日本100名城スタンプラリー 今治城

今治城

66城目は今治城です。スタンプは内堀越しに山里櫓を見たものか。

今治城

北の鉄御門口にある駐車場に停めて入る。

今治城

内堀にかかる鉄御門までの土橋

今治城

入ると藤堂高虎公の銅像が建つ。

今治城

天守前の櫓門

今治城

天守は斜めからが見栄え良いか

今治城

天守に入ると100名城の認定証を見つけた。

今治城

最上階から見るとすぐ近くに瀬戸内海が迫り、海城だということがよくわかる。

今治城

天守を出て隅櫓を巡る。
御金櫓は現代美術館になっている。

今治城

山里櫓は古美術館になっている。

今治城

鉄御門に連なる武具櫓

今治城

中は木造建築の構造を楽しめるようになっている。

今治城

天守と3つの櫓をめぐってポストカードをもらった。

日本100名城スタンプラリー 松山城

松山城

65城目は松山城です。スタンプの図柄は連立式天守を鳥瞰したものです。

松山城

早朝東雲神社へ行った時見た、東雲口登城道の入口付近にある加藤嘉明公の銅像です。

松山城

本丸へは県庁裏登城道から上ります。
入口付近に二之丸があり、現在は庭園になっているが、基礎の石垣は残っている。

松山城

こちらから上り始めたのは途中の登り石垣を見るためだが、木々であまりよく見えない。

松山城

東雲口のロープウェイ到着駅と合流し本丸へ向かうと、高い石垣が目の前に現れる。ここまで来ればロープウェイで上がってきた大勢の観光客と一緒に進む。

松山城

途中、太鼓櫓と石垣の先に天守が見えるがまだまだ。

松山城

戸無門

松山城

ほとんどは筒井門を通ってそのまま進む。

松山城

筒井門の奥に隠れた隠門を見に行く人は少ない。

松山城

太鼓門をくぐるといよいよ広い本丸の平坦部に出る。

松山城

連なる本丸の石垣折れの先に天守と海が見える。

松山城

本丸の中程に武具櫓

松山城

天守に着く頃には昼過ぎだったが、天守に入るために行列になっていた。
松山城へ来るのは2度目だ。約25年ぶりくらいだが、ゴールデンウィークとは言え、ここまで並ばないと入れないとは・・・
待ち時間に整理員の方と少し話をする。昼食時間なので行列は少し短いということだが、近年は年間20万人訪れるという、城ブームも定着したということか。

松山城

行列の先頭で連立天守内に入れたが、

松山城

中に入ると内側にまだ行列が続いていた。結局30分以上待っただろうか。
しかし、天守から見る眺めは良かった。

松山城

帰りに城カードを購入するためにもう一度券売所に立ち寄ったときに、100名城の認定証を見つけた。

松山城

帰りは紫竹門から古町口登城道から下りる。

松山城

乾門を出て

松山城

乾櫓などを見上げるこちらの景色もいいものだが、人気はほとんどない。

松山城

古町口は舗装されておらず、かつての雰囲気を感じることもできる道だった。

日本100名城スタンプラリー 湯築城

湯築城

64城目は湯築城です。道後温泉に隣接し、道後公園として国史跡に指定されています。

湯築城

早朝で資料館の開館まではまだ時間があったので、まずは山を上って周回することにする。杉の壇に到着

湯築城

一番高い本壇に到着する。

湯築城

あまり広くはないが、展望台から松山城のある勝山が見える。

湯築城

内堀沿いに残る土塁

湯築城

排水溝と土塁を押さえる石積みが残る部分もある。

湯築城

外堀の土塁の一部が内部展示室になっている。

湯築城

公園内には武家屋敷が2軒復元され、そのうちの1軒がスタンプの図柄に採用されている。

湯築城

中には人形が置かれ、一族の会合の場面が再現されている。

湯築城

資料館に到着する頃にちょうど開館時間となった。

湯築城

中には現在の道後公園の模型があり、鳥瞰して地形を確認できる。

湯築城

100名城の認定証もあった。

湯築城

湯築城では探検シートというのがあって、ポイントをめぐってスタンプを押したり、クイズを答えたりしてすべて回ると資料館でポストカードとペーパークラフトがもらえる。

小黒丸城 福井県の城館

小黒丸城

福井県を走っているとき、ふと目に入ってきた小黒丸城跡の石碑

小黒丸城

元はこの位置から北に50メートルほどの水田台地に石碑が立っていたらしい。

小黒丸城

北に九頭竜川、西に日野川の二大川が合流する場所に築造され、鎌倉時代に北朝方の斯波高経が守った城という。

小黒丸城

50メートルほど北の現状。圃場整備により昔の様子は知る由もないが、北に向かって緩やかに上りになっている。

勝龍寺城 京都府の城館

長岡京市の勝龍寺城。細川藤孝・忠興父子の居城であった。

現在本丸跡が勝龍寺城公園として整備されている。

本丸北門跡。右折れで2つの門を持つ桝形門。

周辺の石仏や五輪塔が集められている。

本丸から沼田丸への通路

南門は資料館へつながる道として桝形として復元されている。

本丸井戸跡

本丸内の細川忠興・ガラシャ夫妻の像

北に100メートルほど行ったところの神足神社境内にある空堀と土塁、土橋の遺構。

ここに設置された案内板に現在の地図に重ねた勝龍寺城の縄張図が書いてあり非常にわかりやすい。

大垣城 岐阜県の城館

大垣城

旧国宝だった大垣城は東西交通の要衝として、関ヶ原の戦いでは、一時西軍を率いた石田三成の本拠地となっていた。
関ヶ原の戦い後は、戸田氏鉄が入り、戸田十万石の居城となった。大垣藩は氏鉄を二代と数え、初代は一西としている。

空襲で焼失した後、昭和34年に鉄筋コンクリートで外観復元された。前の銅像は氏鉄公。

大垣城

天守とともに門も再現されている。

大垣城

外堀にあった7つの重要な門、大垣城七口之門のひとつ清水口門のあった場所

大垣城

堀は狭められているようで、橋桁の両側に飛び出た石積みが見えるが、これも近代のものかもしれない。

帰雲城 岐阜県の城館

帰雲城

帰雲城は幻の城である。それは天正の大地震(1585年11月29日)で帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理をはじめ一族と城下町がことごとく埋没したという伝承の城だからです。

帰雲城

現在の城址は推定地であり、昭和54年に採石業を営む田口建設の社長が整備しました。
観音像の背後の山頂付近が崩落した山が、現在の帰雲山で大崩落した山と考えられている。

帰雲城

帰り雲神社の本殿横に保管された城址の旧看板。



戦国の城と道の実像を探る 加越国境城跡群及び道シンポジウム

加越国境城跡群及び道

今年10月に国史跡に指定されたことを記念したシンポジウム、「戦国の城と道の実像を探る ~加越国境城跡群及び道~」に行ってきました。

加越国境城跡群及び道

場所は石川県文教会館。30分前開場ということで、その10分前に着いたのですが、すでに50名ほどの行列で、先着500名とはいえこういうテーマでは埋まることはないとは思っていましたが、ゲストを良い場所で見たいということでしょうか。

今日のゲストの一人が、落語界一の城好きで知られる春風亭昇太さんでした。シンポジウムなのに始めに落語会あったりして楽しかったです。

昇太さんが来ていたこともあるんでしょうか、撮影禁止だったので中の様子はありません。

シンポジウム次第
13:00
 開会
 記念落語 春風亭昇太氏
 記念講演「加越国境城跡群の歴史的意義」 千田嘉博氏(奈良大学学長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
14:50
 報告1「天正12年の加越国境の戦い」 木越隆三氏(石川県金沢城調査研究所所長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
 報告2「加越国境城跡群及び道の調査成果」 向井裕知(金沢市文化財保護課)
 パネルディスカッション「戦国の城と道の実像を探る」
  コーディネーター 谷内尾晋司氏(石川考古学研究会会長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
  パネリスト 春風亭昇太氏、千田嘉博氏、宮下英樹氏(漫画「センゴク」作者、七尾市出身)、木越隆三氏、向井裕知氏

国史跡「加越国境城跡群及び道」は、前田方の城「切山城跡」、佐々方の城「松根城跡」、双方の城が通過する「小原越」の三史跡が対象となっています。これらの史跡は天正12年(1584)の羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦いが北陸に波及して構築・改修された城群であり、道を巻き込みながら、また道を遮断して付け替えたりした城跡が良好に残っています。道を含んで史跡指定された初めてのケースとなります。今日のシンポジウムを聞いて非常に珍しい貴重な史跡だと再認識しました。

史跡指定された両城跡の他に、加越国境には
・高峠城と荒山城と二俣越
・朝日山城と一乗寺城と田近越
・津幡城と和田山城、龍ヶ峰城と北陸道(倶利伽羅峠)
など残っている城跡も多く、調査が進めば追加登録される可能性はありますね。

今後の整備予定として、切山城跡と松根城跡の木々を切って双方の城跡が目視できる状態にするのと、金沢城からも見えるようにするそうです。楽しみです!

加越国境城跡群及び道

さて、今日は見開きのパンフレットが一部、先着でポスターをもらい、これまた先着で春風亭昇太さんの著書「城あるきのススメ」を購入できました。

加越国境城跡群及び道

30冊ほどありましたでしょうか?春風亭昇太さんのサイン入りです。「持って帰るのは重いので皆購入して!」とか言っていましたが、帰りには完売していたようです。中学校時代の趣味だったとか、シブいですよね。

富樫館 石川県の城館

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市情報交流館カメリアで行われた埋蔵文化財講演会「守護所富樫館の姿と加賀の城」に行ってきました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市文化振興課の田村さんから現在までの富樫館の発掘調査報告がありました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

少し前までは館の場所が確定していませんでしたが、ようやく江戸期の絵図に残る館を囲む堀跡が見つかりました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

堀跡からは銅鏡が見つかりました。中央に亀、上に鳥が2羽向かい合っています。

守護所富樫館の姿と加賀の城

館の東側は九艘川(くそうかわ)を堀の替わりとしていました。館の少し南側で中世の九艘川の跡も見つかっています。
川名の由来は九艘の舟が通れるほどの大きな川だったとか。

守護所は舟運に恵まれ、中世北国道と宮腰から白山本宮まで通っていた白山大道の結節地点という要衝にありました。この立地条件の良さは新しい見知でした。

守護所富樫館の姿と加賀の城

基調講演は奈良大学の千田嘉博氏による講演でした。時折冗談も入りとても興味深い内容で、中世の館が室町将軍の足利義満の建てた花の御所をモデルに全国の守護大名や守護代に広がったこと。きっと富樫館も同様の風景が広がっていたことを想像させるものでした。

講演終了後、実際の現場を見てきました。聞いた後だと現地巡りも楽しいです。他に人はいなかったけど

富樫館

最初にすみよし公園。この角地と隣の建物部分の発掘調査で九艘川の川跡が見つかりました。やはり今は跡形もないです。

富樫館

そこから北方面へ。住宅地のなか、今日いただいた資料とにらめっこしながら堀跡を探すと・・・ありました!

富樫館

ここには案内板もあります。これは講演会でも告知すべきことだと思いますが、ここは残るということでしょうね。

富樫館

堀跡は奥の区画。幅も広いですね。午前中に千田先生も見学されたということでしたが、雪が一面に積もっているおかげで凹みがよく見えます。

富樫館

最後に北鉄工大前駅に

富樫館

富樫館の場所が確定していなかった頃に駅前にこの石碑が立てられました。実際の館跡はこの石碑とすみよし公園のちょうど間になります。

若狭国吉城 福井県の城館

若狭国吉城
1年ぶりに若狭国吉城歴史資料館へ行ってきました。
若狭国吉城
常設展示も一室ながら充実していて見応えありますよ。
若狭国吉城
今日は関西文化の日という企画で入館無料。さらにハイウェイキャンペーンで絵葉書1枚、アンケート記入で絵葉書2枚いただいてきました。
若狭国吉城
秋の企画展が興味深いものが多く、今年は「城の形 国吉城の姿を想像しよう」というテーマで、山城の国吉城の在りし時を想像するもの。城の基礎知識が多かったなかで、私の見たかったのはこれ!
国吉城の発掘調査一覧。本丸の周囲から埋もれた石垣がどんどん見つかっているという情報です。受付で聞いたら、まだ調査は続いていて埋められていないということ。
早速本丸へゴー!
若狭国吉城
昨年と違ったこと。この柵ですね。麓の居館跡の上をずらりと防御。あれ?上に行けないのかと思いきや、自分で開け閉めすることで行けました。昨年は猿に遭遇したけど、イノシシなんかもいるのかもしれません。
若狭国吉城
発掘現場に到着すると、調査面はブルーシートに覆われることなく露出していました。休日の一般見学者への配慮ありがたいです。
若狭国吉城
本丸に到着する頃には天候は下り坂、早く下山しないと。
若狭国吉城
昨年発掘の真っ最中だった本丸下の堀切。
若狭国吉城
間近で見学できます。
若狭国吉城
まだこれからのトレンチもあるようです。
若狭国吉城
下の段に下りて、先の石垣が二段になって積まれている部分へ。
若狭国吉城
現在の発掘現場あたりは本丸下をぐるりと石垣が巻いていた様子がよくわかります。展示と合わせて見学するとよくわかります。もうしばらくは見学できそうですよ。
国吉城は若狭町にとって歴史上もっとも表舞台に出てきた城跡ですから、これからも多方面に調査、整備が進むと思います。ちょっと期待。