金沢城の遺構 中村神社の本殿

今日の石川県は雨模様です。昨日は晴れてて良かった。金沢城河北門の現場説明会の前に、まちしるべ標柱めぐりをしてきました。そのコース上にあった念願だった中村神社にも寄りました。
中村神社の本殿は、金沢城の数少ない建造物の遺構のひとつです。
金沢城 能舞台
それは城内にあったといわれる「能舞台」です。訪ねてみると、ひと目でただの神社の建物ではないとわかります。精密な欄間細工、そして鮮やかな格天井。
金沢城 能舞台
金沢城 能舞台
金沢城 能舞台
格天井は格式の高い折上げ格天井です。前田家の家紋である「梅鉢紋」も見られます。
金沢城 能舞台
金沢城 能舞台
金沢城 能舞台
本殿奥の間には、藩政期のものでしょうか?古い格天井の天井絵が額に飾られています。
金沢城 能舞台
思っていたよりもすごかったので、土曜の昼間誰も居ない本殿で写真を撮りまくってしまいました。仏様、お騒がせしました。
中村神社の前に、神明宮を通りました。ちょうど「夏越大祓」神事の開催日で、どんな行事かなと見てきましたが、本殿前に茅で作られた大きな輪が置かれていました。まだ準備中のようでした。いろいろと神事がありますね。
神明宮 夏越大祓
神明宮 夏越大祓

金沢城河北門復元 第一回現場説明会 石垣工事編

梅雨の最中に行なわれた金沢城河北門復元整備の第一回現場説明会ですが、雨が降らなくてよかったです。申し込みは午前・午後それぞれの部で20人だったと思いますが、大勢の方の申し込みに実際は40人と倍増したようです。私は午後の部で参加しました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
二の門石垣は先週から変わっていません。特に天候の悪い日が続いたわけでもないのに・・・、と思っていましたが、説明会で現在はしばし養生中だということがわかりました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
今回は二の門石垣がほぼ整備完了となったことで、「石垣工事」の説明会とのことでした。参加者にはたくさんの資料が配布されました。資料には整備計画の進め方や復元の方針などが書かれています。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
しばらく休憩小屋前で説明を聞き、ヘルメットを着用していよいよ石垣付近に移動します。二の門石垣は現在7段積まれていますが、8段で完成です。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
二の門石垣の間で金沢城石垣に使われている「戸室石」について、生産現場や特徴を聞きました。河北門二の門石垣は切り込み接ぎという手法で切石をぴったりと重ね合わせて積まれます。そのために、設計図どおりの型をベニヤ板で作成するそうです。昔も木型を使用していたようで、昔から苦労して積んでいたんですね。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
切り込み接ぎは離れて見るとぴったりくっついているように見えますが、実は3ミリほど離れています。これは全面でぴったりあわせると、後々石が割れやすくなるので、10センチほど奥に接点がくるようにします。河北門と同型の国重要文化財である石川門を帰りに確認してみると、確かに間が空いていますが、昭和30年代の文化庁の修理工事のときに埋めてしまったところもあるようです。なんてことを!
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
河北門二の門
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
石川門二の門
話を戻して、ひととおり説明が終わったあと、しばらく自由時間が取られました。二の門、一の門をひとおり間近に見ましたが、二の門が進まぬ間に一の門は着々と積み直しのために、石が外されて、東側は根石が見えるまでになっていました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
さて、次の写真は南側石垣の東面です。この面は奥に復元された菱櫓が見てる視点として、古写真として唯一往時の石積みが確認できるところです。今回の復元ではこの面については、この古写真と同じ積み方にこだわったそうで、まだ足場があるのでよく確認できませんが、完成の暁には古写真と比べて楽しめそうですよ。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
自由時間のあと、石割の実演や表面加工の体験がありました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
非常に有意義な説明会でした。今後は、「木工事」「左官工事」「屋根工事」と機会があるごとに説明会が開催されるようです。また、しばらくすると木工事が始まりましたが、その前に被さるように上屋がかかるそうです。菱櫓のときは中に入ることはできませんでしたが、今回は上屋の中に見学場所が設けられて、引続き工事の見学ができるとのことで、楽しみです。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
説明会が終わってから、引続き希望者に隣で行なわれている石川門保存修理の現場説明会が開かれました。参加者の半分の方が残って説明を聞きました。私は前回の石川門の説明会には参加できませんでしたので、初めて見ることになりました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
中は、北側の新丸側が一部修復されている途中で、大部分の塀の木組みは外されたままでした。修復された木組みを見ると、真新しい木材には「平成十九年度補修」の焼印が、少し古い木材には「昭和三十二年度補修」の焼印が見られます。それ以外は昭和の保存修理以前の木材のようです。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
今回は、石垣側の足場にも入れていただけました。普通は絶対に間近では見ることができない、「出し」全面の梅鉢紋も近くで見ました。貴重な体験でした。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理

七尾城跡 石垣修復9月完了

昨年の能登半島地震で崩落した国指定史跡・七尾城跡の石垣が、9月上旬に修復を終える見通しであることが26日の同石垣修復委員会で報告された。城跡は昨年10月の豪雨でも18カ所で土砂崩れし、一時は修復のめどが立たない状況となっていた。9月13日に始める能登畠山家創立六百年事業に何とか間に合う形となり、市関係者らは胸をなで下ろしている。
市は9月13日の七尾城ウォーク、14日の城山まつりなど、能登畠山家が能登一国の守護となり六百年の節目を祝う一連の記念事業に間に合わせたいと、協議を重ねていた。(北國新聞2008年6月27日付記事)

金沢城 河北門二の門石垣の工事は大詰め

金沢城河北門復元工事
金沢城の河北門復元整備は、二の門の石垣工事が大詰めを迎えました。先々週、積まれた段が違っていた南北の石垣も、ともにちょうど鉄骨の隠れるスレスレの位置まで積み終わり、後一段?残すのみとなっています。
番号を付けてシートが被せられていた一の門石垣も工事が進められ、石垣が外されて低くなっていました。
金沢城河北門復元工事
金沢城河北門復元工事
来週はいよいよ一般向けの現場説明会の第一回目が開催されます(すでに申し込みは終わっています)。先週末に北陸も梅雨入りし、天候が心配されるところではありますが、おそらく二の門石垣についての説明会となることでしょう。
足場が組まれていて、興味は積まれていく石垣の高さに注目がいくことが多いと思いますが、最下部の根石を調整する小さな石は今日現在すっかり見えなくなってしまいました。高さで中の栗石も見にくくなっていますので、外見上は大きな石がすでに主役です。

金沢城・兼六園研究会 6月例会講演会

今日は夏至、最も陽の長い日です。先週末に北陸も梅雨入りしましたが、ちっとも雨が降りません。明日以降は少し降るでしょうか?
さて、今日は金沢城・兼六園研究会の6月例会でした。今日は9月の大名庭園民間交流水戸サミットに向けて、「加賀藩の茶道」を勉強しました。講師は茶道裏千家教授、石川県茶道協会代表理事である大島宗翠氏です。
金沢城・兼六園研究会 6月例会講演会
茶の湯や茶道については門外漢の自分ではありますが、中世以降は政治と深く結びついた茶の湯の話を興味深く聞きました。金沢では外様最大の石高として藩主のみならず、家臣や町人も茶の湯をたしなんだということで、城下に茶屋街が3つもあるのも特別なことでしょう。
加賀藩の茶道
そういう経緯からも旧加賀藩領にはたくさんの茶室が残っていたのですが、茶室は他の部屋に転用の効かないもののため、調査される度にその数は減少しているとのことでした。

名古屋城検定の表彰は・・・

表彰は高得点の方と特別賞(最年少・最高齢)の方だけだと分かりました。ちなみにG賞は記念品として、「本丸御殿のメモパット」がもらえるそうです。
初級合格者には皆何か記念品がもらえるようで、勘違いした自分が悪いのか?勘違いさせる案内文が悪いのか?お近くの人は大人800円の入場券が、8日は無料となりますから、出かけてみても良いでしょう。
自分は表彰されないことがわかってほっとしましたが、イベントとしては「天守閣夜間公開」と「本丸御殿3Dシアター」に興味がありますので、ここは財布の中身と相談することにしましょう。
名古屋城宵まつりホームページ

金沢城跡 国史跡に決定

文部科学省は17日付の官報で、金沢城跡を文化審議会の答申通り、国史跡に指定すると告示した。告示をもって史跡指定が正式に決まった。国史跡指定の範囲は金沢城公園内の国・県・市有地を合わせた約27.5ヘクタールとなる。(北國新聞2008年6月18日付記事)

福井市を歩く 銅像・石像編

福井市には銅像・石像が少なくありません。それだけで観光コースになっています。
松平春嶽像
福井市立郷土歴史博物館前に新しい松平春嶽像があります。幕末16代福井藩主として非常に有名な殿様です。
横井小楠・由利公正像
福井城跡前、内堀公園内にある横井小楠・由利公正像です。横井小楠は春嶽に招かれて熊本から来て、由利公正らを指導しました。
松平春嶽像
こちらも松平春嶽像です。福井城跡の隣にある福井神社の境内にあります。つい先日のNHK大河ドラマ「篤姫」のエピローグで紹介されていました。訪れた次の日の放送だったのでとても驚きました。
熊谷太三郎像
中央公園内にある熊谷太三郎像です。元福井市長のようです。
岡田啓介像
ここも福井城跡の隣、中央公園の入口に立つ岡田啓介像です。日本が戦争に向かって突き進んだ時代に福井県出身で始めて総理大臣となりました。
岡倉天心像
同じ中央公園に岡倉天心像があります。明治から大正にかけて活躍した美術研究家です。
結城秀康像
福井城本丸跡、県庁前に結城秀康像があります。福井藩初代藩主であり、徳川家康の次男であった秀康は、結城家に養子にいったために将軍になれなかったある意味悲劇の殿様です。
お市の方像
柴田公園にお市の方像が柴田勝家像のそばに立っています。
柴田勝家像
柴田勝家像は槍を右手に衝き立て、勇猛な形相です。
グリフィス・日下部太郎像
幸橋の袂にグリフィス・日下部太郎像があります。日下部太郎は福井の留学生第一号で、アメリカのラトガース大学で学び、先輩のグリフィスを福井に招きました。グリフィスは化学の教師として多くの若者を指導しました。
中根雪江像
神明公園の中に中根雪江像があります。幕末の福井藩士で、初めは春嶽の教育者として、のちに春嶽の御用人として藩を支えました。
禿すみ像
最後は禿すみ像です。仁愛女子高校の正面入口前に立っていて、創設者?でしょうか。女子高前で写真を撮っていると変に思われそうなので早々に退散しました。今日はここまでです。

福井藩を歩く 2

今日は福井藩の頃にあった町名を紹介しましょう。
浜町
「浜町」は、足羽川沿いの町で、年中朝市がたっていたり、芝居小屋が開かれたり、にぎやかな場所でした。今は住宅街に小さなお店がちらほら見られます。
浜町
本町
「本町」は、福井城の正面玄関であった桜門の前にできた町で、現在は福井駅前から続く幹線道路沿いにあります。
本町
一乗町
「一乗町」は、一乗谷の朝倉氏が滅亡した後に、柴田勝家がそこに住んでいた人たちを北ノ庄城の城下に移してできた町です。
一乗町
長者町
「長者町」は一乗町に隣接して北ノ庄時代からあったと考えられ、他の町に比べ敷地が広かったことから有力な町人が住んでいたと考えられています。
長者町
京町
「京町」は、京都から運ばれた小間物を扱う店が並んでいたところで、九十九橋の北詰にあたり、北国街道の城下への入口でした。
京町
塩町
「塩町」は、塩問屋や塩商が集まっていた商人町でした。
塩町
山町
「山町」は、一乗町と同じく柴田勝家が一乗谷の人たちを移住させた町です。案内碑のある場所は、幕末に坂本龍馬が由利公正と語り合った莨屋(たばこや)旅館があった場所です。
山町
呉服町
「呉服町」は、現在も呉服町商店街となっていますが、九十九橋からまっすぐに町を北国街道が通っていて、呉服屋が多かった商人町でした。
呉服町
柳町
「柳町」は、福井城の柳門という門前にあった町です。
柳町
福井は空襲にあっているので、藩政期の面影はすでにありませんが、こうして町名を訪ねながら散策してみるのはいかがですか?