越前朝倉万灯夜
- author: Tadashi
- 2011/08/27 20:15

一乗谷に盛り上がる夏がやってきました。今日と明日は万灯夜、明日は朝倉戦国まつりが開催されます。

写真できれいなこの風景を一度見てみたいと思っていました。

「一客一燈」ということで誰でも参加できる万灯夜に自分も参加しようと申し込みました。

テント横の五色の水、さて何に使うのか?

そばと飲み物付きの1000円券を購入しました。

今日のイベントの最初は、朝倉義景公墓所前で行われる地蔵盆です。
地蔵盆とは子供の無事な成長を願って行われる法会で、今日も地元の子供たちが参加していました。日陰でも暑い中、立っていたのでフラフラする子供もいて親も大変です。

終わった後で子供たちに着いていって、朝倉神社の前に来ました。ここから子供みこしが出発します。

その前に、神様に祈ります。神事の最中も子供の中にはいたずらをする子もいて、ここでもやはり親は大変です。

そして、子供みこしが出発しました。

子供みこしは義景館前の川沿いの歩道を進み、隣接する集落の中に入って行きます。まだ時間はあったので、しばらく付いて行った後会場に戻りました。

唐門前にはすでにたくさんのカップが並べられていました。

カップにはそれぞれに自由に文字や絵が書かれていましたが、中には会場で配られたうちわを見て、浅井三姉妹の初を書いたカップがありました。なぜ?江ではないのだろう。

カップの中には先程の色水が入り、そこに蝋燭が浮かべられています。

少し時間がありましたので、自分も早速皆さんに混ざりカップに願いを書きます。

今年は東日本大震災もあったので、鎮魂を込めて「がんばれ日本!」と書いてきました。簡単ですが。

雅楽の演奏を聞いている間にすっかり辺りが暗くなりました。唐門前のかがり火が雰囲気を醸し出しています。

点灯式では招待された姉妹都市の来賓も、蝋燭への点灯を行いました。

暗くなると、蝋燭に照らされたカップが幻想的になります。

私もいろいろな角度から撮影に挑戦しましたが、パンフレットのようないい絵は撮れませんでした。


点灯式の後は、唐門から諏訪館跡庭園まで一方通行です。

唐門に入ると、中では二胡の演奏をしていました。暗闇の中の演奏は何とも幻想的で、二胡の音色が遺跡に似合います。

義景館の背後から、明るければ遺跡全体を見ることができますが、今日は暗闇の中ろうそくの模様が浮かび上がります。

最後は、今年あった東日本大震災のため「絆」という文字が並べられ、帰る人々の心に訴えるものがありました。
- 歴史探訪
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姫路城 東部中濠をめぐる 兵庫県の城館
- author: Tadashi
- 2011/08/07 15:29
前回は埋め立てられて道路となった南部中濠から西部中濠をめぐりましたので、今回は東部中濠をめぐりました。

範囲は内京口門から野里門までです。

東部中濠も南の一部は埋め立てられ、この内京口門の手前部分から残っています。

広い堀と内側の土塁がセットで残っています。堀は流れが止まっているためか濁っています。

土塁に案内板が立っていますが、絵図は消えかかっていました。

堀沿いに北に向います。堀が鍵状に折れる正面に内京口門があります。

門両側の石垣は残っています。この東中濠の内側には現在学校や病院が並び、この内京口門の中にも賢明女子学院高校があって、中から見学することができません。

しかし、案内板のイラストを見ると両側の石積みは元々のものではなく、門は内枡形でこの両側は塀だったようです。

門の東側、濠は道路で寸断されていますが、細い水路で南側とつながっているようです。

門の西側、北側に濠は折れています。

北側へ濠は続きます。

暑い中、日陰になった濠沿いの通路を歩きます。

しばらく歩くと橋にぶつかりました。

ここが久長門です。

ここも内枡形門ですが、この南側の石垣、北側の石垣ともに、外部分の石垣の上部は取り去られています。

北側の石垣も道路幅を広げるため、奥の石垣は南側を削られていると考えられ、その平面は当時のものではないかもしれません。

久長門を後にして、さらに北へ歩きます。ここから歩道は住宅地に隣接して、裏道という感じです。

徐々に西側にカーブしてきました。

この辺りまで来ると濠の水も澄んできて、泳ぐ鯉もくっきり見えるようになりました。小さな小魚もいるようでしたが、ここは魚釣り禁止地区です。

大きな道路が見えてきました。

ここが野里門の外側のようです。濠は左手に折れて、後ろ(西)側に流れます。

枡形の真ん中を道路を通り、向かい側に石垣が見えます。

この野里門も内枡形門です。イラストの右側が北側です。

案内板の後ろに残る石垣は枡形の内側の西側部分の石垣の一部です。

北側を流れる濠は幅が少し狭まっているようです。歩いている間は観光客はまったく見ませんでした。中濠も姫路城の魅力のひとつですよ!
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「天空の白鷺」を見学してきた!
- author: Tadashi
- 2011/08/07 14:29

大天守が修理中の姫路城にやって来ました。一年前の囲みを作っていたときは全く大天守を見ることができず、観光客も激減していましたが、今もその影響は続いているようです。

天空の白鷺ということで囲みには大きな絵が描かれ、エレベータで間近で工事状況を見学することができます。今日は日曜日なので工事は休みでした。

お城まつりも開催中でしたが、本丸広場は暑さのせいか人気もまばら・・・

正面に天空の白鷺が見えます。今だけの姿です(と言ってもまだ数年続きますが)
大天守の天空の白鷺の左が小天守、その手前が今回初公開のリの一渡櫓です。

工事は鹿島・神崎・立JVにより、あと三年半という予定みたいですね。

入城ゲートの脇に建つ工事用現場事務所。

壁画の説明がありました。47メートル四方とは大きな絵です。

観光案内所だった場所は、姫路城の模型が置かれていました。

こちらの大天守にも囲みがかかっていますが、実際よりちょっと大きい。どこを通って天守に入るのか、番をしていたボランティアの方に聞くと、この囲みは大きすぎて通路がないんですよ、って後でその意味がよくわかりました。

混在している場合は待たされるとあって、ネットから予約していきました。お城まつり最終日でもあったので、どうかなー?と思っていたら意外なほどに空いていました。予約してきた人が珍しい!?みたいな感じが・・・まあいいか。それでも遠方から来る人はやはり予約したほうがいいですよ。
入城料が通常600円のところ400円、天空の白鷺が200円で、結局通常料金になった。

今回築城以来の初公開となった「リの一渡櫓」が公開されています。と言ってもここは入城料の範囲以内、普通の人は未公開の渡櫓ですよー、って言われてもあまりピンとは来ないだろうけど。

中には実物の鬼瓦や甲冑が展示されていました。

瓦も歴代の藩主が変わった分だけいろいろな家紋が残っています。

外には、江戸、明治、昭和の各時代の鯱が展示されていました。こういうものは前の時代のものを参考に、なるべく同じように作るものだと思っていましたが、よく見ると、牙や耳、えらなど全く作り方が違いますね。高い場所にあって、これほど近くで見る機会は少ないですからじっくり見てきました。

こんなことではなかなか大天守には入れないので急ぎます。

途中通路も工事中の今だけの風景。

入口に案内の女性が一人立っていましたが、今日は入場制限するほどでもなく、順路の説明をするのみ。暑い中少しかわいそうな感じがしました。

すでに入場者が10万人を超えたようで、しかし今日の人出を見ると最初だけ??

1階でエレベータを上るまでの間ビデオを見れるようになっています。ここで流れているのは姫路城の歴史です。今日は人が少なく、見終わるまでもなくエレベータへ。

エレベータの定員は10名余。一気に8階まで登りますが、乗口と反対側が透明になっていて、上る間工事の状況を垣間見れます。なかなか面白い趣向です。運良く今日は上りも下りも1番目に乗ったので、もちろん奥のいい位置で見ていました。

8階見学スペースに到着しました。

いい景色です。窓に手すりが少し映り込みますが、姫路城天守窓から見るよりも広い視角を取れるようです。

今日は晴れていますから遠くまで見えますが、これはライトアップも良さそうです。夜は入れないですから見れないのは残念ですね。

窓からの景色とは反対方角が最上階の大屋根の工事風景を見ることができます。

現在はすべての瓦が取り外されています。

次はここに瓦を葺き直す作業を見たいものです。

見学場所にビデオが流れていました。今日は人も少なかったので、ビデオもゆっくりすべて見ました。あ行が進めば内容も変わりそうですね。

階段に下の7階に下ります。

ここの見学場所からは最上階の壁の様子が見えます。

現在はすべての漆喰が剥がされた状態です。作業は大変ですが、こうして古いものをきれいに壊し、また新しいものを作るというサイクルは素晴らしいものです。

おろした瓦の一部が置かれています。

帰りのエレベータ前には姫路城絵図のコピーが壁一面に描かれています。ほぼ実寸大だとか。

1階まで下りた出口近くには、本物の文献と絵図が置かれていました。

この絵図は地震で倒壊した部分の修理を幕府に願い出るための資料として作成されたものです。こういう細かい絵図には双眼鏡が必要。

通常30分とされる見学時間を大きくオーバーして出てきた外はやはり暑かった。でも来て良かった。一般の観光客は2回、3回と来る場所でもないかな。また工事日程を睨みながら来てみたい。
- 姫路城大天守保存修理工事
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姫路城大天守の鯱を比べる
- author: Tadashi
- 2011/08/07 13:10
姫路城の大天守は修理中

初公開の「リの一渡櫓」では、

修理で下ろされた鯱を含め、歴代の鯱が展示されています。

遠きにあっていつもは見づらい鯱が間近に見れるよい機会なので、各時代の鯱を見比べてみましょう。

昭和時代の現役の鯱。

先代の明治時代の鯱。

江戸時代の鯱。
それぞれの違いを遡りながら比較します。

頭、牙と耳が大きい昭和時代の鯱

黒目のない明治時代の鯱。

見た目はかわいい?マヌケ顔?の江戸時代の鯱。鯱って守り神だからもっと怖い顔をしているのでは?

昭和時代の足ヒレ。簡略化され、体の鱗も小さい。

明治時代の足ヒレは彫りが深く、鱗にも穴が空いている。鱗模様はこれが一番クッキリしていて良い。

江戸時代の足ヒレは小さい、鱗は大きめ。

最後に尾ビレ。昭和時代の尾ビレは両側に大きく広がっている。

明治時代の尾ビレは彫りが深い。中央に真っ直ぐの模様がこの時代の特徴です。

江戸時代の尾ビレは幅が一番狭い。
ちょっと変わった記事を書いてみました。どうですか?
- 28兵庫県の城館
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敏満寺城 滋賀県の城館
- author: Tadashi
- 2011/08/07 09:15
名神多賀SA上り線(名古屋から京都方面)に隣接して、敏満寺城跡があります。

多賀SAのある青龍山一山が敏満寺であったので、サービスエリアとなっている場所もその一部です。

敏満寺は、青龍山を御神体として12~15世紀頃に繁栄した寺院で、当時は比叡山を凌ぐとも言われています。そのため、その勢力は戦国時代にあって無視されることなく、浅井長政や織田信長に幾度も攻められて焼失し、再建されることはありませんでした。

サービスエリアから故宮神社に至る遊歩道沿いの発掘では、坊跡や井戸跡、鍛冶場跡、火葬墓跡が見つかり、

一部土塁と思われる遺構もあります。

10分ほど歩いて、故宮神社に到着しました。

広い境内のようです。

境内に旧敏満寺の古井戸と焼石塚が残っています。

西側から入る大鳥居まで来ました。

大鳥居を入ると急な階段が続いています。要害ですな。

境内の一部に残る石垣は敏満寺のものか、神社のものか判断しづらいですが、立派な寺院だったのでしょう。

社務所の庭園は名勝に指定されているそうですが・・・

なんかどことなく荒れ果てている雰囲気があります。

観音堂の横に

石仏が並んでいます。

拝殿と

その後ろの本堂となります。

拝殿前にあった神社パンフレットをいただいてきました。

境内から見渡す景色はよい眺めです。こちらは安土方面。

そして、彦根方面となります。右端が多賀SA下り線となります。
- 25滋賀県の城館
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高岡城 本丸御殿の遺構か?
- author: Tadashi
- 2011/08/06 11:08
地元新聞に大きく載った記事
高岡市教育委員会は5日、高岡城跡(高岡古城公園)の本丸広場で見つかった建物遺構について、加賀藩2代藩主の前田利長が居住したころの屋敷「本丸御殿」の可能性がると発表した。
本丸広場には、高岡城跡の郭の配置から、城主の館が置かれた可能性が高いとされてきた。現存する絵図に御殿が描かれたものはないが、利長の書状から、勝手方(広間・台所)が完成したことや、入城後に畳の材料を調達するよう命じたことが分かっており、城主が居住する御殿の存在が推定されていた。
高岡城跡で建物遺構が見つかったのは初めて。高岡市教育委員会は、城跡の国史跡指定を目指して2008年度から総合調査に取り組んでおり、10年度から発掘調査に着手。礎石は6月下旬に始めた調査で見つかった。
調査では8カ所を発掘し、江戸時代後期の地層から一段下の地層で、建物の礎石が6カ所で計16個見つかった。長さ50~60センチの楕円形で、同軸線上に並んでいる。場所は広場の中央から北側にかけて広範囲にわたり、市教育委員会は建物の横幅が50メートル以上になる可能性を指摘している。
(北國新聞2011年8月6日付記事より)
明日、一般向けの説明会が開催されますが予定が入っているので、今日見られるかどうかわかりませんでしたが行ってきました。

高岡市立博物館に続く大手口。

高岡市立博物館に展示されている高岡の模型

模型の高岡城は、堀には石垣が巡らされていますが

二の丸から本丸に架かる橋の両側に残る

この石垣以外は土塁だったと推定されているはずでは?

さて、目的の本丸へ

本丸広場はすっかり金網に囲まれていて、今日は中に入れませんので金網沿いに中を伺います。

新聞報道は中央部のトレンチを載せていましたが、ここから向こうへ3つのトレンチが並んでいますので、一直線に礎石が出ているようです。

西側の1つのトレンチにも礎石が1つ。

東側の1つのトレンチにも礎石が1つ。

東北隅のカギ状のトレンチ

ここからは3つの礎石が発見されました。調査員がちょうど記録を取っていました。

今回は80センチほどの深さのトレンチを掘っていますが、地層は黒い層が2つ。下の黒い層は焼土層のようにも見えますが、この下の地層が江戸初期のものとなるようです。

記録はトレンチと遺物の関係図のようです。
- 発掘現場を見に行こう
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