いたずらが過ぎて

暑い夏を越えて活動しやすくなったのか、部屋を散歩中に何でもかじるので目が離せません。あまりにいたずらが過ぎるので、しばらく1部屋出入り禁止になりました。
うらめしそうに隙間から眺める「うさ」がまたかわいい
うさ

金沢検定申し込み4208人

今月19日に実施される第2回「金沢検定試験」の受験申し込み数が、昨年より401人増え4208人であったようだ。県外からの申し込みは北は秋田から、南は広島までの16都府県から308人。昨年から大幅に増えた。
昨年の合格率は初級が5.6%、中級が2.2%。今年初実施となる上級試験は、中級の合格者15人全員が挑戦するようだ。この国家試験並みの合格率もう少しなんとかならんものかの?まずは初級から挑戦しましょうか。

功名が辻 長浜探訪

賤ヶ岳古戦場 頂上から余呉湖を望む
賤ヶ岳古戦場 賤ヶ岳古戦場
初めて賤ヶ岳に登りました。と言っても、麓からリフトで5分(1.5キロ)、残り300メートルを頂上まで登っただけです。天気の良い日でしたが、もや(霧?)が出ていて、遠くまではっきりとは見えませんでした。頂上からは山本山城や中川清秀陣跡も行けるようですので、次回はぜひ挑戦したいです。
唐国 山内一豊初所領の地
長浜市に行く途中で功名が辻にちなんだモニュメントを見つけたので寄りました。
北近江一豊・千代博覧会 北近江一豊・千代博覧会
北近江一豊・千代博覧会 北近江一豊・千代博覧会
長浜市では長浜城ほか2箇所で博覧会をやっていました。11月いっぱいの開催ということもあって今回はやってきたのですが、長浜城と曳山博物館はよいとして、大通寺は寺そのものが見所満載で展示物は必要ないほどでした。長浜市を出発して、浅井町姉川付近に向かいました。浅井歴史民俗資料館で下調べをしてから姉川に向かいました。姉川は水が少ないときは非常に蛇行している川なんですね。
姉川古戦場 姉川古戦場
姉川古戦場 姉川古戦場
姉川古戦場 姉川古戦場
地元の名士で浅井家の有力家臣であった三田村氏の住居があった場所とされています。住宅地の中、狭い道路を通って入らないといけないので分かりにくいですが、伝正寺敷地に入ると3方向に明らかに土塁が残っており、保存状態は良好です。三田村氏は姉川合戦のとき、横山城の城主としていたとされています。
三田村城跡(伝正寺) 三田村城跡(伝正寺)
三田村城跡から姉川を挟んで対岸に、上坂城跡がありました。現在、屋敷跡が児童公園になっており、この日もたくさんの子供たちが遊んでいました。普段地元の方しか通らないのでしょうね。県外ナンバーが走っているだけで何事かという目で見られてしまいました。場所はわかりにくいです。
上坂城跡 上坂城跡
予定どおりとはいきませんでしたが、充実した1日でした。

日本の名城 2006 七尾城山展

フォーラム七尾開催会場 日本100名城認定書
「七尾城山を愛する会」が主催する「日本の名城 2006 七尾城山展」を見てきました。文化の日に1日限りということですが、展示は七尾城の発掘状況を伝える新聞記事や日本100名城認定書、文献紹介、七尾城まつりの紹介など盛り沢山の内容でした。
まだ1度も参加したことがないのですが、七尾城まつりに関する歴史やポスターの展示もあり、ポスターを並べてあるだけでもなかなか壮観なものです。
第47回七尾城まつり 第48回七尾城まつり 第51回七尾城まつり
第52回七尾城まつり 第53回七尾城まつり 第54回七尾城まつり
第55回七尾城まつり 第56回七尾城まつり 第57回七尾城まつり
第58回七尾城まつり 第59回七尾城まつり 第60回七尾城まつり
第61回七尾城まつり 第62回七尾城まつり
七尾城山展

古本屋の遊び心

小包封筒
立派な古本を購入して郵送してもらうと、時々昔からの古本屋の中には、古い切手をごっそり貼って送ってくるところがある。一見してびっくりする枚数なのだが、本だけでなく購入者に対しての気遣いを感じられておもしろい。ちなみに今回の封筒は、長野県の「ほその書店」様です。これだけ貼ってありますが650円分でしかありません。

金沢城大学 第3回「宝暦・文化の大火と城の再建」

金沢城大学
金沢城は大火によって、政務の中核だった二の丸御殿を何度か再建しています。宝暦の大火(1759年)と文化の大火(1808年)の2回ですが、その後の再建段階を追っていくと加賀藩の財政の状態や城下町の様子がよく分かるそうです。そして、天守閣を失った本丸の機能はこの頃には完全に停止していて、二の丸に至る三御門、つまり、石川門、河北門、橋爪門が関としての重要な意味を持ってくるのです。
石川県では、現在河北門の復元を進めています。将来的には橋爪門も復元して、最終的な目標である二の丸御殿の復元につなげたいのですが、三御門と言っても、石川門・河北門と橋爪門とでは格に違いがあります。石川門と河北門は三ノ丸に入る門、ここで従者は半分になり、橋爪門から二の丸に入るという具合です。将来的にはぜひこの辺りが分かるように復元してほしいものです。