坂戸城に登ります。

麓の駐車場で係りの人に、「薬師尾根コース」と「城坂コース」のどちらが急かを訪ねましたが、80パーセントが坂だと言われた「薬師尾根コース」から登ることにしました。

入口からしばらく通路の脇に地蔵が立っています。後世に頂上の富士権現に向かう信仰の道へと変貌したのでしょう。逆なのかな?

道の途中で脇道を進むと御居間屋敷跡がありました。広い平地が広がっていました。

城坂方向から入る入口は虎口となっています。

戻って、道はさらに急に続きます。向こうに頂上が見えますが、なかなか近づきません。

今日は早起きしたこともあり、体力が持ちません。何度も休憩しましたが、急な坂道からの眺望はすばらしいです。

ようやく頂上近くまで来ましたが、最大の難関、ロープに、鉄鎖?登るのはまだマシで、下りてくる人がたくさんいるのに驚きです。

頂上の実城には富士権現社が建ち、十数人がくつろいでいました。

本丸からの眺めも最高です。

富士権現の裏からは尾根筋が続き、小城、大城の郭があるようです。

道の中程、木のこんもりした部分が小城、先端が大城のようです。

小城だと思われる場所です。というのもこの尾根については案内板がないのです。薬師尾根では松が多かったですが、小城では白樺(かな?)が多いですね。

大城の入口には礎石?とも思われる2個の石が横たわっています。

大城からは実城とは違う方角がよく見えます。

実城にも連絡をとれる距離にあり、連携して機能していたことが容易に予想できます。

実城に戻って、城坂コースを進みます。下の段は広瀬曲輪となります。

5分程で別の尾根筋にある主水曲輪への分かれ道があります。

3本の深い堀切を進んで15分程で先端近くの主水曲輪に到着しました。大城といい、主水曲輪といい、実城からアップダウンがあって体力的に厳しい山城です。

主水曲輪からは越後方向がよく見渡せます。

戻って城坂コースを下りてくると途中に水場跡の案内があります。

実際の場所に案内が見つからなかったのですが、プラスチック管のあるこの辺りが石が多く、水場だと思われます。この場所は観光地図には載っていませんね。

水場を後にして、桃の木平に到着しました。かなり広い平地です。名前の由来は桃木でも立っていたのでしょうか。現在はないようでしたが・・・

城坂コースは薬師尾根コースと比べ緩やかですが、木々に囲まれて展望はあまりよくありませんね。

城坂コース入口まで来ると、一本松が立っていました。

一本松からは砂利道ながら車の乗り入れもできるようになっています。途中、天地人ロケ地の旗がなびいていました。

この辺りで武田軍との遭遇シーンが撮られたようですね。

さらに下ってくると、途中土塁や堀をもつ御館と思われる場所に出ました。

御館の入り口には石垣が残っており、坂戸城跡の石碑が立っていました。観光客はここまで来て引き返す人が多いようですね。

坂戸城で石積みが見られるのはここだけです。

柱跡の残る礎石も残っています。

別の場所には「上杉景勝・直江兼次生誕の地」の石碑が立っています。

御館から入り口までの間には広大な家臣屋敷跡が広がっていました。

道の両側が屋敷跡です。

麓には内堀跡として埋田堀が3カ所復元されています。

ハスが咲き、カモが戯れる雰囲気ある水場となっていました。

登り始めてから3時間半さすがに疲れました。