日本100名城スタンプラリー 津山城

今回は100名城の旅です。一週間で10箇所以上訪問します。
日本100名城スタンプラリー 津山城
スタンプの図柄は天守台と復元された備中櫓を空中より俯瞰したものですが、当然ながら同じ角度では見ることできません。
日本100名城スタンプラリー 津山城
日本100名城スタンプラリー 津山城
実際には備中櫓、土塀に続く天守台を囲む回りの郭には転落防止用の柵紐が設置されているのですが、そこまでは・・・さすがに省略してありますね。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 安芸高田

最初の津山からかなり予定をオーバーしてしまい、急いで安芸高田市へ移動しました。さらに、まだ平成の合併前に一度訪れたことがありましたが、道路標識が変わっていて道に迷ってしまいました。
吉田歴史民俗資料館
なんとか資料館の閉館には間に合いました。資料館には毛利氏に関する資料や付近の城跡に関する遺物が豊富に展示されており、次回はもっとゆっくり鑑賞したいものです。
すでにあたりは薄暗くなってきていましたが、石碑や一族の墓を見てきました。今回は残念ながら本丸などは見学できませんでした。
郡山城
郡山城
郡山城
郡山城
郡山城
前回訪れた際に整備中であった公園はまだ整備途中でしたが、新設された駐車場には「日本百名城 郡山城」の記念碑が設置され、石碑越しに郡山城の山を入れて写真を撮ることができます。
もともとある上に紹介している「史蹟郡山城址」の石碑は入口に立っているものの、城跡とは向かい合って立っている関係で、石碑と城跡を両方入れて写真に撮ることができなかったので、今後は上記写真のほうがよく使われるかもしれませんね。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 津山

本日より九州方面へ長期旅行です。早朝に出発して順調に車をとばして来たものの、最初の目的地津山に到着したのは、もう昼近くでした。今回の旅は悪天候の予報がないので良い旅になりそうですが、今日は予想外に暑いです。
まずは城下町を見学です。津山城の東に位置する「上之町」「中之町」「西新町」には昔ながらの町並みが残っているのですが、城下町の道というのはまっすぐでなく、また狭いのです。
「作州城東屋敷」にやってきました。ここは町屋施設が残されているのですが、石碑の向こうに見えるのはだんじり展示館です。
作州城東屋敷
街道沿いにしめ縄が貼られていたので何かと思いましたが、今日の午後から秋祭りで、ちょうどだんじりが各町会に出されていました。ということで、だんじり展示館の中は当然空です。
だんじり
こちらが町屋施設ですが、映画寅さんシリーズ最終作はこの付近で撮影がされたそうなので、その時の写真と、建物横に記念碑が建てられていました。
作州城東屋敷
城下出雲街道の町並みです。雰囲気がありますが、自動車が頻繁に走ります。
出雲街道沿いの町並み
津山城です。最初の写真は鶴山館越しに見る備中櫓です。鶴山館は津山藩の文学校の建物で、裏にはちょっとした動物園があります。
津山城 鶴山館
最近復元された備中櫓です。前回は工事の真っ最中で、復元後初めてやってきました。津山城には城郭建築が残っていないので、一つでも復元されるとやはり見ていてもいいです。
津山城 備中櫓
津山城 備中櫓
城郭の櫓は板張りが多いのですが、ここは畳敷きが基本のようです。史実では確認していませんが、実際はどうだったのでしょうか?
津山城 備中櫓
津山城 備中櫓
津山城 備中櫓
2階には登ることができ、上段の間(1段高い一角)が用意されていましたが、特に窓が開放されるわけでもなく、用途はよくわかりません。
津山城 備中櫓
備中櫓と一緒に土塀の一部が復元されています。
津山城 備中櫓
今日は晴天だったので、天守台からの眺めは最高でした。天守台の回りでは今でも発掘調査が続いていました。この天守台に登ると、往時の天守の大きさが偲ばれます。
津山城 天守台

「WindowsVista」の次は「Windows7」なのはなぜか?

今週、マイクロソフトからVistaの次のOSの名称が「Windows7」に決まったと発表があった。「7」って何から数えてなのか?と疑問を持つ人も多いでしょう。
Windowsの1番目は「Windows1.0」、2番目は「Windows2.0」、3番目は「Windows3.0」となる。ここまでは私も理解していたが、次は「WindowsNT4.0」が「4」だと思っていたら、どうも「WindowsNT4.0」は「WindowsNT3.51」などとともに「3.1」となるらしい。この「3.1」とはコードバージョンと言われるもので、アプリケーションの互換性にとても影響する。
Windows7までのOSとコードバージョンの経緯は以下のとおり。
OSの名称 (コードバージョン)
Windows 1.0 (1.0)
Windows 2.0 (2.0)
Windows 3.0 (3.0)
Windows NT (3.1)
Windows 95 (4.0)
Windows 98 (4.0.1998)
Windows 98 SE (4.10.2222)
Windows Me (4.90.3000)
Windows 2000 (5.0)
Windows XP (5.1)
Windows Vista (6.0)
こう見ると、Windows3.0まではOS名とコードバージョンが一致している。その後、Windows95以降はわかりやすく発売年度を冠した「Windows95」「Windows98」「Windows2000」(発売はMeより先)が続き、最近は年度だと時間とともに古さを感じさせるということか「WindowsMe」「WindowsXP」「WindowsVista」と独自名称が多かった。
さて、WindowsVistaのコードバージョンが「6.0」であるため、次のOSは「Windows7」となったようではあるが、実際のコードバージョンは「6.1」。コードバージョンとの違いから「Windows7.0」とはならなかったようであるが、それじゃその次が本当の「Windows7」ではないか!と思ってしまう。
コードバージョンは先に書いたとおり、アプリケーションの互換性にとても影響する。「WindowsXP」発売当時、見た目は大きく変わったものの、「Windows2000」との互換性を重視して、コードバージョンは「5.1」となっていた。VistaでXPのアプリケーションが動作しないものが、2000からXPの時より多かった原因もこの辺りが影響しているのであろう。
コードバージョンを見ると、大きくWindowsのOSの世代が分かるのである。
第1世代 Windows 1.0
第2世代 Windows 2.0
第3世代 Windows 3.0、Windows NT 3.51、Windows NT 4.0
第4世代 Windows 95、Windows 98、Windows 98 SE、Windows Me
第5世代 Windows 2000、Windows XP
第6世代 Windows Vista、Windows 7

シンポジウム「中世都市と職人」

連休中日である今日は、先週に引き続き七尾で開催されるシンポジウムに行きました。
今年は能登畠山家創立600年事業として様々なイベントが開催されています。先週は冷泉家に関する一般向けシンポジウムで、非常に大勢の参加者が来ていましたが、今日は中世の都市に関する学術シンポジムということで、部屋も小規模になり、参加人数も・・・・少ない。予想以上に少ない。
シンポジウム「中世都市と職人」
シンポジウム「中世都市と職人」
シンポジウム「中世都市と職人」
全国の中世都市の状況を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の小野正敏氏より発表があり、続けて七尾、堺、豊後府内、博多と最新の発掘調査の状況について発表がありました。最後は再び小野氏によって総括されました。
各地の発掘調査によると15世紀半ばまでに成立していた都市や城下町では職人(商人)はまばらに存在し、固まって○○町などを形成することはなかったようです。また、職人は自分で作った物を自分で売っていたので商品でもあったという、職域が未分化な世界でありました。話の中では、中世の物価の話があり、とても興味深く聞きました。たとえば、発掘調査では大量に発見される「かわらけ」ですが、当時の物価で1文、大工の日当が100文といいますから、あまり高くないですね。発掘調査では「こんなに大量に見つかりました!」って物珍しそうに発表されますが、今度から見方が変わりそうです。
ちなみに、茶を飲む天目茶碗は8000文、茶の湯釜が2000文といいますから、高いものは高いですね。
能登畠山氏と能登の美術
シンポジウム終了後、七尾美術館で開催中の「能登畠山氏と能登の美術」展を見てきました。

記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」

今日は能登畠山家創立600年事業の記念講演・シンポジウムとして「能登畠山氏と文芸の世界」が七尾市サンライフプラザで開催されました。
講演会は午後からだったので、その前に連動して開催中の特別展「能登畠山氏と文芸の世界」を見に七尾城史資料館へ行きました。関係展示はほんの数点でしたが、ここ数年の城下町遺跡の遺物展示が増えていました。
記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」
記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」
講演会は、「冷泉家の歴史の文化」と題して、冷泉家25代当主の冷泉為人氏による、冷泉家の歴史と現状に関する内容でした。
記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」
シンポジウムは和歌、連歌、猿楽という文化の視点から能登における畠山氏の役割に関するものでした。
記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」
今まであまり公家には関心がなかったので知らないことばかりでしたが、冷泉家は私が住む津幡町と非常に関係が深いのです。津幡には、能登畠山氏と関係が深く七尾を3回も訪れた6代為広の顕彰碑が津幡小学校にあり、その孫の娘が嫁に来た鳥越弘願寺も津幡川沿いにあります。知らない世界はなかなか興味深い世界でした。

月見光路

金沢城に隣接する広坂緑地などでは、今日から金沢工大生が竹や紙で作った明かりのオブジェが夜を彩る「月見光路」イベントが始まりました。
明るいうちに撮った写真と暗くなってからのライトアップ写真を比べてご覧ください。明かりのオブジェの向こうにライトアップされた本丸高石垣が幻想的です。
月見光路
月見光路
月見光路
月見光路
月見光路
月見光路
他に、四高記念館や21世紀美術館の前も明かりのオブジェで飾られ、建物のライトアップとともに非常にきれいでした。木曜日の今日は初日ということもあってか、人もまばらでした。週末の明日は大勢の人出でしょうね。
月見光路
月見光路
金沢城のライトアップは通常のライトアップと変わりませんでしたが、橋爪門前の堀は日中に清掃したおかげで水面にきれいに映り込んでいました。
月見光路

金沢城河北門復元のいま

秋晴れのなか、今日の夜からライトアップイベントが始まるということで、朝その準備の様子と河北門復元の現状を確認するために、金沢城へ赴きました。
金沢城河北門復元
金沢城二の門の囲いにはかなり屋根が掛けられてきました。
金沢城河北門復元
二の門入口の木工事は少し進んだようですが・・・
金沢城河北門復元
今のメイン工事は一の門横のニラミ台櫓石垣ですね。急ピッチで石垣が積まれ、行く度に段数が高くなります。
金沢城河北門復元
また、石川門二の門はすっかりと足場に囲まれていました。
金沢城石川門修復
金沢城石川門修復
今日は城内で珍しい光景を見ることができました。これから始まる本格的な行楽シーズンに向けて、城内の堀の清掃作業と石垣の除草作業を見ることができました。ロープ1本で石垣を下りながら草を取る作業は見ていても大変そうでした。滑るので数日晴れた日でないとできないのでしょうね。
金沢城
金沢城