都内23区の城館 牛込城

週末はセミナー参加のため上京していたのですが、もちろんそれだけでは勿体無いですので、足が痛くなるまで歩き回って城跡を見てきました。今週はそれを紹介することにします。
城巡礼
都内の城巡りをするに当たって参考にしたのは、「城巡礼 東京48ヵ所めぐり」(東京地図出版)と「江戸城を歩く ヴィジュアル版」(祥伝社)の2冊です。ともにアクセス地図が充実しており、今回大変に重宝しましたよ。
さて、今回紹介するのは牛込城です。
牛込城
神楽坂通りを下から上方向に上ります。
牛込城
神楽坂上交差点手前で左折し、地蔵坂を上ります。この坂の由来は坂の上に子安地蔵がある光照寺があるのでそう呼ばれているそうです。
牛込城
そして、右手がその光照寺となり、左手には日本出版クラブ会館があります。この一帯が牛込城跡となります。
牛込城
光照寺の入口には「牛込城跡」の看板が立てられています。
牛込城
中に入ると境内は車が10台は入れるような広いものでした。都心にしては寺領がかなり残っているほうではないでしょうか?
牛込城
光照寺の前の日本出版クラブ会館では、以前発掘調査が行われ、牛込城の時代のものと思われる陶磁器などが出土しました。
牛込城
会館の前にはこのあたりの歴史が書かれた看板が立てられています。
牛込城
今は城跡の面影は全くないですが、ここまで上り坂でしたから、高台に城跡があったことは間違いなく、昔は見晴らしが利いた場所であったことが想像されます。それにしても都内は思いの外、起伏が激しいです。
続く・・・

都内23区の城館 筑土城

今日はもう一城紹介します。新宿区にある筑土城跡です。
城巡礼
この城も「城巡礼 東京48ヵ所めぐり」(東京地図出版)に載っていますよ。
筑土城
牛込城より徒歩10分ほどで筑土八幡神社に到着します。おっ白いハトがいる!
筑土城
階段の続く境内までは高低差がかなりありますので、砦跡と言われるのも納得できます。
筑土城
階段の途中に筑土八幡神社の由来の案内がありますが、筑土城については何も触れられていません。
筑土城
階段中ほどの石造鳥居は新宿区の登録有形文化財となっており、江戸享保期のものらしいです。
筑土城
境内はやはりかなりの広さがありますが、木々などで見通しは利きません。江戸時代後期に出版された地誌「江戸名所図会」によると、この神社のある場所は管領上杉時氏の塁があったと記されており、小規模な砦跡であったと言われていますが、ここに至っては案内板も、それらしい遺構も全くなく、本を持っていなければタダの神社見学のようです。

全国城郭研究者セミナー IN 東京 2日目

全国城郭研究者セミナー IN 東京
本日、全国城郭研究者セミナー2日目です。午前中に報告3本、午後は壇上に5名の方が上がって、会場を交えてシンポジウムでした。
天気がよければ午後は城跡を見に行く予定でしたが、雨模様でしたのであきらめてみっちりと城漬けのシンポジウムの1日でした。楽しかったです。
来年はどこかわかりませんが、8月1日が日曜日なので、7月31日・8月1日または8月7日・8月8日だそうです。

全国城郭研究者セミナー IN 東京

全国城郭研究者セミナーが今年は東京渋谷区の国学院大学で開催されています。
全国城郭研究者セミナー IN 東京
自分は昨年に続き2回目の参加になります。今年のテーマは「大名系城郭を問う」です。
全国城郭研究者セミナー IN 東京
テーマに沿ったシンポジウムは明日であり、今日は5本の報告がありました。講演会室だと思いますが、とても良い施設です。各座席がゆったりとしており、前の座席後ろからテーブルを引き出すこともできます。
今日はほぼ満席と聞いていましたが、最後までゆったりとしていました。直前で都合がつかなかった方が多いようですね。
全国城郭研究者セミナー IN 東京
今日の報告はいずれも興味深い報告でした。深い内容の報告もあったので、すべて理解する、というわけにはいきませんが、いずれは経験がものをいうと信じています。
全国城郭研究者セミナー IN 東京
昼食時や休憩時間には恒例の書籍交換会(書籍販売)が行われました。昨年に比べると少ないですね。(去年が多かったのかな?)ここにも不景気の波?
全国城郭研究者セミナー IN 東京
明日はシンポジウムです。

日本100名城スタンプラリー 江戸城

明日の城郭研究会に参加するために久しぶりの江戸行きです。そして、これまた久しぶりの日本100名城スタンプです。33個目になりました。
日本100名城スタンプラリー 江戸城
東京駅に昼前に着き、そのまま江戸城に向かいました。和田倉門から入ります。
日本100名城スタンプラリー 江戸城
スタンプラリーのスタンプは3か所で提供されていますが、和田倉休憩所で押すことにしました。
日本100名城スタンプラリー 江戸城
図柄は有名な二重橋越しに見る伏見櫓ですね。
日本100名城スタンプラリー 江戸城
実際にはこのアングルです。平日にもかかわらず多くの人がいるなあと思っていたら、海外からの旅行客のようでした。
日本100名城スタンプラリー 江戸城
手前に巽櫓、奥に桔梗門です。
日本100名城スタンプラリー 江戸城
こちらは坂下門です。
日本100名城スタンプラリー 江戸城
こちらは西の丸大手門、別名は皇居正門です。以前訪れたときは正面までは来ることができませんでしたが、今日は観光客が大勢門をバックに写真を撮っていました。
今回は予定にはなかったのですが、思わぬ散策を楽しんでしまいました。

宮保館跡

今日は定刻に仕事が終わりましたので、先日別の用事があって行けなかった発掘調査現場を探しに寄り道してきました。
その発掘現場は北陸新幹線工事に伴う事前調査場所ですが、現在のJR北陸線の線路を挟んで、北側に「宮保B遺跡」、南側を「宮保館跡」と呼んでいます。
宮保B遺跡
まずは宮保B遺跡から
宮保B遺跡
こちらからは掘立柱建物の柱跡が見つかっていると思いますが、このところの悪天候がすっぽりとブルーシートが被されており、
宮保B遺跡
被っていない発掘場所の境付近に溝跡?と思われるような跡が見えるだけでした。ちなみに、今日はカメラを持っていっていないので、携帯カメラで撮影しましたので少し変則的サイズです。
宮保館跡
結構頻繁に電車の通る踏切を渡ります。
宮保館跡
こちらの宮保館跡のほうが調査範囲が広いようです。
宮保館跡
堀跡でしょうか?石交じりの壁状の土盛りを残して掘られています。
宮保館跡
宮保館跡
こちらの堀跡はちょうどカーブする部分のようです。
宮保館跡
今日はちょっと寄っただけなので、もう少し進んでからまた見に来ることにします。

本与板城 IN 天地人

土曜日は最後に、本与板城とその城下を訪れました。ちょうど2組の老夫婦が後ろからやってきました。
本与板城
臨時駐車場からしばらく舗装された車道を歩き、看板の場所から実城を目指します。
本与板城
階段を登ると、道は整備されているものの、両脇に土塁が囲む山城らしい道を行きます。
本与板城
南郭が途中にありますが、老夫婦たちは通り過ぎました。なんにもないところですから、城好きでもなければ立ち止まることも写真を撮ることもないですね。
本与板城
3つの郭がある本与板城ですが、道から最も近い郭が一の郭になります。二の郭との間には深い堀切(空堀)があります。
本与板城
そのまま一の郭に登れますが、奥に進むと井戸跡がありました。草が茂っていて場所が特定できませんが、案内の左下辺りでしょうか?それにしても道がぬかるんでいます。
本与板城
一の郭に登ると、まず横の本与板城がありました。
本与板城
奥に進むと、本与板城跡の石碑があります。石碑の奥に見えるのが、一の郭に残る土塁です。
本与板城
一の郭にも与板城にあったと同じ直江兼続の軍旗があります。老夫婦たちはここからの眺めを楽しみ、石碑の前で写真を撮って満足して帰っていきました。
本与板城
ここからの時間は自分が独り占めですよ。
本与板城
天候が悪くなってきましたが、奥の二の郭に向かいます。二の郭と三の郭はともに間の堀切から登れるようです。
本与板城
一の郭は与板城と同じくらいの広さでしたが、二の郭はこちらのほうが狭いようです。
本与板城
三の郭にも奥に少し土塁が残っています。
本与板城
三の郭の二の郭とは反対側の堀切は狭く深いものでしたが、誰も来ないのでしょうか?倒木もそのままでした。
本与板城
登った階段まで戻ってくると、対面に城下へ下りる道がありました。来たときは全く気付きませんでした。
本与板城
昨日までの雨で道はかなりぬかるんでいました。完全に足が沈んでしまうので、両側の壁に足をついてトレーニングのように進み、ようやく城山・城下・白山社の三又に辿りつきました。
本与板城
けもの道のような道を草をかき分けかき分け進むと、山頂に白山神社の社がありました。ここは本与板城の先端部にあたり、冬場に使用することを想定した冬城であったと言われています。
本与板城
三又まで戻り、城下へ進むと直江屋敷跡に出ました。現在は駐車場として整備され、敷地には天地人の作者火坂氏による「お船の方生誕御館跡」と書かれた石碑が立てられています。
本与板城
城下をしばし散策しながら観光スポットを巡りましたが、ここが一番の撮影ポイントですね。「御代官屋敷跡」と呼ばれる代官が住んだ館のあった場所ですが、背後の山の右側中腹、白いものが見えるでしょうか?
本与板城
拡大してみると、そこには一の郭に立てられていた軍旗です。ここを訪れた人もほとんどは気付かないでしょうね。何も案内板はありませんから。
本与板城
雨もポツリポツリと降り始め、歩き疲れてきたことですから帰路に着くことにします。
夕日
帰りの高速からは厚い雨雲と地平線の間に沈む夕日がなんともきれいでした。

与板城 IN 天地人

土曜日のレポートを続けます。兼続お船ミュージアムの後、与板城跡へ行きました。天候はますます怪しくなってきて、涼しいというよりも蒸し暑かったです。
与板城
臨時に設けられた駐車場の一角は、「直江兼続公館跡」となっています。どこまでがその範囲なのかわかりませんが、駐車場となっている部分でしょうか?
与板城
与板城跡には八幡神社から登ります。大手口は別方角にあるようですが、観光客はここから案内されます。本丸までの道のりは舗装された道が続きます。
与板城
その途中、おせん清水の案内板がありますが、実際は上からのぞくだけで近づけません。
与板城
前日の雨により少し水は流れていましたが、普段は水も流れていないような場所ではないでしょうか?
与板城
少し進むと門跡がありました。左側には土盛りが残っていますが、右側は全く残っていません。
与板城
本丸下段に仮設トイレが設置されていましたが、見晴らしが良さそうだったので奥に進みます。
与板城
案の定見晴台の役目もあったと思われる郭跡ですが、あいにくの天候で霞がかっていました。残念・・・
与板城
本丸には神社があります。
与板城
本丸には兼続の旗印が立ててありますが、今はどこの名所にもこの旗が立っています。
与板城
社の裏手には土塁がかなり良好に残っています。もともとは本丸の周囲をぐるりと巡っていたことでしょう。
与板城
さて、普通の観光客はここで引き返すのですが、自分は当然先に進みます。
与板城
前日までの雨で道はかなりぬかるんでおり、特に階段は滑りそうなあぶない状態です。
与板城
与板城の特徴のひとつは、郭の間の深い堀切です。本丸と二の丸の間にも堀切があります。
与板城
二の丸を通って、三の丸へ至る間にも堀切があります。
与板城
尾根を平らにした本丸、二の丸、三の丸ともに、それなりの広さがありますが、ここは山城ですから、丸というよりは、一の郭(実城)、二の郭、三の郭といったほうが適切ですね。
与板城
途中一人がやっと通れるような細い道もあり、滑って落ちないように気を使いました。手すりなどがない分、山城の雰囲気を十分に味わえますが、危険と隣り合わせですね。
与板城
一の郭からもっとも奥にある郭が千人溜です。
与板城
三の郭から千人溜に入る部分は右側を崖で大きくえぐられ、左側は高い土塁があり、みごとなつくりです。
与板城
さて、与板城の案内絵図などはここまでが描かれているのですが、実際千人溜まで来ると、「のろし台まで20分」の案内板があります。
与板城
折角なのでそのまま先を進みます。千人溜を抜けると、整備された林道に出ました。
与板城
道端に咲く百合の花がきれいです。
与板城
しばらく行くと、急な階段とともに、奥に道が続いています。ここはさらにけもの道に近い道になっています。
与板城
しばらく進むと右側に大きな盛り上がりを確認できます。そこがのこし台です。
与板城
のろし台には石造りの小さな社がひとつあるだけで、他にはなにもありません。草刈はしているようですが、観光客はほとんど来た形跡がありません。この場所は地元の方に後で聞いたところ、与板城ののろし台になるそうです。
のろし台から帰る頃には雨がまばらに降り出していました。一の郭までの帰り道、誰一人と会いませんでした。本格的な山城を感じずに帰る方が多いのは残念ですが、荒らされないで済むと考えて、城好きな人たちの楽しみとしましょう!

金沢城 西外惣構升形 堀の深さ3メートル

金沢城の西外惣構と旧宮腰(金石)往還が交わる軍事・交通の要衝に設けられた防御施設「升形」の同市の発掘調査で22日までに、築城時の惣構堀の深さが約3メートルだったことが判明した。内外二重に築かれた城下の惣構で堀の深さが特定されたのは今回が初めて。
さらに今回の調査では、升形周辺の惣構堀が江戸時代に4段階で埋め立てられ、堀幅が狭められたことも判明した。石垣の遺構から確認され、堀幅は当初の推定11メートルから、江戸末期には6メートル前後となっていた。埋め立てが行われたのは「17世紀初め~17世紀後半」「17世紀末~18世紀初め」「18世紀前半~18世紀後半」「18世紀末~19世紀中ごろ」の4回と推定される。(北國新聞2009年7月23日付記事より)

金沢城 いもり堀鯉喉櫓台 石積み工事

雨模様の3連休の中日、工事は当然していませんが、今週から開始された鯉喉櫓の工事状況を見てきました。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓台 石積み工事
先週はなかった鯉喉櫓前の見学所ができていました。足場正面だと少々見にくいですが、ないよりはあったほうが断然見やすいですね。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓台 石積み工事
石積み工事は今週は雨の日も多かったので進んでいないと思っていましたが、見ると、番号が書かれた石が櫓台にかなりの数移動されていました。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓台 石積み工事
梅雨が明ければ工事は目に見えて進むことと思います。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓台 石積み工事
足場を横から写真に撮ると、垂直に組まれた足場との対比で、石積みの勾配を示した木組みの傾きがよくわかると思います。