金沢城 いもり堀鯉喉櫓石垣工事

今夜、街中で仕事の打ち上げがあったので、夕方早く着いたついでに、金沢城のいもり堀を見てきました。城内は18時に閉まってしまったので今日はここだけです。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓石垣工事
おーー、また一段進んでいますね。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓石垣工事
石垣前の堀も形が変わって、石垣の高さがよるわかるようになりましたが、携帯電話の写真では非常にわかりにくいので後日お楽しみに!
金沢城 いもり堀鯉喉櫓石垣工事
裏込石は後方の土盛りとほぼ同じ高さまで積まれました。これから石垣で囲って、さらに高く積まれていきます。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓石垣工事
西面を見ると、こちらもかなり積まれた石が見えるようになってきました。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓石垣工事
今後も楽しみです。
以前の記事はこちら

川手城 岐阜県の城館

加納城から徒歩5分ほどのところに、済美女子高校があります。
川手城
その場所が斉藤道三に美濃守護職から追われた土岐氏の居城であった川手城跡となります。
川手城
校内のほぼ中央、小さな公園のようになっている一角に石碑と案内板が立てられています。
石碑は「史蹟川手城跡」となっていますが、案内板は「革手城」となっていて、統一感ないですね。
川手城
校庭はかなり広いですが、川手城の発掘調査は今まで行なわれていないようです。すでに廃城となっていた川手城は、加納城築城のときの部材として土砂までとられたようで、徹底的に破壊されたようですが、掘れば何か出てきそうなものですが・・・
石碑の場所が北隅になると推定されているようです。

加納城 岐阜県の城館

岐阜城の後、近くの加納城を見に行きました。
一方通行が多く、駐車場を探すうちに大手門跡に着きました。
加納城
大手門跡は旧中山道沿いに建ち、この道路をまっすぐ進んだところに本丸跡が残っています。
中山道
ついでに旧中山道に立っている道標を見てきました。加納城城下町の中山道には他に2箇所道標があります。
駐車場をやっと見つけました。本丸跡の南側入口です。
加納城
本丸跡は周囲の石垣が多く残っていますが、草で覆われているものが多いです。こちらは東南隅の石垣です。
加納城
こちらは東側の二の丸から入る升形の南面ですが、草の枯れる冬が撮影の好機ですね。
加納城
本丸はかなりの広さで、周囲を土塁が巡っています。夕方は近所の方の犬の散歩コースとなっているですね。
加納城
本丸に南から入ったところに案内板が立てられています。
加納城
こちらは西南隅の石垣です。
加納城
本丸西面の中央部あたりは、土塁の高さに比べ石垣が低く作られていますが、この土塁の上あたりにも櫓がひとつありました。
加納城
こちらは西北隅の石垣です。この隅は天守台と言われていますが、他の三隅に比べ石垣の高さが低いですね。
加納城
こちらは東北隅の石垣です。
加納城
二の丸跡の大部分はJR東海の管理地で更地となっています。
加納城
二の丸東北隅に岐阜地方気象台が建っています。気象台の西南隅にそれらしい石垣がありますが、これは新造のものです。
加納城
ぐるりと回って、加納小学校に隣接する北面に向かうと、そこには二の丸で唯一石垣が残っています。
加納城
少し突出した部分には御三階櫓が建っていたので、ここは巨石が使われて立派ですね。
しかし、よく見ると崩落防止のため、石垣の間はセメントで埋められており、遺構が完全とは言えず残念です。
加納城
振り返ると、加納小学校の校庭があります。ここは内堀を挟んで三の丸があったところです。
加納城
二の丸、三の丸の東側には荒田川が流れ、天然の外堀となっていますが、上流を望むと、金華山と岐阜城が見えます。思いの外、遺構の残っている加納城跡でした。

丸山砦 岐阜県の城館

岐阜城の馬の背登山道と瞑想の小道(水手道)が分岐するところに、伊奈波神社跡があります。
丸山砦
ここが丸山砦跡です。金華山頂上の岐阜城を守備するために、尾根筋に築かれた砦のひとつです。
丸山砦
遺跡の一番の奥の平坦部には石堂があります。木々が囲み、見晴らしを確認できないのは残念です。
附近は神社建設や後世の改変が著しく、砦跡の痕跡はこの郭の大きさのみですね。

天下布武のはじまり 岐阜城 岐阜県の城館

岐阜城を訪れたのは9年ぶりです。前回は雲ひとつない晴天で作り物のような写真になった日でしたが、午前中の曇天が嘘のように午後からは同じく雲ひとつない晴天となりました。
岐阜城
岐阜公園側から4本ある登山道のうち、行きは百曲り登山道を登ることにしました。
岐阜城
しばらく登ると、ここに郭があったことを思わせる石積みの隅部分がありました。
岐阜城
登山道の途中には道をそれないように何箇所にも看板が掲示されています。
岐阜城
というのも、所々岩だらけの場所が登山道となっていて、道がわかりにくいのです。先週は一乗谷山城を登りましたが、他の山城はけもの道のように道が続き、道がわかりにくいということはないのですが、金華山の道のわかりにくさは別物ですね。
しかし、さすがに岐阜城、登る途中に何人もの人とすれ違いました。
岐阜城
40分ほどでロープウェーの山頂駅に到着しました。
岐阜城
山頂駅からは別方向に七曲り登山道(大手道)が続いています。次回はこの道から登ることにしましょう。
岐阜城
山頂駅のすぐ近くに天下第一の門が立っています。冠木門のこの門は実際あったものではなく、記念として新造されたものです。
岐阜城
少し進むと上格子門跡がありますが、ここは実際に戦闘も行われました。
岐阜城
さらに進むと、馬場跡。
岐阜城
そして、二の丸門があります。手前の階段脇に残るのは旧石垣遺構ですが、
岐阜城
塀下の石垣、冠木門は新造のものです。
岐阜城
二の丸には塀が復元されていますが、その塀越しに復元天守を見ることができます。晴天では奥が白飛びして写真がうまく撮れません。
岐阜城
階段の途中からは岐阜城資料館を左に見て、岐阜市内が臨めます。
岐阜城
階段を上り、気象台の建物の横を下りていくと、軍用井戸が残っています。
岐阜城
岐阜城
模擬天守を写すにはここが一番のベストポイントですね。
岐阜城
石垣には金華山で取れる自然石が積まれています。
岐阜城
模擬天守の最上階から眺める景色は絶景です。遠くが霧がかっているのは残念です。
岐阜城
長良川にかかる橋の向こう側には斉藤道三が隠居していた鷺山城が見えます。
岐阜城
それでは、帰りは馬の背登山道を行くことにします。
岐阜城
ここを帰り道に選んだのは間違いでした。写真の場所が最難関の10メートル以上続く岩場ですが、行きの百曲り登山道以上の難所が多く、下りるのに40分。下りは上りより時間がかからないのが常識ですが、岐阜城はあなどれません。そういえば、入口看板に「老人・幼児には無理です」って書かれてあったな・・・
さて、岐阜城の遺構は近くにもうひとつ残っています。自家用車で岐阜公園に来たときは公園駐車場に停めることも多いと思いますが、
惣構土居
この駐車場の隣接する金華山トンネルから延びる土盛りが、城下町を囲むように作られた惣構の土居の跡です。残存部分はわずか数十メートルですが、貴重な遺構です。
惣構土居
まだまだ見逃した遺構がありますが、それは次回ですね。

日本100名城スタンプラリー 岐阜城

3年目を迎えた日本100名城スタンプラリーです。34個目となるスタンプは岐阜城です。
日本100名城スタンプラリー 岐阜城
岐阜市歴史博物館からみたアングルはこんな感じです。
日本100名城スタンプラリー 岐阜城
岐阜城のスタンプは南方角からみた模擬天守でしょうか?
日本100名城スタンプラリー 岐阜城
馬の背登山道の終点近くの一番のビューポイントからみたアングルが一番近いアングルですね。
日本100名城スタンプラリー 岐阜城
スタンプは模擬天守ではなく、資料館の受付にあります。
日本100名城スタンプラリー 岐阜城
日本100名城スタンプラリー 岐阜城
今回スタンプを押そうとしたところ、若い女性が先にスタンプを押していました。初めて他に押している人に遭遇しました。一人旅のようでしたが、若い女性にも歴史ブームがかなり浸透しているようですね。でも、山城に来るのにサンダルはない!?ですね。岐阜城は整備されているのでほとんど問題はないですが。

織田信長居館跡 岐阜県の城館

岐阜城のある金華山の麓、岐阜公園内に織田信長居館跡があります。
1984年、岐阜市制100年の記念事業として、居館復元を目指し発掘調査が始まりました。
織田信長居館跡
第一次調査部分の入口には冠木門が復元されていますが、礎石が出土したわけではなく、位置もはっきりしていないようです。
織田信長居館跡
門をくぐり階段をのぼると、巨石が並ぶ通路が目の前に広がります。
織田信長居館跡
整備されてから時がたっているので少し草も繁茂して荒れた感じもありますが、すばらしい遺跡です。
織田信長居館跡
直角に曲がる通路を通って、階段を上ったところに石碑が立っています。
織田信長居館跡
織田信長居館跡
雨が降ったあとだと坂が少し滑りやすいので気をつけないといけません。
織田信長居館跡
ここまでは曇り空の午前中の写真を掲載しましたが、以下は晴天の夕方の写真となります。
織田信長居館跡
晴れすぎていると木の影がくっきり出てしまいますので、うす曇のほうが写真としては分りやすいですね。
織田信長居館跡
金華山ロープウェー
さて、ロープウェーの麓駅の西側入口の脇に第3次調査で発見された戦国時代の井戸が復元されています。
井戸跡
今は蓋が掛けられているので中はのぞくことができないのが残念です。
現在第4次調査が行われている信長居館跡ですが、あと数年後にはさらに奥まで整備されることと思いますので楽しみですね。最奥の上段には展望台でも作って城下方向の木々を払って見晴らしを体験できればいいと思いますがいかがでしょうか?

岐阜公園の発掘調査から 岐阜市歴史博物館

岐阜公園
岐阜城の麓、岐阜公園の入口近くに岐阜市歴史博物館があります。
岐阜公園の発掘調査から 岐阜市歴史博物館
現在2階展示室内では「岐阜公園の発掘調査から」(7月17日~9月13日)が開催中です。
岐阜公園の発掘調査から 岐阜市歴史博物館
居館跡の現地公開が今日の目的ですが、この展示があったことがもう一つの動機です。現在、居館跡では第4次調査が進んでいますが、展示では第3次調査までの遺物が展示されていました。
岐阜公園の発掘調査から 岐阜市歴史博物館
博物館を出てくると、曇り空がパッとなくなって、念願の晴天です。上空には雲ひとつありません。
岐阜城
9年ぶりの岐阜城で、前回はロープウェーで上りましたが、今回は登山道を登ります。暑くなってきましたが頑張ります。

織田信長公居館跡発掘調査 現地公開に行ってきたよ

この夏休み期間は盆であった先週を除き、土曜日の午前に普段は公開されていない発掘調査の現場を公開しています。
晴れた金沢を出発して、北陸道から名神に入る頃には雨模様で、まわりの山々には雲海ができるような天候です。
いざ岐阜へ
岐阜城に到着すると、雨はあがっているものの曇り空です。天気予報を信じて昼からに期待しましょう。
岐阜城
今日は出発が遅れた分、まずは発掘現場に急ぎます。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
発掘現場はC地区の平坦地から山側の奥まったB地区です。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
作業用の階段を上って一段に上がります。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
中央に見える石段はここが登山道として整備されたときももので、その登山道建設のために遺構もかなり破壊を受けているようなのが残念です。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
現地は2段ありましたが、下段では平坦地を囲むように石垣が出土していました。その石垣の一部はかなり焼けた跡があります。
この辺りの石は黄色いのが特徴ですが、発掘された石垣の石には表面が赤く変色しているものがいくつもありました。この厚さに焦げ跡が残るには相当な火災がないとここまでは焼けないようです。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
上段に上がると、すぐ礎石と排水溝の跡が出土していました。この排水溝は平坦地を横切っているそうで、礎石のある下段側は2メートル足らず。どのような建物だったのか気になりますね。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
現在、この最上段に3階建て以上の建物が建っていたと推定されています。今は木々で城下を見渡すことはできませんが、当時はかなり見通せたことが予想されます。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
写真左側に石垣が見えますが、
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
ここは石垣の下に川原石が敷き詰められており、さらに石垣裏にも川原石が敷き詰められています。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
実際に掘り下げていないので裏込石なのかどうかはわからないようですが、階段のように見えなくもないので、石垣脇を通ってさらに上へ向かう通路だったのではないか?とも考えられているようですが、決定打はなく、すべては謎です。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
奥の傾斜地からは焼土も見つかっており、何か建物があったようです。さらに奥に石積みが見えますが、それも登山道整備のときに作られたものです。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
上段奥からも石垣の列が出土しています。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
上段の平坦地は下段よりも幾分広いです。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
岐阜公園の楽しみは他にもあります。公園内には発掘調査の成果を展示するスペースが設けられていました。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
中では、岐阜城と城下町の復元イラストや、
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
居館跡の構造を示すペーパークラフトが飾られていたりします。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
もちろん、これまでも発掘調査の成果を解説するパネルや遺物の展示もありますので、お見逃しなく!!

一乗谷山城跡と企画展「金工の技と美」 福井県の城館

今日はお盆でしたが、ちょうど企画展の解説があるようなので、福井市の一乗谷朝倉氏遺跡に行ってきました。下道で行ってきましたが、思いのほか空いていたので良かったです。
西山光照寺跡
最初に天台宗の西山光照寺跡を見に行きました。ここは石像が何体も集められていていい遺跡なんですが、石碑がなんでこんな場所に立っているのでしょうか?もっといいアングルで遺跡が写る場所に移動してほしいです。
西山光照寺跡
西山光照寺跡
次に、企画展の前に山城跡に登ることにしましょう。そのために今日は朝早く出てきました。
朝倉館跡
一乗谷で最も有名な遺跡である朝倉館跡には、すでに大勢の観光客が来ていました。お盆の時期は多いときでは1000名以上来るそうです。
南陽寺跡庭園
始め勘違いしていて、朝倉館跡の裏に山城への入口があるものと思っていましたが、そこには右側に初代孝景の墓、左側に南陽寺跡庭園がありました。
南陽寺跡庭園
南陽寺は足利義昭が京を追われて一乗谷に身を寄せたときに滞在した尼寺です。現在庭園の一部の石列が当時の面影を残しています。
一乗谷山城跡
駐車場を復元町並から、一乗谷史跡公園センターに移動し、八幡神社の横から登っていきます。
一乗谷山城跡
看板には「城山まで1.5km」と書かれています。
一乗谷山城跡
少し登るとそこは馬出と呼ばれる場所です。石垣を所々で見る事ができます。
一乗谷山城跡
その馬出の間を上っていくと、砂防堤がありました。その脇の階段を上がると、
一乗谷山城跡
「城山まで1.0km」の看板が。ここまでは比較的楽だったんですが・・・
一乗谷山城跡
そして、そこには「小見放城跡」の書かれた看板?が立っています。後方右側になりますが、そこは行けません。なにしろ草深いですからね。
一乗谷山城跡
そこからはまさにけもの道程度の広さの上り坂を登る、登る、登る・・・・、ひたすら急な坂を登りました。途中ではクモやゲジゲジ、蚊に加えて、蛇にも睨まれてしまいました。夏の山は注意が必要です。
一乗谷山城跡
道は地下水がしみ出てぬかるんでいるところもあり、足場が良いといえませんでした。
が、ひたすら登るとようやく次の看板が・・・
「城山まで0.2km」あと少しです
一乗谷山城跡
そこからも、さらに登り坂。最初に着いた場所が「千畳敷」と呼ばれる本丸跡です。
一乗谷山城跡
ところどころに破壊された石が散乱しているのが、戦乱の爪痕として生々しいですね。
一乗谷山城跡
千畳敷では土塁跡もはっきりとわかります。
一乗谷山城跡
さらに奥に進むと一の丸となります。郭跡はさらに上ですが、道はないようです。
一乗谷山城跡
郭と道となっている間には溝跡らしい窪みがあります。写真ではわかりにくいですが、右下から左上に斜めになりますよ。
一乗谷山城跡
一の丸の奥に、二の丸、三の丸が続きますが、各郭の間は堀切により完全に遮断されています。
一乗谷山城跡
さらに、その堀切と逆側には竪堀が深く掘られています。間の土橋?は結果的に細くなり敵の侵入を防ぐようになっています。
一乗谷山城跡
一乗谷山城は、麓から千畳敷(本丸)、一の丸、二の丸、三の丸となっていて不思議です。最終防衛地点の本丸が一番奥になっていないのはなぜ?
一乗谷朝倉氏遺跡資料館
しかし、詰めの城の山城をなめていました。こんなに急な道のりだとは思いませんでしたよ。体調が万全でないと非常にきついです。やっとのことで下りてきて、足がガクガクになってしまいました。
砂防堤附近で今日始めて人とすれ違いました。親子2人でしたが、まだまだ子供は元気に登っていきましたが、山城はここからが本番、果してたどり着いたでしょうか?
1時半から始まる一乗谷朝倉氏遺跡資料館の企画展に少し遅れてしまいました。
企画展「金工の技と美」
今日の目的はこの企画展「金工の技と美」の鑑賞です。折角見るなら解説付き!ということで解説に聞き入ります。お盆で家族連れが復元町並を訪れる中、この解説には10名余の参加です。ちょっと寂しい感じですが、その分ゆっくりと聞けました。帰りに図録を買ってきました。