2008年12月04日
シンポジウム 「江戸城と金沢城の御殿」開催
金沢城大学公開講座
シンポジウム 「江戸城と金沢城の御殿」
金沢城の政治の中心、二ノ丸御殿の内部はどんな姿だったのか、江戸城と比較し検討します。
日時:平成21年1月10日(土) 午後1時から4時40分
会場:石川県文教会館ホール 金沢市尾山町10-5
費用:入場無料
内容:
<基調講演> 「篤姫の時代の江戸城」 平井聖氏(昭和女子大学前学長)
<報告1> 太田昌子氏(金沢美術工芸大学教授)
<報告2> 伊東龍一氏(熊本大学教授)
<パネルディスカッション>
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2008年12月03日
金沢城鼠多門 復元の可能性を調査
石川県議会12月定例会は2日、本会議を再開し代表質問のなか、金沢城復元整備で谷本知事は2014年度までの第二期復元整備計画で予定される、玉泉院丸跡地の整備計画策定に併せ、玉泉院丸の入り口に当たる鼠多門の復元の可能性について、調査する考えを明らかにした。
鼠多門は1884(明治17)年まで現存し、先月下旬に石垣回廊「鼠多門コース」が開設した。かつて門から金谷出丸(現・尾山神社)までは鼠多橋で結ばれていた。
谷本知事は鼠多門を含む玉泉院丸跡地一帯を「城と中心市街地が一体となって、にぎわい創出につなげる大切なゾーン」と位置付け、跡地の整備計画策定にあたり、中心市街地側のエントランス機能の確保が重要と強調。鼠多門復元について、玉泉院丸跡地の整備計画を策定する中で「建造物の一つとしうて、整備の在り方を検討していく」と述べた。(北國新聞2008年12月2日付記事より)
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2008年11月23日
江戸城本丸の模写絵ギリシャに
江戸時代の狩野派を代表する絵師、狩野探幽(1602-74年)が描き、同時代初期に江戸城本丸を飾ったびょうぶ絵「野馬図」を後世の狩野派の絵師が書き写した絵が、ギリシャ北西部コルフ島のアジア美術館に保管されていることが22日までに明らかになった。今年7月、同美術館を訪れた河合正朝慶応大学名誉教授ら国際学術調査団が発見した。
探幽の絵については、江戸城にあったことは知られていたが、後に焼失したとみられ、どのような図柄であるかなどは分かっていなかった。研究者らは江戸時代の狩野派の活動を知る上で一級の資料と評価している。(北國新聞2008年11月23日付記事より)
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2008年11月22日
前田家墓所国史跡に
文化審議会は21日、金沢市の前田家墓所と、高岡市の前田利長墓所をまとめて「加賀藩主前田家墓所」として国史跡に指定するように塩谷立文部科学相に答申した。早ければ来年一月にも答申通りに指定される。文化庁によると、県境を越えた複数の地域・施設が一括して国史跡に指定されるのは石川、富山県内で初めてで、全国でも十六例目(特別史跡含む)という。
加賀藩主前田家墓所は、金沢市の野田山墓地にある加賀藩の歴代藩主や正室、側室らの墓八十基と、高岡市関にある二代藩主利長の墓で後世される。全国の近世大名の墓所でも有数の規模で、良好な状態で保存されており、江戸時代最大の大名にふさわしい風格を備えている。(北國新聞2008年11月22日付記事より)
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2008年11月18日
辰巳用水三段石垣、構築時期推定へ
金沢市は18日から、上辰巳町の犀川に面した斜面にあり、最上段に辰巳用水が流れる三段石垣の発掘調査を開始する。二週間程度をかけ、最上段の平坦部と、下段の基礎部の計2カ所を掘り起こして地層や遺物の有無を調べ、石垣の構築時期を推定し、辰巳用水の史跡指定に弾みを付ける。
三段石垣は辰巳用水の景観を収めた最古の資料「文化六年辰巳用水絵図」に描かれているが、築造に関する資料は見つかっていない。今回の調査では、石垣周辺の堆積土砂の状況や、石垣築造の土木技術を確かめるほか、道具などの遺物からも構築時期を推定する。(北國新聞2008年11月18日付記事より)
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金沢城の石垣回廊 「鼠多門コース」完成
金沢城公園で17日、いもり坂口から旧県体育館下の石垣前を経由し、県営丸の内駐車場に至る「鼠多門コース」が完成した。石垣回廊のコースが市道に沿って整備されるのは初めてで、加賀藩の石工技術がより身近なものとなる。
新コースは延長約450メートルで、板を渡した木橋も設けた。昨年度に積み直しが完了した県体育館下の玉泉丸南西石垣、鼠多門続櫓台石垣、鼠多門周辺で、玉泉院丸と金谷出丸(現在の尾山神社境内)を結ぶ木橋が架けられていた石垣が見どころとなる。
石垣回廊は2001年度に城内ルートが完成。城内外の連絡ルートや外周ルートであるいもり堀、玉泉院丸、薪の丸、三十間長屋コースが順に供用している。県は来年度、丸の内駐車場から大手門、石川門下、百閒掘の各石垣で案内板を設け、回廊全体を完成させる方針だ。(北國新聞2008年11月18日付記事より)
以下は、11月8日現在の鼠多門コースの工事現場の様子です。




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2008年11月12日
虚空蔵山に散策路 交流人口拡大、活性化狙う
能美市の市民グループ「能美の里ファン倶楽部」は16日、同市和気町の虚空蔵山にある中世の山城跡と城主の菩提寺跡などを結ぶ散策路の整備に乗り出す。同山周辺では市が中山間地と都市部の住民が触れ合う里山公園の整備を計画しており、歴史ロマン漂う道を新たに設けることで交流人口を拡大し、周辺地域の活性化につなげる。
散策路を整備するのは虚空蔵山城址から城主の菩提寺である徳山寺の跡地に至る約1.3キロ区間。年内の完成を目指す。市立博物館などによると、同城は戦国期、一向一揆の拠点となっており、金剛寺行松らが城主を務めたが、織田信長勢に滅ぼされたとされる。周辺には落城の際に戦死した武士を埋葬した「群集墳墓」があり、散策路は墳墓を見学できるように設ける。城址から徳山町のいしかわ動物園を結ぶルートの整備も予定している。(北國新聞2008年11月12日付記事より)
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2008年11月09日
石川門 オレンジ色にライトアップ
児童虐待防止を訴えるオレンジ・リボンキャンペーンが8日行われ、金沢城石川門がイメージカラーのオレンジ色にライトアップされた。キャンペーンは、11月の児童虐待防止推進月間にあわせて行われた。(北國新聞2008年11月9日付記事より)

ライトアップされたのは石川櫓の東側1基のみでした。写真の櫓正面のライトと側面のライトの色が違うことが分かるでしょうか?
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2008年11月06日
金沢城最古の庭園遺構
石川県金沢城調査研究所は5日、金沢城跡の本丸北側で、1621-31年の間に造られたとみられる庭園の遺構を確認したと発表した。1634(寛永11)年から作庭された玉泉院丸庭園より古く、城内の庭園の遺構としては最古となる。泉水(池)跡とみられる皿状のくぼみや、泉水の護岸に置かれたとみられる自然石、石造物などが見つかった。同研究所では、初期の本丸の土地利用を知る貴重な手掛かりの一つになるとしている。(北国新聞2008年11月6日付記事から)
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2008年11月05日
金沢城宮守堀水堀化へ工事に着手
金沢城第二期復元整備事業で4日、石川県は宮守(いもり)堀の水堀化工事に着手した。工事現場を高さ約1.2mのフェンスで囲み、今月中旬から掘削に入る。石川県はパネル板も備えた見学スペースを設け、県民や観光客に水堀の復元経過を見てもらう。
宮守堀は城の外縁部の旧県庁舎側に位置する。現在の地表から約3m掘り下げ、鯉喉櫓台から中央消防署広阪出張所跡地付近までの延長約230mに幅15-16m、水深1.5-1.8mの堀を造る計画で、2010年春の完成を目指す。(北国新聞2008年11月5日付記事)
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2008年11月01日
加賀藩塩硝蔵の規模解明へ
藩政期の加賀藩の軍事施設「土清水塩硝蔵」の発掘調査が31日、金沢市涌波町の休耕果樹園で再開した。昨年の市の調査では、火薬原料となる塩硝(硝石)を保存する蔵「硝石御土蔵」の基礎跡の一部と堀の痕跡と見られる遺構を確認。今年は1ヶ月ほどの調査で御土蔵の規模を確定を目指す。市では将来の国の史跡指定や復元整備の足掛かりとする。(2008年11月1日付記事)
今日から金沢市では9例目となる旧町名「南町」が復活しました。塩硝蔵跡は昨日偶然見に行ったばかりで始まったばかりだったとは運が良いです。
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2008年09月19日
会津・鶴ケ城 ふるさと納税募り幕末の「赤瓦」復元
戊辰戦争から140年を迎える福島県会津若松市は19日、同市のシンボルである鶴ケ城(若松城)を、現在の黒い瓦から、幕末当時の赤瓦にふき替えるなどの復元整備を行い、その財源として、ふるさと納税を募ると発表した。赤瓦の城は全国的にも珍しく、全国に散り散りになった会津ゆかりの人々に訴えるほか、歴史や城ファンの支援を広く募りたい考え。同市では「敵味方の区別なく、全国の方から応援をいただきたい」と話している。

鶴ケ城は、年間63万人が天守閣に登る同市の観光のシンボル。天守閣は戊辰戦争後にいったん取り壊されたが、1934(昭和9)年に国の史跡に指定され、第2次大戦後の1965年に同市が再建した。その後、96年度に史跡を総合的に整備する計画をたて、入場料などを基金として積み立ててきたが、3.5億円となったのを機に、大規模整備に取りかかることにした。
天守閣再建から50周年を迎える7年後を目指し、秘密の会議を行っていたとされる三層の「御三階(おさんかい)」の復元や、天守閣を本来の赤瓦にふきかえ、老朽化した壁も塗り替える。文献や発掘調査から、鶴ケ城は1648年に、黒から赤瓦にふき替えられ、敗戦前の「往時」には赤瓦だったことが分かっているという。
また、合わせて財源に、同市へのふるさと納税をあてることも決めた。調査や設計も今後のため、総事業費はまだ未定だが、一般のまちづくりとは別に「鶴ケ城整備」の項目を設け、賛同者を募る。1万円以上の寄付をした個人には、1年間、天守閣への入場(大人1回400円)がタダになる「鶴ケ城通行手形」を贈る。菅家一郎市長は「ただ寄付を集めるのではなく、『鶴ケ城に』と使途をはっきりさせて応援団を募りたい」と話した。(2008年9月20日付朝日新聞)
会津若松市記者発表 天守閣再建50周年に向けた史跡若松城跡整備について
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2008年09月04日
直江兼続の兜 金沢にあった
来年のNHK大河ドラマ「天地人(てんちじん)」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続ゆかりの兜が加賀八家の1つ本多家の初代、政重が兼続に請われて婿入りした際に、結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、19日から金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。(北國新聞2008年9月4日付記事)
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2008年08月30日
北国街道 津幡町指定文化財に
加賀藩の参勤交代にも使われた「北国街道」の津幡町倶利伽羅峠付近が来月に町の文化財指定を受ける。石川県教育委員会によると、同街道の文化財指定は県内初。街道の大部分は明治以降、路面の舗装や拡幅で形状が変わり果てており、同町教育委員会は往時の面影を残す一帯が学術的価値が極めて高いと判断、町指定で保存を図る。開発を免れた「道路遺産」とも言え、将来的に県指定へ格上げされる可能性もある。(北國新聞2008年8月30日付記事)
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2008年08月22日
京都宇治川右岸 太閤堤から庭園跡
京都府宇治市の宇治川右岸に16世紀末、豊臣秀吉が前田利家らに造らせた「太閤堤」で炉や池などの庭園跡が見つかり、市歴史資料館が21日発表した。太閤堤は伏見城築城に伴う宇治川の護岸工事とされていたが、秀吉が治水目的以外にも、趣味の茶の湯で使った可能性がある。資料館の吉水利明館長は「宇治川から山河の風景を眺めながら、茶の湯を楽しんだのかもしれない」と話している。(北國新聞2008年8月22日付記事)
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2008年08月16日
金沢最古の大野庄用水 護岸を石積みに
金沢市は10月から大野庄用水の芳斉地区で護岸整備に着手する。コンクリート護岸を石積み護岸に改修し、一部に残る旧来の石積み護岸の部分と川底の補修工事を行う。用水に架かる三社橋の高欄もコンクリート製から木製に付け替え、金沢最古の用水にふさわしい情景をつくり出す。来年3月の整備完了を目指す。(北國新聞2008年8月16日付記事)
大野庄用水は、天正年間に完成した延長約10.2キロの金沢最古の用水。
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2008年08月12日
七尾城跡の石垣修復 畠山家600年事業に間に合う
能登半島地震で崩壊した七尾市の国指定史跡・七尾城跡の石垣が11日までに修復され、約一年五カ月ぶりに姿を現した。地震後には豪雨で土砂崩れが発生するなど、一時は修復のめどが立たない状況まで追い込まれていたが、市が設立した同城跡石垣修復検討委員会などの努力により、予定通りに修復が終わった。
現在、石垣の修復が終わり、土砂崩れが発生した場所についても、植物の種子を吹き付けるなど最終的な修復作業が進められており、8月末には城跡全体の復旧が終わる見通し。(北國新聞2008年8月12日付記事)
七尾城まつりは9月13日(土)・14日(日)
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2008年08月05日
金沢城 藩政末期の西内惣構
金沢市が主計町の緑水苑内で進めている西内惣構の発掘調査で4日までに、藩政末期の堀幅が現在の水路の2倍に相当する約4メートルだったことが分かった。明治初めに埋められたとみられる堀の内側の遺構が見つかり、堀幅が確かめられた。
金沢市は来年度以降の惣構の復元整備に向けて今年度から調査しており、苑内を流れ、堀の一部とされる母衣町川の水路の内側4ヵ所と外側1ヵ所で試堀を進めている。発掘場所は先月28日の水害で土砂が流れ込み、現在は土砂を除きながら調査している。(北國新聞2008年8月5日付記事)
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2008年08月04日
金沢城 惣構の升形復元へ
金沢市は来年度から、金沢城の西外惣構の防御施設だった「升形」の復元事業に乗り出す。同市本町一丁目で進める発掘調査で、升形の堀、石垣などを3日までに確認しており、城下町の歴史を伝える貴重な歴史遺産として後世に継承する。(北國新聞2008年8月4日付記事)
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2008年07月02日
金沢城東内惣構堀 柿木橋詰遺構復元工事完成式
城下町金沢の歴史資産である惣構堀について、文化財指定を視野に入れ、現地調査及び発掘調査を行い、その結果を踏まえ可能な場所で復元整備を行うことにより、金沢の貴重な歴史遺産の保存・活用を図っていきます。このたび、平成18年度からの発掘調査に基づき、本市初の惣構堀の復元整備工事が完成します。
完成式
日時 平成20年7月5日(土) 午前10時から
場所 東内惣構堀 柿木橋詰遺構(尾張町二丁目地内)
整備のコンセプト
1 発掘調査結果に基づいた、堀の石垣及び土居の復元整備
2 堀幅の変遷や惣構堀の規模がわかるような整備
3 見学所として気軽に立ち寄れ、歴史を感じ取れる整備
東内惣構堀とは・・・
城の防御のための堀で、慶長四年に加賀藩二代藩主前田利長が高山右近に命じて築造させたといわれています。小将町~兼六元町~主計町の延長約1.3kmです。
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2008年06月27日
七尾城跡 石垣修復9月完了
昨年の能登半島地震で崩落した国指定史跡・七尾城跡の石垣が、9月上旬に修復を終える見通しであることが26日の同石垣修復委員会で報告された。城跡は昨年10月の豪雨でも18カ所で土砂崩れし、一時は修復のめどが立たない状況となっていた。9月13日に始める能登畠山家創立六百年事業に何とか間に合う形となり、市関係者らは胸をなで下ろしている。
市は9月13日の七尾城ウォーク、14日の城山まつりなど、能登畠山家が能登一国の守護となり六百年の節目を祝う一連の記念事業に間に合わせたいと、協議を重ねていた。(北國新聞2008年6月27日付記事)
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2008年06月18日
金沢城跡 国史跡に決定
文部科学省は17日付の官報で、金沢城跡を文化審議会の答申通り、国史跡に指定すると告示した。告示をもって史跡指定が正式に決まった。国史跡指定の範囲は金沢城公園内の国・県・市有地を合わせた約27.5ヘクタールとなる。(北國新聞2008年6月18日付記事)
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2008年05月17日
金沢城跡国史跡に
本日は金沢城関連で2件。
文化審議会は16日、金沢城跡を国史跡に指定するよう、渡海文部科学省に答申した。答申通り近く指定、登録される。指定範囲は金沢城公園内の国・県・市有地を合わせた約27.5ヘクタールで、ビルが建つ西側の私有地、北陸電力の変電施設がある北側の敷地は含まれない。(北國新聞2008年5月17日付記事)
財団法人北國総合研究所の「金沢城辰巳櫓復元調査検討委員会」は16日、金沢市の北國新聞会館で会合を開き、今年度から製作に乗り出す辰巳櫓の立体模型について、1759(宝暦9)年の大火で焼失する前のタイプで取り組みことを決めた。製作期間は2年間で、辰巳櫓の復元に向けて気運を盛り上げていく。今年度は50分の1の縮尺で模型を試作し、来年度に20分の1の大きさで立体模型を製作する。(北國新聞2008年5月17日付記事)
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2008年05月05日
金沢城辰巳櫓 家老、財政困窮で再建断念で殿を説得する
1759年(宝暦9年)の大火で焼失した金沢城本丸の辰巳櫓の「天保の再建」工事が突然中止されたのは、加賀八家の一人、奥村栄実(おくむらてるざね)の進言が影響した可能性の高いことが、石川県金沢城調査研究所の調査で分かった。栄実は加賀藩の再建を担った十三代藩主前田斉泰のブレーン。栄実の日記などから財政難を理由に「殿の悲願」を断念させたと推察され、藩内で繰り広げられたドラマが見えてきた。(北國新聞2008年5月5日付記事)
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2008年05月03日
金沢城 周辺の埋蔵文化財調査決まる
「旧県庁舎南ブロックの保存改修に向け、県は7日から、埋蔵文化財調査に着手する。調査期間は8月末までで、今秋には県庁跡地整備で初めてとなる建物の工事が始まる。調査は南ブロック北側約900平方メートルの増築部分が対象となる。金沢城調査研究所によると、一帯はかつて堂形と呼ばれ、絵図や文献では江戸前期には加賀藩の米蔵などがあったとされており、遺構の有無などを調べる。」

「最高裁は2日までに、金沢地裁の庁舎を金沢市丸の内の現在地で立て替える方法を固めた。最高裁によると、新庁舎の建設は五年計画で進められ、2010年度に着工、12年度の完成を目指す。今年度は敷地の埋蔵文化財調査と基本・実施設計を行う。」(北國新聞2008年5月3日付記事)

金沢城の南と北で同時に埋蔵文化財調査が行われることになりました。旧県庁のほうは堂形の遺構に期待しますが、金沢地裁のほうは御山坊舎の頃の門前町の遺構など見つかれば大発見ですね。
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2008年03月31日
金沢城玉泉院丸 石垣修復3度やり直し
金沢城玉泉院丸跡南西石垣の修復工事で、作業完了までに三度にわたって石を積み直していたことが30日までに分かった。工事は大阪の石材業者の指導で行われ、作業途中で元の姿に復元できない恐れが出たため、再三やり直しとなった。藩政期の石垣築造技術の高さを示した形で、工事を発注した県公園緑地課は「積み直しは想定内」とする一方、関係者からは「県内にも優れた技術を持つ石工がおり、初めから任せれば積み直さずに済んだかもしれない」との声が上がっている。
作業は大阪の石材業社の指導を受け、金沢市内の石材業社の職人三人が取り組んだ。大阪の業者は大阪城や姫路城、熊本城など全国の有名城郭で石垣の築造・修復に携わった実績があるといい、金沢の現場を五、六回訪れ、石積みは初めてとなる職人に助言した。
最初の積み直しは石を三段まで積んだ段階で行われた。現場を訪れた大阪の石材業社や学者らでつくる石垣修復指導委員会が石垣の角度などを見て、解体前と同じ姿にならないと判断、最下段の一列を残してやり直すことになった。
二度目は五段前後まで積み上げた昨年12月下旬、三度目は七段程度まで復元した1月上旬にいずれも最初と同じ理由で積み直しとなった。三度目では、石垣積みに長い経験を持つ県内の石工に助言を求め、修築工事は3月上旬に完了した。
県内の石材業社からは「助言を求められた、県内一の腕前の石工が初めから手掛ければ、三度も積み直さずに済んだのではないか」との声が聞かれる。県公園緑地課は、修築工事に従事した職人は城郭の石垣工事が初めてであり、石を加工しないなどの制約のある中で工期内に完了したことを挙げ、「積み直しは想定の範囲内。工事はむしろ順調だった」としている。(北國新聞2008年3月31日付記事より)
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2008年03月14日
朝倉氏遺跡 刀装具鋳型が出土
福祉県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は13日、国の特別史跡に指定されている同遺跡から戦国時代の、刀を装飾する目貫(めぬき)など「刀装具」の鋳型計37点が出土したと発表した。
資料館によると、刀装具の鋳型が大量に発見されるのは珍しいといい、発掘した区画が武家屋敷に相当する規模で、朝倉氏の身内の屋敷が集まっていたとされる場所だったことなどから、朝倉氏直属の身分の高い、金工師集団が存在した可能性が高いとしている。(北國新聞2008年3月14日付記事)
一乗谷朝倉氏遺跡資料館 報道発表について
※一定期間を過ぎた場合はリンク先がない可能性があります。
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2008年02月22日
金沢城 鯉喉櫓台に見学場所
金沢城河北門等の復元整備専門委員会は21日、石川県庁で開かれ、宮守堀の水堀化で県側は、石垣復元後の鯉喉櫓(りこうやぐら)台を見学スペースとして開放する設計案を示した。安全柵で囲い、段階復元する宮守堀などについての解説板を設ける。
辰巳用水を取り入れる宮守堀は兼六園からの流下水の60%を取水し、自然流下で近江町用水に排水することで、堀水を二日間で入れ替える。
昨年11月に起工した河北門復元では、発掘調査の結果などを受け、ニラミ櫓台の東西南北の石垣の形式を決めた。北面は現状の「割石積」を一部積み直した上部に「粗加工石積」を復元する。二の門では三月上旬から石垣を積み始め、七月に完了する予定とした。
県は年度内に宮守堀の実施設計を仕上げ、新年度から工事に着手、河北門の復元と併せ2010年春の完成を目指す。(北國新聞2008年2月22日付記事より)
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2008年02月20日
能登畠山氏入封600年記念事業
能登畠山氏が能登一国の守護となって600年の節目を飾る記念事業の第1回実行委員会は19日、七尾市役所で開かれ、同氏にちなんだ催しの概要が決まった。シンポジウムや七尾城検定、慰霊法要などが行われ、七尾城の魅力と室町期に花開いた「畠山文化」を発信する。同事業は今年9、10月を中心に約20の催しが実施される。(北國新聞2008年2月20日付記事)
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2008年02月19日
高岡城 石垣沿いに散策路
高岡市は新年度、高岡古城公園(高岡城跡)で、藩政期から残る石垣を間近に見られる散策路を整備する。城跡の本格的な発掘調査に向けた基本計画を策定するほか、新しい整備計画策定の前段となる活用方針の検討も行う。
高岡城跡の二の丸から本丸に続く土橋にある石垣は、藩政時代から残る数少ない遺構となっている。ただ、石垣の下は堀になっているため、見学しにくいのが実情だった。整備にあたっては城跡の構造に影響を及ぼさないよう配慮するほか、朝陽橋の欄干の改修や樹木の剪定も行う。
発掘調査は国指定史跡を目指したもので、2009年度にも着手する。新年度は基礎資料調査と発掘範囲の検討を行う予定である。(北國新聞2008年2月19日付記事より)

写真は3年前のものであるが、最近もあまり変わっていなかった。冬は草が枯れてもう少しよく石垣が見えるであろうが、石垣の上がちょうど射水神社への参道となっており、下は水堀であり、今までの注目度は決して高くない状態であった。整備されるであれば、石垣付近だけではなく、水堀の清掃や近くの公共施設の撤去(路上駐車が多すぎる)などもお願いしたい。
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2008年01月18日
金沢城 惣構堀復元工事ずれ込み
金沢市が同市尾張町二丁目で進める東内惣構堀の復元整備を請け負っていた業者が事業を停止し、完成が大幅にずれ込む見通しとなった。市は二月に工事を発注し直す方針であり、当初に予定していた今年度末の完成は困難になった。
市によると、工事は山村組(同市)が単独で請け負っていた。しかし、同社は昨年11月に事業を停止し、工事を継続できなくなった。現在も工事がストップしたままになっており、市は二月上旬に入札を実施し、同下旬の発注を目指す。
今回の復元整備では、橋場交差点と枯木橋に近い約160平方メートルで江戸後期の石垣を保全、修復する。ベンチなどを配した見学所を設け、市民が歴史に触れる空間とする計画としており、現在の工事進捗率は二割程度という。(北國新聞2008年1月18日付記事)
同地に訪れたのは昨年11月中旬でした。一人で作業していましたが、その月以降作業が進んでいないものとは思っていませんでした。建設不況がこんな歴史的復元工事にまで影響を及ぼす事態になっているのですね。

復元イメージ

昨年11月の見学所現場

昨年11月の石垣整備現場
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2008年01月16日
金沢城調査研究所 城郭石垣 九州と比較調査
県教育委員会が今年度に改組した「金沢城郭研究所」は、全国の新進気鋭の研究者5氏を客員研究員に委嘱し、九州と金沢の城郭石垣の比較研究に乗り出した。諸大名が石垣技術者をどのように召し抱えていたかを福岡藩、熊本藩、久留米藩などの資料から洗い出し、世界遺産「城下町金沢」再提案でも掲げた、金沢の石工技術の普遍的価値や希少性を比較研究で明確にする。新年度以降は、尾張藩、紀州藩、津藩、萩藩などにも調査範囲を広める計画だ。
客員研究員の共通テーマは、天下普請での石垣城郭技術者の編成・技術内容の比較や、各大名家独自の石垣技術の考察となる。
客員研究員は次の各氏。
白峰旬氏(別府大准教授)
長屋隆幸氏(愛知県立大非常勤講師)
宮里学氏(山梨県教育庁学術文化財課副主査文化財主事)
楠寛輝氏(松山市教育委員会文化財課主事)
市川浩文氏(佐賀県立名護屋城博物館学芸課調査研究担当主査)
研究所では今年度、前身の「金沢城研究調査室」で培ったノウハウを生かし、大坂城と名古屋城で石垣遺構の分類編年に関する調査も始めた。今後は調査対象の城郭を全国に広げ、金沢城や城下に蓄積された匠の技を世界的視野に立って解明していく。(北國新聞2008年1月16日付記事)
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2008年01月09日
高岡城 石の切り出し跡調査
高岡市教育委員会は8日までに、雨晴海岸の景勝地として知られる義経岩で、高岡城の築城に使われたとみられる石の切り出し跡の調査に乗り出した。同市は新年度以降、高岡城跡の本格調査を実施する方針で、富山考古学会と二上山総合調査研究会と協力し、義経岩の歴史遺産としての価値に光を当てる考えだ。
義経岩は、海側の岩盤と背後の石積みで囲んだ土盛りからなるが、崩落の危険性が指摘されていた。県は今年度から2ヵ年間で修復工事を実施する予定だが、市教育委員会の調査を受けて切り出し跡を保全する形での工事を検討している。義経岩の石切り跡については、富山考古学会などが存在を確認していたが、本格的な調査は初めてとなる。これまでに、石を切り出した「矢穴」を新たに2ヵ所確認したほか、周辺にある石切り跡の実測図の作成も進めている。(北國新聞2008年1月9日付記事)
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2008年01月04日
奥医王に山城遺構
石川考古学研究会幹事の宮元哲郎さんは3日までに、医王山主峰である奥医王の山頂付近で、山城跡とみられる防御施設の遺構を確認した。金沢市埋蔵文化財センターによると、医王山一帯では15世紀、当時加賀守護だった冨樫政親との戦いに敗れて井波に逃れた一向宗と、政親から一向宗討伐の要請を受けた天台宗惣海寺勢との戦いがあったとされ、山城跡は当時の戦いで使われた可能性があるという。
遺構は石川、富山両県にまたがるように位置する。同センターによると、奥医王の石川県側で山城跡とみられる遺構が確認されたのは初めてで、医王山を舞台に繰り広げられた戦闘の様相を知る貴重な手がかりになるとしている。
宮本さんが確認したのは、敵の侵入を防ぐ「堀切」と呼ばれる溝で、奥医王山頂の北東側に計四カ所あることが分かった。このうち一カ所は1990年からの旧福光町による調査で確認されていた。宮本さんが荒田に三カ所を確認したことで、四つの堀切が山頂近くの平坦面を囲むように存在し、山城を構成していた可能性があることが分かった。(北國新聞2008年1月4日付記事)
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2007年12月30日
金沢市が歴史都市へ横断組織
金沢市は来年度、歴史都市・金沢の実現に向けて庁内横断組織を設置する。国土交通省が新設する 歴史的環境形成総合支援事業の第一号認定をにらみ、歴史資産そのものの保全、整備に加え、周辺の道路整備、景観向上といった多面的な施策を打ち出す。11月には歴史探訪の日(仮称)を荒田に設定し、市民がふるさとの豊かな歴史、文化に触れる機会も提供するなど、「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の世界遺産登録に向けた環境整備を強力に推し進める。
横断組織は「歴史都市推進チーム」で、都市政策、産業、市民、都市整備の四局十六課で構成される。歴史都市の実現に向けた戦略を推進する実働組織と位置付け、課長補佐級の職員をメンバーとする方向で調整する。市は世界遺産登録に向け、構成資産周辺の環境も重要な要素になるとみており、歴史都市実現の取り組みを通じて、「城下町金沢」の世界遺産登録に向けた弾みをつけたい考えである。
一方、歴史探訪の日は11月1日からの国の文化財保護強調週間に合わせて設定する。10-11月を「かなざわ歴史探訪月間」とし、普段は内部を見ることができない文化財の一般公開や歴史的用水、塩硝蔵、三寺院群をめぐる探訪ツアー、歴史文化講座、惣構学習塾といったイベントを集中的に展開する。事業開催では「石川県に世界遺産を」推進会議など関係団体に協力を求める。ふるさとの歴史遺産に対する市民の意識を高め、世界遺産登録に向けた機運を盛り上げる。(北國新聞2007年12月30日付記事より)
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2007年12月23日
金沢城復元 お墨付き
金沢城公園復元整備など国土交通省の補助対象に「城跡」が加わる。従来は公園施設整備として進められた金沢城の復元工事が、今後は城郭施設として国の「お墨付き」を得る格好となり、城下町金沢の風格に一層厚みを増すことにつながる。
現行の都市公園整備事業補助制度は対象がベンチなどの休憩施設や運動施設、教養活動施設に限られ、現在進行中の河北門整備は「教養施設」として、国の補助を受けている。対象への「城跡」の追加で櫓など歴史的施設の復元も補助の対象となり、河北門を皮切りにスタートした金沢城の第二期復元整備事業で、今後予定される橋爪門や宮守堀は「城郭施設」として国の支援を受けることになるとみられる。
国土交通省が創設する歴史的まちづくりの総合支援制度の一環で、城跡のほか、古墳の復元整備も補助対象となる。(北國新聞2007年12月23日付記事)
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2007年12月17日
西山古墳群 信長軍の山城跡か
石川県能美市高座町の西山古墳群でこれまで、古墳と推定されていた南尾根の四、五号墳が戦国時代末期(十六世紀後半)とみられる山城の土塁の一部だったことが15日までの能美市教育委員会の詳細分布調査で分かった。
市教育委員会によると、山城は織田信長軍が1577(天正五)年に手取川で上杉謙信と対峙した際か、1575(天正三)年以降に和田山城の一向一揆を攻めるために築いた陣城跡の可能性もあるという。
西山古墳群は標高約36メートルの丘陵上に、15基以上の古墳が分布すると推定される。1964年から1967年にかけて行われた緊急調査で、弥生墳丘墓など計7基で構成される能美古墳群の一部として確認されたが、その後は本格的に調査されていなかった。そのため市教育委員会は、今年度から三年計画で西山古墳群の詳細分布調査に乗り出し、初年度は古墳が良好に残っていると推定された南屋根を調査した。
この結果、南屋根から古墳は見つからず、戦国時代の曲輪や土塁、切岸の防御機能を備えた山城跡とみられる遺構が見つかった。市教育委員会によると、全長約20メートル、高さ約1.5メートルの土塁の盛土がこれまで古墳のように見えていたらしい。(北國新聞2007年12月16日付記事)
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2007年12月15日
金沢城鶴丸倉庫 武具保管が用途
金沢城公園内に現存する土蔵「鶴丸倉庫」が現在の規模となったのは江戸後期の1848(嘉永元)年で、倉庫の主な用途は武具保管だったことが、石川県金沢城調査研究所の調査で分かった。改築工事が完成した嘉永元年はペリー来航の五年前で、長い海岸線を持つ加賀藩でも異国船への警戒を強めた時期とみられ、研究所は「対外的緊張が倉庫改築と関連する可能性が大きい」とみている。鶴丸倉庫での新たな所見は、県が目指す国重要文化財指定に弾みとなりそうだ。
鶴丸倉庫は金沢城の絵図から、江戸後期の1845(弘化二)年から50(嘉永三)年の間に現行の大きさに改築されたことが判明していたが、今年度の研究所の調査で、金沢市玉川図書館近世史料館所蔵の加越能文庫から、工期や大工、用途を特定できる文献が確認できた。文献は、藩に召し抱えられていた大工の山本勝左衛門が1870(明治三)年に同家の由来などを記した「先祖由緒並一類附帳」。鶴丸倉庫の改築を担当したことや、弘化四年二月に着工、翌年の嘉永元年正月(一月)に落成したことが記録されている。(北國新聞2007年12月15日付記事)
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2007年12月11日
信長の茶室跡を発見か
岐阜市教育委員会は10日、岐阜城のある金華山のふもとの岐阜公園で進めている織田信長の居館発掘調査で、信長が使った茶室か土蔵の可能性がある遺構を発見したと発表した。
遺構は、居館本体があったとみられる場所の裏側の平坦地で発掘。火災で焼けて炭化したとみられる土が約60センチ堆積し、その中から多量の壁土が見つかった。礎石もあったことから、建物の存在が裏付けられ、茶室か土蔵の跡とみられる。岐阜市教育委員会は、1600年の関ヶ原の合戦の前哨戦で岐阜城が落城した際、焼けた可能性があるとみている。(北國新聞2007年12月11日付記事)
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2007年12月01日
名護屋城 秀吉の本丸御殿全容確認
豊臣秀吉が朝鮮出兵(1592-98年)の拠点にした名護屋城跡の発掘調査で、本丸御殿に計12棟の建物群があったことが確認され、佐賀県立名護屋城博物館が30日、発表した。単なる出城ではなく、本格的な規模や格式を備えた城の全容が初めて浮かび上がった。
同博物館は1996年の調査で、諸大名が秀吉に謁見した「御対面所」と推測される建物など2棟の跡を確認。2004年に再開した今回調査で、秀吉の私的な「書院」と推測される建物、水回りに関連する施設など10棟を新たに確認した。(北國新聞2007年12月1日付記事)
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2007年11月27日
金沢城 来年度塩硝蔵を追加調査
金沢市は来年度、藩政期に黒色火薬を製造、貯蔵していた「土清水塩硝蔵」の追加調査を実施する。全国的に見ても珍しい歴史遺産であり、価値付けにつなげる。
今年度の発掘調査では、涌波町の休耕果樹園内で硝石土蔵と堀の痕跡が確認された。これらの遺構は幕末から明治初期にかけての「土清水製薬所絵図」に記されている建物の配置と合致していた。来年度は同じ休耕果樹園内の複数の地点で発掘調査を実施する方向である。絵図に記されたもう一つの土蔵の存在を確認するとともに、堀の規模などに関するデータをさらに収集する。
今年度は涌波一丁目の涌波堤公園でも調査を実施し、塩硝を硫黄、木炭とともに粉末化する施設である「三品搗蔵」を確認しようとしたが、遺構は発見できなかった。市は、絵図に記されている辰巳用水沿いの「搗蔵」などの存在を裏付ける調査実施も検討する。(北國新聞2007年11月27日付記事)
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2007年11月23日
金沢城内 初期の重臣屋敷裏付け
十六世紀末の初期の金沢城内に、後に加賀八家を形成する重臣らの屋敷が並んでいたことが21日、石川県金沢城調査研究所によって初めて確認された。城内の家臣団屋敷は次第に城内に出て城下町金沢の核となっていくことになり、同研究所は「金沢城の発展過程を知るとともに、城下町金沢の形成過程を探る上でも重要な確認だ」としている。
24日に起工する金沢城河北門復元工事へ向けて実施された埋蔵文化財調査の過程で、石川門に向かう河北門の二の門周辺から1600年前後のものとみられる中国の陶磁器や唐津焼、素焼きの皿の破片が数十点見つかった。(北國新聞2007年11月22日付記事)
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2007年11月20日
名古屋城本丸復元、文化庁が許可 着工へ道筋
名古屋市は19日、市が進めている名古屋城本丸御殿の復元を進めるうえで前提となる「特別史跡の現状変更許可」を文化庁が出したと発表した。復元場所の名古屋城跡が国の特別史跡のために必要な手続きだった。許可されたことで市は、08年度から工事を始めるため、新年度予算案に工事費を計上することを検討する。
本丸御殿は1945年5月に空襲で焼失。市は「文化力を世界に発信し、ものづくりの技と心を伝えるシンボル」として昭和60年代から復元を目指し、昨年度に基本設計を立て、今年度はより詳しい設計をしている。市は特別史跡の現状変更許可を9月に申請。文化庁は今月16日に許可した。
現在残っている、柱の基礎である礎石は、貴重な文化財であることから、市は礎石や現状の地盤面を現場で保存するため、砂や砂利で盛り土をして保護したうえで基礎を造り、御殿を復元する。2010年に玄関の一部を公開し、22年度に完成させる予定。 (asahi.com2007年11月19日21時30分記事)
名古屋城は天守をコンクリート製で復元しており、今回の本丸御殿が史実に忠実なものとするのか、そうでないのか気になるところである。
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2007年11月17日
平成19年度史跡指定答申
文化審議会は16日、新たな史跡指定を渡海文部科学相に答申した。文部科学相は近く答申通り指定などを行う。
今年度史跡指定される城跡は以下の二つ。
・若桜鬼ヶ城跡(鳥取県若桜町)
・佐敷城跡(熊本県芦北町)
関連する史跡は一つ。
・彦根藩主井伊家墓所(滋賀県彦根市、滋賀県東近江市、東京都世田谷区)
(北国新聞2007年11月17日付記事)
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2007年11月16日
金沢城 河北門石垣は戸室石で
金沢城三御門の一つである河北門の復元整備では、城内側の「二の門」の石垣を、すべて戸室石で築くことを「金沢城河北門等の復元整備専門委員会」で了承した。
河北門は今月24日に起工式を行い、2010年3月の完成を目指す。今月から復元過程を見学できる常設ステージを取り付け、全体が素屋根で覆われる来年7月以降は素屋根内部に別のステージを設ける。石垣工事や左官工事などの節目ごとに、専門家や職人が説明する工事見学会を10回程度開く。
石垣工事は来年7月までに終え、同11月ごろには上棟式を予定している。門に使用する木材は、6割を県産の能登ヒバや杉とする。(北国新聞2007年11月15日付記事)
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金沢城 鯉喉櫓台石垣5メートル積み復元
金沢城公園の宮守(いもり)堀の水堀化に向け、石川県は14日に県庁で開いた「金沢城河北門等の復元整備専門委員会」で、段階整備案を明らかにした。現在の地表から約3メートル掘り下げて、兼六園側の鯉喉櫓(りこうやぐら)台から中央消防署広坂出張所跡地付近までの延長約230メートルに、水面幅15.4メートルの水堀を整備する。現在は地表から高さ1メートル程度のみが突き出ている鯉喉櫓台の石垣も、藩政期の絵図に基づいて約5メートル積み増し、本来の高さまで復元する。(北国新聞2007年11月15日付記事)
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2007年10月30日
安土城もっと広かった
滋賀県教育委員会は29日、織田信長が築いた滋賀県安土町の安土城が、従来考えられていたよりも南側に約120メートル広かった可能性があると発表した。内堀も設けていたようで、「大坂城などのように堀を構えて守りを固めた、近世城郭の先駆けだったのだろう」としている。
滋賀県教育委員会は、城の南端とされていた石垣に沿って、要所への出入り口「虎口」の遺構を発見した。石垣の高さはわずか1.3メートルから2.5メートル。虎口も敵の侵入に対する備えのない簡単な造りだった。付近に見張り小屋などもなく、この石垣が城の内外を隔てていたとは考えにくいと判断した。(北國新聞2007年10月30日付記事)
地元以外の発掘記事が新聞に載るのは珍しいことですが、今週末の3日(土)に安土城で発掘調査現地説明会が予定されています。きっと今回の発見に関する説明会だと思いますのでと楽しみです。
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2007年10月27日
金沢城跡 来年国史跡として申請
石川県の谷本知事は26日、「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の世界遺産暫定リスト入りに向け、来年一月ごろに金沢城跡の史跡指定を文化庁に申請する意向を明らかにした。史跡の範囲は、金沢城公園の都市計画決定区域の公有地とし、来年秋ごろには指定されるとの見通しを示した。また、金沢城内にある江戸時代の土蔵「鶴丸倉庫」について、来年春にも国の重要文化財の指定を受けられると述べた。同日、金沢市の金沢スカイホテルで開かれた金沢経済同友会との意見交換会で、同友会側の質問に答えた。
城下町金沢の文化遺産群のうち、金沢市が調査を担当している前田家墓所は来年度、辰巳用水は再来年度と、国の史跡指定を目指す時期が示されており、県管理の金沢城跡でも目標時期が明示されたことで、世界遺産の暫定リスト入りへの準備が進むことになる。
鶴丸倉庫については、前田育徳会の尊経閣文庫の資料から鶴丸倉庫の平面図が見つかり、江戸後期の嘉永年間に存在していたことが裏付けられたとして、県はこの平面図とともに、文化庁に国の重要文化財への指定を申請する。
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2007年10月26日
金沢城河北門の寄進事業 橋爪門でも
県議会土木企業委員会は25日開かれ、県側は2010年春の完成を目指す金沢城河北門復元整備で初めて取り組む瓦や壁板の寄進事業について、橋爪門や玉泉院丸庭園など今後の第二期復元整備でも活用を検討する方針を示した。
寄進事業は一口五千円を募り、河北門の瓦や壁板に記名してもらうことで、県民に復元事業への理解と愛着を深めてもらう狙い。1650万円が目標で、これまでに、瓦で62口、壁板は30口の予約があり、来年五月以降、正式に申込みを受け付ける。(2007年10月26日付記事)
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2007年10月25日
七尾城 豪雨で被害が拡大
能登半島地震で石垣が崩落した国指定史跡・七尾城跡で、15日深夜から16日未明にかけての豪雨のため新たに18ヵ所で土砂崩れなどが起きていたことが、24日までに分かった。9月に文化庁から交付される補助金の額が決まり、七尾市教育委員会は来年夏までの復旧を目指していた矢先の被災で、修復がさらに遅れることは確実と見られる。七尾を代表する名所だけに、関係者は頭を抱えている。
七尾城跡の石垣は3月の地震で、本丸登り口が幅約2メートル、高さ約5メートル、桜馬場が幅約7.8メートル、高さ3.7メートルにわたり崩落した。先の豪雨では本丸跡の土塁が幅約10メートル、高さ15メートルにわたって崩れるなど、18ヵ所で被害が確認された。駐車場近くの入口では土砂が通路を覆い、敷地内では二次災害を防止するため6ヵ所に10メートル四方のビニールシートが張られた。(北國新聞2007年10月25日付記事)
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2007年10月12日
元は金沢城内の十三重塔? 兼六園の六重塔+能美の七重塔
兼六園の瓢池(ひさごいけ)の六重の石塔「海石塔」と、能美市寺井町の奥野八幡神社にある「七重塔」が元は金沢城にあった十三重塔で、加賀藩三代藩主前田利常が小松城に隠居する際に分離された可能性が大きいことが、石塔研究家の石井嘉之助さんの調査で裏付けられた。二つの塔はいずれも加賀地方産出の同じ石材でできており、上下に重ね合わせた笠の比率が数学的にも合致するためである。
二つに分かれた「十三重塔」の上部にあったとみられるのは、兼六園の海石塔。高さ約四メートルで、笠石は六重となっている。一方、「十三重塔」の下部とみられる奥野八幡神社の七重塔は高さ約5メートルで、利常が小松城に移る際に持参したと伝わる。廃藩置県後、旧寺井村有志に払い下げられ、同神社に奉納された。現在は見掛け上は六重となっており、二重目は小松城跡地に埋もれているという説がある。
二基は笠の四隅が上がる意匠が一致。笠に小松の滝ヶ原石、笠と笠をつなぐ軸部に金沢の青戸室石を使う点や、明かりを入れる「火袋」に坪野石を使用した点も同じだった。県内に同様な石を組み合わせた塔はないという。(北國新聞2007年10月12日付記事)
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2007年10月09日
加賀藩の火薬製造・貯蔵施設 土清水塩硝蔵を確認
金沢市文化財保護課と市埋蔵文化財センターは8日までに、同市涌波町などで加賀藩による黒色火薬の製造、貯蔵施設であった「土清水塩硝蔵」を発掘調査し、塩硝を保存していたとみられる土蔵の礎石と、梅鉢紋入りも含む多数の屋根瓦を確認した。史料の乏しい軍事施設の実態に迫る成果で、市は引き続き調査を進め、敷地面積約8万平方メートルとされる塩硝蔵の範囲特定と全容解明を目指す。
塩硝蔵の存在は、幕末から明治初期にかけての建物の配置を記した「土清水製薬所絵図」などの史料で知られていた



