名古屋城本丸御殿第3期工事見学

名古屋城

ここ数年名古屋城検定を受験していなかったので、去年6月に第2期の完成公開後初めての訪城となりました。桜シーズンと重なり、観光客もふだんより多めです。

名古屋城

まずは工事見学に行きます。

名古屋城

上洛殿は屋根完成間近でした。

名古屋城

一番西に位置する湯殿書院は基礎部分にようやく取りかかったところで、黒木書院は屋根の途中です。上から見下ろしていても大きいですが、下から見上げるとその大きさを、さらに実感するんでしょうね。

名古屋城

中に入って第2期部分も初めて見てきました。熊本城の本丸御殿ほどのキラキラ感はありませんが、落ち着いた風格を感じました。

名古屋城

今話題の耐震不足の天守です。ちょうど名古屋市長選の最中でしたが、耐震補強か木造建替か、名古屋市民でなくとも注目せずにはいられません。

小黒丸城 福井県の城館

小黒丸城

福井県を走っているとき、ふと目に入ってきた小黒丸城跡の石碑

小黒丸城

元はこの位置から北に50メートルほどの水田台地に石碑が立っていたらしい。

小黒丸城

北に九頭竜川、西に日野川の二大川が合流する場所に築造され、鎌倉時代に北朝方の斯波高経が守った城という。

小黒丸城

50メートルほど北の現状。圃場整備により昔の様子は知る由もないが、北に向かって緩やかに上りになっている。

第14回全国城郭等石垣整備調査研究会

今日から3日間金沢市で第14回全国城郭等石垣整備調査研究会が開催されます。今日と明日は一般公開で、午後から空いたので行ってきました。会場は石川県文教会館です。

一般聴衆は受付で基調講演・報告資料1冊とポストカード5枚などが入った封筒を渡される。

基調講演1は西形達明氏の「石垣の安定と変形のメカニズム」

環境都市工学という、いわゆる土木工学の立場から石垣の変形・崩落の仕組みを解明し、どういう対策が取れるのかという話。石垣が歴史遺産であるところから、近代工法をどこまで使っても許されるのかが、石垣修復の立場と土木工学の立場お互いの今後の課題だという。

基調講演2は坂井秀弥氏の「文化財としての城・石垣の意義とその保存・活用」

元文化庁職員として、文化財保護制度120年を迎えて、歴史の証拠としての石垣を後世に伝えることの大切さを修復担当者に問う内容だった。石垣の解体修復はいくら同じように戻しても、すでにオリジナルではないことを認識し、今本当に修復すべきかを常に問う姿勢が必要だと感じた。

また歴史の証拠として、史跡は過去の歴史を伝える廃墟であるといい、復元された近世城郭よりも手つかずの山城に魅力を感じるのもそういうことなのだと納得するところがあった。

勝龍寺城 京都府の城館

長岡京市の勝龍寺城。細川藤孝・忠興父子の居城であった。

現在本丸跡が勝龍寺城公園として整備されている。

本丸北門跡。右折れで2つの門を持つ桝形門。

周辺の石仏や五輪塔が集められている。

本丸から沼田丸への通路

南門は資料館へつながる道として桝形として復元されている。

本丸井戸跡

本丸内の細川忠興・ガラシャ夫妻の像

北に100メートルほど行ったところの神足神社境内にある空堀と土塁、土橋の遺構。

ここに設置された案内板に現在の地図に重ねた勝龍寺城の縄張図が書いてあり非常にわかりやすい。

金沢城 鼠多橋の橋脚調査

金沢城鼠多門復元調査

鼠多門が復元される、今は道路になったいもり堀の尾山神社(もと金谷出丸)側の歩道

金沢城鼠多門復元調査

堀にかかっていた鼠多橋の尾山神社側の橋脚を調査したのか、ブルーシートがかかり全貌はわからないものの、石垣は外されているようです。

金沢城鼠多門復元調査

玉泉院丸の鼠多門の発掘調査場所には大勢の調査員が集まっていました。

金沢城鼠多門発掘調査

金沢城鼠多門

金沢城の鼠多門は復元に向けて、発掘調査が行われている。

金沢城鼠多門

雨から表層を守るため、大部分はシートが掛けられている。

金沢城鼠多門

発掘現場がはっきり見える場所がないのが残念だ。

金沢城鼠多門

今日は暑い日で炎天下で玉泉院丸庭園は閑散としていたが、

金沢城鼠多門

そんな中、庭師が庭木の手入れをしていました。

金沢城鼠多門

今年の暑さでいもり堀の水は随分と少なくなっていた。

大垣城 岐阜県の城館

大垣城

旧国宝だった大垣城は東西交通の要衝として、関ヶ原の戦いでは、一時西軍を率いた石田三成の本拠地となっていた。
関ヶ原の戦い後は、戸田氏鉄が入り、戸田十万石の居城となった。大垣藩は氏鉄を二代と数え、初代は一西としている。

空襲で焼失した後、昭和34年に鉄筋コンクリートで外観復元された。前の銅像は氏鉄公。

大垣城

天守とともに門も再現されている。

大垣城

外堀にあった7つの重要な門、大垣城七口之門のひとつ清水口門のあった場所

大垣城

堀は狭められているようで、橋桁の両側に飛び出た石積みが見えるが、これも近代のものかもしれない。

帰雲城 岐阜県の城館

帰雲城

帰雲城は幻の城である。それは天正の大地震(1585年11月29日)で帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理をはじめ一族と城下町がことごとく埋没したという伝承の城だからです。

帰雲城

現在の城址は推定地であり、昭和54年に採石業を営む田口建設の社長が整備しました。
観音像の背後の山頂付近が崩落した山が、現在の帰雲山で大崩落した山と考えられている。

帰雲城

帰り雲神社の本殿横に保管された城址の旧看板。



戦国の城と道の実像を探る 加越国境城跡群及び道シンポジウム

加越国境城跡群及び道

今年10月に国史跡に指定されたことを記念したシンポジウム、「戦国の城と道の実像を探る ~加越国境城跡群及び道~」に行ってきました。

加越国境城跡群及び道

場所は石川県文教会館。30分前開場ということで、その10分前に着いたのですが、すでに50名ほどの行列で、先着500名とはいえこういうテーマでは埋まることはないとは思っていましたが、ゲストを良い場所で見たいということでしょうか。

今日のゲストの一人が、落語界一の城好きで知られる春風亭昇太さんでした。シンポジウムなのに始めに落語会あったりして楽しかったです。

昇太さんが来ていたこともあるんでしょうか、撮影禁止だったので中の様子はありません。

シンポジウム次第
13:00
 開会
 記念落語 春風亭昇太氏
 記念講演「加越国境城跡群の歴史的意義」 千田嘉博氏(奈良大学学長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
14:50
 報告1「天正12年の加越国境の戦い」 木越隆三氏(石川県金沢城調査研究所所長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
 報告2「加越国境城跡群及び道の調査成果」 向井裕知(金沢市文化財保護課)
 パネルディスカッション「戦国の城と道の実像を探る」
  コーディネーター 谷内尾晋司氏(石川考古学研究会会長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
  パネリスト 春風亭昇太氏、千田嘉博氏、宮下英樹氏(漫画「センゴク」作者、七尾市出身)、木越隆三氏、向井裕知氏

国史跡「加越国境城跡群及び道」は、前田方の城「切山城跡」、佐々方の城「松根城跡」、双方の城が通過する「小原越」の三史跡が対象となっています。これらの史跡は天正12年(1584)の羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦いが北陸に波及して構築・改修された城群であり、道を巻き込みながら、また道を遮断して付け替えたりした城跡が良好に残っています。道を含んで史跡指定された初めてのケースとなります。今日のシンポジウムを聞いて非常に珍しい貴重な史跡だと再認識しました。

史跡指定された両城跡の他に、加越国境には
・高峠城と荒山城と二俣越
・朝日山城と一乗寺城と田近越
・津幡城と和田山城、龍ヶ峰城と北陸道(倶利伽羅峠)
など残っている城跡も多く、調査が進めば追加登録される可能性はありますね。

今後の整備予定として、切山城跡と松根城跡の木々を切って双方の城跡が目視できる状態にするのと、金沢城からも見えるようにするそうです。楽しみです!

加越国境城跡群及び道

さて、今日は見開きのパンフレットが一部、先着でポスターをもらい、これまた先着で春風亭昇太さんの著書「城あるきのススメ」を購入できました。

加越国境城跡群及び道

30冊ほどありましたでしょうか?春風亭昇太さんのサイン入りです。「持って帰るのは重いので皆購入して!」とか言っていましたが、帰りには完売していたようです。中学校時代の趣味だったとか、シブいですよね。