金沢城鼠多門 復元の可能性を調査

石川県議会12月定例会は2日、本会議を再開し代表質問のなか、金沢城復元整備で谷本知事は2014年度までの第二期復元整備計画で予定される、玉泉院丸跡地の整備計画策定に併せ、玉泉院丸の入り口に当たる鼠多門の復元の可能性について、調査する考えを明らかにした。
鼠多門は1884(明治17)年まで現存し、先月下旬に石垣回廊「鼠多門コース」が開設した。かつて門から金谷出丸(現・尾山神社)までは鼠多橋で結ばれていた。
谷本知事は鼠多門を含む玉泉院丸跡地一帯を「城と中心市街地が一体となって、にぎわい創出につなげる大切なゾーン」と位置付け、跡地の整備計画策定にあたり、中心市街地側のエントランス機能の確保が重要と強調。鼠多門復元について、玉泉院丸跡地の整備計画を策定する中で「建造物の一つとしうて、整備の在り方を検討していく」と述べた。(北國新聞2008年12月2日付記事より)

江戸城本丸の模写絵ギリシャに

江戸時代の狩野派を代表する絵師、狩野探幽(1602-74年)が描き、同時代初期に江戸城本丸を飾ったびょうぶ絵「野馬図」を後世の狩野派の絵師が書き写した絵が、ギリシャ北西部コルフ島のアジア美術館に保管されていることが22日までに明らかになった。今年7月、同美術館を訪れた河合正朝慶応大学名誉教授ら国際学術調査団が発見した。
探幽の絵については、江戸城にあったことは知られていたが、後に焼失したとみられ、どのような図柄であるかなどは分かっていなかった。研究者らは江戸時代の狩野派の活動を知る上で一級の資料と評価している。(北國新聞2008年11月23日付記事より)

前田家墓所国史跡に

文化審議会は21日、金沢市の前田家墓所と、高岡市の前田利長墓所をまとめて「加賀藩主前田家墓所」として国史跡に指定するように塩谷立文部科学相に答申した。早ければ来年一月にも答申通りに指定される。文化庁によると、県境を越えた複数の地域・施設が一括して国史跡に指定されるのは石川、富山県内で初めてで、全国でも十六例目(特別史跡含む)という。
加賀藩主前田家墓所は、金沢市の野田山墓地にある加賀藩の歴代藩主や正室、側室らの墓八十基と、高岡市関にある二代藩主利長の墓で後世される。全国の近世大名の墓所でも有数の規模で、良好な状態で保存されており、江戸時代最大の大名にふさわしい風格を備えている。(北國新聞2008年11月22日付記事より)

辰巳用水三段石垣、構築時期推定へ

金沢市は18日から、上辰巳町の犀川に面した斜面にあり、最上段に辰巳用水が流れる三段石垣の発掘調査を開始する。二週間程度をかけ、最上段の平坦部と、下段の基礎部の計2カ所を掘り起こして地層や遺物の有無を調べ、石垣の構築時期を推定し、辰巳用水の史跡指定に弾みを付ける。
三段石垣は辰巳用水の景観を収めた最古の資料「文化六年辰巳用水絵図」に描かれているが、築造に関する資料は見つかっていない。今回の調査では、石垣周辺の堆積土砂の状況や、石垣築造の土木技術を確かめるほか、道具などの遺物からも構築時期を推定する。(北國新聞2008年11月18日付記事より)

金沢城の石垣回廊 「鼠多門コース」完成

金沢城公園で17日、いもり坂口から旧県体育館下の石垣前を経由し、県営丸の内駐車場に至る「鼠多門コース」が完成した。石垣回廊のコースが市道に沿って整備されるのは初めてで、加賀藩の石工技術がより身近なものとなる。
新コースは延長約450メートルで、板を渡した木橋も設けた。昨年度に積み直しが完了した県体育館下の玉泉丸南西石垣、鼠多門続櫓台石垣、鼠多門周辺で、玉泉院丸と金谷出丸(現在の尾山神社境内)を結ぶ木橋が架けられていた石垣が見どころとなる。
石垣回廊は2001年度に城内ルートが完成。城内外の連絡ルートや外周ルートであるいもり堀、玉泉院丸、薪の丸、三十間長屋コースが順に供用している。県は来年度、丸の内駐車場から大手門、石川門下、百閒掘の各石垣で案内板を設け、回廊全体を完成させる方針だ。(北國新聞2008年11月18日付記事より)
以下は、11月8日現在の鼠多門コースの工事現場の様子です。
工事中の鼠多門コース
工事中の鼠多門コース
工事中の鼠多門コース
工事中の鼠多門コース

虚空蔵山に散策路 交流人口拡大、活性化狙う

能美市の市民グループ「能美の里ファン倶楽部」は16日、同市和気町の虚空蔵山にある中世の山城跡と城主の菩提寺跡などを結ぶ散策路の整備に乗り出す。同山周辺では市が中山間地と都市部の住民が触れ合う里山公園の整備を計画しており、歴史ロマン漂う道を新たに設けることで交流人口を拡大し、周辺地域の活性化につなげる。
散策路を整備するのは虚空蔵山城址から城主の菩提寺である徳山寺の跡地に至る約1.3キロ区間。年内の完成を目指す。市立博物館などによると、同城は戦国期、一向一揆の拠点となっており、金剛寺行松らが城主を務めたが、織田信長勢に滅ぼされたとされる。周辺には落城の際に戦死した武士を埋葬した「群集墳墓」があり、散策路は墳墓を見学できるように設ける。城址から徳山町のいしかわ動物園を結ぶルートの整備も予定している。(北國新聞2008年11月12日付記事より)

石川門 オレンジ色にライトアップ

児童虐待防止を訴えるオレンジ・リボンキャンペーンが8日行われ、金沢城石川門がイメージカラーのオレンジ色にライトアップされた。キャンペーンは、11月の児童虐待防止推進月間にあわせて行われた。(北國新聞2008年11月9日付記事より)
石川門 オレンジ色にライトアップ
ライトアップされたのは石川櫓の東側1基のみでした。写真の櫓正面のライトと側面のライトの色が違うことが分かるでしょうか?

金沢城最古の庭園遺構

石川県金沢城調査研究所は5日、金沢城跡の本丸北側で、1621-31年の間に造られたとみられる庭園の遺構を確認したと発表した。1634(寛永11)年から作庭された玉泉院丸庭園より古く、城内の庭園の遺構としては最古となる。泉水(池)跡とみられる皿状のくぼみや、泉水の護岸に置かれたとみられる自然石、石造物などが見つかった。同研究所では、初期の本丸の土地利用を知る貴重な手掛かりの一つになるとしている。(北国新聞2008年11月6日付記事から)

金沢城宮守堀水堀化へ工事に着手

金沢城第二期復元整備事業で4日、石川県は宮守(いもり)堀の水堀化工事に着手した。工事現場を高さ約1.2mのフェンスで囲み、今月中旬から掘削に入る。石川県はパネル板も備えた見学スペースを設け、県民や観光客に水堀の復元経過を見てもらう。
宮守堀は城の外縁部の旧県庁舎側に位置する。現在の地表から約3m掘り下げ、鯉喉櫓台から中央消防署広阪出張所跡地付近までの延長約230mに幅15-16m、水深1.5-1.8mの堀を造る計画で、2010年春の完成を目指す。(北国新聞2008年11月5日付記事)

加賀藩塩硝蔵の規模解明へ

藩政期の加賀藩の軍事施設「土清水塩硝蔵」の発掘調査が31日、金沢市涌波町の休耕果樹園で再開した。昨年の市の調査では、火薬原料となる塩硝(硝石)を保存する蔵「硝石御土蔵」の基礎跡の一部と堀の痕跡と見られる遺構を確認。今年は1ヶ月ほどの調査で御土蔵の規模を確定を目指す。市では将来の国の史跡指定や復元整備の足掛かりとする。(2008年11月1日付記事)
今日から金沢市では9例目となる旧町名「南町」が復活しました。塩硝蔵跡は昨日偶然見に行ったばかりで始まったばかりだったとは運が良いです。