企画展 戦国の大津

企画展 戦国の大津
大津市歴史博物館に企画展「戦国の大津」を見にやってきました。今回の企画展は大津市にある「大津城跡」「膳所城跡」「坂本城跡」の遺物を展示するものです。今回の展示であらためて膳所城の遺構が多く残っていることを再認識しました。いつかゆっくりとすべてを巡ってみたいです。
今回、特別に今年8月京都本能寺跡(第4次、本能寺の変のあった場所)から発掘された瓦や、聚楽第と伏見城の遺物も展示されていました。つい最近の遺物も本家本元の現在の本能寺宝物殿ではなくて、ここに展示されているとは!!意外です。でも遠くの発掘現地調査会には簡単には参加できないので実際に見ることができてうれしいです。写真撮れないのが残念ですが・・・。企画展図録にも収録されていないので来た方だけの特典というところでしょうか。
初めて行ったので平常展も見てきましたが、広かったのでゆっくり見ている時間がありませんでした。到着時間が予定より遅れたことも原因ですが、ここまで広いとも思っていなかったので、これは次回出直しです。
今回は早く到着すれば坂本も見学する予定でしたが、これは3日ぐらい大津だけで見学に来ないとすべて見て回れないかもしれませんね。
大津市歴史博物館

金沢城大学 よみがえる金沢城3

金沢城大学 よみがえる金沢城3
本日、11月に入るなり肌寒い1日でしたが、金沢城大学第四回が行われました。
今回は金沢城調査研究所の石野友康氏による「よみがえる金沢城」の3回目です。対象は本書の第4
章・第5章で、五代綱紀と宝暦の大火が対象です。石野氏は研究所のなかで絵図・文献担当だそうです。
五代綱紀は御三家に次ぐ家格を非常に意識していた藩主であり、金沢城をそれにふさわしくなるよう多くの改築を行っています。時は元禄の将軍綱吉の時代です。綱紀が蒐集した古文書や美術品は蔵4棟一杯になったともいわれ、現在の尊経閣文庫の名の由来となっています。
金沢城の二度の大火、宝暦の大火と文化の大火。宝暦の大火のあとは財政難だったため、二の丸御殿は大広間や表能舞台は再見されず、寛政の大地震、文化の大火を経てようやく再建されたようです。
寛政の大地震は1799年となるが、金沢を襲った直下型地震であり、城内や城下にも大きな被害が出たということであったが、あまり解明が進んでいないのか、金沢城略年表には省略されることが多く、金沢市史通史編にもその記述はないようである。それほど大きな地震が200年前にあったということでその詳細を知りたくなった。
前回に続き、「よみがえる金沢城」の訂正点を2点。
・77ページの「一万四〇〇〇貫目」という記述が正しくは、「一五〇〇貫目」。
・77ページの奥村支流の「温良」に金沢城代の色がついているが、正しくは無色(城代にはなっていない)。

ファミコンの修理が終了

任天堂は31日に以下の機種の修理を終了した。ファミコンの修理まだやっていたんですね。自宅のファミコンは押入れに長い間眠ったままですが、まだ動作すると思いますが・・・どうでしょう。同時期に発売された他メーカーの修理はとっくに終了しているでしょうから、任天堂の姿勢はお客に向かっているんですね。
ちなみに、終了の理由は修理部品の調達が難しくなっているのと、Wiiのバーチャルコンソールで昔のゲームが遊ぶ環境が徐々に整ってきているからだそうです。
・ファミリーコンピュータ
・ファミリーコンピュータディスクシステム
・スーパーファミコン
・ゲームボーイライト
・ゲームボーイポケット
・ニンテンドウ64
すでに終了しているゲーム機は以下の3つ。スーパーファミコンより新しいバーチャルボーイが先に終了してしまっているのって、やはり売れなかったから?今となってはバーチャルボーイ知っている人少ないでしょうけど。
・ゲーム&ウオッチシリーズ
・ゲームボーイ
・バーチャルボーイ

安土城もっと広かった

滋賀県教育委員会は29日、織田信長が築いた滋賀県安土町の安土城が、従来考えられていたよりも南側に約120メートル広かった可能性があると発表した。内堀も設けていたようで、「大坂城などのように堀を構えて守りを固めた、近世城郭の先駆けだったのだろう」としている。
滋賀県教育委員会は、城の南端とされていた石垣に沿って、要所への出入り口「虎口」の遺構を発見した。石垣の高さはわずか1.3メートルから2.5メートル。虎口も敵の侵入に対する備えのない簡単な造りだった。付近に見張り小屋などもなく、この石垣が城の内外を隔てていたとは考えにくいと判断した。(北國新聞2007年10月30日付記事)
地元以外の発掘記事が新聞に載るのは珍しいことですが、今週末の3日(土)に安土城で発掘調査現地説明会が予定されています。きっと今回の発見に関する説明会だと思いますのでと楽しみです。

うさにふとん

夜はめっきり寒くなってきました。冷房で夏抜けなかった毛は、秋になって冷房が止まると抜け始めていたが、最近はようやく落ち着いてきた。うさも寒いんだろうな、と思ってふとんを買ってきた。
うさぎのうさ
早速、においを嗅ぐ。そして、かじる。続けて、掘る!掘る!掘る!
かわいいんだけど、一冬使うんだから大事にしてね!

金沢城跡 来年国史跡として申請

石川県の谷本知事は26日、「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の世界遺産暫定リスト入りに向け、来年一月ごろに金沢城跡の史跡指定を文化庁に申請する意向を明らかにした。史跡の範囲は、金沢城公園の都市計画決定区域の公有地とし、来年秋ごろには指定されるとの見通しを示した。また、金沢城内にある江戸時代の土蔵「鶴丸倉庫」について、来年春にも国の重要文化財の指定を受けられると述べた。同日、金沢市の金沢スカイホテルで開かれた金沢経済同友会との意見交換会で、同友会側の質問に答えた。
城下町金沢の文化遺産群のうち、金沢市が調査を担当している前田家墓所は来年度、辰巳用水は再来年度と、国の史跡指定を目指す時期が示されており、県管理の金沢城跡でも目標時期が明示されたことで、世界遺産の暫定リスト入りへの準備が進むことになる。
鶴丸倉庫については、前田育徳会の尊経閣文庫の資料から鶴丸倉庫の平面図が見つかり、江戸後期の嘉永年間に存在していたことが裏付けられたとして、県はこの平面図とともに、文化庁に国の重要文化財への指定を申請する。

金沢城河北門の寄進事業 橋爪門でも

県議会土木企業委員会は25日開かれ、県側は2010年春の完成を目指す金沢城河北門復元整備で初めて取り組む瓦や壁板の寄進事業について、橋爪門や玉泉院丸庭園など今後の第二期復元整備でも活用を検討する方針を示した。
寄進事業は一口五千円を募り、河北門の瓦や壁板に記名してもらうことで、県民に復元事業への理解と愛着を深めてもらう狙い。1650万円が目標で、これまでに、瓦で62口、壁板は30口の予約があり、来年五月以降、正式に申込みを受け付ける。(2007年10月26日付記事)
石川県土木部公園緑地課 壁板・瓦の寄進について

特別展「地震・地すべり・火事・洪水」 氷見市立博物館

特別展「地震・地すべり・火事・洪水」
昨日に続き秋晴れの今日、氷見市へ行ってきました。目的は氷見市立博物館の特別展「地震・地すべり・火事・洪水」です。越中では木舟城が潰れた天正地震が知られていますが、今回の展示でも木舟城での発掘調査の際に見つかった「地すべり痕」がわかる写真が掲示されており、その被害の程度がうかがい知れます。木舟城が潰れた地震では、飛騨の帰雲城も土砂に埋まったと言われ、現在もはっきりと場所の特定には至っていません。そういえば庄川沿いに帰雲城址の石碑があったはずです。
氷見市は市内の半分以上が丘陵地または山岳地に属し、4分の1の地域で地すべりの可能性があるそうです。砂丘地で育った私には地すべりの経験がなく、実感がわかないのですが、テレビで地すべりの映像をみただけでも恐怖です。
氷見市立博物館の特別展は入場料が無料、図録も200円という安さです。通常展も100円なのでついでに見てきました。過去の図録も受付で販売しており、中世のものをまとめて購入してきました。
博物館は市立図書館と同じ建物に入っており、氷見市の文化施設となっているようです。近くには古代の遺跡や中世の城跡であった朝日山があり、展望台から氷見市街を一望できます。
朝日山公園からの眺望

七尾城 豪雨で被害が拡大

能登半島地震で石垣が崩落した国指定史跡・七尾城跡で、15日深夜から16日未明にかけての豪雨のため新たに18ヵ所で土砂崩れなどが起きていたことが、24日までに分かった。9月に文化庁から交付される補助金の額が決まり、七尾市教育委員会は来年夏までの復旧を目指していた矢先の被災で、修復がさらに遅れることは確実と見られる。七尾を代表する名所だけに、関係者は頭を抱えている。
七尾城跡の石垣は3月の地震で、本丸登り口が幅約2メートル、高さ約5メートル、桜馬場が幅約7.8メートル、高さ3.7メートルにわたり崩落した。先の豪雨では本丸跡の土塁が幅約10メートル、高さ15メートルにわたって崩れるなど、18ヵ所で被害が確認された。駐車場近くの入口では土砂が通路を覆い、敷地内では二次災害を防止するため6ヵ所に10メートル四方のビニールシートが張られた。(北國新聞2007年10月25日付記事)

特別展覧会 「狩野永徳」 京都国立博物館

京都単独開催の特別展覧会「狩野永徳」を見てきました。入場料も高いので、入京してからコンビニで前売券をゲットしました。
特別展覧会 「狩野永徳」
平日だというのに博物館はかなりの人です。土日はさらに混雑するのでしょうか。
特別展覧会 「狩野永徳」 特別展覧会 「狩野永徳」
ゆっくりと狩野派の絵画を堪能しました。国宝は3点、「花鳥図襖」「檜図屏風」「洛中洛外図屏風」。注目は「洛中洛外図屏風」でしたが、一度米沢市に行ったときに見たような見てないような、そのときは今ほど注目していなかったんです。洛中洛外図屏風の前だけは人が動かない。ここだけは見学が大変でした。みんな謙信が描かれていることを知ってか知らずか?あとで平常展のほうでビデオが放映されているのを見たら、こちらを先に見てから見たほうがより楽しめた、と思いました。
出口に展示会図録と展示会グッズが販売されていました。展示会図録も高かったですが、洛中洛外図も拡大されて載っていたので購入しました。たくさん積まれていましたが、どんどん売れていました。「狩野永徳」ブランドはすごい!
特別展覧会 「狩野永徳」
結局ほぼ最終で門をくぐったときは辺りは真っ暗。ライトアップされた建物が、きれいに浮かび上がっていました。