加賀藩 土清水塩硝蔵発掘現場

先週の新聞記事で発掘現場説明会が開かれたことを読んでから気になっている場所があった。加賀藩が火薬の原料となる塩硝(えんしょう)を保管した倉庫があったとされる場所である。もともとは、金沢城内にあった塩硝蔵であるが、相次ぐ火災に懲りたのか、江戸後期には辰巳用水沿いの現在地に移されたという。
新聞報道でも金沢市涌波1丁目とあるだけで詳細な場所は良く分からなかったが、地図を調べていると、「塩硝蔵跡堤公園」の文字が・・・
早速入ってみた。
塩硝蔵跡堤公園
その場所はすでに整備されたきれいな公園であった。地図ではここが「土清水塩硝蔵跡」とするものがあるが、公園に建つ石碑によると、この一帯は灌漑用に辰巳用水の水を貯めた堤があった場所で、この公園の南側一帯が火薬製造所、西側一帯が焔硝庫(石碑のまま)となっている。
塩硝蔵跡堤公園
確か、この公園でも1箇所調査したはずだったと思い、探していたらトイレの裏あたりに1箇所、一度掘られて埋め戻されたような場所を発見した。が、すでに埋められていて何か出てきたかまでは分からなかった。
公園北の階段を上ると、辰巳用水沿いに遊歩道があった。きちんと整備されていて、こんな場所があることに驚いた。
辰巳用水遊歩道
東へ少し進むと、土清水から涌波へ降りてくる階段があった。「塩硝坂」の案内板によると、五箇山で製造された塩硝をここにあった塩硝蔵に運ぶ経路の一部らしい。
塩硝道
塩硝坂から南側には果樹園と畑が広がっていたが、そこで新聞記事にあった発掘現場を見つけた。
土清水塩硝蔵発掘現場
幸いにもビニールカバーもなく、そのままの状態だったので、ゆっくりと見学した。断層には瓦の破片が残り、破片が出ている地層の下は黒く焼けたような色の土が堆積していた。石が並んだ側溝のような遺構も見られたが、やはり説明を聞かないと見ただけで調査の成果を類推するには知識が不足していた。とはいえ、現場を自分の目で確認できたのはひとつの成果である。
土清水塩硝蔵発掘現場
土清水塩硝蔵発掘現場
土清水塩硝蔵発掘現場