金沢城大学公開講座 シンポジウム「金沢城と伝統技術」

本日、金沢城研究調査室が金沢城調査研究所に格上げになった記念として、また金沢城大学の公開講座としてシンポジウム「金沢城と伝統技術」が県文教会館で行われました。前日の新聞報道によりかなりの人が来ています・・・と思っていたら案外少なかったです。建造物や石垣がテーマのときはもっと多かったのですが、連休だったためか、土曜日開催だったためか、テーマの問題か、よく分かりません。
金沢城大学公開講座 シンポジウム金沢城と伝統技術
講演は京都造形芸術大学教授の中村利則氏による「建築史からみた金沢の伝統技術」。前日の新聞記事はネタばらしかと思っていましたが、最後に少し触れただけでした。
金沢や江戸前田藩邸には室町幕府に仕えた名工達が大勢召抱えられ、徳川江戸幕府以上に室町時代からの伝統技術の本流にあった、という話は地元民として誇らしいとともに、外様として芸術重視政策で幕府の目を逃れた面もあるのかと想像してしまいました。
金沢城大学公開講座 シンポジウム金沢城と伝統技術
講演のあとは、パネルディスカッションとして、金沢城調査研究所副所長の木越氏をコーディネーターとして、中村氏、金沢城調査研究所所長の北垣氏、県立美術館館長の嶋崎氏、金沢美術工芸大学教授の太田氏、長岡造形大学教授の飛田氏の5氏をパネラーに迎えて、江戸時代の伝統技術の継承に関して意見交換が行われました。
金沢城大学公開講座 シンポジウム金沢城と伝統技術
江戸時代の伝統技術は寛永期がひとつの興隆期であり、華やかな意匠や異なる形状の共存といった部分においては加賀前田藩は他の追従を許さないようである。華やかな意匠のシンボル的存在の二の丸御殿と異なる形状の共存のシンボル的存在である辰巳櫓、生きているうちに復元された姿を拝みたいものである。

新聞で講演会のネタばらし? 金沢城辰巳櫓と西本願寺飛雲閣は共通デザイン

宝暦の大火(1759年)で焼失した金沢城・辰巳櫓が、西本願寺の飛雲閣と共通の建築デザインだったことが、京都造形芸術大学の中村利則教授の調べで分かった。
中村教授が着目したのは二層構造だった辰巳櫓の宮守堀側の一層目。石垣を登ってくる敵兵を攻撃するため、二カ所の「出し」と呼ばれる防御拠点が設けられていたことが平面図、古文書などから分かっている。二つの屋根には直線的な合掌型ラインを持つ「千鳥破風」と、曲線的な「唐破風」の二種類がそれぞれ採用されていた。中村教授は「同じ層の同じ面に異なるデザインの破風が並ぶのは例がない」と指摘。現存する建物の中では、飛雲閣しかないという。
中村教授はいずれも寛永年間の流行を反映したものだとし、「こうしたデザインは、建物をより大きく見せる役割を果たす。辰巳櫓が『守る』機能よりも『見せる』ことを重視して築かれた可能性がある」と述べた。中村教授は6日1時半から、金沢市の県文教会館で開かれるシンポジウム「金沢城と伝統技術」に参加し、「建築史からみた金沢の伝統技術」と題して講演する。(北國新聞2007年10月5日付記事)
明日、金沢城大学の公開講座で中村教授が講演することになっているのですが、前日のこの記事は明日の教授の主張を一つ先取りしてバラしているのではないか?と思うのですが、宣伝効果も抜群でしょうね。興味本位な人たちが多くなると、折角の公演中におしゃべりする人がいて非常に迷惑なのだが・・・

金沢城 河北門復元の現在(いま)

近くまで行ったついでに金沢城の河北門復元現場を見て来ました。本日雨の予報による影響もあるのでしょうか。防水シートをかけたまま作業は行われていました。
金沢城河北門復元現場
作業場の隅には掘り出された鉄管が積まれていました。たくさんの鉄管が埋められているものです。掘り出してしまっているということは今は使われていないのでしょうか。もともとは第九師団駐屯時代か金沢大学キャンパス時代か、後者のためでしょうか?
金沢城河北門復元現場
今年度中には石垣が積まれ始める予定ですが、こんなペースで本当に始まるのかなと思います。

金沢城大学 城と庭の魅力コース 「兼六園の石造物」

金沢城大学には「歴史・文化コース」と「城と庭の魅力コース」があり、歴史・文化コース1回と城と庭の魅力コース全3回が公開講座として誰でも参加できる。とはいえ、城と庭の魅力コースは平日の昼間なので参加できる人は限られるが・・・
本日は「城と庭の魅力コース」の第1回として、石塔研究家の石井嘉之助氏によって「兼六園の石造物」というテーマで講演が行われました。講演には定員いっぱいの約90名の方が参加していました。
金沢城大学 城と庭の魅力コース 「兼六園の石造物」
兼六園内の石灯篭と石塔は、隣接する成巽閣や金沢神社、兼六園事務局、三芳庵敷地内のものを除くと、石灯篭が18基、石塔が6基あるということです。講演では、各石灯篭と石塔の大きさや使用されている石材産地などが解説されました。石井氏は石材に大変詳しく、初心者の私には難しかったですが、これからは石造物にも興味をもって見ることができそうです。
最も興味を持ったのは、瓢池(ひさごいけ)に立つ海石塔(四角層塔型石灯籠)はもともと玉泉院にあったとされる十三重塔ではないかという話。確証はないものの、玉泉院から2つに分けて、兼六園と小松城に移動されたものではないか、小松城のものは明治以降の払い下げで現在は寺井の奥野八幡神社にあるということなので、後日両方を確認してみたい。石造物ひとつにも歴史あり!・・・ですね。
講演終了後に、近くの藩老本多蔵品館に行ってきました。ここは前田家一番家老の本多家の歴史や伝来の美術品を展示しています。私、隣の県立歴史博物館には何度も行きましたが、ここは初めてでした。
藩老本多蔵品館 特別展・武装の美 藩老本多蔵品館 特別展・武装の美
今回は、特別展「武装の美」のちらしをたまたま目にしまして、甲冑がたくさん並ぶということで見て来ました。常設展・特別展ともに、初代当主の本多政重のものが多いですね。初代は何かと大切にされるのでしょうか。
展示を見ていると、おそらく館長さんでしょうか、本多家の上屋敷絵図や下屋敷地図についてわざわざ解説していただきました。ただ見てるとわからないことも話を聞くと理解が進みます。
館長さんによると今回の特別展で非常に珍しいのは、鑑定書付きの鎧兜です。この鑑定書、「折り紙」というのだそうですが、由緒正しいことを「折り紙付き」ということの語源だそうです。折り紙自体は当時のものではなく、後世のものですが非常に珍しいものです。それ自体に価値があるかどうか分かりませんが、他に展示しているところを見たことありません。
今回の特別展は11月28日(水)まで、興味ある方はぜひ訪れてみて下さい。

NHK熱中時間

本日のNHK総合の「その時歴史が動いた」は「歴史ドキュメント ゼロワン」という特別番組でしたが、続けて15分枠で「熱中時間」という番組をしていました。
今回のテーマは「城郭めぐり」
これはおもしろそうだと見てみました。内容は、「岡山県に住む森本基嗣さんが熱中しているのが城跡めぐり。ほとんど何のこん跡も残っていない城跡を求めて、道なき道を突き進む森本さんに密着し城跡めぐりの魅力を探る」というものですが、整備されていない山城めぐりに番組を見ながら「わかる!わかる!」と思ってしまいました。興味ない人が見たら、何で何もない山に熱中できるのか、と思うのでしょうが・・・
再放送が来週月曜日(8日)の夜中午前2:20~2:35にあるようです。

金沢城 太鼓塀修復に現代工法

昨年度から「平成の大修理」に入った国重要文化財、金沢城石川門で、左右に延びる太鼓塀を補強する控柱に、一部、現代的な工法や材料が採用される見通しとなった。これまでの発掘調査の成果を受け、控柱は約百年ぶりに江戸中期の形状に復元される方向だが、石川県教育委員会は維持管理に優れるコンクリート製基礎の使用を検討している。県教育委員会は文化財の復元と現代工法の調和を図るモデルケースとしており、文化庁に形状変更を申請する。
復元に当たって、江戸中期の控柱のままでは、木製柱が地面にそのままでは、木製柱が地面にそのまま差し込まれているため根本が腐食しやすく、引き抜きの力に対して弱いという問題点が浮上していた。地震や台風による破損や、耐用年数の短さ、維持管理費の急増が懸念されている。
そこで、県教育委員会は、控柱の根本を石製柱として上部の木製柱と金属製の心棒でつなぎ、地下はコンクリート製基礎を置いて石製柱をしっかり固める復元案を作った。史実とは異なる形状になるが、県教育委員会は「文化財の保存修理は維持管理も考慮しなければ、かえって損傷の原因になる可能性がある」(文化財課)として、文化庁の理解を得ていく考えである。(北國新聞2007年10月3日付記事)

F1日本グランプリ レース見えなかったために5万円を7000人に返却へ

一部報道によると、30年ぶりにF1を開いた富士スピードウェイで運営上のトラブルが相次いだようである。
仮設スタンドの一部では、コースに向かっての傾斜が不足したため、死角ができ、走行する車が見えない席があった。この場所を6万1000円(3日間通し、大人)の指定席で販売していたが、自由席券とみなし、対象の7000人に差額の5万円を返却することに決めた。
また、今回は、会場周辺の混雑を防止するため、会場付近を交通規制。車での来場を禁止、すべての観客を最寄り駅や指定の駐車場からバスで会場入りさせる「チケット&ライド」方式を採用した。それでも渋滞を防ぐことはできず、富士スピードウェイによると、30日は85人が決勝の開始に間に合わなかった。前日の29日は乗り場に通じる会場内の道路が陥没。バスが動けず、約2万人の帰りの客が雨中で長時間待たされた。開催された3日間で計28万2000人(主催者発表)が訪れていた。
期間中は天候不良など悪天候だったが、30年ぶりの開催に万全を期したはずであり、あまりにお粗末である。去年は鈴鹿に行ったが、今年は富士がチケット&ライド方式を採用したからかチケット代が高くなり、周辺の宿泊や交通手段に納得いかなかったため断念した。しかし、折角高いチケット代を払ってレースが見えなかった人がいたとは気の毒である。7000人とは富士もあまりにお粗末な数ではないか。

辰巳用水の見学 きくざくら学習会

本日、あいにくの悪天候のなか、金沢城兼六園研究会のきくざくら学習会およびお城研究サークルの行事として、辰巳用水の見学会が行われました。
辰巳用水は、箱根用水と多摩川用水と並ぶ日本三大用水ですが、建設当時の寛永期のトンネルが今でも使われている唯一の用水です。
まずは、金沢市の福祉バス「マナビー」に乗って、犀川上流の辰巳用水の取水口である「東岩取水口」に向かいました。
辰巳用水の見学 きくざくら学習会
大雨で足場が悪かったですが、増水した犀川のカーブに設けられた取水口には水がどんどんと吸い込まれていきます。貴重な場所ですが、今年11月から犀川ダムの建設のため、当分の間見学できなくなるようです。
辰巳用水の見学 きくざくら学習会
次に、少し下流に移動し、清浄ヶ滝排水門を見学しました。この少し下流で辰巳用水建設に伴い唯一のトンネル崩落による死亡事故があったとのことでした。
辰巳用水の見学 きくざくら学習会
辰巳用水の見学 きくざくら学習会
次に、水路トンネルの内部を見学するため横穴のある場所に移動しました。写真では少し見にくいですが、中央右側から水が流れてきて、上方向に流れています。水位は20~30メートルぐらいですが、トンネルの高さも低いのでかなり圧迫感はあります。入口は非常に滑り易く、気をつけていたのですが結局滑ってしまいました。
辰巳用水の見学 きくざくら学習会
最後に、犀川浄水場に移動し、入口付近にある兼六園専用取水口を見学しました。
辰巳用水の見学 きくざくら学習会
辰巳用水は総延長11キロメートルで45メートルの高低さしかない。緩やかな場所は10メートルで4.5センチの勾配しかなく、水が流れるギリギリの勾配らしい。200年以上も前にこれだけの土木技術を持っていたことは本当に驚きである。
今日は雨模様で露出が低く、写真もピンボケが多くなってしまいました。柵の内部に入れたことは非常に貴重な体験でしたが、10月中の天候の良い日を選んで、もう一度コースを辿ってみたい。

彦根城下町検定 試験結果来る

彦根城下町検定の結果が送られてきました。得点は自己採点どおりであり、不合格でしたが、合格率が意外に高くて驚いた。
平均点 77.5点
合格者数 77名(受験者に対して55.8%)
受験者数 138名(申込者 169名に対して81.6%)
おそらく地元の方が9割を占めると思われるので、この合格率はさすがである。受験者数が意外に低かったようだ。メイン会場に入っていないのでここまで欠席が多かったとは思わなかった。
次回こそは!!

金沢城探訪会 鶴丸倉庫

「100年後の国宝を作ろう」というキャンペーンの一環で開催された金沢城探訪会の抽選に当たったので、本日悪天候ながら参加してきました。
初めに、旧第六旅団司令部跡(どこかと思っていたら金沢城兼六園事務局の斜め前の建物でした。)で、金沢城調査研究所所長の北垣聰一郎氏によって、「穴太の系譜 -金沢城と熊本城-」というテーマで講演がありました。40名の抽選だったはずなのに、最初から椅子が40名分用意されていないという狭い会場の中、時折大雨で聞こえにくい状況でした。
穴太の系譜 -金沢城と熊本城-
北垣氏の講演は、所長になって初めてです。穴太の歴史や伝承文献について話がありましたが、伝承文献の残る金沢と熊本で石垣の勾配の計算方法について異なる考え方をしていながら、実は結果は全く同じになるという不思議な一致が見られることがわかり、このことは後日調査結果として何かまとめられると思われます。
講演会の後の見学会は鶴丸倉庫です。鶴丸倉庫は海鼠壁でないため、最近まで軍隊が建築したものと考えられてきましたが、前田育徳会で保存している文献で江戸末期の絵図に描かれているなどの発見により一躍脚光を浴び、重要文化財指定に向けて動いている最中です。
初めて中に入りましたが、今でも倉庫代わりに利用されているようです。
金沢城探訪会 鶴丸倉庫
江戸末期の建築とはいえ、軍隊の駐屯により一部改造の跡が残っています。1階東側と2階東側には1箇所ずつ壁に非常口が開けられています。
金沢城探訪会 鶴丸倉庫
金沢城探訪会 鶴丸倉庫
さらに、2階への階段開口部には通常3方をめぐるはずの高欄がなぜか2方しかなく、
金沢城探訪会 鶴丸倉庫
2階の一部には荷物の昇降に使われたと思われる穴があります。
金沢城探訪会 鶴丸倉庫
いろいろと不思議な点が残る鶴丸倉庫ですが、さらに解明を進めて金沢城の見どころの1つになればいいと思います。