金沢城河北門復元 次は鬼瓦?

晴天の中、工事現場が映えますね?ってちょっと違いますか。
金沢城河北門復元
土塀下の石垣はいつも変わらず・・・
金沢城河北門復元
と思ったら、石垣に何か等間隔の白線が引かれていました。どういう意味があるのでしょうね?
金沢城河北門復元
金沢城河北門復元
二の門の屋根には鬼瓦用の木材が乗っかっていました。最上部も作業が進められる準備がされていました。
金沢城河北門復元
すでに作業場から見てわかる進捗作業も少なくなりましたが、時々チェックしてみようと思います。

秀吉ゆかり?金箔瓦が出土

佐賀県唐津市教育委員会は23日、豊臣秀吉との深い関連をうかがわせる金箔瓦1点が、同市の唐津城跡から出土したと発表した。同県内では、秀吉が16世紀末の朝鮮出兵の拠点とした名護屋城跡に次いで2例目。秀吉は京都から名護屋城への西進ルート上の城郭に金箔瓦を使っていることから、市教育委員会は「唐津城築城(1608年)以前の名護屋城の後方拠点としていた可能性が強まった」とみている。(北國新聞2009年6月24日付記事より)

金沢城 今日のいもり堀

今日は夏至、天気予報を裏切って暑い日となりました。
金沢城宮守堀工事
いもり堀の芝生を保護するためにスプリンクラーが設置されていました。
金沢城宮守堀工事
ぱっと見ると、ほとんど変わりないと思いましたが、ショベルカーの近くに土が盛られています。
金沢城宮守堀工事
横から見ると、何か木型が立てられていました。
金沢城宮守堀工事
拡大すると、「+3.0m仕上」の表示。どうやらここまで土が盛られるようです。木型自体は3メートルもないですし、どこから3メートルなのでしょうか?そこまで土が盛られても道路沿いの植え込み(写真を撮っている所)よりも低く、櫓台としては少し物足りませんが、全く盛られないよりは見栄えするでしょうから楽しみですね。

白鳥城の出城 安田城

秀吉の佐々攻めの拠点白鳥城の出城は先の大峪城のほかに、もうひとつありました。国史跡となっている安田城です。
安田城
安田城址は全国的にも珍しい、ほぼ完全な中世平城の遺構です。久しぶりに訪れたら宣伝用の旗が新しく出来ていましたよ。
安田城
隣接する史跡安田城跡資料館からは城跡をやや上から俯瞰することができます。すっきり晴れていれば立山連峰が見えるのですが。
安田城
昨年から館長さんが資料館のすぐ裏に住む方に替わったそうです。若い人は珍しいのでしょうか?話しかけられたので、館長さんとしばらく話をしました。
館長さんは安田城や佐々成政の足取りを辿るために、金沢や米沢まで足を運んでいるそうです。先日も朝日山城跡や末森城も行ったという事で少し話しが盛り上がりました。本当の意味で郷土の歴史に興味ある方はなかなか来ないようですね。国史跡ということで観光客も多いそうですが、タクシーのマナーの悪さを嘆いていました。
安田城
城跡には屋外展示で、周辺地図や復元模型がありますが、野ざらしなのでさすがに少し傷んできました。
安田城
安田城
とはいえ、城跡に行った跡に見ると、各城の位置関係がよくわかる展示です。
安田城
地元新聞では報道もあったようですが、つい先日の6月12日に、資料館が開館してから10万人を突破したそうで、記念の水蓮が植えられていました。花はピンクで、かわいらしい感じです。
安田城
ここには多種の水蓮がありますが、数が前回来たときより増えていました。地元の方が精魂こめて世話している成果なのですが、館長さんもこの広さではさすがに多いかなと考えているみたい。花が完全に開いていなかったので時期が早かったのかと思いましたが、館長さん情報によると、水蓮は天候や風、水温などに影響されやすく、開いているのを見ることができるのは9時頃から昼1時頃までだそうです。確かに、城跡には夕方しか来たことないので、次は午前中に来ないといけないですね。

白鳥城の出城 大峪(がけ)城跡

秀吉の佐々攻めでは、白鳥城の出城として「大峪(がけ)城」が築かれました。
大峪(がけ)城跡
現在城跡は五福小学校となっています。が、城跡の名残りは全くありません。案内看板によると、小学校校舎が建っている高台が本丸跡と推定される場所だそうです。
大峪(がけ)城跡
確かに、校舎が立つ土地は5mほど周辺より高いようです。
大峪(がけ)城跡
校舎裏にまわると落差がよくわかります。

秀吉の越中攻めの拠点 白鳥城

案内看板を横目で見ながら通り過ぎていた「白鳥城跡」にようやく来ることができました。
白鳥城
城山をかなり近くまで車で登ってくることができます。城山南駐車場には「白鳥城址」の石碑が立っています。ここから本丸跡までは徒歩20分ほどです。
白鳥城
本丸まで登ってくるまでも多くの郭や空堀があり、見所満載ですが、城跡の紹介をする案内看板がないのが残念です。宣伝すればいい観光資源になりますよ。
白鳥城
本丸からの眺望はすばらしいです。曇っていなければ立山連峰も望めて最高だったのですが、次は天気の良いときに来ますよ。富山城も場所がよくわかりませんでした。ぜひ、佐々成政を攻めた豊臣秀吉の気分に浸りたかったのですが。
白鳥城
本丸にようやく着いたとき、上から「ポトリ」・・・と音がしたので、何かな?と思ってみたら、クワガタでしたよ!珍しいのでしばらく見ていましたよ。
白鳥城
他にも、井戸跡や土塁など遺構がかなり残っています。
白鳥城
白鳥城
白鳥城

富山城址と城下町散策

午前中は天気よかったですが、午後から少し曇って来ました。今日は富山城址とその周辺を散策しました。
富山城址と城下町散策
城址公園は現在急ピッチで整備が進められていました。今日は日本庭園の整備をやっていましたよ。
富山城址と城下町散策
郷土博物館では「明治の富山城址」という企画展をやっていましたので、見てきました。富山城址と石垣が残った市民有志の方々に感謝です。おかげで本丸だけではありますが、現在も富山城の面影を見ることができます。
富山城址と城下町散策
藩政期大きく蛇行していた神通川ですが、当時の面影は富山城のすぐそばを流れる松川に見る事ができます。
富山城址と城下町散策
そこに架かる橋のひとつ「舟橋」です。橋桁の真ん中が船先を模して川へ突き出しています。
富山城址と城下町散策
橋のたもとに常夜灯が残っています。傘の部分は劣化で欠けていますが、富山城下町を感じる数少ない遺物です。
富山城址と城下町散策
当時の船橋(舟をつなげて橋の代わりとする)が復元されれば、またとない観光資源になるのですが、松川は川幅が狭いので無理でしょうね。

弓庄城 越中戦国の地へ

念願の弓庄城跡へ来ることができました。弓の里歴史文化館は上市町の発掘調査遺物の展示がしてあります。
弓庄城
弓庄城発掘で出土した遺物もたくさん展示していますが、無料で入れるので、弓庄城見学の前にぜひ観覧ください。と宣伝はここまでにして、歴史文化館のすぐ前が城跡ですので、駐車場もここを利用します。
弓庄城
文化館の前に石碑が見えますが、それがこの弓庄城本丸跡の石碑です。本丸跡は現在何も耕作していません。
弓庄城
本丸跡を田のあぜ伝いに歩いていくと、田の段丘差が結構あり、弓庄城が丘陵の途中に作られたことがよく分かります。
弓庄城
ふと下のほうをみると、木陰に石碑が見えます。田の真ん中に墓か?忠魂碑か?と思ったのですが・・・
弓庄城
それは個人が立てた「館城址」の石碑でした。隠れた名所?
弓庄城
弓庄城
歴史文化館の脇にはきれいな花が咲いているなあと、また後ろを振り向くと、そこには「弓庄城跡」の説明板が・・・
弓庄城
あれ、横には駐車場。どうりで文化館の横は駐車するには狭かったね。

日中砦 弓庄城が眼前に

攻められた土肥氏の弓庄城を見たのだから、攻めた佐々氏の日中砦も見ておこうと探すこと30分・・・
ようやく見つけました。弓の里歴史文化館で市発行の中世城館報告書で場所は見ていましたが、実際には土地勘がないとすぐには見つかりません。
日中砦
それでも、川沿いで墓がある場所というキーワードだけでも分っていたのでなんとか見つけられました。
日中砦
立派な石碑が立つ墓地への入口は土橋の跡です。
日中砦
土橋の両側には堀跡と土塁跡が見て取れます。
日中砦
墓地の奥まで行って、弓庄城方角を眺めますが、竹やぶが邪魔です。なんとか切れ間から弓の里歴史文化館が見えました。ここならまさに弓庄城の様子が手に取るようにわかりますね。
日中砦
下に降りて、川沿いに来ると、
日中砦
砦跡は高所であることがよくわかります。しかし、墓地はそれほど広くはありませんでした。臨時の砦跡とは言え、少し謎が残りました。
日中砦
川沿いからも弓の里歴史文化館を見つけることができます。この距離は互いに気を抜けない距離ですよ。戦国時代の緊迫感が伝わってきます。