ぜんぜん知りませんでしたが、2月の土日の午後に石川門内部を公開していたようです。最近は公開日が断然増えましたね。ここまでくると「特別」公開のありがたみも薄れてきますが、常時公開ではないのでやはり「特別」公開になるのでしょうね。
それでは説明会の前に現在の進み具合を確認します。と・・・ヘルメットが1つもない。ついでに「入るときはヘルメットかぶれよ!」という但書きも隠されている。
監視の方に聞いたところ、今日は説明会があるからヘルメットが貸し出されているということ。今日だけの「ノーヘル」許可のようです。
もう二ノ門櫓の外観は完成しています。中では作業している人もいます。しばし見学・・・、何か彫っているようです。
出てくると、少しずつ気の早い人たちが受付に集まってきています。
月: 2009年2月
金沢城いもり堀工事 両面傾斜するの?
今年は暖冬です。今日も風は少し肌寒いですが、2月とは思えぬ陽気です。
金沢城のいもり堀の水堀化工事は年度末を迎えて、ようやく堀を掘り始めていました。今日は初めてその作業風景を見ることができました。パワーシャベルで土を運んでいたしたが、斜面にかけています。
どうも埋め立てた土が良質でないのか、見た目が悪いのか、表面に数十センチ良い土砂で覆っているような感じです。
もう1箇所の工事現場では、パワーシャベルで斜面を整えています。よく見ると、両側の斜面が同じ傾斜?本来の形からすると、左側は傾斜してても問題はないけど、右側は堀の途中であり、本来の傾斜は道路を挟んだ向かい側の敷地になるので、直角に落ちているのが本当だけれども、土木工事となるとそういう訳にはいかないようです。
加賀藩家老 本多家上屋敷跡を歩く
石川県立美術館のある本多の森は、元は加賀藩の家老であった本多家の上屋敷あった場所です。本多家は5万石という録を持ち、初代本多政重は徳川家康の側近であった本多正信の子であり、今話題の直江兼続の養子となったこともある武将でした。直江兼続には養子縁組の後に実子が生まれたために、縁組を解消し、奉公先を探していたところに加賀藩から声がかかったとのことのようです。
その本多家上屋敷を横切るように辰巳用水の分水が流れ、小立野台地を下った本多家下屋敷跡に流れていきます。
昨年改修を終えてリニューアルオープンした県立美術館の裏もきれいに整備されましたが、整備されてから初めてそのあたりを歩きました。
というのも、先日地元新聞に来年度、金沢市が本多家上屋敷の調査を行うことがかかれていたので、以前本多家の石積み発見の報道があったことを思い出して、現状どうなっているのか気になっていました。
木橋を渡るか否かという段階で、その下にすでに石積みが見えます。
そのあとも崖にそって明らかに土盛りが見られ、ところどころ石積みが見えます。一部はとても大規模な石積みも存在します。
角にあたるような石積みは苔むしている石もありました。
正直ここまで多くの土塀の痕跡が残っているとは思ってもみず、今まで来なかったことを後悔するとともに、市民にもあまり知られていないことがもったいないと感じます。
金沢城下町 「惣構堀」を「惣構」に
金沢市の公文書などに記されている「惣構堀」の表現が、「惣構」に正されることになった。二十五日の同市教育委員会議では、「金沢市主計町伝統的建造物群保存地区(伝建地区)保存計画」の変更が了承された。金沢城を取り囲むように築かれた内外二重の惣構は広い堀と高い土居で敵の侵入を防ぐ構造となっており、「惣構堀」は一部分を示しているに過ぎず、市は市内各所に設置されている標柱や案内板の修正も検討する。
市は新年度に主計町伝建地区の緑水苑を整備し、西内惣構を復元するとともに、地区の防災拠点としての機能を高める。これに合わせて保全計画の内容を見直すことになり、地区の沿革を記したくだりの二カ所で見られる「西内惣構堀」の表現を「西内惣構」に変更する。地区の現況に関する部分に「古い絵図等に見られる東西の内惣構堀は暗渠化され」とあるが、この場合の「惣構堀」はかつての惣構の堀の部分を指したものであり、「惣構堀」のままとする。
市などによると、惣構の遺構が比較的良好な状態で残っている市役所裏の西外惣構では、江戸初期の寛文年間に堀の幅が約12メートルに及んだとされる。土居は高さが少なくとも5メートル以上はあったと推定され、堀と土居を組み合わせて強固な守りを築いたことが伺われる。しかし、戦のない平和な時代が続き、惣構の堀は狭められ、土居も削られた。明治に入って土居の多くが消滅する一方、堀は用水などに姿を変えて残ったため、一般的に「惣構堀」と呼ばれることになったと言われる。
「惣構堀」の呼称は「用水のまち金沢」を象徴する側面があるが、土居の存在が薄れ、惣構の威容が正しく伝わらない可能性がある。市が昨年九月にまとめた惣構発掘調査の報告書では「惣構堀」という呼び方について「堀を指す場合は良いが、土居跡も含む範囲を指すことは混乱を招くので、総称としては『惣構』が妥当」と指摘。昨年12月には内外の惣構が「金沢城惣構跡」の名称で市史跡に指定された。(北國新聞2009年2月26日付記事より)
棟木を完成させる 「週刊 安土城をつくる」
帰ってきてまだ明るかったので、垂木を裏返して裏にゴールドを塗装しておきます。垂木はまた次回ですが、塗装は終わったので進めやすくなりました。
昨日補強紙を貼ったときにはかなり反っていた野地板ですが、一晩たってほとんど反りがなくなりました。
さて、棟木が乾きましたので裏にはみ出た塗装を紙やすりで落とし、昨日メタルプライマーを塗った金鯱を用意します。仮組みで穴の大きさを確認してから、瞬間接着剤で金鯱を貼り付けます。
金鯱の乗った棟木が完成しました。なかなか良い出来です。あとは屋根のと色ムラが出ないように気をつけないと。次回は垂木を作成します。
石川県立歴史博物館 「れきはくコレクション2008」
今日は、石川県立歴史博物館で開催されている「れきはくコレクション2008」を見に出かけました。れきはくコレクションは、毎年その年度に購入または寄付により収集した資料を展示する恒例の企画らしいのですが、実際行くのは初めてです。
今日は二時から展示物の一部を学芸員が列品解説してくれました。列品解説は、3月7日、3月14日にもありますよ。
展示物は、江戸の加賀藩邸絵図や辰巳用水絵図、御所人形や絵葉書、鉄道グッズなど幅広く、今回の特別展は常設展示料金で見る事ができるのでお得感もありますね。
来年度の博物館友の会「れきはくメイト」に入会してきました。博物館内は広すぎていつも常設展を見て回るのに時間が足りないので、来年度は何度か足を運ぶことにしましょう。
帰りに、金沢くらしの博物館で「雛飾り展」を見てきました。五段飾りの通常の雛飾りから御所飾りと言われる見たこともない雛飾りまでいろいろな雛飾りがありました。
垂木と棟木を塗装する 「週刊 安土城をつくる」
午前中、少し風がありましたが晴れていたので昨日の続きをします。下地剤を塗った棟木に筆で茶色に塗装します。
塗装するために、皿容器にブラウン90%、つや消し10%で作り、1度色を塗ります。
乾くまでの間に垂木を別のダンボールに並べます。並べ終わる頃に棟木が乾いたので、色むらの出ないように二度塗りします。
色塗りが終わったら皿容器を洗ったのですが、これが失敗でした。今回使用している塗料は油性なので、水に溶けないのです。昔プラモデルに塗装していたときは水性塗料を使用していたので、水で洗い流していましたが、油性の場合はうすめ液を混ぜるとまた使えるようになるはずなので、皿容器は色別にそのままにして、使うときにうすめ液を混ぜ、足りなくなったら追加するようにすれば良かったのです。次回から失敗しないようにします。油性塗料は慣れないですね。手もかなり汚れますし・・・
並べ終わった垂木にゴールドのスプレーを吹きかけます。ゴールドはキラキラしてきれいですね。並べるのは時間かかりますが、塗装は一瞬です。
午後からは出かけるのでこのまま乾かします。午前の作業は1時間ほどでした。
金沢城河北門工事現場見学会 参加証
今月28日の見学会参加賞が届きました。右下には参加者NOと思われる「50」の文字が・・・
50人の募集はあっさりと定員オーバーだったようですね。参加の注意書きを読むと、工事現場の中に入れるようです。楽しみです!
六階の野地板と化粧垂木を組む 「週刊 安土城をつくる」
定期購読では2号と3号は一緒に届きました。この2つの号は同じ部位を組み立てるところもあり、塗装を考えると2号一緒に行うのが効率が良さそうです。しかし、化粧垂木の部品がたくさんあって細かい作業が要求されそうですね。
まずは、金属パーツの光沢保護や錆止めをすることにしましょう。1号に付いてきた天守の金鯱と、風鐸を両面テープを貼った割りばしに、直接触らないようにピンセットで乗せました。
今日は寒いですが、晴れていたので外でメタルプライマーを吹きかけます。
乾いた頃にピンセットで裏返し、一緒に、前回メタルプライマーを忘れた破風板の金属パーツも、余分に吹きかけた液を筆で塗りました。
次に金色に塗装する垂木や隅木を準備します。これが細かいです。2号と3号でかなりたくさんの部品点数があります。
丁寧にカッターで切り離し、切り口にヤスリをかけて、ダンボールに貼った割りばしの上に並べていきました。この作業だけでも1時間かかりました。部品が細かいので、カッターで切り離すときに飛んでいかないように指で押さえながら切ります。
外で垂木に下地剤を塗ります。
乾くのを待つ間に、金鯱を乗せる棟木を作成します。木工ボンドで部品を接着し、下地剤を塗ります。
今日は始めるのが遅くなったこともあり、下地剤がなかなか乾きません。その間に、野地板を作成します。パーツは2号に2枚、3号に2枚付いてきました。
木工ボンドを塗り、補強紙に貼っていき、乾いてから野地板に沿ってカッターで切り抜きます。
野地板が4枚完成しました。幾分、木工ボンドの水分で板が反っていますが、乾けば問題ないのかどうか?
今日は最後に垂木を裏返して下地剤を吹きかけます。塗装は次回です。
小説「金沢城下絵巻 炎天の雪」
街散策とは異なるが、地元新聞小説の話題をひとつ。
今年正月から北國新聞に掲載されている小説「金沢城下絵巻 炎天の雪」が面白い。
本日で50回目を迎えた諸田玲子さんによる本小説の舞台は、宝暦七年の金沢城下、お家騒動として有名な加賀騒動から数年後の世である。
昨年までは加賀藩三代利常から五代綱吉までの加賀藩政についての小説を掲載していたが、あまり興味を持たなかったので読んではいなかった。その前作は700回ほどの掲載であったので、今回も2年間700回ほどの掲載になると思われるが、その小説の内容も去ることながら、横田美砂緒さんの挿絵が雰囲気があってとてもよい。
県内の書店では、前作が書籍化されて並んでいるが、新聞掲載時にはあった挿絵が全く載っていなかった。本作もいずれは書籍化されるであろうが、その時はやはりこの趣ある挿絵がなくなることが予想される。
正月から面白かったので毎日読んでは片付けていたが、先日そう思い立って、正月からの切抜きを集めてスクラップすることにした。物語は駆け落ちし、ひっそりと暮らしていた夫婦が加賀騒動の関係者に巻き込まれて、夫婦の危機?に向かいそうな予感が・・・、今後の展開が非常に楽しみである。