風早 公雄 (かざはや きんお)

(1721~87)江戸時代中期の公ぎょう。享保6年1月22日生まれ。風早実積の子。参議をへて、安永8年(1779)権中納言となり、天明7年正二位にすすむ。天明7年8月14日死去。67歳。初名は公金。号は桂渚。

風早 実積 (かざはや さねつみ)

(1691~1753)江戸時代中期の公ぎょう。元禄4年閏8月29日生まれ。風早公長の子。享保12年正三位にすすみ、元文4年(1739)参議となる。寛保3年従二位。宝暦3年7月19日死去。63歳。

風早 実種 (かざはや さねたね)

(1632~1711)江戸時代前期~中期の公ぎょう、香道家。寛永9年8月17日生まれ。姉小路公景の次男。風早家の祖。千宗たんに茶をまなび、かたわら鳥丸光広に師事して香の奥義をきわめ、風早流をおこした。正二位、権中納言。宝永7年12月24日死去。79歳。通称は三位。

葛西 晴信 (かさい はるのぶ)

(生没年不詳)戦国~織豊時代の武将。葛西晴胤の子。陸奥登米郡(宮城県)寺池城主。伊達氏とむすんで元亀2年(1571)、天正元年(1573)の2度大崎義隆をやぶる。豊臣秀吉の小田原攻めには領内情勢が不安定なため参加せず、所領を没収された。初名は信清。法名は知山。

葛西 晴たね (かさい はるたね)

(1493~1551)戦国時代の武将。明応2年生まれ。伊達たね宗の子。葛西晴重の跡をつぐ。天文5年陸奥石巻(宮城県)日和山城から登米郡寺池城に本拠をうつす。18年足利義晴から「晴」の一字を拝領。天文20年10月20日死去。59歳。幼名は牛猿丸。初名は高信。法名は律蓮。

葛西 清貞 (かさい きよさだ)

(?~1350)南北朝時代の武将。葛西清宗の子。陸奥石巻(宮城県)日和山城主。父とともに南朝方の北畠あき家に属し、建武3 延元元年足利尊氏を追って京都にいき、各地を転戦。あき家の死後帰国し、興国元 暦応3年あき家の弟あき信をむかえて陸奥国府攻めなどにくわわった。観応元 正平5年3月16日死去。法名は円蓮。

葛西 清宗 (かさい きよむね)

(?~1336)鎌倉~南北朝時代の武将。葛西清経の子。建武3年1月28日後醍醐天皇方として京都神楽岡で戦死した葛西江判官三郎左衛門(「梅こう論」)は清宗といわれているが、異説もある。法名は明蓮。

葛西 清重 (かさい きよしげ)

(1162~1238)鎌倉時代の武将。応保2年生まれ。豊島清光の子。葛西氏の祖。本領は下総葛西御や。元暦元年源範頼にしたがって西海の平氏追討にくわわる。文治5年(1189)奥州藤原氏攻略の際の功により奥州総奉行となり、御家人の統率にあたった。承久の乱には、幕府の重臣として軍議に参加。嘉禎4年9月14日死去。77歳。通称は三郎。法名は定蓮。

小山 政種 (おやま まさたね)

(生没年不詳)戦国~織豊時代の武将。小山秀綱の子。下野(栃木県)小山城主の父が上杉謙信に従属した際、謙信の人質となる。のち父とともに北条氏にしたがう。天正8年(1580)ごろ家督をついだとされるが、14歳で死去したという説もある。幼名は伊勢千代丸。通称は小四郎。