加賀藩歴史文化護持協力会の総会

今日は四高記念文化交流館で加賀藩歴史文化護持協力会の総会がありました。

加賀藩歴史文化護持協力会

賛助会員となっているので講演会に参加してきました。愛知県立大学講師の長屋隆幸氏の講演でした。

加賀藩歴史文化護持協力会

テーマは本年度頒布されました、横山家伝来の大坂冬・夏の陣図(大坂冬御陣図・大坂夏御陣図)を題材に、前田家にとっての大坂の陣でした。今年は大坂冬の陣から400年となる記念の年です。貴重な資料の翻刻は嬉しい限りです。

加賀藩歴史文化護持協力会 第4回総会・講演会

加賀藩歴史文化護持協力会 第4回総会・講演会
加賀藩歴史文化護持協力会の第4回総会と講演会が金沢歌劇座で開催されました。総会は正会員のみ参加できるので、自分は講演会のみ。
加賀藩歴史文化護持協力会 第4回総会・講演会
今年は前田育徳会の菊池氏による江戸加賀藩藩邸の話でした。
前田家の洋館・和舘などが都文化財指定に向けて調査が進んでいるとか、五代綱紀はとても慎重な性格だったとか、支藩である富山、大聖寺の藩邸は加賀藩の本郷内にあったが、七日市藩はなかったとか、とても興味深い話を聞けました。
加賀藩歴史文化護持協力会 第4回総会・講演会
今年の更新特典は横山家に伝わる江戸本郷邸の絵図。昨年の講演会で「地震の間」は藩邸にあったのか?という疑問に応えたタイムリーな絵図でした。

加賀藩・歴史文化護持協力会 第3回総会

本日金沢歌劇座で第3回総会がありました。
前田名誉会長は都合が悪くなり欠席でしたが、会長の横山氏、副会長の村井氏、本多氏、前田氏の加賀八家の四家のご当主は出席されていました。
加賀藩・歴史文化護持協力会 第3回総会
午前は総会(正会員のみ)後の講演会に出席しました。新規入会受付もありで、一般の聴衆も可能だったのですが、それらを合わせても40人程度で参加が少ないかなと思いましたが、講演会の内容はとても参考になりました。
加賀藩・歴史文化護持協力会 第3回総会
今年度の更新特典として、横山氏所蔵の「宝暦九年金沢城下絵図」と「加賀藩江戸上屋敷御殿平面図」の二点が復刻されて頒布されました。とても大きいけど、それでも文字は読むのがやっとです。
講演会の内容もそれらにちなみ、金沢城調査研究所の木越副所長が「宝暦九年の金沢大火について」、石野氏が「江戸の本郷邸と加賀藩主」というテーマで話がありました。聴衆がすでに歴史的知識があるという前提であるので、内容もざっくばらんながら少し突っ込んだ話があって興味深く聞きました。
加賀藩の江戸上屋敷にも御鈴廊下があったこと知っていますか?ドラマで見るようなあんな派手なものかどうかはわかりませんけど。
北國総研自主研究公開座談会
それで、午後は護持協力会協賛で、北國総合研究所の「北國総研自主研究公開座談会」に参加してきました。こちらは定員200名ということで会場も手狭でしたが、城郭石垣の第一人者である金沢城調査研究所所長の北垣聡一郎氏と、造園研究の第一人者である京都造形芸術大学の中村利則氏、そして近江坂本から穴太衆の最後の棟梁栗田純司氏の3人により、「解けてきた金沢城の謎 よみがえる玉泉院丸から」というテーマで玉泉院丸の価値について、座談会形式で進められました。
司会は総研の小倉主幹でしたが、小倉氏いわく二度とない奇跡の組合せということで、確かに他では聞けない内容でしたね。小倉氏はケーブル放映の自主番組内で、色紙短冊積み石垣の脇の石垣上に空中茶室があったという持論を展開していたのですが、北垣氏と中村氏に1分せずに一蹴されたことをとても殘念がっていましたね。
さて、座談会のなかで穴太の伝統的な石積みは、
・「強」を重んじる積み方
・横目地は通しても縦目地は通すな
・高さの3分の1の裏込めを入れる
という規則があるそうですが、玉泉院丸の色紙短冊積み石垣はその法則を見事なまでに踏襲していないので、石積み集団が積んだのかどうかも疑問だという話がありました。
そういう意味でも玉泉院丸の石垣は、石「積み」ではなく、庭園の石「組み」に該当し、城内・城外問わず、国内にここだけの稀有な遺構になるそうです。庭園だと考えると、滝に見立てた縦長の石組み、一段低い脇石、段々に積まれた(重畳的)奥行きを表現した石垣群と、防御にはとても適さないと思われる石垣の謎が説明できると、中村氏から説明がありました。
北垣氏からは将来的には、整備方法により名勝指定も狙える価値があるということで、石垣修復や泉水整備とともに、対岸にあった御座所附近の復元整備も課題だというまとめで座談会は終了しました。
そこまでの価値だとは想像もしていなかったので、今後がとても楽しみになってきました。金沢城が兼六園以上の観光地になる日もそう遠くないかも・・・?

加賀藩・歴史文化護持協力会 第二回総会

広坂休憩館で加賀藩・歴史文化護持協力会の第二回総会が開催されました。
加賀藩・歴史文化護持協力会 第二回総会
前回は2008年1月でしたが、発足を大々的にアピールするため、看板など外注制作費が予想以上にかかったらしく、今回は質素に行われました。今回も前田家ご当主の利裕氏を迎える予定でしたが、風邪の為、残念ながら急遽欠席となりました。
加賀藩・歴史文化護持協力会 第二回総会
21年度の会員特典は「不破家文書」です。不破家関係文書375点の目録と一部翻刻が掲載されています。翻刻のボランティアの皆さんには利裕氏の花押入り感謝状が手渡されました。花押を入れた賞状は利裕氏も初めてだったそうです。
次年度は旧町名の記載された金沢古地図、または加賀藩の治めた加越能のうち、古文書研究の比較的進んでいない富山呉西地区の藩政期文書について研究を進めたいということでした。古地図については藩政期のものでも100点以上残っているそうですが、地区により差別用語が書かれており、発行に当たっては非常に難しい課題を含んでいるそうです。いろいろな意見を持った人がいるけど、自分はそのまま復元してほしいですね。
加賀藩・歴史文化護持協力会 第二回総会
講演会では、初めに今回の不破家文書をご提供いただいた不和一氏により、不破家の由緒について話がありました。
稲葉一鉄、安藤守就、氏家卜全の美濃三人集は有名ですが、不破光治はこの3人とともに西美濃四人衆と言われたそうです。織田信長に従った後は、前田利家、佐々成政とともに柴田勝家与力として府中三人衆となりましたが、その事蹟については今まで不明な点が多かったですね。
今日の話を聞いたところによると、不破家は合戦の第一線で働くというよりは、他家との交渉事を円滑に進める役割を与えられていたようです。
加賀藩・歴史文化護持協力会 第二回総会
最後に、今回不破家文書の翻刻を監修された屋敷道明氏により、「不破家文書に因んで」というテーマで、今回発行された「不破家文書」の翻刻について解説がありました。
今年春に地元新聞で記事になった「府中三人衆連署扶持宛行状」ですが、火打村の赤座殿に対し、56石の扶持を与えるという文書で、たった56石に3人で連署しています。連署の順は、不破光治、前田利家、佐々成政です。当時3人は勝家与力として、それぞれ、龍門寺城、府中城、小丸城に在城していましたが、10万石を3等分していたという通説どおりであれば、たった56石に3人で連署しないであろう、ということで、裏返せば独立した権限を持っていなかったと考えられるということです。残念なのは、3人連署の書状が確認できるもので2通しかなく、もっと見つかれば確証が持てるということでした。
会では今年も会員募集を続けているということです。入会のお問い合わせは、TEL 076-263-2323(加賀藩・歴史文化護持協力会)まで。
以前の記事はこちらから