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一雲斎 針阿弥 (いちうんさい しんあみ)

?~天正十年(1582)六月二日。

阿弥号を持っているから、もともとは信長の同あ衆であろうが、実際には、使者、副状発給など側近の仕事に加えて、奉行衆のような役割をも務めている。だが、天正七年(1579)六月十九日付の、法隆寺宛て楠木長ふ発給の書に副状を発しているところを見ると、同じ側近でも、長ふの方が地位は上のようである(法隆寺文書)。

天正六年一月十日、前関白近衛前久の所へ鶴の贈呈の使として派遣されているのが、良質史料上の初見である(公記)。

天正七年の頃は、法隆寺の東寺取次ぎを担当し、この頃激しくなった西寺からの圧迫より東寺を守ることに努めている(法隆寺文書・半田実「織田信長側近一雲斎針阿弥に関する一研究」)。

そのほか、もの尾為綱・興福寺大乗院・薬師寺など、大和の国衆や寺院との接触が見られる(松平氏文書・多聞院・薬師寺文書)。同九年十二月十八日には、信長の使として高野表へ出向いている(宇野)。

本能寺の変の時、信長の側にあってこれに殉じた(宇野・公記ほか)。

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2007年08月29日 12:53に投稿されたエントリーのページです。

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