小梨城跡発掘調査報告書 -広島県竹原市小梨町北谷平所在遺跡-

小梨城跡発掘調査報告書 -広島県竹原市小梨町北谷平所在遺跡-
編集・発行:小梨城跡発掘調査団
発行日:1978年3月31日
ページ数:35P+図版8P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「小梨城跡は広島県竹原市小梨町字北谷平に所在し、竹原小早川氏の一族、小梨子氏の居城した中世山城跡である。昭和46年、筆者の調査により、小梨城跡が存在する位置が確認され、空堀や郭のあることも明らかにされていた。昭和50年に小梨城跡の所在する丘陵一帯を削平してブドウ園として開発する計画がたてられ、広島県教育委員会事務局文化財保護室の職員により、現地調査が行われた結果、半島状丘陵の先端部を削平して2、3の郭を設け、背後に空堀を設定した中世山城跡が、ブドウ園造成予定地内にあることが確認された。その後関係者の間で小梨城跡の調査について種々協議を行い、国の補助金を得て農地造成工事着工前に発掘調査を行い、記録を保存することにした。調査は、小梨城跡発掘調査団を編成し、広島県教育委員会文化課の援助を得て発掘調査を行った。」
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史跡備中松山城跡保存管理計画策定報告書

史跡備中松山城跡保存管理計画策定報告書
編集・発行:高梁市教育委員会
発行日:1992年3月
ページ数:130P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「備中松山城の約750年間の歴史は、日本の歴史の動きにつれて波乱を極めており、それぞれの時代の必要と役割りによって、城というものの内容や意味をいくたびか変えています。すなわち、大松山の城だけ意味した時代、大松山と小松山とを連ねたものを意味した時代、臥牛山全体にわたる城や砦を意味した時代、小松山の城だけを意味した時代といった具合です。この史跡備中松山城跡は、高梁市にとどまらず、日本の城郭史上の貴重な存在であり、大切な文化財でありますので、立派に保存・活用し後世に残すことは、我々の使命であると考えます。そうしたなかで、史跡備中松山城跡をどのように保存し、活用していくかという問題を、今回の事業により方向づけていただいたことは、誠に意義深く感謝にたえません。」

書評:
備中松山城の整備計画をまとめた報告書ですが、当時の現状が史跡範囲遺構図や写真からよく分かります。当城に関する古文献も収録されており、貴重な資料となっています。
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串崎城跡 山口県下関市長府宮崎町地内串崎城跡発掘調査報告書 下関市埋蔵文化財調査報告書52・53・64・67・80

串崎城跡 山口県下関市長府宮崎町地内串崎城跡発掘調査報告書 下関市埋蔵文化財調査報告書52・53・64・67・80
編集・発行:下関市教育委員会
発行日:2004年3月
ページ数:27P+図面23P+図版22P
定価:3,400円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
「串崎城は江戸時代のはじめ、長府毛利藩主毛利秀元が大内氏の家臣である長門守護代内藤氏によって築城された城を修築したものと言われています。秀元は入城後ほどなく、元和元年(1615)の一国一城令により城を自らの手で破却させられ、その後は再建することもなく現在に至りました。昭和61年、地元住民から串崎城再建の要望があり、翌昭和62年には長府観光協会からも城復元の要望書が提出されるなど、串崎城再建に対する地元の気運が高まりました。これを受け、下関市では昭和62年度から串崎城跡の文献等の史料調査や石垣や縄張りの現地踏査を開始し、平成2年度には天守台の発掘調査を実施しました。この間、下関市では検討を重ね串崎城再建を模索しましたが、最終的には天守の石垣の整備を行うにとどめ、城再建は見送ることになりました。その後、平成8年度からは公園整備に伴う事前調査として平成11年度まで調査を実施し、このたび、平成2年度以来6次にわたる調査の成果をまとめることができました。」

串崎城跡に関する発掘調査と文献調査をまとめた合冊です。付図は大判の現況図で遺構の様子がよくわかります。
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特別史跡 姫路城跡Ⅱ -兵庫県立姫路東高校プール改築などに伴う発掘調査報告- 兵庫県文化財調査報告第42冊

特別史跡 姫路城跡Ⅱ -兵庫県立姫路東高校プール改築などに伴う発掘調査報告- 兵庫県文化財調査報告第42冊
発行:兵庫県文化協会
発行日:1987年4月1日
ページ数:54P+図版32P
編集:兵庫県教育委員会
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「本書は、姫路市本町68の兵庫県立姫路東高等学校プール改築などに伴う埋蔵文化財調査の調査報告書である。本書を『特別史跡姫路城跡Ⅱ』としたのは、姫路城跡が広大な面積を有しているため、今後とも調査が実施され同名の報告書が刊行されることが予想されるからである。兵庫県立歴史博物館発行の『特別史跡姫路城跡』をⅠとし、本書をⅡとして通し番号を与えることにする。」
本調査では池田時代の侍屋敷跡の遺構が発見されている。

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城山城 新宮町文化財調査報告10

城山城 新宮町文化財調査報告10
発行:兵庫県揖保郡新宮町教育委員会
発行日:1988年3月31日
ページ数:72P+図版7P
編集:城山城調査団
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「城山城址、それは新宮町と龍野市の山境に聳える要害堅固の山頂部にあります。揖保川流域から西を仰ぐと、鶏籠山を頭に、北へ『寝釈迦』の姿に見える屋根続きの腹に部分に当る頂上の平坦地が城山城址になります。今を遡ること約550年、嘉吉の乱で知られる赤松満祐が、室町幕府六代将軍足利義教を暗殺して立籠った山城で、追討の山名氏の軍勢に攻略された悲劇の歴史があります。昭和57年以来、斯界の権威者による考古学的調査が進められ、遺構の確認、採集された遺物の検証等によって古代山城の可能性が強まってきました。」

「発掘調査」ではなく「文化財調査」ということで、伝説や周辺の字(地名)、歴史など総合的な調査書となっています。遺構や遺物の図版は、この時代には珍しくカラーです。
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史跡広島城跡 二の丸第二次発掘調査報告 広島市の文化財第44集

史跡広島城跡 二の丸第二次発掘調査報告 広島市の文化財第44集
編集:発行:広島市教育委員会社会教育部管理課
発行日:1989年3月
ページ数:39P+図版10P+折込付図1枚
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「広島市では、広島の歩んできた歴史を知る貴重な財産である史跡広島城跡を、将来にわたってよりよい姿で継承していくために、保存管理計画の策定にひきつづき、整備基本計画をまとめてまいりました。平成元年度からは、史跡広島城跡二の丸表御門の復元、御門橋の改修に着手することとなり、いよいよ城跡整備がスタートいたします。発掘調査は、この計画を推進するための基礎資料を得る目的で、昭和62年度から実施してきたものです。発掘調査の結果、昭和62年度には、表御門及び平・多聞・太鼓の各櫓の礎石を確認しました。また、昭和63年度においては、馬屋跡、番所跡の礎石及び井戸の遺構を確認することができるなど、二年度にわたる発掘調査によって、藩政時代の二の丸内に所在した建物などの規模、位置が、ほぼ明らかになりました。」
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史跡広島城跡 二の丸第一次発掘調査報告 広島市の文化財第42集

史跡広島城跡 二の丸第一次発掘調査報告 広島市の文化財第42集
編集:発行:広島市教育委員会社会教育部管理課
発行日:1988年3月
ページ数:31P+図版10P+付図1枚
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「昭和64年、広島城は築城400年を迎えます。また、この年は広島市が市制を施行して、100周年にあたる年でもあります。この記念すべき年に、史跡広島城跡保存管理計画の策定並びに整備基本計画の策定等、着々とその準備を進めているところです。今回の二の丸発掘調査は、史跡広島城跡の保存・整備に向けて、城内の遺構の保存状態を把握すると同時に、城跡の保存・整備のあり方、方策等を検討するための基礎資料を得ることを目的として実施したものです。発掘当初、城内の数多くの遺構は明治以後の時代の変化の過程で壊されているのではないかと考えられていましたが、今回の調査によって、藩政時代に二の丸に建っていた表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓の四棟の遺構を確認することができました。また、出土品の中には、従来不明であった二の丸の築かれた時期を示唆する陶磁器類も含まれるなど、大きな成果を収めることができました。」
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岡山城二の丸跡 中国電力内山下変電所建設に伴う調査報告

岡山城二の丸跡 中国電力内山下変電所建設に伴う調査報告
編集・発行:中国電力内山下変電所、建設事業埋蔵文化財調査委員会
発行日:1998年3月初版
ページ数:カラー図版8P+237P(図版55P含む)
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
「中国電力内山下変電所は岡山城本丸の南西に位置する大手門の東に所在しますが、この場所は緒山城二の丸にあたり、かつては家老や番頭の一部など上級藩士の屋敷が建ち並ぶところであり、『岡山城下町絵図』等によれば、当地は岡山藩第3家老の池田伊賀守の上屋敷を構えた土地で、内でも当発掘区はその北西隅にあたるところであります。このたび、中国電力内山下変電所を新築することになったため、岡山市教育委員会では工事に先立って平成5年11月と平成6年2月の2回確認調査をを実施し、その結果、中国電力株式会社、岡山県教育委員会、岡山市教育委員会の三者による調査委員会を組織して、平成6年8月から発掘調査を実施しました。
 調査の結果、近世と中世の遺構を検出しました。近世は承応3年(1654)の洪水砂を基準にして4時期に大別され、古くは宇喜多氏による初期城下町整備に伴う遺構、家老池田伊賀守の屋敷遺構、新しくは幕末から昭和期の遺構まで、安土桃山時代から太平洋戦争直前にまでおよぶ各時期の遺構を検出しました。」

書評:
ところどころにカラーの写真や図版が挿入されページ数以上に(紙質のため)分厚い報告書となっている。大半は遺物の写真であるが、なかなか興味深い出土物もあるので、岡山城を研究するときは一読されるとよいでしょう。
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