兼六園の噴水もっと古い 国内最古1861年
- author: Tadashi
- 2011/12/18 17:58
金沢城二の丸にあった噴水が安政5年(1858)年の絵画に描かれていることを、石川考古学研究会員の坂野さんが17日までに確認した。これまで考えられてきた噴水設置時期の文久元年(1861)より、少くとも3年さがのぼる。二の丸の噴水と言われ、同じく1861年設置とされてきたが、より古い時期に造られた可能性が大きくなった。
噴水が描かれてきたのは金沢市立玉川図書館が所属する「紙本著色金沢城二ノ丸御殿景観図」。著者は加賀藩お抱え絵師の佐々木泉景で、安政5年7月の作と明記してある。藩主の居間から日本海に沈む夕日を望む雄大な構図で、茶室近くの池に噴水が見られた。(北國新聞2011年12月18日付け記事より)
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北ノ庄城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/10/30 13:30
北ノ庄城の天守があったと推定されている柴田神社境内に、天守が建ちました!

NHK大河ドラマ「江」で観光地として一年脚光を浴びましたが、遅ればせながら天守が復興されました。FRP(繊維強化プラスチック)製ですが・・・

柴田勝家公も喜んでいることでしょう。

絵図の残っていない天守は小早川隆景宛書状に「九重」とありますが、当時五層を越える天守はなかったため、復元も五層です。

復元は数年前の復元予想図どおりのようです。

この天守模型は永久のものはなく二年限定となっていますので、勝家公と天守をともに撮る人はお早めに!!
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福井城跡展 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/10/30 13:10
福井市文化財保護センターで「発掘が語るまちなかの歴史」というテーマで「福井城跡展」が開催されていました。

場所は足羽川を渡って、足羽山の麓、旧福井城下ではない場所になりますが、県外者にはちょっとわかりにくい。

福井市内でも開発のたびに発掘調査が行われ、数多くの福井城の遺構が発見されていますが、常時展示されているものは少なく、目に触れることがない遺物も多いのですが、

今回はそれらを一堂に集めて紹介しています。

城内だった場所、城下町だった場所、門跡、武家屋敷など状況は様々だったので、遺物もいろいろとあり、とても興味深い展示でした。







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三国湊城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/10/30 11:40
中世に勢力を誇った三国湊白山千手寺は、南北朝期には城郭として利用され、太平記にも登場する。

平城だから当時は塀と堀に囲まれていたのだろう。この場所は海岸からわずかに上がっているが、とても高台とまでは言えない場所である。

解説板も設置されているが、非常にわかりにくい場所にある。

近くには特徴的な山門の妙海寺がある。

現在城地はその妙海寺の西墓地として利用されている。

千手寺城とも呼ばれた地には、現在石像の千手観音像が立っている。
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丸岡藩砲台(丸岡藩台場) 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/10/30 09:44
三国東尋坊近くの越前松原と呼ばれる景勝地に丸岡藩砲台があります。砲台というのは近世末に外国船の侵攻に備えて海岸を中心に造られた「台場」と言われている施設です。

整備から長い時間が経つのでしょう。史跡内に立てられた石碑は海風に煽られて傾いています。

入口には駐車場も完備されていますが、雨降る日曜日の朝にここを訪れる者はいません。

松原というだけあって松が多いようですが、砲台は海岸沿いの低い平地に作られていました。

東尋坊に近いこともあるのでしょう。岩がむき出しの崖地も所々にあり、

台場の材となる石材には事欠かないようです。ふと、海を眺めると・・・

最も遠くの石の上に、今も海を見守るように一匹の鵜が止まっています。

大砲は撤去されていますが、その台の保存状態は良いようです。台場一帯がこれほど良好に残り、当時を想像できる場所も少ないのではないでしょうか。

海側から見るとこういう感じですが、すべて石積みではなく、大砲を置いた場所の両側が石垣で、後は土塁となっています。

内側から海を狙うとこんな感じです。先程の鵜を狙い撃ちするとこうなります。内側のほうが石垣が重厚に積まれています。

よく見ると、積まれた石には「嘉永」の文字が刻まれたものもありますよ。ぜひ現地で確かめてください。
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吉崎御坊 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/10/30 09:02
芦原にある吉崎御坊に行ってきました。

ここは本願寺八世蓮如が北陸布教の足がかりとして拠点を置いた場所です。

本堂のあった場所は「吉崎御山」と呼ばれ、史跡として保存されています。

高台に築かれた御坊からの眺めはよく、海が近く、物資輸送にも適した土地だったことがわかります。

本光坊了顕の墓。文明六年(1474)の吉崎御坊炎上のとき殉教した方だそうです。

祐念坊霊空の墓。北大手口参道を守護した吉崎惣道場、吉崎御坊願慶寺の開祖の墓。

蓮如お手植えの松の木ですが、今は根本がわずかに残るのみです。

蓮如上人銅像。高村光雲の作だそうです。

御本堂跡。南に面し柱間五間の大きさだったそうだが、三度の火災で焼失した。

御腰掛石。御坊があった頃からあったもので、蓮如も腰掛けだろうと「吉崎山絵図」に書かれているそうです。

見玉尼公墓。蓮如の第四子(次女)でこの地で亡くなりました。
今日は時間がなく山上のみの見学だったので、次回は麓も散策してみたい。
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一乗谷朝倉氏遺跡 城戸の外を歩く 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/07/31 17:36
下城戸の石垣と上城戸の土塁の間は、朝倉氏とその家臣が居住した空間で、「城戸の内」と呼ばれていますが、シンポジウムでそろそろ城戸の外にも注目を!という話があったので早速散策をしてきました。

下城戸の外、刑場として使用されたと言われている「武者野」と呼ばれる地です。

傍らには見つかった石像が祀られていました。

この辺りに足羽川の湊があったとも言われています。

上城戸の外、御所と安養寺跡です。

安養寺は大きな寺院だったらしく、

足利義昭が将軍になる前に朝倉氏に匿われていたときに、安養寺に隣接して御所を構えたと言われています。石垣がわずかに残っています。

隣接する御所跡。

広大な遺構には何もありませんが

隣接する西側の山裾に入口らしきものが・・・

現在も林業の方が使用されるようで道が続いていますが、三段ほど落差のある砦跡のようです。

上城戸の西側の山裾にある盛源寺。現在の本堂裏の墓地は使用されているようでしたが、

本堂までの石段脇には見つかった石像が並べられ、

本堂の建つ平地には一際大きな石像が並んでいます。

一段高い本堂は街道の見張り台としてもちょうど良い高台に建てられています。

最後に城戸の内を散策。
夕方の城戸の内は人気も少なかったですが、ここは南陽寺跡庭園の下にある瓜割清水と呼ばれる湧き水です。暑い中でしたが、水はとても冷たかったですよ。

特別名勝 南陽寺庭園

特別名勝 湯殿跡庭園

特別名勝 朝倉館跡庭園
一乗谷にはもう一つ特別名勝の諏訪館跡庭園があり、全部で4つの特別名勝があります。城戸の外も見どころ一杯の一乗谷朝倉氏遺跡でした。
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一乗谷城下町 西山光照寺跡 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/07/31 12:40
シンポジウムに参加するため一乗谷朝倉氏遺跡資料館へやって来ました。昼休みに発掘調査の真っ最中だと紹介された西山光照寺跡へ。

資料館から徒歩5分ほどのところの山裾に西山光照寺はありました。北の庄と呼ばれた現在の福井市や府中と呼ばれた武生市(越前市)から攻めて来たとすると、最初に見える障壁がこの西山光照寺となるそうです。寺院群が砦として利用されていたのでしょうね。

すでに整備された東側に隣接する西側を今年度は木々をすべて伐採して発掘調査しています。

発掘前にも地表から一部が現れていた「南無阿弥陀仏」と掘られた巨石もまるまる掘り起こされていました。

トレンチが何本も掘られていて、地山を確認しているようです。

先程の巨石が石垣のちょうど角に当たるようです。西側の巨石群ほどではないにしても、北側の石積みも大きな石が多いです。破壊されて地上1、2段ほどしか残っていませんが、往時はとても立派な石垣が続く壮観な風景だったのでしょうね。

寺院跡の入口に枡形になる?のかな、凹んだ石積みがありました。

発掘調査で見つかった石像が並んでいます。

石柱は線路からは見えるけど、見学者には見えない場所に・・・?なぜ

さて、西側はどう整備されるのか、楽しみです。
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後瀬山城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/07/17 17:17
北陸道敦賀ICから舞鶴自動車道小浜西ICに向かう国道27号線、最後に通る後瀬山トンネルの上に後瀬山城はあります。今週末から小浜ICが開通しましたので、もう通る機会は減るでしょうが。

今まで登り口がよくわからなかったのですが、東側の麓の愛宕神社鳥居から登ります。

入口の案内板を見ると、本郭に愛宕神社本殿があるようです。

1段上がると、末社が2社あり、

その脇を登っていくようです。

新しい案内板が立てられていますが、下のポストにパンフレットはありませんでした。残念・・・

ずっと上のようですから、また次の機会にしましょう。
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小浜城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/07/17 15:45
今年のNHK大河の影響で観光客が増えるとみた小浜市は、小浜城の臨時駐車場を準備しました。そこから徒歩3分、観光客は他に誰もいませんでしたけど。

歩いて行くと畑の向こうに立派な石垣が見えてきます。

石垣に隣接して建つ民家。異様な光景でもありますが、少しうらやましい。

小浜城本丸の石垣は南側以外の三面が残されています。その南西隅石垣、階段が封鎖されていませんでしたので、登ってみます。

民家と先に見える湾、小浜城が海に面した海城たる所以ですね。

本丸は小濱神社の境内となっています。

境内に案内板が立てられていますが、地元では初の嫁いだ京極氏より、江戸時代に入封してきた酒井氏のほうが大事にされているようです。

本殿横に橋として利用された大石と城内の井戸が残されています。

北西隅に残る天守台

天守台にも上ることができます。天守台から東を臨めば、小天守台と先に湾が見えます。

西を臨むと、民家の先に湾が見えます。

本殿裏の北側から駐車場に戻ります。小浜城は石垣を間近に見ることができるのがいいですね。

帰り道、若狭歴史民俗資料館で見たこの地の風習、色で塗られた地蔵を祀った祠を発見しました。
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敦賀城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/07/17 12:20
晴天の中、大谷吉継の敦賀城の遺構を探訪。大谷吉継で有名な敦賀城です。

敦賀西小学校の正門横に立つ敦賀城の案内碑です。平成9年に新たに立てられました。

3面の微妙な傾きの中、自分の映り込みを避けながら撮影するのは大変です。小学校の場所は絵図から三重の天守があった場所あたりだと推定されています。

そこから北に移動し、真願寺にやってきました。

寺の北を流れる闇加川。敦賀城の北限となる堀跡と言われています。

真願寺の境内に入ります。

境内の片隅に乾門と伝えられる礎石が野外展示されています。

最後に西に移動し、来迎寺まで行きました。駐車場と反対側が正門となりますが、寺門として移築されているのが、敦賀城の注文と伝わる門です。

部材を見ると、瓦や屋根裏など修築により新しくなっているものも見受けられますが、この戸の部分は古いようです。
敦賀城の遺構としては、南限と考えられる八幡神社の境内に表門の礎石が展示されているようです。
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金ヶ崎城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/07/17 11:16
敦賀湾に面する山に構築された金ヶ崎城。朝倉氏と浅井氏に挟まれ、織田信長が這々の体で撤退した金ヶ崎の退き口で有名となりましたが、南北朝時代、新田義貞が陣を張った古くから北陸道の要所となった城です。

しばらく続く石段を登って行くと、城の入口は金崎宮の境内地となっています。

石段脇に新しく立てられた看板を見つけました。城跡というより公園の設備の説明板ですね。

横には城跡の解説板が新しく立てられています。

境内まで上がると、以前から立っている古い城跡の案内板が今も立っています。

境内にはNHK大河ドラマ「功名が辻」のときに製作された金ヶ崎城と天筒山城の模型が今も展示されています。

遊歩道の入口に立つ石碑。

遊歩道の入口でもこれだけの高さ。
敦賀市街を眺めると、左手に天筒山を望むことができます。
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桜の一乗谷へ 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/04/30 18:49
春(を少し過ぎた)一乗谷へ。

入口にして一乗谷最大の見所とも言える下城戸です。

この巨石を積み上げた虎口が往時の城下町口を彷彿とさせるのですが、他の観光客にはあまり人気がないようですね。

ここに春が残っていました。

復元建物横の駐車場に着くと、夕方の時間帯でしたが県外車がたくさん停っていました。やはり福井では人気の観光地です。

さすがに館入口の桜は終わっています・・・

館跡の山裾がいつの大雨からだったか以降ずっとシートが掛けられているのだけど、いつ外れるのだろう。

ここも桜が残っていて絵になりますね。

2年前だったでしょうか、発掘調査説明会に参加した金工業者が住んだ地域も整備が終わりました。

「米津」という名称に決まったのですね。

一乗谷川沿いに桜が植樹されています。向こうに見えるのは土塁の残る上城戸です。小さな写真ではわかりにくいですね。

夕暮れまで目一杯楽しみ、遅い春に思わず出会った一乗谷でした。
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丸岡城ライトアップ 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/02/26 20:00
勝山左義長まつりの帰り、雪残る白山麓を迂回し、国道8号線経由で帰る途中、行きも脇を通過した丸岡城があまりにもきれいにライトアップされていたので寄ってみた。

土曜日の夜とはいえ、寒い中誰も丸岡城公園にはいませんでした。ということで、天守のライトアップ撮影をひとり堪能してきました。

現存12天守のひとつである丸岡城天守は木造です。規模は小さいですが、天守台とのバランスはなかなかのものです。

もう少し石垣にもライトアップされていれば嬉しいのですが。

でも、いい写真も撮れたのでなんか得した気分です。
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越前勝山城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2011/02/26 18:38
勝山市役所や市民会館のある場所は勝山城のあった場所です。

数年前に来た時は、案内板のあった場所はちょっと違っていた記憶がありますが、
今は市民会館の前の庭園に城址の石碑が立っていて、手前に案内板があります。

雪に覆われてはっきりとはわかりません。

城址の碑は立派ですが、奥に追いやられて目立ちませんね。

ゆめおーれ勝山から中央公園に入る交差点に架かる橋のあたりに「東御門」があったようです。

市民会館の南側は大きく地形が下がっていて、「七里壁」と呼ばれる城内と城下を隔てる天然の防御壁となっています。

城下には所々に道の案内板が立てられ、歩きながら城下の学習をすることができます。



全部で何か所あるのかわかりませんが、自分は10か所近く確認しました。
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福井城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/10/03 18:05

福井城の建造物復元第二弾として2年前に復元された「御廊下橋」です。その奥の石垣は天守台となります。

橋を櫓を乗せるという形式は府内城など全国でも数城でしか見ることができない貴重なものです。

御廊下橋から本丸に入るところの門は「山里口御門」です。埋門とも言われた門は石垣の間に隠れたように建つ門であり、今も石垣に木材を固定した穴が残っています。

天守の石垣はそのまま残っています。というより本丸の石垣の大部分と内堀一周が水堀として残っているのが福井城の見どころですね。

天守台そばには「福井」の語源となった「福の居」が残っています。

天守台には天守の礎石が並んでいますが、その巨大さからは譜代に恥じない巨大な天守が建っていたことが想像できます。

本丸の福井県庁前には徳川家康の二男結城秀康の石像が作られましたが、どこか日本っぽくない?
と思っていたら作ったのはやはり中国の方でした。どう見ても甲冑は鉄板だよな。

福井城建造物の復元第一弾は福井市郷土歴史博物館の「舎人門」です。三の丸の加賀方面の出入口に立つ門でした。赤瓦が特徴的ですが、夜はライトアップされて水堀に映る姿がいい景色ですね。
福井城の復元をすすめる会では、御廊下橋に続いて、本丸巽櫓の復元を目指しているそうです。本丸は四隅の櫓台がすべて残っているので、櫓が復元されれば水堀に映る美しい姿が見どころですね。
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北ノ庄城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/10/03 12:26

福井市の北ノ庄城址公園です。2、3年前に整備されました。

ここは柴田勝家公を祀る柴田神社の境内です。ここが北ノ庄城の本丸跡と説明されることが多いですが、全く確証はありません。というのも、北ノ庄城を破壊した上に福井城が築城されたためと、同時代の絵図が全く残っていないためです。

柴田神社本殿の隣には三姉妹神社が建っています。そのため柴田神社は恋愛の神でもあります。

三姉妹の母である「お市の方」の銅像が三姉妹神社を見守るように立っています。以前は違う向きでしたが、この向きは偶然でしょうか?

柴田勝家像は幹線道路に向かって立っています。こちらも以前は違う向きでした。知る限り3回向きが変わっていますね。

隣接して城址資料館が建てられました。ボランティアのガイドによる説明付きです。「柴田勝家公は尾張の生まれですよー」、って知ってるよ。

二階から城址公園を見渡せますが、境内地でもあるのでそんなに広い範囲ではありません。ここから見える石垣なども多くは整備用だったり、福井城のものだったりします。

北ノ庄城の石垣はこちらと、

こちらの2箇所の根石が1列分残っているのみです。市内では福井城の遺構の下に北ノ庄城の遺構が何箇所か見つかっているようですが、全貌がいつか解明されることを願っています。
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越前大野城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/10/02 17:11

築城430年祭の行われている越前大野城です。

亀山の頂上に模擬天守が建てられていて、町のシンボルです。

以前訪れたのはもう8年ほど前になるでしょうか?そのときはこのあたりに駐車場があった記憶がありますが、山麓の二の丸跡には現在「学びの里 めいりん」が建てられ、

道路沿いに内堀が復元されています。

南登り口には城門が建てられていますが、藩政期にここに道はなく、観光用の門です。

藩政期の山頂への道は唯一この「百間坂」のみです。

百間坂を登ってくると、三の郭に出ますが、ここから本丸への入口は石垣が積まれています。

三の曲輪の先端には「麻木櫓」が建てられ、城内唯一の二重櫓でした。

現在は麻木櫓の建っていた斜面はコンクリで固められていますが、藩政期は土のままだったようです。

本丸北東面です。

東面は石垣が積まれていますが、隅で切れ、南面は土塁となっています。

三の郭から本郭へ入る石垣上に「越前大野城」の石碑が立てられています。

本丸御殿の建てられた石垣上には模擬天守として資料館が建てられています。

二の郭には大野城下町の基礎をつくった金森長近の銅像が立っています。

資料館に入る前に本郭のまわりをぐるりと一周しました。こちらは南側の「武具蔵跡」です。

そして「お福池」です。

本郭への入口は2箇所。殿様が登るのはこちら「駕籠道」です。

本郭の北西方向に広がるのは「塩硝蔵跡」です。

模擬天守から西、福井方向にはこの亀山に城を移す前の戌山城が見えます。

東側には二の丸、三の丸、城下が広がります。

資料館の東の平坦部には

亀山の最頂点、三角点があります。

殿様以外の武者はこの急な「武者走り」を登りました。

急、かつ折れがあり、視界が一瞬遮られます。

本丸の南側は「地獄谷」という非常な急斜面となっています。

街中に残る「石燈籠地蔵尊」です。金森長近が城下町を建設するにあたり、ここを起点として京都を模した碁盤の目の町割りを行いました。

大野城の唯一の建造物の遺構である「鳩門」です。亀山の北西にある光明寺の寺門として改修されて残っています。前面は火頭窓。

背面は障子戸となっていますが、二の丸の正門として威厳ある大きさの門です。
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国吉城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/07/30 11:39
姫路へ向かう途中で、昨年春オープンしたばかりの若狭国吉城歴史資料館に寄りました。

佐柿町奉行所跡に建設された資料館の入館料は100円!安いですね。

ここでは国吉城を中心に佐柿町の歴史を学ぶことができます。国吉城の立体模型もありますよ。
資料館は夏休みとはいえ、平日の午前なので観光客は自分たちだけでしたのでゆっくりと見学できました。
資料館を見て帰ろうと思っていると、受付で今日は本丸近くで発掘調査が行われているとのこと・・・
登るつもりはありませんでしたが、調査中と言われれば登らないわけにはいきません!!

ということで登り始めますが、寝不足気味もありバテバテです。6分ほど登ったところで佐柿の町並みが見えました。

さらに登ると、本丸下段の堀切のところへやってきました。
今回の発掘調査はこの堀切のようです。

堀切の両側に石垣が出ています。

かなり立派な石積みですね。中世の山城でも堀切のみ石垣をもったものは見たことないですが、もしかすると郭をぐるりと石垣が巻いていたのかもしれませんね。破却されてここだけ残ったのであればわからないこともないな。

すぐ上の本丸へ向かいます。本丸の入口は虎口のようになっているようですが、手前に「石垣」の看板があるけど、どこ???

と思っていたら、側面の急な崖の部分に一部石積みが残っていました。自然石を積んだ形式は堀切の石積みと同じ形式です。

本丸から見た佐柿の町並みです。

本丸はけっこう広いです。

中央付近に「国吉城」と書かれた小さな石碑と案内板があります。

本丸奥には一段高くなった土塁が残っています。その下に堀切が残っているようですが確認できませんでした。

戻ってくると休憩が終わって、発掘作業が始まっていました。

下りてくる途中に伝二の丸跡があります。資料館前の案内板では出丸跡となっていました。

一段低い平坦地へ下りてみると、ここには土塁と門跡が残っていました。

反対側の郭から見ると、この門跡はまっすぐには進めない巧妙な仕組みになっていることがよくわかります。

麓には館跡があります。前回の訪問時はこの館跡の発掘調査が行われていました。館跡のまわりは石組み水路が見つかっています。
国吉城はこの麓の館と山頂に築かれた山城という、中世の典型的な平時の館と詰めの城形式です。

資料館に戻ってきました。奉行所の石垣も復元されています。

整備された駐車場には「国吉城址」の立派な石碑が新設されていました。本丸へ登らない方はこの石碑の前で記念撮影するのでしょうね。
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村岡山城 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/07/17 18:13
何年かぶりに福井県勝山にある村岡山に登ってきました。

前に一度訪れたとき、どこから上ったのか記憶になかったので、とりあえず山を登るような道を進むことにして、村岡神社の本堂の脇の道を進むことにしましたが、けもの道はあるものの、夏場であるので草が非常に大きく育っていました。

前は石仏のある道を進んだ覚えはあったのですが、そこまで長い道のりがあったかもしれない・・・
と思いながら、草道を進むこと20分

ようやく見覚えのある石仏の道に到達しました。

今来た道はこんな感じで前回とは違う回り道を進んでしまったようです。

頂上への道には菩薩像の石仏が非常に多く立てられています。

最初は一向一揆戦乱の舞台となった山城を鎮魂するために、子孫たちにより立てられたものかと思っていました。下りた後わかったことですが、この菩薩像は四国八十八霊場めぐりを映した霊場を再現したものです。

途中の道は急で足場も悪く、雨で濡れた日は滑ってとても危険です。
登りはじめて40分ほどでようやく頂上に到達しました。

一段高い本郭の入り口には掘にかかる土橋を当時のまま見る事ができます。

本郭には南側に物見台、北側に土塁など土の高まりをはっきりと確認できます。

本郭から眼下を見下ろすと、福井県恐竜博物館が見えます。

本郭の北側から東側、南側とぐるりと掘がめぐっています。

本郭の北側には、手前に郭1、奥に郭2の2つの平地を確認できます。

郭1から郭3への入り口両側には土塁が残り、

郭3に入って、郭4へ至る入り口は虎口がきれいに残っています。

郭4と郭1の間の土塁、その土塁の郭4側に掘が掘られています。

その郭4から北側の斜面を見下ろすと・・・・

畝状たて堀が残っています。ちょうど草刈が終わったところだったのか、4つの畝がはっきりと確認できました。

畝の間に入るとこんな感じですが、攻める側は畝の間を進むことになり、隣の畝へ移動することや、連絡を取ることを困難にします。
一向一揆が立てこもった村岡山に、敵対していた平泉寺の僧兵が攻めて、反撃されて撃退されたのもこの畝状たて堀が活躍したのかもしれませんね。
この出来事のあと、村岡山は勝山と呼ばれ、今の勝山市の元となりました。

本郭の東側に二の郭があり、南側に一段高い物見台が残っています。

二の郭の南側に大きく段を下げながら、4つの郭(郭5~郭8)とそれぞれの間に、堀切が残っています。

こちらはあまりに草深いので郭6より先は進むのを断念しました。

帰りは霊場の道を戻ってきました。途中草も生えない歩きやすい道が一部あります。

神社に戻ってくると、間違いにようやく気付きました。
神社の泉の道(中央の道)を行きは進んだのですが、こちらは遠回り、近道は石段の先(右側の道)ということです。旧ですが、こちらが近道です。

神社の入り口には「村岡城址」の看板が・・・ そう言えば、前はここから登ったんだった。

鳥居の脇には看板も立てられています。村岡小学校の裏という記憶しかなかったのですが、登るときは村岡神社をめざしましょう!
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一乗谷朝倉義景館 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2010/02/21 13:04
雪の季節にここ福井県一乗谷にやってくるのは初めてです。ちょうど週末まで天候も悪かったですので、雪景色を期待していましたが、まさに絶好の散策日和でした。
帰って来て確認したら、雪の照り返しで写真がかなり飛んでしまっていました。

こういう景色を期待して長靴持参で行きましたので、早速履き替えて散策です。他の観光客は靴で難儀していましたよ。

どうです、一面の雪景色に浮かぶ朝倉義景館跡と、

一乗谷朝倉氏遺跡のシンボルの「唐門」です。

それでは雪が残る一乗谷朝倉遺跡をご覧下さい。





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一乗谷山城跡と企画展「金工の技と美」 福井県の城館
- author: Tadashi
- 2009/08/15 15:07
今日はお盆でしたが、ちょうど企画展の解説があるようなので、福井市の一乗谷朝倉氏遺跡に行ってきました。下道で行ってきましたが、思いのほか空いていたので良かったです。

最初に天台宗の西山光照寺跡を見に行きました。ここは石像が何体も集められていていい遺跡なんですが、石碑がなんでこんな場所に立っているのでしょうか?もっといいアングルで遺跡が写る場所に移動してほしいです。


次に、企画展の前に山城跡に登ることにしましょう。そのために今日は朝早く出てきました。

一乗谷で最も有名な遺跡である朝倉館跡には、すでに大勢の観光客が来ていました。お盆の時期は多いときでは1000名以上来るそうです。

始め勘違いしていて、朝倉館跡の裏に山城への入口があるものと思っていましたが、そこには右側に初代孝景の墓、左側に南陽寺跡庭園がありました。

南陽寺は足利義昭が京を追われて一乗谷に身を寄せたときに滞在した尼寺です。現在庭園の一部の石列が当時の面影を残しています。

駐車場を復元町並から、一乗谷史跡公園センターに移動し、八幡神社の横から登っていきます。

看板には「城山まで1.5km」と書かれています。

少し登るとそこは馬出と呼ばれる場所です。石垣を所々で見る事ができます。

その馬出の間を上っていくと、砂防堤がありました。その脇の階段を上がると、

「城山まで1.0km」の看板が。ここまでは比較的楽だったんですが・・・

そして、そこには「小見放城跡」の書かれた看板?が立っています。後方右側になりますが、そこは行けません。なにしろ草深いですからね。

そこからはまさにけもの道程度の広さの上り坂を登る、登る、登る・・・・、ひたすら急な坂を登りました。途中ではクモやゲジゲジ、蚊に加えて、蛇にも睨まれてしまいました。夏の山は注意が必要です。

道は地下水がしみ出てぬかるんでいるところもあり、足場が良いといえませんでした。
が、ひたすら登るとようやく次の看板が・・・
「城山まで0.2km」あと少しです

そこからも、さらに登り坂。最初に着いた場所が「千畳敷」と呼ばれる本丸跡です。

ところどころに破壊された石が散乱しているのが、戦乱の爪痕として生々しいですね。

千畳敷では土塁跡もはっきりとわかります。

さらに奥に進むと一の丸となります。郭跡はさらに上ですが、道はないようです。

郭と道となっている間には溝跡らしい窪みがあります。写真ではわかりにくいですが、右下から左上に斜めになりますよ。

一の丸の奥に、二の丸、三の丸が続きますが、各郭の間は堀切により完全に遮断されています。

さらに、その堀切と逆側には竪堀が深く掘られています。間の土橋?は結果的に細くなり敵の侵入を防ぐようになっています。

一乗谷山城は、麓から千畳敷(本丸)、一の丸、二の丸、三の丸となっていて不思議です。最終防衛地点の本丸が一番奥になっていないのはなぜ?

しかし、詰めの城の山城をなめていました。こんなに急な道のりだとは思いませんでしたよ。体調が万全でないと非常にきついです。やっとのことで下りてきて、足がガクガクになってしまいました。
砂防堤附近で今日始めて人とすれ違いました。親子2人でしたが、まだまだ子供は元気に登っていきましたが、山城はここからが本番、果してたどり着いたでしょうか?
1時半から始まる一乗谷朝倉氏遺跡資料館の企画展に少し遅れてしまいました。

今日の目的はこの企画展「金工の技と美」の鑑賞です。折角見るなら解説付き!ということで解説に聞き入ります。お盆で家族連れが復元町並を訪れる中、この解説には10名余の参加です。ちょっと寂しい感じですが、その分ゆっくりと聞けました。帰りに図録を買ってきました。
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