
長者山にある臨済宗南宗寺に来ました。南部氏墓所を探していたのですが、Googleナビでは大慈寺に案内されて場所を探すのに苦労しました。

南宗寺の山門は県重要文化財で江戸時代の創建。

正面の棟にはこの地を治めた南部家の家紋。

背面の棟には武田菱?と思いましたが、南部氏は甲斐の出身で南北朝時代に八戸にやってきたらしく、武田氏に関係するのでしょうね。

本堂裏の墓地の中に、県史跡の八戸南部氏墓所がありました。ようやく辿り着きました(・・;

藩の石高は大きくなかったので、大名墓地としては小さなものですが、

整然と五輪塔が並び、そこはやはり格の違いが感じられます。

八戸の隠れた名所でお詣りを
投稿者: Tadashi
根城 青森県の城館
天候が良くて良かった!!はるばる八戸の根城にやって来ました。

見逃しそうな根城の石碑。遺跡内の園路とは外れた国道寄りに立っています。

駐車場は八戸市博物館前にあります。

八戸市の歴史を学べる博物館前には

八戸南部氏の祖、師行公の銅像が馬にまたがる凛々しい姿で建てられています。

史跡根城の広場の入口の門は、八戸城の東門、八戸城の貴重な建造物遺構です。

復元イラストによると、この根城はいくつもの郭が連なる構造です。手前が本丸なので、園路は奥のほうから手前のほうに進みます。

門をくぐるとすぐに深い空堀が見えます。こういうのが中世城館の醍醐味ですね!
福井の一乗谷朝倉氏遺跡と並ぶ、中世城館の復元事業の先駆けですから、見応えありますよ。

東善寺跡

中舘跡

中舘には四阿(あずまや)が建てられ、中は休憩施設となっています。

この郭を隔てる空堀がいいんですよ。

こうして見ると、当時北側を流れていた川のほうが急に低くなっており、根城が段丘沿いに作られたことがよく分かります。

最後は本丸です。この中に入るのは有料となります。

本丸への唯一の通路だった木橋を渡って、中に入ると復元された主殿や

掘立作りの納屋

馬屋

鍛冶場など中世の暮らしがどういったものだったのか、立体的にわかるように復元されたものがたくさんあります。

根城の広場自体見所が多く、じっくり見てまわると2時間では到底見ることができません。興味ない方にはあっという間でしょうが、ぜひ詳しい方とまわってください。
そういう人はいないという方は、入口にボランティアの方がいるので案内してもらうと良いでしょう。植栽ばかり説明される場合もあるのですが・・・

博物館ではこの本丸を復元した模型も展示されています。ぜひ余裕を持って根城を訪ねてください。
日本100名城スタンプラリー 根城
53城目、八戸市にある根城にやってきました。

スタンプは復元された根城の広場の受付で押しました。

スタンプの図柄も広場内、手前に常御殿跡、奥に復元された主殿、左手に工房が見えます。

主殿の中には部屋やそこで行われた行事が再現されています。中世に興味ある人にはとても面白い場所です。

さらに主殿内には認定証も飾られています。100名城に選ばれたことが地元にとって非常な誇りなんでしょうね。

スタンプは隣接する八戸市博物館の受付でも押すことができます。

博物館前では南部家初代の光行公がお出迎えしてくれますよ。
日本100名城スタンプラリー 弘前城
52城目は今年築城400年祭が行われている弘前城です。そして今日が本祭2日目となります。

弘前城の天守、三重櫓です。手前の朱塗りの橋、掘といい絵が撮れる題材が揃っていますね。桜の時期にまた来たいですね。

スタンプの絵柄はこの天守です。角度もこの場所から

本丸からは蓮掘を眼下に、岩木山が綺麗に見えます。今日は晴れて良かった。

今日はお出かけの予定がなかった「たか丸くん」にも会えてラッキーでした。

いやーかわいい。ひこにゃんに負けてないですね。ぜひとも盛り上げて弘前に人を呼んでほしいです。

スタンプは天守1階の受付で押せますが、そばの壁に認定証が飾られています。
日本100名城スタンプラリー 盛岡城
昨日は近くのホテルに宿泊して、早朝から城めぐりです。盛岡城、51城目になりました。

盛岡城のスタンプは本丸と二の丸をつなぐ御廊下橋です。

左が本丸、右が二の丸となります。

盛岡城の建物は彦御蔵(左側)が残るのみですが、石垣がよく残っています。時間をかけてぐるりと一回りするとよいでしょう。

一回りしたら城内に今年開館したばかりのもりおか歴史文化館で、もりおかの歴史を学べます。盛岡城の復元模型もあって楽しめます。

櫻山神社の裏の三の丸に奇岩が残されています。烏帽子岩と呼ばれ、二の丸と同じ高さだったこの地を掘り下げた際に、掘るほどに裾広がりの三角岩が出現し、宝石となりました。

スタンプはプラザおでっての二階で押せますが、城内のもりおか歴史文化館でも押せます。でもいずれも薄いのが難点です。
盛岡城の夜景 岩手県の城館
8時過ぎにようやく宿泊先の盛岡に到着しました。小雨も上がったようなので、折角なので夜の盛岡城を散策します。

この時期ライトアップと呼べるものはなく、防犯用の緑色の外灯があるのみでした。かなり光量が少ないですが、外灯に映える石垣を撮ってきました。


真っ暗な足元を気にしながら本丸に行き、そこから盛岡の街を・・・やはり少し明かりが少ないかな?

外周部も外灯のみでしたが、とにかく一周してきました。肉眼で見るより写真は暗くなってしまいました。


明日はこの石垣群を昼間に見れるのが楽しみです。
日本100名城スタンプラリー 会津若松城
ついに50城目!ようやく折り返しまで来ました。今日は会津若松城に来ました。

スタンプは天守売店にありました。天守を最上階まで登って、さあ帰ろうというところに売店おいて、さあみやげ買ってよーって商売上手ですね。

入口のある東面。スタンプは当然この面と思いましたが、2つの破風のある東面はスタンプにはありません。

スタンプは北出丸から入った北西面のスタイルです。ちょっと見上げた構図になりましたが、来た頃に比べると天候が悪くなってきました。

今年春、天守と鉄門までの長屋の屋根がすべて赤瓦に葺き替えられ、2000年に復元された干飯櫓と南走長屋とともに戊辰戦争時の姿に蘇りました。
金沢城 橋爪門発掘は進む

今日は天気も良かったので、橋爪門でも発掘調査が進められていました。

今は一の門を入ったすぐのところを中心に掘っているようです。

作業員が休憩中に撮った写真です。この暑さの中、パラソルがないと辛いですよね。

今、進んでいるのは

手前は記録作業に入っているようです。

遠くでどうなっているのか、よく見えません。いつになったら現場説明会が開催されるのか。
玉泉院丸跡の発掘調査はだんだん上へ
今日は夏休み。晴れたのでつらつらと金沢城へ

昨日中秋の名月でライトアップの中、演奏会が行われたためか、除草されてきれいになっています。

滝の跡を発掘していた場所は、西側の斜面に移動し、通路から見える場所に。

石列が出ていますが、どうつながっているのか?

玉泉院丸コースとして最初に開通した目玉「色紙短冊石垣」の前を掘り下げていました。

1メートル以上掘り下げていましたが、まだ石垣は続いているようです。

大きな板状の石が見えます。水が落ちる場所の重要な石なのか?興味津々です。

上から見ると、整備された池の輪郭がよくわかります。北陸新幹線金沢開通へ向け、急ピッチで発掘と整備が続く玉泉院丸です。
越前朝倉万灯夜

一乗谷に盛り上がる夏がやってきました。今日と明日は万灯夜、明日は朝倉戦国まつりが開催されます。

写真できれいなこの風景を一度見てみたいと思っていました。

「一客一燈」ということで誰でも参加できる万灯夜に自分も参加しようと申し込みました。

テント横の五色の水、さて何に使うのか?

そばと飲み物付きの1000円券を購入しました。

今日のイベントの最初は、朝倉義景公墓所前で行われる地蔵盆です。
地蔵盆とは子供の無事な成長を願って行われる法会で、今日も地元の子供たちが参加していました。日陰でも暑い中、立っていたのでフラフラする子供もいて親も大変です。

終わった後で子供たちに着いていって、朝倉神社の前に来ました。ここから子供みこしが出発します。

その前に、神様に祈ります。神事の最中も子供の中にはいたずらをする子もいて、ここでもやはり親は大変です。

そして、子供みこしが出発しました。
子供みこしは義景館前の川沿いの歩道を進み、隣接する集落の中に入って行きます。まだ時間はあったので、しばらく付いて行った後会場に戻りました。
唐門前にはすでにたくさんのカップが並べられていました。
カップにはそれぞれに自由に文字や絵が書かれていましたが、中には会場で配られたうちわを見て、浅井三姉妹の初を書いたカップがありました。なぜ?江ではないのだろう。
カップの中には先程の色水が入り、そこに蝋燭が浮かべられています。
少し時間がありましたので、自分も早速皆さんに混ざりカップに願いを書きます。
今年は東日本大震災もあったので、鎮魂を込めて「がんばれ日本!」と書いてきました。簡単ですが。
雅楽の演奏を聞いている間にすっかり辺りが暗くなりました。唐門前のかがり火が雰囲気を醸し出しています。
点灯式では招待された姉妹都市の来賓も、蝋燭への点灯を行いました。
暗くなると、蝋燭に照らされたカップが幻想的になります。
私もいろいろな角度から撮影に挑戦しましたが、パンフレットのようないい絵は撮れませんでした。
点灯式の後は、唐門から諏訪館跡庭園まで一方通行です。
唐門に入ると、中では二胡の演奏をしていました。暗闇の中の演奏は何とも幻想的で、二胡の音色が遺跡に似合います。
義景館の背後から、明るければ遺跡全体を見ることができますが、今日は暗闇の中ろうそくの模様が浮かび上がります。
最後は、今年あった東日本大震災のため「絆」という文字が並べられ、帰る人々の心に訴えるものがありました。
姫路城 東部中濠をめぐる 兵庫県の城館
前回は埋め立てられて道路となった南部中濠から西部中濠をめぐりましたので、今回は東部中濠をめぐりました。

範囲は内京口門から野里門までです。

東部中濠も南の一部は埋め立てられ、この内京口門の手前部分から残っています。

広い堀と内側の土塁がセットで残っています。堀は流れが止まっているためか濁っています。

土塁に案内板が立っていますが、絵図は消えかかっていました。

堀沿いに北に向います。堀が鍵状に折れる正面に内京口門があります。

門両側の石垣は残っています。この東中濠の内側には現在学校や病院が並び、この内京口門の中にも賢明女子学院高校があって、中から見学することができません。

しかし、案内板のイラストを見ると両側の石積みは元々のものではなく、門は内枡形でこの両側は塀だったようです。

門の東側、濠は道路で寸断されていますが、細い水路で南側とつながっているようです。

門の西側、北側に濠は折れています。

北側へ濠は続きます。

暑い中、日陰になった濠沿いの通路を歩きます。

しばらく歩くと橋にぶつかりました。

ここが久長門です。

ここも内枡形門ですが、この南側の石垣、北側の石垣ともに、外部分の石垣の上部は取り去られています。

北側の石垣も道路幅を広げるため、奥の石垣は南側を削られていると考えられ、その平面は当時のものではないかもしれません。

久長門を後にして、さらに北へ歩きます。ここから歩道は住宅地に隣接して、裏道という感じです。

徐々に西側にカーブしてきました。

この辺りまで来ると濠の水も澄んできて、泳ぐ鯉もくっきり見えるようになりました。小さな小魚もいるようでしたが、ここは魚釣り禁止地区です。

大きな道路が見えてきました。

ここが野里門の外側のようです。濠は左手に折れて、後ろ(西)側に流れます。

枡形の真ん中を道路を通り、向かい側に石垣が見えます。

この野里門も内枡形門です。イラストの右側が北側です。

案内板の後ろに残る石垣は枡形の内側の西側部分の石垣の一部です。

北側を流れる濠は幅が少し狭まっているようです。歩いている間は観光客はまったく見ませんでした。中濠も姫路城の魅力のひとつですよ!
「天空の白鷺」を見学してきた!

大天守が修理中の姫路城にやって来ました。一年前の囲みを作っていたときは全く大天守を見ることができず、観光客も激減していましたが、今もその影響は続いているようです。

天空の白鷺ということで囲みには大きな絵が描かれ、エレベータで間近で工事状況を見学することができます。今日は日曜日なので工事は休みでした。

お城まつりも開催中でしたが、本丸広場は暑さのせいか人気もまばら・・・

正面に天空の白鷺が見えます。今だけの姿です(と言ってもまだ数年続きますが)
大天守の天空の白鷺の左が小天守、その手前が今回初公開のリの一渡櫓です。

工事は鹿島・神崎・立JVにより、あと三年半という予定みたいですね。

入城ゲートの脇に建つ工事用現場事務所。

壁画の説明がありました。47メートル四方とは大きな絵です。

観光案内所だった場所は、姫路城の模型が置かれていました。

こちらの大天守にも囲みがかかっていますが、実際よりちょっと大きい。どこを通って天守に入るのか、番をしていたボランティアの方に聞くと、この囲みは大きすぎて通路がないんですよ、って後でその意味がよくわかりました。

混在している場合は待たされるとあって、ネットから予約していきました。お城まつり最終日でもあったので、どうかなー?と思っていたら意外なほどに空いていました。予約してきた人が珍しい!?みたいな感じが・・・まあいいか。それでも遠方から来る人はやはり予約したほうがいいですよ。
入城料が通常600円のところ400円、天空の白鷺が200円で、結局通常料金になった。

今回築城以来の初公開となった「リの一渡櫓」が公開されています。と言ってもここは入城料の範囲以内、普通の人は未公開の渡櫓ですよー、って言われてもあまりピンとは来ないだろうけど。

中には実物の鬼瓦や甲冑が展示されていました。

瓦も歴代の藩主が変わった分だけいろいろな家紋が残っています。

外には、江戸、明治、昭和の各時代の鯱が展示されていました。こういうものは前の時代のものを参考に、なるべく同じように作るものだと思っていましたが、よく見ると、牙や耳、えらなど全く作り方が違いますね。高い場所にあって、これほど近くで見る機会は少ないですからじっくり見てきました。

こんなことではなかなか大天守には入れないので急ぎます。

途中通路も工事中の今だけの風景。

入口に案内の女性が一人立っていましたが、今日は入場制限するほどでもなく、順路の説明をするのみ。暑い中少しかわいそうな感じがしました。

すでに入場者が10万人を超えたようで、しかし今日の人出を見ると最初だけ??

1階でエレベータを上るまでの間ビデオを見れるようになっています。ここで流れているのは姫路城の歴史です。今日は人が少なく、見終わるまでもなくエレベータへ。

エレベータの定員は10名余。一気に8階まで登りますが、乗口と反対側が透明になっていて、上る間工事の状況を垣間見れます。なかなか面白い趣向です。運良く今日は上りも下りも1番目に乗ったので、もちろん奥のいい位置で見ていました。

8階見学スペースに到着しました。

いい景色です。窓に手すりが少し映り込みますが、姫路城天守窓から見るよりも広い視角を取れるようです。

今日は晴れていますから遠くまで見えますが、これはライトアップも良さそうです。夜は入れないですから見れないのは残念ですね。

窓からの景色とは反対方角が最上階の大屋根の工事風景を見ることができます。

現在はすべての瓦が取り外されています。

次はここに瓦を葺き直す作業を見たいものです。

見学場所にビデオが流れていました。今日は人も少なかったので、ビデオもゆっくりすべて見ました。あ行が進めば内容も変わりそうですね。
階段に下の7階に下ります。
ここの見学場所からは最上階の壁の様子が見えます。
現在はすべての漆喰が剥がされた状態です。作業は大変ですが、こうして古いものをきれいに壊し、また新しいものを作るというサイクルは素晴らしいものです。
おろした瓦の一部が置かれています。
帰りのエレベータ前には姫路城絵図のコピーが壁一面に描かれています。ほぼ実寸大だとか。
1階まで下りた出口近くには、本物の文献と絵図が置かれていました。
この絵図は地震で倒壊した部分の修理を幕府に願い出るための資料として作成されたものです。こういう細かい絵図には双眼鏡が必要。
通常30分とされる見学時間を大きくオーバーして出てきた外はやはり暑かった。でも来て良かった。一般の観光客は2回、3回と来る場所でもないかな。また工事日程を睨みながら来てみたい。
姫路城大天守の鯱を比べる
姫路城の大天守は修理中

初公開の「リの一渡櫓」では、

修理で下ろされた鯱を含め、歴代の鯱が展示されています。

遠きにあっていつもは見づらい鯱が間近に見れるよい機会なので、各時代の鯱を見比べてみましょう。

昭和時代の現役の鯱。

先代の明治時代の鯱。

江戸時代の鯱。
それぞれの違いを遡りながら比較します。

頭、牙と耳が大きい昭和時代の鯱

黒目のない明治時代の鯱。

見た目はかわいい?マヌケ顔?の江戸時代の鯱。鯱って守り神だからもっと怖い顔をしているのでは?

昭和時代の足ヒレ。簡略化され、体の鱗も小さい。

明治時代の足ヒレは彫りが深く、鱗にも穴が空いている。鱗模様はこれが一番クッキリしていて良い。

江戸時代の足ヒレは小さい、鱗は大きめ。

最後に尾ビレ。昭和時代の尾ビレは両側に大きく広がっている。

明治時代の尾ビレは彫りが深い。中央に真っ直ぐの模様がこの時代の特徴です。

江戸時代の尾ビレは幅が一番狭い。
ちょっと変わった記事を書いてみました。どうですか?
敏満寺城 滋賀県の城館
名神多賀SA上り線(名古屋から京都方面)に隣接して、敏満寺城跡があります。

多賀SAのある青龍山一山が敏満寺であったので、サービスエリアとなっている場所もその一部です。

敏満寺は、青龍山を御神体として12~15世紀頃に繁栄した寺院で、当時は比叡山を凌ぐとも言われています。そのため、その勢力は戦国時代にあって無視されることなく、浅井長政や織田信長に幾度も攻められて焼失し、再建されることはありませんでした。

サービスエリアから故宮神社に至る遊歩道沿いの発掘では、坊跡や井戸跡、鍛冶場跡、火葬墓跡が見つかり、

一部土塁と思われる遺構もあります。

10分ほど歩いて、故宮神社に到着しました。

広い境内のようです。

境内に旧敏満寺の古井戸と焼石塚が残っています。

西側から入る大鳥居まで来ました。

大鳥居を入ると急な階段が続いています。要害ですな。

境内の一部に残る石垣は敏満寺のものか、神社のものか判断しづらいですが、立派な寺院だったのでしょう。

社務所の庭園は名勝に指定されているそうですが・・・

なんかどことなく荒れ果てている雰囲気があります。

観音堂の横に

石仏が並んでいます。

拝殿と

その後ろの本堂となります。

拝殿前にあった神社パンフレットをいただいてきました。

境内から見渡す景色はよい眺めです。こちらは安土方面。

そして、彦根方面となります。右端が多賀SA下り線となります。
高岡城 本丸御殿の遺構か?
地元新聞に大きく載った記事
高岡市教育委員会は5日、高岡城跡(高岡古城公園)の本丸広場で見つかった建物遺構について、加賀藩2代藩主の前田利長が居住したころの屋敷「本丸御殿」の可能性がると発表した。
本丸広場には、高岡城跡の郭の配置から、城主の館が置かれた可能性が高いとされてきた。現存する絵図に御殿が描かれたものはないが、利長の書状から、勝手方(広間・台所)が完成したことや、入城後に畳の材料を調達するよう命じたことが分かっており、城主が居住する御殿の存在が推定されていた。
高岡城跡で建物遺構が見つかったのは初めて。高岡市教育委員会は、城跡の国史跡指定を目指して2008年度から総合調査に取り組んでおり、10年度から発掘調査に着手。礎石は6月下旬に始めた調査で見つかった。
調査では8カ所を発掘し、江戸時代後期の地層から一段下の地層で、建物の礎石が6カ所で計16個見つかった。長さ50~60センチの楕円形で、同軸線上に並んでいる。場所は広場の中央から北側にかけて広範囲にわたり、市教育委員会は建物の横幅が50メートル以上になる可能性を指摘している。
(北國新聞2011年8月6日付記事より)
明日、一般向けの説明会が開催されますが予定が入っているので、今日見られるかどうかわかりませんでしたが行ってきました。

高岡市立博物館に続く大手口。

高岡市立博物館に展示されている高岡の模型

模型の高岡城は、堀には石垣が巡らされていますが

二の丸から本丸に架かる橋の両側に残る

この石垣以外は土塁だったと推定されているはずでは?

さて、目的の本丸へ

本丸広場はすっかり金網に囲まれていて、今日は中に入れませんので金網沿いに中を伺います。

新聞報道は中央部のトレンチを載せていましたが、ここから向こうへ3つのトレンチが並んでいますので、一直線に礎石が出ているようです。

西側の1つのトレンチにも礎石が1つ。

東側の1つのトレンチにも礎石が1つ。

東北隅のカギ状のトレンチ

ここからは3つの礎石が発見されました。調査員がちょうど記録を取っていました。

今回は80センチほどの深さのトレンチを掘っていますが、地層は黒い層が2つ。下の黒い層は焼土層のようにも見えますが、この下の地層が江戸初期のものとなるようです。

記録はトレンチと遺物の関係図のようです。
一乗谷朝倉氏遺跡 城戸の外を歩く 福井県の城館
下城戸の石垣と上城戸の土塁の間は、朝倉氏とその家臣が居住した空間で、「城戸の内」と呼ばれていますが、シンポジウムでそろそろ城戸の外にも注目を!という話があったので早速散策をしてきました。

下城戸の外、刑場として使用されたと言われている「武者野」と呼ばれる地です。

傍らには見つかった石像が祀られていました。

この辺りに足羽川の湊があったとも言われています。

上城戸の外、御所と安養寺跡です。

安養寺は大きな寺院だったらしく、

足利義昭が将軍になる前に朝倉氏に匿われていたときに、安養寺に隣接して御所を構えたと言われています。石垣がわずかに残っています。

隣接する御所跡。

広大な遺構には何もありませんが

隣接する西側の山裾に入口らしきものが・・・

現在も林業の方が使用されるようで道が続いていますが、三段ほど落差のある砦跡のようです。

上城戸の西側の山裾にある盛源寺。現在の本堂裏の墓地は使用されているようでしたが、

本堂までの石段脇には見つかった石像が並べられ、

本堂の建つ平地には一際大きな石像が並んでいます。

一段高い本堂は街道の見張り台としてもちょうど良い高台に建てられています。

最後に城戸の内を散策。
夕方の城戸の内は人気も少なかったですが、ここは南陽寺跡庭園の下にある瓜割清水と呼ばれる湧き水です。暑い中でしたが、水はとても冷たかったですよ。

特別名勝 南陽寺庭園

特別名勝 湯殿跡庭園

特別名勝 朝倉館跡庭園
一乗谷にはもう一つ特別名勝の諏訪館跡庭園があり、全部で4つの特別名勝があります。城戸の外も見どころ一杯の一乗谷朝倉氏遺跡でした。
一乗谷城下町 西山光照寺跡 福井県の城館
シンポジウムに参加するため一乗谷朝倉氏遺跡資料館へやって来ました。昼休みに発掘調査の真っ最中だと紹介された西山光照寺跡へ。

資料館から徒歩5分ほどのところの山裾に西山光照寺はありました。北の庄と呼ばれた現在の福井市や府中と呼ばれた武生市(越前市)から攻めて来たとすると、最初に見える障壁がこの西山光照寺となるそうです。寺院群が砦として利用されていたのでしょうね。

すでに整備された東側に隣接する西側を今年度は木々をすべて伐採して発掘調査しています。

発掘前にも地表から一部が現れていた「南無阿弥陀仏」と掘られた巨石もまるまる掘り起こされていました。

トレンチが何本も掘られていて、地山を確認しているようです。

先程の巨石が石垣のちょうど角に当たるようです。西側の巨石群ほどではないにしても、北側の石積みも大きな石が多いです。破壊されて地上1、2段ほどしか残っていませんが、往時はとても立派な石垣が続く壮観な風景だったのでしょうね。

寺院跡の入口に枡形になる?のかな、凹んだ石積みがありました。

発掘調査で見つかった石像が並んでいます。

石柱は線路からは見えるけど、見学者には見えない場所に・・・?なぜ

さて、西側はどう整備されるのか、楽しみです。
金沢城 橋爪門発掘状況を見る
曇よりとした雲行きの中、金沢城に向いました。晴れの予報日に夏休みをとったはずが、夏の天気は変わりやすい。

平日だから発掘調査しているかどうか、昼からの大雨予報のため不安もありましたが、やっていました。
休日に訪れたときはブルーシートに覆われていて、どういう状況かわかりませんから、どこまで進んでいるか確認しましょう。

まだ見つかった石積みの内側を掘っているようです。地道に進んでいるのかな?

角度を変えて他の作業を見学します。

石積み近くで何か記録している人がいます。

しばらく見ていると石積みを測量しているようでした。

更に角度を変えて見学します。

南側を掘った部分で何か進んでいるか見てみます。この部分はブルーシートの下は見たことがありませんでした。

溝が発見されたのか、トレンチを入れているのか、ちょうど土塁の土台あたりになるのでしょうか。

本丸から眺めてみます。

先程の溝部分。地層を示す白い糸が張られています。溝ではなく、トレンチを入れて断面を確認しているようです。
金沢城 石川門続塀の工事状況を見る
ずっとブルーシートに覆われている石川門続塀の修築現場。

ちょうど昼休みとあってか、上にめくり上げられて中が少し見えます。

出窓の横、塀のあるはずの部分は何もなく、塀は一度すべて解体されたようです。ここまで本格的に解体して修築しているのですね。
金沢城 玉泉院丸整備状況を見る
北陸新幹線の金沢開通に向けて整備を急ぐ玉泉院丸跡にも行って来ました。

県の担当者が石垣を調査しています。

曲輪のあちこちで穴を掘る音が聞こえます。

これは何を調査しているのか?

県の担当者は、図面を見ながら石垣に何か印をつけています。何か調査しているのか?

穴を掘っている方は下りてきてこの看板を見てわかりました。地盤調査をしているのですね。まだしばらく続くようです。

玉泉院丸の調査は昨年度の奥の壁面で行われていました。昨年度は滝があると推定された場所を、今年度はその西側を深く掘っているようです。

望遠で見てみると、奥に石らしきものが見えます。記録しながら掘り進められているようです。

戻ってきて玉泉院丸の石垣、下からいくつかの石にテープが貼られています。

とても気になったので県の担当者に何の調査か尋ねてみました。
定期的に石垣のはらみ(石垣の裏が水を含んで前に盛り上がってきた部分)を調査しているそうです。テープが重要なのではなく、テープの右下に貼った黒いマークで測るのだとか。なるほど!

今日行ったときにちょうど紅葉橋の奥の元堀跡のほうでも作業していました。

ここより奥は一度発掘調査していますが、手前には廃材や木材が積まれていました。

今日はそれらをすべて移動させて、これから掘っていくような感じでした。