで戻り、城下へ進むと直江屋敷跡に出ました。現在は駐車場として整備され、敷地には天地人の作者火坂氏による「お船の方生誕御館跡」と書かれた石碑が立てられています。

本与板城

城下をしばし散策しながら観光スポットを巡りましたが、ここが一番の撮影ポイントですね。「御代官屋敷跡」と呼ばれる代官が住んだ館のあった場所ですが、背後の山の右側中腹、白いものが見えるでしょうか?

本与板城

拡大してみると、そこには一の郭に立てられていた軍旗です。ここを訪れた人もほとんどは気付かないでしょうね。何も案内板はありませんから。

本与板城

雨もポツリポツリと降り始め、歩き疲れてきたことですから帰路に着くことにします。

夕日

帰りの高速からは厚い雨雲と地平線の間に沈む夕日がなんともきれいでした。

投稿者 Tadashi : 23:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年07月27日

与板城 IN 天地人

土曜日のレポートを続けます。兼続お船ミュージアムの後、与板城跡へ行きました。天候はますます怪しくなってきて、涼しいというよりも蒸し暑かったです。

与板城

臨時に設けられた駐車場の一角は、「直江兼続公館跡」となっています。どこまでがその範囲なのかわかりませんが、駐車場となっている部分でしょうか?

与板城

与板城跡には八幡神社から登ります。大手口は別方角にあるようですが、観光客はここから案内されます。本丸までの道のりは舗装された道が続きます。

与板城

その途中、おせん清水の案内板がありますが、実際は上からのぞくだけで近づけません。

与板城

前日の雨により少し水は流れていましたが、普段は水も流れていないような場所ではないでしょうか?

与板城

少し進むと門跡がありました。左側には土盛りが残っていますが、右側は全く残っていません。

与板城

本丸下段に仮設トイレが設置されていましたが、見晴らしが良さそうだったので奥に進みます。

与板城

案の定見晴台の役目もあったと思われる郭跡ですが、あいにくの天候で霞がかっていました。残念・・・

与板城

本丸には神社があります。

与板城

本丸には兼続の旗印が立ててありますが、今はどこの名所にもこの旗が立っています。

与板城

社の裏手には土塁がかなり良好に残っています。もともとは本丸の周囲をぐるりと巡っていたことでしょう。

与板城

さて、普通の観光客はここで引き返すのですが、自分は当然先に進みます。

与板城

前日までの雨で道はかなりぬかるんでおり、特に階段は滑りそうなあぶない状態です。

与板城

与板城の特徴のひとつは、郭の間の深い堀切です。本丸と二の丸の間にも堀切があります。

与板城

二の丸を通って、三の丸へ至る間にも堀切があります。

与板城

尾根を平らにした本丸、二の丸、三の丸ともに、それなりの広さがありますが、ここは山城ですから、丸というよりは、一の郭(実城)、二の郭、三の郭といったほうが適切ですね。

与板城

途中一人がやっと通れるような細い道もあり、滑って落ちないように気を使いました。手すりなどがない分、山城の雰囲気を十分に味わえますが、危険と隣り合わせですね。

与板城

一の郭からもっとも奥にある郭が千人溜です。

与板城

三の郭から千人溜に入る部分は右側を崖で大きくえぐられ、左側は高い土塁があり、みごとなつくりです。

与板城

さて、与板城の案内絵図などはここまでが描かれているのですが、実際千人溜まで来ると、「のろし台まで20分」の案内板があります。

与板城

折角なのでそのまま先を進みます。千人溜を抜けると、整備された林道に出ました。

与板城

道端に咲く百合の花がきれいです。

与板城

しばらく行くと、急な階段とともに、奥に道が続いています。ここはさらにけもの道に近い道になっています。

与板城

しばらく進むと右側に大きな盛り上がりを確認できます。そこがのこし台です。

与板城

のろし台には石造りの小さな社がひとつあるだけで、他にはなにもありません。草刈はしているようですが、観光客はほとんど来た形跡がありません。この場所は地元の方に後で聞いたところ、与板城ののろし台になるそうです。

のろし台から帰る頃には雨がまばらに降り出していました。一の郭までの帰り道、誰一人と会いませんでした。本格的な山城を感じずに帰る方が多いのは残念ですが、荒らされないで済むと考えて、城好きな人たちの楽しみとしましょう!

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2009年07月05日

放生津城へ

近くの新湊博物館へは何度か来ましたが、出てくる頃には暗くなる日ばかりだったのでなかなか機会がありませんでしたが、今日は曇りながらまだまだ陽は高い、ということで初めての放生津城へ行ってきました。

放生津城

現在、放生津城跡は放生津小学校地となっています。

放生津城

この広いグラウンドで過去数回の発掘調査が行われました。ここは鎌倉幕府の守護所として使用され、室町から戦国時代には神保氏の居城となりました。そのため、太平記に出てきたり、室町幕府10代将軍足利義材が京より逃れて滞在したりして、歴史上は越中でも指折りの有名な城なのです。発掘調査では漆器や陶器のかけらが見つかっています。

放生津城

いまは地下に眠る城跡なので全く面影はなく、何か記念になるものはないものかな?と歩いていると、グラウンドを挟んで校舎と反対側に石碑と案内板を見つけました。

放生津城

石碑は「城跡」とだけ書かれていて、全くどこかわかりませんが、案内板はかなり詳細に書かれていました。

足利義材

近くの放生津橋には足利義材の像が欄干に据えられています。1つは坐像ですが、1つは馬乗像ですよ。お見逃しなく。

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天地人を訪ねる旅 in 魚津

梅雨の中休み、今日は良い天候となりましたので、朝から魚津へ行ってきました。高速1000円有難いですね。

天神山城

魚津ICから15分。ここは天神山にある吉田記念郷土館です。
(上に魚津歴史民俗資料館がありますが、ここは近代が中心です。)

天神山城

山の中腹にあるので、1階は駐車場、2階が展示室になっています。常設展では天地人のパネル展もやっていますが、

天神山城

見所は魚津城の復元模型です。魚津城の構造だけではなく、城を避けるように折れ曲がった北陸道、寺町の寺院群など当時の情景がよくわかります。

天神山城

3階では現在企画展「上杉家と魚津」を開催中(11月15日まで)です。ここ、実は無料なのであまり期待はしていなかったのですが、松倉城、春日山城、御館に加えて、富山城と小出城の発掘出土遺物が展示されていて、さらに魚津町惣絵図もあって、これは500円以上の価値はありますよ。でも無料です。見逃す手はないでしょう!

天神山城

一通り見終えてから、天神山の頂上を目指しました。徒歩5分ほどで頂上に着きます。ここが上杉景勝が魚津救出のために布陣した「天神山城」の本丸跡です。

天神山城

鉄塔が立てられているので後世に掘削されている可能性もありますが、相当に広いです。右奥に進むと土塁が残っていました。

天神山城

本丸からの眺めは木に遮られてあまり良くないですが、なんとか魚津市内を撮影するものの今日は「もや」っていますね。

天神山城

郷土館では相当なものを無料で見せていただいたので、受付で魚津市発行の「魚津の文化財」を購入しました。

さらに、「魚津城の戦いミニタオル」(350円)と「魚津城の戦い湯呑み」(700円)を購入しました。湯のみはホームページにも紹介されていましたが、熱い湯を入れると「愛」の文字が浮かび上がるという面白い仕掛けがあります。頑張っている魚津市商工会員の売上にちょっとだけ貢献です。

続いて、決戦の場「魚津城」へ

魚津城

この道は魚津城本丸の大手門へ続く道です。

魚津城

魚津城跡は現在、本丸部分がほぼすべて大町小学校となっています。大河ドラマでは5月にクライマックスを迎えた「魚津城の戦い」ですが、ここ魚津城跡はまだまだ熱気冷めやらぬ感じでした。放映直後は大勢の人が詰めかけたそうですが、二月経った今日は午前中はゼロで、自分と一緒に入った家族連れが最初のお客さんだったようです。

校舎の一部を使用して魚津城の戦いのパネル展示をしています。旗もたくさん立っていて、学校だけどいいのか?と思うくらいに地元では盛り上げようという雰囲気が伝わってきます。

魚津城

校舎の前には「魚津城跡」の石碑が立っています。

魚津城

現在は、特別に校舎の屋上から城下を見せてもらえます。晴れてて良かった!

魚津城

遠く、景勝が布陣した天神山城跡を臨むことができます。中腹の白い建物がついさっき行ったばかりの吉田記念郷土館です。近いですね。

魚津城

屋上からグラウンド方向を見ると、寺町寺院群、奥に埋没林博物館の白い建物が見えます。グラウンドの隅に土塁のような高まりが見えますが、児童用のスキー山だそうです。

皆さん、ぜひ秋までに一度魚津に訪れてくださいね。今だけの見所盛り沢山ですよ。できれば晴れた日に。

魚津城

グラウンド横の道路は内堀跡ですが、狭くなった側溝が内堀の名残?です。

魚津城

そこから細い路地を曲がるとそこが二の丸跡です。

魚津には松倉城跡群もありますのでまた行きたいですね。

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2009年06月20日

白鳥城の出城 安田城

秀吉の佐々攻めの拠点白鳥城の出城は先の大峪城のほかに、もうひとつありました。国史跡となっている安田城です。

安田城

安田城址は全国的にも珍しい、ほぼ完全な中世平城の遺構です。久しぶりに訪れたら宣伝用の旗が新しく出来ていましたよ。

安田城

隣接する史跡安田城跡資料館からは城跡をやや上から俯瞰することができます。すっきり晴れていれば立山連峰が見えるのですが。

安田城

昨年から館長さんが資料館のすぐ裏に住む方に替わったそうです。若い人は珍しいのでしょうか?話しかけられたので、館長さんとしばらく話をしました。

館長さんは安田城や佐々成政の足取りを辿るために、金沢や米沢まで足を運んでいるそうです。先日も朝日山城跡や末森城も行ったという事で少し話しが盛り上がりました。本当の意味で郷土の歴史に興味ある方はなかなか来ないようですね。国史跡ということで観光客も多いそうですが、タクシーのマナーの悪さを嘆いていました。

安田城

城跡には屋外展示で、周辺地図や復元模型がありますが、野ざらしなのでさすがに少し傷んできました。

安田城

安田城

とはいえ、城跡に行った跡に見ると、各城の位置関係がよくわかる展示です。

安田城

地元新聞では報道もあったようですが、つい先日の6月12日に、資料館が開館してから10万人を突破したそうで、記念の水蓮が植えられていました。花はピンクで、かわいらしい感じです。

安田城

ここには多種の水蓮がありますが、数が前回来たときより増えていました。地元の方が精魂こめて世話している成果なのですが、館長さんもこの広さではさすがに多いかなと考えているみたい。花が完全に開いていなかったので時期が早かったのかと思いましたが、館長さん情報によると、水蓮は天候や風、水温などに影響されやすく、開いているのを見ることができるのは9時頃から昼1時頃までだそうです。確かに、城跡には夕方しか来たことないので、次は午前中に来ないといけないですね。

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白鳥城の出城 大峪(がけ)城跡

秀吉の佐々攻めでは、白鳥城の出城として「大峪(がけ)城」が築かれました。

大峪(がけ)城跡

現在城跡は五福小学校となっています。が、城跡の名残りは全くありません。案内看板によると、小学校校舎が建っている高台が本丸跡と推定される場所だそうです。

大峪(がけ)城跡

確かに、校舎が立つ土地は5mほど周辺より高いようです。

大峪(がけ)城跡

校舎裏にまわると落差がよくわかります。

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秀吉の越中攻めの拠点 白鳥城

案内看板を横目で見ながら通り過ぎていた「白鳥城跡」にようやく来ることができました。

白鳥城

城山をかなり近くまで車で登ってくることができます。城山南駐車場には「白鳥城址」の石碑が立っています。ここから本丸跡までは徒歩20分ほどです。

白鳥城

本丸まで登ってくるまでも多くの郭や空堀があり、見所満載ですが、城跡の紹介をする案内看板がないのが残念です。宣伝すればいい観光資源になりますよ。

白鳥城

本丸からの眺望はすばらしいです。曇っていなければ立山連峰も望めて最高だったのですが、次は天気の良いときに来ますよ。富山城も場所がよくわかりませんでした。ぜひ、佐々成政を攻めた豊臣秀吉の気分に浸りたかったのですが。

白鳥城

本丸にようやく着いたとき、上から「ポトリ」・・・と音がしたので、何かな?と思ってみたら、クワガタでしたよ!珍しいのでしばらく見ていましたよ。

白鳥城

他にも、井戸跡や土塁など遺構がかなり残っています。

白鳥城

白鳥城

白鳥城

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富山城址と城下町散策

午前中は天気よかったですが、午後から少し曇って来ました。今日は富山城址とその周辺を散策しました。

富山城址と城下町散策

城址公園は現在急ピッチで整備が進められていました。今日は日本庭園の整備をやっていましたよ。

富山城址と城下町散策

郷土博物館では「明治の富山城址」という企画展をやっていましたので、見てきました。富山城址と石垣が残った市民有志の方々に感謝です。おかげで本丸だけではありますが、現在も富山城の面影を見ることができます。

富山城址と城下町散策

藩政期大きく蛇行していた神通川ですが、当時の面影は富山城のすぐそばを流れる松川に見る事ができます。

富山城址と城下町散策

そこに架かる橋のひとつ「舟橋」です。橋桁の真ん中が船先を模して川へ突き出しています。

富山城址と城下町散策

橋のたもとに常夜灯が残っています。傘の部分は劣化で欠けていますが、富山城下町を感じる数少ない遺物です。

富山城址と城下町散策

当時の船橋(舟をつなげて橋の代わりとする)が復元されれば、またとない観光資源になるのですが、松川は川幅が狭いので無理でしょうね。

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2009年06月14日

弓庄城 越中戦国の地へ

念願の弓庄城跡へ来ることができました。弓の里歴史文化館は上市町の発掘調査遺物の展示がしてあります。

弓庄城

弓庄城発掘で出土した遺物もたくさん展示していますが、無料で入れるので、弓庄城見学の前にぜひ観覧ください。と宣伝はここまでにして、歴史文化館のすぐ前が城跡ですので、駐車場もここを利用します。

弓庄城

文化館の前に石碑が見えますが、それがこの弓庄城本丸跡の石碑です。本丸跡は現在何も耕作していません。

弓庄城

本丸跡を田のあぜ伝いに歩いていくと、田の段丘差が結構あり、弓庄城が丘陵の途中に作られたことがよく分かります。

弓庄城

ふと下のほうをみると、木陰に石碑が見えます。田の真ん中に墓か?忠魂碑か?と思ったのですが・・・

弓庄城

それは個人が立てた「館城址」の石碑でした。隠れた名所?

弓庄城

弓庄城

歴史文化館の脇にはきれいな花が咲いているなあと、また後ろを振り向くと、そこには「弓庄城跡」の説明板が・・・

弓庄城

あれ、横には駐車場。どうりで文化館の横は駐車するには狭かったね。

投稿者 Tadashi : 22:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

日中砦 弓庄城が眼前に

攻められた土肥氏の弓庄城を見たのだから、攻めた佐々氏の日中砦も見ておこうと探すこと30分・・・

ようやく見つけました。弓の里歴史文化館で市発行の中世城館報告書で場所は見ていましたが、実際には土地勘がないとすぐには見つかりません。

日中砦

それでも、川沿いで墓がある場所というキーワードだけでも分っていたのでなんとか見つけられました。

日中砦

立派な石碑が立つ墓地への入口は土橋の跡です。

日中砦

土橋の両側には堀跡と土塁跡が見て取れます。

日中砦

墓地の奥まで行って、弓庄城方角を眺めますが、竹やぶが邪魔です。なんとか切れ間から弓の里歴史文化館が見えました。ここならまさに弓庄城の様子が手に取るようにわかりますね。

日中砦

下に降りて、川沿いに来ると、

日中砦

砦跡は高所であることがよくわかります。しかし、墓地はそれほど広くはありませんでした。臨時の砦跡とは言え、少し謎が残りました。

日中砦

川沿いからも弓の里歴史文化館を見つけることができます。この距離は互いに気を抜けない距離ですよ。戦国時代の緊迫感が伝わってきます。

投稿者 Tadashi : 20:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年05月01日

桃山時代の息吹を感じる 高岡御車山祭

今日は気持ち良い晴天でした。仕事を初めてメーデーで休みになったのは初めてですが、5月1日で晴れの日、休みとなれば高岡市へ行かねばなりませんね。今日は「高岡御車山祭」の本祭の日です。

関野神社春季例大祭として開催される重要有形・無形民俗文化財の「高岡御車山祭」ですが、ゴールデンウィークはいえ平日に開催されるのでなかなか実際に見ることができません。それも少しでも雨が降りそうな場合は巡行は中止となるため、本日は数年に1度のチャンスです。

高岡御車山は天正16年(1588年)、豊臣秀吉が、後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉る時に使用したもので、加賀藩初代藩主前田利家公が秀吉より拝領し、二代藩主前田利長公が慶長14年(1609年)に高岡城を築くに当り町民に与えられたのが始まりと伝えられています。

朝早く到着したので山町を見て回りました。

高岡御車山祭

小馬出町ではちょうど大工さんたちが山車を組み立てていました。

高岡御車山祭

そこからしばらく歩くと守山町では、山車のお祓い中

高岡御車山祭

しばらく見学しました。

高岡御車山祭

高岡御車山祭

さらに進むと高岡郵便局前で御馬出町の山車を発見!

高岡御車山祭

角を曲がる様子を見学しました。前方をかついで90度回転する様子をご覧あれ!

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

京都の祇園祭のような大きな山車ではこうはいかないでしょうが、山車の魅力のひとつは角を曲がる様子ですね。

高岡御車山祭

山車の出発した山町では、車輪をしまう際の材木を発見。

高岡御車山祭

11時過ぎに源平町付近で7基の山車が勢揃いしました。最終は二番町の山車です。

高岡御車山祭

早速「御車山勢揃い地点」である片原町交差点に向かいました。良いアングルの地点が取れました。まだまだ人出は少ないですが・・・

高岡御車山祭

御車山が見えてくる頃にはたくさんの人出となりました。

高岡御車山祭

まず初めに坂下町の「源太夫獅子」が露払いで先導します。

高岡御車山祭

7基の山車が勢揃いした様子です。壮観ですね。写真の背景が一部ずれていますが、1枚には納まりきらなかったのですよ。

高岡御車山祭

高岡御車山祭

7基の山車の鉾留の多彩さをご覧あれ!

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

高岡御車山祭

式典が終わると、順番に出発していきますが、最後の二番町の山車が行きます。この山車だけ二輪であり、牛車の雰囲気もあり、またスピードも最も速く、車輪の擦れる音も大きいです。

高岡御車山祭

山車の通り過ぎた道では、電気工事車がたくさんいる?ので見ていると、山車が電線にひっかかるので外した電線を戻していました。そういえば来たときもたくさんいたな。

高岡御車山祭

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2009年04月25日

史跡観音寺城跡発掘調査スライド発表会

荒天の中、割引の高速道路を利用して滋賀県安土に来ました。

目的の講演会は午後なので、大雨ですが、安土城下を少し歩きました。

沙沙貴神社

まずは佐々木源氏発祥の地の氏神である「沙沙貴神社」です。実際に行くまでこんなに立派な神社だとは思ってもみなくて、いろいろと見入ってしまいましたが、写真にも大粒の雨が写るほどですが、晴れた日にまた来たい!

沙沙貴神社

本殿など県指定重要文化財の建物も多くあります。

沙沙貴神社

本殿の裏には干支の庭として十二支の石像が・・・、こちらはうさぎです。

沙沙貴神社

次は地図上では沙沙貴神社から程近い・・・はずでしたが、結構歩きました。雨の中なのでかなりきつい。

浄厳院

法華宗と浄土宗との安土争論の舞台となった「浄厳院」です。境内や周辺の石造りの用水や溝が立派で下ばかり見ていました。

安土城考古博物館

安土城考古博物館に着くと、開始1時間前にもかかわらず多くの人が詰めかけています。

安土城考古博物館

最終的にはいつもの講演会よりも若干少なめでしたが、荒天のなか皆さん熱心です。

史跡観音寺城跡発掘調査スライド発表会

先日の発掘現場説明会には予定が合わず、来ることが叶いませんでしたので、スライドでも様子を見ることができるのはうれしい限りです。最終的には当初発見が期待された位置に階段は出土せず、謎は深まるばかりですが、初期の総石垣作りの城は、山城最盛期の法則には適応しない部分も多いようです。

史跡観音寺城跡発掘調査スライド発表会

大雨で山頂付近にもやのかかった観音寺城です。

史跡観音寺城跡発掘調査スライド発表会

安土城も・・・

史跡観音寺城跡発掘調査スライド発表会

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2009年04月12日

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

今年は加賀藩二代藩主の前田利長公が高岡に城下町を開いてから400年ということで、様々なイベントが行われます。今日はその本格的なイベントの第一弾です。

ちょうど桜も満開であり、恒例の桜まつりが開催されていました。

高岡古城公園 桜まつり

満開の桜の下で大勢の方が楽しんでいます。

高岡古城公園 桜まつり

公園内の利長像や高山右近像も、桜を背景にいい写真が撮れました。

高岡古城公園 桜まつり

高岡古城公園 桜まつり

午前中は公園内の桜を見て回り、午後からイベントの30分前に場所取りしました。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

ちょうどメインイベントの大石の設置作業を大きなクレーン車が行っていました。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

行列は「よさこいソーラン隊」→「こども石曳き隊」→「一般大石曳き隊」→「大石曳き隊」の順で行われるようです。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

5組のよさこいソーラン踊りの後、元気の良い子供達の石曳きが始まりました。引っ張っているのは大人の先生方ですが、なんとも愛らしい行列でした。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

こども達の後に一般参加の大石曳きが行われました。石の重さは約1トンあり、それを20名程度で引っ張りました。道路を傷つけないようにコロを等間隔に移動しながらの石曳きでしたので、なかなか進みません。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

海外からの参加者グループも行列に華を添えます。いい記念になったでしょうね。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

そして、メインイベントとして、6トンの大石を150名で引っ張る「大石曳き」が始まりました。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

勢いよく始まったものの、20メートルほど進んだところで(ちょうど正面あたり)、コロがひっかかって立ち往生し、再起を図るものの失敗(残念!)。

結局、コロを使用せずに直接曳く許可が下りて、道路に木跡を残しながら豪快に曳かれていきました。

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり

途中で摩擦もあってか、土台の一部にヒビが入ったようで、「今から7トンになりました!」という冗談まじりのアナウンスのなか再開。立ちっぱなしで疲れたので最後まで見ることはやめましたが、昔の人を大変さを感じ取った一日でした。

投稿者 Tadashi : 20:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年04月11日

金沢城の桜

今年は桜開花宣言の後、雨も降らなかったので桜も散っていないのでうれしいです。満開は昨日あたりでしたが、本日も満開の桜を満喫できました。

金沢城の桜

金沢城の桜

金沢城の桜

明日までライトアップ期間です。地元新聞にも紹介された二の丸の内掘に映る桜を楽しめる絶好のビューポイントです。夜景は一眼レフカメラでないと引き伸ばすには耐えられませんが、なかなかの写真が撮れました。

金沢城の桜

投稿者 Tadashi : 23:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年04月05日

丸岡城桜まつりと大奥展

今日は晴天です。朝早くから福井に出かけました。

丸岡城桜まつり

最初の目的地は、丸井城桜まつり開催中の丸岡城です。

丸岡城桜まつり

新聞では「5分咲き」と書かれていましたが、確かに満開には数日早く、3分から8分咲きくらいで、太陽の当たり具合で差がありました。

丸岡城桜まつり

イベント開催時間より早く着いたので、まだ人はまばらです。

丸岡城桜まつり

駐車場とは反対側にまわると、「国宝霞ヶ城」の碑がありますが、こちらは上のほうがまだまだ蕾の状態です。

丸岡城桜まつり

今日は天守の入口で入場券を確認していたので、天守のまわりは自由に回れたので、石垣と桜を十分に楽しみました。

丸岡城桜まつり

ぐるっとまわって来ると、ちょうどイベントが始まる時間になっていたので、大勢の人が集まってきていましたが、話している言葉は、中国語か?韓国語か?最近はどこの観光地でも海外からのお客が増えていますね。

丸岡城桜まつり

途中昼飯を食べて、昼過ぎに福井市立郷土歴史博物館に到着しました。今日の主たる目的地はこちらです。現在、同館では移転会館五周年特別展として「大奥」展が開催されています。

福井市立郷土歴史博物館 大奥展

同館には過去に何度か訪れましたが、今回ほど大勢の人が来ていることはありませんでした。博物館の方々も期待以上の来館者にビックリしていましたよ。

福井市立郷土歴史博物館 大奥展

展示をじっくりと見た後、2時から「見どころ講座 武家女性の衣装と道具」を聴講しました。武家の女性、特に将軍家正室というトップクラスの衣装や道具の見方のポイントが分かり、今後はさらに興味を持って展示を見る事ができそうです。

養浩館庭園

講演のあと、隣接する「養浩館庭園」を見て回りました。前回来た時は、杮葺の建物のほうは修復中でしたがそれも終わり、今日の天候もあって、青空によく映えていました。

養浩館庭園

中池には羽を休めるカモも・・・幸せそうです。

養浩館庭園

建物内から見る築山も絶景です。特別展示に常設展示、この養浩館庭園が付いて600円です。安くないですか?

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2009年03月14日

平成20年度鳥越一向一揆歴史館セミナー 「加賀一向一揆と山内惣荘」

平成20年度鳥越一向一揆歴史館セミナー 「加賀一向一揆と山内惣荘」

春らしい天気が続いていましたが、今週末は一転冬らしい天候です。そんな中、白山市の旧鳥越村にやってきました。鳥越一向一揆歴史館友の会総会と歴史館セミナーに参加するのが目的です。歴史館の奥に見える山は二曲城跡の本丸です。

友の会に入会してもう4年経ったでしょうか?その間に平成合併で鳥越村は白山市に合併し、歴史館も白山市の管理となりましたが、広い白山市の中ではその存在も埋没しがちであり、またご時勢もあって予算も縮小傾向にあるようです。

今年は金沢学院大学教授の東四柳史明氏を迎えて、「加賀一向一揆と山内惣荘」というテーマで、室町時代後期から織豊期にかけての鳥越を含む山内衆の動向に関する講演でした。

加賀一向一揆を単なる宗教闘争や農民階層の反乱と捉える考えが一昔はありましたが、その本質は加賀地域における権力闘争や政治闘争であったという論調が現在は主流になってきています。今日の話もそういう論調から外れることなく、そのなかで白山地域の果した役割について話があり、非常にわかりやすく知識を整理できました。

セミナーの前に、現在同館で開催中の企画展「鳥越城と山内の城郭」を見学しました。本企画展は年度をまたいで開催されるということで同館では初めてのことです。

加賀一向一揆最後の砦 鳥越城跡

到着したときは遠くの山がうっすらと雪を被っていましたが、帰りはすっかり一面雪に覆われていました。ちょっとびっくり!!

加賀一向一揆最後の砦 鳥越城跡

加賀一向一揆最後の砦 鳥越城跡

1市2町5村が合併した白山市では、合併後から重複する施設の見直しが進められていますが、資料館も現在その対象となっているようで、この友の会もあと何年続くのやら・・・

投稿者 Tadashi : 18:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年03月08日

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

今日は午後から金沢市内へ出かけました。

まずは石川県立美術館で講演会を聞きました。「加賀藩御細工所」というテーマで嶋崎館長が、御細工所の経緯や組織、職務などについて概略を分かりやすく解説をしていただきました。総じて役職の責務に対して、その報酬は低かったようです。

その後、生涯学習センターで開催されていた石川県埋蔵文化財センター恒例の今年度の発掘報告会「いしかわを掘る」に参加しました。

今年の報告は、
三日市A遺跡(野々市町)
能美古墳群(能美市)
大泊A遺跡(七尾市)
横江荘遺跡(白山市)
松波城跡庭園跡(能登町)
七尾城跡(七尾市)
の6箇所です。

到着するとちょうど後半の横江荘遺跡の報告前でした。会場には今年も多くの人が詰め掛けています。先の講演より人数多いですね。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

今年の展示は少ないですね。大泊A遺跡と七尾城跡のパネルと七尾城跡の遺物が並べられています。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

今年は城跡関連の現場説明会は4ヵ所(金沢城跡、七尾城跡、松波城跡、二曲城)で行われましたが、金沢城跡以外は日程の都合がつかず行くことができませんでした。そのうちの2ヵ所を聞けるとあって期待していました。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

松波城跡では昭和37年に発見され、昭和55年に一部調査が行われた庭園跡周辺の発掘調査が行われ、礎石建物群と枯山水庭園遺構の調査成果が発表されました。来年度も引き続き調査が行われるようですが、松波城跡は本丸や大手の位置がはっきりしておらず、中長期的には遺構全体の調査が行われるようです。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

報告の最後は、能越自動車道建設の事前調査として、平成17年度から行われている七尾城城下町の報告でした。庄津川と大谷川に挟まれた地域は、総構の外側になり、この地域では始めての調査となりますが、多くの掘立柱建物や井戸が発見されました。

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

井戸ははじめ石で覆った形で発見されることが多いようで、

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

たくさんの石が集まる部分を丁寧に取り除くと、

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

井戸が発見されることがおおいそうです。この辺りは1.5メートルほどの深さだったそうです。意外と浅い?

平成20年度発掘報告会 いしかわを掘る

井戸の中には石積みの裏などの構造を確認するために、こうやって縦割りすることもあるそうで、一度現場で見てみたい!

投稿者 Tadashi : 20:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年03月03日

御館の乱と川中島合戦

御館

直江津駅に程近い住宅地の中に御館跡あります。現在は御館公園となっている場所から、以前の発掘調査のときに遺物が見つかりました。数組の親子がくつろぐ公園ですが、昨年整備された解説板と、以前から立っている石碑以外は何もないところです。

御館

十念寺

次は十念寺です。ここは浄土宗のお寺ですが、上杉謙信が川中島合戦のときに戦火を避けるために信濃善光寺から仏像等を当寺に移したそうです。

十念寺

正面の蛙股や木鼻の彫刻が繊細です。上越市指定文化財になっている鎌倉時代の五輪塔もありますよ。

十念寺

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2009年03月02日

越後上越天地人博

越後上越天地人博

日曜日は講演会の後、上越市にやってきました。直江津屋台会館で開催中の「天地人博」を見に来ました。

越後上越天地人博

ここの目玉は「けんけんず」です。「謙信くん」の「けん」、「兼続くん」の「けん」(音読み?)、そして犬の「けんけん」の「けん」です。入口からけんけんずが出迎えます。

越後上越天地人博

越後上越天地人博

そして1日2回のけんけんず登場の時間です。今日は日曜日なので3人とも登場しました。皆さん列を作って記念撮影を待っています。

越後上越天地人博

大の大人が1人で記念撮影に参加するのは恥かしいので、自分は脇にあったシール作成機で記念シールを作りました。

越後上越天地人博

投稿者 Tadashi : 22:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年03月01日

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

良い天気になりました。今日は妙高市新井ふれあい会館で開催される講演会のためにやってきました。鮫ケ尾城跡国指定記念講演会は昨年8月1日の「鮫ヶ尾城跡と直江兼続の生きた時代」に続いて2回目となります。

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

朝9時半の開場にもかかわらず大勢の人がすでに集まっていましたので、10分早く開場しました。400人の定員に対してほぼ満席になったのは、タイムリーな大河ドラマ放映とともに、本日講師となった静岡大学の小和田哲男氏の人気のためのあるのでしょう。

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

小和田氏は今回のNHK大河「天地人」の時代考証も務めており、「鮫ケ尾城が備えた二つの戦い 川中島合戦と御館の乱」という副題は、今日の夜は謙信の死を想定して、小和田氏自身の指定日だったということで、ベストタイミングです。

そういえば、小和田氏はこの3月で静岡大学を定年退職だとか、そうなるとテレビや執筆による露出は減ってしまうのでしょうか?そうであるならば非常に残念です。

鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」

今日の講演も、テレビ出演時と同じく丁寧な分かりやすい話で、大河ドラマの時代考証の舞台裏や、川中島合戦における山城の役割の話、御館の乱の勝敗の要因などを講演いただきました。本当に面白かったです。

上杉家VS織田家による魚津城合戦の上杉方の自刃に際して「城を枕に討ち死にする」という例えについて、地元石川の末森城合戦の話が出てきたことには驚きましたが、本能寺の変の翌日に、この魚津城を柴田勝家が落としたことが、後日主君の死を知った時点でまだ城を落としていなかった羽柴秀吉に負けた理由のひとつだったとは、新しい視点でした。柴田は攻めは強くても引き際は下手だったようで、魚津城を取り返しに動いていた上杉景勝を背にしては退却できず、この影響は賤ヶ岳合戦においても佐々成政を上杉防衛のために越中に在城させざるを得なかったことで、まだまだ引きずっていました。上杉景勝のこの影の助力に、後の太閤秀吉は五大老という地位をもって報いたのです。

投稿者 Tadashi : 23:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年01月11日

企画展 富山城二階櫓門を探る

連休は大雪という予報でしたが、北陸はそれほど積もりません。

企画展 富山城二階櫓門を探る

今日は富山城に、企画展「富山城二階櫓門を探る」を見に来ました。昨年もこの時期に千歳御門の企画展があった覚えがありますが、雪に向けて城郭展を開くのはなぜでしょうか?しかし、城郭展となれば明日までといえ、見ないことにはもったいないと、はるばるやってきました。

企画展 富山城二階櫓門を探る

先日、本丸の天守台を造っていたらしいという新聞記事が出ましたが、記事では水を抜かれた内堀が写っていましたが、今日の内堀は水がたたえられています。よく見ると、水の中に石が規則的に並べられています。何かな?と見ていたら、まだ内堀は浄化作業中とのことで、防水シートを抑えている石のようですね。水がはられてから間もないと思うのですが、すでに藻がかなり浮いているのは気になります。

企画展 富山城二階櫓門を探る

企画展 富山城二階櫓門を探る

今回展示された富山城の二階櫓は、二の丸の枡形にあった二の門で、一の門が建築されなかったので正確には枡形として機能はしていなかったのですが、当初3箇所予定されたものの、唯一建築されたものであり、現在の国際プラザ前の横断歩道のあたりにありました。

企画展 富山城二階櫓門を探る

企画展 富山城二階櫓門を探る

遺構はすでに地下で見る影もないですが、遺物は郷土博物館前に、その礎石が2個野外展示されています。

企画展 富山城二階櫓門を探る

企画展 富山城二階櫓門を探る

特別展 よみがえる重要文化財 石黒信由関係資料

富山城でちらしを見たので、戻る途中で射水市新湊博物館で開催されている、特別展「よみがえる重要文化財 石黒信由関係資料」を見てきました。

今回の特別展は、石黒信由が著した和算書や測量書などの古文献や作成絵図(古絵図)の修理作業について紹介していました。とても興味がわきましたね。修理については以前NHKで国宝の修理作業の様子をやっていたのを見たことがありますが、実際に修理されたものを見ると、日本人の器用さには感心しますね。2月22日まで開催中ですので、興味ある方はどうぞ。

特別展 よみがえる重要文化財 石黒信由関係資料

帰りまでは天気ももっていたのですが、家への帰り道いよいよ大雪となってきました。明日は積もりそうです。

投稿者 Tadashi : 21:12 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月21日

「天地人へのいざない」展と講演会「直江兼続と最上氏」

今日は天候が崩れていく予報でしたが、朝は昨日に続きよい天候で、帰りもまだ晴れていました。高速道路で戻ってくる途中に雨となりましたので、この時期では天候に恵まれた旅行でした。

今日は朝から新潟県立歴史博物館に行きました。

新潟県立歴史博物館

午前は特別展「天地人へのいざない」と通常展の見学。午後は講演会「直江兼続と最上川」となります。

新潟県立歴史博物館

いよいよ来年4日より大河ドラマ「天地人」が始まりますが、ここ長岡市のほか、上越市、南魚沼、米沢、会津と非常に盛り上がっているようです。特別展は10月に上越市立総合博物館で開催された巡回展で、昨日から歴史博物館で開催されています。入口には大河ドラマの予告が流れていて、否応無く期待感が高まります。

新潟県立歴史博物館

講演会は「天地人リレー講演会」全15回のうちの14回目にあたり、山形大学の伊藤清郎氏による「直江兼続と最上氏」とシンポジウムの予定でしたが、急遽シンポジウムが中止となり、上越市公文書館準備室の福原圭一氏による「越後文書宝翰集にみる会津の景勝と兼続」となりました。

会場は通常の椅子がいっぱいになり、パイプ椅子で対応するほどの満員御礼状態であり、最上氏からみた直江兼続(上杉氏)という視点で当時の状況を講演していただきました。会場の客からも兼続の「愛」の文字の兜の質問がありましたが、話としては自国や農民に対する「仁愛」という説はおもしろいのですが、「愛染明王」または「愛宕権現」を守り神として掲げたというのが真実のようです。

新潟県立歴史博物館

投稿者 Tadashi : 23:24 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月20日

長岡 天地人の旅

立山連峰

澄みきった空のもと、雪をかぶった立山連峰を見ながら長岡へ向けて車を走らせました。

長岡市内に入ったあと、まず郊外の悠久山公園に上ります。由緒のありそうな蒼紫神社の境内には長岡藩主牧野家の墓石が14基立ち並び、城を模した長岡市郷土史料館があります。史料館の最上階からは長岡市内が一望に見えました。

蒼紫神社

長岡藩主牧野家墓所

長岡市郷土史料館

公園をあとにして、天気もよいので近くの幕末北越戦争の激戦地跡を探しました。迷いながらもなんとか八丁沖古戦場と大黒古戦場を見つけました。今は田んぼの中にポツリとある史跡公園として整備されています。長岡は北越戦争の河井継之助と、太平洋戦争の山本五十六、米百俵の小林虎三郎、そして直江兼続と歴史上の有名人が多いですね。

八丁沖古戦場

大黒古戦場

ホテルに着いて街に繰り出したときにはすでに薄暗くなってきていましたが、長岡コンベンションセンターと

長岡コンベンションセンター

ながおか市民センターに寄りました。来年の大河ドラマに向けて、各地のパンフレットやおみやげを扱っていて、行ったときは観光客はいませんでしたが、来年はたくさんの観光客が訪れることでしょう。長岡市内に泊まったときは土日でも19時くらいまでは開いていると思うので、ぜひ寄ってみてください。

ながおか市民センター

ながおか市民センター

来年は新潟で国体も開催されるようで、街は天地人と国体の旗がいっぱい立っていました。

投稿者 Tadashi : 20:02 | コメント (0) | トラックバック (0)

長岡城紀行 蔵王堂城址と長岡城址

明日新潟県立歴史博物館で行われるシンポジウムに参加するため、今日長岡に入りました。

宿泊する長岡駅近くには2つの城跡があります。そのひとつが蔵王堂城址。信濃川に隣接し、現在金峰神社境内になっていますが、そこには内堀の一部や大きく盛り上がった土塁の一部を見ることができました。堀直奇の銅像が建てられたようです。

蔵王堂城

蔵王堂城

蔵王堂城

しかし、この金峰神社藩政期には相当広い境内だった(現在でも広いですが)ようで、鳥居から続く参道は現在の倍近くもあったようです。

蔵王堂城

蔵王堂城

続けて長岡城址です。厚生年金会館敷地内にある石碑です。

長岡城

本丸跡は現在長岡駅となっており、

長岡城

石碑のある二の丸は厚生年金会館と道路を挟んだ銀行を含めた範囲になるようです。ながおか市民センターには長岡城の模型がありますので、そのあたりがよく分かりますよ。来年放送の大河「天地人」の掲示もたくさんありました。

長岡城

投稿者 Tadashi : 18:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月19日

天神様と東照権現

今日はマイクロソフトのセミナーに朝から参加するつもりで、前回の会場であった厚生年金会館へ行ってしまいました。会場は広岡の金沢パークビルだと駐車場に入ってから気付いたのですが、もう遅れることは確実だったので、折角のことですから近くの「金沢くらしの博物館」で開催中の「天神堂展」を見に行きました。

金沢くらしの博物館 天神堂展

金沢くらしの博物館 天神堂展

金沢では初代藩主前田利家が菅原道真の子孫ということになっているので、天神信仰がさかんであったのですが、(おそらく一部の裕福な家では)正月に男の子の成長を願って「天神さん」を飾るのが風習として残っています。

内部は写真撮影ができなかったので写真はありませんが、市内から集めた天神堂が教室に(くらしの博物館は元紫錦台中学校校舎)所狭しと並べられていました。大きなものでは奥行き2メートルを超えているかというものもあり、やはり大きな家でないと飾る場所はありませんね。

金沢くらしの博物館 天神堂展

続けて、玉川図書館に隣接する近世史料館に「尾崎神社展」を見てきました。

近世史料館 尾崎神社展

近世史料館 尾崎神社展

普段は本殿奥に収蔵されている品々が、現在本殿を修復工事中ということもあって展示されているもので、貴重な文化財を間近に見ることができました。現品は間違いなくすばらしいのですが、展示室におかれた展示品パンフレットの出来がまた良いですね。

近世史料館 尾崎神社展

この2箇所の場所は入館料が無料ということで年末お勧めの歴史スポットです。初めて入った近世史料館でしたが、入口にはビデオコーナーもあり、「藩主群像」(9分)、「城下図を歩く」(8分)、「兼六園のうつりかわり」(7分)という3本のビデオを鑑賞できます。今日は城下図を歩くを見てきました。

投稿者 Tadashi : 23:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月17日

金沢城石垣回廊 鼠多門コース

県体育館

いよいよ解体工事の始まった県体育館を支える石垣を巡るコース「鼠多門コース」。先日そこを歩いてきました。今回の案内は逆回りです。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース

終点は金沢城西側に隣接する丸の内駐車場内にある「数奇屋屋敷西方の堀縁石垣」です。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース 金沢城石垣回廊 鼠多門コース

丸の内駐車場脇の歩道に残る櫓台「玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣」です。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース 金沢城石垣回廊 鼠多門コース

このコースの名称にもなっている「玉泉院丸鼠多門周辺の石垣」。このコースの一番の見どころです。窪んでいる場所が尾山神社に向かって橋が架けられていた部分であり、その上部によくみると門の柱を立てた跡がわかります。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース 金沢城石垣回廊 鼠多門コース

そして、修復工事が終了した「玉泉院丸南西の石垣」です。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース 金沢城石垣回廊 鼠多門コース

コースは歩道を少し進んで、体育館の南側、いもり坂入口に続く部分に入ります。舗装も終わり、石垣がよく見えるように除草されていました。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース

解説板は「いもり堀の石垣」となっています。旧テニスコート部分はいもり堀復元に向けて工事の真っ最中ですが、ここにいもり堀を掲げるのであれば、飛び地で堀を復元してほしいですね。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース 金沢城石垣回廊 鼠多門コース

入口の看板はいもり坂入口から見えるように大きく掲げられています。

金沢城石垣回廊 鼠多門コース

投稿者 Tadashi : 23:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月13日

「織豊期の史料と権力」 織豊期研究会「織豊期研究」第10号刊行記念シンポジウム

織豊期研究会の機関誌である「織豊期研究」の第10号発行記念としてのシンポジウムに参加するために名古屋にやってきました。入会して2年目でありますが初めて参加しました。名古屋はなかなかに遠いですからね。例会はさらに遠い三重大学だったりします。

「織豊期の史料と権力」 織豊期研究会「織豊期研究」第10号刊行記念シンポジウム

会場は、名古屋大学文学部です。教室に入ると、何か学生時代に戻ったような感じです。

「織豊期の史料と権力」 織豊期研究会「織豊期研究」第10号刊行記念シンポジウム

当研究会は織豊期の史料研究が中心であるので、それに即した講演会ではありましたが、在野の私には少々難しい内容でしたが、三鬼先生の総括的な講演のあとの新進気鋭の研究者の方々の発表に熱気のこもる会場でした。

「織豊期の史料と権力」 織豊期研究会「織豊期研究」第10号刊行記念シンポジウム

シンポジウムの質疑応答も盛り上がり、質問者の中には、同じ金沢から来た金沢城調査研究所の木越氏の姿もありました。

配布された資料も多く、講演が資料の補足か?と思わせる量にビックリ!!ですが、いつかは自分の研究にも活かされる!?(ほんとか)と思います。

「織豊期の史料と権力」 織豊期研究会「織豊期研究」第10号刊行記念シンポジウム

尚、今回のシンポジウムの次第は以下のとおり。

記念講演
 三鬼清一郎 豊臣秀吉文書の史料学的考察
シンポジウム 織豊期の史料と権力
 斎藤夏来 織田氏嫡流の形成と五山文学
 小久保嘉紀 織豊期における書礼札故実の集積と、近世故実書の成立への展開
 太田光俊 益田少将の発給文書
 谷口央 検地帳と権力
 長屋隆幸 「戦功書上」の成立について

関係者の方々ご苦労様でした。

投稿者 Tadashi : 23:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月16日

近江の旅 坂本城・大溝城

朝から生憎の雨模様ですが、出発の前にホテル近くの草津宿を見てきました。藩政期の宿場であった草津宿は本陣と脇本陣が残っていますが、草津市役所近いという立地上、開発が進み通りは当時の面影はありません。

草津宿

草津宿

草津宿

ホテルをあとにして大津市歴史博物館へとやってきました。開催中の企画展「かわら-瓦からみた大津史-」を見るためですが、ちらしなどは寺院に使用された瓦が中心ですが、展示では大津市にあった坂本城・大津城・膳所城の瓦も展示されていました。

大津市歴史博物館

博物館を出発して、琵琶湖西岸を北上する途中、坂本城址の石碑を見つけました。今まで何度か通っているはずなのですが、見つけられなかった場所であったので、今回予定にはなかったのですが早速探索です。

坂本城

坂本城

湖岸の発掘調査地区を史跡公園として整備されています。公園からは琵琶湖を臨み、天候が良ければ見晴らしが良いところです。公園内には明智光秀の石像が立っています。

坂本城

帰ろうかと思っていましたが、道路の向かい側に寺が見えたので少し周辺を散策しました。

坂本城

国道から一本入った道路は旧坂本城下町の道であり、まっすぐでないところが当時のままである印象を受けました。

坂本城

少し歩いていると交差点で、別の坂本城址の石碑を見つけました。こちらが昔からある石碑でよく坂本城の紹介写真で見るものです。あたりはきれいに整備され、先の史跡公園までの道が舗装されています。周辺には寺が三軒ありました。この辺りが坂本城下町の寺町であったのでしょう。通りの奥に見えるのは東南寺です。

さらに湖岸を北上すると、道路沿いに聖衆来迎寺があります。ここの表門は旧坂本城から移築されたといわれています。

聖衆来迎寺

聖衆来迎寺

境内は予想以上に広大なもので、そこに森蘭丸の父、森可成の墓がありました。坂本は織田信長による比叡山焼き討ちの被害にあった場所のひとつですが、聖衆来迎寺は有力家臣の森氏の墓所であったために難を逃れたため、多くの寺宝が残っているそうです。

聖衆来迎寺

坂本からさらに北上です。琵琶湖大橋より北側を車で走るのは初めてです。目的地は高島町の大溝城です。

大溝城

JR高島駅近くにあるのが大溝城です。乙女ヶ池はかつての大溝城の惣構の一部です。

大溝城

現在残る遺構は天守石垣台のみです。平成8年に町指定文化財になったという石垣は当時整備されたものと思われますが、現在は少し荒れた感じを受けました。道路から奥にあり、建物などに囲まれている環境も観光地としてはあまりいい環境とは言えませんね。

大溝城

道路沿いの老人福祉施設の敷地がかつての三の丸跡で、案内の石碑が立っています。

大溝城

城下町は近世の分部氏時代のものですが、それでも残された遺構はほとんどなく、城関連建造物としては総門(惣門)が唯一の遺構です。その総門もかなり改築をうけて、外観以外にその面影は薄くなっています。

大溝城

町割りはかなり残されている様子ではありますが、武家屋敷もこの笠井家のみのようで、敷地に残る生垣や囲いにわずかに面影を残すだけで、建物は屋根もふき替えられ、増改築も数回行われたようで、観光用の看板は立っているものの、指定文化財にするには難しい状況です。

市内には古い建物が数件残っており、この造り酒屋の建物もかなり古いもののように見受けられました。かつてはかなりの賑わいを見せた城下町であったのでしょうが、現在は・・・、城下町として宣伝するには目玉がないですね。

大溝城

高島を後にして、さらに北上してぐるっと回って長浜にやってきました。現在開催中の特別展「戦国大名浅井氏と北近江」を見るためです。平成の合併前の展示は長浜城下や秀吉が中心でしたが、浅井町を合併して、最近は浅井氏に関する展示が増えました。今回も浅井三代に関する展示でした。

長浜城

長浜城

長浜市は現在、浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹に関する大河ドラマ誘致を盛んにやっています。近年では「功名が辻」で多くの観光客が訪れました。もしドラマ化が決定すれば、また多くの人が訪れることになるのでしょうね。

投稿者 Tadashi : 22:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月15日

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」に参加しました

風邪気味な体調をおして、楽しみにしていたイベントに参加するために安土町にやってきました。紅葉真っ只中冬もすぐだというのに安土城考古博物館の前にはひまわり!?が咲き誇っていました。

今回のイベントは同博物館で開催中の特別展「天下人を祀る」の鑑賞と、裏にそびえる観音寺山の散策です。

安土城考古博物館

特別展「天下人を祀る」

特別展鑑賞の前に、観音寺城の調査概要の説明がありました。今回は120名の参加ということで、非常に関心が高いです。滋賀県教育委員会では昨年度まで安土城跡の発掘調査を(18年間)実施し、来年度までに報告書をまとめる予定ですが、今年度から4年計画で観音寺城の石垣遺構の現況調査と一部発掘調査を行う予定とのことです。

特別展「天下人を祀る」

展示のほうは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、3人の天下人が「神」として祀られる経緯に関する内容で、秀吉の豊国神社、家康の東照宮はよく知られた存在ですが、信長は・・・私も知りませんでしたが、建勲神社に祀られているそうです。

信長の神格化は直系の後継者がいなかったこともあり、かなり遅れて明治になってからだそうですが、それは明治政府が反徳川の象徴として、子孫の居た天童藩と天皇の膝元京都で神社を建立したことに始まるようです。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

昼食後12時過ぎに博物館前に集まっていよいよ出発です。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

今回のコースは、「桑実寺」→「伝本丸」→「伝平井丸」→「今年度発掘現場」→「観音正寺」→「伝布施淡路丸」→「大土塁」→「繖山三角点」→博物館となります。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

桑実寺の山門で説明を受けているときに雨がパラパラと降りましたが、後は天候が持ちました。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

桑実寺を出ていよいよ本丸を目指します。風邪気味の体が重いです・・・

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

伝本丸で説明を受けました。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

観音正寺の境内は紅葉の真っ只中で、とてもきれいでした。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

伝布施淡路丸へは初めて行きましたが、立派な石垣が郭を巡るように残っており、見ごたえがあります。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

少し戻り、繖山で最も高い場所である三角点を目指します。途中佐々木城址の石碑の場所を教えていただきました。(道から少し入るのでわかりにくい場所です)

ここからの道は1人がやっと通れる山道を進みます。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

三角点にようやく到着しましたが、ここからの眺めは最高ですね。雨が降ったために霧がかっていたのが残念でした。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

三角点から博物館までの道は永延と下りでした。これがまたきつかった。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

しかし、途中眼下に安土山を鳥瞰することができ、すっきりと晴れた日にもう一度ぜひ見たいと思わせる景色でした。

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」

帰ってきた頃には風邪は少し治ったような感じでしたが、気のせいだったようで・・・。来年もまた予定を空けて参加したいです。

投稿者 Tadashi : 22:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月08日

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

先日の新聞報道にあった「金沢城跡埋蔵文化財確認調査現地説明会」に行ってきました。ここ金沢城本丸の北側斜面の発掘調査は昨年度から続いていますが、昨年度は発表するほどの成果が得られなかったため見送りとなり、今年度は本丸庭園跡と考えられる成果が見つかったので今日の現地説明会となりました。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

10時ちょうどに着いたものの、怪しい天候と強風により3分前に始まってしまっていました。最近の金沢城の現場説明会には毎回80名ほどの人が集まりますが、今日もやはりそのくらい居たでしょうか。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

今回の成果の第一はこの石です。明らかに人によって加工された跡が見られます。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

他の目立つ遺物はこの2点ですが、この場所は平たい石が多く出る場所で、それは石垣の栗石などとは違う趣があるようです。

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会

この場所は明治の陸軍管轄時代に掘削された部分であり、そのため、上から掘り下げる必要なく断面を発掘できる場所と特徴上今回の成果につながりました。文献のほとんどない初期金沢城の解明につながることが期待されます。

投稿者 Tadashi : 18:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月03日

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

昨日のこまちなみ探訪会に引き続き、今日は惣構堀探訪会に参加します。

集合場所は金沢市庁舎南分室です。まずは金沢工業大学教授の増田達男氏による講義を聞きました。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

「城下町金沢の惣構堀について」と題して、惣構の成り立ちから現在の状況までわかりやすく説明を受けました。増田氏は古地図と現在地図を重ねる手法で、残存部分の研究をしています。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

1時間ほどの講義ののち、いよいよ出発です。コースは「西外惣構」を柿木畠、香林坊と進み、「西内惣構」を尾山神社前、十間町、尾山町、新町と進んで、「東内惣構」の枯木橋詰遺構で解散となります。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

新町ではNTT病院の敷地内に入り、西内惣構の堀を見ました。こんなところに残っているなんて今日初めて知りました。

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

金沢歴史遺産探訪月間2008 惣構堀探訪会

有意義な散策会でした。しかし、惣構の散策は西惣構が多く、東惣構がないのは何故でしょうか?見どころは確かに西惣構のほうが多いのですが・・・今度はぜひ東惣構をお願いします!

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2008年10月25日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 高梁

この旅の最終地は高梁市です。近世城下町には珍しい山城をシンボルとした備中松山は城下町の風情を色濃く残しています。

備中松山 根古屋跡

麓の学校は元根古屋跡です。この辺りに広大な屋敷跡が広がっていました。

備中松山 根古屋跡

備中松山城は途中から道路が狭くなるため、以前は徒歩15分のところの駐車場まで自家用車で行けましたが、現在、土日は徒歩40分のところからマイクロバス(往復300円)で行くことになっていました。

備中松山城

備中松山城

天守からは本丸、二の丸を臨むことができますが、木々が茂りすぎて眼下の城下町が見渡せないのが残念ですね。

備中松山城

備中松山城

備中松山城下町

麓の城下町は面影が残っている場所も多く、歩いても良いところです。

備中松山城下町

麓の頼久寺の石垣は砦とも言えるほど堅固な造りです。

備中松山城下町

投稿者 Tadashi : 22:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 総社

岡山県総社市といえば豊臣秀吉が水攻めをおこなった備中高松城ですが、100名城ではないので、今回はその由緒に不明な部分も多い、鬼ノ城を訪れます。

鬼ノ城

駐車場に着くと、そこにはビジターセンターが建っています。無料で鬼ノ城の復元の過程や復元された西門の模型などを見ることができます。実際に見学する前に見ると良いでしょう。

鬼ノ城

遊歩道を通り、史跡に入ると復元された西門が迎えてくれます。前回訪問時はまだ復元途中でしたが、現在は風雨にさらされて新しい感じはありませんでした。

鬼ノ城

西門を通って南回りに一周します。西門からしばらく敷石の道が続きます。

鬼ノ城

しばらく行くと南門遺構に着きます。

鬼ノ城

さらに進むと東門遺構に着きます。それにしても麓が遠いです。

鬼ノ城

東門を少し進むと、屏風折れの石垣が見えてきました。どうやって積んだのでしょうね。不思議な光景です。

鬼ノ城

しばらく歩いてようやく着きました。ここからの景色も絶景です。

鬼ノ城

「岡山県十五景地」の看板が外れた石碑が・・・

鬼ノ城

北門は今も整備中でしたが、車で近くまで行けるようでしたので、地元関係者が案内するときにでも使うのでしょうね。

鬼ノ城

西門とともに復元整備された角楼跡です。

鬼ノ城

ここから眺める西門もなかなか良いアングルでした。どうやってこんな山の上に石を積んだのか、見どころ沢山の鬼ノ城でした。

鬼ノ城

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日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 福山

JR福山駅北口を出ると、正面に高い石垣が迎えてくれました。最終日まずは福山駅周辺を歩きます。

福山城

ここでもちょうど石垣に生えた草をとる作業をしていました。

福山城

福山城といえば復興天守の写真しか見たことがなかったので、櫓や門がかなり復元されていることがまず驚きでした。

福山城

福山城

福山城

福山城

福山城

福山城

福山城

天守最上階から眺める城下は非常に気持ちよいものでした。

福山城

福山城

城内には安倍正弘像が立っています。福山藩安倍家7代当主にして、老中であった正弘は、大河ドラマ「篤姫」でも篤姫を輿入れさせた立役者として出演していましたね。福山は幕府の西国の要として非常に重要な地であったため、広大であった城域を思うには十分なものが残っていますね。

福山城

福山城に隣接する広島県立歴史博物館ではちょうど特別展「徳川家・姫君の華麗なる世界」が開催されており、篤姫の籠を見ることができました。同時開催で、鹿児島でちょうど終了していた「篤姫展」もやっており、最終日も期ならず篤姫に触れることができました。

広島県立歴史博物館

広島県立歴史博物館

投稿者 Tadashi : 21:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月24日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 中津

九州最後の地は中津です。前に来たのは10年以上前の学生時代なので、堀と石垣が新しく整備されるなどして様変わりしていました。この城は個人所有なのですが、ニュースでは財政難でいつまで持つかという話もありましたので、閉じる前にもう一度見ておきたかったのです。

中津城

中津城

中津城

模擬天守に入ろうとしたとき、珍しいものを見つけました。岩蟹でしょうか?川が近いとはいえ、こんなところになぜ迷い込んだのでしょう。

中津城

中津城

中津城

中津城

天守北側の石垣は右側が黒田時代、東側が細川時代の石垣だそうです。しかし、場所は入口から正反対の場所にあるため、訪れる人も少なく勿体無いことです。

中津城

中津は城下も見どころがあります。徒歩でまわりました。

西門石垣

川沿いにしばらく歩いていくと、西門の石垣が残っています。民家の間に残る石垣は開発を免れ、周辺の住民の理解と努力の跡がしのばれます。

南部小学校の正門となっている門は中津藩家老の生田家の門です。

生田門

また、裏門の脇には大手門の石垣が残っています。

大手門石垣

また近くには黒御門の礎石がアスファルトの道路に埋まるように1箇所残っています。

黒御門跡礎石

城下には数ヶ寺の寺が密集する寺町通りがあるのですが、中でも注目は合元寺です。赤壁に象徴されるこの寺は実際にも目を引きますね。

合元寺

投稿者 Tadashi : 21:33 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 大分

昨日の雨模様から一転、晴れましたが曇っているので散策には良いですが、写真は白壁が空に馴染んでしまってダメですね。

大分府内城

府内城は大友宗麟の居城でしたが、県都である大分市のど真ん中にあることもあって、かなり開発の犠牲になっていました。それでも、なんとか内堀と櫓や門を復元して城であったことの面影は感じることができました。

大分府内城

写真のアングルによっては、まわりの高層ビルが写る残念な状況ではありますが、堀と石垣だけになっている多くの街中の城郭に比べれば、櫓があるだけで絵になりますね。

大分府内城

大分府内城

大分府内城

大分府内城

大分府内城

大分府内城

広い内堀のほかにも、ひっそりと用水として残った堀跡が残っていました。

大分府内城

大分府内城

大分府内城

山里丸であった地にある松栄神社の境内には、慶長時代の石垣が露天展示されていました。

大分府内城

大分府内城

福井城でも復元された廊下橋です。珍しい形の橋ですね。

大分府内城

大分府内城

城内に入ると、天守台前に大友宗麟像が立っています。天守台にも上ることができます。が、建物がない分見晴らしは遠くまでは無理ですね。

大分府内城

府内城は残る遺構も少ないですので、まわりを一周しても1時間強で見て回ることができます。

投稿者 Tadashi : 21:02 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月23日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 豊後竹田

17時前に岡城に到着。まだ間に合うのか心配しながら券売所に直行すると・・・何とか滑り込みセーフでした。聞けば17時までに入場券を購入すれば、あとはエンドレスだということです。岡城の入場券は巻物のようになっていてすばらしいです。これだけでも価値がある!?

岡城

時期的なものと、雨の影響もあってすでに薄暗くなってきているので急いで本丸を目指します。しかし、やはり写真はかなり厳しく半分はピンボケしてしまいました。

岡城

岡城

岡城

しかし、岡城の石垣の数々はすばらしいですね。眼下やまわりの山々の景色も良いです。今日は雨の影響で雲海ができていて、雰囲気も抜群です。

岡城

岡城

岡城

岡城

岡城

岡城

岡城

本丸から戻ってくると辺りはすっかり真っ暗でした。おみあげ店も閉まっていたので、何が売っていたのか気になります。

岡城

駐車場から少し下りた場所に岡城唯一の復元建造物である門が建てられていましたが、暗すぎて全体写真が撮れなかったのがこれまた残念です。

岡城

城跡から眺めていたときは雰囲気のある雲海でしたが、この後大分市へ向かう途中、視界ゼロの霧の中を運転する羽目になってしまい、しかも国道なのにすれ違いできない一車線道路に迷い込んでしまい、到着したころにはクタクタでした。

投稿者 Tadashi : 22:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 飫肥

道中非常な大雨に降られた場所もありましたが、飫肥に入ると運よく小雨になりました。

飫肥城下町

飫肥城は城域の一部が学校などになっていますが、比較的良好にその遺構は残っていました。見どころはやはり石垣ですね。

飫肥城

飫肥城

飫肥城

陣屋風の歴史資料館では飫肥城の歴史を学ぶことができます。

飫肥城

飫肥城

歴史資料館のある新本丸を奥に進んで階段を上ると、旧本丸とされる郭が残っています。階段途中には門の礎石が残っています。

飫肥城

もう一つの郭である松尾の丸に上ると、木造で復元された御殿を見学できます。特に史実とは関係ないようですが。

飫肥城

飫肥城

城下町には石垣で整備された風情ある町並みが残っている場所が多数あります。もっとゆっくり見てまわる時間がほしかったのですが、残念ながら時間切れです。

飫肥城下町

観光用駐車場のそばには、藩政期に武芸を鍛えるために行われたという「四半的」を体験することができます。

飫肥城下町

飫肥城下町

やってみたかったのですが、正座ではなつ弓は思っていたより大きく、意外に本格的ですね。

投稿者 Tadashi : 21:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 鹿児島

桜島

朝、厚い雲の中、桜島にも雲がかかっています。ずっと見ていると、太陽の光が雲間から漏れてきて非常にきれいでした。短い滞在でしたが、出発です。

島津今和泉家本邸跡

朝のラッシュの中、島津今和泉家本邸跡を見てきました。現在は歩道沿いの石垣にその面影を残すのみですが、個人宅となっているこの石垣も藩政期のものではないそうです。

南州神社

近くの高台は南州墓地となっており、西南戦争で戦死した2023名が眠っています。

南州神社

中央には西郷隆盛さんです。

南州神社

そのとなりは村田新八さんです。ほかの方々も桜島のよく見えるこの地に、桜島に向かって祀られています。

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2008年10月22日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 鹿児島

鹿児島

桜島が見えてきました。平野越しの山の景色はよくありますが、海を挟んで山が見える光景はなんとも言えないですね。

鹿児島

鹿児島ヴィーナスポートの篤姫館は大盛況でしたが、いぶすき館に比べると何か寂しい入口です。

鹿児島

鹿児島

中の写真を撮れるポイントは1箇所。篤姫の部屋のみですが、掛けられた屏風はあの薩摩の情景です。

鹿児島

街に繰り出す前にホテルにチェックインします。窓から眺める桜島も良いですね。

鹿児島

鹿児島

博物館に向かう途中には西郷さんの像が。

鹿児島

鶴丸城の本丸跡に建てられた鹿児島県立歴史博物館「黎明館」です。100名城スタンプはここで押せますが、1階でも広い展示室が、3階もあるんですよ。1時間ではゆっくり見て回ることができませんでした。もっとゆっくり来ないといけないですね。3時間は必要かな。

鹿児島

博物館を出ると、ついに雨が降ってきました。雨の合間をみて散策を続けます。隣の県立図書館は鶴丸城の二の丸跡に建っています。

鹿児島

鹿児島

城山の麓に建つ照国神社です。ご祭神は島津斉彬です。立派な左右対称の献木が正面にあります。

鹿児島

最近立てられたという小松帯刀像です。その見つめる先はいずこでしょうか。

鹿児島

投稿者 Tadashi : 22:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 薩摩今和泉

指宿を出発し、薩摩今泉を訪れます。少し駐車場への入口が分かりにくいですね。駐車場には観光コースの看板が・・・ところが1箇所間違っているのですよ。

薩摩今和泉

観光コースとは逆回りで巡ります。

薩摩今和泉

コース途中にはこの地方特有の石積みの塀が見られます。

薩摩今和泉

薩摩今和泉

島津今和泉家の本領である地の別邸跡は現在今和泉小学校となっていますが、すぐ裏の海岸線には松並木と防波堤を兼ねた石積みが残っています。

薩摩今和泉

小学校の校舎裏には別邸の井戸が残っています。

薩摩今和泉

もうひとつ校舎の表に手水鉢が残っているのですが、場所がわかりにくく校内をうろうろしていたら、校長先生?に注意されてしまいました。親切な校長先生でよかったです。それにしても今は大河ドラマやっていて見ることができますが、終了したら見ることはできない!?かもしれませんね。

薩摩今和泉

さて、案内看板や案内チラシの間違い、実はここです。手水鉢の位置や写真は海岸沿いにできた休憩所のオブジェになっています。見るからにツルツルの表面はうそ臭いのですが、テレビで紹介されていたのは全然違うよー

薩摩今和泉

観光コースは小学校正面にまわっているのですが、何があるか書いてありません。実際まわってみると、島津斉興(斉彬の父)が近くの二反田川の護岸工事を行った先の石積みを再利用したものだそうです。

薩摩今和泉

孝女袈裟子の碑です。袈裟子は生まれつき話せませんでしたが、たいへん親孝行な娘だったのを、殿様がその親孝行ぶりを褒めてお金や米を贈ったという話だそうです。

薩摩今和泉

豊玉媛神社です。真っ赤な社殿が印象的です。

薩摩今和泉

薩摩今和泉

薩摩今和泉

神社の隣は殿様の隠居所だった場所だそうです。階段や脇の石積みに雰囲気が残っています。

薩摩今和泉

神社から墓所の道中「田の神様(かんさぁ)」を見ることができます。薩摩藩領内にのみ見られる豊作の神です。

薩摩今和泉

今和泉家の墓地です。鳥居には島津の家紋が刻印されています。

薩摩今和泉

歴代当主の中に、篤姫の父島津忠剛の墓もあります。

薩摩今和泉

今和泉駅は篤姫フィーバーです。

篤姫バーガー

道の駅いぶすき彩花菜(さかな)館では篤姫の好きだった赤味噌で漬け込んだジャンボ鶏肉を挟み込んだ「篤姫バーガー」が売っています。580円とファーストフードにしては高額ですが、その大きさと旨さには納得ですよ。テレビで放映されていて、本当に食べたかったんですよ。

投稿者 Tadashi : 21:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 指宿

天気がよいのは今日までです。今日はマンションの最上階に泊まったので、折角の機会なので朝日を拝みました。すっきりと晴れていれば対岸の大隈半島が見えるそうだが、今日は見えない。

指宿

手前の白いビルは「砂むし」で有名な施設。この辺りは高温のため遊泳禁止だそうです。ビックリです。海の中央に浮かぶのは知林が島です。

指宿

施設のオープンには少し時間がありましたので、篤姫の撮影にも使われた知林が島に向かいました。満潮時には島への道は沈んでしまうとのことでしたが、今日は運良く島への道は見えました。シーズンではないので島へ渡るのは禁止されているようです。波打ち際には貝殻が打ち上げられ、模様のようになっていて、それがまた絵になります。

知林が島

知林が島

さて、いぶすき篤姫館にやってきました。鹿児島市からは車で30分以上かかるので、こちらは人出は少なめです。展示は今泉時代が中心となっています。

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

写真撮影が入口と、今泉の於一の部屋の2箇所で許可されていました。

いぶすき篤姫館

いぶすき篤姫館

於一の部屋の掛け軸は「うさぎ」でした。見る場所が違うって?

いぶすき篤姫館

投稿者 Tadashi : 20:43 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月21日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 人吉

熊本を出発して、高速を途中で降ります。山間に開けた人吉の地に入りました。

人吉城

人吉城公園は広かったです。その一角に人吉城歴史館が建てられています。ここで地図をもらうことができますが、中世の城跡を入れるとかなり広大な城です。

人吉城

屋敷の礎石を示す跡の左奥には人吉市役所があります。人吉城への出入り口であった大手門の正面になります。

人吉城

復元された大手門横の多聞櫓から角櫓までの建造物は、胸川に面した石垣上に建てられており、絵になりますね。

人吉城

人吉城

橋を渡り、角櫓の向かい側にくると、右手に胸川沿いに復元された建造物を、左手に球磨川を臨むことができます。現在は球磨川にかかっている橋は藩政期にはありませんでしたので、胸川に架かる大手橋から入城しなければいけませんでした。

人吉城

人吉城

人吉城

球磨川沿いにはいくつかの船着場からの階段があります。

人吉城

球磨川にかかる橋から入ると一部復元された塀を見ることができます。ここには米蔵がありました。

人吉城

人吉城の見どころのひとつ、武者返しです。この石による返しの工法は西洋技術であるはね出し工法と呼ばれるもので、五稜郭など幕末建造の城にわずかに見られるものであるが、旧来の城郭に採用された唯一の城だそうです。本当に珍しいです。

人吉城

はね出し工法の石垣の脇には御下門が復元されています。ここは三の丸の入口で、御殿のあった二の丸、その上の本丸に続く入口の門です。これより奥には中世の中原城などに続く道がありますが、今回は時間がないので行けません。それにしても広いところです。すべて散策するには半日は必要なようです。

人吉城

人吉のもう一つの観光スポットが今年国宝に指定された青井阿蘇神社です。

国宝 青井阿蘇神社

古い社殿は荘厳な雰囲気で、社殿の外側と内側に精密な装飾が残っています。

国宝 青井阿蘇神社

国宝 青井阿蘇神社

国宝 青井阿蘇神社

投稿者 Tadashi : 22:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 熊本

いよいよ熊本城です。近年次々と建物が復元され、昨年は築城四百年祭で盛り上がった当城ですが、去年は都合がつかず来ることができなかったので今回ようやく念願叶いました。

熊本城へ入城する前に、少し時間があるのでまずは周辺をめぐります。

隈本古城

熊本城の周辺には徒歩で行ける範囲に2つの城跡があります。そのひとつが隈本古城です。説明板を読むと熊本城の城域(または支城)のようでもあるのですが、現在は高校の敷地を支える石垣と堀跡が公園となっています。

隈本古城

隈本古城

城下を歩いていると広告を前面プリントしたバスが・・・ANAの広告のようですが、こんなところにも熊本城が描かれています。

こんなところにも熊本城

千葉城

もうひとつの城跡は千葉城です。現在はNHK熊本の敷地となっている高台ですが、麓の川沿いに千葉城公園と城跡であった名残りを残しています。この城の南側には藩主細川氏に客分で招かれた宮本武蔵が住んだ場所がありました。由来は古いですが、西南戦争でも機能していたようなので、最終的には熊本城の支城的役割を担ったようです。

千葉城

千葉城

はぜ方門入口近くには加藤清正公園があり、加藤清正公が熊本城を背に座しています。

加藤清正像

それでは熊本城を散策しましょう。

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

まだ工事中の建物があるんですよ。それにしても見どころ多いですね。まだ天守に着かないですよ。それではいよいよ今年春公開されたばかりの本丸御殿に入ります。

熊本城本丸御殿

地下回廊への入口は2箇所ありました。薄暗い地下回廊はまさに戦国時代の知恵ですね。

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

内部は見学者でいっぱいでしたが、まだまだ真新しい匂いがしました。注目は色鮮やかな昭君の間です。いざという時に秀頼公を迎えるために準備したと伝えられる部屋は非常に格式高い造りでした。撮影は許可されていましたが、フラッシュなしだったので、良い天気でしたがかなりピンボケしてしまいました。

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿

ようやく天守へ入ります。

熊本城天守

熊本城天守

大天守内には復元募金の芳名板が所狭しと並べられていましたが、自分の城主になった年月を忘れてしまい、見つけることができませんでした。

熊本城天守

熊本城天守

さて、それでは熊本城の散策を続けましょう。

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

昼も過ぎたので少し腹ごしらえをします。売店には「いきなり団子」の文字。ケロロ軍曹でよく聞く名物の名前でしたが、本物を見るのは初めてです。

いきなり団子

これは試してみる価値あり!と早速購入しました。普通よりもアイスのほうが4種類あるということでそちらをすべて購入、包みと餡の材料がそれぞれ違うのですが、どれもおいしかったですよ。

いきなり団子

それでは、散策を続けましょう。

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城をあとにして、最後に旧細川刑部邸に向かいます。

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

いや広かったです。それに見どころ満載でした。3時間と他の場所に比べ余裕を持った日程で散策を始めたのですが、結局大きく2時間超えてしまいました。

投稿者 Tadashi : 20:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月20日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 熊本

ホテルに着くと、すでに真っ暗でしたが、今日は熊本城の近くに泊まります。期待していた以上の夜景です。泊まった部屋からはばっちりと熊本城のライトアップが見えました。このライトアップは随分と遅くまでしていましたね。23時近くまでライトアップされていました。

ライトアップされているのは、手前(下)に復元された本丸御殿、奥に大天守と小天守です。

熊本城ライトアップ

夕食を兼ねて街に出ましたが、近くまで来てみると、全く天守が見えません。

熊本城ライトアップ

少し離れると、いろんな場所からライトアップが見えます。これも天守に向かってまっすぐな道路のおかげなんですけどね。

道の真ん中に設置させた路面電車の駅からはちょうどよい感じです。手前に本丸御殿、奥に大天守の上部が見えます。思いっきり城下町って感じですね。(東側から撮影)

熊本城ライトアップ

こちらの角度は、右に大天守、左に本丸御殿です。(南側から撮影)

熊本城ライトアップ

投稿者 Tadashi : 22:55 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 吉野ヶ里

吉野ヶ里遺跡

佐賀城を出発し、30分で吉野ヶ里遺跡に到着します。迎えてくれるのは弥生人風のマスコット人形です。

吉野ヶ里遺跡

入ってみると、想像以上に復元建物がはるか向こうに見えます。終了1時間前に駐車場に入ったのですが、「今からでいいですか?」って聞かれたのですが、どうも1時間では回りきれないようで、「うそだろ?」と思ったのも束の間、どうやら本当のようです。

吉野ヶ里遺跡

それにしても広大な遺跡公園です。中にバスも走っているんですよ。

吉野ヶ里遺跡

展示室では出土した土器や甕棺が展示されていて、吉野ヶ里の発掘の経緯や成果がよくわかります。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

展示室の向かいに広がる南内郭は政治を執り行っていた場所と考えられ、物見櫓や竪穴住居が復元されています。すべての竪穴住居の中は当時の生活を復元して、わかりやすく立体展示されています。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡の見どころは、やはり北内郭の主祭殿ですね。2階では会合の様子が、最上段の3階では巫女の祭祀の様子が復元展示されています。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

北内郭のさらに奥には甕棺暮列が広がり、さらに奥の盛り上がった小山は北墳丘墓(王の墓)です。

吉野ヶ里遺跡

中は遺構をそのまま立体展示しています。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

さて、奥の奥までやってきましたが、公園はさらに奥に現在の発掘現場があるようです。時間になりましたので、入口に急ぎますが・・・そこまで15分もかかるんですよ。なんて広いんだ!管理も大変そうです。

投稿者 Tadashi : 22:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in佐賀

佐賀市は初めてです。あまり時間がないので足早に復元された本丸御殿のまわりを散策します。

まずは鯱の門が出迎えてくれます。この門は唯一の遺構建造物ですから威厳があります。

佐賀城

屋根の鯱もなかなかですね。

佐賀城

天守台に上ると、本丸御殿や土塁を上から俯瞰できますが、写真としては正面でないのでイマイチですね。

佐賀城

城内には土塁の復元とともに、発掘により見つかった水路の立体展示を見ることができますが、ここは鯱の門とは別の西門から入ってこないと見られないので、あまり見る人はいないでしょうね。

佐賀城

今日は月曜日なのでお客さんは年配の団体客が中心です。復元された建物内は新しいのできれいです。最近の復元建物は鉄筋コンクリートが少ないので、建物自体にも魅力あります。中の展示物は幕末中心だったので、自分にはあまり興味ありませんでした。

佐賀城

佐賀城

佐賀城

内堀は東側以外は残っています。かなりの堀幅があり、すばらしいですね。否うらやましいです。金沢城で同じ規模を誇った百間掘は埋め立てられて道路ですからね。

佐賀城

次の目的地に行く途中で城下で唯一の武家屋敷門の遺構の前を通りました。石碑が立っている観光地?だと思うのですが、管理が・・・・写真で見てもそう思いますよね。

佐賀城

投稿者 Tadashi : 22:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大野城

福岡城を出発し、福岡都市高速の終点水城にやってきました。ここは古代大宰府政庁の防衛施設であった水城の跡です。詳細な地図がなく、うろうろして、ここで写真撮って良しとしようか、と撮った写真が1枚目のコスモスの写真です。奥の木がある盛り上がりが水城の土塁です。この時はその近くに本来の目的地があることを知りませんでした。

水城

コスモスとのベストアングルを探しながら写真を撮っていると、道の向うに石碑があります。「水城大堤之碑」と書かれた史跡公園はまさに目的地でした。

水城

碑の横には「史跡水城址」と書かれた東門礎石があります。この道路は水城を分断して作られたものではなく、古代より道として存在し、門があった場所のようです。

水城

史跡公園はコンパクトながら水城は何であるかを知る良い遺構が残っています。案内図にはありませんが、道のななめ向かい、コスモスの咲いていたほうにも駐車場と水城の説明看板があります。

水城

土塁上の展望所に上ると、はるか遠くに続く水城を眺めることができます。

水城

今回は時間的制約もあって、水城とともに大宰府防衛ラインであった大野城には登ることができませんでしたが、次回はぜひ大宰府とともに見に行きたいです。

投稿者 Tadashi : 22:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in福岡

昨日に比べると少し曇っていますがいい天気です。

福岡城

福岡城跡は舞鶴公園となっていますが、古代は海外との外交施設こうろ館のあった場所です。福岡ドームができたあと、ここにあった平和台球場跡地の発掘が進む中で様々な成果がありました。現在も発掘作業が続けられていました。

まずは「名島門」を通ります。この門は黒田長政の福岡城に移る前に在城していた名島城の脇門です。

福岡城

下の橋大手門は現在復元工事中で中には入れませんでした。

福岡城

正面にまわると、現在も残る堀の向こうに石垣があり、ちょうど石垣に巻きついた草を刈っている最中でした。珍しい光景なのでしばし見学。

福岡城

福岡城跡の石碑は二の丸近くの駐車場のそばにありましたが、石碑はもうひとつあります。

福岡城

福岡の観光ガイドにもほとんど紹介されない福岡城ですが、意外に多くの石垣が残っています。大天守台に上ると天守礎石が残っています。

福岡城

見学台に上ると、中天守台と小天守台が見えます。小天守台には上れますが、中天守台はここから見ることができるのみです。

福岡城

建物はこの多聞櫓と祈念櫓が2つ残っていますが、手前に見えるのは井戸で、城内にはたくさんの井戸跡が残っていました。残念ながら城内に植えられた木が邪魔で、石垣から見上げて建物を撮る良いアングルがありません。

福岡城

こちらは大型バス駐車場から近い石碑です。歩道沿いに立つので、頻繁に通る自転車に気をつけながら撮影しましたが、石碑の背景に堀が入るのでなかなか良い写真になりますね。

福岡城

投稿者 Tadashi : 22:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月19日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

錦帯橋の向こうの頂上に見える岩国城、来たかった城のある風景のひとつでした。念願かなって駐車場となっている河原からまずは1枚。左の頂上に岩国城があるのですが、小さな写真にすると・・・

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

望遠で撮影した天守です。これが頂上にあるんですが、わかりますか?

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

そのまま河原を歩いて、近くから錦帯橋を何枚も撮りました。橋脚の石組みと橋桁の裏はこんな感じです。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

頂上までは徒歩でも行けるようですが(行く人いるのかな?)、普通はロープウェーで近くまで登ります。
同じく頂上に天守のある岐阜城は実際に攻められた城ですから、攻めている気分で実際に登る人もいるでしょうが、ここは実戦なかったのでは。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

天守のある本丸には旧天守の石垣が残っています。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

博物館になっている天守に入り、最上階の展望台から見える風景はやはり絶景です。眼下の錦帯橋も小さいですね。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

望遠で撮るとこんな感じです。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

山麓には元々普段生活の営まれた館や武家屋敷があったものと思われますが、現在その一角にここを納めた吉川氏一族の墓地があります。一族の墓地というと、歴代藩主、正室、ここまではよくありますが、ここでは、側室、夭折した子供たちなど予想を超える墓が所狭しと立ち並んでいます。

一番高いところに初代吉川広家公の墓があります。歩き回ったあとに訪れるには少々体力的に厳しい場所にあります。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

投稿者 Tadashi : 22:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大竹

広島市から岩国市へ向かう途中に、地図を見ると福島正則の築城した亀居城が書かれていて、麓から20分ぐらいということでちょっと寄りました。しかし、ちょっと寄ったつもりが、見どころ盛りだくさんな城跡でした。

麓の大型ショッピングセンター駐車場から見える正面の山が亀居城跡のある亀居公園です。右前方の交差点が入口です。

安芸亀居城

交差点には亀居城跡入口の石碑とともに、由来を書いた石碑と公園までの案内板です。由来によると、亀居城は福島正則が慶長八年(1603)から五年をかけて築城し、慶長十六年(1611)に幕府の命により破却されたようです。実質3年ほどしか機能しなかった城ということになりますか。

安芸亀居城

安芸亀居城

とてもとても急な上り坂を上って行くと、立派な石垣が迎えてくれます。城内には石垣が豊富に残り、予想以上の満足感を味わえました。

安芸亀居城

安芸亀居城

天守台には上れませんが、そこからの眺めはとても良かったです。瀬戸内海と向こうに大竹市の工場群が見えますが、すっきりとは見えず残念でした。

安芸亀居城

安芸亀居城

天守台を下から見ると、かなりの高さであることがわかります。ここまでの石垣が残っているのにあまり注目されていないのは残念です。

安芸亀居城

帰りも石垣を見ていると、刻印を見つけました。公園内にも豊富に残る刻印を案内する看板がありましたが、刻印のサイズはあまり大きなものではありませんでした。

安芸亀居城

安芸亀居城

迫力ある石垣が迎えてくれる亀居城はおすすめです。ぜひ天気のよいときにいきましょう。

投稿者 Tadashi : 22:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in広島

今日は快晴です。市内に泊っていたので広島城まではあっという間に着きました(ちょっと行き過ぎたぐらい)が、広島城博物館(天守)のオープンまで一時間あるので、まずは内堀の外周を廻りながら、写真を撮ります。

駐車場から出て、まず迎えてくれたのは二の丸に復元された太鼓櫓です。広島城は学生時代に一度来たことがありますが、10年以上も前になるので、そういえばその頃は工事中だった・・・。

広島城

広島城の石碑は駐車場のある二ノ丸口とは違い、広島護国神社のある本丸口にあります。が、石碑と一緒には石垣しか写らず、建物が写らないのが残念です。今日は護国神社の何か行事だったようで、大勢の人が押しかけ、城内に車を無造作に停めるので、石垣のショットを撮るのに非常に邪魔でした。せめて、車は近くの駐車場に停めてほしいものです。

広島城

内堀に移る石垣や天守はきれいです。

広島城

広島城は金沢城と同じように、戦前は陸軍の駐屯地のひとつであったので周辺には陸軍時代の遺構が残っています。

広島城

内堀を少し外れて、太田川を歩きました。ここは基町堤防といい、広島城の惣構の一部を構成していた太田川の氾濫を防ぐために、広島藩主福島正則が築いた堤防が始まりだそうです。

広島城

博物館となっている天守前には、再建の際に発掘で出土した天守礎石を見ることができます。

広島城

広島城の日本100名城の認定証です。

広島城

広島城

駆け足でしたが、二ノ丸が再建されて魅力の増した広島城を堪能しました。次は岩国に向かいます。

投稿者 Tadashi : 22:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月18日

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 安芸高田

最初の津山からかなり予定をオーバーしてしまい、急いで安芸高田市へ移動しました。さらに、まだ平成の合併前に一度訪れたことがありましたが、道路標識が変わっていて道に迷ってしまいました。

吉田歴史民俗資料館

なんとか資料館の閉館には間に合いました。資料館には毛利氏に関する資料や付近の城跡に関する遺物が豊富に展示されており、次回はもっとゆっくり鑑賞したいものです。

すでにあたりは薄暗くなってきていましたが、石碑や一族の墓を見てきました。今回は残念ながら本丸などは見学できませんでした。

郡山城

郡山城

郡山城

郡山城

郡山城

前回訪れた際に整備中であった公園はまだ整備途中でしたが、新設された駐車場には「日本百名城 郡山城」の記念碑が設置され、石碑越しに郡山城の山を入れて写真を撮ることができます。

もともとある上に紹介している「史蹟郡山城址」の石碑は入口に立っているものの、城跡とは向かい合って立っている関係で、石碑と城跡を両方入れて写真に撮ることができなかったので、今後は上記写真のほうがよく使われるかもしれませんね。

投稿者 Tadashi : 23:53 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 津山

本日より九州方面へ長期旅行です。早朝に出発して順調に車をとばして来たものの、最初の目的地津山に到着したのは、もう昼近くでした。今回の旅は悪天候の予報がないので良い旅になりそうですが、今日は予想外に暑いです。

まずは城下町を見学です。津山城の東に位置する「上之町」「中之町」「西新町」には昔ながらの町並みが残っているのですが、城下町の道というのはまっすぐでなく、また狭いのです。

「作州城東屋敷」にやってきました。ここは町屋施設が残されているのですが、石碑の向こうに見えるのはだんじり展示館です。

作州城東屋敷

街道沿いにしめ縄が貼られていたので何かと思いましたが、今日の午後から秋祭りで、ちょうどだんじりが各町会に出されていました。ということで、だんじり展示館の中は当然空です。

だんじり

こちらが町屋施設ですが、映画寅さんシリーズ最終作はこの付近で撮影がされたそうなので、その時の写真と、建物横に記念碑が建てられていました。

作州城東屋敷

城下出雲街道の町並みです。雰囲気がありますが、自動車が頻繁に走ります。

出雲街道沿いの町並み

津山城です。最初の写真は鶴山館越しに見る備中櫓です。鶴山館は津山藩の文学校の建物で、裏にはちょっとした動物園があります。

津山城 鶴山館

最近復元された備中櫓です。前回は工事の真っ最中で、復元後初めてやってきました。津山城には城郭建築が残っていないので、一つでも復元されるとやはり見ていてもいいです。

津山城 備中櫓

津山城 備中櫓

城郭の櫓は板張りが多いのですが、ここは畳敷きが基本のようです。史実では確認していませんが、実際はどうだったのでしょうか?

津山城 備中櫓

津山城 備中櫓

津山城 備中櫓

2階には登ることができ、上段の間(1段高い一角)が用意されていましたが、特に窓が開放されるわけでもなく、用途はよくわかりません。

津山城 備中櫓

備中櫓と一緒に土塀の一部が復元されています。

津山城 備中櫓

今日は晴天だったので、天守台からの眺めは最高でした。天守台の回りでは今でも発掘調査が続いていました。この天守台に登ると、往時の天守の大きさが偲ばれます。

津山城 天守台

投稿者 Tadashi : 23:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月12日

シンポジウム「中世都市と職人」

連休中日である今日は、先週に引き続き七尾で開催されるシンポジウムに行きました。

今年は能登畠山家創立600年事業として様々なイベントが開催されています。先週は冷泉家に関する一般向けシンポジウムで、非常に大勢の参加者が来ていましたが、今日は中世の都市に関する学術シンポジムということで、部屋も小規模になり、参加人数も・・・・少ない。予想以上に少ない。

シンポジウム「中世都市と職人」

シンポジウム「中世都市と職人」

シンポジウム「中世都市と職人」

全国の中世都市の状況を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の小野正敏氏より発表があり、続けて七尾、堺、豊後府内、博多と最新の発掘調査の状況について発表がありました。最後は再び小野氏によって総括されました。

各地の発掘調査によると15世紀半ばまでに成立していた都市や城下町では職人(商人)はまばらに存在し、固まって○○町などを形成することはなかったようです。また、職人は自分で作った物を自分で売っていたので商品でもあったという、職域が未分化な世界でありました。話の中では、中世の物価の話があり、とても興味深く聞きました。たとえば、発掘調査では大量に発見される「かわらけ」ですが、当時の物価で1文、大工の日当が100文といいますから、あまり高くないですね。発掘調査では「こんなに大量に見つかりました!」って物珍しそうに発表されますが、今度から見方が変わりそうです。

ちなみに、茶を飲む天目茶碗は8000文、茶の湯釜が2000文といいますから、高いものは高いですね。

能登畠山氏と能登の美術

シンポジウム終了後、七尾美術館で開催中の「能登畠山氏と能登の美術」展を見てきました。

投稿者 Tadashi : 20:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月02日

月見光路

金沢城に隣接する広坂緑地などでは、今日から金沢工大生が竹や紙で作った明かりのオブジェが夜を彩る「月見光路」イベントが始まりました。

明るいうちに撮った写真と暗くなってからのライトアップ写真を比べてご覧ください。明かりのオブジェの向こうにライトアップされた本丸高石垣が幻想的です。

月見光路

月見光路

月見光路

月見光路

月見光路

月見光路

他に、四高記念館や21世紀美術館の前も明かりのオブジェで飾られ、建物のライトアップとともに非常にきれいでした。木曜日の今日は初日ということもあってか、人もまばらでした。週末の明日は大勢の人出でしょうね。

月見光路

月見光路

金沢城のライトアップは通常のライトアップと変わりませんでしたが、橋爪門前の堀は日中に清掃したおかげで水面にきれいに映り込んでいました。

月見光路

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2008年09月28日

特別展 「失われた国宝 本丸御殿」

今日はイベント「『金城温古録』の歩き方」の2日目です。明日から天候が崩れるという予報なので、曇りがちでしたが、外を歩き回るにはちょうどよかったです。

イベントは10時からだったので、朝早く出かけて、名古屋城周辺で前回いけなかった白壁地区を歩きました。観光地図では近代遺物が中心で、空襲を受けた市内では無理もないかなと思っていましたが、現地まで行くと、長屋門の案内があり、市内に唯一残るという長屋門を見ることができました。名古屋城の近くにあるのに、同時代の遺物を紹介しないとは勿体ないですね。(話によると、現在観光資源を見直しをしている最中らしいです)

長屋門

10時前に現地に到着すると昨日よりも多くの人が集まっています。講演より、今日のような案内のほうが人気あるようですね。

特別展 「失われた国宝 本丸御殿」

特別展 「失われた国宝 本丸御殿」

特別展 「失われた国宝 本丸御殿」

城内10か所ぐらい立ち止まって説明を受けました。やはりこうした説明を受けながら見ると理解が深まります。

特別展 「失われた国宝 本丸御殿」の展示も古写真や地図を中心に非常に楽しめる展示でした。今回は展示物の図録も売っていたので、迷わず購入してきました。

特別展 「失われた国宝 本丸御殿」

本丸跡は囲いをおおわれていて復元の準備が着々と進んでいましたが、まだ何も建っていませんでした。おみあげに、春に購入した本丸御殿復元グッズのキャラメルを買おうと思ったのですが、どこにも販売されていませんでした。人気なかったのかな?おいしかったのに・・・

投稿者 Tadashi : 20:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年09月27日

名古屋城を記録せよ!名古屋城百科「金城温古録」の誕生

今日と明日は名古屋のイベント「『金城温古録』の歩き方」に参加します。今日は名古屋市博物館の企画展「名古屋城を記録せよ!名古屋城百科『金城温古録』の誕生」の解説講座、明日は名古屋城の散策と特別展「失われた国宝 名古屋城本丸御殿」に参加します。2010年の名古屋開府400年に向けて、名古屋城本丸御殿復元や名古屋城検定など、城好きには嬉しい企画が満載の名古屋ですね。

企画展 名古屋城を記録せよ!名古屋城百科「金城温古録」の誕生

午後からということで少し早めに着いたので、常設展とちょうど開催中であった古書市を見ました。博物館の一角で開催されていた古書市はスペースも狭く、蔵書も少なめでしたが、歴史ものや古地図、和書などを中心に販売されており、思いがけない掘り出し物が見つかりました。

企画展 名古屋城を記録せよ!名古屋城百科「金城温古録」の誕生

解説講座は展示室ではなく、展示説明室で行われました。解説を聞いた後に展示を見学しましたが、着目点がはっきりしたあとでとても楽しめました。

注目は何と言っても5メートル四方もある「元禄10年御城絵図」です。最近名古屋城関係の書籍にはよく掲載される古絵図なんですが、大きすぎてA4程度に縮小された写真では何が書いてあるのかわかりません。現物は逢左文庫の所蔵ですが、大きすぎて今まで一般公開されたことがありません。門外不出の大絵図を見る最後のチャンス!?かもしれませんよ。

女性には「御城御庭絵図」がおすすめです。二の丸庭園の四季の花木がすべて描かれているのですが、これも現物はかなりの大きさで、何とも華やかな絵図です。

企画展 名古屋城を記録せよ!名古屋城百科「金城温古録」の誕生

他にもたくさんの絵図や指図の展示があり、さらに、「名古屋城から富士山が見えるのか?」という検証コーナーもあり、まさに名古屋城尽くしの楽しい企画展です。入場料が300円、図録が700円、図録を買っても1000円で楽しめますので、お近くの方も、遠方の方も興味ある方はぜひ10月5日までにぜひご自身の目で確認してください。

それで名古屋城から富士山は見えるの?ってことですが、これも会場で確かめてくださいね!

名古屋駅に着いたときに観光案内所で市内の地図ももらってきました。最近は地図を手にするとまず城跡を探します。観光マップであれば1つぐらい城跡がかいてあることが多いですからね。名古屋城が大きく紹介されているので、他にないかなと思いましたが、東山周辺地図に「城山公園末森城跡」と書かれています。

展示会のあと、早速現地(城山八幡宮)に向かいました。市街地にこんもりとした森の入口に鳥居が見えます。ここが入口かと思い入りましたが、あとで違う事がわかりました。

末森城

さて、上り坂をのぼっていくと、道の左右がともに大きく窪み、明らかな空堀の跡だとわかります。ここですでにすごい城跡の予感がひしひしと・・・

末森城

本殿の建つ平地は本丸跡かと思いましたが・・・

末森城

本殿のまわりにも深い空堀がめぐります。

末森城

戻り道で境内の地図を発見。どうもここの平地が本丸跡のようです。近くに石碑もあります。空堀は二重にめぐっています。最初に見た両側の堀は内堀と外堀だったのです!すばらしいです。

末森城

石碑も向こうに見えるのは二の丸跡です。

末森城

二の丸跡には現在昭和塾堂が建っており、愛知学院大学に貸与されているそうです。

末森城

本丸跡から階段を下りて赤い橋を渡ります。鳥居の高さを見るとかなりの高位差があることがわかります。

末森城

この赤い橋も実は空堀にかかっているのです。

末森城

末森城

実に見どころいっぱいの末森城でしたが、一の鳥居の前に教育委員会の立て札がありましたので最後に確認です。末森城は織田信長の父、信秀が古渡城(春の名古屋城検定のあと見に行きました)から移った場所で、その死後、三男信行が城主になった城です。柴田勝家も信行方で嫡子信長と争った話は有名ですが、信行が信長の病気見舞いで騙し討ちされたあと廃城になりました。

平城の名古屋城の近くで、こんな良好な平山城を見ることができるとは・・・満足な1日でした。

投稿者 Tadashi : 20:53 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年09月14日

七尾城まつり・・・・

台風の接近でコロコロと変わる天気予報でしたが、今年の七尾城まつりは晴天となりました。ウォークラリーに参加しようと七尾城へ向かいましたが、上り旗はたくさん出迎えてくれますが、駐車場などの誘導案内がまったく見当たりません。時間もギリギリだったので今年は諦めました。

七尾城まつり

でも、せっかく七尾に来たので関連イベントめぐりをすることにしました。まずは、七尾駅前のパトリア5Fで開催中の「城山の四季展」を見に行きました。廊下に写真が飾られていました。ああ、これだけかって感じなのですが、館内の本屋には今年春発刊された「城山の四季」という写真集が販売されており、連動企画だったみたいです。

城山の四季展

七尾城の位置というポスターに描かれていた七尾城のイラストです。

城山の四季展

七尾城へは行けなかったが、ここまで来たので近くの小丸山城に寄りました。まつりでも何でもない時に来るのは久しぶりです。人もまばらで良い写真も撮れました。

小丸山城

小丸山城

パトリアで案内を見たので七尾サンライフプラザで開催中の「日本の名城100選」を見に来ました。

日本の名城100選

ただの写真展でした。

日本の名城100選

隣接する矢田郷公民館の掲示板で今日の七尾城まつりのポスターを発見しました。ああここにスケジュールが書いてあるのね。今年は畠山家入府600年記念と重なって一大イベントであるはずなのに、インターネットでは当日のスケジュールを知るすべがなく、ポスターに書いてあるなら、せめてポスターを七尾市のホームページにでも載せてほしかった。これでは一公民館行事と変わらないです。

七尾城まつりポスター

最後に、国分町の能登国分寺跡に行きました。何度か来ましたが、ゆっくりと散策するのは初めてです。広い立派な史跡公園です。

能登国分寺

能登国分寺

回廊内にある櫓跡の中央部に穴のあいた石があります。地元でエボ石と呼ばれた石は、柱跡であったのだが、溜まった水で簡単にイボがとれたという伝承から元々の場所に残り、能登国分寺跡の発掘の契機となりました。

能登国分寺

能登国分寺

敷地内に建っている展示室では「能登の史跡」という特別展が開催中!ということだったのですが、部屋の片隅の壁にパネルが貼られているだけ。それもほとんどが販売中の「いしかわの遺跡」のコピーとは・・・。まあパンフレットもらったから良しとしよう。常設の能登国分寺跡の展示は思いの他見ごたえありますよ。

能登国分寺

能登国分寺

投稿者 Tadashi : 22:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年09月01日

シンポジウム 鮫ヶ尾城跡と直江兼続の生きた時代

夏休み最終日の日曜日、シンポジウムに参加するために新潟県妙高市にやってきました。太平洋側や東方地方は悪天候だったみたいけど、北陸地方は青空の広がる最高の最終日でした。

シンポジウムは午後なので、その前に舞台となった鮫ヶ尾城へ登りました。斐太史跡公園として整備されている麓から徒歩20分ほどで本丸跡に到着しましたが、前日の雨のため滑りやすくなっていました。この経路は最も利用されるものですが、尾根沿いを行かないため見どころは本丸付近に絞られ、二の郭と米蔵跡と間の堀切、切岸が見どころでしょうか。晴天に恵まれ、本丸からの頚城平野の眺望は最高でした。

鮫ヶ尾城

鮫ヶ尾城

鮫ヶ尾城

シンポジウム当日ということもあり、帰り道では数組の方とすれ違いました。山城では珍しいことです。


予定通り1時間ほどで戻ってこれたので、次に鳥坂(とっさか)城跡へ向かいました。新潟県には下越地方にも同名の城跡があり、新潟県の城跡紹介ではほとんどそちらが紹介されています。この鳥坂城は春日山城の支城のひとつです。

こちらは高床山森林公園のキャンプ場から登ることができ、本丸まで20分ほどです。こちらは鮫ヶ尾城以上にビューポイントがたくさんあり、特に本丸からの眺望は鮫ヶ尾城以上です。本来は頚城平野側を護衛するものではなく、反対側の南側を監視する城なのですが、そちら側への眺望はほとんどありませんでした。

鳥坂城

鳥坂城

眺望もさることながら、それ以上にワクワクしたのは本丸に連なる郭を遮断する堀切のすばらしさです。梯子をかけないと登れない深い堀切は、これぞ山城というすばらしさで、この城のほうが鮫ヶ尾城よりも国史跡にふさわしい?とさえ思ってしまいました。写真ではうまく伝わらないのが残念ですが、ぜひ自分の目で確かめてください。

まあ構造はすごくても歴史的価値は当然鮫ヶ尾城に及びませんよ。

鳥坂城

さて、本日の目的はシンポジウムだったわけですが、講演内容は鮫ヶ尾城が歴史舞台に登場する「御館の乱」に関係する武田氏の動向、北条氏の動向、そして新潟県の城館における鮫ヶ尾城の評価という点に関するものでした。中でも、笹本氏による「ふるさと学習がふるさと愛を育てる」という主張はとても共鳴を感じました。(本題とはずれてますが・・・)

シンポジウム 鮫ヶ尾城跡と直江兼続の生きた時代

シンポジウム 鮫ヶ尾城跡と直江兼続の生きた時代

伊藤氏によると新潟県は、大分県や徳島県と同様に城郭があまり発達しなかった地域にあたるようですが、それは新潟では上杉謙信が、大分では大友宗麟が、徳島では三好長慶が、自国では戦争を行わず、他国で戦争と略奪をおこなったことに起因するそうです。城館の分布からその地方の中世の生活を推測するという視点は斬新でとても興味深いものでした。

投稿者 Tadashi : 00:33 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年08月01日

初の三河攻め

今年初めて中世城郭者研究セミナーに参加することにしたので、開催地である三重県津市に向かう前に、愛知県旧三河地域に初めて行きました。

最初の地は豊田市です。豊田市郷土資料館で城郭関係の発掘調査報告書を購入し、資料館を見学しました。

豊田市郷土資料館

資料館入口には挙母城(桜城)の木造模型が飾られていました。豊田には挙母城と呼ばれた城が3つあったようです。ややこしい限りです。

挙母城(桜城)

そのひとつ桜城が近くにあるというので寄ってきました。NHKの裏の桜城址公園に隅櫓の櫓台石垣が残っていました。表通りからは見えないのが残念ですが、市街地にあって残っているのはすばらしいことです。公園になっているのですが、昼休みの公園には人は居ず、周辺を歩く人も素通りで、暑い日で仕方はないのかもしれませんが、憩いの場、とまではなっていないようです。

挙母城(桜城)

挙母城(桜城)

豊田をあとにして、岡崎に向かいます。距離はそれほどではなかったのですが、信号と渋滞で思ったより時間がかかりました。

公園駐車場から先に内堀沿いに石垣を見ていたら、堀にかかる赤い橋のところで、結婚式を迎える新郎新婦に出会いました。堀にかかる赤橋、絵になりますね。でも暑い日に大変です。お幸せに・・・

岡崎城

岡崎城

岡崎城は徳川家康の出世城ということであちこちに家康公のモニュメントが立っていました。

岡崎城

岡崎城

公園内には大手門も復元されています。元の場所とは違うものの、大通り沿いに建てられた門は岡崎城のまさにシンボル的存在です。

岡崎城

岡崎城

三河武士のやかた家康館前のからくり時計は30分ごとに家康公がおでましです。

岡崎城

岡崎城

岡崎城

岡崎城

さらにもう一城と、西尾へ向かいました。少々道に迷ってしまいましたが、なんとか資料館の閉館前に到着しました。迷ってしまったのは案内看板が少なかったからで、西尾城は重点観光地ではないようですね。

西尾城

城内には、門と丑寅櫓が再建されていました。残念ながら丑寅櫓の入場時間は過ぎていましたが、西尾市資料館のなかで西尾城の遺物を見たあと、関係資料を購入し、本丸跡や周辺をしばし散策しました。

西尾城

西尾城

西尾城

今日は暑い日でした。明日のセミナーは楽しみです。

西尾城

投稿者 Tadashi : 22:14 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年07月18日

金沢城の遺構 尾崎神社・二の丸御殿御門

昨日はぐるりと金沢城外をまわって来ました。先日訪れた長田神社のところで触れました尾崎神社に行きました。

尾崎神社は金沢城内にあった東照宮の本殿・拝殿を移築したものです。現在本殿は修理中で見えません。といっても、普段も入れないので同じです。最近は風雨から守るため、拝殿も外囲いがかけられていましたが、春に外されてそのままです。

尾崎神社

先日の長田神社では色鮮やかな懸魚や蛙股を見ましたが、さすがに長年風雨にさらされた尾崎神社の懸魚や蛙股の色は落ちてしまっています。建物は国重要文化財なので、簡単に塗り直すわけにはいかないでしょうけど。

尾崎神社

尾崎神社

尾崎神社

次は、尾崎神社の裏門です。この門は二の丸御殿の門のひとつだといわれていて、同種の門としては唯一の遺構です。

二の丸御殿御門

二の丸御殿御門

これら2つは金沢城に近いので、金沢城に来たときは忘れずにどうぞ。

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2008年07月17日

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

今日は週間天気予報ではずっと雨だったのに、今年一番の暑さとなりました。まちしるべの件で金沢市役所に寄ったついでに、発掘現場を覗いてみました。ここは市役所の向かい、旧石川県庁で元は金沢城の堂形(最初のころは的場、のちに米蔵があった場所)です。

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

週末は作業をしておらず、雨避けシートがかけられていて作業の様子をみることができませんでしたが、今日は良い天気で作業もしていました。遠目には何か出ているかどうかわかりませんね。

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

着いたのはちょうど昼前で、作業員の方は昼食に出かけていきましたが、しばらく見ていると、数人残っていた方で空中写真を撮るようでした。

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

初めて間近で撮影する様子を見ました。

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

先程とは反対側にまわってきました。こちらは何か石組み列が見えますが、いつの時代のものかわかりません。今のところ現場説明会の案内などはないので、特に目覚しい発掘成果があったというわけではないのかもしれません。

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

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2008年07月16日

金沢城の遺構 長田神社

先日の日曜日は前日の余勢を駆って、残り少なくなった金沢まちしるべ巡りを続けてしてきました。金沢駅南周辺を歩きましたが、道程にちょうど長田神社があったので行程に組み込んでいました。

長田神社の祭神は天神様です。加賀藩初代藩主の前田利家が菅原姓を名乗っていたこともあって、金沢には数多くの天神宮があります。長田神社もそのひとつなので、外鳥居の石碑は「長田菅原神社」となっていますが、内鳥居の石碑は「長田天満宮」となっています。

長田神社(長田天満宮)

この長田神社は数少ない金沢城の遺構です。とはいっても、城建造物ではなく、城内にあった東照宮の一部です。東照宮の本殿・拝殿は、金沢城に隣接する尾崎神社の本殿・拝殿となっていますが、長田神社の拝殿は東照宮の護摩堂といわれています。

長田神社(長田天満宮)

今春外観の塗り直し修復が終了したということで、地元新聞にも載っていましたので、まだまだ色鮮やかな懸魚や蛙股の彫刻を見ることができます。尾崎神社も元はこのような色彩だったことでしょう。

長田神社(長田天満宮)

長田神社(長田天満宮)

長田神社(長田天満宮)

金沢城からは遠く離れていますが、金沢駅からは15分ほどの場所にありますので、興味ある方はぜひお寄りください。

投稿者 Tadashi : 22:12 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年07月05日

東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成

東内惣構堀枯木橋詰遺構

本日ようやく東内惣構堀枯木橋詰遺構が完成しました。東内惣構堀枯木橋詰遺構は、4つある金沢城の惣構の1つで、浅野川に注ぐ直前の部分にあたります。

完成式は、金沢市長や地元町内会長などを迎え、テレビカメラも何台も来ているなかで行なわれました。

東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成式

東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成式

最後に遺構の前でテープカットをして終了しました。その後、向かいの文学館で完成記念講演会が行なわれました。

予約していた40名が参加して、講師として金沢学院大学大学院 玉井信行氏を迎えて、「金沢城惣構堀について」というテーマで一時間の講演が行なわれました。

東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成記念講演

1598年 内惣構堀の築造
1610年 外惣構堀の築造
1632年 辰巳用水の築造
1640年代 鞍月用水の築造

源太郎川と途中から重なる東内惣構堀以外は、用水の完成により水が入れられたようです。江戸期を通して堀幅は徐々に縮小されはしたものの、堀は排水路として使用され続けたため今に残っています。つながって水が流れていないと用を足さない排水路としての役割は、貴重な堀の大部分をそのままに残しましたが、西の内・外の一部は武蔵が辻周辺で切れてしまいました。

投稿者 Tadashi : 18:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年06月29日

金沢城の遺構 中村神社の本殿

今日の石川県は雨模様です。昨日は晴れてて良かった。金沢城河北門の現場説明会の前に、まちしるべ標柱めぐりをしてきました。そのコース上にあった念願だった中村神社にも寄りました。

中村神社の本殿は、金沢城の数少ない建造物の遺構のひとつです。

金沢城 能舞台

それは城内にあったといわれる「能舞台」です。訪ねてみると、ひと目でただの神社の建物ではないとわかります。精密な欄間細工、そして鮮やかな格天井。

金沢城 能舞台

金沢城 能舞台

金沢城 能舞台

格天井は格式の高い折上げ格天井です。前田家の家紋である「梅鉢紋」も見られます。

金沢城 能舞台

金沢城 能舞台

金沢城 能舞台

本殿奥の間には、藩政期のものでしょうか?古い格天井の天井絵が額に飾られています。

金沢城 能舞台

思っていたよりもすごかったので、土曜の昼間誰も居ない本殿で写真を撮りまくってしまいました。仏様、お騒がせしました。

中村神社の前に、神明宮を通りました。ちょうど「夏越大祓」神事の開催日で、どんな行事かなと見てきましたが、本殿前に茅で作られた大きな輪が置かれていました。まだ準備中のようでした。いろいろと神事がありますね。

神明宮 夏越大祓

神明宮 夏越大祓

投稿者 Tadashi : 15:22 | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年06月17日

福井藩を歩く 2

今日は福井藩の頃にあった町名を紹介しましょう。

浜町
「浜町」は、足羽川沿いの町で、年中朝市がたっていたり、芝居小屋が開かれたり、にぎやかな場所でした。今は住宅街に小さなお店がちらほら見られます。
浜町


本町
「本町」は、福井城の正面玄関であった桜門の前にできた町で、現在は福井駅前から続く幹線道路沿いにあります。
本町


一乗町
「一乗町」は、一乗谷の朝倉氏が滅亡した後に、柴田勝家がそこに住んでいた人たちを北ノ庄城の城下に移してできた町です。
一乗町


長者町
「長者町」は一乗町に隣接して北ノ庄時代からあったと考えられ、他の町に比べ敷地が広かったことから有力な町人が住んでいたと考えられています。
長者町


京町
「京町」は、京都から運ばれた小間物を扱う店が並んでいたところで、九十九橋の北詰にあたり、北国街道の城下への入口でした。
京町


塩町
「塩町」は、塩問屋や塩商が集まっていた商人町でした。
塩町


山町
「山町」は、一乗町と同じく柴田勝家が一乗谷の人たちを移住させた町です。案内碑のある場所は、幕末に坂本龍馬が由利公正と語り合った莨屋(たばこや)旅館があった場所です。
山町


呉服町
「呉服町」は、現在も呉服町商店街となっていますが、九十九橋からまっすぐに町を北国街道が通っていて、呉服屋が多かった商人町でした。
呉服町


柳町
「柳町」は、福井城の柳門という門前にあった町です。
柳町

福井は空襲にあっているので、藩政期の面影はすでにありませんが、こうして町名を訪ねながら散策してみるのはいかがですか?

投稿者 Tadashi : 01:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年06月16日

福井藩を歩く 1

昨日は福井城に関係する名所を紹介しましたが、今日は福井藩に関係する名所を紹介します。

ここは「加賀口御門址」です。城下を通る北国街道は九十九橋を渡って、福井城の西側から北側を通って、この御門を抜けて加賀へと向かいます。

加賀口御門址

加賀口御門址

現在は案内板が道脇に立っているだけですが、当時の様子は絵葉書から窺い知ることができます。

加賀口御門跡

それでは、足羽川を渡って城下に入る入口である「九十九橋」です。現在はコンクリート製の橋ですが、当時は石と木でできた珍しい橋でした。往時の様子は郷土歴史博物館で見ることができます。

九十九橋

九十九橋

次は繁華街の中にひっそりと設置されている「狛屋敷跡」です。福井藩家老を代々務めた狛氏の屋敷があった場所です。

狛屋敷跡

狛屋敷跡

今日の最後は「笠原白翁・除痘館跡」です。裁判所近くに案内板が設置されています。笠原白翁は幕末の医師で、福井に種痘をもたらした偉人です。ここに福井藩が設置した天然痘の予防接種を行うための施設「除痘館」がありました。

笠原白翁・除痘館跡

笠原白翁・除痘館跡

明日は城下町の町名探訪です。

投稿者 Tadashi : 01:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年06月15日

福井城を歩く

今日は福井城に関係するところを紹介しましょう。

目的の福井市立郷土歴史博物館に隣接して復元された福井城の「舎人門」です。赤瓦が印象的な福井城の北にあった門のひとつです。堀ではカモが気持ちよさそうに泳いでいました。

福井城 舎人門

舎人門堀にて

郷土歴史博物館の隣にある「養浩館庭園」です。ここは福井藩松平家の別邸で御泉水屋敷と呼ばれた場所です。現在建造物の屋根の一部を修復中でした。

養浩館庭園

養浩館庭園

次は国際交流会館前の「芝原上水」です。光明寺用水と呼ばれた福井城の水路です。国際交流会館前で曲がって、郷土歴史博物館のほうへ流れていきます。近年用水の石垣の発掘調査が行われていました。

芝原上水

現在福井県庁や警察本部のある場所が福井城本丸です。奥には天守台があり、「福居」の名の由来となった「福の井」があります。

福井城天守台

昨年訪れたときは先の舎人門を初めて見たのだが、今日は「御廊下橋」を初めて見た。聞けば今年3月に落成したばかりだとか。天守台に至る部分に架けられた屋根付きの屋形舟のような形の橋である。その形はとても珍しい。さすがにまだまだピカピカな状態だ。

福井城御廊下橋

福井城御廊下橋

近くに福井市役所があるが、その土台には福井城の石垣が数多く利用されたとのことで、入口の石積みには大きな刻印のある石がたくさんあった。

福井城堀の石

福井城堀の石

福井駅前は再開発に伴い、中央大通りには地下駐車場が整備されましたが、そのとき出てきた「百間堀」の石垣です。ガラス張りで地下の石垣を見ることができます。

百間堀石垣

百間堀石垣

近くのアーケードの中には百間堀の案内板があります。

百間堀

最後に、城の橋通りに面する「北の庄城址・柴田公園」です。ここは柴田勝家を祀る柴田神社がありますが、数年前から整備を続けていてようやく完成しました。入口には京方面から城下に入る唯一の橋であった九十九橋の一部も復元され、隣接して北の庄城址資料館が新しく建てられていました。ちなみに入館は無料ですよ。北の庄城址と銘打っていますが、北の庄城の上に福井城が建てられたため、発掘でも遺物の多くは福井城のもので、北の庄のものはわずかに石垣の石が数個見つかっているのみです。柴田公園でも復元されている石垣は福井城のものが多くを占めます。

北の庄城址

北の庄城址

公園の中央付近に鎮座する柴田勝家公ですが、整備の中で南が正面となりました。初めて見たときは東向き、前回見たときは西向き、これでようやく落ち着けましたでしょうか。

北の庄城址

投稿者 Tadashi : 23:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年06月14日

福井城跡発掘展

福井市立郷土歴史博物館

今日は思いの外、良い天候になりました。が、風が涼しく過しやすい日でした。今回は福井市立郷土歴史博物館で開催中の「福井城跡発掘展」の観覧と、連動講演会「福井城跡の発掘成果から」の聴講で福井市にやってきました。

福井城跡発掘展

福井城城下町の発掘調査で発見された遺物は、当時の「ごみ」であると位置づけ、その遺物から当時の生活の様子を探るという展示でした。現在の物と比較展示され、非常にわかりやすくなっていました。

福井城跡発掘展

午後から行われた講演会では60名の定員のところ20名ほどの参加でしたが、発掘調査結果について非常に内容の深い話を聞く事ができました。ひとつ勉強したのは、城下町絵図の見方です。城下町絵図では町割りの家に当主の名前が書かれていますが、様々な方向で書かれています。気まぐれなものだとずっと思っていましたが、名前の上方向が表口があった方向だそうです。それにしても、金沢市では歴史講演会は満員なことも多いのですが、福井市ではあまり関心ないのでしょうか?折角の地元の歴史を学ぶ貴重な機会であるのに、少し残念な気持ちです。

今日は、講演会の前と後で福井市内を散々歩きました。最近は土曜日に出かけて日曜日に休むというパターンが何故か定着しています。このレポートは明日より数回に分けて書くことにします。

投稿者 Tadashi : 21:27 | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年06月12日

金沢城ライトアップ

先週末の夏の兼六園ライトアップは先日紹介したが、今日は同日にまわった金沢城のほうを紹介しよう。白い壁には寒色系ライト、石垣には暖色系ライトを当てていて幻想的です。曇りだったので、堀の水面に建物の映り込みがはっきりしなかったので残念でした。

金沢城ライトアップ
石川門櫓 東側から

金沢城ライトアップ
石川門 二の門から櫓を臨む

金沢城ライトアップ
石川門 二の門

金沢城ライトアップ
橋爪門

金沢城ライトアップ
橋爪門櫓 東側から

金沢城ライトアップ
菱櫓 東側から

春より進められてきた河北門復元工事ですが、今月末にようやく第1回の現場見学会が開かれることが決まりました。それまでには二の門石垣は積み終えるでしょうね。ライトアップに河北門が加わるのが楽しみです。

投稿者 Tadashi : 01:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年06月04日

信長居館発掘調査ブログ

今日はひとつブログを紹介しましょう。

その名も「一般公開 信長居館発掘調査」ブログです。

現在、岐阜城の麓では織田信長の居館跡の発掘調査が進められています。その調査日誌は写真付きで毎日更新されています。調査日誌は発掘調査報告書に掲載されることがありますが、刻々と状況が変化する様子をインターネットで紹介する試みは初めてと言ってもよいのではないでしょうか?

投稿者 Tadashi : 18:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年05月15日

名古屋城本丸御殿復元

10日に行われた名古屋城検定は、名古屋城本丸御殿の復元の啓蒙活動と一部募金を含んでいます。いよいよ今年度から復元工事に着手するということですが、現在はまだ現場は何も始まっていませんでした。

名古屋城本丸御殿復元

名古屋城天守閣の展示室には、名古屋城全体の復元模型と本丸御殿の大型復元模型が展示されています。その本丸御殿を見ながら、上の写真の場所に本丸御殿が復元される日を想像してみました。

名古屋城本丸御殿復元

名古屋城本丸御殿復元

検定の行われた5月10日は御殿(ごてん)の日ということだったのですが、それに合わせて城内の売店では本丸御殿復元記念の商品が数点販売されていました。この商品も一部は募金だそうですが、私は記念にキャラメルを買ってきました。

名古屋城本丸御殿復元

投稿者 Tadashi : 00:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年05月14日

名古屋城 その1

土曜日の日記の続きです・・・

名古屋城に着く頃にはだいぶ雨も強くなっていました。せっかく来たので来年の名古屋城検定に向けて実地学習です。

三の丸の名城公園では加藤清正公がお出迎えです。雨で写真が暗くなったのが残念です。

名古屋城

正門入口には片隅にひっそりと離宮時代の碑が立っていました。ほとんどの人は素通りです。

名古屋城

天守閣をめぐる内堀の中では雨にもかかわらず鹿が夢中になってお食事していました。城に鹿、珍しい光景です。

名古屋城

名古屋城

二の丸庭園の入口には「那古屋城跡」の碑が立っていました。「那」の文字以外はすでに見えにくい状態になっていましたが、ここが織田信長が家督を継いで出発した地だと思うと感じるものがあります。が、今は徳川御三家の名古屋城となり、往時の面影はありません。

名古屋城

二の丸では石曳きを先導する加藤清正公に出会えます。

名古屋城

有料ゾーンを出たから城の堀のまわりを巡っているときに、堀の一角で葦を集めてうずくまる白鳥を見つけました。そこから動こうとしないので、きっと卵を抱いているのでしょう。無事に子供を連れて堀を泳ぐ姿を見せてほしいものです。

名古屋城

名古屋城

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2008年04月09日

金沢城 春の夜桜

春ですね。春と言えばやはり桜です。東京のほうは大荒れのようですが、ここ金沢は青空も広がる良い天候の中、桜が満開となりました。明日からは雨の予報なので、夜桜を見るには今日しかない!!

ということで金沢城と兼六園無料開放へ行ってきました。その前に、ライトアップされた県立歴史博物館に寄りました。入口の桜が満開でした。

県立歴史博物館

金沢城は人でいっぱいでした。冬のライトアップに比べると散策できる範囲が広いですね。二の丸をぐるいと一周できました。

金沢城

金沢城

金沢城

金沢城

兼六園も人でいっぱいでした。桜もきれいでしたが、桜の場所は人でいっぱいで写真も撮っても桜が写っているのか人が写っているのか分からないのでちょっと変わった風景を・・・

ひさご池の湖面には満開の桜が映り、緑っぽいライトアップとともに幻想的な雰囲気を醸し出していました。

兼六園

兼六園

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2008年03月27日

熊本城本丸御殿完成!!

熊本城 城主だより

久しぶりに熊本城の城主だよりが届きました。築城400年祭も大詰めを迎え、今号が最終号ということです。

本丸御殿は加藤清正が主君である秀頼を迎えて籠城できるように、「昭君之間」や「闇(くらが)り通路」を造ったと言われている。それが復元されたということであるから一度は見ねばなるまい。

結局400年祭中には訪問できそうにないが、一年内には訪れたいと考えている。今回は「本丸御殿来園記念品引換券」が入っていた。記念品として和手拭がもらえるらしい。

投稿者 Tadashi : 00:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年03月15日

福井 一乗谷朝倉氏遺跡発掘調査現地説明会

今日は昨日の雨もあがり良い日となりました。昨年日本百名城スタンプラリーで訪れた福井県の一乗谷朝倉氏遺跡はとても気になる場所の発掘調査中でしたので、本日の現地説明会は参加する予定でいましたが、先日新聞報道されたことでたくさんの人出が予想されます。

まずは早めに到着して入口の資料館で情報収集です。新聞報道の遺物は資料館ではなく、現地説明会で見ることができるということでした。

一乗谷朝倉氏遺跡資料館

第124次(すごい数ですね)となる今年度の発掘調査は、上城戸から朝倉館跡までの発掘空白地帯の城下町調査として諏訪館跡の下段の平端部(もと水田)の調査でした。一乗谷は水田に作りかえられたとき、厚く土を盛って開墾されたために、遺跡が良好に残っている可能性があるそうです。

第124次発掘現場

もともと親族や近親者の館跡に近い区画であったので、上級武士の館跡が発見されることを期待して始まった調査ですが、結果は予想を裏切るもので、新聞報道にもあった刀装具の鋳型や炉跡などが見つかり、朝倉氏直属の職人集団の住居地があったと推定されるそうです。

遺物

刀装具の鋳型 鍔
刀装具の鋳型 鍔(つば)

刀装具の鋳型 目貫
刀装具の鋳型 目貫(めぬき)

硯 硯
硯(すずり) 裏面には建物や松竹などが描かれている

本日の説明会には新聞報道の影響もあって、例年50名ほどの参加なのが、130名を越える参加者が集まりました。新聞報道のわりには少ないかなと思うが、担当者は少し戸惑い気味で、2班にわけて説明することとなった。

説明会風景

遺構も井戸や、道路、礎石、石敷建物、埋甕土坑(越前甕を埋めた穴)、暗渠、炉跡、土塁跡など見どころの多いものでした。

井戸遺構
井戸遺構 2m以上の深い井戸が3つもありました

道路遺構
道路遺構

暗渠遺構
暗渠遺構 溝に石で蓋をした遺構です

炉跡遺構
炉跡遺構 石敷の中央に炉?らしき遺物が残る

土塁遺構
土塁遺構 下1段の石塁が残るのみで上段は水田整備で削られている

土塁遺構では事前の注意があったにもかかわらず、別班の1名が出土した石塁を崩すハプニングもありましたが(大切な遺構ですから石一つでも位置をずらすのは文化財破壊行為ですので皆さんは気をつけてくださいね)、天候もよく写真もたくさん撮りました。欲を言えば、前日の雨で石敷遺構が水没していたのが残念でした。

説明会のあと、朝倉館跡などを見学しました。館跡の後方斜面は平成17年度の集中豪雨被害の跡がまだ残っていました。資料館の人によると、後方の一乗谷城跡への3本のルートのうち、2本も集中豪雨により通行止めとなっている模様です(登れるのは下城戸近くからのもっとも緩いルートのみ)。以前から何度もここへは訪れていますが、一度山城跡へ登ってみたいです。先の新聞報道では福井県は一乗谷城跡のある山を地権者から買い取って、史跡整備を始めるということで楽しみなことが多い朝倉氏遺跡です。

朝倉館跡

今日はスタンプラリーを開催していたので、資料館と復元町並を見学して、最後にいっぷく亭で抹茶をいただき、景品の絵葉書をいただいてきました。

絵葉書

投稿者 Tadashi : 20:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年03月09日

平成19年度発掘報告会 いしかわを掘る

平成19年度発掘報告会 いしかわを掘る

本日は石川県生涯学習センター(旧石川県庁)で行われた石川県埋蔵文化財センター主催の「平成19年度発掘報告会 いしかわを掘る」に参加してきました。

平成19年度の発掘調査から
報告1 五歩市遺跡(白山市)
報告2 直江北遺跡(金沢市)
報告3 松谷寺跡(小松市)
報告4 野々江本江寺遺跡(珠洲市)
報告5 七尾城跡(七尾市)
報告6 金沢城跡(金沢市)
の6箇所の報告が行われました。

全国的な注目度からすると、全国初で最古の木製板碑・笠塔婆が発見された野々江本江寺遺跡が一番なのですが、私的には七尾城跡と金沢城跡が注目でした。それぞれの発掘調査現地説明会には参加していましたが、説明時にはすでに埋め戻されてしまったもの、それ以降のものなどあるのかないのか期待していました。

七尾城跡に関しては、説明時にすでに埋め戻されていた惣構堀と切岸の写真を見ることができました。

七尾城跡 惣構堀
惣構堀

七尾城跡 切岸
切岸

また、遺物のなかのすずり(説明会ではなかったような)の展示もあり、裏に書かれた武者絵?も線を引いて分かりやすく説明がありました。

七尾城跡 硯
硯(すずり)

金沢城跡では河北門復元整備のなかで、新丸から河北門に至る河北坂のトレンチ断面の写真が初公開で、17世紀初頭の利家時代に河北坂がすでに整備されていたことが判明されました。

金沢城跡 河北坂
河北坂 トレンチ状況

金沢城跡 河北坂
河北坂 断面拡大

報告の中でもすでに金沢城の玉泉院丸の南西石垣の積み直しが終了したということで帰りに見てきました。確かに最上部まで積み直しは終了しているようでしたが、足場はまだ外されていませんでした。工事期間は3月21日となっていましたので、最終確認して来週以降に外されるのでしょう。

金沢城 玉泉院丸石垣整備現場

投稿者 Tadashi : 18:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年03月08日

戦国時代の足利将軍家と本願寺・加賀一向一揆

戦国時代の足利将軍家と本願寺・加賀一向一揆

本日は石川県生涯学習センター(旧石川県庁)で、「加能史料はいま」平成19年度第2回の公開講座でした。講師は聖学院大学非常勤講師の山田康弘氏により、「戦国時代の足利将軍家と本願寺・加賀一向一揆」というテーマで講演がありました。

今回の対象となる時代はまだ加能史料としては発行されていないところではあるので、先取りということになりましたが、戦国時代初期の12代将軍足利義晴と10代本願寺宗主(しゅうす)証如の関係と門徒集団加賀一向衆との関係を、現代世界と比較しながらの非常に分かりやすい話でした。良い内容ではあったのですが、大学講師特有の単調な話し方が、今日のうららな天候と相まって眠くて仕方がありませんでした。

戦国時代の足利将軍家は一般的に無力だとか、傀儡政権に過ぎないという評価が定着していますが、研究者もそういう固定観念からか現在でも研究がほとんど進んでいないとのことで、実は権威として役割はまだまだ健在だったようです。事実、将軍の呼びかけ(書状)に応じて大名が行動を起こしているのですから確かにそうなのでしょう。織田信長の傀儡といわれる15代義昭にしても、実際織田包囲網が一時的にせよできたわけですから。

歴史は固定観念で見ずに、やはり疑ってかかるところに新発見があり、面白さがあります。

投稿者 Tadashi : 22:24 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年02月24日

講演会「二曲城の発掘調査」

金曜日の晴天一転、土日は雪降る天候となりました。特に昨日の強風は凄まじいものがありました。

鳥越一向一揆歴史館

本日は白山市の鳥越一向一揆歴史館の友の会総会の日でした。合わせて、講演会「二曲城の発掘調査」というテーマで石川県埋蔵文化財センターの西野氏による講演会でした。二曲城は「ふとげじょう」と読みます。

昨年も現地説明会には参加しましたが、二曲城の発掘調査も4年を経過し、来年度は5年という節目を向かえ、最終調査と整備計画立案となるようです。

規模は鳥越城には及ばないものの、中世の詰の城としての形式が良好に残っているので、鳥越城とともに史跡として後世に伝えられる良い整備を期待します。

行きは吹雪の中でしたが、講演が終わる頃には青空も一部顔を出し、雪に覆われた鳥越城と二曲城を写真に収めました。

鳥越城
鳥越城

二曲城
奥の山上が二曲城の「一の郭」

投稿者 Tadashi : 18:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年02月14日

辰巳用水 三段石垣で堅固に守る

今朝の地元北國新聞に以下の記事が出た。

「金沢市辰巳町で13日までに、辰巳用水の維持管理のために造られたとされる三段石垣が全長260m、高さ6-8mの壮大な全容を現した。最上面に辰巳用水が流れる三段石垣は長らく草木の茂みに覆われて隠れていたが、金沢市埋蔵文化財センターが昨年11月から伐採を進めていた。センターは石垣の調査を進め、辰巳用水の国史跡指定への弾みとする。」(北國新聞2008年2月14日付)

そこで、場所を聞いて見に行って来ました。

辰巳用水

その場所は、以前行ったことのある場所でした。犀川が左側へ蛇行する道路を挟んで、辰巳用水は山をくり貫いて流れています。前回来た時は全く気がつきませんでした。

それにしても、石垣は長く、段になっているところもあれば、一段で一気に造っている場所もあり、城の石垣と比べても劣らない景観です。

辰巳用水

辰巳用水

下の場所が新聞に載った場所です。新聞記事では三段石垣部分のみが開渠となっているとのことでしたが、雪が深く足場が悪かったので確認できませんでしたが、素晴らしい造りでした。

辰巳用水

辰巳用水

辰巳用水

辰巳用水

春になったらまた行きましょう。平日こうやって行動するのはそろそろ終わりですが・・・

投稿者 Tadashi : 21:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年02月11日

加賀藩の偉大な測量家、そして高岡城石切場へ

連休最後の今日は良い天候でしたね。午前中は青空が広がっていましたが、午後から曇ってきてちょっと残念でした。雪の影響がなかったので予定していた富山県へ出かけました。

最初は、射水市新湊博物館(旧、新湊市博物館)です。現在、「射水の町・村」というテーマで企画展が開催されており、江戸時代後期に射水市で生まれた加賀藩の偉大な測量家であり和算家であった石黒信由の描いた測量絵図の数々を見てきました。ここを訪れたのは初めてで、企画展だけではなく、常設展もゆっくりと見てきました。

射水市新湊博物館

金沢城二の丸御殿炎上による藩内絵図の消失が契機で、その技術を藩に認められ、地元射水郡だけではなく、越中婦負郡、越中新川郡、越中砺波郡の越中4郡と能登4郡、河北郡、石川郡、能美郡、江沼郡と加賀藩と富山藩・大聖寺藩の加越能全域を測量調査しています。その絵図は縮小されて、復刻絵図として販売されていました。古図や地図が好きな方にはお勧めの場所、企画展(今月24日まで)です。

富山市郷土博物館

続けて富山市内へ移動して、富山市郷土博物館で開催中の企画展「物語の中の佐々成政」を見てきました。江戸時代、物語絵本の中で佐々成政が描かれた箇所を10点ほど展示していました。こちらは期待して程ではありませんでした。

物語の中の佐々成政

もうすぐ公開の千歳御門は囲いが外されて、最終調整が行われていました。

千歳御門

最後に氷見市の海岸へ行き、先日も地元新聞で特集された雨晴海岸の義経岩を見てきました。

雨晴海岸

そこには海岸越しに見える絶景が・・・というのを期待していたのですが、生憎の曇り空で立山連峰の絶景は拝めませんでした。上の写真は観光駐車場の看板です。今日の様子は下の写真。

雨晴海岸

ここjに来た目的は、義経岩が高岡城の石切り場の一つであり、矢穴(石の切出しの際につくノミの跡)のある石がある、という情報からその石を見たいということでした。

義経岩

線路脇の岩の上には社があり。海岸部の岩にはいくつもの穴が空いています。穴は倒壊を防ぐようにセメントで固められていました。

まずは、岩の周りを1周。さらにもう1周。洞窟内をぐるぐるぐるぐる。周りの人から見れば、何をしているのか分からなかったでしょうね。岩は波の浸食を受けて、デコボコが多く、これが矢穴である、と特定できるものはなかなか見つかりませんでした。

その中でもこれはそうかな?というものを2つ見つけました。

ますは、海岸部の岩の支柱外側の石に見つけた4つの穴。矢穴をつけたものの割らずに終わった形跡にも見えます。

義経岩

そしてもう一つ。こちらは社のある岩の裏側で見つけた石に1つの穴。穴に沿って細く割れたような線がついていました。1つの穴というのは矢穴としては断定しにくいのですが、矢穴を入れた際に思う方向と違う割れ目となったので中止したようにも見えます。

義経岩

私は多くの石切の形跡を期待していたので、そういう意味では少し残念な結果でした。

投稿者 Tadashi : 21:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年02月09日

金沢城・兼六園ライトアップ

「金沢城物語」として春・夏・秋・冬の年4回開催されているライトアップイベントは2年目(3年目?)を迎えて恒例となってきた感もありますが、今晩も大勢の方がライトアップ目当てに来ていました。

金沢城・兼六園ライトアップ

金沢城・兼六園ライトアップ

昼以降の雨で雪は大分消えてしまいましたが、それでもところどころ雪を残しており、昨年よりは冬らしいライトアップとなりました。が、始まる頃には雨はさらに強さを増し、金沢城は多数のカラスが空を舞う異様な雰囲気でした。三ノ丸芝生の上や建物の屋根はカラスで埋め尽くされ、一体建物を写しているか、カラスを写しているのか分からないような状況でもあったので、早々に兼六園へと移動しました。

夜景はただでさえ写真が難しいのに、降り止む気配のない雨のため、撮影は困難を極め最新のデジカメでも多くの写真がピンボケしてしまい、数枚が何とか使用できる状態でした。せめて雨が降っていなければもう少し良い写真が撮れるのですが・・・。

金沢城・兼六園ライトアップ

金沢城・兼六園ライトアップ

金沢城・兼六園ライトアップ

しかし、冬の兼六園は雪がなくとも、雪吊りなど風情があってとてもよいです。園内のほとんどはオレンジ系のライトアップですが、瓢池だけはミドリ系のライトアップとなっており雰囲気が違っていました。

金沢城・兼六園ライトアップ

周りの人たちも写真を撮っていましたが、やはり時代でしょうか。半分ぐらいのひとは携帯電話。性能が良くなったとはいえ、コンパクトデジカメと比べれば一世代も二世代も以前のものと同性能のため、とてもピンボケなしにはとれないと思いますが、携帯をかまえて写真とっている姿は何とも言いがたいですね。

投稿者 Tadashi : 23:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年01月03日

正月 金沢城で藩政期のしめ飾り

年末年始は大雪の予報で久しぶりに雪の正月を迎えると思っていましたが、平野部は積雪がありません。3日まで待って金沢中心部に出かけました。というのは、今日までが兼六園の無料開放で、雪の兼六園を見たかったのですが、少々当てが外れました。

昨日も午前中は比較的良い天候でしたが、今日も午前中は良い天候でした。コースは金沢神社から兼六園に入り、石浦神社、金沢城公園、尾崎神社、尾山神社です。

下の写真が橋爪門一の門に飾られた藩政期のしめ飾りです。「数の子飾り」と呼ばれるもので、わら造りで長さ5.4メートルあります。

金沢城橋爪門のしめ飾り

兼六園は地面と建物の屋根に少し雪が残る程度でした。放射線状に張られて非常にきれいな雪吊りも出番がありません。

兼六園

兼六園

3日ということで神社は人もまばらでしたが、さすがに尾山神社だけは結構な人出でした。といっても元旦ほどではないでしょうが。私も数年ぶりにおみくじを引きました。今年の運勢は「吉」です。

投稿者 Tadashi : 23:53 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月28日

金沢 正月の準備、そして金沢城玉泉院丸石垣修復現場

昨日まで3日間は冬とは思えない晴天でした。本当は昨日の午後来るはずが、急に車のバッテリーが切れてしまい、うんともすんとも言わないので止む無く修理を呼ぶ羽目に。それにしても巡りあわせとはいえ今年はいろいろなものが故障しました。

余談はここまでして、本日小雨が降る中、金沢に出かけました。目的は金沢城の発掘と修復の現場見学です。

行く途中、所々正月の準備ができていました。長町の前田土佐守家資料館は土塀にこも掛けがされ、門には締め飾りが。

前田土佐守家資料館

尾山神社も、神門の前には門松と門に締め飾りが。

尾山神社

尾山神社

昨年発掘調査現場説明会の開催された金沢城の玉泉院丸石垣修復現場です。すでに半分くらいが積み戻されていました。来年3月までにすべて修復されるそうで、外すときは非常に時間がかかりましたが、積むときは早いですね。

金沢城玉泉院丸石垣修復現場

前のフェンスには工事の予定やこれまでの経緯の社員や発掘成果などが掲示されていました。

金沢城玉泉院丸石垣修復現場

金沢城玉泉院丸石垣修復現場

金沢城玉泉院丸石垣修復現場

本当は城内にも入りたかったのですが、時間がなかったのと、雨でビニールシートを被っているということがわかったので帰途に着きました。

帰り際に、尾山神社の庭園の裏(南側)に辰巳用水の石管の説明板があることを発見。今まで何度も通っていたのに気づきませんでした。

辰巳用水石管

ふと隣の奥まった空き地を見ると「尾山神社氷室跡地」の石碑と、後に立派な石垣があるではありませんか。尾山神社の地は元金沢城の金谷御殿のあった場所です。金谷御殿は前田家の跡継ぎなどが生活した屋敷のあった場所で、当然石垣で周りを囲まれていたものと思われます。現在尾山神社を取り巻く石垣のほとんどは近代になって構築されたと見えるものばかりですが、この部分は積み方からして江戸期のものが残っているような感じです。金沢城の石垣というと金沢城公園をめぐる道路の中のみを紹介しているので、もと城内であっても尾山神社については範疇外になっているのかもしれません。もしこの石垣が当時のものであるなら勿体無い話です。

尾山神社氷室跡地

投稿者 Tadashi : 23:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

首里城 無料ペーパークラフト

首里城 無料ペーパークラフト

先日、キャノンのホームページの熊本城のペーパークラフトが出たことをお知らせしたところですが、なんと今日首里城を追加したという知らせが!?

今年の冬は幸せです。熊本城と首里城が作れますよ!!

合わせて、前回の姫路城と大阪城と4つも作れます。しかもタダで。紙と印刷代はかかりますが・・・

キャノン ペーパークラフト

投稿者 Tadashi : 21:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月25日

七尾城の現状

年末最後の天気の良い数日になりそうですが、昼から先日、発掘現場説明会に参加した七尾城へ再度やってきました。

現場では今年最後の天候の良い日を活かそうと多くの作業員の方が作業しておりました。先日説明を受けた大手道はさらに調査が進み、脇の場所も調査されて、建物の柱跡とみられる穴が多く出ていました。

七尾城発掘現場

七尾城発掘現場

惣構堀の位置と推定される場所は頑丈な鉄骨のフレームの中で作業が行われていました。この辺りは田んぼが多く、少し下がると水が沸いてくるようで、見ていても大変な作業です。

七尾城発掘現場

その後七尾城本丸へ登りましたが、先日報道があったとおり、3月の能登半島地震で崩れた石垣に加え、豪雨で郭や土塁が崩れていました。

七尾城

七尾城

七尾城

七尾城

来年4月下旬から石垣については修復が始まるようです。野面積みという自然石を積む方式の石垣は一度下まですべて外してから積み直す他ないようで、時間がかかりそうです。石垣の積み直しは決定しているものの、貴重な郭や土塁の崩れも修復を願いたいものです。

投稿者 Tadashi : 21:24 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月22日

長野紀行 坂城・千曲市

今日は講演会の日でした。朝からどんよりとした雲が垂れ込める天候ではありましたが、1日降らずに持ちこたえてくれたので、行動しやすい日でした。

朝、当初昨日の予定に組み込んで行けなかった坂城へ行きました。到着するとまだ施設の開館時間には間があったので、春にも訪れた場所へ行きました。村上義清公墓所と村上氏居館跡ですが、坂城には村上氏の面影が色濃く残っています。

村上義清公墓所

村上氏居館跡

前回は時間の都合で訪れなかった「坂城宿ふるさと歴史館」に行きました。3階建の立派な和建築ですが、地元の方のふるさと歴史学習の場として活用されています。今年はNHK大河の影響で観光客が非常に多かったとか。まあ私も大河終わったので、企画展示終らないうちに見に来た口ですが・・・

坂城宿ふるさと歴史館

坂城宿ふるさと歴史館

展示物は村上氏の歴史に関連して、出自や武田氏との攻防、上杉氏家臣時代など、いい意味で裏切られるほど充実していました。1階が村上氏関連、2階が坂城宿関連でした。大河にあわせた企画のように見えましたが、実は常設展らしいです。坂城を訪れる方はこの場所は訪れたほうがいいですよ。

坂城宿ふるさと歴史館

講演会の会場である長野県立歴史館へ向かう途中で、村上氏が武田氏に敗れて逃走した「笄の渡し」碑を見てきました。
(※現在の笄橋の近くで国道18号線沿いにあります。坂城から長野方面へ向かう車線から駐車場に入れます。)

笄の渡し

県立歴史館は山頂に森将軍塚古墳のある山の麓にあります。現在は企画展「武田・上杉・信濃武士」が開催中で、信濃の土着武士たちの武田氏、上杉氏との関係をテーマに展示されています。

長野県立博物館

長野県立博物館

講演会の先に企画展と常設展を見てまわり、講演会「築城と破却 川中島をめぐる城の争奪」を聞きました。会場は多くの地元の方でほぼ満席状態でした。武田氏と上杉氏の攻防の中で信濃の城が破却されている状況を考古学の発掘調査結果を踏まえて、非常に内容の濃い講演でした。

講演会「築城と破却」

講演会が終わり、帰路に着いたのですが、折角なので道程のスポットを訪れながら長野インターへ向いました。

雨宮の渡し

川中島の戦いは全5回を数えますが、中でも第4回が最も有名です。武田軍は千曲川沿いに海津城(現在の松代城)に布陣、上杉軍は妻女山に布陣、謙信は霧にまぎれて妻女山を降りて千曲川を渡ります。謙信が渡った場所が「雨宮の渡し」ですが、現在その場所から千曲川は結構離れてしまっています。

上杉方が陣取った妻女山は車でも登れるようですが、麓の清野小学校付近から徒歩でも登ることができます。入口には鳥居がありますが、これは近代になって頂上に招魂社が建てられたための参道入口となったからだと思われます。頂上までは約7分。意外にも高くない山です。

妻女山登城口

妻女山展望台

頂上の展望台付近はどこまで当時のものかわかりませんが、平坦地や土塁跡も見ることができます。

妻女山から海津城方向

展望台に登り、松代城(もと海津城)を探します。誰もが思うことでしょうが、武田軍・上杉軍両軍は相手方をどれだけ監視できたのか、という疑問です。

曇った天候のもとでは肉眼ではまったく位置を確認できませんでした。先日新調した望遠デジタルカメラを最大望遠にして松代城を捜すこと10分、ようやく見つけました。

上の写真の中央を拡大すると下の写真となります。手前の住宅で見えにくいですが、天守台と北不明門を横のアングルでみることができます。確かに、田畑の広がる当時の景色の中にあっては、お互いに相手の動向が見えたことでしょう。

海津城(松代城)

投稿者 Tadashi : 22:31 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月21日

長野紀行 飯綱町・松代

明日の長野県立博物館で開催される講演会に参加するために、1日早く長野にやってきました。やはり山国、途中雪が降っていました。寒いです。

いいつな歴史ふれあい館

最初に飯綱町の「いいつな歴史ふれない館」に行きました。冬の平日、地元の方以外お客さんはいませんでしたが、その分ゆっくりと展示を見ることができました。飯綱はかつての北国街道牟礼宿のあった場所です。その関係の展示だけではなく、古墳や城跡に関しても展示されていました。この夏NHK大河にあわせて開催されていた企画展図録を入手しました。

川中島八幡原古戦場

次の目的地は松代でしたが、途中、川中島八幡原古戦場を通ったので寄りました。寒い冬は観光客が少なく、ベストなアングルの写真をたくさん撮ることができました。今年はNHK大河で注目された年、何万人がこの像の前に立ったことでしょう。

松代城

松代城には雪がところどころ残っていました。聞けば積もったのは今日が初めてだとか。やはり管渠右脚の少ない城内でベストなアングルの写真をたくさん撮りました。ちなみに奥に見える一番手前の小高い山が川中島の攻防で有名な尼巌城(あまかざりじょう)です。

戸倉上山田温泉ライトアップ

本日の泊まりは千曲市の戸倉上山田温泉です。その場所を示すように、すぐ横の山上にある荒砥城の櫓がライトアップされていました。戸倉上山田の文字は七色に変色します。新調したデジカメで良い写真が撮れました。

荒砥城ライトアップ

投稿者 Tadashi : 20:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月19日

富山博物館めぐり

今日は薄曇りの天候のなか、隣県富山に博物館めぐりに来ました。

まず、砺波市のチューリップ公園の一角にある砺波市郷土資料館です。

砺波市郷土資料館

ここには旧砺波市の歴史を中心に展示がありました。もと銀行本店の建物は立派でした。目的は増山城に関係する資料があれば購入したかったのですが、残念ながらありませんでした。昨年まで発掘調査は第7次まで行なわれ、今年度末に合本の報告書が作成されるそうです。

そこから移動して富山市の富山城址公園に行きました。昨年模擬天守の郷土博物館は改修工事が終わり今でも外壁はきれいです。

富山市郷土博物館

現在、特別展「再現 千歳御殿」を開催中です。千歳御殿とは殿様の隠居所なのですが、現在そこの門が移築されていて、記念特別展ということです。常設展も最近の発掘調査を踏まれてリニューアルされていました。

富山市郷土博物館

富山市郷土博物館

肝心の千歳御門ですが、本来の場所はすでに繁華街として開発されてしまっているので、城址公園の入口に移築されます。今年度末の完成で、春からはお目見えしそうです。かなり大きな薬師門で富山城唯一の建物遺構として今後愛されることになるでしょう。

春にはちょうど次の企画展「物語の中の佐々成政」が開催されているのでまた訪れることにしましょう。

投稿者 Tadashi : 22:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月16日

第五回 全国城跡等石垣シンポジウム

今年金沢市で開催された「第四回 全国城跡等石垣シンポジウム」ですが、文化財関係者だけではなく、一般市民も参加できました。

来年1月の17日と18日に開催される「第五回 全国城跡等石垣シンポジウム」は熊本市で行なわれ、熊本城築城400年祭にあわせて一般市民も参加可能ということで、内容を時々チェックしていたのですが、今日見てみたら、ガーーーーン!!!

なんと参加自由ではなく、抽選で100名のみということではないですか。それも今月13日までに往復はがき必着とは・・・ 全く遠方の一般市民を受け入れる気がないですね。一体いつから募集していたのでしょうか?

折角真冬の九州遠征を考えていたのですが、辞めました。春になったらいくことにしましょう。今は天守の鯱も工事中で見られないということなので。なんで400年祭の真っ只中に修理するのかな?

投稿者 Tadashi : 02:07

2007年12月14日

年末年始にゆっくりと城郭ペーパークラフトはいかが?

熊本城

Canonのフリーで公開されているペーパークラフトに「熊本城」が追加されました。なかなかに立派な造形です。PDFをダウンロードして厚めの紙に印刷すれば、市販品にも劣らない作品ができそうです。

城郭としては、先の「姫路城」「大阪城」に続き、3城目となりますが、次回はぜひ安土城を!!と願うのは私だけではないでしょう。

姫路城 大阪城

年末のこの時期に公開されたのは、Canonの年末年始の家族団欒の話のネタに、という配慮でしょう。印刷すれば何個でも作れますから、ゆっくりと挑戦してみてはいかが?

Canon ペーパークラフト 建物編

投稿者 Tadashi : 01:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月06日

津幡町 倶利伽羅城探索

曇りに時々陽の差すような天候の中、近くの倶利伽羅城へ行ってきました。先日購入した「図説・石川県の城Ⅵ」を持って縄張りを確認しながら歩きました。

倶利伽羅には古来から不動尊があり、源平合戦の「火牛の計」で有名ですが、倶利伽羅山は加賀と越中の境であるため、戦国時代、加賀前田氏と越中佐々氏の戦いが繰りひろげられた地でもあります。

倶利伽羅公園を中心に前田氏が「倶利伽羅堡」を築き、源氏ヶ峯を中心に佐々氏が「源氏ヶ峯城」を築きました。倶利伽羅城というと源氏ヶ峯城を指していることが多く、倶利伽羅公園が城跡であるということを知る人は地元でも少ないです。

本を片手に郭や竪堀、土塁を確認しました。土塁跡は予想以上に状態良く残っており、また高井氏の縄張り図はすべて網羅しているとは言えないため、再調査する必要がありそうです。後日地形図を入手してから訪問することにしましょう。

倶利伽羅堡
倶利伽羅公園の西側に残る竪堀(土橋から下方向を撮影)

倶利伽羅堡
林道脇に残る土塁

投稿者 Tadashi : 23:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月02日

七尾城跡 現地説明会

本日小雨振る中、七尾城跡で現地説明会が開催され50名ほど集まりました。今回の発掘調査は能越自動車道が遺跡の一部を通過することに先行する埋蔵文化財発掘調査であり、複数箇所で広く浅く現場の状況を確認しているということです。近く正確に橋脚が建てられる場所は、前に深く発掘調査されるそうです。

七尾城跡 現地説明会

今回の調査ではすでに埋め戻されている場所もありましたが、石組みの溝や山上へ向かう大手道の発見や、外郭を構成する総構の堀や切岸の構造が明らかになりました。

七尾城跡 現地説明会

七尾城跡 現地説明会

総構の内側一段上がった部分では石塁も出てきましたが、残念ながら堀の見つかった場所は元々家が建っていた場所であり、破却されたときに上部の土を下に崩して地ならしをした形跡もあって全体像を把握できる状態にはないそうです。石塁が屋敷地なのか寺院跡なのか、大手道のすぐ横の敷地でもあり興味のあるところです。

七尾城跡 現地説明会

調査は年末までもう少し続けられるそうなので、天候の良い日があればまた見学に行きたいと思います。

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2007年11月28日

大徳川展

大徳川展

東京国立博物館で開催されている「大徳川展」に行ってきました。平日にもかかわらず人、人、人・・・・先月の京都国立博物館、狩野永徳展よりも多い人出で、東京には暇な人が多いですね。

なんと70分待ちでようやく入場できました。入っても人でいっぱいで、時間があまりなかったので背の高い展示品を中心に見てまわり、和宮の婚礼品だけはゆっくり見ることができました。

入場料を考えてもとても勿体無い見方でしたが、展示図録を購入したのであとでゆっくり鑑賞することにします。

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加賀藩江戸上屋敷探訪

東京出張するにあたり、ちょうど昨日の地元新聞で東京大学創立130周年記念事業として、懐徳館庭園の無料開放があることを知りました。東京大学本郷キャンパスは元加賀藩江戸上屋敷のあった場所で、赤門は将軍家の溶姫が13代前田斉泰に嫁ぐときに建立されたものです。

今回は、赤門に附属する番所内部公開と懐徳館庭園の無料公開が目的です。

赤門

番所

番所

番所は赤門の左右にありますが、内部公開されていたのは外から見て左側のものです。ここは門の見張りが待機したところで、特に中に何かあるというわけではありませんが、普段は非公開であり貴重な場所です。

懐徳門

懐徳門の脇には旧前田公爵家西洋館(懐徳館)の基礎の石積みが残っています。

懐徳館

懐徳館庭園

懐徳館庭園

懐徳館はもともと天皇の行幸を目的に明治時代末に建築されたものだが、東京大空襲で灰燼に帰し、戦後復旧されたものが現在の和館である。普段は立入禁止の庭園は川や池こそないものの紅葉してすばらしいものでした。和館の正面側に入れなかったのが少々残念でした。

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2007年11月24日

秋の金沢城祭2007

三連休中日の本日、秋晴れの中、「秋の金沢城祭2007」が金沢城で開催され、一日中いろいろなイベントが行なわれました。

金沢城河北門起工式

起工式は朝の埋蔵文化財発掘調査説明会が長引いてみることはできませんでしたが、続く小立野御山まつり保存会による大石曳きは見ることができました。石川門管理事務所前から数10メートルの緩やかな坂道を威勢の良い掛け声とともに約3トンの戸室石が、修羅と呼ばれる乗り物に載せられて移動しました。

小立野御山まつり保存会による大石曳き

その後は、和太鼓「藍(らん)」による太鼓演奏やクラリネット奏者原裕子さんのミニコンサートなどが開かれました。

和太鼓「藍(らん)」による太鼓演奏

午後からは三十間長屋コース開通記念「金沢城石垣めぐり」ツアーが行なわれ、告知不足か9人の参加でしたが、城内の石垣を見て回りました。午後から予報どおりの雲行きとなり、途中雨が降ってくるところもありましたが、何とか1時間半の工程を終了しました。今回、開通した「三十間長屋コース」は、昨年開通した薪の丸コースの途中から三十間長屋の脇に出るコースで、もともとあった道です(今までは通行禁止でした)。すぐ西側を通るいもり坂は軍隊によって付けられた新道であり、近世にはなかった道であって、今回のコースは薪の丸コースの正道でもあるのですが、途中の石垣が一部軍隊によって改変されていて残念です。

三十間長屋コース開通記念「金沢城石垣めぐり」

各イベントの合間には、「金沢城クイズラリー」や「オリジナルペーパーウェイトを作ろう!」「紅葉しおり作り教室」などを楽しみました。クイズラリーの粗品は飴玉3個、戸室石の破片(ちなみに赤戸室)で作るペーパーウェイトは2回、紅葉しおり作りは1回参加しました。

オリジナルペーパーウェイトを作ろう! 紅葉しおり作り教室

ペーパーウェイトはなかなか難しく、最初は鎌をクロスしたような模様で、金箔部分を多くしたので納得いかないものとなりました。細かい模様は輪郭にうまく金箔がのらず、また金箔が多いと戸室石の良い模様が鑑賞できません。

そこで、2回目は丸3つの単純な模様と、丸内部に金箔を貼って挑戦しました。

参加者には、戸室石の破片と型となるシール、金箔が渡されます。型は模様または輪郭のうち、金箔を貼らないほうを戸室石に貼り付けます。

オリジナルペーパーウェイトを作ろう! オリジナルペーパーウェイトを作ろう!

接着剤となる糊を塗って5分間乾くのを待ちます。乾いたことを確認して金箔を貼ります。

オリジナルペーパーウェイトを作ろう! オリジナルペーパーウェイトを作ろう!

うまく金箔がのったところで、慎重にシールを剥がして出来上がりです。かなり満足するものができました。

オリジナルペーパーウェイトを作ろう!

最後は雨が降りましたが、今日は一日楽しめました。告知不足か人出が少なかったように思います。大勢押しかけても困るイベントもありますが、石垣ツアーや先着1000名花苗配布などはもっと人数いても良かったのではないかと思いました。

秋の金沢城祭2007 秋の金沢城祭2007

投稿者 Tadashi : 22:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月15日

金沢城 1日だけのブルーライトアップ

金沢城石川門

世界糖尿病デーのイベント(主催:石川県・石川県医師会)で、14日に1日限定で金沢城石川門がブルーにライトアップされました。青色は糖尿病のシンボルカラーだそうです。

夕方6時30分に点灯式が行われ、石川門の櫓がブルーに輝きました。石川門全体がブルーになるのかと思っていましたが、百間堀石垣下からの1つのみブルーに変更されたようです。

今日は幸い天候にも恵まれましたが、点灯式の時間にはテレビ局や新聞社の記者がいるだけで、一般の方は他にほとんどいませんでした。夜景撮影にはいつも失敗していましたので、今回は準備万端三脚を持ち込んで撮影してきました。ブレてないですね、唯一のチャンス良かったです。

金沢城石川門

青色の光は寒々しいかと予想していましたが、意外にきれいですね。これを機会に特定日にいろいろな色でライトアップしてもらえませんでしょうか?

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2007年11月03日

安土城紀行

文化晴れの1日となった本日、安土町で1日過ごしました。まず朝一で安土町立城郭資料館に向かいました。何度も安土城へ来ていますがここへ来たことはありませんでした。電車で来れば寄っていたのでしょうが、いつも車なので・・・

JR安土駅に隣接して南側に資料館はあります。喫茶店が併設されて、資料館の受付と両方担当するようです。

安土町立城郭資料館

入るとショーケースに日本100名城に認定された賞状が飾られていました。安土城だけではなく、観音寺城のものも一緒に並べてありました。

日本100名城 観音寺城 日本100名城 安土城

見所はなんといっても20分の1の安土城天主の模型ですが、迫力満点です。中央から少しずれたところで割れて中を再現しています。望楼の高欄からは信長も城下を眺めていました。

安土町立城郭資料館

安土町立城郭資料館

他にも、信長がセミナリヨに寄贈し、後にローマ教皇に献上された安土南蛮図屏風も再現されています。安土城の描写をじっくりと楽しめました。今まで来ていなかったことを少し後悔しました。

安土町立城郭資料館

見学が終わると、安土駅前北側の信長像を写真にとって、安土城発掘調査現場説明会に向かいました。予想はしていましたが大勢の人です。安土城城郭研究所の方々もここまで多いとは予想していなかったらしく、約250名の見学者を5班に分けて説明することになりました。

安土城発掘調査現場説明会

今回は春に整備された大手入口の石塁の解説と、南山麓の帯曲輪で見つかった未知の虎口と階段の案内です。平成元年度に始まった「特別史跡安土城跡調査整備事業」は20年計画で現在最終段階に入りましたが、まだまだ謎の全解明には息の長い調査が必要なようです。今回の発掘調査でも従来の安土城の姿がまた書き換えられました。

安土城 南山麓帯曲輪虎口

コスモスが咲き乱れる安土城考古博物館前ですが、午後は開館15周年記念講演会として開催される「織田信長の時代」に参加しました。場所は博物館ではなく、隣の文芸セミナリヨです。

安土城考古博物館

残念ながら録音と録画が禁止ということで、写真は始まる前に撮ったこの1枚だけです。講演前には中央のパイプオルガンのミニ演奏会もありました。オルガンは信長がセミナリヨに置いたのが日本最初と言われることから、安土町にパイプオルガンを、ということになったようですが、音色は地元金沢の金沢音楽堂のほうが最新設備で良いように感じました。

記念講演会 織田信長の時代

講師は大阪大学名誉教授の脇田修氏です。信長の時代的評価に関して一般論を誤解している部分がありましたが、「家臣の統率方針」「経済政策」の面で織田信長と豊臣秀吉との間には明らかな違いがあるという論調は新鮮でした。武士の出身地を本領地として与える習慣をなくしたのは秀吉であり、また一家を城下に集住させるようにしたのも秀吉。信長の時代は地侍の習慣をまだひきずっていたようです。破壊のイメージの強い信長の政策である「関所撤廃」や「楽市楽座」も、尾張・美濃時代が中心であり、京では旧勢力に配慮してか関所も座(旧流通組織)も残しているようです。むしろ秀吉が農民出身という身分の違いから容易に破壊的な政策を実行できたようです。

時代の変わり目はまさにここにあり、信長は戦国、秀吉は近世と分けるのが適切なようです。

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2007年11月02日

秋季特別展 三好長慶の時代

高槻市立しろあと歴史館

大津に車をおいてJR新快速で高槻市にやってました。学生のとき京都から新快速に乗って大阪によく行きましたが、途中で特急の雷鳥を抜いてゆくのでどういうことかと思っていたことを思い出しました。北陸出身の私は雷鳥に乗っているときに、逆に新快速に抜かれてゆくのです。

余談はここまでにして、目的は高槻市立しろあと歴史館で開催中の特別展「三好長慶の時代」です。時代劇チャンネルで再放送中の「信長 KING OF JIPANGU」は先日ちょうど信長が上洛して三好一族を追い払うという場面を放送しましたが、今回の展示は私にとってジャストでした。

三好長慶と松永久秀は後世において悪役として扱われることが多く、元来人気がないキャラと思っていましたが、三好長慶は高槻占有時に善政を敷いていたようで、現在でも水の神として祀る地域があるようです。

今回、芥川城跡の展示がいくつかありました。芥川城は畿内最大級の山城で、近世の高槻城の北方向にあります。織田信長が三好一族を追い払って入京する思案をした拠点も、ここだそうです。地理的には京を随分通り過ぎているように思いますが、昔の占領の考え方はあくまで点(拠点となる城や村)なのでしょうね。今回は随分と三好一族を見直すきっかけになった展示でした。

特別展のあと、無料の平常展を見ましたが、高槻城の石垣の積み方に関する大きな模型(発掘の成果を復元)がありました。高槻城の地盤は柔らかかったため、そのまま石垣を積むと沈んで傾くため、底に木材で土台を敷き、その上に石垣を積んでいたようです。初めて見る技法でしたが、納得の技法ではないでしょうか。石垣の発掘調査では、基部と言われる最下部の石垣まで掘り起こし、その下は掘っていないことが多いのですが、もしかすると、地盤が柔らかい場所では同様の技法が使用されているところがあるかもしれません。

高槻市立しろあと歴史館

歴史館で「高槻の史跡」というガイドブックを購入し、それを片手に市内の史跡めぐりをしてきました。

高山右近高槻天主教会堂跡
高山右近高槻天主教会堂跡
※高槻城主高山右近がキリスト教布教の拠点とした城内の教会堂

高槻城跡石碑
城跡公園の入口付近にある高槻城跡石碑

城跡公園 高山右近像
城跡公園の中にある高山右近像

城跡公園
城跡公園内の池

高槻城大手跡
高槻城の大手跡(正門出入口)

本行寺
本行寺
※日蓮宗寺院だが、表門が高槻城高麗門と言われている。

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企画展 戦国の大津

企画展 戦国の大津

大津市歴史博物館に企画展「戦国の大津」を見にやってきました。今回の企画展は大津市にある「大津城跡」「膳所城跡」「坂本城跡」の遺物を展示するものです。今回の展示であらためて膳所城の遺構が多く残っていることを再認識しました。いつかゆっくりとすべてを巡ってみたいです。

今回、特別に今年8月京都本能寺跡(第4次、本能寺の変のあった場所)から発掘された瓦や、聚楽第と伏見城の遺物も展示されていました。つい最近の遺物も本家本元の現在の本能寺宝物殿ではなくて、ここに展示されているとは!!意外です。でも遠くの発掘現地調査会には簡単には参加できないので実際に見ることができてうれしいです。写真撮れないのが残念ですが・・・。企画展図録にも収録されていないので来た方だけの特典というところでしょうか。

初めて行ったので平常展も見てきましたが、広かったのでゆっくり見ている時間がありませんでした。到着時間が予定より遅れたことも原因ですが、ここまで広いとも思っていなかったので、これは次回出直しです。

今回は早く到着すれば坂本も見学する予定でしたが、これは3日ぐらい大津だけで見学に来ないとすべて見て回れないかもしれませんね。

大津市歴史博物館

投稿者 Tadashi : 21:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月24日

京都 本能寺へ

長浜市から電車で京都へ移動しました。先月からスカパーでNHK大河「信長 KING OF JIPANGU」が始まったこともあって、ちょっとした信長紀行です。

まずは、永禄4年(1561)イエズス会宣教師ヴィレラが信長庇護の下、教会を建てた「南蛮寺跡」を訪問です。とはいえ、石碑だけですが・・・。それもバイクに隠れて見つけるのに苦労しました。参考にビルの写真載せます。

南蛮寺跡 中京区室町通蛸薬師西入ル

南蛮寺跡 南蛮寺跡

そこからさらに西へ進むと、信長が明智光秀に討たれた本能寺跡があります。本能寺の変のあった本能寺は4回目に建築されたものです。ちょっと前のインターネットの案内では古い小学校とあるのですが、今はすでに新しい建物が建っていて、特養老人ホームと高校になっていました。

本能寺跡 中京区蛸薬師油小路下ル

本能寺跡 本能寺跡

本能寺跡

次に、現在の本能寺に行きました。本堂後ろに信長のお墓(公廟)がありました。宝物殿には先の本能寺跡で発見された遺物なども展示されていましたが、展示内容は満足いくものではなかったです。

本能寺

信長公廟

最後に、目的の京都国立博物館に向かいましたが、入る前に近くの方広寺と豊国神社に行きました。大坂の陣の原因ともなった梵鐘を見学後、伏見城の遺構と伝えられる豊国神社の唐門を見学しました。かなり大きな門で、細工もかなり凝ったものでした。人がひっきりなしにくるので、残念ながら無人の写真を撮ることはできませんでした。

方広寺の梵鐘

豊国神社の唐門

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特別展 歴史のなかの鉄砲伝来

特別展 歴史のなかの鉄砲伝来 特別展 歴史のなかの鉄砲伝来

全国的な秋晴れのなか、朝早く出発して長浜城歴史博物館で開催中の特別展「歴史のなかの鉄砲伝来」を見てきました。近江は戦国時代からの火縄銃の一大生産地であった国友のあった地です。今回の展示会では、鍛治道具や千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館からたくさんの鉄砲コレクションが展示されることから注目していました。

展示室にずらっと並べられた鉄砲や大砲のコレクションは圧倒されるものがあります。鉄砲の作り方の展示を含めてすばらしい展示の数々でした。

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2007年10月21日

二曲城跡発掘調査現地説明会

本日二曲城(ふとげじょう)跡で今年度の発掘調査現地説明会が午前と午後の2回開催されました。私は午後の部に参加してきました。告知が急だったのと、あまり多くに告知されなかったので、参加者は少なかったですが、その分ゆっくりと見学し説明が聞けました。

二曲城跡は平成16年度から5ヵ年計画で発掘調査が進められています。最初の2年は一の郭、続く2年は二の郭を中心の調査です。本年度は4年目となります。

二曲城跡発掘調査現地説明会 二曲城跡発掘調査現地説明会

二曲城跡発掘調査現地説明会 二曲城跡発掘調査現地説明会

出土物は少なく、石臼や青磁・白磁などの陶磁器のかけらが出ていますが、鳥越城跡に比べても圧倒的に数が少ないということで、一時的な詰の城の役割しかなかったと推測されます。また、今回も戦闘の形跡は出てきませんでした。

二曲城跡発掘調査現地説明会

今年度の最大の目玉は一の郭の南側下の郭の石垣の発見です。大きさもマチマチな石積みは中世の山城という感じ一杯ですが、単なる土塁の土留めの役割でしょうか。破却の痕が認められるため2段程度しか出ていませんが、石垣の下にはさらに1メートル以上の空堀跡も発見され、堀最下部からは相当の高さとなり、詰の城の形態を見せてくれます。

二曲城跡発掘調査現地説明会

昨年に続く二の郭では昨年度半分見つかっていた掘立柱建物跡の残り部分が確認され、4×2間の規模です。

他には、二の郭から一の郭への道を探すためのトレンチもしましたが、今回も道の発見には至りませんでした。現在一応の登山道はありますが、復元に向けては本来の道の発見があるのが望ましく、仮に獣道のような登山道では、破却された二曲城では発見が難しいかもしれません。

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秋季特別展 「一向一揆と織田軍団」

秋季特別展 「一向一揆と織田軍団」

白山市の鳥越一向一揆館の秋季特別展「一向一揆と織田軍団」を見てきました。展示物は、朝倉家古文書、浅井三代記、姉川合戦記、姉川軍記、信長記、絵本石山軍記、絵本拾遺信長記などです。

中でも天正12.13年頃に前田利家が佐々成政と退陣したときの加賀・越中境の諸城までの距離を、津幡の小城山(津幡城?)を基点としてかかれた史料「加賀越中境諸城里程図」は面白いものでした。確かに、越中境の松根城には「成政方」の文字が、対する朝日山城には守備についた「村井」の文字が見えます。末森までは二里とありますが、一里で何キロですか?(一里約3.9kmらしいです)

絵本がたくさん並べてありましたが、私も一冊ぐらいほしいです。でも高いのですよ、武将や合戦ものは・・・

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2007年10月03日

NHK熱中時間

本日のNHK総合の「その時歴史が動いた」は「歴史ドキュメント ゼロワン」という特別番組でしたが、続けて15分枠で「熱中時間」という番組をしていました。

今回のテーマは「城郭めぐり」

これはおもしろそうだと見てみました。内容は、「岡山県に住む森本基嗣さんが熱中しているのが城跡めぐり。ほとんど何のこん跡も残っていない城跡を求めて、道なき道を突き進む森本さんに密着し城跡めぐりの魅力を探る」というものですが、整備されていない山城めぐりに番組を見ながら「わかる!わかる!」と思ってしまいました。興味ない人が見たら、何で何もない山に熱中できるのか、と思うのでしょうが・・・

再放送が来週月曜日(8日)の夜中午前2:20~2:35にあるようです。

投稿者 Tadashi : 23:09 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年09月28日

金沢城探訪会 鶴丸倉庫

「100年後の国宝を作ろう」というキャンペーンの一環で開催された金沢城探訪会の抽選に当たったので、本日悪天候ながら参加してきました。

初めに、旧第六旅団司令部跡(どこかと思っていたら金沢城兼六園事務局の斜め前の建物でした。)で、金沢城調査研究所所長の北垣聰一郎氏によって、「穴太の系譜 -金沢城と熊本城-」というテーマで講演がありました。40名の抽選だったはずなのに、最初から椅子が40名分用意されていないという狭い会場の中、時折大雨で聞こえにくい状況でした。

穴太の系譜 -金沢城と熊本城-

北垣氏の講演は、所長になって初めてです。穴太の歴史や伝承文献について話がありましたが、伝承文献の残る金沢と熊本で石垣の勾配の計算方法について異なる考え方をしていながら、実は結果は全く同じになるという不思議な一致が見られることがわかり、このことは後日調査結果として何かまとめられると思われます。

講演会の後の見学会は鶴丸倉庫です。鶴丸倉庫は海鼠壁でないため、最近まで軍隊が建築したものと考えられてきましたが、前田育徳会で保存している文献で江戸末期の絵図に描かれているなどの発見により一躍脚光を浴び、重要文化財指定に向けて動いている最中です。

初めて中に入りましたが、今でも倉庫代わりに利用されているようです。

金沢城探訪会 鶴丸倉庫

江戸末期の建築とはいえ、軍隊の駐屯により一部改造の跡が残っています。1階東側と2階東側には1箇所ずつ壁に非常口が開けられています。

金沢城探訪会 鶴丸倉庫

金沢城探訪会 鶴丸倉庫

さらに、2階への階段開口部には通常3方をめぐるはずの高欄がなぜか2方しかなく、

金沢城探訪会 鶴丸倉庫

2階の一部には荷物の昇降に使われたと思われる穴があります。

金沢城探訪会 鶴丸倉庫

いろいろと不思議な点が残る鶴丸倉庫ですが、さらに解明を進めて金沢城の見どころの1つになればいいと思います。

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2007年09月25日

ふるさと切手 近畿の城と風景

先日の「ふるさと切手 熊本城築城400年祭」に続き、今年6月に発売された「ふるさと切手 近畿の城と風景」を入手しました。近くの郵便局では品切れだったので、オークションでちらし付で入手しました。が、近畿にはまだ残っているようです。先日、彦根城へ行ったときも売店にまだありました。掲載されている城にはまだ残っているところもあるかもしれません。

ふるさと切手 近畿の城と風景

今回のものもシール切手ではなく、従来の切手なので絵柄はくっきりといい感じです。2枚ずつ5種類の城が印刷され、50円切手10枚で500円という手頃さがよいでしょう。

奈良県から郡山城追手向櫓
滋賀県から彦根城天守
兵庫県から姫路城天守
大阪府から大坂城天守
和歌山県から和歌山城天守

となっており、5種ということで京都府がありません。元の写真の角度は彦根城がいまいちですね。ホームページの解説では相変わらず、「天守」ではなく「天守閣」となっていますが、切手に印字されていないのが救いですね。誰か指摘したほうがようのでは。

ふるさと切手 近畿の城と風景

ふるさと切手「近畿の城と風景」の発行
全国 80万シート、近畿36万シート

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2007年09月22日

金沢城探訪会に参加します

石川県金沢市では「百年後の国宝を作ろうキャンペーン」と称して地元企業が金沢城の復元事業をバックアップしています。地元新聞である北國新聞に時々記事が掲載され、またキャンペーンの一環として旅行や講演会が開かれています。今までは日程が合わず参加できませんでしたが、今回日程があったので参加申込みをしたら、参加できることになりました。

金沢城探訪会

今回は、金沢城研究調査室から金沢城調査研究所へ格上げになって初めての講演会で、初代所長となった北垣聰一郎氏の講演会と、今年に入り江戸時代の建造物と判明した鶴丸倉庫の見学会が各1時間ずつ開催される予定です。

この企画は後日の新聞記事となるはずなのでもしかしたら新聞に出るかもしれません。でも楽しみです。

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2007年09月21日

ふるさと切手 熊本城築城400年祭

記念切手を買うのは随分久しぶりですが、最近は地域発のふるさと切手が多数発行されています。シール切手も多いので、昔ながらの普通の切手は絵がくっきりとしているのがいいですね。

今回は、絵柄がとても気に入っています。今年度開催中の熊本城築城400年祭を記念したふるさと切手九州版ですが、発行は先月1日です。全国発売もされており、今日金沢駅内窓口に買いに行ってきました。

80円切手10枚1シートとなっており、以前は1枚絵柄または2枚絵柄が複数組印刷されているのが標準でしたが、5種類の絵柄が2枚ずつ。いろんな絵柄があってそこもいいです。

ふるさと切手 熊本城築城400年祭

春の天守、夏の宇土櫓、秋の天守、冬の宇土櫓、天守と宇土櫓となっており、まるでポストカードのような四季の表現が憎いですね。1つ難を言えば、右下の題名が「熊本城天守閣」となっており、「天守」ではなく「天守閣」、もう何10年も専門家のうちでは「天守閣」とは言わないのですけどね。このレイアウトを企画した方は、城に興味が薄いのか、ご年配の方でしょうか。

ふるさと切手 熊本城築城400年祭

ふるさと切手 熊本城築城400年祭

欲しくなった方は、下のリンクで販売場所を確認して残っているか確認してください。

ふるさと切手「熊本城築城400年祭」の発行
九州36万シート、全国80万シート

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2007年09月17日

彦根城築城四百年祭・佐和山一夜城復元イベント

昨日、イベントを見に彦根へ出かけました。天気予報は台風のため不安定なようですが、到着したときは良い天気でした。

彦根城築城四百年祭

イメージキャラクターのひこにゃんは彦根城博物館に一日三回登場するようで、子供たちに大人気でした。中の人はさぞかし暑いと思いますが、ちょこまか動く様子は確かに微笑ましいものです。

彦根城築城四百年祭

四百年祭では普段未公開の天秤櫓と西ノ丸三重櫓の内部を公開していますが、西ノ丸三重櫓は人形を展示していて内部構造はよくわからなかったですが・・・

彦根城築城四百年祭

彦根城築城四百年祭

彦根城築城四百年祭

天守に着く頃には天候がかなり怪しくなっていましたが、天守に上るのに入城制限がかかっており、20分待ちの看板と長い行列が・・・、今回は諦めました。

彦根城築城四百年祭

彦根城築城四百年祭

昼からは佐和山一夜城復元イベントが行われる東山運動公園に行きました。会場の入口では紙製のにこにゃんが出迎えてくれました。佐和山城を背にした天守イラストパネルは結構大きいものです。一夜城復元イベントは9月1日に除幕式を行い、本日16日に落城式を行って閉幕します。

佐和山一夜城復元イベント

佐和山一夜城復元イベント

期間中の3回の日曜日には麓の清涼寺坐禅堂で佐和山歴史講座が行われます。1回目は小和田哲男氏による「戦国の城 佐和山城の魅力」、2回目は中井均氏による「信長の佐和山城攻め」、そして本日3回目の谷口徹氏による「佐和山城から彦根城へ」が開催されました。会場にはこの種のイベントにしては珍しく若者の姿も多く、多くは地元民のようですが、石田三成は人気もあるようです。

佐和山一夜城復元イベント

歴史講座の後、夕方から落城式のイベントが始まりました。ここでもひこにゃんが登場し大人気でした。さらに、しまさこにゃんも登場しともに人気でした。

佐和山一夜城復元イベント

あたりも暗くなり、ライトアップが始まり、イベントが始まると、会場も徐々に盛り上がっていきましたが、落城をどう表現するのかと思っていたら、花火でした。今にも頭上に降り注いできそうな打ち上げ花火には皆歓声を上げるというよりも悲鳴でした。

佐和山一夜城復元イベント

佐和山一夜城復元イベント

佐和山一夜城復元イベント

佐和山一夜城復元イベント

最後は主催した彦根商工会議所青年部のメンバーが舞台に上がり、皆で一斉に「だいいちだいまんだいきちー」(石田三成の旗印)と掛け声をかけて終了しました。

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2007年09月12日

飯山城と春日山城

小雨がぱらつく天候の中、天気予報を信じ、北信濃の飯山と上越の春日山へ行ってきました。

飯山駅

駅のホームに鐘楼があるという珍しい光景を見てのち、町内の散策に出かけました。目的は飯山城でしたが、駅前の観光案内所でもらった地図は「寺の町いいやま」ということで、市内21ある寺院のうち16箇所を見てきました。

真宗寺 西来寺

蓮証寺 大聖寺

妙専寺 本光寺

伊勢神社 西念寺

常福寺 光蓮寺

妙専寺 忠恩寺

明昌寺 正受庵

正受庵に向かう途中では数種類のハスが咲く蓮田があり、時期も過ぎていましたが、偶然にも一輪だけきれいに咲いているハスを見つけました。

蓮田

英岩寺 飯笠山神社

さて、目的の飯山城ですが、思ったより大きな城跡ではありませんでした。小雨のなか朝訪れたあと、帰りに天候が回復したので、再度訪れました。石垣は見たところ古いものではないようです。建造物は場所の分からない門が唯一の遺構として残っていました。

飯山城二の丸からの眺望

飯山城二の丸から本丸へ至る石垣

飯山城城門

飯山城二の丸からの眺望

飯山城二の丸から本丸へ至る石垣

飯山城城門

春日山城では今日も上杉謙信像が迎えてくれました。山を登る前に、春日山ものがたり館と上越市埋蔵文化財センターの展示を見てきました。

春日山城

春日山城

春日山城

今回もあまり時間がなかったので、中腹の春日山神社から本丸をまわってきました。次は麓から登ってみたいです。中腹からだと日本五大山城という実感が少ないのです。

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2007年09月09日

講演会「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」

昨日は朝から高岡市へ出かけました。目的は高岡城址内にある高岡市立博物館の常設展リニューアル講演会に参加するためですが、先日同日に伏木で現地説明会があることを知り、ついでに参加してきました。

高岡市伏木は富山湾へと注ぐ小矢部川の河口左岸の伏木台地に立地する越中国の国府のあった場所ですが、後に、中世城郭の古国府城へと変遷し、勝興寺が建てられた土地です。

越中国府関連遺跡現地説明会

現地説明会には朝から大勢の人が集まっていました。前日までの大雨で地面はぬかるみができ、水溜りもできていた影響で、説明は5人程度の単位で随時開催されました。個人住宅建設に伴う調査で、一部は建設によって破壊されてしまう可能性があるということで残念ですが、すでに周りは住宅や農地で利用され、土塁の一部もすでにない状態でした。それでも残っている一部からその大規模な中世城郭の存在を想像することはできました。

また、今回の調査で、本郭と土塁、堀からとなる単郭の遺構と考えられていた今回の遺構跡が、実は腰曲輪を持つ複郭遺構であったことが確認されました。

越中国府関連遺跡現地説明会

説明会を終え、先日講演会を聞いた前田利長墓地へ行きましたが、すでに発掘調査の後はありませんでした。

高岡市立博物館は高岡市と福岡町の合併により、常設展を今年7月にリニューアルしました。旧高岡市中心だった展示は木舟城などを含めて中世を中心に展示替えされていました。入場料は無料なので、高岡城址へ行かれたときはぜひ寄ってください。

さて、リニューアルを記念して3回の講演会が予定されていましたが、今回は最終3回目で、氷見市史など郷土史編纂に尽力されてきた久保尚文氏によって「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」というテーマで講演がなされました。

講演会「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」

ひとつ分かったことは、富山県には中世の歴史がほとんどないのは、今まで生活の跡がないからだと思っていましたが、実は古文書がないからだということです。県内に残る一番古い古文書は1350年頃、次は1400年代終わりということで、すっぽりと前田家が入ってくるまでの歴史が検証できない状態だそうです。

原因のひとつは足利尊氏と対立した部将桃井直常の本拠が越中であったため、敗軍のさだめとして関連文書はことごとく廃棄されたためだとか。

講演会「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」

興味ある話としては、1585年11月29日に白川地方を震源とするマグニチュード8.1クラスの地震があったことに関連して、越中の歴史がいろいろと結びつくという事実。木舟が陥没して木舟城が廃城となった年が1985年。神通川は当時東西2本の支流があって、このときに西側がひあがったのではないか。秀吉が佐々成政の遠征を始めたのが1985年、成政の降伏が1586年だったことに影響したのではないか。ただし、どれも定説にはなっていませんが。ひとつの地震が歴史的出来事に深くかかわっている可能性を示唆する例でしょう。

古文書がないだけに正確な歴史が構成できないという事実とは裏腹に、古文書がないのでさまざまな想像ができるという事実。歴史の面白いところではないでしょうか。

投稿者 Tadashi : 11:50 | コメント (0) | トラックバック (0)