和田山砦・能美古墳群 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2012/01/25 12:57

寒波がやってきて時折激しく雪が降る天候ですが、昼休みには良い天気になりましたので、近くの能美古墳群へ行ってきました。冬になって下草が枯れて、地形がよく見えるようになっていると予想してのことです。

和田山砦・能美古墳群

能美古墳群は石川県内最大の古墳群で、手取川左岸に点在する寺井山、和田山、末寺山、秋常山、石山にわかれて、50基以上の古墳が尾根に築かれている。

とは言っても、開発により山は削られ、住宅地や公園になった場所も多く、地図では濃い緑色の部分が現存の丘陵地、灰色の部分が失われた丘陵地ということになる。左に位置する寺井山は9割以上が失われてしまった。

和田山砦・能美古墳群

和田山の麓の駐車場に車を停め、散策開始!

もっと大きな和田山古墳群南尾根は次回にして、最初に和田山古墳群北尾根に向います。

和田山砦・能美古墳群

城山と呼ばれている北尾根の登り口。低い丘陵地ですから、あっという間に頂上です。

和田山砦・能美古墳群

頂上には和田山5号墳。比較的大きな前方後円墳ですね。草も枯れて形状もよく見えます。

和田山砦・能美古墳群

上に上ると広い空間があり、一時的な陣地としては申し分ないです。

和田山砦・能美古墳群

ここ和田山は加賀に攻めいった織田軍が陣をはったと言われています。総大将は柴田勝家ですが、位置関係からして、もっとも後方の和田山に柴田が陣取り、残りは寺井山や末寺山などに陣をはったのでしょうね。

和田山砦・能美古墳群

さて次は、和田山の北に位置する末寺山古墳群に行きます。

和田山砦・能美古墳群

この尾根にはたくさんの古墳が残っているようです。冬とはいえ、この辺りは笹が多く自生していて、古墳がわかりにくかったです。特に、末寺山は南と北の尾根沿いに古墳が並ぶのですが、南尾根の円墳はどこなのか全くわかりませんでした。

和田山砦・能美古墳群

雪はあまりなかったのですが、それでも日陰部分はまだうっすら残っている箇所もあり、こんな寒い中誰も来ないですから足跡も当然ついていませんよ。

和田山砦・能美古墳群

さすがに最北に位置する末寺山北尾根からの眺めはいいですね!

ここは最前線の見張り台として古墳が利用されたことでしょう。

和田山砦・能美古墳群

末寺山7号墳の円墳。盗掘か?発掘か?真ん中にぽっかりと穴のあいた円墳でした。

和田山砦・能美古墳群

最後に9割を失った寺井山古墳群へ。

和田山砦・能美古墳群

唯一残された円墳は、住宅街にひっそりと整備されて残っていました。

和田山砦・能美古墳群

ここからは和田山も

和田山砦・能美古墳群

末寺山もよく見えます。ここは古墳のまわりの木がまったくありませんから、他の古墳群ももう少し見晴らしを良くしてくれると嬉しいですね。とここでまた雪が激しくなってきました。

次回は和田山南尾根へ。


加越国境城郭群と古道探訪会

  • author: Tadashi
  • 2011/11/19 15:47

切山城

金沢歴史探訪月間のイベントして「加越国境城郭群と古道探訪会」が開催されました。現在発掘調査中の切山城と金沢市指定史跡の松根城、それをつなぐ小原越古道をめぐる旅です。

加越国境城郭群と古道探訪会

参加者18名と市職員を乗せたバスは大雨の中、一路切山城へ向います。

切山城

険しい山道を登って切山城へ。ちなみにこの道は現代の道です。

切山城

しばらく登ると小原越と重なる箇所に竪堀があります。現代の道より一段高い位置にあるので不思議な感じですが、両側から見ると低くなっています。

切山城

切山城の脇を小原越が通っており、上から道を監視できるわけですが、一部は非常に急峻な切岸となっています。

切山城

現在の道の脇に旧小原越古道が残っていて、もとは非常に狭い道だったことがわかります。まるでけもの道!しかし、この脇街道は本道である北陸道よりも交通量があった時代もあるのだそうだ。

切山城

富山側からの最初の障害は先の竪堀だが、金沢側からの最初の障害はこの堀切。

切山城

1枚目が主郭のトレンチだが、その中からは柱穴が見つかっています。

切山城

石が集められた場所も・・・柱の根固めか?

切山城

主郭には櫓台とまわりをぐるりと土塁が巡っています。

切山城

もう少し天候が良ければ眺めは最高なのだろうけど、今日は大雨。まったく視界がありませんでした。

松根城

その後、大雨で小原越を歩く予定は中止となり、バスで松根城へ移動。数年前、日光で薄くて読めなくなっていた看板が新しくなっていました。

松根城

砺波平野や河北潟が一望できる主郭からは、こちらも霧でまったく視界なし。殘念です。

加越国境城郭群と古道探訪会

切山城と松根城は、羽柴VS織田・徳川の小牧・長久手合戦の北陸地方での代理戦争の舞台です。桐山城が前田利家方、松根城が佐々成政方、他の二俣越、田近越、北陸道でも同様のにらみ合いが行われていたけど、比高でいうとこの時点では佐々方が優勢だったのかな。

金沢市は3年計画で発掘調査や文献調査を行い、2城と古道一括で史跡申請を行う予定だそうです。


津幡城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2011/03/26 13:41

津幡町の四ツ角交差点です。

津幡城

正面に見えるのが津幡小学校、津幡城のあった大西山です。

津幡城

今は交差点となっていますが、元はT字路となっており、後ろ方向が「金沢」、左手に進むと「能登」、右手に進むと「越中」という加越能の三叉路となっていた場所です。

津幡城

小学校へ向かってゆるやかに上り坂となっています。

津幡城

入って左手の小高い小山の上に忠魂碑が立てられており、

津幡城

上り口に案内板があります。上杉謙信の上洛、前田利家の末森合戦など戦国の節目に登場する城です。

津幡城

忠魂碑の脇に「津幡城址」の石碑が立てられています。

津幡城

この津幡小学校が建てられるときに山は大きく削られて平坦部を広げたため、往時の郭の様子は現況からはわかりませんが、校舎の高さほどもあったという話もあります。

この津幡小学校は老朽化のため、別の場所に新校舎がすでに完成しており、今年度取り壊される予定となっています。

津幡城

小山から眺めるだけでもかなり向こうまで見渡せます。建物が低く、田園風景の広がっていたであろう戦国の世では重要な拠点であったことは容易に想像できます。


雪の白山麓攻城記

  • author: Tadashi
  • 2011/03/12 16:42

平野部の雪は溶けたし、先週の小谷山の件もあったので、セミナー参加のついでに城めぐりをしようと思っていましたが、今年の大雪をなめてました・・・反省

舟岡山城

第一の目的は旧鶴来町の舟岡山城。今年整備を予定しているので、その前に現状をもう一度撮影したかったのですが・・・

舟岡山城

目の前に開ける散策路・・・

のはずが

舟岡山城

雪の固まりです。こんなに残っているとは、まだまだ春は遠いです。

鳥越城

いつもとは違った方角から鳥越城を撮影。右側の頂上付近に本丸があります。

鳥越城

しかし、入口はこんなにも雪が

鳥越城

生活道路ではありませんので、ここも春は遠いです。

殿様屋敷

麓の殿様屋敷。現在は畑になっているのですが、ここにも大雪の跡が。

殿様屋敷

屋敷の高台と考えられる神社境内は、鳥居も半分埋まりさらにすごいことに。

二曲城

そして、二曲城の入口は見えるものの、

二曲城

入口の橋には70センチほどの雪。前に進めない。

鳥越一向一揆歴史館セミナー

ということでここは大人しくセミナーまで常設展を久しぶりにじっくりと観賞しました。

今年の歴史館セミナーのテーマは「二曲城を考える」でした。2004年から6カ年で調査が続けられ、いよいよ来年度から4年程度で環境整備されます。


金沢城 冬のライトアップ

  • author: Tadashi
  • 2011/02/05 22:50

大雪の後のライトトップ。雪は2年ぶりでしょうか?

兼六園

まずは兼六園真弓坂から入園します。

兼六園

今年は友人と夜景用に三脚を使用して撮影しました。写真に詳しい友人に助言をもらいながらも、兼六園で撮った写真はぶれたものが多く、でも例年以上に良い写真が何枚かありました。

兼六園

ここ数日の気温上昇により、木々に被った雪はなくなったけど、池は一部凍ったままで、水面に映る美しい姿がない場所もあったが、凍った水面もまた近年では珍しい光景だ。

兼六園

寒さのためか、来週三連休がやはり人気なのか、今日の来客は少なめでした。

兼六園

園内は滑らないように通路の氷は取り除いてあったけど、一部にはうず高く積まれた雪が残っていました。そんな珍しい光景も見ながら、場所を移動しながら写真を撮っていきました。

兼六園

一番人気は唐崎の松ですね。

兼六園

では、金沢城公園に場所を移します。

金沢城

外壁塗装の修築が完了した石川門櫓。光に反射する白い壁が美しいです。

が、脇の一の門の壁が若干ミスマッチです。

金沢城

金沢城公園は兼六園よりは人気が少ないです。

金沢城

三の丸広場は一面の雪景色。五十間長屋の屋根雪はすっかり溶けてしまっているのは残念ですが、雪の冷気のためか寒いです。

金沢城

復元後初めての雪のライトアップを迎える河北門です。

金沢城

河北門への入場口から見る、河北門一の門、ニラミ櫓台、菱櫓、向こうに橋爪門、この光景は新しい金沢城の絶景スポットです。

金沢城

この菱櫓、五十間長屋、橋爪櫓の奥行きのある絵もいいでしょ!

金沢城

橋爪門の中では発掘調査が進められているため、門は閉じられたまま。そのためもあってか橋の上の雪は除雪もされず積もったままだ。

金沢城

堀には氷が張っている。こんな光景も2回目だろうか。

金沢城

この河北門、菱櫓のアングルは古写真にもある。

金沢城

河北門二の門の内側から枡形を覗けば、そこには菱櫓が顔を出す。

金沢城

終園のアナウンスが流れてきた。もう9時だ。時間はあっという間に過ぎる。


虚空蔵山城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2010/09/29 16:02

昼から曇ってきましたが、能美市(旧辰口町)の虚空蔵山城を訪れました。初めてでしたので、辺りをうろうろと迷いながらようやく到着しました。

虚空蔵山城

和気小学校の裏にある山が虚空蔵山です。一帯は「こくぞう里山公園」として整備されています。

虚空蔵山城

城跡への入口は和気小学校の体育館横になります。

虚空蔵山城

入口の看板を見ると城域には4つの看板が立てられているようです。

虚空蔵山城

入口に最初の看板「史跡虚空蔵山城」と脇に石碑が立っています。

虚空蔵山城

それでは大手道から登ります。

虚空蔵山城

大手道の南側には土塁が続いていますが、その外側に石垣があったそうです。しかし、急斜面のため確認することはできませんでした。今は埋まっているのかもしれません。

虚空蔵山城

しばらく上がると2つ目の看板「大手門跡」が立っています。

虚空蔵山城

通路の南側に平坦地があり、

虚空蔵山城

そこからの景色がすばらしいです。足元に大きな石がありますが、

虚空蔵山城

実際、このような大きな石が二段積まれています。大手道に沿って上がってくる石垣の最終地点となる部分だと考えられますが、ここまで大きな石がずっと積まれていたのかわかりません。

虚空蔵山城

石積みの下は立っていられないほどの急斜面です。

虚空蔵山城

大手道を上って最初にある曲輪は二の丸となります。

虚空蔵山城

草が生えていてわかりにくいですが、土塁が囲むかなり広い曲輪であり、土塁の外側を空堀が囲んでいます。

虚空蔵山城

二の丸の奥に進むと、「二の丸虎口の道」が続きます。先に3つの郭が存在します。

虚空蔵山城

二の丸を下りたところに橋がかかっており、まわりの空堀を確認することができます。

虚空蔵山城

2つ先の郭です。この左側先にもう1つ郭がありますが、ともに木々に囲まれて景色がよくありません。

虚空蔵山城

こんな感じです。木々の間から少しだけ向こうが見えます。

虚空蔵山城

二の丸まで戻って本丸に向かいます。

虚空蔵山城

二の丸と本丸の間は深い谷となっていますが、通路は土橋のようになっており、両側に深い堀切が切られています。

虚空蔵山城

堀切に見えますが、発掘調査報告書によると道の代用にもなっているようです。東側の下館へ下りる堀切の途中には井戸のある郭が存在するようですが、こんな有様です。

虚空蔵山城

少しだけ下りてみてこの辺りが井戸か?と思って写真を撮りましたが、実際はもっと下がったところの郭だったようです。なんせ調査自体が20年以上も前になりますので、自然が戻りつつあり状況では探索も辛いですね。

虚空蔵山城

本丸は二の丸より少し小さい曲輪ですが、こちらにもまわりを囲む土塁が残っています。

虚空蔵山城

ここが最頂点ということで、本丸隅に三角点が設置されています。

虚空蔵山城

帰りは薬師坂ですので、先に馬場を見てきます。途中黒岩の道への分かれ道があります。

虚空蔵山城

すぐ下に「金の茶釜伝説」の残る黒岩があります。

虚空蔵山城

なぜ黒岩というのかわかりませんが、ものすごく大きな石が数個窪みに残っています。

虚空蔵山城

では、馬場へ向かいます。

虚空蔵山城

馬場の曲輪は草むらでよくわからない状態でしたが、上徳山へ下りる道へ折れる最終箇所に土塁を確認することができます。

虚空蔵山城

本丸に戻ってきました。

虚空蔵山城

それでは薬師坂を下りましょう。

虚空蔵山城

いくつかの郭を通ってくると、分かれ道にでます。「常基寺の道」の先にひとつ郭があるので見て行きます。

虚空蔵山城

浅い堀切を越えるとその先が郭のようですが、やはり木々でその範囲がよくわかりません。

虚空蔵山城

戻って、薬師坂を下ります。

虚空蔵山城

薬師坂の途中に広い郭が残っています。

一向一揆の砦として使用された城跡でもあるので、中世城郭の趣を感じることができます。整備されてから時が経っている(木が大きく成長してしまっている)のでわかりにくくなっている部分もありますが、草の短い春先にでももう一度訪れてみたい城ですね。


二曲城 その2 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2010/09/29 12:20

今日は二曲城へ行ってきました。

二曲城

二曲城は鳥越城とともに加賀一向一揆最後の城として国史跡に登録されています。登録後に鳥越城のほうは石垣や門など整備が進みましたが、二曲城は現況調査にとどまり、発掘調査はここ3、4年の間に漸く行われました。

そして、来年度からようやく環境整備が始まることになりました。発掘調査を踏まえ、通路や看板が整備され、建物の礎石などが示されるようです。

ということで、環境整備で雰囲気が変わる前にもう一度来たかったのです。

二曲城

しばらく進むと、土塁が正面に見えてきます。土塁左手には二の丸へ上がる通路があり、それに沿って堀切があります。

その土塁の間の道を上がると、土塁の内側には溜池が残っています。

二曲城

本丸、二の丸がある北の尾根と南の尾根の間道の途中にもう一度土塁があがる箇所があります。ここは発掘調査で石積みとその前に空堀が見つかりました。今は双方埋められています。ここはどう整備されるのでしょうか?

二曲城

間道の一番奥で左に折れていつもは本丸へ向かうのですが、今日は右上に折れて南の尾根の頂点を目指します。

二曲城

初めて上りましたが、南側に土塁を持つ広い平坦地です。

二曲城

ここから見える東方角は本丸よりこちらの郭のようがよく見えます。

二曲城

戻って本丸へ向かいます。

二曲城

本丸も発掘調査で見つかったものは埋め戻されています。

二曲城

本丸から北側に本城である鳥越城が見えます。

二曲城

二の丸です。

二曲城

二の丸の先にも尾根続きに小さな郭が配置されています。

二曲城

二の丸と先の郭の間には深い堀切が掘られ、その下がる先は最初の土塁部分です。

二曲城

わかりにくいですが、郭と郭の間の土橋があった箇所です。右側の堀切がかろうじてわかるでしょうか。左側は発掘調査の後埋め戻されています。

鳥越一向一揆歴史館

麓にある鳥越一向一揆歴史館です。現在は「長島一向一揆展」が開催中です。


松根城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2010/09/19 17:26

加賀と越中の国境の城、松根城に行ってきました。加越国境は前田利家と佐々成政が覇を争った地であり、松根城は佐々方の城でした。

松根城

金沢方面から入ると、ゴルフ場の横道を進んで車で城の中まで行くことができます。ここは加賀方面からの門跡の土塁です。

松根城

この土塁の反対側に中世の小原越の街道跡が残っています。

松根城

小原越の最も高い松根峠から下りの道が続いていました。

松根城

土塁から城内に入ると、広い郭の先に一段高い砦跡があります。

松根城

入口の土塁から郭と反対側を上ると、小原越の監視用の郭があります。今は草が高く見通しはききません。

松根城

一番奥の郭沿いの道は遊歩道として整備されていますが、郭と間に土塁と空堀がくっきりと続いています。帯郭でしょうか。

松根城

帯郭から本丸への階段は急です。

松根城

本丸は広く、

松根城

加賀方面

松根城

越中方面を見渡すことができますが、今日は曇っていて、加賀方面の海も、越中方面の立山も見えませんでした。残念・・・

松根城

本丸には「松根城址」の石碑が立っていますが、NHK大河「利家とまつ」の頃に整備された看板は西陽にあたり薄くなっていました。

松根城

本丸からさらに先に二の丸と

松根城

三の丸が配置されています。


末次城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2010/08/22 14:50

能登町行延にある末次城です。今まで何度か前を通ったことがあり、ずっと気になっていましたが、今日は時間があったので寄ってみました。

末次城

道路から入ってすぐに案内板が設置されています。

末次城

これによると、末次城は珠洲郡の入口を守備するため築かれた山城で、上杉謙信の能登侵攻のとき、末次氏を中心に対抗したが落城したと書かれています。

末次城

その末次氏の末裔の末次家はまだこの山城の麓にあります。これってすごいことですよね!

そのおかげもあり、この山城の遺構は当時そのままに保存されているようです。

末次城

それでは、奥に見える看板の裏から中に入ります。

末次城

最初の20メートルほどは階段らしきものが見えていましたが・・・・

末次城

そこから道は全く不明になりました。夏はダメですね。整備されたのはもう二十年も前になるでしょうから、今は誰も近づかない史跡になってしまっているのかもしれません。春先にもう一度チャレンジです。


松波城 平成22年度庭園跡発掘調査現場説明会

  • author: Tadashi
  • 2010/08/22 14:25

新聞報道され、今日は時間も空いていましたので松波城まで行ってきました。

金沢から140キロ、3時間・・・・。遠いですね。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

松波城の庭園跡は三の郭にあり、昭和54、55年に最初の発掘調査が行われましたが、平成18年度より詳細な発掘調査を行ってきました。

今年度は調査の最終年度にあたり、整備まで遺構の保存のため埋め戻されるそうです。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

説明が始まってすぐ、沢ガニが出てきてビックリしました。かなりの大きさですが、横穴を掘って住んでいるようです。川からは随分遠いのですが、どこから来たのでしょうね?

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

礎石建物のトレンチが遊歩道の下に掘られていました。この部分は昭和の発掘調査では手付かずだった部分で、破却の土層がそのまま出てきたため、新聞報道にもありました、礎石建物と枯山水遺構が16世紀に間違いないと確定できたそうです。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

礎石自体も赤く変色し、焼けた炭跡が残っています。土層にも焼き炭が混ざっています。この層から枯山水と同じ庭小石が発見されました。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

枯山水の前には池遺構が出ています。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

しかし、枯山水と同時期のものかどうか確定できなかったようです。水のない庭の手前に水の池?というもの不自然ではありますね。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

この池、水が溜まっていたのですが、ここ数日は雨は降っておらず、不思議に思っていましたが、この池の底からは水がジワジワと染み出して来ているそうです。湧き水が出るんですよ。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

庭園奥の斜面には泥岩貼付遺構が残っています。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

枯山水遺構は19個の景石と3123個の小石により形成されています。小石は昭和の発掘調査で採取されたものがあるので、当時は4000個以上の小石があったようです。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

どうです。水が流れているように見えますね。これが16世紀の奥能登に存在したなんて驚きです。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

水の流れをあらわすために、小石は寝かせず立てて配置されています。破却され埋められる前はもっときれいだったことでしょう。

平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会

この貴重な枯山水遺構ですが、もうしばらくして埋め戻されます。今日は遠かったけど貴重なものが見れました。


松波城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2010/08/22 13:25

能登半島の先端、旧内浦町にある松波城です。

松波城

旧松波駅側から行くと山の上に看板が見えます。この右側からも公園に入ることはできますが、

松波城

ぐるりと麓を反対にまわると、公園へのもうひとつの入口があります。それではここから登ります。

松波城

上ってすぐのところに一本目の石碑があります。

松波城

平坦地を2つ上がると、町並みを見下ろすことができる平坦地にでます。「音川亭址」という石碑がありますが、出丸跡になると思われます。

松波城

町並みの向こうに大きな屋根の寺院が見えます。

松波城

この寺院は松岡寺です。松岡寺は本願寺八世蓮如の子により、小松市波佐谷に勢力を持っていた浄土真宗系の寺院です。

松波城

この郭と隣りの郭の間には深い堀切が見て取れます。

松波城

隣りの郭跡には2本目の記念碑が立てられています。

松波城

この郭と三の郭の間には橋が架けられています。

松波城

この深い堀切には数年前まで「のと鉄道」が走っており、すぐ近くに旧松波駅があります。

松波城

橋を渡ると、大手門址があり、三の郭があります。松波城の防衛ラインは基本的に東側のこの大手門からとなります。

三の郭には枯山水跡が残ります。

松波城

三の郭の上に二の郭があります。

松波城

二の郭と本丸の間の通路は狭くなっています。といっても車が通れるほどの広さはあります。

松波城

本丸跡には石碑が立てられています。

松波城

本丸の二の郭側には土塁の一部が残っています。

松波城

本丸側の入口に案内板がありますが、すでに古く、書かれている郷土資料館などはなくなっています。というより、他の建物も現在は使用されてはいないようです。

松波城

松波城は松波川を防衛施設のひとつとして利用しています。松岡寺の下から見た松波川ですが、右奥に見える山が松波城となります。

松波城址情報館

旧松波駅は現在、松波城址情報館となっています。

松波城址情報館

不定休ということでしたが、今日はお休みでした。

松波城址情報館

なんとか光る窓を遮りながら中をのぞくと、松波城の模型があるようです。


小松城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2010/06/12 15:11

小松城は加賀藩3代藩主前田利常が隠居城として、一国一城令の例外として整備された城です。

小松城

沼地の島を曲輪として利用し、梯川を外堀とした堅牢な城でしたが、近年は埋め立てが進み、沼地であったことを想像することもできません。

平成2年に小松市制50周年を記念して12本の石碑が立てられています。その中のいくつかを紹介しましょう。

小松城

ここは小松市役所前の芦城公園です。「三の丸跡」に整備されました。春には公園内いっぱいに桜が咲いて人で賑わいます。

小松城

隣りの小松商業高校の前には「二の丸跡」の石碑が立っています。商業高校と小松高校の校舎がほぼ曲輪の大きさです。

小松城

小松高校テニスコートの脇に本丸の天守台がひっそりと残っています。

小松城

テニスコートが本丸御殿跡、小松高校の校庭が本丸跡になります。

小松城

天守台の西側に唯一の掘沿いの石垣の遺構が残っています。

小松城

鰻橋跡の石碑から家の方向に、琵琶島から二の丸への橋(鰻橋)が架かっていました。ここにあった門の遺構が園町の来生寺に残っています。

小松城

この石碑から徒歩20分ほどですので、見逃さないように。

小松城

その来生寺へ行く途中に葭島神社があります。

小松城

この本堂は本丸御殿の一部が移築されたものと言われており、天井に天井画が残っています。

小松城

梯川の対岸には藩政期に天満宮が創建され、今も同じ地に残されています。繁殖中なのかカラスが着いてきて恐い思いをしました。


雪景色の金沢城へ 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2010/02/07 23:52

昨日は市内へ出かける用事もありましたので、金沢城へ。

金沢城

最近は北陸も雪が少なくなりました・・・と言っても、今年は時々豪雪になるのですが、やはりあっという間に消えてしまいますので、出かけるタイミングで屋根に雪が残っていたり、こんなに一面雪景色の金沢城には地元でも滅多に会えるものではないですね。

金沢城

そういう意味で貴重な機会ですので、ゆっくり散策です。散策路が整備されてきた城内も大雪で一部は通行止めになっていました。そのくらい一気の豪雪だったのですね。

金沢城

建造物の屋根雪もいいですが、石垣にうっすらと残る雪が旅情を誘います。何度も来ていますが、今日の景色は特別ですね。

金沢城

とはいっても、雪の中の散策は体力使います。絶景を求めて歩き回りましたよ。

金沢城

石川門も雪が積もると風情が増しますね。

金沢城

今日は午後から内部公開日だったのですが、残念ながら時間が合いませんでした。準備を始めた石川門で石落としを開けた珍しい写真を外側から撮ることができました。

金沢城

辰巳櫓もいい風情です。昨日の地元新聞では、この辰巳櫓から水の手門までの県道沿い(兼六園側、写真では右側)の松の木などを間伐して石垣をもっと見えるように新年度整備されるようです。これもぐるりと城外を一周する石垣見学コース整備の一環です。

金沢城

昨日の夜はちょうど恒例となった冬のライトアップ日でした。冬のライトアップでもここ数年は雪がなかったですから、三年ぶりぐらいの雪景色でしょうか?と言っても、これだけの大雪の中のライトアップは初めてかもしれません。

金沢城

雪景色の金沢城のライトアップは感動モノでした。あまりの寒さに人はまばらでしたが・・・


金沢城 丑寅櫓跡

  • author: Tadashi
  • 2009/10/17 16:27

本丸東側にあり、兼六園に面する櫓台が丑寅櫓跡です。

金沢城 丑寅櫓跡

普段はあまり観光客が来ない場所ですが、

金沢城 丑寅櫓跡

ここからは天気がよければ、医王山系の山々や石切り場である戸室山が見えます。

それでは城らしい見所を紹介します。櫓台なので、隅石に柱穴が見られます。

金沢城 丑寅櫓跡

こちらは北西

金沢城 丑寅櫓跡

そして北東

金沢城 丑寅櫓跡

百間堀に面する南東には3石連続で柱穴があります。

金沢城 丑寅櫓跡

最後の南西は櫓台整備のためか柱穴はありません。

金沢城 丑寅櫓跡

と思ったら、櫓台の上に並んでいる1石に柱穴を見つけました。

今度行ったときはじっくりと鑑賞してくださいね。


堅田城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2009/10/11 17:59

探訪会で疲れましたが、まだ明るいということでいつか行きたいと思っていた堅田城跡に登ってきました。

堅田城

山側環状のトンネルのあるいずれの山だとは聞いていたのですが、森本トンネルの頂上でした。

堅田城は北陸道・小原越といった主要道や森下川・河北潟・日本海といった水上交通の要衝に立地する中世山城であり、麓の堅田B遺跡(山側環状の工事で発掘調査が行われ、現在は道路の下)からは鎌倉時代の館跡が見つかっています。

堅田城

森本ICを下り、市街方向から医王病院を越えると案内板がありました。

堅田城

麓に立つ看板を見ると、ここ墓地側と少し先の神社裏から登山道が整備されているようです。別のホームページではもう1本あるようなことを書いてありましたが、ここには記載がありません。

堅田城

墓参の方用に砂利の駐車場がありましたので車を停めて登ります。麓から400メートル。15分ほどのちょうどよい距離です。

堅田城

半分の200メートル進むと、けもの道になりました。3年ほどまえに整備され、竹が伐採されましたが、未だにその根元が残っていて気をつけないとつまずいてしまいます。

堅田城

主郭に到着すると思いのほか広いですね。

堅田城

主郭西側に見張り台とも思える小山があり、そこからは日本海、河北潟が一望できます。

堅田城

主郭南側にまわると北陸道森本ICがよく見えます。

堅田城

主郭の東側には一段低い郭があり、神社裏から登ってくる道があります。平地として整備されているのは主郭と東側の郭です。西側にも郭がありますが、木々に囲まれている影響もあるのか草も生え放題でした。

堅田城

主郭の北側には2列の畝状竪堀を見ることができます。ちょっと分かりにくいです。

堅田城

主郭の西側にまわりこむと、そこには大規模な畝状竪堀がありました。

堅田城

こんな近所で大規模な畝状竪堀が見れるとは・・・感動です。

堅田城

これだけ良好に遺構が残っているのだから、もっと有名になってもいいと思うのですが・・・

金沢城、七尾城、鳥越城、小松城、大聖寺城・・・・他の城は残念ながらいまいち知名度がありません。

堅田城

夕方に登ったのには理由がありました。もしかしたら夜景がきれいかな?と思っていたのです。数十分で空が赤くなってきました。

堅田城

金沢市街の方角は木々で隠れてしまっています。隙間からなんとか県庁が見えますが、夜景が一番きれいな方角なので勿体無いですね。

堅田城

森本ICにできる光の列がきれいです。もっと暗いときれいなのですが、懐中電灯を持参していませんし、足元が見える間に麓に下ります。熊の目撃情報はないようですが、カモシカが出るようですし。

堅田城

かなり低くなってから視界が開けていました。医王病院の向こうに市街が見えます。暗いと足元の竹の切り株につまずきそうで恐いですが、整備すれば卯辰山に負けない夜景スポットになりますね。


二曲城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2009/10/05 16:57

白山市鳥越の一向一揆歴史館の背後の山が二曲城跡です。

二曲城

現在一向一揆歴史館では、平成16年より史跡整備のために進められてきた二曲城跡発掘調査の成果を展示する企画展が年内開催されています。

企画展「二曲城を掘る」

二曲城は鳥越城の支城のひとつですが、鳥越城ほど有名ではありません。しかしながら、鳥越城とセットで国史跡に登録されています。(どれほどの人がこの事実を知っているのか?)

二曲城

小さな山城なのでサッと見ても小1時間はかかりません。

まずは入ってすぐに虎口にあたる土塁に突き当たります。

二曲城

その土塁の背後にはため池が残っています。

二曲城

さらにそのまま谷あいを進むと、土嚢の積まれた土塁に突き当たりますが、この場所で石積みが見つかっています。また、手前には空堀が見つかっています。

二曲城

本丸には小さな祠が建てられています。眼前には鳥越城が望めます。

二曲城

本丸からは鳥越城方面や白山方面が望め、手取川の悠々と流れています。空が晴れていれば白山も見えます。

二曲城

里に近いのでクマは出ないようですが、蛇には遭遇しますよ。気を付けて下さい!

二曲城

二曲城は古文献に多く記載が残っていますが、その一部は鳥越城だと考えられています。近くの殿様屋敷は二曲城の根小屋と推測され、平時の館と戦時の山城という対で機能していたと考えられます。


殿様屋敷 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2009/10/05 16:39

白山市鳥越の一向一揆歴史館の裏に殿様屋敷跡と呼ばれる場所があります。

殿様屋敷

道路から2メートルほど高くなっている高台は、現在大部分が畑となっています。

殿様屋敷

隣接する八幡神社の境内は

殿様屋敷

さらに高くなっていますが、平坦地はかなりの広さです。

殿様屋敷

上段と下段の一部は墓地や参道として一部破壊されていますが、屋敷範囲は見てとれます。

殿様屋敷

当地は在地土豪の二曲左京進、または鈴木出羽守の子である鈴木左京進の屋敷跡と推測されています。


岩倉城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2009/10/04 15:33

小松市から白山市鳥越に入る道路沿いに岩倉城があります。

岩倉城

道路沿いに案内板がありましたので登ってきました。後ろに見えるのが岩倉山です。

岩倉城

案内板の道路の向こう側に遊歩道への入口がありますが、案内板側からは見にくいですね。

岩倉城

岩倉山は杉の木で覆われています。

岩倉城

軽自動車も通れる幅の遊歩道を進むと、途中に案内板がありました。ここから40分程度で頂上のようです。

岩倉城

少し進むと「おうめ地蔵」がありました。案内板がなく由来はよくわかりませんが

岩倉城

和やかなお顔の地蔵様です。

岩倉城

しばらく行くと、車道幅の遊歩道は切れ、けもの道幅の登山道となりました。後で考えるとここから頂上まで40分だったようです。

岩倉城

数10メートル登ると、「さむらい道」右という石碑がありました。道は上にも続いていますが、石碑に沿って右に曲がります。

岩倉城

遊歩道とは違う元々の登山道のようです。非常に雰囲気にある道でしたが、ずっと下っていきます。

遊歩道も登ってわずかに下がる場所もあったので、いずれ登ると思っていましたが、約10分やはり下っているので、これでは麓に着いてしまうと思い引き返しました。

岩倉城

戻ってみると、先の木に城址の矢印が逆になっているではないですか!

気を取り直して登ります。この山の地肌は基本的に岩のようです。それが山の名前の由来かもしれませんが、雨の日や大雨の後だと登山道は滑りやすくとても登れそうにはありません。登山道は完全に雨の通り道となっていて、長年表面を削られています。

岩倉城

登っていくと、「馬かけ馬場」に出ました。

岩倉城

案内板には「眺望良好」と書かれた場所で、朽ちた看板が下に横たわっています。

岩倉城

しかし、現在はこんな状態・・・・。本来であれば麓の集落や道路が見渡せるはずであったのですが、杉木が成長しすぎです。城跡が整備されたのが今から20年ほど前になるようで、20年も経てば杉も大きくなりますね。

岩倉城

さらに進むと大きく開けた平地に出ました。

岩倉城

ここは「米左衛門屋敷跡」です。岩倉城は加賀一向宗が越前の朝倉氏に対抗した築城した山城で、最初の城主が沢米左衛門と伝えられています。

岩倉城

屋敷跡の本丸側出口には「米左衛門地蔵」がありました。

岩倉城

さらに進むと、「岩倉城址」が左側、「岩倉観音」が右側の分かれ道に出ました。

岩倉城

時間も足りなくなっていたので「岩倉城址」に進みます。虎口らしい部分に入ると小さな平地に出ました。そこが「変形馬出」となります。写真中央付近が入口の虎口、その向こうに本丸の土塁と帯郭が見えます。

岩倉城

この変形馬出から本丸に入る枡形虎口が一揆勢方の大手口となります。織田方に奪われた後は搦手口となりました。

岩倉城

本丸は非常に広い郭です。回りに土塁が巡っています。良好に土塁が残っていますが、やはり眺望がきかないのが山城としては非常に残念です。

岩倉城

「一向一揆古戦場」の木碑とともに案内板が設置されています。

岩倉城

案内板を見ると、この本丸を中心に非常に多くの郭が残っているようです。

岩倉城

本丸から平入虎口を出ると、

岩倉城

そこは角馬出と

岩倉城

本丸帯郭を伴う二の丸となります。平入虎口は一揆方の搦手口、織田方になって大手口となりました。

岩倉城

二の丸の先には三の丸が広がります。

岩倉城

その北側には空堀を兼ねる登山となっていますが、こちらは整備されておらず、先の道が全くわからなくなっています。

岩倉城

本丸に戻ると、東口の近くに、投げ石が残っていました。一揆方が500年前に運び込んだものと思われます。

岩倉城

東口をまっすぐ下りてしまうと腰郭に出てしまいましたが、少し戻って下りると岩倉観音に出ました。この観音がある場所は大きな帯郭となっています。

岩倉城

あまり清掃はされていないようですが・・・

岩倉城

中には石造の千手観音様、狛犬が大事に保管されていました。

岩倉城

戻る途中、水が流れる小さな橋を渡ると、

岩倉城

「清水地蔵」が祀られていました。

岩倉城

麓まで下りてくると、案内板をもう一度見ました。どうも二の丸の位置が違うようです。二の丸の指している場所は角馬出であり、白い帯郭の部分が二の丸としたほうが適切なようです。

調度案内板の前に駐車していたところで、そのお宅のご年配と話をする機会がありました。

この集落は17軒しかないようです。集落の人間もめったに登らない山に登る人が珍しかったようですが、良好に残る山城の特徴は県内随一です。そんな山城が宣伝もされずに埋れているのは確かに勿体無いですが、そのおかげで未だにここまで残っているのも確かですね。以前三重県などからも登るために来たとか!これだけの遺構が残っていれば遠方から来ても一見の価値はありますね。

織田方との争いの時代になると、鳥越城の支城として街道を監視する役割を担った岩倉城は、本城の鳥越城と近郊の二曲城が国史跡になったにもかかわらず、自治体が違うというだけで文化財指定もないようです(市指定ぐらいにはなっているのかな?)。

この辺りではよくイノシシが出るそうです。つい最近もそこの山に出たそうです(遊歩道の途中にオリがあった)が、クマは最近でないようです。一昔は鹿もいたそうですが、移動して今はいなくなったとのことですが、今日は何にも会わなくて良かったです。


宮腰台場 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2009/09/21 14:21

もう1箇所の金沢の台場は、大野からくり記念館のそばにある大野お台場公園にあります。

宮腰台場

公園の石碑の題字は、現石川県知事の谷本知事によるものです。

宮腰台場

公園内には港近くということで、藩政期の北前船を模したオブジェが作られています。

宮腰台場

どこに台場跡があるのかと探していましたが、公園内からは見えません。

宮腰台場

と思っていたら、外周部の歩道に作られていました。これでは生垣で公園内からは見えませんね。

宮腰台場

どこか短身で憎めない姿ですが、こんな大砲じゃ打てませんよね。

砲身の向けられた方角には海があったはずですが、開拓で海が少し遠くなってしまいました。


寺中台場 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2009/09/21 11:00

城館とは呼べない・・・かもしれませんが、今日は台場跡に2箇所行ってきました。

寺中台場

まずは、寺中台場跡です。銭屋五兵衛記念館の横にある大野湊緑地公園内に復元されています。

寺中台場

全長80メートルのうち、17メートルが復元されていますが、台場なのに近くに海はありません。

寺中台場

寺中台場は、宮腰台場、畝田台場とともに、加賀藩が幕末の外国船警備のために築いたものです。

この台場は寺中神主(大野湊神社神主宅か?)の屋敷跡に築かれ、前面に堀をめぐらした内陸の台場です。外国艦隊の火力差を考慮して、上陸後の対応を図ったものと考えられています。

畝田台場はさらに大規模だったそうですが、現在はありません。

寺中台場

復元された台場の後ろから海側を望むと・・・・こんな感じです。雰囲気ないなー


金沢城 石川県の城館

  • author: Tadashi
  • 2009/09/06 18:58

石川門、加賀藩の金沢城のシンボル的存在です。

金沢城

観光客は兼六園から城内に入るため、兼六園との間に架かる石川橋を渡って石川門をくぐってきます。しかし、ここは金沢城にとっては搦手門です。

小立野台地の先端部に築かれた金沢城の最大の弱点はこの台地伝いに攻められることです。そこで現在道路になっている百間掘を兼六園との間に築き、石川門を建てました。門の形式は堅固な枡形です。

金沢城

金沢城の大手口は、現在唯一の水堀、大手堀が残る尾坂門です。ここは大手らしく巨大な鏡石がいくつも配置されています。ちょうど隅石として使用されている鏡石は、その厚さを実感できる珍しい巨石です。

金沢城

尾坂門を進むと、新丸の向こうに平成13年に復元された菱櫓が見えます。本丸の天守が焼失したあと、本丸には天守代用の三階櫓が建てられましたが、建造物の高さは菱櫓のほうが高く、実質の天守としての役割を果たしました。

金沢城

新丸から三の丸に入るところに河北門があり、現在復元整備中です。

金沢城

金沢城では他にも、石川門と塀が修復中、いもり堀と鯉喉櫓台が復元整備中、玉泉院丸跡が復元整備に向けて発掘調査中と、平成26年度の北陸新幹線延伸まで復元・修復ラッシュです。