
名古屋開府400年を祝う徳川美術館の最後の特別展として「国宝 初音の調度」が開催されています。同時開催の「尾張徳川家の金銀調度」と「源氏物語の世界」もひとつの特別展並みの展示物でよかったです。酸化しやすい銀調度が輝きを失っていないものもあり、保存に非常に気を使っているのがわかりました。

さて、今回の名古屋訪問の第一目的はこの「初音の調度」でした。尾張藩二代光友の正室となった千代姫は三代将軍家光の長女です。その婚礼調度は日本一豪華な嫁入り道具であり、源氏物語「初音の帖」にちなみ意匠が描かれた鏡台や貝桶、三棚などを筆頭に、75件が国宝に指定されています。今回の展示はその国宝全点を一挙に見れる最初で最後?の機会であろうと思います。これは見逃すわけにはいきません。
写真で見るのとは違い、実物はすばらしい!の一言ですね。ゆっくりと鑑賞させていただきましたよ。こんな婚礼調度を男一人見に来る人はなかなかいないですよね。まわりはさすがに女性グループや老夫婦ばかりでした。

展示の後は隣の徳川園へ。

何度か来ていますが、紅葉の徳川園は初めてですね。

今頃は夕方も早いですね。

ライトアップ期間でしばらく待てばいい感じになりそうでしたが、明日は仕事がありますので早めに後にしました。
カテゴリー: 歴史散歩
大きな「あんかけ焼きそば」

今日の夕食はホテル(桑名)の近くのラーメン店へGO
少々おなかが空いていたので、メニューに2人目以上とあった「あんかけ焼きそば」を注文する。
待つ間に後ろのカップルに「あんかけ焼きそば」が運ばれてくる。
あれ・・・・・・・・なんだあの大きさは??

自分のところにも運ばれてくる。やはり見間違いではない。
コップと比較してその大きさがわかるであろうか?
持ち帰りもできるが、旅の途中で温める手段もないので全部食べる決意で急いで食べる。
なんとか完食!でも、おなかが辛い。
加賀万歳にみる北国下街道 つばたふるさと探偵団10周年記念
シグナスで津幡町のボランティアガイドである「つばたふるさと探偵団」の創立10周年を記念した講演会が開催されました。目玉は津幡町加賀爪に在住する加賀万歳保存会会長の田中久雄氏による講演会でした。

玄関では大河誘致キャラクタの「かーくん」がお出迎えです。

記念行事なので、会長の挨拶、来賓の祝辞があり、

加賀万歳の歴史や北国下道中の説明(金沢から柏原まで)がありました。演技は何度もみましたが、詳しく解説を聞いたことはなかったのでとても勉強になりました。

加賀万歳は伝統民俗芸能であり、金沢市指定無形民俗文化財にも指定されています。そのためか、能楽や狂言のような堅苦しさを想像する方もいますが、想像のほか楽しいものですよ。その雰囲気をお楽しみください。
金沢市末浄水場 秋の一般公開
先月、国史跡名勝として指定されてから初めて公開された金沢市の末浄水場です。

予告どおり紅葉の時期に一般公開となりました。今日と23日の2日間ですが、23日の予報は雨です。それにしても秋晴れの一日となりました。

昭和の初めの姿に復元された前庭です。先月はテントがたくさん並んでいたので、すっきりした姿を見るのは初めてですね。

こちらが国史跡名勝記念のプレート、奥に前庭の東屋が見えます。

緩速ろ過池の奥に紅葉が見えます。上に金沢学院大学が建っていますが、青空に白い校舎は映えますね。山の麓しか紅葉していませんが、浄水場の敷地内にしか落葉樹がないからですね。まあこれも綺麗です。

緩速ろ過池の水面に映りこむ山がまた綺麗です。秋晴れだからこその絶景ですね。

今回の公開範囲は急速沈殿池の通路がなくなり、前回よりは少し狭くなりましたが、急速沈殿池から前庭がよく見えますね。

と思ったら、放水イベントがあるということで、皆さん解説を聞きながら下で見ていましたが、自分は見晴らしの良い上から見学します。
「アーチ状噴水」というものですが、無風であれば東屋の中央に当たるそうです。今日は少し東寄りの風がありました。この噴水の説明のなかで、この池の中の鯉や金魚が「毒味役」だということを初めて知りました。上流からの水はまずこの池に引き込まれて、各沈殿池に配管されているので、異常があればすぐに止められるようにしているそうですが、なんだかかわいそうです。でも、風流に泳ぐ魚たちも、自分たちのために頑張っているんですね。
池の中にバルブがあります。これで噴水口の角度が変わるんですよ。次回は春の桜の季節らしいですよ。楽しみですね。
紅葉の秋 金沢市内へ
天候に恵まれた週末となりました。今年は残暑が長引いた後に急に寒暖の差が大きくなったので、紅葉はいつになくきれいなのだそうです。

と聞いて、石川県立歴史博物館に来てみると、なるほど綺麗ですね。

同館では現在「ふれてみるいしかわの文化展」という彫刻など実際に触れることができる展覧会が開催中です。とはいえ、普段は「触らないで!!」と書かれている彫刻を前に、どんな感触か試したくても慎重になってしまいますよ。

そして、歴史スポット展示コーナーでは「盆正月の世界」ということで、藩政期の祭り「盆正月」関連の古文書が展示されていました。

「盆正月」というのは殿様の帰国や代替わりなどめでたい行事のあるときに、町人たちが祝った祭りです。行事はあくまで口実だったのですが、歌舞伎などに始まり、藩政期末期には造り物がさかんに行われました。そうそう年末公開の映画「武士の家計簿」にはこの「盆正月」が映像として再現されているんですよ!

今はなき「盆正月」ですが、お隣富山県の高岡市(旧福岡町)では、秋分の日に「つくりもん祭り」として町中に造り物が飾られています。
そして、写真の福井県勝山市。太鼓にはやし唄、作り物が披露される「左義長まつり」というのがあるそうです。知らなかった!でも面白そうなので行ってみたいですね。

次に、金沢能楽美術館へ。今月から「新・古能面展」が開催中です。同館の所蔵する能面に加え、公募の現代能面美術展の入選作が展示されていました。

そして、向かいのしいのき迎賓館で開催中の山本太郎氏の「ニッポン画百画繚乱」を鑑賞・・・・しいのき迎賓館のシンボルマークの原画を手がけたことがきっかけで今回の展覧会となったようですが、古典と現代の融合する絵画は自分には理解不能です。

次の中村記念美術館に向かう道筋の加賀藩初の洋式学校「壮猶館」跡のもみじも綺麗に色付いていますね!

先月も訪れた中村記念美術館の「紺谷光俊展」ですが、現在は第二期が開催中です。美人画の名手として有名な紺谷氏ですが、自分は孔雀明王や源氏物語、竹取物語が好きですね。それと愛らしい猫もいいですね。
最後に石川県立美術館へ。今日は向かい合わせの2会場で講座が・・・なんで重ねるのかわからないが、「平城京と北陸道 木簡から探る」のほうは資料だけいただいて、常設展で開催中の「大乗寺の名宝」の解説講座「大乗寺とその文化財」を傍聴しました。

今は野田山にある大乗寺。何となく大きな寺だということは知っていましたが、今日聞いてすごい寺だと改心させられました。
曹洞宗が道元に始まることは学校で習いましたが、永平寺で開山され、2世懐弉(えじょう)、3世鉄通(てっつう)と続き、内紛によりこの鉄通が野市(今の石川県野々市)で開山したのが大乗寺、曹洞宗2番目の開山であるばかりでなく、正統な宗嗣である鉄通が来たために、「頂相(ちんぞう)」「払子(ほっす)」など曹洞宗のお宝の数は永平寺以上ですね。
石川県民大学校の指定講座でもある本講座ですが、参加者はわずかに十数人ほど、勿体無いことです。

最後に紹介された、今回展示されているこれは・・・・何かわかりますか?
「円枕」(えんちん)という円形の枕です。曹洞宗では修行も兼ねてこの枕で寝るそうです。こんなんで寝れたのでしょうか?
宝物はほとんど県立美術館で保管されているそうですが、七堂伽藍は一度見学しないといけませんね。
「徳川御三卿展」 江戸東京博物館
東京へ出張となったが、明日は月曜日、どこの博物館の休みなので今日のうちにちょっと寄り道。
JR両国駅を下りて、江戸東京博物館へ。
あっ歩く歩道ですね。

特別展も開催中だが、今日は時間もないので常設展のほうの企画展「徳川御三卿」を見ることにした。

「御三卿」とは、徳川将軍家が跡継ぎの保険として設立した、田安家、清水家、一橋家の三家をいう。それぞれ藩という領地はなく、江戸城内に住まいをしていたので、屋敷の入口として、清水門、田安門、一橋門が設けられていました。それを聞いたら見に行きたくなった。

三階には城外展示として、汐留遺跡が展示されています。

伊達屋敷の船着場の石垣などが展示されています。

向かいには、浅草寺の本堂の大棟鬼瓦の復元が展示され、これ大きいですよ。

さて、来たのとは逆側から帰ろうかと思ったら、老夫婦が写真を撮っていたので、何を撮っているのかと思ったら、今話題のスカイツリーでした。
入れ替わりで写真を撮っていたので、お2人で撮ってあげると、こちらも撮ってくれました。いい記念だ!ちょっとネクタイ曲がってるけど

今も上へ上へ伸びていますよ。

こちら側は階段しかないですね。でも、看板は大きいな。
「特別展 山城探訪」 氷見市立博物館
今日は絶好の行楽日和でした。午後は金沢へトンボ帰りでしたが、午前は隣県富山へ行きました。

まずは市立図書館に併設された氷見市立博物館へ。

現在「特別展 山城探訪」を開催しています。山に囲まれた氷見市はまさに山城に囲まれた地です。

会場の二階への階段は、過去に湯山城戦国物語で使われたという小道具で、ちょっとだけ戦国気分です。

氷見市役所の横にある光禅寺です。

氷見市は藤子不二雄Aさんのふるさとであり、その人気キャラクタで町おこしを!
企画しているのですが、観光客は・・・・さっぱりですね。

境内には、忍者ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿、笑ゥせぃるすまんの4体の石像が立てられています。

次に向かった射水市新湊博物館では「石黒信由生誕250年」展を開催中です。

ゆっくりと和算の古文書や測量絵図に触れたあとは、お隣の道の駅カモンパーク新湊で、人気の白エビバーガーを購入して腹ごしらえして金沢へ。
特別展「茶道具」 金沢卯辰山工芸工房
探訪会のあと、ウロウロと帰り道を歩いていました。

途中の常福寺、浄土真宗の大寺ですが、ここが書家の北方心泉が住職を務めていた寺です。現在の住職の北方さんのようです。

さらに、賢辻坂から横道に入ると偶然、徳田秋声生家跡を見つけました。今は駐車場となっています。

さらに歩いて、浅野川に出ると常盤橋に出ました。

橋を渡ると、橋のたもとに「ごりや」がありました。ここはごり料理の老舗でしたが、今年倒産し他の会社に売却されましたが、今も手付かずで残っているようです。

それにしても常盤橋あたりの浅野川は鳥たちの楽園のようですね。雁は逃げずに近くまで寄ることができましたが、このサギ?は難しいです。なんとか最大望遠で撮ったところが、偶然にも魚を捕らえた瞬間でした。ちょっとピンボケですが、決定的瞬間です。

帰りに金沢卯辰山工芸工房で特別展「茶道具」を見てきました。

金沢は、藩政期に武具の管理・修復を行う御細工所を中心に銀細工や象嵌、漆工が奨励され、現在の伝統工芸の元となっていますが、ここでは陶芸・漆芸・金工・染め・ガラスの5部門の工房で新しい担い手を育てながら、伝統工芸に関する常設展、特別展を開催しています。
特別展を見るために初めて来ましたが、金沢検定の苦手分野を埋めるには今後も定期的に訪れる必要がありそうです。
小立野寺院群探訪会

昨日に続いて金沢歴史遺産探訪月間に参加してきました。

今日は「小立野寺院群探訪会」ということで、小立野の宝円寺からスタートです。

宝円寺は前田利家の府中時代からの菩提寺であり、三代利常がここ小立野に寺領を与えた後、国を守るという意味で山号を「護国寺」と称しています。

釘隠しまで前田家の家紋「剣梅鉢紋」です。

今日は小立野史跡めぐりの会の皆さんの案内でめぐります。

説明の後、特別に内陣裏にある御霊屋を見せていただきました。中央右に本家の利家のほか、まつ、豪などの位牌が並びます。左は前田修理家ほかの位牌が並んでいます。

中を見学のあと、西側の墓地を案内されました。「園田夏子」さんは11代治脩公の母ですが、六代吉徳公の側室でしたが、子が殿様になるのを見ずに亡くなりました。そのため、実家の「園田家」の苗字となっています。

次の伝俵屋宗達の墓を案内されているときに、脇に前波家の墓を発見しました!!
北国新聞連載の「炎天の雪」の主人公の実家前波家の墓です。偶然でしたが目を奪われてしまいました。

次に移動して馬坂上の高源院に行きました。

玄関に「馬坂不動明王尊ご参拝ください」の紙が・・・

馬坂途中の「馬坂不動明王尊」の後ろ、崖の上に高源院が立てられています。

ここから石引道の反対側の棟岳寺に移動しました。

ここは府中の赤座氏の菩提寺ですが、命を狙われていた赤座氏は永原氏に改姓しました。境内には幕末の混乱のなか、水戸浪士を手助けした「永原甚七郎の墓」と「水府義勇塚」が立てられています。

次の真行寺では境内ではなく、隣に建つ地蔵堂を見学しました。横を向いている地蔵が一体あります。

最後の慶恩寺では、

狭い本堂脇の道?を通って裏にまわり、

元あった飛騨加須良村にあった「かしわ○の木」の巨木を見学しました。慶恩寺の山号は「加須良山」となりますが、この木の名前を忘れてしまった・・・
今日のことなのに、ちょっとショック!
予定通り12時に解散となり、見学時間の足りなかった宝円寺の墓地へ寄りました。

しばらくすると、市の職員さんと横山さんが戻ってきました。横山さんに少し墓地について教えていただきました。
宝円寺の墓地は、隣の瑞雲寺の墓地と共同となっていて、この整然と並ぶ寺西家の墓石は瑞雲寺のものらしいです。

他に、この前田家墓地近くの墓石裏にひっそりと佇む小さな墓石たち。

「二之御丸御広式 玉」とあります。横山さんは江戸から付いてきて二之丸に勤めていた若い女中のものではないかと言われていました。

宝円寺ははじめ、兼六園内にあり、石川門と相対するように山門が建てられていたそうです。小立野に移ったときもそのまま山門は西向きだったそうですが、五代綱紀公のときになぜか東向きに変更されました。
その西向きだったときの参道の名残りがこの墓石の間の道だそうです。

この道は木曾谷沿いの木曽坂から丘陵に上る急な坂、みどり坂のほぼ頂上から入るようになっています。
加賀前田家の菩提寺 如来寺

今年もまた金沢歴史遺産探訪月間が始まっています。今日は小立野の如来寺へ行ってきました。

如来寺は加賀前田家の菩提寺のひとつで、5代藩主綱紀公が母のためにこの地に寺領8000坪を与えました。

14時から住職より寺の歴史の話を、市職員より本堂の特長の話を聞きました。
前田家の菩提寺は、小立野の宝円寺、天徳院をはじめ、高岡の瑞龍寺などありますが、3寺は曹洞宗であって、ここ如来寺は浄土宗であります。これは、江戸増上寺を菩提寺とする徳川家から嫁いだ「大姫」の菩提寺だからです。増上寺は浄土宗大本山、大姫は綱吉公の母となります。

こちらは本堂の正面広縁に飾られた「六道彫刻」です。

地獄から天道まで並びますが、彫刻とは言え、地獄は悲惨さが、天道は有難さが伝わってくるのです。

如来寺本堂は昨年12月に金沢市文化財として指定されました。両9間のほぼ正方形の江戸後期の建造物です。

ご本尊は阿弥陀如来であり、内陣には徳川家の家紋である葵紋が大きく目立ちます。浄土宗の内陣はひとつのお寺であり、阿弥陀様も屋根の下に入っています。

内陣の阿弥陀様の後ろには前田家御霊屋が設けられ、御位牌が祀られていました。普段は入ることができない場所にも入ることができ、とても貴重な経験でした。