金沢検定実学 卯辰山山麓寺院群探訪3

今日は卯辰山山麓寺院群めぐり最終日です。卯辰山三社(卯辰神社、豊国神社、愛宕神社)をスタートして、善妙寺、覚林寺をまわって全53カ寺すべて巡りました。
卯辰神社
その後、浅野川沿いを歩き、主計町茶屋街や尾張町を歩きました。
主計町茶屋街
橋場町のT字交差点に来たとき、角で工事をしていました。何の工事かと思って覗いてみたら、先日新聞報道された東内惣構堀跡の公園整備の工事でした。
金沢城は二重の惣構堀を持っていました。東西の内・外惣構堀ですが、東内惣構堀が浅野川に流れ込むのが浅野川大橋の南西の端で、ちょうど主計町茶屋街の入口に当たります。西内惣構堀が浅野川に流れ込む入口は主計町茶屋街の西端に主計町緑水苑として整備されていました。
東内惣構堀跡発掘調査
東内惣構堀跡発掘調査
主計町茶屋街を挟んで距離も近いので、近くまで行ったときはぜひ確認してください。

金沢検定実学 卯辰山山麓寺院群探訪2

昨日に引続き卯辰山山麓寺院群をめぐりました。今日は幾分曇りがちですが、気温は高く今日が立冬だとは信じられません。
今日は蓮昌寺をスタートして、来教寺、永久寺、玄門寺、即願寺、實相寺、円長寺、西源寺、了願寺、静明寺、観音院、寿経寺、東山蓮如堂、伝燈院、宝泉寺、菅原神社、宇多須神社、慈雲寺、松尾神社、宗龍寺、広昌寺、持名寺、宇多須神社奥社まで23カ寺めぐりました。昨日と合わせて30カ寺となり、残り北の外れ3カ寺となりました。
ひがし茶屋街
ひがし茶屋街は平日でも大人気でした。
子来坂
卯辰山が開拓されたとき作業に出た人が子供は来たように賑やかだったことから名付けられた「子来坂」ですれ違った親子は、
子供「何言ってるの、ばばあ」
母親「そんなこと言ってたら置いてくよ」
子供「そんなこと言わんでーごめんなさーい」
なんとも微笑ましい会話でした。
宇多須神社
昨日の小坂神社とともに金沢五社に数えられる宇多須神社。明治に入り尾山神社が建立されるまで初代利家の神霊が祀られていた。
宇多須神社奥社
宇多須神社奥社では毘沙門様を本社から移す「お上がり」、本社へ移す「お下がり」の神事が現在も続けられている。今日は残念ながら曇りがちだったが、すっきりと晴れていれば眼下には河北方面の城下が望めるだろう。

金沢検定実学 卯辰山山麓寺院群探訪1

秋晴れの中、本日より来週末の金沢検定に向けて寺院めぐりです。金沢城下町には、寺町寺院群、小立野寺院群、そして今回訪問する卯辰山寺院群の3つがあります。ガイドは金沢市観光交流課より発行されている「卯辰山山麓寺院群 心の道」(金沢城二の丸休憩所などで無料配布)です。
パンフレットには寺院群対象として53カ寺が掲載されています。今日は昼から3時間ほどで、うち27カ寺をまわってきました。
金沢五社のひとつ小坂神社からスタートして、乗光寺、浄教寺、善導寺、光覚寺、心蓮寺、本法寺、月心寺、妙圓寺、蓮覚寺、妙国寺、妙正寺、全性寺、常福寺、妙泰寺、蓮華寺、長久寺、妙応寺、円光寺、本光寺、三宝寺、真成寺、龍国寺、九万坊寺、誓願寺、本蔵寺、西養寺と来た半分を巡りました。
写真は多いのでまた特集ページとして別にまとめたときに掲載しますが、敷地内に保育園を持つもの、本堂がすでに自宅と変わらないものなど、変わった寺院もありましたが、こんな場所にこんな立派な寺院があったのかと知ったものもありました。しかし、これだけ密集して寺院があるのは藩の政策だったとはいえ、現在は各寺院の檀家は少ないでしょうし、どうしているのでしょうか。
さて、明日はひがし茶屋街を含む南側です。どのくらい巡れるでしょうか。
小坂神社
小坂神社は、宇多須神社、神明宮、椿原天満宮、安江天満宮と並んで金沢五社として藩政時代に前田家により特別な待遇にあった神社です。
全性寺
全性寺は二代利長に従って、富山、守山、金沢と移転した。ベンガラ塗りの山門には健康や健脚を願って奉納された大きなわらじがかけられています。正面南側はベンガラ色がかなり落ちていますが、内側や北面はきれいに残っています。創建当時はとても鮮やかだったことでしょう。
雨樋
真成寺横にあった木製の雨樋。めずらしいので思わず写真に撮ってしまいました。

古本屋めぐりは楽しい!

インターネットが普及し、古本もネットを通した販売がメインとなった古書店もでてくるようになりました。私も昔は古本の購入に抵抗のある時期もありましたが、城に関する本や郷土書を入手するときはすでに絶版となったものも多く、入手方法が古書しかない場合も多いので、少しずつ購入しているうちに全く抵抗なくなりました。
また、古書を検索できるホームページも充実している今は、ネットで探したほうが楽という事情もあり、ここ数年メールを通した取引を続けきました。
しかしながら、めぼしい本も大方入手した現在では、掘り出し物を探しに実際の古書店を巡ることが楽しみで最近はまっています。いくらネットで古書が探せるとはいえ、店舗内のすべての本を公開できている古書店は数少ないでしょうから、店先に眠る古書はまだまだ多いようです。また実際に手にとってみないと分からない本もありますから、古書店巡りはまるで宝探しのようです。
金沢は江戸時代は天下の書府とまで言われた土地ですから、人口比率からして古書店も多いほうだと思うのですが、石川古書店マップを見ながらまわっています。
やまびこ書房 金沢市百坂町ニ15 木~日曜日営業 13:00~18:00
※蔵書のかなりの数なので2、3時間ほど余裕をもって。歴史・郷土関係も多い。
金沢文圃閣 金沢市長土塀2-16-30 不定休 13:30~18:00
※店先には蔵書は少し、1時間程度だが、掘り出し物があることも。ほとんどは奥の倉庫にある。
文学堂書店 金沢市池田町2-20 水曜定休 11:00~19:00
※店先は1時間程度、歴史・郷土関係あるも少々高めか。
明治堂書店 水曜定休 10:00~18:00
※蔵書が多く、店先は平積みの古書で埋まるよう、2時間ではとても時間が足りない。歴史・郷土書も多く、値段も手頃。同じ本が複数あることもあるので、状態と値段を確認してから購入。古書もどんどん増えているようなので、時々チェックする価値有り。
かのうや書店 金沢市泉1-5-77 日曜定休 9:00~18:00
※本店には行ったことないが、香林坊 本の広場と鳴和ナルックス100円コーナーに出品中。蔵書のほとんどは倉庫らしいが、出店が多いためか、ネットで検索して注文しても3割くらいの確率で見つからない。出店でも意外に掘り出し物があり、買い付けも毎月行っているようなので、ホームページは時々チェックしている。
残り4個所今月中に訪問予定でいる。何か掘り出し物があるか楽しみである。

金沢城・兼六園研究会 キゴ山石切り場を歩く

今日は金沢城・兼六園研究会のお城サークルときくざくら学習会合同のキゴ山にある石切り場を歩く会です。40名ほどの参加で、案内役は金沢城調査研究所の冨田氏です。冨田氏は石垣担当なので、これまでも何度か城内の案内を聞いたことがあります。
舗装された道路からけもの道に入ってすぐに、切り出した石を集めておいたところが現れます。石には石割の際についた「矢穴」や石切集団のしるしである「刻印」が見て取れます。それにしても地表に出た部分は苔生して風情があります。一部石には最近割られた跡があるものもあり、心許ない輩がいて残念です。
キゴ山石切り場を歩く
キゴ山石切り場を歩く
キゴ山石切り場を歩く
キゴ山石切り場を歩く
キゴ山石切り場を歩く
さらに山頂に向かうと、数分で地表にくぼみがある場所に巨石がいくつも残る場所に出ました。人の身長よりも大きな石や、割られて加工途中で放置された石(対で残るものもあり)もあり、ここでもやはり矢穴や刻印を見て取れます。
キゴ山石切り場を歩く
キゴ山石切り場を歩く
キゴ山石切り場を歩く
キゴ山石切り場を歩く
この場所は、冨田氏も絶賛する趣のある場所で、放置され苔生した石の配置が庭にも見えないこともありません。あえて現状維持で発掘調査もされなかった場所らしいので、今後史跡整備されるようなことがあればまず一般公開されるべき場所であろう、とのことでした。確かにすばらしい場所です。
キゴ山石切り場を歩く
今日は曇っていましたが、週間予報でも雨になっていた天候がもって良かったです。非常な急斜面であったため、雨が降っていたり、雨が降って地面が濡れていたなら、到底登ることができなかったでしょう。

金沢城発掘調査の現在(いま)

本日も金沢市に用事があり、少し早めに出かけて金沢城にやってきました。昨日来た時に気になる場所があったのですが、昼時で作業の方も昼休みだったようです。
金沢城河北門
金沢城河北門
現在の河北門現場は発掘調査の最中です。土台の石が以前よりもはっきりと表れていました。
金沢城本丸土塁
気になる場所の1つは本丸北側の土塁です。シートが外された斜面には土層の違いで線が引かれていました。以前に調査された箇所とは近い(続きかも)と思うのですが、本丸の高さや範囲について明らかになることがあるでしょうか。
金沢城鉄門前
金沢城鉄門前
気になる場所のもう1つは鉄門前です。以前この近くも調査されていますが、今回はさらに溝や堀跡の範囲を特定する目的で進められているようです。
2箇所の現場は調査が終了すれば現地説明会があるでしょうか。楽しみですね。

金沢城周辺は整備の最中

今日は兼六園も金沢城も観光客でいっぱいでした。本日までは金沢城の石川門櫓と三十間長屋の内部を無料公開していました。
北陸新幹線の金沢延伸に向けて金沢城とその周辺では復元・整備の真最中です。
金沢城 石川門太鼓塀北面
石川門の太鼓塀は、石川門の北面に足場が組まれていました。
金沢城 河北門復元現場
河北門の復元現場は休日中はほとんど防水シートを被っていましたが、被っていない一部には土台の石組列が見えていました。
元広坂消防署
本丸南側の宮守堀(いもりぼり)の南面に位置する広坂消防署は建物はすべて撤去されていました。宮守堀の復元も本格的に始まるでしょうか。
元石川県庁
元石川県庁の北面の建物取り壊しは終了し、南面だけですっきりした感じです。城周辺がどんどん変わっていきますね。

きくざくら学習会 城と庭の紅葉

本日、さわやかな晴天の中きくざくら学習会が開催されました。今回は、植物の会と合同です。
きくざくら学習会 城と庭の紅葉
兼六園と金沢城の紅葉をガイドブック「金沢城・兼六園 花めぐりマップ ~秋・冬コース~」を参照しながら巡りました。ガイドブックは金沢城二の丸休憩所で入手できますが、記載は一部間違いもあるようです。
自分では趣味はかなり窓口が広いという自負があるのですが、今回も関心が広がるかどうかと思って参加したのですが、自分には合いません。人工物には興味あっても自然は人工物の背景なんですよね、気持ち的には。紅葉も建物に秋のよそおいを添える景色です。何もない山城跡にはいくら急峻でも登っていくことは厭いませんが、どれだけ緩い山でも登山には積極的に参加できない性分です。会の皆さんには申し訳ないです。

安土城紀行

文化晴れの1日となった本日、安土町で1日過ごしました。まず朝一で安土町立城郭資料館に向かいました。何度も安土城へ来ていますがここへ来たことはありませんでした。電車で来れば寄っていたのでしょうが、いつも車なので・・・
JR安土駅に隣接して南側に資料館はあります。喫茶店が併設されて、資料館の受付と両方担当するようです。
安土町立城郭資料館
入るとショーケースに日本100名城に認定された賞状が飾られていました。安土城だけではなく、観音寺城のものも一緒に並べてありました。
日本100名城 観音寺城 日本100名城 安土城
見所はなんといっても20分の1の安土城天主の模型ですが、迫力満点です。中央から少しずれたところで割れて中を再現しています。望楼の高欄からは信長も城下を眺めていました。
安土町立城郭資料館
安土町立城郭資料館
他にも、信長がセミナリヨに寄贈し、後にローマ教皇に献上された安土南蛮図屏風も再現されています。安土城の描写をじっくりと楽しめました。今まで来ていなかったことを少し後悔しました。
安土町立城郭資料館
見学が終わると、安土駅前北側の信長像を写真にとって、安土城発掘調査現場説明会に向かいました。予想はしていましたが大勢の人です。安土城城郭研究所の方々もここまで多いとは予想していなかったらしく、約250名の見学者を5班に分けて説明することになりました。
安土城発掘調査現場説明会
今回は春に整備された大手入口の石塁の解説と、南山麓の帯曲輪で見つかった未知の虎口と階段の案内です。平成元年度に始まった「特別史跡安土城跡調査整備事業」は20年計画で現在最終段階に入りましたが、まだまだ謎の全解明には息の長い調査が必要なようです。今回の発掘調査でも従来の安土城の姿がまた書き換えられました。
安土城 南山麓帯曲輪虎口
コスモスが咲き乱れる安土城考古博物館前ですが、午後は開館15周年記念講演会として開催される「織田信長の時代」に参加しました。場所は博物館ではなく、隣の文芸セミナリヨです。
安土城考古博物館
残念ながら録音と録画が禁止ということで、写真は始まる前に撮ったこの1枚だけです。講演前には中央のパイプオルガンのミニ演奏会もありました。オルガンは信長がセミナリヨに置いたのが日本最初と言われることから、安土町にパイプオルガンを、ということになったようですが、音色は地元金沢の金沢音楽堂のほうが最新設備で良いように感じました。
記念講演会 織田信長の時代
講師は大阪大学名誉教授の脇田修氏です。信長の時代的評価に関して一般論を誤解している部分がありましたが、「家臣の統率方針」「経済政策」の面で織田信長と豊臣秀吉との間には明らかな違いがあるという論調は新鮮でした。武士の出身地を本領地として与える習慣をなくしたのは秀吉であり、また一家を城下に集住させるようにしたのも秀吉。信長の時代は地侍の習慣をまだひきずっていたようです。破壊のイメージの強い信長の政策である「関所撤廃」や「楽市楽座」も、尾張・美濃時代が中心であり、京では旧勢力に配慮してか関所も座(旧流通組織)も残しているようです。むしろ秀吉が農民出身という身分の違いから容易に破壊的な政策を実行できたようです。
時代の変わり目はまさにここにあり、信長は戦国、秀吉は近世と分けるのが適切なようです。

秋季特別展 三好長慶の時代

高槻市立しろあと歴史館
大津に車をおいてJR新快速で高槻市にやってました。学生のとき京都から新快速に乗って大阪によく行きましたが、途中で特急の雷鳥を抜いてゆくのでどういうことかと思っていたことを思い出しました。北陸出身の私は雷鳥に乗っているときに、逆に新快速に抜かれてゆくのです。
余談はここまでにして、目的は高槻市立しろあと歴史館で開催中の特別展「三好長慶の時代」です。時代劇チャンネルで再放送中の「信長 KING OF JIPANGU」は先日ちょうど信長が上洛して三好一族を追い払うという場面を放送しましたが、今回の展示は私にとってジャストでした。
三好長慶と松永久秀は後世において悪役として扱われることが多く、元来人気がないキャラと思っていましたが、三好長慶は高槻占有時に善政を敷いていたようで、現在でも水の神として祀る地域があるようです。
今回、芥川城跡の展示がいくつかありました。芥川城は畿内最大級の山城で、近世の高槻城の北方向にあります。織田信長が三好一族を追い払って入京する思案をした拠点も、ここだそうです。地理的には京を随分通り過ぎているように思いますが、昔の占領の考え方はあくまで点(拠点となる城や村)なのでしょうね。今回は随分と三好一族を見直すきっかけになった展示でした。
特別展のあと、無料の平常展を見ましたが、高槻城の石垣の積み方に関する大きな模型(発掘の成果を復元)がありました。高槻城の地盤は柔らかかったため、そのまま石垣を積むと沈んで傾くため、底に木材で土台を敷き、その上に石垣を積んでいたようです。初めて見る技法でしたが、納得の技法ではないでしょうか。石垣の発掘調査では、基部と言われる最下部の石垣まで掘り起こし、その下は掘っていないことが多いのですが、もしかすると、地盤が柔らかい場所では同様の技法が使用されているところがあるかもしれません。
高槻市立しろあと歴史館
歴史館で「高槻の史跡」というガイドブックを購入し、それを片手に市内の史跡めぐりをしてきました。
高山右近高槻天主教会堂跡
高山右近高槻天主教会堂跡
※高槻城主高山右近がキリスト教布教の拠点とした城内の教会堂
高槻城跡石碑
城跡公園の入口付近にある高槻城跡石碑
城跡公園 高山右近像
城跡公園の中にある高山右近像
城跡公園
城跡公園内の池
高槻城大手跡
高槻城の大手跡(正門出入口)
本行寺
本行寺
※日蓮宗寺院だが、表門が高槻城高麗門と言われている。