金沢城惣構国史跡に 平成12年度にも

金沢市は2014(平成26)年度の北陸新幹線金沢開業を見据えて昨年度に策定した金沢魅力発信行動計画を見直し、20日の市議会総務常任委員会に提示した。歴史遺産の文化財指定推進では、金沢城の惣構の国史跡指定に向け、文化庁との協議を進めるとし、早ければ12年度の史跡指定申請を目指す方針が示された。「歴史都市」に対する国の財政支援措置を活用し、惣構の復元も本格化させる。
惣構は堀と土居で敵の侵入を防いだ防御施設で、金沢城は内、外の二重の惣構に囲まれていた。土居の多くは崩されたが、堀については幅が狭められながらも七割方が水路や用水として残っており、土居の内側に整備された内道と合わせて昨年12月に市史跡に指定された。市は11年度まで史跡指定の範囲や手順、調査方法について文化庁と協議を進め、一定の方向性を見いだしたい考えである。
惣構の復元については、西外惣構の金石往還への出入り口に設けられた「升形」を10-11年度に整備する。玉川公園付近での西外惣構復元については、完成時期を一年間前倒しして12年度とする。(北國新聞2009年1月21日付記事より)

2009年1月19日 名古屋城本丸御殿着工

来週1月19日にいよいよ名古屋城の本丸御殿が着工を迎える。当日は場内が無料開放され、「餅投げ」や「市民鍬入れ」などの着工記念イベントが開催される。さらに、名古屋能楽堂では城郭都市サミットとして、荒俣宏氏による基調講演と、大阪・京都・熊本・犬山・名古屋の市長が集まって城郭都市サミット会議が開かれる。
名古屋城本丸御殿着工
名古屋城本丸御殿着工

でも当日は月曜日。現役世代は参加が難しいですね。残念です。

武田家、城下町で金加工? 甲府で金付着土器発見

甲府市は9日、戦国時代の武田氏館周辺の城下町遺跡などで発掘した土器片58点に金が付着していたと発表した。金は土器の上で加熱された際に溶けて付着したとみられ、城下町で金が加工されていたことを示している。市教育委員会は、複数の金山を有し天下取りをうかがった武田家の財力や金の流通過程を探る貴重な資料になるとしている。
市によると、戦国時代の城下町遺跡で金が付着した土器片が見つかったのは、七尾市の七尾城跡で出土したのに次いで2例目。武田家の資金源の一つとされる黒川金山(山梨県甲府市)や湯之奥金山(山梨県見延町)などで採掘された金が城下町の甲府に集められ、工房で装飾品などに加工された可能性が大きい。(北國新聞2009年1月10日付記事より)

辰巳用水 開削目的は玉泉院丸の庭園泉水用か?

石川県は新年度、金沢城公園玉泉院丸跡の整備で、辰巳用水開削の歴史にメスを入れる。1631年の「寛永の大火」で、加賀藩三代藩主前田利常が城下町の防火体制を強化するため開削したとされる用水だが、玉泉院丸で造成した庭園の泉水を確保することが狙いだったとの説もあり、県は8月に「金沢城玉泉院丸跡調査検討委員会」を新設し、庭園と用水の関係を洗い出す。
犀川上流から取水する辰巳用水は、現在は兼六園までだが、藩政期は城内まで水が届けられた。大火を契機に城内に水路を巡らせたものだが、こうした経緯に加賀藩の石垣技術者、穴太方・後藤家6代目の彦三郎が疑問を投げ掛けている。県金沢城調査研究所によると、彦三郎は家伝書で「高石垣等之事」と題して「(用水が)防火のためというのは名目で、城内の水が乏しく、泉水のために開かれたのではないか」と指摘している。
玉泉院丸跡は1961年に旧県体育館が建てられ、これまで本格的な調査は行われていない。県教育委員会が昨年暮れに体育館背後を予備調査したところ、藩政期の土層が確認され、明治以降も改変されていないことが判明した。2月の体育館撤去後の埋蔵文化財調査で、庭園の遺構をどれだけ解明できるかが課題だが、仮に寛永期以前に用水が引かれた痕跡が見つかれば、大火後に開削されたとする辰巳用水の歴史に一石を投じることになる。(北國新聞2008年1月4日付記事より)

富山城 天守築造目指す

藩政期、富山藩が富山城整備にあたり、天守の築造を目指していたことが明らかになった。富山城址公園の発掘調査を進めている富山市埋蔵文化財センターが2日までに、同公園南東側の一角で、天守を築く基礎となる天守台とみられる盛り土を確認した。天守台の存在を裏付ける発掘資料の発見は初めてで、富山藩が天守整備を念頭に本格的な工事に着手していた事実が浮かび上がった。
富山藩は1661年、幕府から天守築造を許可されているが、数多く残る江戸期の富山城絵図に天守は描かれていないため、富山城には天守は建てられなかったと考えられている。(北國新聞2009年1月3日付記事より)
*記事では現在使われなくなった「天守閣」を使用していますので「天守」と修正しています。

名古屋城、堀泥さらい種探し

名古屋市は新年度、名古屋城の外堀で、絶滅した水生植物の復活事業を検討している。おそらく1610年の築城以来初となる外堀の底泥調査を行い、種子を探す。2010年の生物多様性条約締約国会議(COP10)の名古屋開催をにらみ、40年前まではふつうにみられた直径2メートルもの葉を広げるオニバスをはじめ、かつての豊かな植物群の復活をめざす。
ため池の自然研究会会長の名古屋市緑区、元高蔵高校校長、浜島繁隆さん(75)によると、広さ8万平方メートルのお堀の水面は60年代まではオニバスはじめ、ヒシ、ガガブタなど多くの浮き葉で覆われていた。地下水が豊かで、濃尾平野の水生植物のほとんどをみることができる場所だった。しかし水質悪化のため、69年に17種類あった水生植物が、82年には13、95年には5と激減、いまではみる影もない。 これに対し、市が99年から工業用水を連日注入するなどしており、汚濁度を示す化学的酸素要求量(COD)は92年の1リットルあたり12ミリグラムから08年夏は7.4ミリグラムまで回復した。これなら水生植物の復活が可能だ。
計画では、お堀の20~40カ所で底の泥を取り、年代も測定しながら種を探す。当面の目標は、水質悪化以前で発芽も十分可能な40~50年前の種の発掘だ。お堀は江戸時代に池の底さらえをした記録がなく、45年空襲で城が焼けた時のすすより下層の泥からは、かなり古い種が採れるかもしれない。 種は発芽させ、水面によみがえらせる。鳥の食害や、堀の白鳥やコイのえさで水質が悪くなるのを防ぐため、ネットを張るなど防御策も検討する。
浜島さんは「同じ種類の植物でもDNAレベルでは異なる。よそから移植するのではなく、もともとここで生きていた植物を種から復活させられれば、意義深い」と語る。 (asahi.com2009年1月2日付記事より)

花押付き秀吉朱印状 三重・亀山市歴史博物館に

羽柴秀吉が1584年、亀山城主の関右兵衛にあてた書状が三重県の亀山市歴史博物館で公開されている。東京大学史料編纂(へんさん)所に写本はあるが、実物の所在は長い間不明だった。同館が京都市の古書店にあるのに気づき、08年7月に189万円で購入した。
通信文は9行したためられている。秀吉は「亀山城に織田信雄軍が攻めてきたが、堅固に踏ん張った」とたたえ、「亀山城が攻撃対象になるとは思わなかった」と告白。文章は祐筆と呼ばれる書記の筆跡とみられるが、花押は秀吉本人だ。秀吉の朱印状は豊臣政権の公文書として数多く残っているが、花押を据えた文書は少ないという。 書状は縦14.6センチ、横38.8センチで軸装され、保存状態は良好。同館に送られてきた古書店のカタログに書状が掲載されているのを昨年秋、館員が気付き、専門家に確認してもらって本物と判定されたため、購入した。
展示は09年4月19日まで。同時に亀山城跡や鈴鹿関跡などから出土した古代、中世、近世の瓦106点を展示し、「モノから歴史を探る」展も開催する。(asahi.com2009年1月2日付記事から)

松波城跡庭園 枯山水遺構の構造判明

能登町教育委員会は17日、同町松波の県指定史跡松波城跡庭園跡の今年度発掘調査で、石組みで水の流れを表現した「枯山水」の遺構の構造や、付近を流れる松波川で採取された石を使用していることなどが明らかになったと発表した。
枯山水の遺構は1962年の公園整備中に見つかり、80年度に発掘調査が行われた。今回の調査では、枯山水は渦巻き状に敷き詰められた地点から水が湧き、幅0.3-1.3メートル、長さ約7メートルを流れ、池状遺構に流れ込む様子を石組みで表現していたことが新たに分かった。
来年度は遊歩道などを調査し、庭園の全容解明を目指す。(北國新聞2008年12月18日付記事より)

辰巳用水の三段石垣 藩政期1メートル超高く

犀川に面した斜面にあり、最上部に辰巳用水が流れる三段石垣の金沢市の発掘調査で4日までに、藩政期の三段石垣は現在の見た目よりも1メートル以上高く、地表から7-9メートルの高さを誇っていたことが分かった。さらに周囲の地層から犀川の砂礫土が見つかり、同市埋蔵文化財センターは石垣が犀川の水流から浸食を防ぐ目的で構築された可能性が大きいとみている。
全長約260メートルの石垣のうち、中央付近の上段と下段を調べた。このうち下段の石垣周辺を掘り下げた結果、石垣部分が地表面から石4列分埋もれた場所まで続くことが判明。石垣を覆っていた土砂は明治以降に堆積したとみられ、埋まっていた石垣の延長部分はかつて地表に出ていたという。
上段の調査では、石垣の後ろからこぶし大から人頭大の裏込め石が見つかり、岩盤質の傾斜面を整えていた。道具などの遺物は発見されなかったが、市は後日、今回の発掘成果を石垣の専門家に依頼し、三段石垣の構築時期の推定を目指す考えである。(20008年12月5日付記事より)

シンポジウム 「江戸城と金沢城の御殿」開催

金沢城大学公開講座
シンポジウム 「江戸城と金沢城の御殿」
金沢城の政治の中心、二ノ丸御殿の内部はどんな姿だったのか、江戸城と比較し検討します。
日時:平成21年1月10日(土) 午後1時から4時40分
会場:石川県文教会館ホール 金沢市尾山町10-5
費用:入場無料
内容:
<基調講演> 「篤姫の時代の江戸城」 平井聖氏(昭和女子大学前学長)
<報告1> 太田昌子氏(金沢美術工芸大学教授)
<報告2> 伊東龍一氏(熊本大学教授)
<パネルディスカッション>