江戸城外堀跡 市谷御門外橋詰・御堀端 第Ⅰ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書5-1

市谷御門外橋詰・御堀端
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1996年3月31日
ページ数:カラー図版4P+228P+図版36P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「本調査は地下鉄7号線建設第二工事(溜池・駒込間)に伴う事前調査として、市ヶ谷駅舎地点を平成3年5月から、外濠公園換気室地点を平成4年9月から、牛込濠換気室地点を平成5年3月から、地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会が実施した。発掘調査を実施した地点は、市ヶ谷駅舎地点が江戸城外堀の市谷御門外橋詰の石垣と外濠の土手に、外濠公園換気室地点・牛込濠換気室地点も、同じく外堀の土手にあたる。」
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江戸城外堀跡 市谷御門外橋詰・御堀端 第Ⅱ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書5-2

市谷御門外橋詰・御堀端
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1997年2月10日
ページ数:490P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
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江戸城外堀跡 四谷御門外橋詰・御堀端通・町屋跡 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書4-1

四谷御門外橋詰・御堀端通・町屋跡
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1996年3月30日
ページ数:カラー図版2P+328P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「今回調査を行った遺跡は、新宿区四谷一丁目先に所在する。当該地は、「御府内沿革図書」によると、四谷御門の西側橋詰に位置し、当時の橋詰、御堀端通および町屋跡に相当するものと推測する。」
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江戸城外堀跡 四谷御門外橋詰・御堀端通・町屋跡<考察編> 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書4-3

四谷御門外橋詰・御堀端通・町屋跡
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1997年3月31日
ページ数:カラー図版7P+393P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「今回発掘調査を行った江戸城外堀跡四谷御門外橋詰・御堀端通・町屋跡の遺跡は、武蔵野台地の東端に位置し、標高は約28.00mから約29.00mを測る。検出された遺構・遺物は、江戸時代のものであるため、本稿では江戸時代の遺構・遺物を中心に述べることとする。」
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江戸城外堀跡 四谷御門外町屋跡 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書4-2

四谷御門外町屋跡
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1996年3月30日
ページ数:カラー図版10P+280P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「今回調査を行った江戸城外堀跡四谷御門外町屋跡は、四谷一丁目先に所在する。JR四ッ谷駅の西側、新宿通りと外堀通りとの交差点からさらに北よりに位置する。当該地は、「御府内沿革図書」によると、四谷御門の西側橋詰に位置し当時の町屋部分に相当するものと推測される。寛永十三年(1636)に江戸城外郭工事竣工40年後の延宝年中之形によると麹町十一丁目、四谷傳馬町一丁目として記され、既に町屋として形成されていることが窺える。」
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溜池遺跡 第Ⅰ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書7-1

溜池遺跡 第Ⅰ分冊
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1997年3月21日
ページ数:カラー図版3P+389P+付図2枚
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「今回調査を行った遺跡は、千代田区永田町二丁目と港区赤坂一・二丁目に所在する南北約620mもの長大なものとなる。このうち、北端は現在の日枝神社下のキャピトル東急ホテル前にあたり、南端は東京全日空ホテル前付近となる。この調査範囲は、外濠通りを南北に横切る道路下となる。溜池の谷は、近世まで水をたたえた池あるいは河川となっていたことが判明したが、現在は埋め立てられ、外濠通りが走っている。すなわち、調査地点は旧溜池をちょうど横断する形となっており、遺跡の破壊されている外濠通りを境として千代田区側と港区側に分断されるため、本書では溜池北岸域と同南岸域という記載により報告する。」
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溜池遺跡 第Ⅱ分冊 地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡発掘調査報告書7-2

溜池遺跡 第Ⅱ分冊
編集:地下鉄7号線溜池・駒込間遺跡調査会
発行:帝都高速度交通営団
発行日:1997年3月21日
ページ数:カラー図版1P+304P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
東京地下鉄の溜池駅周辺の調査二分冊の二冊目
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管生城址 県営畑帯総合整備事業(担い手支援型)管生地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書

管生城埋蔵文化財発掘調査報告書
編集・発行:常総市教育委員会
発行日:2007年3月31日
ページ数:カラー図版2P+52P+図版21P+附図1枚
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「菅生城は、沼沢地に突き出た半島状の台地を横堀で分断し、直線的に曲輪を配置した連郭式の丘城と判断される。同様の地形が多い茨城県南部では比較的よくみられる城郭形態であるが、戦国時代末期の天正期に後北条氏の影響下で増強・改築が行われ、最終の縄張りが整えられたと考えられる。天正期の城郭主要部の範囲は東西方向約350m、南北方向約200m、城郭主要部の西側には外郭部と思われる平坦地が別雷神社まで約400m続き、谷津で囲われた台地の全面、東西方向約750m、南北方向約300mを城域として取り込んだ広大な城郭であったと推測される。」

書評:
武田氏に対する後北条氏の最前線の城のひとつであった管生城の本格的発掘調査。
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史跡滝山城跡内便所改築事業報告書 便所改築に伴う史跡滝山城跡の確認調査

史跡滝山城跡内便所改築事業報告書
発行:東京都建設局西部公園緑地事務所
発行日:1997年3月31日
ページ数:32P+図版14P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「検出された遺構・遺物は共に僅少であったが、丘陵尾根部のローム層を削平し、埋め立てを行って平坦にした当時の生活面がやや硬化した層として確認され、さらに版築された土塁の一部が明瞭に確認されたことは、現在までに数度の試掘調査は行われてはいるが、本格的に調査されていない滝山城跡において、今後においても調査は多く望めない状況下でもあり、非常に有意義な確認調査であったといえるであろう。」
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野上塩之入遺跡 塩之入城遺跡 山間部における奈良・平安時代の集落と中世山城の調査

野上塩之入遺跡 塩之入城遺跡
編集・発行:財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行日:1991年3月25日
ページ数:カラー図版1P+134P+図版28P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書第121集
関越自動車道(上越道)地域埋蔵文化財発掘調査報告書第7集
「野上塩之入遺跡は、群馬県富岡市野上の鏑川右岸に広がる丘陵地上に所在する。間に谷地を挟んで東側のA区、西側のB区に分かれる。調査により、中近世の溝、土坑、奈良・平安時代の竪穴住居跡、炭焼窯跡、縄文時代の竪穴住居跡、土坑、先土器時代の石器等が検出された。塩之入城遺跡は、群馬県富岡市野上に所在し、野上塩之入遺跡B区から谷地を隔てて西に位置している。調査により、中世城郭跡、古墳が検出された。
塩之入城は、北西隅の平坦面を主郭部とし、南東の斜面を利用して曲輪を築いており、7カ所曲輪を確認した。主郭部からは、虎口、土塁状の高まりが検出されているが、建物跡は他の曲輪を含めて、1棟も検出されていない。頭部には浅間A軽石を含んだ土坑があり、炭化材が出土しているため、烽火台としての機能も考えられる。古墳は横穴式石室を持つ後期古墳であるが、城郭築造時に大きく削平されている。」

塩之入城は藤田氏が鏑川周辺に複数展開した城・砦のひとつ
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