東二口文弥まつり

東二口文弥まつり

一度行ってみたいと思っていた東二口の人形浄瑠璃に、今回タイミングがあったので行ってきました。
場所は東二口歴史民俗資料館です。

平成28年は
2月
13日(土)夜の部・午後7時 大職冠
14日(日)昼の部・午後2時 出世景清
14日(日)夜の部・午後7時 門出屋嶋
20日(土)夜の部・午後7時 酒呑童子
21日(日)昼の部・午後2時 源氏烏帽子折
という日程で文弥まつりが開催されます。

集落の有志が上方で習って帰村し、村人に伝授したのが始まりで、100戸近くあった頃は30曲ほどの演目があったそうですが、現在は28戸、5演目をなんとか演じています。文弥とは人形浄瑠璃の語りの流派らしく、地元では「文弥人形浄瑠璃・でくの舞」と呼んでいます。

東二口文弥まつり

舞台は2階。今日はこの会場が満員になりました。

東二口文弥まつり

会場のショーケースには江戸時代から使用されてきた人形が展示されています。

東二口文弥まつり

今日見た演目は「出世景清」で、近松門左衛門が書いた近松ものと呼ばれているそうです。

東二口文弥まつり

人形浄瑠璃は5段(5部)まであるそうで、東二口では5段めは演じないそうです。
すべて演じれば3時間半にもなるそうなので、今日は2段めと4段めが披露されました。

東二口文弥まつり

全体的には能よりはわかりやすいですね。しかし、能と一緒で前知識があったほうが楽しめそうです。
機会があれば、また違う演目を見てみたいです。

恋の辻占「春占」

春占

石川県が開発したオリジナル品種のフリージア「エアリーフローラ」は、県がルビーロマンの次にブレークを狙って力を入れています。

しいのき迎賓館では11日から14日まで、バレンタインでエアリーフローラを宣伝しようと企画展とか即売会が行われています。

花にはあまり興味はないので、食べ物を購入してきました。

春占

辻占といえば、金沢の正月菓子として欠かせないものですが正月限定のものです。その辻占をバレンタイン仕様で作ったものが「春占」です。

中に入っている占いも恋愛仕様に「吉報あり」とか「手を伸ばせば叶う」とか「気付けば大きな存在感」というような分かりやすいものになっています。

春占の色も恋愛仕様で辻占にはない色もあってきれいですね。

辻占と同じ十字形の菓子は「御菓子司むらもと」、エアリーフローラのような花形の菓子は「金沢うら田」、もなか入り菓子は「御菓子調進所 山海堂」が作りました。

一月例会 金谷出丸と鼠多門について

一月例会

今日は金沢城・兼六園研究会の一月例会でした。

毎年恒例になった金沢城調査研究所の講演会。
今年は木越所長による「金谷出丸と鼠多門について」というテーマでした。

しかし、鼠多門はまだまだわからないことが多いということで、地元新聞で年頭の知事会見にあった絵図の話が大半でした。この絵図というのが明治初めに陸軍省の要請で金沢県が提出したと想定される数枚組の絵図です。昨年、市内の古書店から購入し研究していたということで、明治初めの玉泉院丸を初めとした金沢城内の様子や、最後の二の丸御殿の姿も詳細にわかったそうです。

・古写真の鼠多門の後ろに写っているのがスロイス邸で、その邸宅の規模が判明
・尾山神社の東神門が二の丸御殿の東入口にあった唐門であったこと
・二の丸御殿の能舞台が招魂社として卯辰山に移築されて絵図から消されていること(能舞台は現在、中村神社拝殿)
など

新聞報道は少しずつ出てくるようですが

また「鼠多門」という名称について、古くから鼠が多くいた場所だからという説もありますが、鼠多門のあった玉泉院丸はもとは二代藩主夫人の玉泉院が住んだ場所でもあるので、それよりは「鼠多聞」というねずみ色の長屋櫓だったのが、金谷出丸が増設された後に通路として門と橋を作ったのではないか、と考えているそうです。私もその方が説得力があるように感じます。

季節が逆戻り?

季節が1月ほど逆戻りしてしまったような陽気の1日でした。

機具岩

雲多めだったので、夕日は雲の隙間からギリギリ見えました。
ここは志賀町の機具岩。夕日のベストスポットです。

トトロ岩

トトロ岩も冬になって覆っていた草が枯れたのでよく見えるようになってた。

正月には加賀万歳

尾山神社

今年の正月は暖かい。初詣に行くには嬉しいが雪が積もらないのは何かと心配だ。

尾山神社

天気が良いので行列が長い。今年は初詣行く人多そうですね。
行列は長くともあっという間にお詣りの順番が来ました。
年越しと共に地元の神社には初詣に行っているのだが、おみくじは尾山神社でと決めている。

今年は・・・・
「心に迷いと不安があるようです。人に相談してよくよく考え解決していきましょう。」
って、なぜか神様に見抜かれているような

しいのき迎賓館

それにしてもいい天気だ。

前田土佐守家資料館

正月2日には前田土佐守家資料館で加賀万歳が行われる。
以前は金沢能楽美術館でも開催されていたのだが、3年ほど前からは資料館のみ行われている。

加賀万歳

今年は観客が少し多かったけど、これも北陸新幹線の影響かな?
良い年になりますように

2015年を総括して

2015年後厄の年を総括します。いろいろ思うところの多い年で、今までの仕事をやめました。人生3分の2を過ぎたと認識して、これまでの人生を整理しながら、余生をどう過ごすべきか考える今日この頃です。
(昨年の総括はこちらから)

・福井県立恐竜博物館(1月)
・松本・安曇野神社めぐり(1月)
・宇治 寺社めぐり(2月)
・伊賀 神社めぐり(3月)
・善光寺御開帳(4月)
・GW 佐渡国式内社巡礼満願(5月)
・上高地 穂高神社奥宮参拝(5月)
・鎌倉三十三観音霊場巡礼開始(5月)
・板東三十三観音霊場巡礼開始(5月)
・滋賀バスツアー(6月)
・神社検定2級(6月)
・敦賀半島神社めぐりと西方ヶ岳縦走登山(7月)
・白山初登山(7月)
・珠洲 飯田町燈籠山祭り(7月)
・輪島 名舟大祭(7月)
・金沢 大野湊神社大祭(8月)
・珠洲 宝立七夕キリコ祭り(8月)
・七尾 新宮納涼祭(8月)
・伊賀 神社めぐり(8月)
・能都 鵜川にわか祭り(8月)
・輪島 輪島大祭(8月)
・七尾 鎌打ち神事(8月)
・福井県立恐竜博物館特別展(9月)
・珠洲 蛸島キリコ祭り(9月)
・能登花の寺十二寺巡礼満願(9月)
・珠洲 正院キリコ祭り(9月)
・能都 小木袖キリコ祭り(9月)
・SW 射水神社式年大祭(9月)
・小浜 寺社めぐり(9月)
・羽咋 唐戸山神事相撲(9月)
・白山登山 奥宮参拝とお池めぐり(9月)
・新湊 曳山祭(10月)
・第五回湯涌ぼんぼり祭り(10月)
・志雄 蓮花山神事相撲(10月)
・七尾山の寺の日 寺めぐり(10月)
・能都 鵜川いどり祭り(11月)
・加賀温泉郷 お薬師めぐり(11月)
・加賀国式内社巡礼満願(11月)
・北陸三十三観音霊場巡礼満願(11月)
・越中一国三十三観音霊場巡礼満願(11月)
・金沢検定中級(11月)
・越中国式内社巡礼満願(12月)
・大津から高島へ神社めぐり(12月)

県外は41回(47日、うち宿泊6日)と宿泊は減りましたが、秋から本格的に越中観音巡礼や式内社巡礼を行ったために隣県への訪問が大幅に増えました。能登花の寺巡礼、北陸三十三観音霊場、越中一国観音霊場が満願し、若狭三十三観音霊場、鎌倉三十三観音霊場、板東三十三観音霊場を始めましたが、関東へはしばらく行けそうにないです。式内社巡礼は佐渡国、加賀国、越中国が完了し、能登国はあと一社となりました。御朱印集めへ完全に興味がシフトしたため、城は10城も行けませんでした。開山1300年に向けて盛り上がる白山に初登頂。来年は申歳記念年となるので、富士山に再チャレンジしたいと思っています。噴火しないことを祈る。

四年目を迎えた御朱印集めは神社148個、寺院156個と二回目、三回目もありますが、合わせて1000個を超えました。重複を除くと御朱印は800個を超えました。今年は今までの御朱印も少しずつ紹介していきますよ。

最近は、里宮と奥宮がある神社はできるだけ両方詣るようにしています。また、例祭も日程と天候を見て行けるところには見学に行っています。御朱印にしても、例祭にしても、観光地化していない場所はいつなくなるか判りません。管理される方がいなくなれば荒れてくるのは山城と同じで、寺社めぐりも城めぐり同様に体力いりますね。厄年も終わりましたので、体力つけて山頂奥宮参拝頑張ります。

あといくつ寝るとお正月

2015年もあと数日となりました。歳神さんを迎える準備をしないと・・・

殿様の鏡餅

藩政期に殿様に献上された鏡餅が再現されています。小さな頃から当たり前だと思っていた紅白の鏡餅、最近は金沢だけってテレビでも何度も放映されて有名になってしまいました。

しかし、民間では白が下、紅が上という重ね順なんですが、殿様の鏡餅は白が上で紅が下と逆さです。民間のものが殿様と同じでは恐れ多いと逆さにしたという説もあります。

田井菅原神社

この鏡餅は田井菅原神社で一月下旬まで見ることができます。見るだけではなくてお詣りも忘れずに!

神明宮

それから神明宮に

金沢左義長の元祖

ここは金沢の左義長の元祖と言われています。金沢城内に飾られた注連縄を境内で小正月に燃やしたのが始まりとか

申土鈴

毎年干支の土鈴を神明宮で購入しています。今年は白・桃・茶の3色から茶を選択。今までにない色でしたが、申だけに黄ではなくて茶がいいだろうということのようで

平成27年度講座 考古学最前線

石川県埋蔵文化財センターの講座が県立美術館で開催されました。

考古学最前線

テーマによって行ったり行かなかったりしてますが、今年は水上交通がテーマで河北潟近くに住んでいる者としては興味がありました。

考古学最前線

最初に埋文の川端氏が「北加賀の古代水上交通」というテーマで古代の県内の港の話がありました。

古くは舟が小さかったり、航海技術が未成熟だったこともあり、港(津)は海に面して造るというよりも、海から少し入った潟に造られていたそうです。県内には能登に邑知潟、加能境に河北潟、加賀に木場潟・今江潟・柴山潟の加賀三湖があったので利便は良かったのかもしれません。

考古学最前線

河北潟は現在は半分以上を埋め立てられてしまいましたが、潟の特徴としては流れ込む川の数に比べて、海に流れ出す川が圧倒的に少ないということではないでしょうか。そのため、潟もひとかたまりというわけではなく、周辺にフゴと言われた湿地帯が多数あったそうです。

続けて滋賀県立琵琶湖博物館の用田学芸員から「都と日本海をつなぐもの」というテーマで講演がありました。

馬よりも舟のほうが大量に早く物資を運べることに着目し、織田信長は安土、長浜、坂本、高島大溝という4地点に城を築いて湖上交通を統制しました。その場合、南北の道は坂本-長浜ということになるでしょうが、さらに北の塩津に大きな港町があったという話に特に興味を持ちました。

考古学最前線

この話は今週水曜日に報道されるということで、数日フライングでしたが、塩津地内の国道の付け替え工事のなかで、湖岸から大規模な遺跡が見つかりました。

考古学最前線

水が入ってくるので大きな枠を打ち込んでの大がかりな発掘調査ですが、桟橋の石畳や周辺から多量の遺物が発見されました。

考古学最前線

塩津は一山越えれば敦賀に通じているので往来は多かったのでしょう。運送業(舟や馬を扱う)の人たちだけでなく、鍛冶や細工師、塗師などの職人、飲み屋などの繁華街があったであろうということ。ただ、あまりきれいな場所ではなかったようです。

道はすでに完成したということですが、工事は年度末まで続いているようなので見てみたくなりました。

講座「加能史料」はいま

加能史料はいま

今日は、石川県立図書館で加能史料編纂室の定期講演会「加能史料はいま」がありました。加賀・能登の編年史を収録する「加能史料」の編纂段階でわかったことなどを発表する場です。

今回は木越氏祐馨氏による「大坂本願寺と加賀の一揆」というテーマの講演でした。加賀の一向一揆は一向衆寺院と一向衆門徒であった地元有力者との連合体による政治闘争でしたが、越前や越中をも巻き込んで一進一退の攻防を繰り広げました。中世は村や郷という境界は意識しても国という概念は薄かったのかもしれません。