村岡山城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/07/17 18:13
何年かぶりに福井県勝山にある村岡山に登ってきました。

前に一度訪れたとき、どこから上ったのか記憶になかったので、とりあえず山を登るような道を進むことにして、村岡神社の本堂の脇の道を進むことにしましたが、けもの道はあるものの、夏場であるので草が非常に大きく育っていました。

前は石仏のある道を進んだ覚えはあったのですが、そこまで長い道のりがあったかもしれない・・・
と思いながら、草道を進むこと20分

ようやく見覚えのある石仏の道に到達しました。

今来た道はこんな感じで前回とは違う回り道を進んでしまったようです。

頂上への道には菩薩像の石仏が非常に多く立てられています。

最初は一向一揆戦乱の舞台となった山城を鎮魂するために、子孫たちにより立てられたものかと思っていました。下りた後わかったことですが、この菩薩像は四国八十八霊場めぐりを映した霊場を再現したものです。

途中の道は急で足場も悪く、雨で濡れた日は滑ってとても危険です。
登りはじめて40分ほどでようやく頂上に到達しました。

一段高い本郭の入り口には掘にかかる土橋を当時のまま見る事ができます。

本郭には南側に物見台、北側に土塁など土の高まりをはっきりと確認できます。

本郭から眼下を見下ろすと、福井県恐竜博物館が見えます。

本郭の北側から東側、南側とぐるりと掘がめぐっています。

本郭の北側には、手前に郭1、奥に郭2の2つの平地を確認できます。

郭1から郭3への入り口両側には土塁が残り、

郭3に入って、郭4へ至る入り口は虎口がきれいに残っています。

郭4と郭1の間の土塁、その土塁の郭4側に掘が掘られています。

その郭4から北側の斜面を見下ろすと・・・・

畝状たて堀が残っています。ちょうど草刈が終わったところだったのか、4つの畝がはっきりと確認できました。

畝の間に入るとこんな感じですが、攻める側は畝の間を進むことになり、隣の畝へ移動することや、連絡を取ることを困難にします。
一向一揆が立てこもった村岡山に、敵対していた平泉寺の僧兵が攻めて、反撃されて撃退されたのもこの畝状たて堀が活躍したのかもしれませんね。
この出来事のあと、村岡山は勝山と呼ばれ、今の勝山市の元となりました。

本郭の東側に二の郭があり、南側に一段高い物見台が残っています。

二の郭の南側に大きく段を下げながら、4つの郭(郭5~郭8)とそれぞれの間に、堀切が残っています。

こちらはあまりに草深いので郭6より先は進むのを断念しました。

帰りは霊場の道を戻ってきました。途中草も生えない歩きやすい道が一部あります。

神社に戻ってくると、間違いにようやく気付きました。
神社の泉の道(中央の道)を行きは進んだのですが、こちらは遠回り、近道は石段の先(右側の道)ということです。旧ですが、こちらが近道です。

神社の入り口には「村岡城址」の看板が・・・ そう言えば、前はここから登ったんだった。

鳥居の脇には看板も立てられています。村岡小学校の裏という記憶しかなかったのですが、登るときは村岡神社をめざしましょう!
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一乗谷朝倉義景館 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/02/21 13:04
雪の季節にここ福井県一乗谷にやってくるのは初めてです。ちょうど週末まで天候も悪かったですので、雪景色を期待していましたが、まさに絶好の散策日和でした。
帰って来て確認したら、雪の照り返しで写真がかなり飛んでしまっていました。

こういう景色を期待して長靴持参で行きましたので、早速履き替えて散策です。他の観光客は靴で難儀していましたよ。

どうです、一面の雪景色に浮かぶ朝倉義景館跡と、

一乗谷朝倉氏遺跡のシンボルの「唐門」です。

それでは雪が残る一乗谷朝倉遺跡をご覧下さい。





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一乗谷山城跡と企画展「金工の技と美」 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2009/08/15 15:07
今日はお盆でしたが、ちょうど企画展の解説があるようなので、福井市の一乗谷朝倉氏遺跡に行ってきました。下道で行ってきましたが、思いのほか空いていたので良かったです。

最初に天台宗の西山光照寺跡を見に行きました。ここは石像が何体も集められていていい遺跡なんですが、石碑がなんでこんな場所に立っているのでしょうか?もっといいアングルで遺跡が写る場所に移動してほしいです。


次に、企画展の前に山城跡に登ることにしましょう。そのために今日は朝早く出てきました。

一乗谷で最も有名な遺跡である朝倉館跡には、すでに大勢の観光客が来ていました。お盆の時期は多いときでは1000名以上来るそうです。

始め勘違いしていて、朝倉館跡の裏に山城への入口があるものと思っていましたが、そこには右側に初代孝景の墓、左側に南陽寺跡庭園がありました。

南陽寺は足利義昭が京を追われて一乗谷に身を寄せたときに滞在した尼寺です。現在庭園の一部の石列が当時の面影を残しています。

駐車場を復元町並から、一乗谷史跡公園センターに移動し、八幡神社の横から登っていきます。

看板には「城山まで1.5km」と書かれています。

少し登るとそこは馬出と呼ばれる場所です。石垣を所々で見る事ができます。

その馬出の間を上っていくと、砂防堤がありました。その脇の階段を上がると、

「城山まで1.0km」の看板が。ここまでは比較的楽だったんですが・・・

そして、そこには「小見放城跡」の書かれた看板?が立っています。後方右側になりますが、そこは行けません。なにしろ草深いですからね。

そこからはまさにけもの道程度の広さの上り坂を登る、登る、登る・・・・、ひたすら急な坂を登りました。途中ではクモやゲジゲジ、蚊に加えて、蛇にも睨まれてしまいました。夏の山は注意が必要です。

道は地下水がしみ出てぬかるんでいるところもあり、足場が良いといえませんでした。
が、ひたすら登るとようやく次の看板が・・・
「城山まで0.2km」あと少しです

そこからも、さらに登り坂。最初に着いた場所が「千畳敷」と呼ばれる本丸跡です。

ところどころに破壊された石が散乱しているのが、戦乱の爪痕として生々しいですね。

千畳敷では土塁跡もはっきりとわかります。

さらに奥に進むと一の丸となります。郭跡はさらに上ですが、道はないようです。

郭と道となっている間には溝跡らしい窪みがあります。写真ではわかりにくいですが、右下から左上に斜めになりますよ。

一の丸の奥に、二の丸、三の丸が続きますが、各郭の間は堀切により完全に遮断されています。

さらに、その堀切と逆側には竪堀が深く掘られています。間の土橋?は結果的に細くなり敵の侵入を防ぐようになっています。

一乗谷山城は、麓から千畳敷(本丸)、一の丸、二の丸、三の丸となっていて不思議です。最終防衛地点の本丸が一番奥になっていないのはなぜ?

しかし、詰めの城の山城をなめていました。こんなに急な道のりだとは思いませんでしたよ。体調が万全でないと非常にきついです。やっとのことで下りてきて、足がガクガクになってしまいました。
砂防堤附近で今日始めて人とすれ違いました。親子2人でしたが、まだまだ子供は元気に登っていきましたが、山城はここからが本番、果してたどり着いたでしょうか?
1時半から始まる一乗谷朝倉氏遺跡資料館の企画展に少し遅れてしまいました。

今日の目的はこの企画展「金工の技と美」の鑑賞です。折角見るなら解説付き!ということで解説に聞き入ります。お盆で家族連れが復元町並を訪れる中、この解説には10名余の参加です。ちょっと寂しい感じですが、その分ゆっくりと聞けました。帰りに図録を買ってきました。
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