本多清六 私の財産告白

本多先生の3冊目私の財産告白を読み終わった。時代背景が大部異なっているが、まず芯となる貯蓄を増やさなければならないというのは耳の痛い話であった。
「人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。」
人生訓であるが、確かに夢のある状態、頑張っていることが評価されている状態、人も世間も明日への展望が明るいか暗いかに左右されやすい生き物であろう。
財産告白という題ではあるが、財産のためには職業の道楽化を先生は勧めていて、仕事に対する心構えにおいてもいくつもフムフムと納得させられることが多いのである。
「いかなる場合、いかなる職務でも、自分自身にその実力さえあれば、与えられた当然の地位は敢然と引き受けるべし。」
「人を使うものは人に使われる、人を監督するものは人に監督される。」
「人の長所をよく見、よく活かし、自らが部下の信頼をかち得るとともに、また部下のそれぞれをそれぞれの地位に信頼し切って、一切を任せる。」
「若い人々に何かを頼む場合、無理にならない程度に、必ずその人の地位や力量に比して、少し上のものを選ぶようにする。また、丁寧にその内容を説明し、やり方を指示したうえ、本人の腹案を聴き、適度の追及を行って、『ではよろしく』と、懇切に頼むことにしてきたのである。こうしてでき上がった仕事に対して、あくまでも親切に再検討を加え、創意の程度によっては、いつも部下の名前でこれを発表し、学業または事業上の名誉をその人に得させるように心掛けてきたのである。」
「部下や社員の持ち込んでくる意見とか提案とかは、経験と研究を積んだ上長者には、常に概してつまらぬと感じられるものが多い。上長者にはつまらなくとも、愚案と思えても、本人にとっては全く一所懸命の場合が多く、あまりにあっさり片付けられてしまっては、部下たるもの大いに落胆せざるを得ない。ときとして、再度の提案具申の勇気をすら欠くに至るものである。この場合、どんなに忙しくとも、またどんなに馬鹿馬鹿しくとも、いちいち親身になって聴いてやるだけの用意と忍耐がなんとしても必要である。」
「凡人の天才者に対する必勝の職業戦術は『仕事に合われないで、仕事を追う』ことである。つまり天才が一時間かかってやることを、二時間やって追いつき、三時間やって追い越すことである。」
最後に、歳を重ねてくると私も名誉や名利を自分自身欲するような出来事もありますが、諌める言葉にハッとさせられました。
「有志家的奔走はあくまでも余暇余力を割くべきであって、決して本業の精進に支障を生ぜしめないだけの大切な限度がある。その間に一片の私をさしはさむことなく、どこまでも、余暇、余徳の社会奉仕でいくべきである。もしそれができないようであれば、まだまだそうしたことに手を出すのは早いのだ、退いていっそう大事な本業にせいを出すべきである。」
他のビジネス書でも、「社会への還元とか奉仕をすることが商売上良いとされる風潮があるのを、まずは自ら稼いで自己満足してからでないと偽善で終わる」という主張をしているものがあるが、まさにそうなのであろう。
3冊すべてを読み終わって、あらためて本多清六氏の凄さを感じるのである。人それぞれの境遇や経験や年齢において、読むごとに感じ方は変わるであろうが、自らの経験と普遍性において語られていることは、経験不足で言葉足らずな自分の発する言葉に比べれば、誰もが何かを感じるに違いないと思うのである。
私はこの本を、将来自社の社員研修の課題として利用することを考えている。それは社員一丸となって同じ方向に進むための原動力になるものと確信している。また、「人生即努力、努力則幸福」を我が人生訓として頂戴して、どこかに飾ろうとも考えている。