二俣一夜城と戦国時代絵巻

二俣一夜城と戦国時代絵巻
昨日に続いて、また二俣城にやってきました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
今日もイベント目白押しです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
昼間に見る復元天守は夜とは違いますね。週間天気では雨が予想されていましたが、朝は何とか晴れてよかったです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
勇壮な和太鼓演奏からイベントは始まりました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
続けて居合が披露されます。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
午前の部の最後は、日本放鷹協会による放鷹術披露です。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
本丸内を颯爽と飛ぶ鷹、今は日本種ではなく、イギリスのスカイホークなどを使用するようですが、観客も参加して鷹匠がどういう訓練をしていたのかを体験しました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
昼の休憩の後は居合から始まりました。竹の居合斬りは切れないミネを使用するもので、すごい迫力でした。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
昨日以上の観客が来ていましたが、期間限定の二俣城復元にしてはもう少し人出があってもよかったと思いますね。新型インフルエンザの影響もあるのでしょうけど。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
続けて、朝から準備をしていた武者行列が始まり、
二俣一夜城と戦国時代絵巻
舞台上で徳川軍と武田軍による演劇が行われました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
続けて、長篠・設楽原鉄砲隊による火縄銃砲術演武が行われました。すでに天候がかなり怪しくなってきていましたが、順調に演武は進み、
二俣一夜城と戦国時代絵巻
三段構えの演武などもあり、
二俣一夜城と戦国時代絵巻
すべての演武を終えるまでなんとか天気は持ちました。
一通りイベントを楽しんだので、帰ろうと駐車場に向かっている途中で土砂降りとなってしまいました。後のイベントはどうなったでしょうね。しかし、わざわざこのイベントのために遠征してきて良かったです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
帰りにイベントに連動した企画展をしていた田代家に寄りました。田代家は天竜川を利用した筏問屋です。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
中では、「二俣城物語展」として、二俣城や鳥羽山城の発掘調査や小説、絵画などが部屋に所狭しと並べられていました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
中に、平成7年に初めて復元されたときの二俣城復元天守の写真がありました。今回の天守は立派だと聞こえてはいましたが、比べるまでもないですね(#^.^#)

鳥羽山城 静岡県の城館

イベントの昼休みを利用して、お隣の鳥羽山城を再訪しました。(昨日も行きましたが夕方で暗かったもので)
鳥羽山城
大手門跡に続く大手道は幅6メートルの立派なものです。
鳥羽山城
大手門など本丸のまわりは、武田軍との攻防のあとに入封した堀尾氏により石垣造りになったようです。
鳥羽山城
大手門のほかに、橋のかかった通用門と
鳥羽山城
搦手門が本丸の入口となります。
鳥羽山城
本丸はかなりの広さです。
鳥羽山城
本丸西側には腰巻石垣が長く残っています。
鳥羽山城
笹曲輪からは天竜川を挟んで和田ヶ島砦が見えます。
鳥羽山城
本丸からは二俣城は見えませんが、一段下のわんぱく広場になっている曲輪から、かろうじて二俣城が見えます。
鳥羽山城
腰曲輪を利用した駐車場には公園となっている城址の全体図があります。

二俣城 静岡県の城館

二俣城は武田軍との激戦地となった城です。また、徳川家康の嫡男信康が自害させられた城としても有名です。
二俣城
国民文化祭しずおか2009に合わせ、期間限定で復元された天守です。
二俣城
蔵屋敷跡には入ることができません。
二俣城
蔵屋敷と二の郭の間には深い堀切を見る事ができます。
二俣城
鳥羽山城側から見ると、現在は堤防になっていますが、左の天竜川に向かって、右側から川が流れていました。川の合流点の先端に山城を築いていました。

井戸櫓と信康廟

諏訪神社
ここは二俣城下の諏訪神社です。
諏訪神社
境内には本日の武者行列の主役が朝早く集合していました。
諏訪神社
神社の池に面して、隣接する清龍寺の井戸櫓が建てられています。
清龍寺 井戸櫓
二俣城には天竜川沿いに井戸櫓がありましたが、武田軍により破壊され水の手を絶たれて落城したと言われています。
この井戸櫓は近年復元されたものですが、天竜川沿いの井戸櫓はこれよりも高いものだったのでしょうね。
清龍寺
清龍寺の本堂の裏手を登ると、
信康廟
そこに徳川家康の嫡男で二俣城で自害した、岡崎三郎信康の廟があります。
信康廟
御廟前の門は先の台風で屋根瓦でも飛んだのでしょうか?ブルーシートが掛けられて少し痛々しい姿でした。

刑部砦 静岡県の城館

刑部城の近く、「刑部砦」跡です。ここは刑部城以上に探すのに苦労しました。
刑部砦
道沿いに碑があるのですが、非常に見落としやすい場所にあります。
刑部砦
正面に「史蹟」、裏に由緒が書かれていますが非常に読みにくくなっています。
犀ヶ崖で首実検をした武田信玄が三方原台地を北上して陣を構えた場所と伝わっています。
わかりにくい場所ですが、サンキューオートの隣りですので、そちらを目印に探すと良いでしょう。

刑部城 静岡県の城館

刑部城
交差点近くに立てられた「刑部(おさかべ)城址」の案内板です。ようやく探し当てました。
山城だと聞いていたのですが、
刑部城
道向いのあちらの山か?
刑部城
振り向いてあるこちらの山か?
道路建設により2つに分断されているそうなのだが、案内板でも書かれている残っている犬走や井戸跡が見たかった・・・
刑部城
こちらの山の別の面には「金襴の池」という刑部城にまつわる話がかかれた案内板もありますよ。

三方原古戦場碑やっと見つけた!

写真でよく見る画なのだが、なかなか場所が分からなかったもの
三方原古戦場碑
この「三方原古戦場」の碑です。
三方原古戦場碑
地元の観光マップにも載っていない?地元に入った後にどうしても見たくて探していると・・・
三方原古戦場碑
ありました。ここは中区の浜松市営の墓地です。
三方原古戦場碑
ちょうど管理事務所では
三方原古戦場碑
三方原合戦の貼絵展が開催中でした。

松下屋敷(頭陀寺城) 静岡県の城館

浜松駅近くに宿泊したこともあり、朝は早く出かけて松下屋敷にやってきました。
松下屋敷(頭陀寺城)
一歩通行やら細い路地が交差し、かなり迷いましたが到着です。
松下屋敷(頭陀寺城)
公園となっている屋敷跡の休憩所に由来が書かれています。
松下屋敷(頭陀寺城)
石碑には「松下嘉平次屋敷跡」と書かれています。案内板には松下嘉平次は豊臣秀吉が奉公したとあります。そういえば、秀吉は信長の草履取りになる前に松下氏に奉公していましたが、この場所がそうだとは・・・、尾張生まれの秀吉がはるばる遠江まで来たんですね。
松下屋敷(頭陀寺城)
かなり錆びた案内板ですが、屋根があるおかげで何とか読むことはできます。
松下屋敷(頭陀寺城)
絵図によると、公園のまわりの今道路になっている部分は少なくとも堀か屋敷地内だったようですね。