続日本100名城スタンプラリー 鳥越城

鳥越城

いよいよ続日本100名城スタンプラリー始まりましたよ。開始日に早速地元の鳥越城に行ってきた。

鳥越城

二週間前までは山上駐車場までの道路も雪に埋もれていたのに、ここ数日の陽気で問題なく行けました。
途中倒木などもありましたが、駐車場に着くと後二の丸の切岸が迎えてくれる。

鳥越城

何度も訪れた鳥越城だが、この時期に来たのは初めてだった。城跡にはカタクリの群生がきれいに咲いていた。

鳥越城

本丸を取り囲む堀跡にもカタクリが

鳥越城

今日は午後から雨予報であり、曇天だったが雨の前に散策できた。

鳥越城

桝形門と桝形石塁

鳥越城

中の門の先に見える曲輪は二の丸

鳥越城

1本の桜がきれいに咲いていた。山上に広がる曲輪群が鳥越城の魅力だ。

鳥越城

本丸土塁から桝形を眺める。

鳥越城

本丸を眺めると、やはり遠方まで見渡せる青空が似合う。

鳥越城

道の駅から鳥越城のある鳥越山を望む。

鳥越城

スタンプは鳥越一向一揆歴史館の窓口でもらった。
城跡では3名の方とすれ違ったが、まだ2番目だった。

鳥越城

歴史館では毎年特別な道の駅切符が作られる(入館者に配布)が、今年は続日本100名城選定記念バージョン(先着300枚限定)です。

高宮城 滋賀県の城館

高宮城

彦根市の高宮にあった高宮城。江戸時代には中山道の宿場町高宮宿として栄えた地である。

高宮城

平地城館で、石碑の建つ高宮小学校(左)や高宮幼稚園(右)の辺りにあったと伝えられている。

高宮城

高宮小学校の校庭にはかつて井戸があったという。

高宮城

学校敷地に沿って流れる五社川が城館の堀の名残らしい。

高宮城

高宮城を納めた高宮氏の菩提寺高宮寺

高宮城

境内に高宮氏歴代の墓所が残っている。

松岡藩館跡 福井県の城館

松岡藩館跡

永平寺町の指定史跡の松岡藩館跡です。

松岡藩館跡

松岡藩は五万石で、初代松平昌勝公、二代松平昌平公と続き77年で廃藩となったという。

松岡藩館跡

その館跡は廃藩後畑地となり、現在は私有地となっている。唯一の名残が案内板後ろの「お館の椿」で、初代昌勝公が愛した椿と伝えられている。

日本100名城スタンプラリー 今治城

今治城

66城目は今治城です。スタンプは内堀越しに山里櫓を見たものか。

今治城

北の鉄御門口にある駐車場に停めて入る。

今治城

内堀にかかる鉄御門までの土橋

今治城

入ると藤堂高虎公の銅像が建つ。

今治城

天守前の櫓門

今治城

天守は斜めからが見栄え良いか

今治城

天守に入ると100名城の認定証を見つけた。

今治城

最上階から見るとすぐ近くに瀬戸内海が迫り、海城だということがよくわかる。

今治城

天守を出て隅櫓を巡る。
御金櫓は現代美術館になっている。

今治城

山里櫓は古美術館になっている。

今治城

鉄御門に連なる武具櫓

今治城

中は木造建築の構造を楽しめるようになっている。

今治城

天守と3つの櫓をめぐってポストカードをもらった。

日本100名城スタンプラリー 松山城

松山城

65城目は松山城です。スタンプの図柄は連立式天守を鳥瞰したものです。

松山城

早朝東雲神社へ行った時見た、東雲口登城道の入口付近にある加藤嘉明公の銅像です。

松山城

本丸へは県庁裏登城道から上ります。
入口付近に二之丸があり、現在は庭園になっているが、基礎の石垣は残っている。

松山城

こちらから上り始めたのは途中の登り石垣を見るためだが、木々であまりよく見えない。

松山城

東雲口のロープウェイ到着駅と合流し本丸へ向かうと、高い石垣が目の前に現れる。ここまで来ればロープウェイで上がってきた大勢の観光客と一緒に進む。

松山城

途中、太鼓櫓と石垣の先に天守が見えるがまだまだ。

松山城

戸無門

松山城

ほとんどは筒井門を通ってそのまま進む。

松山城

筒井門の奥に隠れた隠門を見に行く人は少ない。

松山城

太鼓門をくぐるといよいよ広い本丸の平坦部に出る。

松山城

連なる本丸の石垣折れの先に天守と海が見える。

松山城

本丸の中程に武具櫓

松山城

天守に着く頃には昼過ぎだったが、天守に入るために行列になっていた。
松山城へ来るのは2度目だ。約25年ぶりくらいだが、ゴールデンウィークとは言え、ここまで並ばないと入れないとは・・・
待ち時間に整理員の方と少し話をする。昼食時間なので行列は少し短いということだが、近年は年間20万人訪れるという、城ブームも定着したということか。

松山城

行列の先頭で連立天守内に入れたが、

松山城

中に入ると内側にまだ行列が続いていた。結局30分以上待っただろうか。
しかし、天守から見る眺めは良かった。

松山城

帰りに城カードを購入するためにもう一度券売所に立ち寄ったときに、100名城の認定証を見つけた。

松山城

帰りは紫竹門から古町口登城道から下りる。

松山城

乾門を出て

松山城

乾櫓などを見上げるこちらの景色もいいものだが、人気はほとんどない。

松山城

古町口は舗装されておらず、かつての雰囲気を感じることもできる道だった。

日本100名城スタンプラリー 湯築城

湯築城

64城目は湯築城です。道後温泉に隣接し、道後公園として国史跡に指定されています。

湯築城

早朝で資料館の開館まではまだ時間があったので、まずは山を上って周回することにする。杉の壇に到着

湯築城

一番高い本壇に到着する。

湯築城

あまり広くはないが、展望台から松山城のある勝山が見える。

湯築城

内堀沿いに残る土塁

湯築城

排水溝と土塁を押さえる石積みが残る部分もある。

湯築城

外堀の土塁の一部が内部展示室になっている。

湯築城

公園内には武家屋敷が2軒復元され、そのうちの1軒がスタンプの図柄に採用されている。

湯築城

中には人形が置かれ、一族の会合の場面が再現されている。

湯築城

資料館に到着する頃にちょうど開館時間となった。

湯築城

中には現在の道後公園の模型があり、鳥瞰して地形を確認できる。

湯築城

100名城の認定証もあった。

湯築城

湯築城では探検シートというのがあって、ポイントをめぐってスタンプを押したり、クイズを答えたりしてすべて回ると資料館でポストカードとペーパークラフトがもらえる。

名古屋城本丸御殿第3期工事見学

名古屋城

ここ数年名古屋城検定を受験していなかったので、去年6月に第2期の完成公開後初めての訪城となりました。桜シーズンと重なり、観光客もふだんより多めです。

名古屋城

まずは工事見学に行きます。

名古屋城

上洛殿は屋根完成間近でした。

名古屋城

一番西に位置する湯殿書院は基礎部分にようやく取りかかったところで、黒木書院は屋根の途中です。上から見下ろしていても大きいですが、下から見上げるとその大きさを、さらに実感するんでしょうね。

名古屋城

中に入って第2期部分も初めて見てきました。熊本城の本丸御殿ほどのキラキラ感はありませんが、落ち着いた風格を感じました。

名古屋城

今話題の耐震不足の天守です。ちょうど名古屋市長選の最中でしたが、耐震補強か木造建替か、名古屋市民でなくとも注目せずにはいられません。

小黒丸城 福井県の城館

小黒丸城

福井県を走っているとき、ふと目に入ってきた小黒丸城跡の石碑

小黒丸城

元はこの位置から北に50メートルほどの水田台地に石碑が立っていたらしい。

小黒丸城

北に九頭竜川、西に日野川の二大川が合流する場所に築造され、鎌倉時代に北朝方の斯波高経が守った城という。

小黒丸城

50メートルほど北の現状。圃場整備により昔の様子は知る由もないが、北に向かって緩やかに上りになっている。

第14回全国城郭等石垣整備調査研究会

今日から3日間金沢市で第14回全国城郭等石垣整備調査研究会が開催されます。今日と明日は一般公開で、午後から空いたので行ってきました。会場は石川県文教会館です。

一般聴衆は受付で基調講演・報告資料1冊とポストカード5枚などが入った封筒を渡される。

基調講演1は西形達明氏の「石垣の安定と変形のメカニズム」

環境都市工学という、いわゆる土木工学の立場から石垣の変形・崩落の仕組みを解明し、どういう対策が取れるのかという話。石垣が歴史遺産であるところから、近代工法をどこまで使っても許されるのかが、石垣修復の立場と土木工学の立場お互いの今後の課題だという。

基調講演2は坂井秀弥氏の「文化財としての城・石垣の意義とその保存・活用」

元文化庁職員として、文化財保護制度120年を迎えて、歴史の証拠としての石垣を後世に伝えることの大切さを修復担当者に問う内容だった。石垣の解体修復はいくら同じように戻しても、すでにオリジナルではないことを認識し、今本当に修復すべきかを常に問う姿勢が必要だと感じた。

また歴史の証拠として、史跡は過去の歴史を伝える廃墟であるといい、復元された近世城郭よりも手つかずの山城に魅力を感じるのもそういうことなのだと納得するところがあった。

勝龍寺城 京都府の城館

長岡京市の勝龍寺城。細川藤孝・忠興父子の居城であった。

現在本丸跡が勝龍寺城公園として整備されている。

本丸北門跡。右折れで2つの門を持つ桝形門。

周辺の石仏や五輪塔が集められている。

本丸から沼田丸への通路

南門は資料館へつながる道として桝形として復元されている。

本丸井戸跡

本丸内の細川忠興・ガラシャ夫妻の像

北に100メートルほど行ったところの神足神社境内にある空堀と土塁、土橋の遺構。

ここに設置された案内板に現在の地図に重ねた勝龍寺城の縄張図が書いてあり非常にわかりやすい。