日本100名城スタンプラリー 湯築城

湯築城

64城目は湯築城です。道後温泉に隣接し、道後公園として国史跡に指定されています。

湯築城

早朝で資料館の開館まではまだ時間があったので、まずは山を上って周回することにする。杉の壇に到着

湯築城

一番高い本壇に到着する。

湯築城

あまり広くはないが、展望台から松山城のある勝山が見える。

湯築城

内堀沿いに残る土塁

湯築城

排水溝と土塁を押さえる石積みが残る部分もある。

湯築城

外堀の土塁の一部が内部展示室になっている。

湯築城

公園内には武家屋敷が2軒復元され、そのうちの1軒がスタンプの図柄に採用されている。

湯築城

中には人形が置かれ、一族の会合の場面が再現されている。

湯築城

資料館に到着する頃にちょうど開館時間となった。

湯築城

中には現在の道後公園の模型があり、鳥瞰して地形を確認できる。

湯築城

100名城の認定証もあった。

湯築城

湯築城では探検シートというのがあって、ポイントをめぐってスタンプを押したり、クイズを答えたりしてすべて回ると資料館でポストカードとペーパークラフトがもらえる。

名古屋城本丸御殿第3期工事見学

名古屋城

ここ数年名古屋城検定を受験していなかったので、去年6月に第2期の完成公開後初めての訪城となりました。桜シーズンと重なり、観光客もふだんより多めです。

名古屋城

まずは工事見学に行きます。

名古屋城

上洛殿は屋根完成間近でした。

名古屋城

一番西に位置する湯殿書院は基礎部分にようやく取りかかったところで、黒木書院は屋根の途中です。上から見下ろしていても大きいですが、下から見上げるとその大きさを、さらに実感するんでしょうね。

名古屋城

中に入って第2期部分も初めて見てきました。熊本城の本丸御殿ほどのキラキラ感はありませんが、落ち着いた風格を感じました。

名古屋城

今話題の耐震不足の天守です。ちょうど名古屋市長選の最中でしたが、耐震補強か木造建替か、名古屋市民でなくとも注目せずにはいられません。

小黒丸城 福井県の城館

小黒丸城

福井県を走っているとき、ふと目に入ってきた小黒丸城跡の石碑

小黒丸城

元はこの位置から北に50メートルほどの水田台地に石碑が立っていたらしい。

小黒丸城

北に九頭竜川、西に日野川の二大川が合流する場所に築造され、鎌倉時代に北朝方の斯波高経が守った城という。

小黒丸城

50メートルほど北の現状。圃場整備により昔の様子は知る由もないが、北に向かって緩やかに上りになっている。

第14回全国城郭等石垣整備調査研究会

今日から3日間金沢市で第14回全国城郭等石垣整備調査研究会が開催されます。今日と明日は一般公開で、午後から空いたので行ってきました。会場は石川県文教会館です。

一般聴衆は受付で基調講演・報告資料1冊とポストカード5枚などが入った封筒を渡される。

基調講演1は西形達明氏の「石垣の安定と変形のメカニズム」

環境都市工学という、いわゆる土木工学の立場から石垣の変形・崩落の仕組みを解明し、どういう対策が取れるのかという話。石垣が歴史遺産であるところから、近代工法をどこまで使っても許されるのかが、石垣修復の立場と土木工学の立場お互いの今後の課題だという。

基調講演2は坂井秀弥氏の「文化財としての城・石垣の意義とその保存・活用」

元文化庁職員として、文化財保護制度120年を迎えて、歴史の証拠としての石垣を後世に伝えることの大切さを修復担当者に問う内容だった。石垣の解体修復はいくら同じように戻しても、すでにオリジナルではないことを認識し、今本当に修復すべきかを常に問う姿勢が必要だと感じた。

また歴史の証拠として、史跡は過去の歴史を伝える廃墟であるといい、復元された近世城郭よりも手つかずの山城に魅力を感じるのもそういうことなのだと納得するところがあった。

勝龍寺城 京都府の城館

長岡京市の勝龍寺城。細川藤孝・忠興父子の居城であった。

現在本丸跡が勝龍寺城公園として整備されている。

本丸北門跡。右折れで2つの門を持つ桝形門。

周辺の石仏や五輪塔が集められている。

本丸から沼田丸への通路

南門は資料館へつながる道として桝形として復元されている。

本丸井戸跡

本丸内の細川忠興・ガラシャ夫妻の像

北に100メートルほど行ったところの神足神社境内にある空堀と土塁、土橋の遺構。

ここに設置された案内板に現在の地図に重ねた勝龍寺城の縄張図が書いてあり非常にわかりやすい。

金沢城 鼠多橋の橋脚調査

金沢城鼠多門復元調査

鼠多門が復元される、今は道路になったいもり堀の尾山神社(もと金谷出丸)側の歩道

金沢城鼠多門復元調査

堀にかかっていた鼠多橋の尾山神社側の橋脚を調査したのか、ブルーシートがかかり全貌はわからないものの、石垣は外されているようです。

金沢城鼠多門復元調査

玉泉院丸の鼠多門の発掘調査場所には大勢の調査員が集まっていました。

金沢城鼠多門発掘調査

金沢城鼠多門

金沢城の鼠多門は復元に向けて、発掘調査が行われている。

金沢城鼠多門

雨から表層を守るため、大部分はシートが掛けられている。

金沢城鼠多門

発掘現場がはっきり見える場所がないのが残念だ。

金沢城鼠多門

今日は暑い日で炎天下で玉泉院丸庭園は閑散としていたが、

金沢城鼠多門

そんな中、庭師が庭木の手入れをしていました。

金沢城鼠多門

今年の暑さでいもり堀の水は随分と少なくなっていた。

大垣城 岐阜県の城館

大垣城

旧国宝だった大垣城は東西交通の要衝として、関ヶ原の戦いでは、一時西軍を率いた石田三成の本拠地となっていた。
関ヶ原の戦い後は、戸田氏鉄が入り、戸田十万石の居城となった。大垣藩は氏鉄を二代と数え、初代は一西としている。

空襲で焼失した後、昭和34年に鉄筋コンクリートで外観復元された。前の銅像は氏鉄公。

大垣城

天守とともに門も再現されている。

大垣城

外堀にあった7つの重要な門、大垣城七口之門のひとつ清水口門のあった場所

大垣城

堀は狭められているようで、橋桁の両側に飛び出た石積みが見えるが、これも近代のものかもしれない。

帰雲城 岐阜県の城館

帰雲城

帰雲城は幻の城である。それは天正の大地震(1585年11月29日)で帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理をはじめ一族と城下町がことごとく埋没したという伝承の城だからです。

帰雲城

現在の城址は推定地であり、昭和54年に採石業を営む田口建設の社長が整備しました。
観音像の背後の山頂付近が崩落した山が、現在の帰雲山で大崩落した山と考えられている。

帰雲城

帰り雲神社の本殿横に保管された城址の旧看板。
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戦国の城と道の実像を探る 加越国境城跡群及び道シンポジウム

加越国境城跡群及び道

今年10月に国史跡に指定されたことを記念したシンポジウム、「戦国の城と道の実像を探る ~加越国境城跡群及び道~」に行ってきました。

加越国境城跡群及び道

場所は石川県文教会館。30分前開場ということで、その10分前に着いたのですが、すでに50名ほどの行列で、先着500名とはいえこういうテーマでは埋まることはないとは思っていましたが、ゲストを良い場所で見たいということでしょうか。

今日のゲストの一人が、落語界一の城好きで知られる春風亭昇太さんでした。シンポジウムなのに始めに落語会あったりして楽しかったです。

昇太さんが来ていたこともあるんでしょうか、撮影禁止だったので中の様子はありません。

シンポジウム次第
13:00
 開会
 記念落語 春風亭昇太氏
 記念講演「加越国境城跡群の歴史的意義」 千田嘉博氏(奈良大学学長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
14:50
 報告1「天正12年の加越国境の戦い」 木越隆三氏(石川県金沢城調査研究所所長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
 報告2「加越国境城跡群及び道の調査成果」 向井裕知(金沢市文化財保護課)
 パネルディスカッション「戦国の城と道の実像を探る」
  コーディネーター 谷内尾晋司氏(石川考古学研究会会長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
  パネリスト 春風亭昇太氏、千田嘉博氏、宮下英樹氏(漫画「センゴク」作者、七尾市出身)、木越隆三氏、向井裕知氏

国史跡「加越国境城跡群及び道」は、前田方の城「切山城跡」、佐々方の城「松根城跡」、双方の城が通過する「小原越」の三史跡が対象となっています。これらの史跡は天正12年(1584)の羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦いが北陸に波及して構築・改修された城群であり、道を巻き込みながら、また道を遮断して付け替えたりした城跡が良好に残っています。道を含んで史跡指定された初めてのケースとなります。今日のシンポジウムを聞いて非常に珍しい貴重な史跡だと再認識しました。

史跡指定された両城跡の他に、加越国境には
・高峠城と荒山城と二俣越
・朝日山城と一乗寺城と田近越
・津幡城と和田山城、龍ヶ峰城と北陸道(倶利伽羅峠)
など残っている城跡も多く、調査が進めば追加登録される可能性はありますね。

今後の整備予定として、切山城跡と松根城跡の木々を切って双方の城跡が目視できる状態にするのと、金沢城からも見えるようにするそうです。楽しみです!

加越国境城跡群及び道

さて、今日は見開きのパンフレットが一部、先着でポスターをもらい、これまた先着で春風亭昇太さんの著書「城あるきのススメ」を購入できました。

加越国境城跡群及び道

30冊ほどありましたでしょうか?春風亭昇太さんのサイン入りです。「持って帰るのは重いので皆購入して!」とか言っていましたが、帰りには完売していたようです。中学校時代の趣味だったとか、シブいですよね。

金沢城橋爪門 二の門二階へ入る

こちらも昨日一般公開されたばかりの橋爪門枡形と二の門

金沢城の三御門(石川門、河北門、橋爪門)の中では殿様の居所であった二の丸御殿に最も近い門で一番格式が高い門である。櫓門は他の二門に比べて小さいが枡形内部の広さは最も広い。

金沢城橋爪門

右の一の門から入り、右に折れて左の二の門に入る。

金沢城橋爪門

枡形の出しはまだ酸化していないきれいな状態

金沢城橋爪門

二の門内部には番所があった。三御門の中ではここだけ。警備も厳重だったということ

金沢城橋爪門

二の門二階へは寄進イベント以来の菱櫓から入る。

金沢城橋爪門

料金所の看板にも「橋爪門」の文字が追加

金沢城橋爪門

先に復元されていた橋爪櫓(パンフレット上は橋爪門続櫓)からの眺望も、枡形が眼下に見えるようになった。

金沢城橋爪門

いざ橋爪門二階へ

金沢城橋爪門

完成した二階に初めて入る。やはり河北門に比べると小さく感じる。

金沢城橋爪門

寄進者はこの閲覧装置で自分の寄進した瓦や壁板がどこにあるのか見ることができる。

金沢城橋爪門

場所は印刷もできる。寄進者以外もこの閲覧装置で復元の動画を見ることができる。一本一分程度なので見やすい。

金沢城橋爪門

橋爪櫓からの入口を内部から見るとこんな感じ。健常者は階段で2mくらい下る。車いす用のパワーリフトも付いている。本来は今の入口は壁で、番所の階段を登って入るのだが危ない。

有料なので河北門より利用者は少ないのかと思うけど、その分長く新しさを保てるのかな。

玉泉院丸 初週末は大盛況!

昨日ようやく一般公開を迎えた金沢城の玉泉院丸に行ってきました。

金沢城玉泉院丸

入口の案内板は「玉泉院丸口」?

新しくもうひとつ入口名を追加したのかと思いきや、「いもり坂口」を「玉泉院丸口」に変えたようです。長く親しまれた「いもり坂口」はもう通じないか・・・

金沢城玉泉院丸

休憩所「玉泉庵」から見える風景は、冬枯れた木々のおかげできれいに見える三十間長屋の見える東側が一番いい!

そして、庭園の中のベストショットを探しながら散策

金沢城玉泉院丸

小高くなっている東屋からの風景。今の季節は雪吊りが美しい

金沢城玉泉院丸

庭園北東隅から泉水越しの玉泉庵

金沢城玉泉院丸

復元された段落ちの滝。近くで見ると見慣れていないせいもあって迫力がない。高さも足りない。本当なら池の中から見たいなあー

金沢城玉泉院丸

泉水西側からの景色。橋の向こうに東屋、泉水の向こうに三十間長屋。左手前には洲浜も見え、泉水はここがベストショット!かな

金沢城玉泉院丸

もみじ橋を渡って、右に玉泉庵、左に三十間長屋、泉水に浮かぶ舟小屋。泉水は川のように見えなくもないけど、ここもベストショット

金沢城玉泉院丸

色紙短冊積石垣は修復されて細い間詰め石が入れられて、これも見慣れるまでは違和感あるなあ

金沢城玉泉院丸

玉泉庵では有料で抹茶も楽しめる。来週は北陸新幹線金沢開業!多くの観光客で溢れるでしょうね。

金沢城玉泉院丸 まもなく公開!

橋爪門の後、こちらも7日にいよいよ公開される玉泉院丸を上から眺めてきました。

金沢城玉泉院丸

早く下に降りたい。

金沢城玉泉院丸

上からの景色と下を歩いた景色、また休憩所から見た景色、どれも違うでしょうから楽しみです。

金沢城玉泉院丸

右奥の瀧も近くで見てみたい。

金沢城玉泉院丸

丘の上の東屋には塀ができていました。

金沢城玉泉院丸

街からの入口には看板(案内図か?)も設置され、あとは公開を待つばかりです。

金沢城橋爪門 まもなく公開!

昨日の晴天から一転、どんよりした雨降りしきる肌寒い1日でした。

金沢城橋爪門

公開を7日に控えて、その前にもう一度見に行ってきました。いよいよ足を踏み入れることができる日が来ます。

金沢城橋爪門

堀は水が抜かれ、公開前に浚渫工事が行われているようでした。

金沢城橋爪門

土塁も整備が終わり、枡形の外側もきれいに仕上がりました。

金沢城橋爪門

橋爪門の枡形は金沢城内では最大の広さで、先に復元整備された河北門(右奥)よりかなり広いです。二の門の櫓門は河北門や石川門より小ぶりなので、対比でより一層広く見えるかもしれません。

金沢城橋爪門

二の門二階には公開後に入ることができます。河北門は無料でしたが、こちらは門自体に入口がなく、五十間長屋を通って橋爪櫓から入ることになるため、菱櫓入口から有料で入ることになります。ちなみに公開による値上げはないようです。

金沢城橋爪門

金沢城の案内図。ようやくここから整備中の文言が消えることになります。ここ数年整備中が消えることがありませんでしたから、かなり久しいですね。そのうち鼠多門あたりに「整備中」が復活するかもしれませんけど。

富樫館 石川県の城館

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市情報交流館カメリアで行われた埋蔵文化財講演会「守護所富樫館の姿と加賀の城」に行ってきました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市文化振興課の田村さんから現在までの富樫館の発掘調査報告がありました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

少し前までは館の場所が確定していませんでしたが、ようやく江戸期の絵図に残る館を囲む堀跡が見つかりました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

堀跡からは銅鏡が見つかりました。中央に亀、上に鳥が2羽向かい合っています。

守護所富樫館の姿と加賀の城

館の東側は九艘川(くそうかわ)を堀の替わりとしていました。館の少し南側で中世の九艘川の跡も見つかっています。
川名の由来は九艘の舟が通れるほどの大きな川だったとか。

守護所は舟運に恵まれ、中世北国道と宮腰から白山本宮まで通っていた白山大道の結節地点という要衝にありました。この立地条件の良さは新しい見知でした。

守護所富樫館の姿と加賀の城

基調講演は奈良大学の千田嘉博氏による講演でした。時折冗談も入りとても興味深い内容で、中世の館が室町将軍の足利義満の建てた花の御所をモデルに全国の守護大名や守護代に広がったこと。きっと富樫館も同様の風景が広がっていたことを想像させるものでした。

講演終了後、実際の現場を見てきました。聞いた後だと現地巡りも楽しいです。他に人はいなかったけど

富樫館

最初にすみよし公園。この角地と隣の建物部分の発掘調査で九艘川の川跡が見つかりました。やはり今は跡形もないです。

富樫館

そこから北方面へ。住宅地のなか、今日いただいた資料とにらめっこしながら堀跡を探すと・・・ありました!

富樫館

ここには案内板もあります。これは講演会でも告知すべきことだと思いますが、ここは残るということでしょうね。

富樫館

堀跡は奥の区画。幅も広いですね。午前中に千田先生も見学されたということでしたが、雪が一面に積もっているおかげで凹みがよく見えます。

富樫館

最後に北鉄工大前駅に

富樫館

富樫館の場所が確定していなかった頃に駅前にこの石碑が立てられました。実際の館跡はこの石碑とすみよし公園のちょうど間になります。

金沢大学発祥の地

近くの駐車場に停めたのでようやく行けました。

彦三種痘所跡

その場所は彦三郵便局。

彦三種痘所跡

ではなく、その場所にあったという「彦三種痘所跡」です。金沢大学は医学部から始まり、その前身がこの場所にあった種痘所ということになっています。よってここが発祥の地ということになりました。

金沢は戦災にあっていないので、道路が江戸時代そのままの場所が多く残っています。このあたりも大きく変わっていないので場所はほぼ確定なんですよ。

1月例会 金沢城玉泉院丸庭園の魅力

1月例会

今日、金沢城・兼六園研究会の1月例会があり行ってきました。初めての近江町いちば館での開催でしたが、快適な会場でした。

今年も金沢城調査研究所の木越所長の講演でしたが、もう4年目を迎えるんですね。金沢城の玉泉院丸と橋爪門二の門のオープンが3月7日に決まり、玉泉院丸の歴史と発掘調査をざーっとおさらいしました。

玉泉院丸は二代利長公の正室であった永姫が、利長公の死去後に出家してお住まいした場所だったためそう呼ばれますが、それまでは本丸の西にあったので「西の丸」と言われました。玉泉院が移られてからは「玉泉院様丸」、今は敬称を省略していますが、やはり前田家にとっては主君の織田家の血筋でもあるので文書に残っているものは敬称付きだそうです。

3月にオープンする玉泉院丸ですが、鼠多門の復元に向けた発掘調査が行われることが決まりましたので、春には立ち入り禁止地区ができるみたいです。

金沢城の正月の風物詩

北陸のつかの間の晴天。金沢市街に出かけました。

金沢城橋爪門

金沢城で恒例行事となった正月の注連飾り。「数の子飾り」という藩政期と同じものです。

金沢城橋爪門

今年が違うのは門の中の景色です。二の門が来春の完成に向けてほぼ仕上がっているということです。まだ中には入れませんが、枡形はいいですね。城に来たという感じがします。橋爪門二の門の復元で、金沢城には石川門、河北門、橋爪門と3つの枡形が完成します。金沢城が城の人気ランキング上位に入る日も近い!?

金沢城橋爪門

今年は12月としては寒い日が多く、今日も堀は凍っていました。

金沢城橋爪門

枡形の外側からの景色もいいですね。完成が楽しみです。

金沢城玉泉院丸

同時に暫定公開となる玉泉院丸も休憩所の工事が完了し、名称は「玉泉庵」に決定しました。

金沢城玉泉院丸

いもり坂付近の木をかなり整理したのと冬で草木が枯れていると、南町方面から玉泉院丸に来ると、玉泉院丸石垣の向こうに三十間長屋が見えるようになりました。城外から建物が見えるというのは城下町の雰囲気がいっそう高かりますね。

金沢城いもり堀

隣接の駐車場も閉鎖され、石垣を一周できるようになります。

石浦神社きまちゃん

来春には北陸新幹線が金沢まで来ます。兼六園だけじゃなくて金沢城も見てくださいね。

加賀藩歴史文化護持協力会の総会

今日は四高記念文化交流館で加賀藩歴史文化護持協力会の総会がありました。

加賀藩歴史文化護持協力会

賛助会員となっているので講演会に参加してきました。愛知県立大学講師の長屋隆幸氏の講演でした。

加賀藩歴史文化護持協力会

テーマは本年度頒布されました、横山家伝来の大坂冬・夏の陣図(大坂冬御陣図・大坂夏御陣図)を題材に、前田家にとっての大坂の陣でした。今年は大坂冬の陣から400年となる記念の年です。貴重な資料の翻刻は嬉しい限りです。