元は金沢城内の十三重塔? 兼六園の六重塔+能美の七重塔

兼六園の瓢池(ひさごいけ)の六重の石塔「海石塔」と、能美市寺井町の奥野八幡神社にある「七重塔」が元は金沢城にあった十三重塔で、加賀藩三代藩主前田利常が小松城に隠居する際に分離された可能性が大きいことが、石塔研究家の石井嘉之助さんの調査で裏付けられた。二つの塔はいずれも加賀地方産出の同じ石材でできており、上下に重ね合わせた笠の比率が数学的にも合致するためである。
二つに分かれた「十三重塔」の上部にあったとみられるのは、兼六園の海石塔。高さ約四メートルで、笠石は六重となっている。一方、「十三重塔」の下部とみられる奥野八幡神社の七重塔は高さ約5メートルで、利常が小松城に移る際に持参したと伝わる。廃藩置県後、旧寺井村有志に払い下げられ、同神社に奉納された。現在は見掛け上は六重となっており、二重目は小松城跡地に埋もれているという説がある。
二基は笠の四隅が上がる意匠が一致。笠に小松の滝ヶ原石、笠と笠をつなぐ軸部に金沢の青戸室石を使う点や、明かりを入れる「火袋」に坪野石を使用した点も同じだった。県内に同様な石を組み合わせた塔はないという。(北國新聞2007年10月12日付記事)