金沢城 石川県の城館

石川門、加賀藩の金沢城のシンボル的存在です。
金沢城
観光客は兼六園から城内に入るため、兼六園との間に架かる石川橋を渡って石川門をくぐってきます。しかし、ここは金沢城にとっては搦手門です。
小立野台地の先端部に築かれた金沢城の最大の弱点はこの台地伝いに攻められることです。そこで現在道路になっている百間掘を兼六園との間に築き、石川門を建てました。門の形式は堅固な枡形です。
金沢城
金沢城の大手口は、現在唯一の水堀、大手堀が残る尾坂門です。ここは大手らしく巨大な鏡石がいくつも配置されています。ちょうど隅石として使用されている鏡石は、その厚さを実感できる珍しい巨石です。
金沢城
尾坂門を進むと、新丸の向こうに平成13年に復元された菱櫓が見えます。本丸の天守が焼失したあと、本丸には天守代用の三階櫓が建てられましたが、建造物の高さは菱櫓のほうが高く、実質の天守としての役割を果たしました。
金沢城
新丸から三の丸に入るところに河北門があり、現在復元整備中です。
金沢城
金沢城では他にも、石川門と塀が修復中、いもり堀と鯉喉櫓台が復元整備中、玉泉院丸跡が復元整備に向けて発掘調査中と、平成26年度の北陸新幹線延伸まで復元・修復ラッシュです。

高岡城と高山右近

高岡城
高岡城の大手口に、高岡城の縄張りをしたと言われている高山右近の銅像が立っています。
高岡城
キリストの十字架を手に立つ右近はキリシタン大名として有名で、摂津高槻城の城主でした。バテレン追放令により流罪となった右近を前田利長が客賓として召抱え、利長の隠居所となった高岡城の縄張りをすることになったと伝わりますが、現在では築城期間に右近は加賀藩に滞在していなかった証拠などが見つかり、この説はかなり怪しくなっています。

高岡城 石垣の巻 富山県の城館

少し間が空きましたが、高岡城の3回目、石垣の魅力について紹介しましょう。
高岡城
二の丸から本丸に渡る土橋の両側に築城期の石垣が残っています。
高岡城
これだけの高さの石垣は高岡城ではここでしか見ることができません。
高岡城
西側は堀のほうに下りて、すぐ傍で石垣を観察することができます。
高岡城
よく見ると、刻印の残る石がたくさんあることに気が付きます。すぐに10以上は見つけることができますよ。
高岡城
東側は水堀となっていて、下りて観察することはできませんが、明の丸方面から見ることができます。
高岡城
他の郭や土橋では、水堀の水面に一段ほどの石積みが見えます。これは築城期のものか、城址公園整備のものか、詳細な現況調査が待たれます。
ここでひとつ城下にある遺構を紹介します。
大手町神明社
大手口から徒歩5分のところに、大手町神明社があります。
大手町神明社
この拝殿は、加賀藩2代藩主で高岡城を築城した前田利長の御廟の鎮守堂の遺構です。鎮守堂は明治に入って、この拝殿と本殿が五福町神明社に移築されました。後方の幣殿は後世のものです。
大手町神明社
拝殿だけではなく、後方の幣殿の金具にも前田家の剣梅鉢紋を見ることができます。

富山城 富山県の城館

内堀に映る天守が絵になる富山城ですが、元々の富山城には天守はなく、戦後城址公園で開催された博覧会に合わせて建設された模擬天守です。
富山城
模擬天守は郷土博物館となっていて、富山城の歴史について学ぶことができます。数年前にリニューアルされてから、現代的な楽しい展示となりました。一見の価値ありますよ。
この博物館を眺めながら内堀を渡る橋が、二の丸から本丸に入る大手口となります。
富山城
橋を渡ると、そこは石垣虎口となっており、右に2石、左に1石、前に2石の計5石の鏡石が配されています。この5石は陰陽道の五芒星を意味するとも言われています。
富山城
その石垣を進んで、右に折れたところに鉄御門がありました。
富山城
現在、藩政期の富山城の建造物遺構として残るのは、唯一この千歳御殿の門です。戦後民間に払い下げられていたが、平成19年度に寄贈・移築されました。
富山城
千歳御殿は10代藩主利保の隠居所として、現在の歓楽街である桜木町あたりに建てられ、移築された門は御殿の正門でした。北向きに建てられた門は晴天下では陰になって絵になりません。
富山城
本丸への搦手口を入ると、佐藤記念美術館があります。
富山城
その前には今年日本庭園が整備されました。
富山城
整備前の発掘調査でここから戦国時代の素堀の井戸が発見されました。現在は埋め立てられ、位置だけわかるようになっていました。
この発見により、今まで神保氏や佐々氏の居城した中世富山城がここにあったことが初めて考古学的に証明されました。
富山市埋蔵文化財センター 富山城研究コーナー

富山城石垣ツアー

晴天の今日、遅い夏休みを取りました。目的地はここ富山城址です。
富山市郷土博物館
目的のイベントの前に、富山市郷土博物館で開催中の企画展「梅鉢紋をさがそう」を見てきました。
富山藩主に関連する品々から、富山藩の家紋である「丁子梅鉢紋」を探すという企画です。
企画展「梅鉢紋をさがそう」
ゲーム感覚でとても面白かったです。
同じ前田家といえども、本家加賀藩は「剣梅鉢紋」、大聖寺藩は「瓜実梅鉢紋」、七日市藩は「星梅鉢紋」だそうです。ちなみに、富山藩の丁子とは植物の名前です。
富山城石垣ツアー
さて、本日の目的は「石垣ツアー」に参加することです。今年初めて開催されているこのイベントは6月から始まり、今回が4回目です。基本水曜日に開催されるイベントはサラリーマンには参加できるはずもなく、11月の祝日が唯一の機会なのですが、これがために休みを合わせました。
富山城石垣ツアー
集合場所である郷土博物館前には思っていたより大勢の人が集まっています。
富山城石垣ツアー
毎回参加しても新しい発見を!ということで、今回は城内コース(基本コース)のほかに、船橋コースが準備されていました。3分の2は常連さんみたいで船橋コースに行きましたが、自分は城内コースです。
富山城石垣ツアー
最初は、郷土博物館の隣りにある屋外展示場にある石垣石から解説が始まりました。
富山城石垣ツアー
次に、郷土博物館の土台となっている本丸石垣に残る鉄御門の貫端部加工石(部屋でいうと敷居にあたる門柱を支えるための横に敷かれる木材)。石垣の崩落による積み直しにより、本来あるべき場所とは違う場所にありますが、言われないと気付きませんね。
富山城石垣ツアー
次に本丸石垣、郷土博物館の模擬天守のちょうど下の隅石として使用されている石。陰陽道の五芒星が石いっぱいに描かれています。富山城には裏鬼門となる南東方角に2箇所残っているそうです。
富山城石垣ツアー
最後に、佐藤記念美術館の建つ本丸石垣です。北向きで日陰になるところなので、苔生して非常にわかりづらいですが、明治期に積み直している部分の石が、色や積み方が違っているのがよくわかる場所だそうです。1時間という短い時間でしたが、参加できてよかったです。今後も続けてもらえれば、富山城址の復元に一役買う存在になりそうな予感がします。

高岡城 井戸の巻 富山県の城館

今日は高岡城址に残る2つの井戸についてです。
高岡城
こちらは本丸の隅にひっそりと残っている本丸井戸です。なにげなくぶらり散歩していると、つい見逃してしまうような場所にあるので今までその存在も知りませんでした。
高岡城
高岡城
そして、三の丸にある民部之井戸です。こちらは目立つ部分にある井戸で、上屋がかかるほど重要な井戸だったようです。
高岡城
高岡城に滝があることを知っている人はどれだけいるでしょうか?
高岡城
城に滝?と思う人もいると思いますが、本丸にある射水神社の外周部、堀沿いにある道を歩くと、途中に石橋があります。この左手に・・・
高岡城
「古城の滝」があります。この滝は藩政期のものではなく、高岡古城公園の整備と同時に新造されたものです。
高岡城
その傍には太平洋戦争で掘られた防空壕の跡を見る事ができます。城に歴史あり、ですね。

高岡城 堀の巻 富山県の城館

しばらく土曜日に行ってきた高岡城を紹介します。
高岡城
高岡古城公園の石碑は大きなものが、ここ元竹薮側と三の丸搦手口の2箇所にあります。
高岡城
内堀にかかる「朝陽橋」です。藩政期はここに橋はありませんでした。この橋がなければ本丸に行くのにぐるりと回らなければいけませんが、ここを渡れば本丸に直行できます。公園整備の上では必須だったのでしょう。
高岡城
この橋から眺める堀の景色はいいものです。
高岡城
藩政期の堀がほぼそのまま残っている高岡城は、日本100名城にも選ばれていますが、古城公園整備の計画にはこの三の丸を囲む堀だけは埋めたてられる予定になっていた時期もありました。
高岡城
しかし、広い水堀の残っている城址はまさに水鳥の楽園です。
高岡城
高岡城
さまざまな水鳥がいつ来てもたくさんいます。
高岡城
堀に向けて一眼レフを向けている人がいたので、自分も覗いていると、被写体はカワセミでした。実物を見たのは初めてです。
高岡城
亀もたくさんいて、甲羅干しをしている亀も何匹かいましたが、死んだ鯉をつついている3匹の亀がなんとも微笑ましい光景でした。両側からつつけばいいのに、同じ方向からつついているので、鯉は流されてしまって、それを追いかけながら一所懸命つついている亀には、もう少し利口になれば?と思わずにはいられませんでした。

特別展「木舟城と城下」

旧福岡町内の福岡公園内にある高岡市福岡歴史民俗資料館に行ってきました。
特別展「木舟城と城下」
旧福岡町役場の建物を資料館として再利用しており、市指定文化財となっています。
特別展「木舟城と城下」
現在は高岡開町400年記念事業の一環として、特別展「木舟城と城下」が開催中です。
特別展「木舟城と城下」
チラシは昭和10年の木舟城と、杉野家文書の木舟古城図です。
特別展「木舟城と城下」
二階展示室には木舟城跡や城下町遺跡で出土した遺物や発掘調査パネル、前田利家と佐々成政の対立に関連する古文書や末森合戦の絵図などが見ごたえたっぷりに展示されていました。
特別展「木舟城と城下」
中でも注目は加賀藩十村(他地域の庄屋)であった杉野家文書のなかに発見された「木舟古城図」です。
特別展「木舟城と城下」
この絵図は木舟城の紹介で何度も見ましたが、実物を見るのは初めてです。
十村は領内を管理するために様々なことを書き留める義務があり、古城であった木舟城もその対象になっていたようです。聞いてはいましたが、実物は小さいですね。現在のメモ帳に近いものではないでしょうか?
近くの方はこの機会に、地元の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。10月11日まで開催中で、わずか一月半という短い期間なのが残念です。1時間ほどの滞在時間でしたが、地元の方が数人見に来ていました。これも昨日の講演会の宣伝効果なのか?

前田秀継公墓所

富山県小矢部市にある前田秀継の墓所へ行ってきました。
前田秀継公墓所
山の中にポツリとある、わかりにくい場所ですが、案内看板も随所にあり、すんなりと到着しました。
現在「前田秀継公記念公園」となっています。
前田秀継公墓所
奥に100メートルぐらい進むと、山の中腹に見えます。
前田秀継公墓所
そのまま階段を進もうとすると、
前田秀継公墓所
蛇に行く手を遮られました。先日一乗谷山城でも遭遇しましたが、今年は蛇によく出会います。
前田秀継公墓所
蛇がなかなか退かないので、土手道を進みます。
前田秀継公墓所
一段上がると、そこは高徳寺跡です。昭和初めまで建物があったようですが、老朽化で取り壊されたため今は何もありません。
前田秀継公墓所
門をくぐって階段を上ると、
前田秀継公墓所
そこに3基の墓が並んでいました。
前田秀継公墓所
前田秀継夫妻の墓です。3基ありますが、1基は誰のものでしょうか?
前田秀継は前田利家の末弟であり、越中の佐々成政との攻防のなかで、津幡城主から木舟城主となりました。天正13年の大地震で木舟城が倒壊し、夫婦ともに圧死し、その子利秀により、ここ高徳寺に葬られました。利秀は秀継の跡を継いで木舟城主となりましたが、再建を断念し、今石動城に移りました。高徳寺も今石動の城下に移転しましたが、秀継墓所はそのまま残ったようです。
前田秀継公墓所
墓所には麓から一直線に上る急階段もありましたが、段が傾くなどしてこちらから上るのは無理そうです。

木舟城 富山県の城館

講演会の後、久しぶりに木舟城に寄って来ました。
木舟城
何年ぶりに来たのでしょうか?まだ福岡町が高岡市と合併する前だったので、現在の看板が立てられ整備された城跡には少し驚きましたよ。
木舟城
天正13年の大地震で陥没してしまった木舟城は、そのまま廃城となってしまい、現在は小山がわずかに残るだけです。
木舟城
旧福岡町で整備されたときに設置された石碑です。数年前に範囲確認調査が行われ、地震痕などが発見されていますが、まわりの田んぼの土地改良整備のときに表土がかなり失われていたようで、わずかに残る中世の地層からいくつかの遺物が出土しています。
木舟城
道路を挟んだ向こう側にもうひとつの小山が残っています。
木舟城
そこには貴布祢神社があります。
木舟城
社殿脇にはこの辺りにあったものか墓石が集められていました。
木舟城
整備された木舟城でしたが、また天気の良い日に来ようと思います。
実性寺
その後、元木舟城下町にあった実性寺に行きました。現在はかなり離れた、道の狭い場所にありました。
実性寺
まずその大きさに圧倒されました。村の寺としては大規模な建物群です。
実性寺
城下町時代からの力の大きさを感じることができました。