佐久間 家勝 (さくま いえかつ)

生没年不詳。
与六郎。いは「政明」「盛明」とも伝わるが、文書で確かめられるのは、「家勝」である(長命寺文書)。
尾張五器所城主(寛永伝・断家譜)。信長に仕える。
永禄十二年(1569)か、十一月二十六日付で、長命寺惣中に対し、寄妙(信忠)の許可通り諸役を免除する旨を告げている(長命寺文書)。戦場に働く武将ではなく、政務を担当するそく僚の性格が強い。
天正五年(1577)八月、松永久秀・久通父子が再び信長に背いた時、その質子を家勝が預かっていたが、信長の命により京へ送る。質子は十二、三歳の男子二人であったが、親への遺言を書かず、家勝に礼状をしたため、六条河原で斬られたという(公記)。
同十年五月二十九日、信長最後の上洛の時、安土二の丸番衆の一人(公記)。本能寺の変後の消息は不明。