金沢 正月の準備、そして金沢城玉泉院丸石垣修復現場

昨日まで3日間は冬とは思えない晴天でした。本当は昨日の午後来るはずが、急に車のバッテリーが切れてしまい、うんともすんとも言わないので止む無く修理を呼ぶ羽目に。それにしても巡りあわせとはいえ今年はいろいろなものが故障しました。
余談はここまでして、本日小雨が降る中、金沢に出かけました。目的は金沢城の発掘と修復の現場見学です。
行く途中、所々正月の準備ができていました。長町の前田土佐守家資料館は土塀にこも掛けがされ、門には締め飾りが。
前田土佐守家資料館
尾山神社も、神門の前には門松と門に締め飾りが。
尾山神社
尾山神社
昨年発掘調査現場説明会の開催された金沢城の玉泉院丸石垣修復現場です。すでに半分くらいが積み戻されていました。来年3月までにすべて修復されるそうで、外すときは非常に時間がかかりましたが、積むときは早いですね。
金沢城玉泉院丸石垣修復現場
前のフェンスには工事の予定やこれまでの経緯の社員や発掘成果などが掲示されていました。
金沢城玉泉院丸石垣修復現場
金沢城玉泉院丸石垣修復現場
金沢城玉泉院丸石垣修復現場
本当は城内にも入りたかったのですが、時間がなかったのと、雨でビニールシートを被っているということがわかったので帰途に着きました。
帰り際に、尾山神社の庭園の裏(南側)に辰巳用水の石管の説明板があることを発見。今まで何度も通っていたのに気づきませんでした。
辰巳用水石管
ふと隣の奥まった空き地を見ると「尾山神社氷室跡地」の石碑と、後に立派な石垣があるではありませんか。尾山神社の地は元金沢城の金谷御殿のあった場所です。金谷御殿は前田家の跡継ぎなどが生活した屋敷のあった場所で、当然石垣で周りを囲まれていたものと思われます。現在尾山神社を取り巻く石垣のほとんどは近代になって構築されたと見えるものばかりですが、この部分は積み方からして江戸期のものが残っているような感じです。金沢城の石垣というと金沢城公園をめぐる道路の中のみを紹介しているので、もと城内であっても尾山神社については範疇外になっているのかもしれません。もしこの石垣が当時のものであるなら勿体無い話です。
尾山神社氷室跡地