金沢城玉泉院丸 まもなく公開!

橋爪門の後、こちらも7日にいよいよ公開される玉泉院丸を上から眺めてきました。

金沢城玉泉院丸

早く下に降りたい。

金沢城玉泉院丸

上からの景色と下を歩いた景色、また休憩所から見た景色、どれも違うでしょうから楽しみです。

金沢城玉泉院丸

右奥の瀧も近くで見てみたい。

金沢城玉泉院丸

丘の上の東屋には塀ができていました。

金沢城玉泉院丸

街からの入口には看板(案内図か?)も設置され、あとは公開を待つばかりです。

金沢城橋爪門 まもなく公開!

昨日の晴天から一転、どんよりした雨降りしきる肌寒い1日でした。

金沢城橋爪門

公開を7日に控えて、その前にもう一度見に行ってきました。いよいよ足を踏み入れることができる日が来ます。

金沢城橋爪門

堀は水が抜かれ、公開前に浚渫工事が行われているようでした。

金沢城橋爪門

土塁も整備が終わり、枡形の外側もきれいに仕上がりました。

金沢城橋爪門

橋爪門の枡形は金沢城内では最大の広さで、先に復元整備された河北門(右奥)よりかなり広いです。二の門の櫓門は河北門や石川門より小ぶりなので、対比でより一層広く見えるかもしれません。

金沢城橋爪門

二の門二階には公開後に入ることができます。河北門は無料でしたが、こちらは門自体に入口がなく、五十間長屋を通って橋爪櫓から入ることになるため、菱櫓入口から有料で入ることになります。ちなみに公開による値上げはないようです。

金沢城橋爪門

金沢城の案内図。ようやくここから整備中の文言が消えることになります。ここ数年整備中が消えることがありませんでしたから、かなり久しいですね。そのうち鼠多門あたりに「整備中」が復活するかもしれませんけど。

富樫館 石川県の城館

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市情報交流館カメリアで行われた埋蔵文化財講演会「守護所富樫館の姿と加賀の城」に行ってきました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市文化振興課の田村さんから現在までの富樫館の発掘調査報告がありました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

少し前までは館の場所が確定していませんでしたが、ようやく江戸期の絵図に残る館を囲む堀跡が見つかりました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

堀跡からは銅鏡が見つかりました。中央に亀、上に鳥が2羽向かい合っています。

守護所富樫館の姿と加賀の城

館の東側は九艘川(くそうかわ)を堀の替わりとしていました。館の少し南側で中世の九艘川の跡も見つかっています。
川名の由来は九艘の舟が通れるほどの大きな川だったとか。

守護所は舟運に恵まれ、中世北国道と宮腰から白山本宮まで通っていた白山大道の結節地点という要衝にありました。この立地条件の良さは新しい見知でした。

守護所富樫館の姿と加賀の城

基調講演は奈良大学の千田嘉博氏による講演でした。時折冗談も入りとても興味深い内容で、中世の館が室町将軍の足利義満の建てた花の御所をモデルに全国の守護大名や守護代に広がったこと。きっと富樫館も同様の風景が広がっていたことを想像させるものでした。

講演終了後、実際の現場を見てきました。聞いた後だと現地巡りも楽しいです。他に人はいなかったけど

富樫館

最初にすみよし公園。この角地と隣の建物部分の発掘調査で九艘川の川跡が見つかりました。やはり今は跡形もないです。

富樫館

そこから北方面へ。住宅地のなか、今日いただいた資料とにらめっこしながら堀跡を探すと・・・ありました!

富樫館

ここには案内板もあります。これは講演会でも告知すべきことだと思いますが、ここは残るということでしょうね。

富樫館

堀跡は奥の区画。幅も広いですね。午前中に千田先生も見学されたということでしたが、雪が一面に積もっているおかげで凹みがよく見えます。

富樫館

最後に北鉄工大前駅に

富樫館

富樫館の場所が確定していなかった頃に駅前にこの石碑が立てられました。実際の館跡はこの石碑とすみよし公園のちょうど間になります。

金沢大学発祥の地

近くの駐車場に停めたのでようやく行けました。

彦三種痘所跡

その場所は彦三郵便局。

彦三種痘所跡

ではなく、その場所にあったという「彦三種痘所跡」です。金沢大学は医学部から始まり、その前身がこの場所にあった種痘所ということになっています。よってここが発祥の地ということになりました。

金沢は戦災にあっていないので、道路が江戸時代そのままの場所が多く残っています。このあたりも大きく変わっていないので場所はほぼ確定なんですよ。

1月例会 金沢城玉泉院丸庭園の魅力

1月例会

今日、金沢城・兼六園研究会の1月例会があり行ってきました。初めての近江町いちば館での開催でしたが、快適な会場でした。

今年も金沢城調査研究所の木越所長の講演でしたが、もう4年目を迎えるんですね。金沢城の玉泉院丸と橋爪門二の門のオープンが3月7日に決まり、玉泉院丸の歴史と発掘調査をざーっとおさらいしました。

玉泉院丸は二代利長公の正室であった永姫が、利長公の死去後に出家してお住まいした場所だったためそう呼ばれますが、それまでは本丸の西にあったので「西の丸」と言われました。玉泉院が移られてからは「玉泉院様丸」、今は敬称を省略していますが、やはり前田家にとっては主君の織田家の血筋でもあるので文書に残っているものは敬称付きだそうです。

3月にオープンする玉泉院丸ですが、鼠多門の復元に向けた発掘調査が行われることが決まりましたので、春には立ち入り禁止地区ができるみたいです。

金沢城の正月の風物詩

北陸のつかの間の晴天。金沢市街に出かけました。

金沢城橋爪門

金沢城で恒例行事となった正月の注連飾り。「数の子飾り」という藩政期と同じものです。

金沢城橋爪門

今年が違うのは門の中の景色です。二の門が来春の完成に向けてほぼ仕上がっているということです。まだ中には入れませんが、枡形はいいですね。城に来たという感じがします。橋爪門二の門の復元で、金沢城には石川門、河北門、橋爪門と3つの枡形が完成します。金沢城が城の人気ランキング上位に入る日も近い!?

金沢城橋爪門

今年は12月としては寒い日が多く、今日も堀は凍っていました。

金沢城橋爪門

枡形の外側からの景色もいいですね。完成が楽しみです。

金沢城玉泉院丸

同時に暫定公開となる玉泉院丸も休憩所の工事が完了し、名称は「玉泉庵」に決定しました。

金沢城玉泉院丸

いもり坂付近の木をかなり整理したのと冬で草木が枯れていると、南町方面から玉泉院丸に来ると、玉泉院丸石垣の向こうに三十間長屋が見えるようになりました。城外から建物が見えるというのは城下町の雰囲気がいっそう高かりますね。

金沢城いもり堀

隣接の駐車場も閉鎖され、石垣を一周できるようになります。

石浦神社きまちゃん

来春には北陸新幹線が金沢まで来ます。兼六園だけじゃなくて金沢城も見てくださいね。

加賀藩歴史文化護持協力会の総会

今日は四高記念文化交流館で加賀藩歴史文化護持協力会の総会がありました。

加賀藩歴史文化護持協力会

賛助会員となっているので講演会に参加してきました。愛知県立大学講師の長屋隆幸氏の講演でした。

加賀藩歴史文化護持協力会

テーマは本年度頒布されました、横山家伝来の大坂冬・夏の陣図(大坂冬御陣図・大坂夏御陣図)を題材に、前田家にとっての大坂の陣でした。今年は大坂冬の陣から400年となる記念の年です。貴重な資料の翻刻は嬉しい限りです。

玉泉院丸の公開はいつ?

金沢城玉泉院丸

ほぼ完成しました。いい景色ですねー

角度的に全景は見えませんが、目玉の瀧も水流れていました。
紅葉木はこの角度にはないので、雪景色が楽しみですね。

金沢城玉泉院丸

観光用の階段を整備中。除雪考えれば緩いスロープのほうが良かった?

姿をあらわした橋爪門二の門を見学

かなり更新の間が空いてしまいましたが、過去の記事はおいおいアップするとして、二週続けての台風一過、今週末はとても行楽日和です。

金沢城橋爪門

先月工事用の素屋根は外されていましたが、今日まで見る機会がありませんでした。今日も作業の真っ最中でしたが、晴天の下、真新しい建物はやはりいいですねーーー

金沢城橋爪門

もう見学台は解体されてしまったので、外側をぐるりとまわりながら見学。
今は二の門を通過する石畳と

金沢城橋爪門

土塁部分を工事中です。

金沢城橋爪門

2001年に復元された橋爪櫓の屋根と比べるとまだまだ黒いですが、2、3年で白くなります。一冬越してどのくらい新しさが残っているのか?少なくとも銅板はくすむんでしょうね。

橋爪門 いつの間にか進んじゃった

橋爪門復元工事
先月、心柱が建った橋爪門二の門を見てきました。今日は土曜日でしたが、ちょうど作業中でした。
橋爪門復元工事
重機が入って木材を吊り上げていました。
橋爪門復元工事
あー、もう心柱見えないですね。
橋爪門復元工事
先ほど吊り上げていた木材の作業が終わって、今から最後の1本を吊り上げるようです。
橋爪門復元工事
石垣積みはすべて完了し、塀を作るための矢倉作りが始まっていました。
橋爪門復元工事
作業風景を見れるチャンスなんて平日働いている人間には滅多にないですから、最後まで見ていました。
橋爪門復元工事
吊り上げて、中央の組み物に差し込んで、溝をはめていきます。最後はノミで調整したり、滑りやすいようにスプレーで何かを吹き付けたり、と
橋爪門復元工事
手前はすぐに入りましたが、向こうは木材のゆがみのせいかなかなか入らず、ようやく組み合わせて、最後は2人でハンマーで叩く、叩く、叩く・・・
橋爪門復元工事
ご苦労様でした。最初はひとりで見てましたが、終わる頃には見学者が増えてました。