江戸城外堀跡 四谷御門外町屋跡 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書4-2

四谷御門外町屋跡
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1996年3月30日
ページ数:カラー図版10P+280P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「今回調査を行った江戸城外堀跡四谷御門外町屋跡は、四谷一丁目先に所在する。JR四ッ谷駅の西側、新宿通りと外堀通りとの交差点からさらに北よりに位置する。当該地は、「御府内沿革図書」によると、四谷御門の西側橋詰に位置し当時の町屋部分に相当するものと推測される。寛永十三年(1636)に江戸城外郭工事竣工40年後の延宝年中之形によると麹町十一丁目、四谷傳馬町一丁目として記され、既に町屋として形成されていることが窺える。」
続きを読む 江戸城外堀跡 四谷御門外町屋跡 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書4-2

溜池遺跡 第Ⅰ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書7-1

溜池遺跡 第Ⅰ分冊
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1997年3月21日
ページ数:カラー図版3P+389P+付図2枚
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「今回調査を行った遺跡は、千代田区永田町二丁目と港区赤坂一・二丁目に所在する南北約620mもの長大なものとなる。このうち、北端は現在の日枝神社下のキャピトル東急ホテル前にあたり、南端は東京全日空ホテル前付近となる。この調査範囲は、外濠通りを南北に横切る道路下となる。溜池の谷は、近世まで水をたたえた池あるいは河川となっていたことが判明したが、現在は埋め立てられ、外濠通りが走っている。すなわち、調査地点は旧溜池をちょうど横断する形となっており、遺跡の破壊されている外濠通りを境として千代田区側と港区側に分断されるため、本書では溜池北岸域と同南岸域という記載により報告する。」
続きを読む 溜池遺跡 第Ⅰ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書7-1

溜池遺跡 第Ⅱ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書7-2

溜池遺跡 第Ⅱ分冊
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1997年3月21日
ページ数:カラー図版1P+304P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
東京地下鉄の溜池駅周辺の調査二分冊の二冊目
続きを読む 溜池遺跡 第Ⅱ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書7-2

国指定諏訪原城跡 保存管理計画策定報告書並に付図

諏訪原城跡保存管理計画策定報告書
編集・発行:静岡県金谷町教育委員会
発行日:1993年3月
ページ数:59P(図版17P含む)+大判付図2枚
定価:不明
オススメ度:★★★★☆
「諏訪原城は天正10年武田信玄の子勝頼が築城家として名高い馬場美濃守信房に命じ縄張りさせた戦国時代の山城とされています。この城は、城の前面を馬出しで固めた武田流の基本的な形が比較的良好な状態で残存し、その歴史的な価値は高く評価されております。この史跡は、昭和50年11月25日国の史跡として指定されましたが指定地内は殆どが民有地であり、中には茶畑にして生活の一助としているところもいくつかあり、保存管理を進めていく上で困難な状況下にあります。こうした状況の中において、平成3年土に地権者のご理解をいただき指定地内の一部を公有化することができました。これを機会に文化庁・県教育委員会の助成と指導もあり、このたび、「諏訪原城跡保存管理計画」を策定することとなりました。」

書評:
付図が大きくて諏訪原城の縄張りの隅々までよく分かる。
続きを読む 国指定諏訪原城跡 保存管理計画策定報告書並に付図

あしど 楢葉町歴史資料館 開館20周年記念誌

あしど 楢葉町歴史資料館開館20周年記念誌
編集・発行:楢葉町歴史資料館
発行日:2007年3月
ページ数:22P
定価:不明
オススメ度:★★☆☆☆
「楢葉町歴史資料館は昭和61年7月1日に開館しました。ここに20周年を記念し歴史資料館の歩みを収録した記念冊子を刊行することになりました。」
続きを読む あしど 楢葉町歴史資料館 開館20周年記念誌

シンポジウム 秩父平氏 畠山重忠とその時代

シンポジウム秩父平氏畠山重忠とその時代
編集・発行:中世文化財を活用した地域連携事業実行委員会
発行日:2010年1月23日
ページ数:95P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「畠山重忠は埼玉県を代表する人物です。板東平氏の内、秩父氏の出身で、源頼朝に仕え大功がありました。その事績の一端は「吾妻鏡」に記されていますが、42歳の時に北条氏に謀殺され一族が絶えたため、遺品が極めて少なく関連文書も多く遺されていません。しかし、文献史学の分野では他の断片的な史料を綜合する綿密な研究法によって嵐山町内で起こった大蔵合戦や河越氏の研究、武蔵国留守所惣検校職の実態追究などによって畠山重忠をめぐる歴史研究は大いに進展しつつあります。また、考古学においては重忠に直接関わる発見は少ないものの、埼玉県下において中世前期の館跡・寺院跡・生産遺跡などが調査された結果、武蔵武士の実生活や信仰、館内における生業についても少しずつ明らかになりつつあります。」
続きを読む シンポジウム 秩父平氏 畠山重忠とその時代

第5回北日本近世城郭研究会 神指城跡と東北地方諸城の様相

神指城と東北地方諸城の様相
編集・発行:北日本近世城郭検討会
発行日:2011年1月30日
ページ数:78P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「会津若松市に所在する神指城跡は、この築城が慶長5年の徳川家康の会津征伐の契機となり関ヶ原の戦いが起き、この結果によりこの後260年にわたる徳川政権の確立にかかる、日本の歴史に関係する遺跡です。平成21年に神指城跡に試掘調査が行われ、築城途中で中断されたままで残り、そのため築城方法が考古学的に証明でき、きわめて貴重な城であることがわかり、遺跡全体の現状保存の方針が示されました。この調査で明らかになった神指城の築城方法や、この遺跡の重要性を多くの方々に認識いただくとともに、この時期に築城された東北地方各地の城跡について検討するものです。」
続きを読む 第5回北日本近世城郭研究会 神指城跡と東北地方諸城の様相

管生城址 県営畑帯総合整備事業(担い手支援型)管生地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書

管生城埋蔵文化財発掘調査報告書
編集・発行:常総市教育委員会
発行日:2007年3月31日
ページ数:カラー図版2P+52P+図版21P+附図1枚
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「菅生城は、沼沢地に突き出た半島状の台地を横堀で分断し、直線的に曲輪を配置した連郭式の丘城と判断される。同様の地形が多い茨城県南部では比較的よくみられる城郭形態であるが、戦国時代末期の天正期に後北条氏の影響下で増強・改築が行われ、最終の縄張りが整えられたと考えられる。天正期の城郭主要部の範囲は東西方向約350m、南北方向約200m、城郭主要部の西側には外郭部と思われる平坦地が別雷神社まで約400m続き、谷津で囲われた台地の全面、東西方向約750m、南北方向約300mを城域として取り込んだ広大な城郭であったと推測される。」

書評:
武田氏に対する後北条氏の最前線の城のひとつであった管生城の本格的発掘調査。
続きを読む 管生城址 県営畑帯総合整備事業(担い手支援型)管生地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書

史跡滝山城跡内便所改築事業報告書 便所改築に伴う史跡滝山城跡の確認調査

史跡滝山城跡内便所改築事業報告書
発行:東京都建設局西部公園緑地事務所
発行日:1997年3月31日
ページ数:32P+図版14P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「検出された遺構・遺物は共に僅少であったが、丘陵尾根部のローム層を削平し、埋め立てを行って平坦にした当時の生活面がやや硬化した層として確認され、さらに版築された土塁の一部が明瞭に確認されたことは、現在までに数度の試掘調査は行われてはいるが、本格的に調査されていない滝山城跡において、今後においても調査は多く望めない状況下でもあり、非常に有意義な確認調査であったといえるであろう。」
続きを読む 史跡滝山城跡内便所改築事業報告書 便所改築に伴う史跡滝山城跡の確認調査