すでにお盆休みの方もいるでしょうが、私はまだ仕事です。今日はシフト勤務となり、午後からの出社であったので、少し早めにでて、先日来た宮保館跡発掘調査現場にやってきました。
まずは隣りの宮保B遺跡を見学します。今日はブルーシートが外されており、遺跡がよく見えますが、昨日の雨により水溜りができています。
溝跡の様子もよく見えます。
遺跡中央部には石列と思われるものも見えます。
線路を挟んだ宮保館跡を見てみましょう。看板から右斜め方向に溝跡が見えます。
こちらは大勢の方が発掘調査の作業中でした。
石敷きのような遺構が見えます。
堀跡やその先の柱跡もよく見えそうですが、作業中邪魔してはいけないので、今日はここまでにしました。
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
金沢城鯉喉櫓台石垣工事進む
河北門、玉泉院丸跡に引き続き、いもり堀鯉喉櫓の状況をみてきました。
ショベルカーの背後にあった石垣用戸室石は随分と数が少なくなっています。
石垣を囲む足場も東側は組み替えられ広げられていました。
裏込石がたっぷりと入れられた櫓台は、北側に盛られた高さに近いくらいに詰められていました。
南側の石垣も数段進み、隅石に限っては三段ほど積まれたでしょうか?
前から見ると、足場が邪魔で見づらいですが、下の位置からは1メートルほど積まれ、予想以上に工事は進んでいるようです。
金沢城玉泉院丸跡に行ってみたが・・・
今週新聞報道で泉水庭園の石垣が発見されたということで、遠目にでも見えるかなと期待して行ってみた。
が・・・・前日の雨により、発掘調査現場にはブルーシートが被されていました。先日の手前の穴も本格的に発掘が始まっていました。
また後日の楽しみですね。
金沢城河北門復元のいま
河北門一の門は海鼠塀がいつの間にか完成しており、柱に被されていたシートも外されていました。真新しい木が見えています。
本日から金沢城三の丸では「金沢城オペラ祭」が開催されており、いつも以上に賑やかです。
二の門の見学に行くと、やはり外見は替わり映えしませんが、よく見ると、隅柱には鉄板が巻かれています。黒々としていて全容が楽しみです。
今は屋根に鉛板を巻く作業が中心のようです。
金沢城玉泉院丸跡 泉水の石垣出土
金沢城玉泉院丸跡の整備計画に伴う石川県の埋蔵文化財調査で6日までに、庭園跡地から石垣の一部が見つかった。泉水(大きな池)の護岸部分とみられ、遺構の状況が江戸後期に作られた複数の金沢城絵図と一致した。金沢城調査研究所は「庭園や泉水の規模などを知る調査の貴重な一歩」としている。
玉泉院丸跡地で庭園の遺構が確認されたのは初めて。石垣が見つかったのは、庭園があったとされる旧県体育館の敷地の一角。地表から3.5メートル掘り下げたところに、60~70センチ角で奥行き1メートルぐらいの戸室石が延長約4.5メートルにわたって積まれているのを確認した。(北國新聞2009年8月7日付記事から)
都内23区の城館 渋谷城
渋谷警察署の裏通り、表通りの喧騒が嘘のような静かな場所に金王八幡宮があります。
この神社は澁谷氏の祖である河崎基家の創建と言われる。基家が後三年の役での活躍により、源義家からこのあたりの土地を与えられ、ここに居館を構えたときの鎮守社として祀られたようである。
境内は回りを住宅用地に削られて広いとはいえないが、それは社殿の奥に高層ビルが立ち並ぶ光景も影響しているのかもしれない。
現在の社殿は春日局が日光東照宮を模して造営したというだけあって絢爛豪華である。
その社殿の前に、渋谷城の城石として一つの石が置かれている。渋谷城は砦跡というよりも居館跡というほうが正確かもしれない。この石も居館の石積みに使われていたものであろうか?
都内23区の城館 西久保城
オークラホテルやテレビ東京などの高層ビルが立ち並ぶ、この一帯が西久保城です。
この城は熊谷直実による築城と伝わるが、史料はなく伝説の域をでないという。
現在はこの辺りが「城山」と呼ばれていることと、智美術館のある建物が「西久保ビル」と呼ばれていること以外は痕跡が全くない。
この辺りもやはり高台になっているので、砦があったとしても不思議はない。案内板も何もないのが残念。
都内23区の城館 今井城
完成な住宅地の一角に氷川神社がある。近くにはアメリカ大使館などがある。
この辺りに平安時代末期に今井兼平が建てたといわれる城があった。兼平は源義仲の家臣、巴御前の兄であった人物であるが、今井城が兼平であるという説には根拠がないらしい。
階段を上り境内に入るとそこは鬱蒼とした樹木に覆われている。
どれも幹回りは大きいので、数百年経っていると思われるが、唯一このアングルが境内の広さを実感できるであろうか。
神社の社殿は外装の塗りなおし中であった。
帰りはもうひとつの出入り口から出てきたが、ここからだと社殿までは一直線である。鳥居の前の道は坂道(下り坂)になっている。やはり高台にある砦跡というところだろうか。
東京23区の城館 本郷城
今日は文京区にある本郷城を紹介しましょう。
この城も「城巡礼 東京48ヵ所めぐり」(東京地図出版)に載っていますよ。
赤門です。いわずと知れた東大のシンボルですが、加賀藩上屋敷にあった溶姫を迎え入れるための婚礼準備として建てられた御守殿門です。
東大にはいろいろな門がありますが、敷地内にあったと伝わる謎の城郭が本郷城です。
文政8年(1825)、「南総里見八犬伝」の著者として名高い滝沢馬琴が毎月一回中間を集めて、奇妙な話をする集会を開いていたとのこと、その年の10月、そのなかの一人が奇妙な話をした。
「加賀前田家の上屋敷(東大本郷キャンパス)で工事をしたところ、地中から石垣を見つけた。その石の数は3万を越え、長く続いていたそうだ。」
話を聞いた馬琴は豊島氏の城だろうと語ったそうであるが、本郷あたりは太田康資の所領という史料もあり、いずれも確証を欠いている。
とはいえ、本郷通りとは反対側の暗がり坂へまわると、敷地は一段高い位置にあることがわかる。案内板などは全くないが、興味をかき立てられる城跡である。
都内の江戸遺産 赤門と黒門
もう一度登場しましたのは、赤門です。
「赤門」は加賀前田藩が将軍家から溶姫を迎えるために建てた御守殿門です。輿入れ行列がここから屋敷内に入りました。
門の部分写真が多いため、周囲の塀も赤いような誤解を生んでいるように感じますが、実際に赤いのは門部分のみで、周囲に巡る塀は加賀藩の特徴的な海鼠塀です。
本郷から上野公園を渡ると、その先に東京国立博物館があります。ここにもうひとつの江戸遺産があることを昨年まで全く知りませんでした。何度も来ているにもかかわらず・・・。ようやく見てくることができました。
それは「旧因州池田家屋敷表門」、通称「黒門」です。
立派な漆黒の門であり、因幡(現在の鳥取県)藩の大名、池田家の江戸屋敷の表門でした。
細部を見ても、30万石を越える大藩の風格が漂っています。
黒門は丸の内三丁目にあったものを、一時期東宮御所や高松宮家で利用され、昭和29年にここに移築されました。そのため、修理された時期から、瓦にも菊紋が入っているものが見られます。
内部は曜日により公開されているようですが、今回は外から見て満足することにします。都内には藩政期から残る大名屋敷の門は「赤門」と「黒門」の2つのみであるにもかかわらず、「黒門」の知名度は「赤門」の足元にも及びません。もっと注目されるだけの価値はあると思います!