前田慶寧と幕末維新 最後の加賀藩主の「正義」

前田慶寧と幕末維新 最後の加賀藩主の「正義」
出版社:北國新聞社出版局
発行日:2007年12月初版
ページ数:381P
著者:徳田寿秋
定価:2,857円+税
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「『優柔不断』『日和見』のレッテルに異議あり。尊王思想を信条とした慶寧は藩内の佐幕派と激しく対峙した。新たな史料で、その人物像を再検証した幕末維新史。」
幕末の加賀藩は幕府軍にも新政府軍にも寄らずつかずの優柔不断な態度で時代に乗り遅れ、歴史の表舞台に登場できなかったという評価が定着している感があるが、著者はそれは違うという論考を最後の藩主となった前田慶寧の行動などから紐解こうとしている。加賀藩の歴史は初代前田利家に関するものが圧倒的に多く、二代利長、三代利常、五代綱紀に関するものがそれに続く。つまり、六代以降十四代慶寧に至る歴史は一般書としてはほとんどないのである。本書は、幕末の加賀藩の動向に焦点が当てられており、本書が端緒になってこの時代に光が当たって評価が変わるようであれば十分に意味があったといえる。とはいえ、内容は専門的な部分もあるので発行部数も多くないことが予想できるため、早めの入手をおすすめする。
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[目次]
前田慶寧略系図
第一章 激動前夜の青少年期
 第一節 命名の由来と初めての金沢入り
 第二節 薄かった正室との縁と側室「筆」
 第三節 台所は火の車の藩財政
 第四節 影響受けた開明藩主との交わり
第二章 まつり事に目覚めたころ
 第一節 藩内に芽生えた尊皇攘夷派
 第二節 藩内における本格的路線対立抗争
 第三節 京都での政変と御表方の攻勢
 第四節 長州征伐に不同意を幕府に建白
第三章 上洛し禁門の変に遭遇する
 第一節 「芽を出した藪の梅」に幕府が攻勢
 第二節 「池田屋事件」に巻き込まれる
 第三節 まぼろしの「加長同盟」はあったか
 第四節 側近家臣団に「敵前逃亡」の烙印
 第五節 幽居に服す、腹心らも相次ぎ処分
第四章 三十六歳での家督相続で最後の藩主に
 第一節 江戸は「敵地」の心境か
 第二節 西洋式軍制改革を断行
 第三節 福祉強化へ卯辰山開拓
 第四節 留学生を派遣し、「御雇外国人」招く
 第五節 七尾開港巡りイギリス側と密談
第五章 大政奉還、そして幕府崩壊と新政府の成立
 第一節 幕府に距離、朝廷に忠誠の姿勢
 第二節 あわや朝敵、在京藩士が救う
 第三節 藩政刷新への人事登用にも限界
 第四節 「列藩の標的」と自立割拠の終焉
第六章 藩政混迷と廃藩置県の逆風
 第一節 執政・本多政均暗殺
 第二節 能力重視で再度の人事刷新
 第三節 藩財政補填へ前田家家宝を売却
 第四節 頭越しの廃藩置県断行
 第五節 「金沢県」消滅、その二年後に慶寧逝去
史料紹介「恭敏公勤皇一件聞書」
前田慶寧関係年表
あとがき

「前田慶寧と幕末維新 最後の加賀藩主の「正義」」への1件のフィードバック

  1. 町屋肝煎の資料を持ってますが、そのうちのひとつに天保10年から明治20年までの日記があります。
    読みますと、薩摩より初代石川県知事が美川に到着する前、「金沢藩知事前田慶寧」が上京する際、あれほど栄華を誇った加賀百万石最後の城主が、絢爛たる装飾の無い黒塗りの駕籠に乗り、かつては千余の供人を引き連れていたのが、僅かに供は槍一筋を持った従者一人、見送る市民は野々市まで並び、手に手に持った手拭は涙で濡らさない者は無しと書いてあります。

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