大垣城 岐阜県の城館

大垣城

旧国宝だった大垣城は東西交通の要衝として、関ヶ原の戦いでは、一時西軍を率いた石田三成の本拠地となっていた。
関ヶ原の戦い後は、戸田氏鉄が入り、戸田十万石の居城となった。大垣藩は氏鉄を二代と数え、初代は一西としている。

空襲で焼失した後、昭和34年に鉄筋コンクリートで外観復元された。前の銅像は氏鉄公。

大垣城

天守とともに門も再現されている。

大垣城

外堀にあった7つの重要な門、大垣城七口之門のひとつ清水口門のあった場所

大垣城

堀は狭められているようで、橋桁の両側に飛び出た石積みが見えるが、これも近代のものかもしれない。

帰雲城 岐阜県の城館

帰雲城

帰雲城は幻の城である。それは天正の大地震(1585年11月29日)で帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理をはじめ一族と城下町がことごとく埋没したという伝承の城だからです。

帰雲城

現在の城址は推定地であり、昭和54年に採石業を営む田口建設の社長が整備しました。
観音像の背後の山頂付近が崩落した山が、現在の帰雲山で大崩落した山と考えられている。

帰雲城

帰り雲神社の本殿横に保管された城址の旧看板。



鉈尾山城 岐阜県の城館

鉈尾山城
北陸東海自動車道の途中に「古城山パーキングエリア」がある。
鉈尾山城
パーキングエリアに附近の地図があるが、古城山は別名、鉈尾山(はたおやま)と言われるらしい。パーキングからどの方角に山がそうであったのかよく分からなかった。
鉈尾山城
天文8年に佐藤将監清信が山上に築城し、3代目方政の時代に岐阜城の織田秀信に従って関ヶ原の合戦に出陣して生死不明となり、廃城となった。

川手城 岐阜県の城館

加納城から徒歩5分ほどのところに、済美女子高校があります。
川手城
その場所が斉藤道三に美濃守護職から追われた土岐氏の居城であった川手城跡となります。
川手城
校内のほぼ中央、小さな公園のようになっている一角に石碑と案内板が立てられています。
石碑は「史蹟川手城跡」となっていますが、案内板は「革手城」となっていて、統一感ないですね。
川手城
校庭はかなり広いですが、川手城の発掘調査は今まで行なわれていないようです。すでに廃城となっていた川手城は、加納城築城のときの部材として土砂までとられたようで、徹底的に破壊されたようですが、掘れば何か出てきそうなものですが・・・
石碑の場所が北隅になると推定されているようです。

加納城 岐阜県の城館

岐阜城の後、近くの加納城を見に行きました。
一方通行が多く、駐車場を探すうちに大手門跡に着きました。
加納城
大手門跡は旧中山道沿いに建ち、この道路をまっすぐ進んだところに本丸跡が残っています。
中山道
ついでに旧中山道に立っている道標を見てきました。加納城城下町の中山道には他に2箇所道標があります。
駐車場をやっと見つけました。本丸跡の南側入口です。
加納城
本丸跡は周囲の石垣が多く残っていますが、草で覆われているものが多いです。こちらは東南隅の石垣です。
加納城
こちらは東側の二の丸から入る升形の南面ですが、草の枯れる冬が撮影の好機ですね。
加納城
本丸はかなりの広さで、周囲を土塁が巡っています。夕方は近所の方の犬の散歩コースとなっているですね。
加納城
本丸に南から入ったところに案内板が立てられています。
加納城
こちらは西南隅の石垣です。
加納城
本丸西面の中央部あたりは、土塁の高さに比べ石垣が低く作られていますが、この土塁の上あたりにも櫓がひとつありました。
加納城
こちらは西北隅の石垣です。この隅は天守台と言われていますが、他の三隅に比べ石垣の高さが低いですね。
加納城
こちらは東北隅の石垣です。
加納城
二の丸跡の大部分はJR東海の管理地で更地となっています。
加納城
二の丸東北隅に岐阜地方気象台が建っています。気象台の西南隅にそれらしい石垣がありますが、これは新造のものです。
加納城
ぐるりと回って、加納小学校に隣接する北面に向かうと、そこには二の丸で唯一石垣が残っています。
加納城
少し突出した部分には御三階櫓が建っていたので、ここは巨石が使われて立派ですね。
しかし、よく見ると崩落防止のため、石垣の間はセメントで埋められており、遺構が完全とは言えず残念です。
加納城
振り返ると、加納小学校の校庭があります。ここは内堀を挟んで三の丸があったところです。
加納城
二の丸、三の丸の東側には荒田川が流れ、天然の外堀となっていますが、上流を望むと、金華山と岐阜城が見えます。思いの外、遺構の残っている加納城跡でした。

丸山砦 岐阜県の城館

岐阜城の馬の背登山道と瞑想の小道(水手道)が分岐するところに、伊奈波神社跡があります。
丸山砦
ここが丸山砦跡です。金華山頂上の岐阜城を守備するために、尾根筋に築かれた砦のひとつです。
丸山砦
遺跡の一番の奥の平坦部には石堂があります。木々が囲み、見晴らしを確認できないのは残念です。
附近は神社建設や後世の改変が著しく、砦跡の痕跡はこの郭の大きさのみですね。

天下布武のはじまり 岐阜城 岐阜県の城館

岐阜城を訪れたのは9年ぶりです。前回は雲ひとつない晴天で作り物のような写真になった日でしたが、午前中の曇天が嘘のように午後からは同じく雲ひとつない晴天となりました。
岐阜城
岐阜公園側から4本ある登山道のうち、行きは百曲り登山道を登ることにしました。
岐阜城
しばらく登ると、ここに郭があったことを思わせる石積みの隅部分がありました。
岐阜城
登山道の途中には道をそれないように何箇所にも看板が掲示されています。
岐阜城
というのも、所々岩だらけの場所が登山道となっていて、道がわかりにくいのです。先週は一乗谷山城を登りましたが、他の山城はけもの道のように道が続き、道がわかりにくいということはないのですが、金華山の道のわかりにくさは別物ですね。
しかし、さすがに岐阜城、登る途中に何人もの人とすれ違いました。
岐阜城
40分ほどでロープウェーの山頂駅に到着しました。
岐阜城
山頂駅からは別方向に七曲り登山道(大手道)が続いています。次回はこの道から登ることにしましょう。
岐阜城
山頂駅のすぐ近くに天下第一の門が立っています。冠木門のこの門は実際あったものではなく、記念として新造されたものです。
岐阜城
少し進むと上格子門跡がありますが、ここは実際に戦闘も行われました。
岐阜城
さらに進むと、馬場跡。
岐阜城
そして、二の丸門があります。手前の階段脇に残るのは旧石垣遺構ですが、
岐阜城
塀下の石垣、冠木門は新造のものです。
岐阜城
二の丸には塀が復元されていますが、その塀越しに復元天守を見ることができます。晴天では奥が白飛びして写真がうまく撮れません。
岐阜城
階段の途中からは岐阜城資料館を左に見て、岐阜市内が臨めます。
岐阜城
階段を上り、気象台の建物の横を下りていくと、軍用井戸が残っています。
岐阜城
岐阜城
模擬天守を写すにはここが一番のベストポイントですね。
岐阜城
石垣には金華山で取れる自然石が積まれています。
岐阜城
模擬天守の最上階から眺める景色は絶景です。遠くが霧がかっているのは残念です。
岐阜城
長良川にかかる橋の向こう側には斉藤道三が隠居していた鷺山城が見えます。
岐阜城
それでは、帰りは馬の背登山道を行くことにします。
岐阜城
ここを帰り道に選んだのは間違いでした。写真の場所が最難関の10メートル以上続く岩場ですが、行きの百曲り登山道以上の難所が多く、下りるのに40分。下りは上りより時間がかからないのが常識ですが、岐阜城はあなどれません。そういえば、入口看板に「老人・幼児には無理です」って書かれてあったな・・・
さて、岐阜城の遺構は近くにもうひとつ残っています。自家用車で岐阜公園に来たときは公園駐車場に停めることも多いと思いますが、
惣構土居
この駐車場の隣接する金華山トンネルから延びる土盛りが、城下町を囲むように作られた惣構の土居の跡です。残存部分はわずか数十メートルですが、貴重な遺構です。
惣構土居
まだまだ見逃した遺構がありますが、それは次回ですね。

織田信長居館跡 岐阜県の城館

岐阜城のある金華山の麓、岐阜公園内に織田信長居館跡があります。
1984年、岐阜市制100年の記念事業として、居館復元を目指し発掘調査が始まりました。
織田信長居館跡
第一次調査部分の入口には冠木門が復元されていますが、礎石が出土したわけではなく、位置もはっきりしていないようです。
織田信長居館跡
門をくぐり階段をのぼると、巨石が並ぶ通路が目の前に広がります。
織田信長居館跡
整備されてから時がたっているので少し草も繁茂して荒れた感じもありますが、すばらしい遺跡です。
織田信長居館跡
直角に曲がる通路を通って、階段を上ったところに石碑が立っています。
織田信長居館跡
織田信長居館跡
雨が降ったあとだと坂が少し滑りやすいので気をつけないといけません。
織田信長居館跡
ここまでは曇り空の午前中の写真を掲載しましたが、以下は晴天の夕方の写真となります。
織田信長居館跡
晴れすぎていると木の影がくっきり出てしまいますので、うす曇のほうが写真としては分りやすいですね。
織田信長居館跡
金華山ロープウェー
さて、ロープウェーの麓駅の西側入口の脇に第3次調査で発見された戦国時代の井戸が復元されています。
井戸跡
今は蓋が掛けられているので中はのぞくことができないのが残念です。
現在第4次調査が行われている信長居館跡ですが、あと数年後にはさらに奥まで整備されることと思いますので楽しみですね。最奥の上段には展望台でも作って城下方向の木々を払って見晴らしを体験できればいいと思いますがいかがでしょうか?