塩硝蔵跡 国史跡に申請

金沢市は4日までに、江戸時代に加賀藩が設置した火薬製造施設「土清水塩硝蔵跡」を国史跡に指定するよう、県教委を通じて文化庁に申し出た。国史跡「辰巳用水」への追加指定を目指す。
金沢市は国指定を機に塩硝蔵跡の保護と継承を図り、指定地の公有地化を積極的に進める方針である。(北國新聞2012年8月5日付け記事より)

七尾城跡 全山に精巧な防御構造

七尾市教育委員会の七尾城跡石垣調査委員会は4日までに、石垣など石の構造物が城内に約380カ所あることを確認した。分布が広範なことから、日本最大級の山城である七尾城は全域にわたって精巧な防御構造を備えていたことが明らかになった。同市教委は今後も調査を続け、2015(平成27)年度以降に石垣などの整備を図る。
約380カ所のうち約100カ所は石垣と見られ、野面積みの石垣は、防御や土留め、装飾などそれぞれ異なる機能を持つことも分かった。
この調査で、現在の大手道以外に、西側の麓から山上に向かう新たな道筋が確認された。道中には巨石「九尺石」を使ったものなど、数カ所の枡形があった。
(北國新聞2012年7月5日付け記事より)

金沢城玉泉院丸庭園の復元 泉水、中島の造成に着手

加賀藩の築庭様式の中で、ひときわ異彩を放ったとされる名園が現代によみがえる。石川県は新年度、金沢城玉泉院丸庭園の復元に乗り出す。江戸末期の絵図や埋蔵文化財調査で確認された遺構を基に、泉水や中島などの造成に着手。パノラマ上に広がる石垣景観との一体的な整備を進め、2014年度の北陸新幹線金沢開業までに往時の姿を再現する。
新年度は、文化庁や玉泉院丸跡調査検討委員会の専門家らと協議し、庭園の復元に向けた具体的な設計に入る。江戸末期の絵図や埋文調査の結果を基に、池の形や位置を忠実に再現するほか、庭園に植える樹木についても兼六園など他の大名庭園を参考に、当時の植生を再現する方針だ。
県は、北陸新幹線の金沢開業までに庭園中心部を先行して整備するとともに、外周部の埋蔵文化財調査を続け、遺構などが確認できたところから順次復元していく。
県は、玉泉院丸跡の外周石垣の復元工事にも着手する。旧県立体育館の出入り口を造る際に取り壊された合同庁舎前交差点前の石垣が対象で、スロープで分断された部分に戸室石を積み足し、城郭外周の景観を整える。(北國新聞2012年1月3日付記事より)

旧江戸村の海鼠塀調査へ

石川県は、金沢市湯涌温泉の「旧江戸村」に保管されている金沢城玉泉院丸跡の海鼠塀の調査に乗り出す。移築の経緯や保管状況などを調べ、玉泉院丸の整備に合わせた塀の活用を検討する。
旧江戸村に保管されているのは、玉泉院丸外周の石垣上にあったとされる土塀の一部。高さ2.9メートル、長さ13.37メートルで、金沢市などの記録によると、1969(昭和44)年7月に玉泉院丸跡から現在の場所に解体、移築されたという。(北國新聞2011年12月21日付け記事より)

高岡城跡 「貫土橋」の遺構か

高岡市の高岡城跡(高岡古城公園)の発掘調査で、細かい石を敷き詰めた栗石層が「貫土橋」(かんどばし)周辺で見つかった。市教委は16日、報道陣向けに現地説明会を開き、江戸時代初期の文献や絵図でしか残っていない貫土橋の存在を裏付ける遺構となる可能性を指摘した。梅苑周辺からは複数の土塁も発掘され、城跡の基本構造が徐々に浮かび上がってきた。
市教委によると、調査区間内に10~20センチのこぶし大の石が約20メートル、最大約2メートルの幅で敷き詰められ、栗石層を形成していた。通常、石垣の基礎部分を沈下させないように固め、安定性を高めるために設置される。(北國新聞2011年12月17日付け記事より)
高岡城
遺構が見つかった朝陽橋付近

切山城跡 火縄銃の鉛玉発見

金沢市北東部の切山城跡で行われた市の発掘調査で3日までに、火縄銃の鉛玉1個が出土した。16世紀後半の製造とみられ、同時期の土器片も見つかった。市埋蔵文化財センターによると、築造年代の特定につながる初めての出土品で、同遺跡を含む一帯の城郭群の国史跡指定を目指す動きに弾みがつきそうだ。
鉛玉は直径約1.1センチで医王山方面を望む物見やぐら跡周辺から出土した。同センターによると、16世紀後半から国内で広く使われた火縄銃の鉛玉と特徴が同じだという。このほか、1~2センチ四方の土器片3点が出土した。(北國新聞2011年12月4日付け記事より)
切山城
鉛玉が見つかった物見櫓周辺

旧小松城瓦34点発見

旧小松城に使われたとみられる瓦の破片34点が8日までに、小松市丸内町の用水で見つかった。小松市埋蔵文化財センターによると、現地は江戸時代は堀で、明治期に旧小松城の建物を壊して堀を埋めた際に瓦も投棄されたと推測され、「発見地周辺に他の遺物が残っている可能性が高まった」としている。
瓦は平瓦と丸瓦などの一部で、大きなものでも縦横10センチ四方程度しかないため、どこに使われていたかは不明という。
明治維新後、政府は城郭の破壊と用地の払い下げのため、建物や石垣などで堀を埋めるように地元に求め、瓦も埋め立てに使われたとみられる。同センターは「発見地では城郭が完全に破壊されていると推測されていた」と説明している。(北國新聞2011年6月9日付記事より)

金沢城橋爪門の遺構確認 二の門の位置特定

金沢城橋爪門の復元整備で、石川県は19日までに、1881(明治14)年の火災で焼失した橋爪門二の門の遺構を確認した。巨大な柱の重さに耐えられるよう地盤を固めた跡と、橋爪門続櫓の石垣から発見された柱と屋根の焼け跡が手掛かりとなり、門の正確な位置が裏付けられた。(北国新聞2011年2月20日付記事より)

弘前城築城400年祭

弘前城は、藩祖為信公により計画され、二代藩主信枚公により慶長16年(1611年)に完成しました。
以来、弘前市は、先人達のたゆまぬ努力により津軽地域の政治・経済・文化の中心都市として発展してまいりましたが、平成23年(2011年)に築城400年の節目の年を迎えました。
弘前城の築城は、現在の弘前のまちなみ形成の礎であり、築城から400年を迎えることは、歴史的にも、まちづくりの観点からも非常に大きな意義があります。
また、この機会を、先人の歩みを振り返りながら新たな未来へ踏み出す第一歩と位置づけ、平成23年に、市民と共に全市を挙げて「弘前城築城400年祭」を実施することといたします。


弘前城築城400年祭ホームページ
弘前城築城400年祭
マスコットキャラの「たか丸くん」かわいいですね。実物を見てみたいなー
関ヶ原合戦の前後数年は築城ラッシュで、藩の基礎ができた時代ですから2000年ぐらいから築城400年祭が各地で開催されてきました。もう終盤という感じがしますが、現地へ出かけてみようかという良い機会になります。

増山城跡整備 安室屋敷跡一帯に着手

砺波市の国指定史跡・増山城跡の雑木林整備などに取り組む砺波市教育委員会は新年度、阿室(あじち)屋敷跡一帯での作業に着手する。伐採を終えた一の丸跡付近からは高岡市福岡町の木舟城跡など戦国時代の主要な城跡が見渡せる。増山城は越中三大山城の一つで、2009年7月に国史跡に指定を受けた。
増山城には一の丸、二の丸、三の丸のほか、隠居所とされる安室屋敷などがあった。城跡一帯は放置されていた時代が長く、地元の増山杉がうっそうと茂る。砺波市教育委員会では来年3月まで3年計画で整備に取り組み、既に一の丸跡などで不要な雑木を伐採した。
新年度は安室屋敷跡の増山杉を伐採する。切り出された増山杉はチップにし、城跡の遊歩道などに敷き詰めて再利用している。増山城跡の保存に関しては、保存管理計画策定委員会が新年度末までに計画を策定する予定となっている。(北國新聞2011年1月4日付け記事より)

地中に眠る秀吉時代の石垣 大阪城、市が本格調査へ

豊臣秀吉(1537~1598)の呼び名にちなみ、「太閤(たいこう)さんの城」として親しまれる大阪城。しかし、現在の石垣は徳川時代のもので、秀吉の遺構は約400年間、地中に眠ったままだ。天守閣復興から80年となる来年度、大阪市はその謎に迫ろうと、本格的な発掘調査に乗り出す。
財団法人「大阪市博物館協会」などによると、1583年に秀吉が築城を始めた大阪城は、徳川家康の攻略により、1615年の大坂夏の陣で落城。天守閣は焼け落ちた。現在の石垣(高さ最大32メートル、総延長11.2キロ)は、徳川2代将軍の秀忠が再築した。豊臣の石垣は地中に埋められ、その上に徳川の石垣や新たな天守閣が造られたという。
豊臣の石垣の一部が初めて確認されたのは1959年。堀の水が干上がった際に市が地盤調査をしたところ、本丸の地下約7メートルから見つかった。翌60年に幕府の大工頭の子孫宅で発見された豊臣時代の本丸の図面とも一致。天守閣前の広場に見学用の穴(直径約3メートル、深さ約10メートル、普段は非公開)が設けられたが、それ以外は埋め戻された。
市は、来年度予算案に調査費数百万円を計上する。豊臣時代の石垣は、加工した石を積み上げた徳川期のものとは違い、自然石を多用した3段構造。まずは、85年に現天守閣の南東約100メートルで発見された旧本丸の最上段「詰(つめ)の丸」の石垣の調査を始める。(asahi.com2011年1月2日付け記事より)
大阪城

高岡城「天守閣」調査へ

高岡市教育委員会は13日までに、高岡城跡の発掘調査で、「天守閣」予定地との指摘がある本丸北端など7ヵ所を今年度の調査対象にすることを決めた。定説では高岡城に天守閣は造られなかったとされるが、本丸北端は地形などから重要施設があった可能性が大きく、市教育委員会は城の構造解明の足掛かりになることを期待している。
高岡城は築城時の姿がほとんど分かっていない。同市教育委員会は国史跡指定を目指し、今年度から3ヵ年の発掘調査を計画し、本丸北端など7ヵ所については年内にも着手する。調査対象は、本丸北端と南端、土橋の石垣、本丸外周の土塁3ヵ所、北端斜面の計7ヵ所で保存状態は良い。(北国新聞2010年12月14日付け記事より)

土清水塩硝蔵 「縮具所」にも水路跡

加賀藩の黒色火薬製造施設だった「土清水塩硝蔵」の第4次発掘調査で、火薬の原料を練り合わせて板状に延ばす工程を行ったとみられる「縮具所」の遺構が金沢市涌波町の発掘現場で見つかった。施設内に水路の跡が確認されたことから、辰巳用水の水を引き入れて水車を回していたと考えられ、同用水と塩硝蔵の密接な関係があらためて裏付けられた。
調査結果は、12日に開かれた現地説明会で報告された。縮具所は、1864(元治元)年の塩硝蔵改修工事に合わせて新築されたとみられ、絵図に配置が示されているが、その役割ははっきりしていなかった。4ヵ年にわたる発掘調査は今回で一区切りとなり、市では年度末をめどに報告書をまとめる。(北國新聞2010年12月14日付け記事より)

金沢城 「升形」遺構の発掘成果紹介

金沢市本町1町目にある金沢城・西外惣構跡の「升形」遺構で11日、発掘調査の成果を紹介する見学会が開かれ、参加者は堀の跡や遺構から出土した陶磁器片などに見入り、藩政期の風景と当時の暮らしに触れた。
升形は金石港と城下町を結ぶ宮腰往還が西惣構と交わる軍事、交通上の要衝に設けられ、堀をコの字形に屈曲させて町の防御としていた。同市は2008年度から調査を進め、屈曲部に築かれた石垣や4期にわたる埋め立ての跡などを確認している。
見学会では、くいなどで土止めして堀を埋め立てた跡や、埋め土から見つかり年代特定の手掛かりとなった碗の破片などが紹介された。調査は今年度で終了し、市は来年度から復元整備に向けた計画策定に着手する。(北國新聞2010年12月12日付け記事より)

七尾城跡 国史跡の範囲4倍に

文化審議会は19日、国史跡に指定されている七尾城跡周辺の20万2495平方メートルを、国史跡に追加指定するように答申した。早ければ来年2月にも答申通りに指定される見通しで、国史跡の七尾城跡の面積はおよそ4倍となる。
追加指定される場所には、安寧寺や番所、長屋敷跡など七尾城を構成した建物跡が含まれている。
他に城館関係では、「岐阜城跡」と「松坂城跡」が新規答申されている。(北国新聞2010年11月20日付け記事より)

加越城郭群 国史跡へ調査

金沢市は8日までに、市北東部の松根城跡、切山城跡を含む一帯について、国史跡指定に向けた調査に着手した。石川、富山県境に近い二つの城跡は、文化庁も羽柴(豊臣)秀吉の天下統一に至る過程を示す貴重な歴史遺産であると高い評価を与えている。市は来年度以降に本格的な調査を進め、「加越国境城郭群」として一体的な価値付けを目指す。
松根城、切山城とも小原越を城の中に取り込んで築城している点が特徴。いずれも本丸などの建物は現存していないが、土塁や堀などの遺構は良好な状態で残っている。(北国新聞2010年11月9日付記事より)

中津城の天守閣 一般売り出しへ

中津城の市への売却交渉がついに決裂したそうです。
今は最後の城主、奥平氏の子孫の方が経営する会社の経営となっていますが、長年の赤字により売却交渉が行われていたのではないかと思います。
天守は観光用の模擬天守で元々あったわけではありませんが、民間へ売却ということになれば大きくその姿を変えてしまうことも考えられますね。
私はNHK大河で「大奥」が放映された2008年に九州旅行に行ったときに、最後に見納めにしようと見てきました。どうなることやら???
朝日新聞社
http://www.asahi.com/national/update/0706/SEB201007060012.html

大野城築城430年祭

1600年の関ヶ原合戦後、徳川政権による泰平の世を迎え、各藩で最後の築城ブームが起きました。
それから400年後の2000年から、各地で400年を祝う行事が開催されてきましたが、福井県大野市でも今年「大野城築城430年祭」が開催されるようです。
430年?ちょうどの記念年ではないように思いますが、記念行事が4月から行われるようです。
大野城築城430年祭
http://www.ono430.com
記念行事のピークは10月のようです。

映画「火天の城」ついにDVD発売!

火天の城
昨年9月に公開されて好評を博した「火天の城」のDVDがついに発売されました。安土城が舞台となれば購入しないわけにはいきませんよね!!
当然メイキングが収録されたボーナスディスク付きの特別限定版ですよ。きれいな安土城の蒔絵シールも付いています。ゆっくりと楽しもうと思います。

金沢城公園石垣回廊 3月前面完成

金沢城公園の「石垣回廊」が3月に完成する。県は、宮守堀の水堀化と鯉喉櫓台の復元整備が完了するのに合わせ、百間堀から石川門下、大手門を経由して県丸の内駐車場に至る約1.5キロの新コースを整備する。これにより、城内外の石垣をめぐる計4キロの回廊がすべて仕上がることとなり、「石垣の博物館」と称される同公園の回遊性がさらに高まることになりそうだ。
新たに完成する外周ルートの「大手堀・百間堀コース」は、藩祖前田利家の入城後まもなく築造された百間堀の「文禄石垣」や、畳3~5枚相当の巨大な鏡石が威容を誇る大手門下の石垣などが見どころ。石川門下や鯉喉櫓台前などコース内の5ヶ所に、石垣の築造年代や構造などを記した説明板を設ける。
石垣回廊は2002年3月に城内ルート(1コース)が完成して以降、これまでに城内外をつなぐ連絡ルートに薪の丸、三十間長屋、玉泉院丸の3コース、外周ルートに、いもり堀、鼠多門の2コースが整備された。今回、3本目の外周ルートとなる大手堀・百間堀コースが加わることで、かつての外堀に沿って城外をぐるりと一周できる計2.2キロの散策路がつながることになる。(北国新聞2010年1月12日付記事より)