金沢城の遺構 尾崎神社・二の丸御殿御門

昨日はぐるりと金沢城外をまわって来ました。先日訪れた長田神社のところで触れました尾崎神社に行きました。
尾崎神社は金沢城内にあった東照宮の本殿・拝殿を移築したものです。現在本殿は修理中で見えません。といっても、普段も入れないので同じです。最近は風雨から守るため、拝殿も外囲いがかけられていましたが、春に外されてそのままです。
尾崎神社
先日の長田神社では色鮮やかな懸魚や蛙股を見ましたが、さすがに長年風雨にさらされた尾崎神社の懸魚や蛙股の色は落ちてしまっています。建物は国重要文化財なので、簡単に塗り直すわけにはいかないでしょうけど。
尾崎神社
尾崎神社
尾崎神社
次は、尾崎神社の裏門です。この門は二の丸御殿の門のひとつだといわれていて、同種の門としては唯一の遺構です。
二の丸御殿御門
二の丸御殿御門
これら2つは金沢城に近いので、金沢城に来たときは忘れずにどうぞ。

旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

今日は週間天気予報ではずっと雨だったのに、今年一番の暑さとなりました。まちしるべの件で金沢市役所に寄ったついでに、発掘現場を覗いてみました。ここは市役所の向かい、旧石川県庁で元は金沢城の堂形(最初のころは的場、のちに米蔵があった場所)です。
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
週末は作業をしておらず、雨避けシートがかけられていて作業の様子をみることができませんでしたが、今日は良い天気で作業もしていました。遠目には何か出ているかどうかわかりませんね。
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
着いたのはちょうど昼前で、作業員の方は昼食に出かけていきましたが、しばらく見ていると、数人残っていた方で空中写真を撮るようでした。
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
初めて間近で撮影する様子を見ました。
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
先程とは反対側にまわってきました。こちらは何か石組み列が見えますが、いつの時代のものかわかりません。今のところ現場説明会の案内などはないので、特に目覚しい発掘成果があったというわけではないのかもしれません。
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡

金沢城の遺構 長田神社

先日の日曜日は前日の余勢を駆って、残り少なくなった金沢まちしるべ巡りを続けてしてきました。金沢駅南周辺を歩きましたが、道程にちょうど長田神社があったので行程に組み込んでいました。
長田神社の祭神は天神様です。加賀藩初代藩主の前田利家が菅原姓を名乗っていたこともあって、金沢には数多くの天神宮があります。長田神社もそのひとつなので、外鳥居の石碑は「長田菅原神社」となっていますが、内鳥居の石碑は「長田天満宮」となっています。
長田神社(長田天満宮)
この長田神社は数少ない金沢城の遺構です。とはいっても、城建造物ではなく、城内にあった東照宮の一部です。東照宮の本殿・拝殿は、金沢城に隣接する尾崎神社の本殿・拝殿となっていますが、長田神社の拝殿は東照宮の護摩堂といわれています。
長田神社(長田天満宮)
今春外観の塗り直し修復が終了したということで、地元新聞にも載っていましたので、まだまだ色鮮やかな懸魚や蛙股の彫刻を見ることができます。尾崎神社も元はこのような色彩だったことでしょう。
長田神社(長田天満宮)
長田神社(長田天満宮)
長田神社(長田天満宮)
金沢城からは遠く離れていますが、金沢駅からは15分ほどの場所にありますので、興味ある方はぜひお寄りください。

金沢城河北門 工事はいつ再開?

金沢城河北門復元整備事業の一翼を担ってきた真柄建設が民事再生法の適用を受けた最初の週末です。土曜日は工事をやっていることも多かったですが、今日はお休みです。
金沢城河北門復元工事
二の門石垣は6月末の現場説明会のときと変わっていません。
金沢城河北門復元工事
ちょうど養生中ということもあり、7段積んで、最終の8段目を積む石は、脇でスタンバイした状態ですが、いつ再開して積まれることになるでしょうか。
金沢城河北門復元工事
地元新聞では、河北門工事は工期がまだまだ先であるため、再開優先度は低く設定されており、今後の成り行きによっては発注業者を変更することもあり得そうです。この一騒動が、12月に予定されている寄進イベントに影響なければよいですが・・・。日程がずれて真冬開催だけはやめて!

土木・建設業界の不況は城郭復元にとっても対岸の火事ではない

5日、石川県内最大手のゼネコンである真柄建設が民事再生手続を開始しました。同社は今復元真っ只中の「金沢城河北門復元工事」の担当会社の一つでもあります。石川県内では、昨日完成式の行なわれた「東内惣構堀枯木橋詰遺構」を担当していた会社が昨年末に倒産して、完成が3ヶ月遅れたばかりです。金沢城河北門は予定通り北陸新幹線が金沢に来るまでに完成するでしょうか?

東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成

東内惣構堀枯木橋詰遺構
本日ようやく東内惣構堀枯木橋詰遺構が完成しました。東内惣構堀枯木橋詰遺構は、4つある金沢城の惣構の1つで、浅野川に注ぐ直前の部分にあたります。
完成式は、金沢市長や地元町内会長などを迎え、テレビカメラも何台も来ているなかで行なわれました。
東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成式
東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成式
最後に遺構の前でテープカットをして終了しました。その後、向かいの文学館で完成記念講演会が行なわれました。
予約していた40名が参加して、講師として金沢学院大学大学院 玉井信行氏を迎えて、「金沢城惣構堀について」というテーマで一時間の講演が行なわれました。
東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成記念講演
1598年 内惣構堀の築造
1610年 外惣構堀の築造
1632年 辰巳用水の築造
1640年代 鞍月用水の築造
源太郎川と途中から重なる東内惣構堀以外は、用水の完成により水が入れられたようです。江戸期を通して堀幅は徐々に縮小されはしたものの、堀は排水路として使用され続けたため今に残っています。つながって水が流れていないと用を足さない排水路としての役割は、貴重な堀の大部分をそのままに残しましたが、西の内・外の一部は武蔵が辻周辺で切れてしまいました。

金沢城東内惣構堀 柿木橋詰遺構復元工事完成式

城下町金沢の歴史資産である惣構堀について、文化財指定を視野に入れ、現地調査及び発掘調査を行い、その結果を踏まえ可能な場所で復元整備を行うことにより、金沢の貴重な歴史遺産の保存・活用を図っていきます。このたび、平成18年度からの発掘調査に基づき、本市初の惣構堀の復元整備工事が完成します。
完成式
日時 平成20年7月5日(土) 午前10時から
場所 東内惣構堀 柿木橋詰遺構(尾張町二丁目地内)
整備のコンセプト
1 発掘調査結果に基づいた、堀の石垣及び土居の復元整備
2 堀幅の変遷や惣構堀の規模がわかるような整備
3 見学所として気軽に立ち寄れ、歴史を感じ取れる整備
東内惣構堀とは・・・
城の防御のための堀で、慶長四年に加賀藩二代藩主前田利長が高山右近に命じて築造させたといわれています。小将町~兼六元町~主計町の延長約1.3kmです。