続日本100名城スタンプラリー 赤木城

赤木城

続日本100名城スタンプラリー4城目の赤木城

赤木城

熊野市からアップダウンを繰り返しながら到着しました。もっと山深い場所かと思いました。

赤木城

途中、丸山千枚田を見晴台から眺めた。

赤木城

駐車場からも石垣が見える。
山城かと思いきや平山城だった。

赤木城

最初に現われるのは鍛治屋敷跡

赤木城

東郭から西郭へ向かう。

赤木城

西郭に上る石垣

赤木城

主郭の石垣を時計回りにまわる。
赤木城

主郭の石垣は屈曲があり、横矢掛になっている。

赤木城

北郭

赤木城

虎口から主郭に入る。

赤木城

主郭に建つ城郭標。平成8年に整備されたときに建てられたようだ。

赤木城

主郭

赤木城

しかし、藤堂高虎が縄張りしたという赤木城の周囲を見渡しても、山々に囲まれて集落がポツポツと見えるのみ。
なぜこんな場所に城が築かれたのかと疑問に思った。

赤木城

スタンプは旧紀和町の中心地にある熊野市紀和鉱山資料館である。
スタッフに聞いて見た。赤木城の辺りは木材の一大供給地で山奉行を置いていたのだという。

赤木城

スタンプは資料館入り口にあった。時間がなかったので資料館の中には入っていない。

長島城 三重県の城館

桑名から名古屋へ行く途中、念願の長島城を見に行きました。長島は長島一向一揆の地、木曽川、揖斐川、長良川の河口付近の輪中(中学で習いましたよね、でも地元でないと実地を見ないとイメージ沸かないんですよ)地帯を拠点に織田信長と激戦を交えました。とはいえ、今知られる長島城は近世江戸時代に整備された城(陣屋?)です。
長島城
本丸跡は長島中部小学校となっています。校門から右に校舎、正面から左に運動場が広がっています。正面に大きな松の木が見えますか?この松は後ほど
長島城
校門から隣の長島中学校へ歩いていくと、小学校の歩道脇に「長島城跡」の案内板が立っています。絵図がプリントされていますが、かなり薄くなっていますね。
長島城
長島中学校の校門は陣屋風です。
長島城
戻って小学校の校舎前まで来ました。
長島城
大きな老木が伊勢湾台風にも耐えて残っています。ここが本丸の南西隅となるそうです。長島城時代から残っている数少ない生き証人です。
長島城
小中学校前を流れる川に架かる「大手橋」の名が、ここが大手であったことを偲ばせてくれます。
長島城
橋を渡ると、道標が残っています。
長島城
それでは、下町方面を散策します。
長島城
長島城跡の川の対岸には寺が多数点在しています。ここは「正敬寺」、真宗大谷派です。
長島城
少し歩いて「花林院」は曹洞宗?かな
長島城
散策の目的は、この「蓮生寺」です。真宗高田派となります。
長島城
山門は長島城の「大手門」であったと伝えられています。
長島城
小さな高覧門形式ですが、大手門ということは先ほどの大手橋を渡ったところにあったんでしょうね。大手門というにはやはり小さくないですか?
長島城
瓦には増山氏の家紋である「雁金」を見ることができます。午前中だと内側から見るのがいいですね。正面は逆光で見にくい・・・
長島城
長島城の建造物唯一の遺構です。そんなに距離は離れていないので見逃さないように。

桑名城 三重県の城館

「その手は桑名の焼き蛤」という洒落で有名な桑名。
桑名城
東海道は名古屋の熱田の湊からここ桑名の湊まで舟でした。
桑名城
その距離から「七里の渡し」と呼ばれていますが、
桑名城
「七里の渡し」の鳥居の前で、桑名城沿いに進みます。
桑名城
この湊を見渡すところに、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が復元されています。現代で言う灯台の役割でした。見張り台の役割もありましたけど。
桑名城
徳川譜代の城として、「立ち葵」の家紋瓦に水の神として龍が乗っています。
桑名城
蟠龍櫓はライトアップのされています。それを見たくて、前日夕方見に行った写真がこれです。
桑名城
漆黒の闇に浮かぶ櫓。湊側から見ると、海に姿が写ってきれいです。風がない日はもっときれいでしょうね。
桑名城
七里の渡しの鳥居もライトアップされています。
さて、この蟠龍櫓の近くから散策します。
桑名城
桑名城と城下町の間、北大手橋の架かる堀には多くの舟が泊まっていましたが、その上がり部分は石造りで立派です。ここは藩政期そのままでしょうか?改修されているのでしょうか?揃わない石積みからは古いようにも見えますが。
桑名城
蟠龍櫓のある曲輪は三の丸です。早朝からご年配がゲートボールを楽しんでいました。
桑名城
三の丸は一部駐車場として無料開放されていますが、9時から開場される(ちょっと遅い)ので、自分は少し離れた場所に停めました。
駐車場横には藩政期城主だった本多忠勝の銅像が立っています。あの兜カッコいいですね。
桑名城
今の桑名城跡は幕末の譜代藩としての面影が残っているのでしょうが、桑名松平家よりも本多家のほうが地元の方には誇りなのでしょうか?
桑名城
本丸・二の丸は九華公園となっています。
桑名城
水堀が残る憩いの場ですね。公園の案内図でも城の形がよくわかります。
桑名城
管理事務所近くの扇橋口に、
桑名城
桑名城絵図を描いた案内板が立っています。
桑名城
管理事務所口には石が積まれていますが、この石は石垣の石の残りでしょうか?けっこう大振りですよ。
桑名城
野外ステージのある曲輪は「奥平屋敷」と呼ばれているようですが、
桑名城
この曲輪のまわりは藩政期そのままの石垣が残っています。堀沿いに残る石積みは見逃さないでくださいね。
桑名城
それにしても、堀が広いからか、ここは鳥たちの楽園ですね。二之丸橋のあたりが最も集まっていましたが、欄干に並んでとまる姿はどこか落ち着きます。
桑名城
堀に架かる橋の真ん中に東屋があり、その奥のグラウンドが朝日丸跡となります。
桑名城
本丸に入ります。辰巳櫓跡は小山として残っています。
桑名城
大砲のレプリカがある櫓台からの眺めはいいですね。
桑名城
もうひとつ櫓跡が残っています。こちらは神戸櫓跡です。
桑名城
本丸跡の一角に「桑名城跡」の石碑が立っています。
桑名城
本丸の半分ほどは現在神社になっています。
桑名城
鎮国守国神社。主祭神は藩祖松平越中守定信公です。ということは桑名藩の始まりは、松平家ということになっているのか?ここに本多家が入る余地はないようです。
桑名城
本殿の脇の紅葉は真っ盛りでしたが、この奥に天守台が残っています。実は一度見逃して帰ろうとして引き帰しました。
桑名城
天守台はひっそりと神社境内の残っており、
桑名城
見ると、大きい石がかなり使用されています。立派な天守台です。
桑名城
鎮国守国神社の隣は、九華招魂社。御祭神は戊辰戦争から太平洋戦争までの桑名出身戦没者のようです。
桑名城
その隣は鎮国稲荷神社となっています。かなり広いので、全部まわると2時間以上かかります。