珠洲市 黒峰城址の山道整備

珠洲市の観光ボランティアガイド「きらり珠洲」のメンバーは9日、同市の宝立山にある黒峰城跡に至る山道の整備に汗を流した。同城跡は、外浦の町野側から内浦の宝立、上戸に至る交通の要衝にあったが、倒木や笹の繁茂で、古道が埋もれた格好になっていた。黒峰城跡は、宝立三山のうち黒峰山頂にあり、阿部判官義宗が城主だったとされる。中世の山城の特徴を残し、これまでの調査で、主郭はじめ土塁、堀などを備えていたことが分かっている。(北國新聞 2006年10月11日付記事)

白山鳥越 二曲城の出丸跡出土

白山麓の一向一揆の最後の砦として鳥越城跡とともに国史跡に指定されている白山市上出合の山城・二曲城跡から6日までに、山頂の本丸と戦略的に連携する出丸の遺構が出土した。二曲城については絵図や古絵図など確たる史料がないだけに、一向一揆の解明に光明をともす貴重な史料として注目される。県埋蔵文化財センターと白山市教育委員会によると、標高260メートルの山頂から約30メートル下った中腹の平坦地に約180平方メートルの出丸跡が出土した。約20-30センチの掘立柱跡の穴25個が見つかり、柱穴の位置から、縦6.6メートル、横9.9メートルの館が3棟建っていたことが分かった。(北國新聞 2006年10月7日付記事)

金沢城 宮守堀の護岸

金沢城公園の宮守堀段階復元を視野に、石川県が先月中旬から始めた広坂緑地横の市道発掘調査で、4日までに、堀の一部が見つかった。護岸は堀の傾斜が始まる辺りの上部で、江戸後期の絵図通りの位置から見つかった。県は復元する際の設計で、確認された護岸の傾斜などを参考にしていく方針だ。
宮守堀の護岸は、北側のいもり堀園地では、鯉喉櫓(りこうやぐら)台の発掘で深さ10メートル弱の底部まで確認されているが、南側の県庁跡地付近で、実際に確認されたのは初めてとなる。今回の護岸の位置から推測した堀の幅は約40メートルで、絵図に記されている23間2尺とほぼ一致した。(北國新聞 2006年10月5日付記事)

前田家墓所調査 堀の深さ現在の2倍

金沢市が国史跡指定へ向けて取り組む前田家墓所の発掘調査で、初代藩主利家の兄・利久の墓の前にある堀が、現在の深さの2倍に当たる約3メートルの深さを持つ大規模なものだったことが分かった。利久墓の前の堀は現在、幅約6.5メートル、深さ約1.5メートル。発掘調査の結果、現在は土砂の堆積で浅くなっており、築造当初は深さは3メートルあったことが確認された。(北國新聞 2006年9月14日付記事)

富山城石垣 地元産巨石で再整備

富山城の石垣が、築城時と同じ早月川の河原敷で採取された花崗岩を利用して再整備されることになった。富山市埋蔵文化財センターは当初、県内では石垣に用いる巨石が採取できず、県外産や中国産の石を使わざるをえないとみていたが、早月川で土石を採取している協同組合の協力を得て、早月川の巨石を利用できることになった。同センターでは形だけでなく、色や風合いも築城時の石垣を復元できるとしている。再整備は9月末から10月中に完了する見込みである。(北國新聞 2006年9月10日付記事)

前田家墓所 全容解明へ発掘開始

金沢市は4日、加賀藩歴代藩主の墓がある同市野田山の前田家墓所で、国史跡指定に向けた発掘調査を開始した。同墓所で学術的な発掘が行われるのは初めて。墓の周囲にめぐらされた堀や墓道などを調べ、謎が多く残る墓所の全容解明につなげる。
金沢市は前田家墓所と前田利長墓所(高岡市)の2008年度の一体的国史跡指定を目指し、高岡市と連携して取り組んでおり、発掘調査は大きな一歩となる。(北國新聞 2006年9月5日付記事)

金沢城河北門二ノ門 50分の1縮尺図見つかる

金沢城河北門を描いた絵図が金沢市内の会社役員宅から見つかり、石川県教育委員会金沢城研究調査室が鑑定した結果、河北門の中心をなす「二ノ門」を50分の1の縮尺で記録した立面図であることが分かった。これまで確認されている150分の1以下の河北門絵図では、石垣の高さや門の幅などは推測の域を出なかったが、この立面図に記載された寸法から正確な規模が特定できることになった。県は来年度から着手する河北門整備に絵図を採用し、より忠実な復元を目指す。(北國新聞 2006年9月3日付記事)

金沢城 河北門復元 国事業に採択

平成の築城第2幕が本格化する。金沢城の第2期復元整備事業で、国土交通省は29日、石川県が来年度着工する河北門の復元工事を同省の都市公園事業に採択する方針を固めた。
河北門は石川門、橋爪門とともに「金沢城三御門」と呼ばれ、金沢城の実質的な表門だった。県は北陸新幹線が金沢まで開業する2014年度までに三御門の復元、改修を終えたい考えで、河北門については09年度末の完成を目指し、既に門の位置や形状などを確認する埋蔵文化財調査や基本設計に着手している。(北國新聞2006年8月30日付記事)

金沢城の東内惣構堀遺構 来月に発掘調査着手

約四百年前に築かれた金沢市内をめぐる二重の堀「惣構堀(そうがまえぼり)」を調査している市は来月、尾張町で東内惣構堀の遺構の発掘調査に着手する。市は昨年度、武蔵町の西外惣構堀を発掘しており、今回の調査でさらなる実態解明を目指し、国史跡指定に向けた学術的史料とする。(北國新聞 2006年8月24日付記事)

金沢城の石垣用 崩落した石その場で加工

石川県教育委員会の金沢城研究調査室は1日、金沢市戸室別所の戸室山石切丁場について、石材を土中から掘り出す従来の丁場とは異なり、崩落した石材をその場で石垣に加工した丁場とみられると発表した。この丁場跡は戸室山の西麓に位置しており、今回の調査で急傾斜地の麓部分から堆積する多量の石材が初めて確認された。(北國新聞 2006年8月2日付記事)